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なぜ古代天皇は100歳を超えるのか ◆2

356 :太国:2020/11/12(木) 21:18:58.39 .net
>>347
同経の著者は倍暦を知らなかったのではないのか?
超新星SN393の発現は通常暦なら皇紀933年(273年)癸巳にあたってるが、
倍暦計算の皇紀979年(319年:倍暦の実年代では393年)の干支が同じく
癸巳になるんだよ。(皇紀933年は西紀273年の応神4年)

 皇紀 西紀 干支 倍暦 倍干
  979  319 己卯  393 癸巳 仁徳7年(倍暦で仁徳3年)☆
  933  273 癸巳  377 丁丑 応神4年

上表を見ると著者が倍暦の干支(倍干と略称)癸巳を通常暦と
見間違えたのだよ。だから同経を書いた原文は倍暦の干支であって、
これは仁徳7年(倍暦だと仁徳3年)が超新星の発現の実年代
だったのさ。つまり390年の実年代は真の計算で仁徳即位の前年
つまり 仁徳元年=391年 なんだよ。
 393−120年=273年=応神4年 で干支の二倍差が見える。

紀の仁徳4年の条に「星辰壊より漏れて床の蓐を露す。」とある。
通常の星なら金星でも光輝が壁穴から射すのは無理だろ。超新星なら
これがよく説明できている。仁徳4年は倍暦で392年の実年代、
通常的換算で394年だ。仁徳が二上山に登山したのは、この超新星
を眺めるためだったのだよ。だから応神元年は390年ではないね。

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