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関東大震災時のチョン征伐は正しかったよね?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 01:19:23.75 ID:XSXuew83K
                                   大正12年9月6日 大阪・都新聞・号外・第一面

日本刀を鼻先に突付けられ 恐ろしき死線に立つ事幾度ぞ 千住署の保護を受けた記者は 板橋から本郷、巣鴨の郊外を見る

日暮里の駅はプラット・フォームと言わず、ブリッジと言わず、堤防、引込線等一面、数万の罹難民を以って埋められているが、
彼等の百分の一に足らざる数が罹難地に輸送されるかと思えば、心細い限りである。彼らの内では病食って歩むこと能わず、
省記の袖に縋(すが)って「何(ど)うか次の列車に乗せてください」と頼む者もあった。婦人や乳児は痩せ衰えてプラット・フォームの
堅い石の上に倒れて、道行く人に食を求めている。駅の事務所に入って駅長に面会を求めると駅長は居ないと答え、汽車はいつ
日暮里を出るか判りませんと言う挨拶で、記者は余儀なく如何なる方法を執っても大宮に出づる事に決心し、徒歩にて千住に行き、
自動車を探し求めんと決心し、薄暮の道を線路伝いにヨボヨボと辿る。三河島から南千住一帯の人家は惨々に潰崩するもの、焼失
するもの、線路の両側にはまた取り除けない牛焼死体があちら此方に散在している。南千住だけでも死者は七百人に下るまいと
話し合って居るのを聞く。南千住を駆け廻すれど、自動車なく千住署長に面会し、其の好意にて自動車会社の重役に面会して警官
二名の保護を得て警察の提灯の護衛物々しく七時四十分南千住を出発して大宮に向う。千住大橋から根津に出て本郷から巣鴨に
出づる路にて一間毎に警戒中の青年団のために誰何され、其の度に生々しい血痕がある日本刀が記者の鼻先にきらめく。「大阪の
記者団が横浜と東京の惨害の模様を齎(もた)らして大阪へ急行するのです」と説明すると、日本刀を鼻先へ突きつけたまま首実
見の後「御苦労です気を付けて行って下さい」との許可が出る。警戒の手薄き所では只「千住署の自動車です。大宮へ急行する
途中です」と答えて素通りにし、かくして巣鴨を通り過ぎて板宿に出るまでに百数十回の誰何を受け、頗る危険を感じたので警戒
中の兵士に巣鴨までの保護を求め、立ち並ぶ提灯の海と日本刀と竹槍の林の間に九死に一生を得て板宿に出た。その道にて死線に
立った事再々、我等一同は単に心中に神仏の加護を祈ったばかりである。巣鴨では此の夜から始めて電燈の輝きを見ることを得た。

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