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なぜ古代天皇は100歳を超えるのか ◆2

460 :日本@名無史さん:2020/11/16(月) 06:57:27.33 .net
>>436
44代500〜540年はいい感じかな。でも、天智天皇と孫の光仁天皇の
年齢差が83歳もあり、光仁天皇と孫の嵯峨天皇の年齢差が77歳もある
ような部分も含めて敏達天皇〜堀河天皇や天智天皇〜高倉天皇が19世代
530〜540歳差になるから、神武〜元正は19世代でなく二世代ほど補正
して21世代ぐらいが妥当かもしれない。
 
卑弥呼が神武天皇の后ヒメタタライスズヒメと主張するスレ主の主張を支持するなら、
卑弥呼(175年頃生まれ?)のちょうど11世代目が5世紀半ばから後期にかけての
履中・反正・允恭(420〜430年生まれ?)、さらにその11世代目が文武(683年生まれ)
・元正(680年生まれ)・淳仁(733年生まれ)・光仁(709年生まれ)といったところ
ではないだろうか。

そして崇神天皇崩御が331年、仲哀天皇崩御と応神天皇誕生が380年とするなら、
崇神天皇が60歳ほどの長生きでもない限り崇神〜応神は6世代ではなく5世代が
妥当そうだ。さらに婚姻関係などから孝元〜景行まで3世代、孝元から仁徳まで
7世代の可能性が浮上?では、孝霊は孝元と同世代か一つ上の世代か?孝安は?
孝昭は?

太国さんの見解だと、卑弥呼=ヤマトトトビモモソヒメで卑弥呼の兄弟孝元から
履中・反正・允恭まで10世代だから卑弥呼=ヒメタタライスズヒメとする仮説と
は世代数的にはあまり違わない。この場合崇神天皇崩御は331年でなく271年に
近そうだ。傍系氏族の系図は省略が多いのかも?

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