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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 202 :日本@名無史さん:2022/08/21(日) 11:25:24.24 ID:PFiVUuoK8
- 卜占が伝わったのが3世紀頃ですから、伝えたのは、
それこそ殷の流れを持つとも言われる箕子朝鮮の人々か、
あるいは燕の人たちか、が候補となります。
・卜占が朝鮮半島南部に多い
・殷末裔の卜占なら甲骨文字の記入があるはず
・古浦遺跡から最初期に卜占出土
から、燕人の可能性が高くなります。
>>112
燕人が渡来してきたと考えるなら、
前314年に斉によって燕が滅ぼされた時、
前222年に秦によって燕が滅ぼされた時、
が考えられ、
燕による朝鮮半島への影響力がまだ低かった、前314年が候補になりますね。
この時に鉄器も一緒に持ってきたと考えれば、日本側の鉄器出土も説明がついてきます。
扇谷遺跡など遠方の丹後に工房を作って、
本国倭国の森林資源を保全し、
遠隔地の森林で工場経営、
という国家経営戦略も、燕人の助言があった、と考えれば納得いきます。
倭には燕人が先にやって来ていたのだったから、
後からやってきた土笛斉人は倭国に足がかりを作らせてもらえなかった、ということになりますね。
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