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欠史八代とは何だったのか? 其2

1 :日本@名無史さん:2019/03/06(水) 00:39:29.03 .net
議論の続きをどうぞ

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547384861/

775 :日本@名無史さん:2022/02/20(日) 23:32:51.89 .net
二人の珍彦

出雲伝承の本なのですが、最初に出した「出雲とやまとのあけぼの」はある時期に絶版となり(現在異常な高値で取引されます)、内容に変化が出てきます。
二冊目の「出雲と蘇我王国」で、編集方法の方針が書かれており、「最初に分かりやい本を出して気長に出版していく」というくだりがありました。
本題に入ります。
大彦は、磯城王朝に出雲の血が入っている事を誇りに思いトミ彦と名乗っていたそうです。
故に、事代主のもう一人の奥さん、奴奈川姫の名をとって、息子にヌナガワワケと名付けたと。
トミノナガスネヒコはそこから来ているそうです。
当初の大彦はクニクルの皇子として書かれていましたが、フトニの時代考証は今と同じになっていました。
孝霊天皇ことフトニは150年代開始のヒボコ族の播磨侵攻に触発され領土拡張に乗り出します。そして親戚の国である出雲に侵攻しました(160年頃)
そして遅れて165年頃に東征を開始した物部氏が八咫烏によって引き入れられた際に、ヤマトに戻れなくなり吉備国を作ったと。
私はその経緯が非常にあいまいでヤマトの争いのないイメージが気になっていました。
当初は、八咫烏は加茂建津野身になっており、一般的な話したが、焼き直しの本が2019年に「出雲王国とヤマト政権」が3年の歳月をかけて出版されました。(実は私はちょっと中の人と知り合い)
そこに驚くべきことが書かれており、大彦の時代が遡り、6クニオシヒトの御子の時代になっていたのです。
つまり、景初の二回目の東征から、165年頃の第一次物部東征の時代にさかのぼったわけです。
そして、太田氏の三輪大君説に大きく切り込み、建津野身が山代国に後退し、奈良が手薄になった際に太田氏が熊野勢を呼び込んだと。
故に、先出した系図は、最新のものに変更してあります。183年には大彦は戦線を守っていた琵琶湖から撤退
そして、名草軍と共に、大彦は熊野勢と戦った事になっており、何と名草トベ(なかつなぐさ姫)が尾張家の4建斗米の奥さんになっていました。

776 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 00:43:17.80 .net
訂正
つまり、景初の二回目の東征から、165年頃の第一次物部東征の時代にさかのぼったわけです。

つまり、8代クニクルの時代から165年頃の吉備国建設の戦い、7フトニによる出雲戦争の時代にさかのぼったわけです。

大彦撤退と伝わる180年代は太田遺跡(纏向遺跡)の一番古い纏向1式の土器の時代(180-210年)に相当します。
考古学的に土器の編年が大きく変わる年代に相当しますので時代考証的には確度的に問題はなさそうです。
尾張氏4の時代と、太田氏6の時代になると、名草姫が相当のおばちゃんになってしまいますが強引に話を進めます。
ちょうど、紀伊家は6大名草彦の時代です。こっちは良さそうです。「珍彦」のお父さんですね

名草トベのバイブル的本として、なかひらまいの「名草戸畔古代紀国の女王伝説」があります。
そこには、名草の頭を守る神社、宇迦部おこべ神社の社家、小野田博男(ルパング島の小野田さんですよ)さんが登場します。
彼は、文章にもなっていない口伝の持ち主で、第一次物部東征の五瀬と戦った伝承を受け継いでいました。
余談ですが、五瀬側の伝承の宮島文書でも、全く同じ伝承になります。(敵方なので、名草を悪く書いている)
つまり、出雲、宮下、小野田、それと竈山神社の五瀬の子孫の家で、第一次物部東征の指揮官が五瀬だったと言及されているのです。
そして、4男が大和入りしたと。
日向三代では磐余彦が出ていますが、古事記では大和入りしたのはいつの間にかすり替わったウマシマジ。そう、ウマシマジが4男だったようです。
磐余彦は五瀬から、ウマシマジに切り替わりました。

777 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 00:44:37.03 .net
小野田口伝では重要な点があります。
「事代主の子孫である」ナガスネヒコは、名草トベを傘下に引き入れ、ヤマト方面に進出していった
ナガスネヒコは名草トベと一緒に神武軍と戦った。(大彦とナガスネヒコ同一人物論の伝承は非常に少ない)

(注:小野田さんは発言には慎重で、五瀬が物部だったとは絶対に言いませんでした)(小野田口伝は尾張氏(村雲の実家)をナガスネヒコの血筋と混同している?)
そして、ナガスネヒコが降伏した事により、名草軍も一緒に負けてしまった事にされたと。
出雲伝承の修正と、名草伝説がリンクしました。

纏めに入ります。
そしてもう一人の珍彦の話がその本に出てきます。九州の珍彦です。
宇佐国造の口伝では、神武が豊後水道から佐伯湾に入り、宇佐国上陸を試みたが激しい抵抗にあい上陸できなかった
そこに漁師の「珍彦」が仲裁に入り、宇佐津彦を説得。神武軍に帰順する(ここまでは記紀とほぼ一緒)
そこから、宇佐独自の口伝に入る
宇佐家は、その際に宇佐津姫を神武に差し出した。記紀編纂の際に宇佐氏の要望か、忖度かでウサツ姫を「天種子命」に差し出して、中臣氏が嫁さんを貰ったように変更された。
宇佐の領域はトヨクニであり、豊後(ぶんご)豊前(ぶぜん?)の二つを合わせた領域だった。
出雲伝承では、この時の神武は物部イニエ(崇神)であり、宇佐津姫が九州の月の姫巫女、卑弥呼であったとしている。

記紀は二度の東征を一度に圧縮し、朝貢の歴史を消しています。

珍彦には道案内伝承があります。つまり、神武を説得した珍彦は、二回目の東征前の物部、宇佐・物部連合時代の珍彦。
私は武内宿祢(武内太田根)ではないかと思います。

武内宿祢は紀伊家の珍彦の甥。紀家の珍彦の妹に山下影姫、武内宿祢の母が居るのです。
武内宿祢が朝貢して名前が載ったので、珍彦にして隠されたのではないかと思います。

残る謎は、尾張氏の隠された?二代の系譜。名草姫の時代考証でしょうか。

778 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:06:44.67 .net
>>739
関係ない話ばかり並べているが半島征伐に失敗して自害説まで流れた襲津彦が武内だという根拠が無いな
いつまで経っても根拠を示すという当たり前の事ができないキナイコシくんは成長が無い

779 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:09:16.57 .net
>>740
>お前アホなのか?宇佐宮司家はもう書籍まで出して歴史を公開してるよ。
その書籍に書かれていることが歴史的事実であるという根拠が無いわけだが
アホは君一人だよキナイコシくん

780 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:14:26.69 .net
>>741
>肯定したのなら突っ込みを入れたというお前の話は何処に行った?w
バカだなぁ自分が何を突っ込まれているのかも分からないのか
君が何かを発言する際にいつも根拠に基づいていないという事実を暴いてやったということだよ
俺が根拠を知っていようと君の発言が無根拠であったことに変わりはない

>書記の兵頭にイタテが入ってる訳が無かろう。村雲がイタテなら、父親みたいな直ぐの先祖など祀らない。
根拠ゼロだな
君が勝手に設定した俺ルールなんて誰も守らないよw
現に弥彦神社はカゴヤマの息子のアメノイタネが作ったということになってるんだが

https://www.yahiko-jinjya.or.jp/history/yuisyo/index.html
> 彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、
> 御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。

781 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:15:31.93 .net
>>742
>んで?自分で作った画像であるという事が争点なのだが?
誰が作ろうが根拠に基づいていれば捏造ではないわけだが
もはや日本語すら喋れなくなった負け犬キナイコシ

782 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:17:17.43 .net
>>744
>>539に何ら反論できてない時点で論破だよ負け犬キナイコシくん
カゴヤマは五十猛=イタテではなくその父スサノオなのは弥彦神社の創建が天五田根命と伝わっていることでも明らか

783 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:18:45.41 .net
>>745
またそうやって根拠の無い話を始める
君は何度言えば意見には根拠が必要だという当たり前のことが理解できるのかねキナイコシくん

784 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:22:49.62 .net
>>746-747
>>753

785 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:24:40.88 .net
>>748
全くの逆だ
安曇武磯良から尾張や海部ができたのだから尾張や海部が安曇の分家ということ
時系列というものをその足りない頭で少しは考えろよキナイコシくん

786 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:26:31.77 .net
>>784
おっと安価が間違っていた
>>783だな

787 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:28:17.80 .net
>>750
村雲ことアメノイタテがイタテ大神=安曇武磯良なのだから大いに関係しているわけだが
君の根拠の無い話とは違うよキナイコシくん

788 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:32:47.21 .net
>>754
カゴヤマは弥彦神社社伝にもあるようにイタテの父スサノオだから間違いだな
紀伊と関係があるのはスサノオや五十猛が紀伊で祀られていることや
追放後の甘美内宿禰が紀直に預けられたと書かれていることからも
>>446の図と完全に符号する

789 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:33:34.56 .net
>>755
論理的反論が出来なければただの負け犬の遠吠えだよ
もう少し頑張りなさい

790 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:34:49.01 .net
>>756
阿波はNGしてるから最初から見えてない
まだ粘着してるのか
まあ君は阿波と同レベルかそれ以下だがね

791 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:37:37.40 .net
>>758
712 :日本@名無史さん :2020/12/20(日) 17:09:59.70
>>746
>磯城登美家の建飯勝命の息子、建甕尻命=タケミカヅチ

建飯勝命はタケイイカツと読む
雷大臣の当時の名がタケイカツであろうという俺の推定にバッチリハマる
磯城登美家の家系にその名が出るなら、磯城登美家もスサノオの子孫だったというだけだな
一代くらいの混乱は古代の系図ではよくあること

460 :日本@名無史さん :2020/12/10(木) 02:36:21.96
>>534続き
そして磯武良=五十猛と共に朝鮮半島に行き帰ってきた雷大臣こと中臣烏賊津こそ素戔嗚命その人ということになる
イソタケルと共に朝鮮半島に行って帰ってきた古代のVIPがスサノオ以外に何人もいるとは思われないからな
上の対馬伝承でも雷大臣を霹靂神社に祀っているが、五十猛がスサノオと共に帰還上陸したとされる島根県大田市五十猛町にも
かつて霹靂神社があった(現在は五十猛神社に合祀されている)

https://genbu.net/data/iwami/itakeru_title.htm
> 当社に合祀されている霹靂神社は、式内社・國分寺霹靂神社の論社の一つ。
> 祭神は、別雷神と玉依姫命。
> 大同四年(809)正月の鎮座であるというが、明治末年に当社・五十猛神社へ合祀されてしまった。

祭神が別雷(ワケイカヅチ)となっているが、これは中臣烏賊津と伝わる人物が実際には当時まだ中臣姓を名乗っておらず
ワケイカツもしくはタケイカツと名乗っていたものと考えられる

ここから考えると、八幡愚童訓などで安曇磯良(磯武良)が鹿島神宮のタケミカヅチと同神とされるのは、
ここでいう磯武良はスサノオの御子神としての五十猛ではなく、その先代のイソタケル(=伊都国王)である
タケイカツ=雷大臣その人を指しているのだろう
実際、タケミカヅチの子とされる春日大神=アメノコヤネもまた磯良と同神とされているので、
親子二代がともにイソタケル(=伊都国王)であったことを反映していると言える
鹿島大神タケミカヅチと春日大神アメノコヤネは2神とも中臣氏が祖神として祀る神なので血筋的にも完全に一致する
スサノオとタケミカヅチは同一人物だったということになる

792 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:50:19.71 .net
>>772
>だからであろう、辰韓のヒボコって事になると、朝鮮臭が消えてしまうから焦っちゃうんじゃないかね?w
「辰韓のヒボコ」なんてフレーズは君しか使ってないと暴いてやったのがそんなにトラウマだったのかw
ヒボコが新羅王子という伝承が間違っているだけの話だよ
>>670で教えてやったように君が新羅帰りの磯武良を渡来系と誤解していたようにね

>ココで何を言おうが直系の神床家が今でも続いてるんだから出まかせを言うのは止めればいいのに(失笑)
俺の発言には全て根拠がある
出任せなのは根拠のない発言を繰り返すだけの君だよキナイコシくん

793 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 03:51:44.82 .net
>>773
どうせなら石上のほうがいいな
文体はまったく似てないね

794 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 04:01:25.00 .net
>>775-777
>>783

795 :太国 :2022/02/21(月) 09:11:12.65 .net
>>789
よく精神病院行きの者は正常人を紀違い扱いするのさ。w

等号は探偵小説と推理小説でよくあるのさ。
たとえば明智小五郎が二十面相だったとかドンデン電返しとか両者が等号
で結ばれるのが小説の世界だよ。古代史は小説ではねえの。

例外は稀に確かにあるが、通常古代史で等号は失敗の沈没。

796 :太国 :2022/02/21(月) 09:29:17.05 .net
たとえばスーパーマはクラーク・ケントだったとか、バットマンは
ブルース・ウエインだとかいう等号をやってるんじゃあもう小説エンタメの世界。

よっぽどの根拠がないと等号は失敗だぜ。

唯一等号が成立と想えるのが 成吉思汗=源義経 これだけは等号になろう。

あとはないな。

797 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:32:02.87 .net
>>781
出ました、ついに認めましたww
自分で作った画像だったとはww

798 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:33:38.51 .net
>>782
根拠なし、やり直し

799 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:34:24.47 .net
>>785
根拠なし、やり直し

800 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:34:58.78 .net
>>787
根拠なし、やり直し

801 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:38:04.81 .net
>>789
根拠なし、やり直し

802 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:39:09.54 .net
>>791
推定は根拠ではない、やり直し

803 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:40:47.83 .net
>>792
完全検索の話か?
お前の妄言はお前の話しか完全ヒットしないから嘘確定だな
次のカードに取っておいたが自ら暴露か?w

804 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:42:50.38 .net
>>795

さすがにあの低レベルと虚言癖は笑えますよねw
背乗りのチョンそのままを地でいってますよ

805 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 09:47:53.53 .net
そもそも朝鮮は、渡来の際にこんなとこ嫌だと言って、やめた場所
立ち寄っただけで、そこにいた訳では無い
イソタケルが朝鮮人というのが伊都チョンの拠り所なのか?ww

そもそも伊都チョンと他の人にも言われてる理由はそこなんだろうがw

806 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 11:16:01.41 .net
>>779
その本すらなく推論だけで根拠もないのが伊都チョン説だろw
自分の作った画像が根拠で証拠なんだろ?w
神床家の証言は取材しての話だから、それがダメなら新聞だって全てが嘘になるだろw

頭がおかしいww

807 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 11:25:23.51 .net
楠木をシンボルとする一族が、三嶋以外に存在する。
それが名草の一族。
宇佐に次いで古い家系で、元々は大分当たりに住んでいて、稲作で増加した人口の都合で当時人口の少なかった和歌山に移住。
八咫烏は、先住していた住民で、最終的に五瀬軍を引き入れたのは、先住民族としている。
そしてその一族を紀の一族としている
移住の際に、山に植える木として楠木を持ち込んだという。
名草戸畔の胴体を祀る神社にも楠木。
イタキソ神社は元々、木を植え始めた、という意味の言葉で、ここから木曽地方に植林の技術が伝わったと伝承されている

なんでか知らぬが、安曇と楠木はほぼ無関係
穂高神社もそうだが、楠木が全くない

楠木信仰に関しては、なかひらまいの名草の本に詳しく出ている

808 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 11:33:53.06 .net
紀の一族とは、出雲系の住民と思われ、同時期に三輪大君、太田氏が物部氏を引き入れたと書かれた時期にあたり、紀伊国造家系譜の別論で、オオミケから紀伊家に繋がる系図がある話とリンクしてくる。
つまり、紀伊國にはイソタケル系、珍彦に繋がる一族
事代主系、尾張家の母系側の一族が住んでいた可能性がある。

名草伝承の独自な点は、長髄彦と、饒速日が紀伊國にもいて、両方の家系が今でも神社やってて宮司職をやっているという話

つまり、名草の言う長髄彦と、記紀の長髄彦は厳密には違う存在で、うまいこと利用され、大彦の時代、朝貢した時代を隠しているのではないか

名草の長髄彦は尾張氏の可能性がある

尾張氏なら五瀬物部勢と闘う立場になる

809 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 11:35:56.96 .net
>>795
〉よく精神病院行きの者は正常人を紀違い扱いするのさ。w

虚言癖の人間は、自分の嘘を嘘と認識しないと言いますものねw
息を吐くように嘘をつく民度の国があると言いますが、似ていますね〜

810 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 11:56:28.69 .net
カゴヤマとイソタケルが、同一人物という話は、なかひらまいさんの書籍でも出てくる。

系図というのは自分の家を有利に変えれるという側面がある。
故に、嫁や婿に出した家が、再び相手から嫁や婿を入れると、突然苗字が変わる訳だ

物部も、クニオシヒト系も全てが三島や越知を名乗っていた訳ではなく、突然系図に出てくる

つまり、家督を取った人間が誰かを常に主張するものではない

わだつみから来ている、渡来の庶子系の安曇ならあの様な系図は書けるわけだ

そもそも仮にだが系図通りに解釈するのなら、イソタケルは既に尾張氏になり、村雲から海部の分家が出たという事になるが、安曇を名乗ってないのであれば、穂高神社社家の系図は、家督が取れなかった方、歴史を残せず、記紀にも書かれなかった方の系図としか解釈されない

九州安曇の系図がなければナーンの根拠もない系図でしかないのだ

他の複数の系図、母系、父系、集合の系図で補完出来ていなければ、可能性や説の域を出ない話

811 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 12:22:17.87 .net
宗方の祖であるアタカタスを後年のクニオシヒトの時代に強引に入れた理由は、本来無関係なイソタケルを結びつけるために、母系の操作も必要になったからであろう
市杵島姫は、物部氏の彦ホホデミの母親だからね
饒速日もいじるのであれば、当然に母系も揃って移動しないと整合性が取れなくなるからな

東征の際の各父系母系の代には特徴的な出来事がある。

彼らの名前が出雲伝承他にある
八咫烏=太田太根彦
野見宿禰=冨太田彦
武内宿禰=武内太田根
大彦=中曽大根彦(大を太に変えると・・)
そして、記紀のウサツ姫をもらったとされる中臣家の名前が天種子命

何かの符牒の様である。
口伝には正確に伝えるための工夫がなされている様な気がしてならない
時代考証には使えないだろうか

812 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 12:25:16.99 .net
>>791
父系統の尾張氏の人物と、母系の事代主家系のミカヅチが同じ人物な訳がねぇだろ
頭がおかしいw
各種系図と先代旧事本紀の内容にすら反する

根拠なし、やり直し

813 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 12:29:18.98 .net
さらに、元は築秦国といった秦系の渡来の人間と、朝鮮人のイトテが同一人物のはずが無い

それも、伊都チョンの言い方だと新羅の時代って吠えてるからさらに時代考証では離れてしまう両者

二重に頭がおかしい伊都チョンww

イトテ本人がヒボコの子孫だと言ってるのに、それすらデマ扱いwww

814 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 12:36:30.45 .net
今日家に帰ったら、先代旧事本紀でミカヅチと、アタカタスの代がどうなってるか確認してみるか
ミカヅチの後にアタカタスが来る様な工作がなされてたら、宗方を通じて物部に雷が入り、イメージの操作がしやすくなる事になるからな

815 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 13:00:14.60 .net
>>771
物部文献の解説書って、どんな本だったのですか?
興味あります

816 :太国 :2022/02/21(月) 13:22:33.76 .net
>>815
30年位たつかなあ? 青森県大釈迦の梵珠山探検の際、まだ登頂前の昼間に
青森市の書店で売ってたからどこかで見つけられる可能性はある。
通常の本大だったかもぅ少し小さかったかなともう記憶は薄らいでる。

あれ以前のことだが古来の物部文献を秘蔵してた方がいて研究家が公開を
求めてたが、自分で研究してからだとかの話だったか公開しなかったのさ。
おそらく吾郷清彦先生も求めてたんではないかなあ?

だがそれ以後そんな書があったかならいまはどうにかすれば公開されてるかも?

分からん? 吾郷先生から神代文字の書をもらって読んだものだ。いまは
引っ越しで多数の段ボールのどこかに入りこんで出てこないがねえ。
たま出版ら神代文字研究書が出てるな。物部文献の情報あったら教示
願いたい。梵珠山は夏の某日、その日に限り頂上あたりで釈迦の光が
見られるといい、こちらもあの神秘の光を某年某夏見たからこれは
うそではない。出ない年もある。

817 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 14:01:53.38 .net
>>816
未公開の物部文献といえば、秋田物部氏の事でしょうか?
あれ、一部だけ公開されてて、文書本体は非公開なんですよね。
それ以外の文献だとしたらビッグニュースです〜

818 :太国 :2022/02/21(月) 14:54:09.64 .net
とにかくあれは物部文書の研究書かそのへんだったと思う?
そう、秋田あたりだったよな? 青森市の書店で秋田から近いからああ物文献解説
かなにかの本だなと思っていた? 買っておけばおかったなあ。
そうなるとその一部公開部分の解説でもした本だったとなるか?

819 :太国 :2022/02/21(月) 14:55:55.67 .net
×ああ物文献解説
〇ああ物部文献解説

820 :太国 :2022/02/21(月) 15:04:21.83 .net
当時新幹線青森駅乗り入れの前だったろうなあ?

そのとき青森駅正面口を出てそのまま曲がらずに直進して200mも行ったかなあ/?
通り沿いの右に書店があって、中でこの本があって取り出してながめた位だよ。
あの書店、いまもあるのかなあ?

821 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 19:58:43.09 .net
>>762の続きで楯築遺跡について調べてみた

場所は片岡山と言われ昔は神社があり片岡タケルが祀られていたそうだ
そこで片岡という名に関係する人物を調べるとタギシ耳、孝霊天皇、顕宗天皇、武烈天皇、聖徳太子が該当した
遺跡が築かれたのは2世紀末なので時代的にはタギシ耳が当てはまる

綏靖天皇をイザナギ=1代目大国主とするとタギシ耳=八十神となり
大国主と八十神の争いが綏靖天皇とタギシ耳の争いに重なる
大国主=イザナギはアマテラス=卑弥呼の父親なのでタギシ耳は倭国大乱の頃の人物だ
被葬者がタギシ耳=八十神かイマイチ確信は持てないが、築かれた時代が倭国大乱の終わりと重なっているのは確かだ
大国主、八十神兄弟の父親である九州の王はこの時代から各地に一大卒的なものを派遣していたのだろうか?

ところで気になるのはタギシ耳が討たれた時の「片丘の大室に伏せっていた」という描写だ
古墳関連で調べていたからか古墳に埋葬されている様を連想してしまう
そうすると神八井耳が怯んだのも死者への恐怖だったのではないかと思えてくる
実際は討伐ではなく何かの儀式だったのではないだろうか

ついでに顕宗天皇による雄略天皇陵への破壊命令と聖徳太子の片岡山の伝説も興味深い
例えば家督継承に際して祖先の墓から遺物を取り出して身に付けるような儀式があったとする
そういった吉備の片岡で行われた儀式が奈良の片岡で語り継がれ聖徳太子の片岡山の伝説になったのかもしれない

822 :太国 :2022/02/21(月) 20:58:56.13 .net
大国主≠イザナギ

原則として等号はしちゃダメ。盲象へ直結。

823 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 01:33:46.13 .net
>>819
ふぉお、さっそくグーグルマップしてみたら「古書 らせん堂」というものが東口からまっすぐ行って右側にありますね。
「ああ物部文献解説」という本ですか。
ぐぐってみてもヒットしませんね。
興味津々です〜

824 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 01:36:27.12 .net
系図というものは単体では成立しない。
その家系、母系と父系の系図があって初めて確度が上がると考える。

穂高神社社家の系図だけでは安曇の系図は全く根拠がない。
4パターンある。
嫁に出したのか、婿に出したのか。
読めに貰ったのか、婿に貰ったのか。

伊都チョンはそんなことも分からずに推測でモノを言う(失笑)つーか、全て推測というw

んで、自作の画像で証拠ニダしてるわけだw

何が楽しくて他国の歴史に首を突っ込むのか不思議でならない

825 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 01:50:15.74 .net
今日帰ってセンダイクジホンギ見たら、やっぱりミカヅチの後にアタカタスが来てたね。
磯城登美家から、ミカヅチを九州に飛ばすために系図をいじったのかもしれないね。

目的は、相似
高木神(栲幡千千姫)と忍穂耳(徐猛)下にホアカリと饒速日
ヤマトにおける母系と、九州における母系を同じ代で揃えたかったのだろう。
アタカタスの奥さんは・・探せばきっと出てくるんじゃないか?

826 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 01:58:51.76 .net
とりあえず阿田賀田須命だけは奥さんをわざと書かずに分かりやすくしてるんですな。
アタカタスは、本当は宗像三女神、イチキシマヒメの父親。物部の母系の祖父。

827 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:02:05.19 .net
>>795
論理的に反論できなくなった時点で君の負けです
現実を受け入れなさい

828 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:03:11.86 .net
>>796
では>>446に論理的に反論してみたまえ
出来ないからそうやって負け犬の遠吠えしているのだろう

829 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:04:55.16 .net
>>797
最初から一度たりとも否定していないわけだが
で、結局>>446の内容には何ら反論できませんってことでいいねキナイコシくん

830 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:06:18.77 .net
>>798
根拠は>>539
カゴヤマは五十猛=イタテではなくその父スサノオなのは弥彦神社の創建が天五田根命と伝わっていることでも明らか

根拠がないのは君の妄想だけだよキナイコシくん

831 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:07:24.07 .net
>>799
これも根拠は>>539にある
カゴヤマは五十猛=イタテではなくその父スサノオなのは弥彦神社の創建が天五田根命と伝わっていることでも明らか

根拠がないのは君の妄想だけだよキナイコシくん

832 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:08:28.50 .net
>>800
根拠はもう示してある
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

これに論理的に反論出来ない時点で君の負け
根拠がないのは君の妄想だけだよキナイコシくん

833 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:10:26.46 .net
>>802
俺の推定と文献事実が一致しているのだから十分に根拠足り得るよ

根拠がないのは君の妄想だけだよキナイコシくん

834 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:12:35.67 .net
>>803
そうそう君は嘘つきの朝鮮人だったねキナイコシくん
君の惨敗の記録はちゃんとログ取っておいてあげているよw


707 :日本@名無史さん :2020/12/20(日) 16:53:15.18
>>743
>朝鮮人ってさ、面白いくらいに人を朝鮮人認定するよね?ww
自己紹介お疲れさんw

>検索結果の直リンク貼り付けたのに都合よく見えないなんて、異常としか思えんわw
まだ言い張るのかこの嘘吐きは
ほれw

https://i.imgur.com/n5kIF7n.jpg
辰韓のヒボコを完全一致検索したらこのスレしかヒットしないぞ嘘吐き
やっぱり君の造語だったな

そうやって息を吐くようにウソをつく君を朝鮮人と呼ぶことに何の抵抗も感じないねw

835 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:14:21.31 .net
>>805
イソタケルは伊都国=旧称イソ国の王という意味だと教えてやっただろうキナイコシくん
相変わらずの痴呆ぶりだな

イソタケルを朝鮮人にしたがってるのは君だよチョンのキナイコシくん

836 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:17:10.58 .net
>>806
君のように息を吐くように嘘をつく人間が「取材しました」なんて誰も信じるわけがないだろうキナイコシくん
いい加減きみはこの世の誰からも信用されていないことに気づきなさい

837 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:18:50.26 .net
>>807
紀の一族なら珍彦の子孫だから安曇の分家じゃないか
何を意味不明なことを言っているんだキナイコシくんは

838 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:23:07.20 .net
>>808
ミケはスサノオだが
安曇そのものだな

284 :日本@名無史さん :2020/12/26(土) 20:12:58.05
>>366補足
家都美御子大神について

https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%E9%83%BD%E5%BE%A1%E5%AD%90%E7%A5%9E-1073308
> 朝日日本歴史人物事典の解説
> 熊野三山として名高い和歌山県本宮町の熊野坐神社,新宮市の熊野速玉神社,同県那智村の熊野那智神社の祭神で,いわゆる熊野権現の中心的な神。
> 平安時代から修験道で崇拝され,熊野信仰の広がりとともに各地に祭られるようになった。
> もともとこの神は,三山のうちでは,本宮とも呼ばれる熊野坐神社の祭神であったとされ,出雲の熊野神社の祭神である熊野大神櫛御気野命が移し祭られて,
> それが当地で家都御子神になったと伝えられている。ケツミコは「木津御子」で,樹木の神の意。
> 櫛御気野命の子に五十猛命という神がいて,この神が紀伊国に木種を撒いたという伝承から命名されたらしい。

出雲国一宮・熊野神社の祭神であ櫛御気野命が元で、その子が五十猛だというのだからスサノオである
クシミケヌのミケは御食であり食物の神と考えられている
後に安曇氏が膳部となったこととの関連を思わせるし、 穴師坐兵主神社の兵主神がなぜか名の通りの軍神ではなく食物の神とされていることにも通じるだろう
なお、穴師坐兵主神社の大兵主神はスサノオ説がある
妻である奇稲田姫が合祀されているところを見ると可能性は高いだろう

> http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=10265
> ご祭神について
> 御食津神:食物を司る神、天照大神の食物を司る神、稲荷神や保食神などに同じ、また、他説としてはこの兵主神は八千矛神(やちほこ)もある
> 大兵主神:武勇の神、武神、軍神、相撲の祖神、一説には素戔嗚尊説あり
> 奇稲田姫命:稲田の女神 ※スサノオ神の妻/オオクニヌシの母

839 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:26:02.21 .net
キナイコシくんが一言も反論出来なかった>>446の根拠の一端


286 :日本@名無史さん :2020/12/26(土) 20:34:59.20
さてなぜ家都美御子大神の話を始めたかというと、二人の大屋毘古の話をするためである
大屋毘古という神が二柱いることは広く知られている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%8B%E6%AF%98%E5%8F%A4%E7%A5%9E
> 大屋毘古神(おおやびこのかみ)は、日本神話に登場する神である。同名の二柱の神がいる。
>
> ・家宅六神の一。大禍津日神と同神とされる。
> ・五十猛神の別名。

結論から言えばこの二人は親子であると思われる
イソタケル同様、大屋毘古もまた複数代に渡って継がれた名だったのだろう
大屋毘古の原義は大きな屋根であり、彼らが住んだ伊都国王の屋敷が大きな屋根を持っていたのだろう
家宅六神はイザナギ・イザナミから生まれた神であり、スサノオと同じである
それが災いの神である大禍津日と同一視されるのは、スサノオの行状があまりに酷く追放された事実と一致する
五十猛が樹木神なのは広く知られているが、スサノオの別名である家都美御子大神もまた樹木神であり、その字の通り家屋の神でもある
家宅六神の一柱に相応しいと言えるだろう

そして区別のためか、息子の方の大屋毘古は屋根を小さくされ、天兒屋根命とも呼ばれるようになったわけだ
アメノコヤネのコヤは小さな屋根の意である
大きな屋根を意味する大屋毘古と対比関係になっている
タケミカヅチ=スサノオ、アメノコヤネ=イソタケルという俺の説はここでもきっちり繋がっている

天児屋命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%85%90%E5%B1%8B%E5%91%BD
> 考証
> 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」[8]

840 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:27:19.61 .net
キナイコシくんが一言も反論出来なかった>>446の根拠の一端


287 :日本@名無史さん :2020/12/26(土) 20:50:09.66
おっと>>366で書き忘れた

http://www.hongutaisha.jp/about/
> 主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神です。
> 昔は熊野坐神社くまのにいますじんじゃ「熊野にいらっしゃる神」と呼ばれていました。
> また、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていました。

家都美御子大神=スサノオが造船術を伝えたとある
やはり海人族の系譜に間違いないだろう
伊都の安曇の出自という俺の推定はここでも伝承と完全に一致する



290 :日本@名無史さん :2020/12/26(土) 21:20:42.44
>>366についてもう一点

> 第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、三体の月が降臨しました。
> 天火明命の孫に当たる熊野連くまののむらじは、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。
アメノホアカリは一般的に饒速日だとされている
神武天皇より前の人物(神)である
その孫にあたる熊野連が第十代崇神天皇の時代の人物というのは明らかに時系列がおかしい
これは俺が何度も指摘したように、神話の時代(神代)とは人代の実在の人物を過去に投影した虚像、影絵であるという説を裏付けるものだと言える
人代の五十迹手と神代のイソタケルが同一人物であることからも明らか

841 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:29:10.58 .net
>>809
君の母国のことだね朝鮮人のキナイコシくん

842 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:29:31.51 .net
>>833

おいおい、お前はアホなのか?
”辰韓のヒボコ”ってわざわざ完全検索にして、他の情報を出なくしたあの工作の画像、まだとっていたのか?
じゃあ、完全検索でお前の吠える五十猛論を検索してみろよww

即座にお前の主張している事は嘘という事になる

お前の言うやり方で「”安曇磯良と五十猛と五十迹手は同一人物”」で検索すると
”安曇磯良と五十猛と五十迹手(は同一人物”との一致はありません。

と出るからなwwwwww
お前のやってる事はただのブーメランだって話をまだ理解できないらしい

自分で自分を嘘つきと言っておきながら八つ当たりか?www

843 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:31:25.56 .net
>>810
>カゴヤマとイソタケルが、同一人物という話は、なかひらまいさんの書籍でも出てくる。
引用してごらんよ
そうやって何一つ引用することもできないから君は嘘つきと呼ばれているんだよキナイコシくん

844 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:34:45.92 .net
>>812
>父系統の尾張氏の人物と、母系の事代主家系のミカヅチ
その君の認識が間違っているというだけだな
君の認識には全く根拠がないし

845 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:38:14.50 .net
>>813
>さらに、元は築秦国といった秦系の渡来の人間と、朝鮮人のイトテが同一人物のはずが無い
これもその君の認識が間違っているというだけだな
君の認識には全く根拠がないし

>それも、伊都チョンの言い方だと新羅の時代って吠えてるからさらに時代考証では離れてしまう両者
秦系とかいう君の妄想がおかしいだけだから何も問題はないよキナイコシくん

>イトテ本人がヒボコの子孫だと言ってるのに、それすらデマ扱いwww
本人が言ったと数百年後の人間が書いたからってそれが事実であると思いこむのは早計というものだよキナイコシくん
結局君は自分の妄想しか根拠が無いんだね

846 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:40:18.80 .net
>>824
どんなに負け犬の遠吠えをしたところで君が>>446の事実に全く反論できていなことに変わりはないぞキナイコシくん

847 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:41:41.54 .net
さあみんなでやってみよう、伊都チョンの自作自演コーナーwww

辰韓(秦国)時代にヒボコが来たというソースをしつこく聞くもんだから、伊都チョンに教えてやったんだよね。
そしたら「かたくなに」地震での検索を拒むわけ
やけに時間をかけて油汗流しながら耐えてるなと思ったら、ヤフーを使わずにグーグルを使って完全検索というものを実施したんだよ

そしたら見事に「出雲伝承だけを排除した検索結果になった」ので、嘘つき呼ばわりを始めたわけだ

「辰韓の日矛」と、「”辰韓の日矛”」で皆さん検索してみてください

更に、伊都チョンのホームグラウンドの言葉を完全検索してみてください
たとえば
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」って検索すると、「伊都チョン」しか出てきませんwww

つまり、伊都チョンは自分で自分を嘘つきと言ってるわけですwwwwww

848 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:42:13.03 .net
>>825
いつも通りまったく根拠が無いなキナイコシくんの妄想は

849 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:42:44.29 .net
>>826
いつも通りまったく根拠が無いなキナイコシくんの妄想は

850 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:45:36.35 .net
>>847
まーたそうやって嘘をつく

アメノヒボコは「辰韓のヒボコと呼ばれている!」
と君が見え透いた嘘をつくから完全一致検索をしてみたらただの一つもヒットしなくて
キナイコシくんの大嘘がバレた話じゃないかw

あれで君は息を吐くように嘘をつく朝鮮人だとバレたんじゃないかキナイコシくんw

851 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:47:40.02 .net
さあみんなで検索しましょう伊都チョンワード
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」
「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」
「”安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです”」

見事に伊都チョンスレしか出てきません
この状態を「嘘というらしいので」自分で自分を嘘つきだと紹介している訳です。

ホント、チョンですねww

852 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:50:14.13 .net
ヒボコは普通に「辰国の弁韓系加羅王家の天日矛」として紹介されてるぜ?
お前が知恵遅れなだけだwww

あの王家が断絶した際が、神功皇后の時代。
部下の家系に政権が移行したときに新羅になった。

神宮古豪の時代考証はこれで一発で片が付く

853 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:50:46.30 .net
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」
「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」
「”安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです”」
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」
「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」
「”安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです”」
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」
「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」
「”安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです”」
「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」
「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」
「”安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです”」

wwwwwww

854 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:52:19.04 .net
キナイコシくんの惨敗の記憶はここから始まったw

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1607826113/
279日本@名無史さん2020/12/16(水) 22:36:06.88>>525
>288
ヒボコの渡来は一世紀。
故に辰韓のヒボコと呼ばれた。
末子相続のために朝鮮半島から追い出され日本に流れてきた。

垂仁記3年の渡来説は実は間違い。
おそらくタジマノモリからの始まりに偽装したかったのだろうと思われる。
実際には景初の時期だから。垂仁期は。

441日本@名無史さん2020/12/18(金) 02:04:37.30>>531
>363
>故に辰韓のヒボコと呼ばれた。
根拠は?

447日本@名無史さん2020/12/18(金) 02:13:48.08>>568
>525

検索してみてください〜

484日本@名無史さん2020/12/18(金) 03:01:42.53>>570>>575
>531
ヒットしないな
デマ乙


そしてその結果が>>834である
誰も辰韓のヒボコなんて言ってなかったじゃないか
惨敗の記憶は思い出せたかなキナイコシくんw

855 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:52:28.29 .net
自分で作った嘘発見器で、自分の嘘がモロバレする伊都チョンwww

流石に傑作だわwww

856 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:53:35.70 .net
>>851
残念だがその君の嘘は>>854で暴いてあげたよ負け犬キナイコシくん

857 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:53:38.13 .net
>>854

それで?ww

「”考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白”」

は他にもヒットしたか?wwww

858 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:54:43.51 .net
>>852
故に辰韓のヒボコと呼ばれたキリッ → 呼ばれてませんでした

859 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:56:03.51 .net
>>857
俺がいつ検索結果のみが根拠になるなんて言ったんだ?

君が「辰韓のヒボコと呼ばれているんだ検索してみろ」と言うから検索したら全くヒットしなかっただけの大恥と一緒にするなよキナイコシくん

860 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:57:22.11 .net
しかしキナイコシくんはどんどん壊れていくな
キナイコシくんは効いてるとレス数が無駄に増えるからわかりやすいw

861 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 02:58:40.87 .net
>>859

ふふ、効いてる効いてる

一生懸命クリンチに持ち込んで自分のうそ発見器から逃れようとしてるww

「わざわざ」「カードにしてるって言ってやってるのに」「自分で地雷踏むか?」wwww

862 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:00:17.42 .net
グーグル先生
「”3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあった”」検索

伊都チョンしかヒットせずww嘘確定www

863 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:01:54.68 .net
新羅(弁辰、辰韓)は、長城築造のため、秦の始皇帝により遼東半島に強制移住させられた楚人、越人が、秦の滅亡後、逃亡して建てた国。
魏志韓伝には「辰韓を秦韓とするものがいる」と書かれている。

そういや、伊都チョンって韓伝に言及してたけど、伊都的にごまかしてたんだなww

864 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:04:45.05 .net
どうせ伊都チョンは朝鮮本国の主張通り辰韓の期間を、韓国の歴史教科書『三国史記www』の神話に基づいて、「新羅の建国年は、紀元前57年」としてるんだろうさ

865 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:04:57.04 .net
うそやろこんな時間にレスバしてるなんて
さては自演だな
大国以外は全部自演なんだ
欠史八代より理解不能だわ

866 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:06:17.04 .net
そもそもが正式な「新羅」を国号としたのは503年というwwwww

そんなことも知らない伊都チョンww

867 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:06:17.17 .net
そもそもが正式な「新羅」を国号としたのは503年というwwwww

そんなことも知らない伊都チョンww

868 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:12:25.35 .net
そもそもが朝鮮本国でも以下の見解

韓國古代史學會は、新羅は通常、西暦4世紀半ば以降に建国し、それ以前は辰韓の斯蘆国であると主張している。
金昌錫は、「西暦4世紀半ば頃まで新羅はまだ建国されておらず、辰韓の斯蘆国である」
「三国時代初期の歴史は三韓体制で、新羅は辰韓のなかの斯蘆国に過ぎない」
「三国時代初期は原三国時代であり、新羅は西暦4世紀半ば頃まで辰韓体制のなかにあった」
「新羅は辰韓の斯蘆国から誕生し、西暦4世紀半ばに古代国家になったというのが一般的見解」
「西暦4世紀半ば以前は新羅の歴史ではなく辰韓の歴史」

ここまで言われてるのに、4世紀の神功皇后の時代ですら新羅国が丁度できたあたりww

その前に数代前のタジマノモリの先祖であるヒボコが新羅な訳なかろうwwww

869 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:17:10.56 .net
神功皇后の時代は、辰韓の王家が断絶し、部下の王が経ったとき、相続権を主張して戦いになった。
更に、時代的に狭まるのが、高句麗

新羅建国の際は、三韓の時代ではなく、二韓の時代だった。
実は三韓の征伐には成功していない。高句麗は朝鮮半島の有難い石碑の通り、度々二韓に攻め込んだので
日本に助けてもらって感謝して、七支刀を贈った時代の少し前

870 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:19:01.71 .net
伊都的うそ発見器

「”3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあった”」

検索結果ww見事に伊都チョンスレッドしかヒットしませんwww
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https://www.google.co.jp/search?q=%E2%80%9D3%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%AE%89%E6%9B%87%E3%81%AF%E6%97%A2%E3%81%AB%E8%BF%91%E6%B1%9F%E3%81%BE%E3%81%A7%E9%80%B2%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E7%95%BF%E5%86%85%E3%82%92%E5%8C%85%E5%9B%B2%E3%81%97%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%9D&client=safari&channel=iphone_bm&sxsrf=APq-WBu-SP4fUxabxUMLyLDl2F-VeBAy7Q%3A1645466365420&source=hp&ei=_dITYpS2F4iM-AbKqKXwCg&iflsig=AHkkrS4AAAAAYhPhDSTwfWo6wgB_DGFhGh830n5QYCTN&ved=0ahUKEwjUqMvxr5H2AhUIBt4KHUpUCa4Q4dUDCAk&uact=5&oq=%E2%80%9D3%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%AE%89%E6%9B%87%E3%81%AF%E6%97%A2%E3%81%AB%E8%BF%91%E6%B1%9F%E3%81%BE%E3%81%A7%E9%80%B2%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E7%95%BF%E5%86%85%E3%82%92%E5%8C%85%E5%9B%B2%E3%81%97%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%9D&gs_lcp=Cgdnd3Mtd2l6EANQAFiqFGCtF2gAcAB4AIABXogB_QGSAQEzmAEAoAEBoAEC&sclient=gws-wiz

871 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:21:21.69 .net
タジマノモリは魏書に載ってる。
そこから神功皇后までは数代だから、それを辿るだけでも神功皇后がトヨではないことは明白
更に、武内宿祢も出てるから、ソツ彦あたりで神功皇后。平群臣ツクの父親がソツ彦なので、それで追っても神功皇后がトヨではない事は明白

872 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:23:37.22 .net
更には「”九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か”」も伊都チョンしかヒットしないというwww

873 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:26:34.15 .net
どうやら此れも伊都チョン的デマゴークの様だww

さあみんなでググりましょうw伊都チョンしか出てきませんので、伊都チョン本人が嘘だというんですから、真っ赤な嘘ですよね〜ww
「”弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している”」

ねえねえ、今発狂中?自分がやった嘘捏造を作り出すやりかたをブーメランされて気分はどお?www

874 :日本@名無史さん:2022/02/22(火) 03:33:03.49 .net
ちょっとどっかから引っ張ってきた

このタイミングが神功皇后の時代

江上波夫は、“夫餘系といわれる高句麗が313年に楽浪郡を占領し、続いて帯方郡を滅ぼして朝鮮半島北部を支配する体制を固めた。他方、同じ夫餘系の別枝が朝鮮半島を南下して、そこにあった馬韓・弁韓・辰韓の大半を支配し、馬韓の一部落国家に都して辰王国を創った。続いて、華北の晋が316年に滅んで、その王朝が江南に遷って東晋を興すころになると、馬韓の諸部落50余国が統一されて、辰王朝の一王家を戴いた百済が346年に創建された。
「同じころの4世紀初頭、辰王朝の本家と考えられる王家が弁韓(弁辰)に遷って、そこに任那加羅(王家の土地の加羅の意)といわれる新辰王国を創った。」
「同じころの4世紀初頭、辰王朝の本家と考えられる王家が弁韓(弁辰)に遷って、そこに任那加羅(王家の土地の加羅の意)といわれる新辰王国を創った。」
「同じころの4世紀初頭、辰王朝の本家と考えられる王家が弁韓(弁辰)に遷って、そこに任那加羅(王家の土地の加羅の意)といわれる新辰王国を創った。」

ここの王家が後退した際に、神功皇后の時代です。
ヒボコはここの王族の長男で、末子相続の為に追い出され、日本に助けてどらえもんしに来たのです

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