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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 43 :日本@名無史さん:2022/05/01(日) 17:55:07.16 .net
- >>41
ならいい。
しかし土佐でも硯が見つかったとなると、
北部九州倭国から山陰は紀元前から文字があった可能性があって、
土佐にも弥生時代からその可能性が出てくるわけだろう。
北部九州倭国には、硯、金印、あと楽浪人も暮らしていたから漢字の先生がいつもいたわけだからね。
硯の分布を見れば、どう見ても国家として文字を使っていたのだろう。
そうなると逆に、
楽浪郡と倭國に挟まれた、百済新羅の地域に文字が普及するのが遅かった、というのが逆に謎になる。
大王がいるかいないかが大きいのかな。
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