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なぜ古代天皇は100歳を超えるのか ◆2

990 :太国 :2020/12/24(木) 12:47:41.93 .net
応神元年=390年説の論者がけっこういるようだが、これはまちがい。

応神紀の半島と日本の対応の出来事を脳の足りないためか頑なに
信じ込んで定説化を敷いている。だがこれが真なら神功紀の神功39年に
卑弥呼の記事が入れてあるのが明確に間違いでおかしく、別の年代が
卑弥呼の年代なんだから、応神3年とか応神××年の半島との対応記述
が合ってる可能性は風前の灯だ。神功と伝から知った卑弥呼存在での年代が
合わないんだから、そういう応神××年と半島との出来事年代対応は
これも正確かどうか極めて疑問である。要するにおそらくは日本と半島との
年代繋ぎ合わせを双方通常の暦法で決めたんだろう。大成経の編者も
通常暦しか考えておらず、そこから応神4年に超新星の記事をあてて
しまった。こちらが何かの倍暦をしてたんだから、その方法じゃあ合う
訳がない。

仁徳391年=仁徳元年 なのである。

するとその2〜3年直後に超新星の強力光が夜間照ったので壁穴から星辰光
の記事が記紀のそこにあるわけで、高台たる天文台の記述もある。
だから超新星発現の393年は391年の仁徳元年の直後で記紀の文と
ピタリ合っているのだ。

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