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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 472 :日本@名無史さん:2022/12/25(日) 23:58:34.53 ID:8Fd89PlMA
- 支石墓の群れに混じって、甕棺墓が出現してきます。
これもつまり、
漂流者の中にたまたま、稲を一束積んでいた農民がいたら、
それで九州縄文集落に稲作が伝来ですね。
漂流者の中にたまたま、桑の実と、四眠蚕を積んでいた養蚕家がいたら、
それで九州縄文集落に養蚕が伝来したわけですね。
蚕は生糸、絹を生み出して、産業の源にもなりますし、
繭を取ったあとの蚕蛹は食用にもなりますから、弥生時代にあっては貴重な蛋白源でもあった。
繁殖用においておくと、蚕蛾となって生まれ変わります。
甕棺墓は蚕の繭を模しており、
豊かさと、再生と、を象徴していたものと思われます。
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