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邪馬台国纏向説が破綻した理由part4
- 132 :日本の@名無史さん:2019/06/03(月) 16:50:08.09 ID:RznuJ8ldg
- 弥生時代も中期になると蝦夷地を除いてほぼ全国的に交流が盛んになる。
瑞穂の国は稲穂が豊かと云う。その中での中つ国・・・中原とは何れにあるや。
端国ばかりでは国は一つにまとまらない。故に支配者は中原を目指す。
山門では無く山登・・・いつしか、倭(神武朝〜雄略天皇)をヤマトと呼び、
日本(飛鳥〜奈良)をヤマトと呼ぶようになる。
(かなり おおざっぱだが、大和、畿内、日本。詳しくは紀や律令で。)
「魏志」には女王卑弥呼の前に「本亦男子を以て王と為し、住七八十年、
倭国乱れ・・・云々。」卑弥呼が例えば65歳で亡くなったと仮定すれば
共立年は194年(13歳として。巫女の能力が著しくなる年齢、例えば台与の例のように)
さて神武天皇の御代に相応する媛が有るや無しや。
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