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【メル】グランドファンクレイルロード【ドン】

1 :名盤さん:02/05/31 20:38 ID:Rvx/D1IU.net
グラファンについて語ってください。
個人的には1st〜3rd、LIVEが好き。それ以降はだめ。

178 :まっくん:03/07/10 19:32.net
遅ればせながら追記

71年にNYのシェアスタジアムでの伝説的なコンサートの
オープニングアクトを務めたのがハンブルパイ
当時のギタリストは若きピーターフランプトンであり
彼は数年後に自力でスタジアムを満杯にするアーチストになる

昨年出た未発表ライブのライナーより引用
ここら辺が接点でギターを贈られたのかな?

>>177
彼ら自身は「オレたちの音楽はR&Bがベースだ」と言ってますね
後期のアルバムでは何曲かR&Bのカバーもやっていたような・・・

179 :めっくん:03/07/11 06:50.net
>まっくん
ふーむ…前座ですか…
音的にはほとんど接点がないような気がしますが
こうしたちょいとした縁で仲良くなったのかもしれませんなあ…

ジミヘンもエンゲルベルト・フンパーディンクとゆう
トムジョーンズみたいなヴォーカルの人とツアーして、
その歌が気に入って袖でみてた、なんて
エピソードもあったような・・・ま、関係ないですけど(w

ストーンズがR&Rではなく「R&B」バンドを自称してたのは有名ですが
GFRもそうなんですか? まあ、言われてみるとってカンジですね
アメリカンバンド所収の「ブラック・リコリス」(だっけ?)なんかは
それっぽい匂いがあります。

180 :まっくん:03/07/11 08:15.net
>めっくん
曲調は違うけどストーンズのブラウンシュガーってとこですかね
ギミーシェルターはほとんどアレンジも変えずにやってますね

ジミヘンのエピソードは面白い!
やたら神格化されるとそういう素顔が見えにくいですよね
GFRもデビュー当時フェスティバルなどでニアミスがあったらしい・・

181 :伝説の名無しさん:03/07/12 04:02.net
マークってネイティブアメリカンの血をひいてるんでしょ。
昔、ジャケ見てなんかこの人インディアンぽい顔してるなーと思ったら、
マジ者だった。
カコイイ!

182 :めっくん:03/07/13 10:54.net
ジェシ・エド・デイヴィスも
確かフルブラッドの先住民族でした・・・よね?
どっちも
ヘアバンドがきまってますねぇ!カコイイ!

183 :伝説の名無しさん:03/07/14 07:36.net



184 :まっくん:03/07/14 18:32.net
My mother's grandmother was full-blood Cherokee,It's my heart.
だそうです
チェロキー族 カコイイ!

185 :伝説の名無しさん:03/07/14 18:39.net
>まっくん
>It's my heart.

これ、泣かせますね
GFRにはなんかアフロアメリカンミュージック(黒)とは違う
ルーツを感じます


186 :まっくん:03/07/14 22:29.net
>185
・・・ですね
体力勝負だけではない彼らの魅力も
もうちょい認識されて欲しいもんです

マークが自分のルーツを歌った曲は余りないですが
Americanbandのラストの曲 Lonelist Riderはけっこうヘビーでした

真実は失われ あるいは意識的に忘れ去られる
歴史上の英雄は一方的に取り上げられる
テントのあった場所は今は町になっている

187 :伝説の名無しさん:03/07/14 23:35.net
初期のドンのバスドラムの音はパスンパスン音録れてて最高だよね
全体的にドラムとベースが前に出てるし、ハイハットの音もヂャリっと聞こえてくるし
zeppelinだったら絶対ああいう音では録らなかったよね
後追いの俺にとってGFRはこれぞ70年代っていう音なんだよなぁ

188 :めっくん:03/07/15 06:52.net
>まっくん

>真実は失われ あるいは意識的に忘れ去られる
歴史上の英雄は一方的に取り上げられる
テントのあった場所は今は町になっている

なぜ、あらためて「俺らはアメリカン・バンドっ!!」と
マニフェストしたのか・・・今になってわかるような気がします…
あと「クローサートゥーホーム」とかも
ルーツへの回帰を歌っているわけですね。

しかし「アメリカンバンド」は結構シリアスな曲揃いですね
オーバープロデュース云々はさておき
初期の2、3枚とは違う質感ですが、やはり、重い!

189 :伝説の名無しさん:03/07/15 07:31.net
全体に音が硬すぎる感じ>アメリカンバンド
曲的には好きなの多いんだけど

190 :山崎 渉:03/07/15 11:16.net

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

191 :伝説の名無しさん:03/07/15 12:27.net
エフェクトが過剰なせいかも。
プロヂューサーの趣味でしょう。

192 :伝説の名無しさん:03/07/15 19:08.net
age

193 :まっくん:03/07/15 22:26.net
>めっくん
3枚目のCloser to homeは今度の再発でようやく聞くことが出来ましたが
初期のアルバムの中ではかなりの完成度だと思います。
どうしても2枚目の赤ジャケとライブにはさまれて埋もれがちですけどね
しかし一年でアルバムを3枚っていうのも凄いですが
試行錯誤の状態からアルバムごとにクリエイティビティ全開に
なってゆく勢いも凄いです
タイトル曲はライナーによればベトナム戦争に出征していった
兵士達の心情に重ね合わせた詞、らしいです
ただマークはかなりこの曲に思い入れがあるらしく
ソロになってセルフカバーしたりボスニアのライブでは
ラストナンバーとして(恐らくオーケストラ入り)など
30年以上演奏し続けていますね

まあ、自分としては、辞書を引いたり対訳を読んだりしても
なかなかこの曲の意味合いが掴みにくいので結構口惜しいです

194 :めっくん:03/07/16 03:40.net
>まっくん

う〜ん…一般に、辞書的に「意味」が把握できても
詩として共感-体感できるか否か、難しいところですよね…
私的には、このHOMEって、陳腐・月並みかつクサイ言い方ですが
やっぱし“母なる大地”みたいなニュアンスで勝手に解釈しています(w




195 :伝説の名無しさん:03/07/16 18:08.net



196 :伝説の名無しさん:03/07/16 21:10.net
アメリカんにとっては HOME は STATES でしょ

197 :伝説の名無しさん:03/07/16 22:10.net
そうじゃない血族もいるんじゃないかなぁ

198 :まっくん:03/07/16 23:19.net
知ってる人には今更かも知れませんが
この曲はI'm Your CaptainとCloser to Homeの2部に別れてます

前半は
「みんな聞いてくれ
私は君たちの船長なんだ ひどい船酔いにかかってはいるが
どうか私に船を返してくれ・・・・
漂流を始めてから一体何日経ったのか
これは悪夢なのか それとも本当の反乱か
私から船を奪おうだなんて・・・・」って言う感じ

後半は
「故郷がだんだん近くなる・・・・」
このフレーズを延々3〜4分リフレインしています

当時は後半部だけシングルカットされたようです

199 :めっくん:03/07/17 07:06.net

STATESに同化できない違和感・喪失感etc.と
HOMEに対する郷愁・憧憬etc.の背反が感じられます。
(・・・なんちて、エセインテリぽくってすみませぬ)



200 :伝説の名無しさん:03/07/17 13:09.net
とりあえず200ゲト

201 :まっくん:03/07/17 19:17.net
>めっくん
うーん 視点をを変えると壮大なメッセージが浮かび上がる・・・
ライナーにもmeaningfulな曲、とありますね

ちなみにドンはロードマネージャーに
「キミたちが普段やっていることを曲にすればいいじゃん」と言われ
Americanbandを作ったそうです

理想主義者のマークと現実主義者のドン・・・
こういうキャラクターの取り合わせもGFRの強さかも

202 :めっくん:03/07/18 04:07.net
>まっくん
「故郷がだんだん近くなる・・・・」

この曲
ストリングスの使い方も
控えめでよさげですね
ワウも効果的でした
マークって生ギターの弾き語りとか好きなのかも。
この曲も弾き語りでシミジミ聴いてみたいです。

203 :_:03/07/18 04:13.net
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/hankaku02.html

204 :伝説の名無しさん:03/07/19 21:55.net
暫定あげ

205 :伝説の名無しさん:03/07/20 16:20.net



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206 :伝説の名無しさん:03/07/21 11:52.net



207 :まっくん:03/07/21 21:03.net
久々に2枚目の赤ジャケを聞いた(ちゃんとスピーカーからデカイ音で)
3曲目のブルースロック カコイイ

捜したらあったマークの公式ページ
http://www.markfarner.com/

ListenをクリックするとマークのソロやGFRのナンバーなど
いろいろ試聴できます(ほとんどフルコーラス)
上から2番目あたりのアルバムで「男が女を愛するとき」のカバーあり!
オジサンは泣きました・・・・・・・
何て言うか大地の匂いがします
物まねでも小手先でもないでっかい歌があります

下の方にはGFR以前のローカルバンド時代のレア音源多数
ドンやクレイグの若々しいプレイも聴ける
ついでに GFR初期のマネージャー、悪名高いテリーナイトの
情けない歌声まで聴けちゃう!
(マーク達は彼のバックバンドだった・・・・)

結構なボリュームなので時間のある時にゆっくりどうぞ

208 :伝説の名無しさん:03/07/22 22:51.net

アーシーなカンジね
悪くないね

209 :伝説の名無しさん :03/07/22 23:15.net
こんなスレがあったとは....
つい昨日、CAUT IN THE ACTを聴いて
「ロコモーション」をギター片手に口ずさんだばかりだというのに...

210 :まっくん:03/07/23 22:12.net
>208
これでもかって言うくらいバカ正直なとこが泣けます
普通はもっとメロディーをいじり回す、よね?

>209
あれはつくづく名盤ですな
初期ファンの評価は辛いみたいですが
ポップだけど丸くなっちゃいないと思います
ロコンーションもアメリカンバンドもロックンロールソウルも
後期のヒット曲はスタジオ録音より数倍カコイイ!

211 :伝説の名無しさん:03/07/23 23:44.net
Caught In The Actのアメリカンバンドでカウントしてるのって誰?
ドラムオンリーで入る曲なのになんでカウント?って感じなんだけど

212 :伝説の名無しさん:03/07/24 09:15.net
タイコから出る曲でもテンポを確認し全員が入りやすくするために
カウントから入ることはあったYO!



213 :まっくん:03/07/24 19:32.net
ダミ声のカウントはドンですね
肉体派ライブバンドらしいって言うか
「ダサい」の一歩手前でカコイイ!

214 :伝説の名無しさん:03/07/24 20:23.net
>212
なるほど
しかし、4小節もドラムあるんだから
その前の4カウントが無くてもテンポ取れそうだけど(ワラ

215 :212:03/07/25 07:11.net
煽りじゃないよ(念のため
sage

>214
バンドやってたひとならこゆうケイケンなかった?
タイコのひとってカウント出すまえに
自分で「・・・・」て無言でテンポとったりするひといませんでした?。
アメリカンバンドのアタマもなんの「きっかけ」もないとたたき出しにくいと思う訳

これがギターのカッティングやベースや鍵盤のリフだと
カウントなしで出(れ)るんだけどね。

まあこれでこの話題はおしまいにしますわ(ワラ
バイバイ

216 :伝説の名無しさん:03/07/25 15:07.net
ドラム出だしでカウントとろうがとるまいがどーでもいい
GFRと関係ないことで必死になんなよwww
ジエンだろ?

217 :伝説の名無しさん:03/07/26 16:33.net
>>215
なるほどね
普段はカウント取ってるからクセで出ちゃうってとこかな?
ビミョウに納得

>>216
バカですか?
CAUT IN THE ACTのハナシなんですが?
アタマ悪スギによって死んでください

218 :まっくん:03/07/26 21:44.net
新旧のライブアルバムでも大体ドンのカウントが聞けるから
トレードマークみたいなもんでは?
ステージモニターが今ほど良くなかったってのもあるのかな?

219 :まっくん:03/07/26 21:56.net
http://hem.passagen.se/railroad/farner.htm
マークの非公式ファンサイトらしい・・・・
テキスト中心なので英語に堪能な方どぞ
ちなみにマークの好きな車はMazdaだって
好きなシンガーはアレサ・フランクリンにスティービー・ワンダー
何となく分かるような・・・・・

トップページに入ってしばらく待ってると
マークのギターソロがイキナリ響き渡る
時期は不明だけど結構とんがっていてカコイイ!

220 :めっくん:03/07/26 23:02.net
ちなみにJimi Henもフィルモアかなんかのライブで
BBキングのカヴァーやるときに自分の4CHのリフから出るのに
「へへへ(注:笑ってます)・・・1.2.3・・・」ってカウントとってますね
でもノエル・レディングはあんまし(カウントを)聞かないで
「4」のタイミングでむちゃなおかず入れてジャストで入ってます(苦笑

>まっくん
>好きなシンガーはアレサ・フランクリンにスティービー・ワンダー
>何となく分かるような・・・・・

う〜む・・・
マークの歌い方は、確かに今思えば
「なるほど、この線か!」ってカンジですね。
R&Bがルーツなんですね、やっぱ。



221 :めっくん:03/07/27 09:58.net
誰も気にしていないでしょうが勝手に訂正します
>>220
ノエル・レディング(b)×
ミッチミッチェル (Ds)○

でした

222 :まっくん:03/07/28 22:52.net
>めっくん
そういうフェイントかけて喜んでるバンマスいますね
でもそれも「生」なればこそ
最近はライブと言ってもクリックに合わせて操り人形よろしく・・・・
みたいな事が多いのかな

>>207のページでマークの共演歴を見ていたら
Billy Preston Steve Cropperの名前が!!
GFRのメンバーは十代のころ地元のR&Bのラジオステーションを
聴きまくってたそうですが 長じてから斯界の大物と共演
っていうのも なかなかいい音楽人生送ってますね

223 :めっくん:03/07/29 08:38.net
>Billy Preston Steve Cropper

マジすか?
すごいっすねぇ!特に後者!
日本でいえば寺内タケシか井上孝之かってカンジの(ちがう???)
“その道”の超大物ですもんねぇ!

224 :マーにいちゃん:03/07/29 13:51.net
あの王様がやってくれましたよ

めっちゃ陽気な鉄道伝説〜俺達はアメリカ人の楽団/ピカピカに光れ!/準備はいいかい?/ふられた 王様

チョッと笑える

225 :伝説の名無しさん:03/07/29 15:04.net
唐突だがGFRとかCCRとかってバンドやデッド並にもっと評価されてもいいと思う

226 :まっくん:03/07/29 19:06.net
>>223 詳細は分かりませんがこんなバンドです

Northwest All Star Band
Mark Farner - Guitar, Vocals
Steve Cropper - Guitar
Felix Cavalaire - Keyboards, Vocals
Billy Preston - Keyboards, Vocals
David Santos - Bass
Wendy Moten - Vocals
Lou Gramm - Vocals
Liberty DeVito - Drums

時期は95〜96年ぐらいらしい・・・
Northwestはノースウエスト航空のことらしい・・・・
ボーカルのウエンディ・モートンはホイットニーみたいな娘だったっけ?
けっこうマックロなバンドっていう感じがしますが・・・
マークはリンゴスターのバンドでもビリー・プレストンと共演してますね

227 :まっくん:03/07/29 19:17.net
>>224
知らなかった!!!! まったくノーマークでした・・・
まさかGFRまではやらんだろう と思ってました
「妄想狂」や「おいらは船長」も涙モンですが
「黒い漢方薬」!?  やられましたねー
惜しいことに発売は96年・・・・中古屋でゲット出来るだろうか?
何はともあれマーにいちゃん多謝!!!

>>226 まったくですな!


228 :伝説の名無しさん:03/07/30 09:02.net



229 :伝説の名無しさん:03/07/30 13:44.net




230 :伝説の名無しさん:03/07/31 00:22.net
>>227
おいおい これを落としちゃいかんぞ
なんたってマーク・ファーナーがゲスト参加してるんだから

231 :めっくん:03/07/31 07:24.net
ツアー75

実は未聴なんですが、よさそうですね。
これ、ちょうど2回目の来日をした頃に
2枚組でリリースされませんでしたっけ?
当時、東芝洋楽部におじさんがつとめてる友達がいて
来日公演の生テープを聴かせてもらった記憶があります。
しょっぱなはアメリカンバンドでした

232 :伝説の名無しさん:03/08/01 07:10.net
保守あげ

233 :まっくん:03/08/01 20:38.net
>>231
確かに2枚組でしたね GFRの集大成といった感じで代表曲満載
来日時のレパートリーともほとんど同じようです
しかしその時のライブテープとはうらやましい
友達の家にあったMusic Life誌だかに
来日記事が載っていたのを思いだします
今度の再発ではひそかに未発表曲を期待してましたが残念・・

234 :ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk :03/08/02 05:13.net
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

235 :伝説の名無しさん:03/08/02 09:33.net


            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   /  ̄/\     | 緊 急 浮 上 ! !
。  |_ /\ \   \__ _______/
 〃,|  \  \./\      ∨
   |_. \./\: \    ∠⌒∧   
 〃:\  ̄ \   \./ \_(´∀` ||)   |__|∴
 :   \_ \ /\  \ ̄\ゝ) ) //∴∵
  :  〃\  ̄ \  :\ / \ \///  ∵ ∴
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236 :伝説の名無しさん:03/08/04 14:18.net
あげます

237 :伝説の名無しさん:03/08/05 19:27.net
夏バテにつきage

238 :伝説の名無しさん:03/08/05 20:59.net
age

239 :伝説の名無しさん:03/08/06 22:15.net





240 :伝説の名無しさん:03/08/08 12:13.net
メンテあげ

241 :まっくん:03/08/11 23:32.net
電子辞書購入記念age
盆休みにマターリと英文ライナーでも訳しますか

242 :めっくん:03/08/12 18:14.net
よろしこたのみます

243 :伝説の名無しさん:03/08/13 11:48.net
age

244 :伝説の名無しさん:03/08/15 13:51.net



245 :山崎 渉:03/08/15 22:05.net
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

246 :山崎 渉:03/08/15 22:46.net
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

247 :伝説の名無しさん:03/08/18 08:38.net
メンテあげ

248 :まっくん:03/08/21 20:50.net
マターリしすぎましたがご無沙汰です 1stのライナーより超意訳にて失礼

1969年、ロック界はミシガン出身の注目すべき
パワートリオGFRに早くも気づき始めていた。
その年コテコテの共和主義者であるニクソンが
合衆国の第37代大統領に就任した。
アメリカの宇宙計画が月まで到達するのと同じくして
この国はアジアでの戦争を続けており 多くの市民は
この戦争に納得がいかなかった。
ロックが生活に不可欠な若者たちにとって
ウッドストックは共通のシンボルとなった。
これがGFRデビュー当時の政治的、社会的状況であり
そのタイミングがまさに正しかったことを証明している。
物語はすでに語られていた。69年からほんの数年間で
バンドは絶大な人気を得るが、それはビートルズが
台頭してきた頃の状況を思わせる。
以下のようにして全ては始まった。

249 :まっくん:03/08/21 20:52.net
フリントはデトロイトから北へ車で1時間の所にある。
60年代当時はブルーカラーの街として栄えていた。
その経済はアメリカの自動車工業ブームによって
支えられていた。フリントの自動車工たちは
誇りを持ってビュイックを生産し世界に送り出していた。

フリント出身のドンは65年当時高校生で 地元の
Jazz Mastersと言うバンドでドラムをプレイしていた。
彼とバンド仲間はあるパーティーで深夜放送の
人気DJのテリーナイトに会った。
ナイトは野心溢れるシンガーでもありラジオの仕事を
離れたがっていた。彼は自分をバンドのリードシンガーに
してくれるよう頼み ドン達はそれを承諾した。
「よし、この男はオレ達に何かしてくれるだろう
って言うのがテリーと組んだいきさつだよ」
とドンは回想する。

250 :まっくん:03/08/21 21:45.net
テリーはバンドに加わりバンド名もThe Packに変えた。
まもなくバンドはTerry Knight & The Packとして
知られるようになった。
彼らは演奏活動を開始し ミシガンのみならず
クリーブランドやニューヨークにも足を伸ばした。
テリーは60年初頭にすでにDJとして大きな影響力を
持っていたが そこから抜けたがっていた。
「彼は実際にストーンズと旅をしていた
彼が言うにはBrian Jonesのごく親しい友人だったそうだ」
ドンはテリーがフルタイムのDJだった64〜5年当時の事を
後年テリーに確かめていた。

バンドは65年にレコーディングを開始し 66年には
フリントのマイナーレーベルと契約した。
66年初め17才のマークがバンドに加わった。
(彼とドンは同い年だがテリーはその中で
一番オッサンの23才だった)

251 :まっくん:03/08/21 22:21.net
マークは彼の姉とダンスの競技会に出場するほど
優れたダンサーだった。高校時代にはギターを独習していた。
彼の初期のバンドのひとつはDerelictsという。
その社交的な性格に隠されてはいるが 彼は9才の時以来
個人的なトラウマを抱えていた。
フリントの消防士だった彼の父は乗り合わせていた列車の
衝突事故のために亡くなってしまったのだ。
皮肉にもその鉄道の名前はGrand Trunk Railroadと言い
テリーによればGrand Funk Railroadのバンド名は
それに由来するのだという。
マークは高校時代フットボールをやっていたが
教師にパンチを繰り出したため退学になってしまう。
彼はよく「ハイスクールをクビにされた」と話している。
マークは当初ベーシストの代役としてバンドに加わったが
元のベーシストHerman Jacksonが戻ってくるとすぐに
Dick WagnerのバンドThe Bossmenに加わった。

252 :まっくん:03/08/22 19:24.net
テリー達は66〜7年に何曲か中西部でのローカルヒットを楽しんだ。
そのヒット曲の中にはTop 40のリメイクもあった。
彼らはまたYardbirdsやThe Rolling Stonesのような
新しいBritish Invasionのバンドにも素材を求めた.
彼らはYardbirdsのBetter Man Than Iと
The Rolling StonesのLady Janeをレコーディングしている。
彼らはこの二つのバンドを一度に取り入れ
ドンとマークにとっては名声の何たるかを味わう最初の経験になった。
「オレはハイスクールに通いながらテリーのバンドで
国中を旅していた」ドンが回想する。
「テリーはまったく凄いプロモーターだった
オレ達はjazz MastersからThe Packへと変わってから
たくさんのローカルな成功に恵まれた
オレ達は上手くやった。テリーには疑いもなく
あらゆる物から最良の利益を得る勘があった」
しかしテリーが以前ラジオDJの束縛から逃れたがったように
彼は次第にThe Packを率いるのに不満を募らせるようになり
バンドから抜けたがった。
マークがギタリストとして再び加わった67年初め
テリーの感情はますます露骨になっていった。
にもかかわらずテリーは未だにリードシンガーであり
その事がマークには受け入れられなかった。

253 :まっくん:03/08/22 19:29.net
72年のNEWSDAYの記事でロック批評家のRobert Christgauが
その時の状況をまとめている。
「バンドはとても成功したが よくある利己的ないさかいが
それを邪魔した。テリーはマークのファン達がふさわしいと
考えるよりも前に出すぎていた。テリーは利口で
マークもドンも嬉々として彼に従い彼の言うことを聞いていたが
二年もしないうちに激しい憎悪がバンドを引き裂いた」
テリーはソロになったが悪戦苦闘した。マーク、ドン達は
バンド名をThe Fabulous Packに変えた(後日また
The Packに戻している)。マークはボーカルを担当し
キーボードにクレイグを加えた。しかし彼らもまた悪戦苦闘した。
マークは曲を書き始めていたが バンドはまだ多くのカバー曲を
プレイし続けた。Land Of A Thousand Dances,Harlem Shuffle,
モータウンヒットのCome See About Me,
Jim Hendrixの曲までやった。彼らはそれをNext To Your Fire
のタイトルでシングルとしてレコーディングした。
問題は まったく成功しなかった事だ。
「John Rhysがオレ達のためにThe Pack名義の
アルバムを作ってくれた」マークが回想する。
「彼はキャピトルレコードとプロダクションの取引があった。
そのアルバムにはHeartobreakerとAre You Readyが
含まれている。多くの曲の中でその2曲はGFRの最初のアルバムに
収録された。彼はThe Packのアルバムをリリースしてくれるよう
キャピトルに提出したが突き返された」

254 :伝説の名無しさん:03/08/23 06:28.net
(つづく)

255 :まっくん:03/08/23 20:37.net
マークとドンはR&Bからより多くの音楽性を得ていた。
その他のどんな音楽も彼らにとってはカッコよくなかった。
彼らはCape Cod(木造住宅?地名?)の外でほとんど凍死しそうに
なったり ボストンで僅かな稼ぎの仕事にありつうこうと
奮闘しながら やり方を変えねばならないことを悟った。
彼らは 新しいベーシストを見つけ Blue Cheer,
The Jimi Hendrix Experience,畏怖すべきCream(彼らは
68年末に解散していたが)のようなパワートリオに
バンドの編成を変えることを思いついた。
「HendrixやCreamはなんかはblues-basedのバンドだ
彼らはスリーコード進行から逸脱しなかった」
ドンが説明する。「彼らは音量を上げ 態度を変えて
彼らのロックの詩情を表現した。オレ達はR&B-basedだ。
オレ達はR&Bを指向して それをもっと刺激的にしたり
それと同じことをしたり といったやり方を選んだ。
それが彼らとオレ達を分けているところなんだ」
サウンドはしっかりしてきたがThe Fabulous Packの連中は
経営能力皆無で彼らに努力を促してくれる人間もいなかった。
「テリーと縒りを戻して新しいバンドを上手くスタートさせて
くれるように頼まないか」とドンが提案した時にマークは
尻込みをした。ドンはテリーに手紙を書いた。
「ドンがその手飼いを書いた」マークが言う。「オレはそれに
関しては何もしていない。ドンはオレに 自分はずっとテリーと
接触を保っていて奴は音楽業界にいくつかコネがあり
オレ達のバンドの為に何かしてやれると思っている、と言った。
テリーへの手紙は書かれた。ドンの家の前の車の中でテリーについて
話したのを覚えているよ。オレ達は何を失ったんだ? オレ達は
ここから何処へも行けないじゃないか みたいな話をした。

256 :まっくん:03/08/23 20:42.net
テリーは ドン、マーク、そして新しいベーシストのメルが
どれほど頑張っているかを見定めるために ニューヨークから
フリントへ戻ることを承諾した。メルはほんの17才の子供で
バイク好きの元リズムギタリストだった。彼はQuestion Mark
& The Mysteransというグループの後期に少しの間ベースの
穴を埋めた。そのグループはしばらくして後、96 Tearsという
大ヒットを放っている。メルはマークと顔見知りで マーク達に
Musicians Union Hallで3人でリハーサルをしようと頼まれた時
彼は大喜びした。

「それは正真正銘の本物だ」テリーは初めてトリオを聴いた時の
印象を語る。「しかしその日 私は自分の聞いたものが何か
分からなかった。私が言っているのは 聞こえてくるものが何か
分かる手がかりを持っていなかった という意味だよ。
そのパワーはまったくもって完全に並外れていた。
勿論私はCleamを聞いた事がある。Blue Cheerも聞いた。
こんなのは今までに聞いたことが無かった。


  (明日ぐらいで訳し終わる・・・・かな?)

257 :伝説の名無しさん:03/08/23 22:09.net
↑楽しみにして読ませて貰ってます。
感謝です。

258 :まっくん:03/08/24 20:47.net
この時テリーは未だキャピトル所属のシンガーだった。
彼は69年初めに自身のレコーディングでCleveland Recording
CompanyのエンジニアKen Hamannと仕事をした。
テリーはバンドのマネージメントを引き受け マーク、ドン、メルに
バンド名をGrand Funk Railroadにするよう言った。
彼らは契約にサインをしテリーはマークの作品2曲
(そのうち1曲はHeartbreaker)をレコーディングするため
69年4月に彼らをCleveland Recordingに連れていった。
「あれは自分が書いた最初の曲っていうだけのものさ」マークは
彼の気まぐれなバラードHeartbreakerについてこう語る。
「以前、Dick Wagner & The Bossmenにいた頃に書いたんだ」
リストにあるHeartbreakerのレコーディング日時は69年4月16日。
Ken Hamannは テリーが今度はGrand Funk Railroadという
バンドとともにクリーブランドのダウンタウンにあ彼のスタジオに
戻ってきた時のことを回想する。「自分はThe Packとは率先して
仕事をすることはなかった。しかしテリーが彼らを連れてきて
デモを作ってくれるよう頼んできたとき テリーはすでにキャピトル
レコードのプロデューサーとしてリストに載っていることを確信した」

259 :まっくん:03/08/24 20:50.net
Hamannは彼のスタジオで何曲かシングルをレコーディングしていた。
The OutsidersのTime Won't Let Me Human Beinzの
Nobody But Meを含むキャピトルのシングルはヒットしていた。
The Lemon Pipersのヒット曲Green Tombourineもまた
Cleveland Recordingで作られた。にもかかわらずテリーがここで
歌手として作ったレコードはヒットしなかった。Hamannは
テリーが気に入っていた。そしてテリーにはプロデューサーとしての
可能性があると思っていた。
「彼には材料が必要だった」キャピトルの幹部連中を動かすために
Humannは指摘し そしてこのレコーディングエンジニアは
テリーを助けたい気持ちになった。
「最も初期のGrand Funkの録音は8トラックマルチで制作された」
彼は回想する。Hamannはバンドのレコード契約にけりがつくまで
スタジオ料金の請求を延期することをテリーに約束した。
「おお!何と慈悲深いことか!Hamannは私と知り合いという
事だけでそのように取りはかってくれた」テリーは言う。
テリーはキャピトルの人々にデモを聞かせた。彼は 最初に
会社から待たされた上シングルを出すことだけを提案された。
テリーは彼らに それでは仕事にならない、と言った。
彼はGFRのフルアルバムを出す契約を取り付けねばならなかった。
テリーは言った。「私はクリーブランドに戻って残りの8曲の録音を
始めたいんだ。メンバーはもう準備が出来ている。このデモが
気に入ったのなら彼らを好きになるはずだ。予算の裁可さえ
無いのなら 私はクリーブランドに戻ってこのバンドのために
自分の全てを投げうつ」

260 :まっくん:03/08/24 21:04.net
周知の通り物事はうまくいった。テリーはマーク、ドン、メルを
従えてHamannのスタジオに入った。そして彼らは
マークによって書かれた残りの曲をレコーディングした。
In To The Sun,Can't Be Too Long,Time Machineなどだ。
レコーディングは6月に終わった。そしてすぐ いくつかの大規模な
野外ロックフェスティバルで世界にお目見えするための準備にかかった。
出演料はタダだがとにかく目立つことが出来る。
「その後の曲は真新しいAmpexの16トラック2インチレコーダーで
制作された」Hamannが回想する。「そいつは高価な機材で
2万ドルはした」バンドのデビューアルバムであるOn Timeは
8月にキャピトルからリリースされた。そのLPの10曲は
合計52分にも及びその時代のアナログ盤としては注目すべき長さだった。
33年が過ぎた今 このCDのリスニング体験は
オリジナルのアナログ盤とはまったく別モノだ。
このようにしてGrand Funk Railroadは始まった。

by Steve Roeser

  これにて1stは完結
  かなり強引な脳内変換もやってますのでCDを持っている方は
  原文もサラッと見てみてください
  2ndも出来れば近いうちに・・・

261 :伝説の名無しさん:03/08/25 12:41.net
ボックス売ってるけど大きさの割に4枚組・・・?

262 :伝説の名無しさん:03/08/26 12:24.net


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 〃:\  ̄ \   \./ \_(´∀` ||)   |__|∴
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263 :まっくん:03/08/27 19:43.net
>>252
テリー達がYardbirdsやThe Rolling Stonesのカバーをやってたくだり
びみょーにズレて誤訳してました
「彼らもまた少なくともこの2つのバンドには寛容であった」
ぐらいな感じかな?
アメリカのチャートを侵略しまくっているBritish Invasionの連中だが
この2つのバンドはまあ許せるか・・・・みたいな

264 :めっくん:03/08/30 08:19.net
保守あげ

やっぱアニマルズを聞いて
孤独の叫び(クサイけどこの邦訳スキです)を
レパートリーにしたんですかね?


265 :伝説の名無しさん:03/09/01 22:58.net
ブートのビデオ買ったんだがだから買わないか?w

266 :伝説の名無しさん:03/09/02 16:03.net

         .┌┐
        / /
      ./ / i
      | ( ゚Д゚) <たまにはageてください
      |(ノi  |)
      |  i  i
      \_ヽ_,ゝ
        U" U




267 :伝説の名無しさん:03/09/03 07:35.net
アニバーサリーBOXってどうですか?

268 :伝説の名無しさん:03/09/05 23:23.net
age

269 :伝説の名無しさん:03/09/11 15:43.net
ライナー邦訳キボン

270 :まっくん:03/09/12 20:11.net
よーーーーーうやく規制解除! 2ndライナー一気に逝きます

「実のところオレは常々British Invasion(英国の侵略)という奴が
一般的に言われる事に少し憤慨しているんだ」GFRのマークは言う。
「何だって!? ブリティッシュの連中がしたのは
アメリカのRock 'n' rollの模倣だ。別に侵略なんかしてない・・・
The Beatlesの影響を自分も受けている事は分かっているけどね」
GFRは今まさにアメリカの若者文化への侵略を開始しようとしていた。
しかし彼らの攻撃計画は自国内に限られていた。実のところGFRは
無名から1969年のロック界を震撼させるには至っていなかった。
彼らは貧しい労働者の街であるミシガン州フリントを抜け出したのだ。
マネージャーのテリーはかつて同じバンドで過ごしたマーク達の音楽を
多くの聴衆にのもとへ届けるための目算を立てていた。
マーク、ドン、そしてメルは野心にあふれ 証明すべき何かを持った
パワフルなロックトリオだった。音楽はすでにずっと彼らの人生の
大きな部分を占めていた。それは天職、使命とも言えるかも知れない。
今や彼らは彼ら自身の仕事を為すことを望んでいた。

GFRとしての1stアルバムはOn Timeと題され準備万端整い69年8月の
リリースを待っていた。テリーはすでにもう一枚アルバムを作るために
数ヶ月間彼らを録音スタジオに連れ戻す計画を立てていた。
しかしバンドは まず外へ出て人々に彼らの資質を見せるべく
出来るだけ多くのステージをこなさなければならなかった。
アメリカはGFRを認知しつつあった。

271 :まっくん:03/09/12 20:13.net
マークは回想する。「夏のポップフェスティバルの現場を経験し
オレ達なんか聞いたことがない聴衆のリアクションに触れてみて
彼らはただ音楽が聴けさえすればいいって言うことをつくづく納得
させられた。そしてオレ達はオレ達自身の個性に気がついたんだ」
Atlanta Pop FestivalでのGFRの激しいオープニングステージは
強烈な印象を与え 次の二晩も演奏を依頼されるほどであった。
続いてTexas International Pop Festival, West Palm Beach
Music Festval, Strawberry Fields Festival in Canada, で演奏して
取りわけこのバンドに対する興奮は 明らかに相当な熱気を帯びて
盛り上がっていった。

60年代後半を振り返ると ロックビジネスやレコード業界を支配する
原理や方法論は現代とは違っていた。当時はひとつのバンドが
一年の内に1枚以上のアルバムを作るのはそれほど珍しくなかった。
GFRの場合 最初の2枚のアルバムは6ヶ月の間を置いて録音された。
「当時こんなやり方をしてた」ドンが言う。「オレ達はスタジオに入り
1週間で1枚のアルバムを作った。実際それをミックスして
完パケまでいったよ。その前にたくさんリハーサルをしたけどね。
オレ達はスタジオ入り前の1ヶ月をリハーサルと曲作りに費やした。
しかしオレ達はスタジオ入りして1週間でアルバムを完パケすると 
すぐ旅に出たもんだった」ドンは回想する。「テリーはオレ達に
多作であることを望んでいたと思う。そしてキャピトルは明確に
それを望んでいた。契約書に年間2枚のアルバム制作があるのは
こんな事情さ」

272 :まっくん:03/09/12 20:16.net
GFRの2ndアルバムはもう少しで無くなるところだった。
もし神の御心による介在が無ければ アルバムOn Timeがこのバンドの
唯一の記録となったことだろう。しかしマークは69年の夏の間
ガーディアンエンジェルの見張りをつけなければならなかった。
「マークがたった独りで あるバイク集団と話しているのを思いだすよ」
テリーが回想する。「連中はマークの長い髪をかっらかっていた。
彼は窮地に陥り相当ひどく殴られた。泥まみれで見分けがつかない
ほどにね。連中は彼の髪の毛を一握り引っこ抜いた」テリーはこのひどい
事件の結果マークが負った肉体的な目立った損傷を誇張してはいなかった。
しかし全ての仲間達にとって幸運だったことにマークはその日を生き延び 
比較的すぐに回復して 10月にはバンド仲間とスタジオに戻り
レコーディングを再開出来るまでになった。

「曲作りの必要性が出てきたんだ」ドンは彼とマークが以前いたバンド
The Pack(別名The Fabulous Pack)がついに解散し GFRが
まさに始まろうとしていた過渡期の68〜69年について話していて
こう思い返す。「オレ達はThe Packというバンドに在籍して
こんなふうに達観した。安定したギャラのためにカバーバンドに徹し
何者にもならないか もしくはオレ達自身の才能を始動させるか、
のどちらかだ。オレ達自身の素材で挑戦してみようじゃないか とね」
彼らはGrand Funkとして2番目の道を選択した。
「どこからオリジナルのネタを仕込んでくるかって?
マーク君、シンガーであるキミからだよ」
これ(歌手自身が曲を書く事?)がGFRがデビューした当時の状況で
オレ達が目をつけていたやり方だった、とドンは言う。マークは
オリジナル曲を書く事を期待され このギタリストはそれに同意した。

273 :まっくん:03/09/12 20:18.net
ドンは回想する。「フリントのMusicians Union Hallで3人で
練習に励んでいる時、オレ達はこんな風にマークに取り入った。
オレ達には曲が必要だった。オレとメルはよくマークに言ったもんだ。
『オレ達はマクドナルドへ行ってお前にビックマックを買ってくるよ。
オレ達が戻ってくる頃にはいいアイディアがいくつか浮かんでる
だろ?(笑)』そしてオレ達が戻るとヤツは何かを思いついてるんだ。
『コイツはどうだい?』ってね」マークはいつも3人で進められるような
いくつかのリフや音楽的なアイディアを考え出した。

彼らは大慌てで曲作りに励んだので 必然的にあちこちから少しばかり
無断借用をし事をドンは認めている。On TimeのB面1曲目Into The Sun
(The Pack時代はGetting into The Sunと呼んでいたが)はいくらか
「Steppenwolfもどき」だとドンは自認する。おそらくInto The Sunの
メインのギターパートはそのグループの初のビッグヒットである
Born To Be Wildから思いついたのだろう。しかしGFRはそこに
彼ら自身のオリジナリティを交えている。

274 :まっくん:03/09/12 20:20.net
GFRの2ndアルバム(シンプルにGrand Funkと呼ばれている)の
1曲目は 将来を考え70年代に進んでいこうとする前のThe Pack末期の
感覚を表現している。マークが書いたGot This Thing On The Moveを
マークとドンはThe Pack時代にプレイしていて 後にメルに教えた。
「メルはまったく大した奴だった」ドンは彼らの若きバンド仲間が
10代だった頃を思いだして言う。「メルがThe Packを見に立ち寄った
時のことを覚えているよ。まるでThe Packのファンのようだった。
彼はいくつかの違った場所にも立ち寄ってくれた。Bay City
(ミシガン州東部の?)でも彼はいつも来てくれた。オレが彼を初めて
知った時は こんなガキが聴衆の中にいるぞって言う感じだった」
アルバムGrand Funkはリリース当初からそのジャケットの色によって
ファンはRed Albumと呼んでいる。皮肉にもそのジャケットのメルの
イメージはマーク、ドンよりもずっと目立っている。あごひげを生やした
メルは中央右寄りに背が高く描かれ 波打つ水玉のシャツとダラリとした
黒っぽい帽子を身に付け 彼の強力なベースギターを弾いている。

「心に留めておいてくれ」テリーが指摘する。「現在heavy metal
として知られる音楽を形作ったのは あの当時GFR, Black Sabbath
Led Zeppelinだけだった。それらが無かったらheavy metalは
消え去ってしまっただろう」

275 :まっくん:03/09/12 20:22.net
マークの書いたParanoidが2ndアルバムのセッション中に録音された。
(この曲はInside Looking Outとともに最もへヴィで激しいGFRを
象徴している)Black SabbathにもまたParanoidという曲があり 
彼らの2ndアルバムのタイトルになっている。しかしそれは純然たる
偶然である。「他にParanoidっていう曲があるなんて知らなかったよ」
マークは言う。「オレ達はいつもラジオをよく聞いていたわけじゃ
なかったからね」しかしながら10分近いファイナルトラックの
Inside Looking Outは連中がラジオでよく聞いていたに違いない曲だ。
Eric Burdonによって歌われたのが数年前の1966年で アメリカで
Top 40 ヒットになった。このブリティッシュグループはThe Packでも
称賛されていた。GFRバージョンをその強烈なべースパートで煽り立てた
メルはずっとAnimalsのベーシスト Chas Chandlerのファンだった。
The Packが習慣的に他のグループのカバーをしたように 2ndアルバムは
この曲でしめくくり(カバーをする事の?)GFRの先例となった。
それは彼らの多くのカバーの中で最初のものであり成功に恵まれた。
GFRバージョンのInside Looking Outはイギリスのシングルチャートで
40位になり結局イギリスで最も成功した記録となった。

276 :まっくん:03/09/12 20:24.net
「我々はこうしたセッションのための 適切で効率の良いシステムを
すでに作り上げていた」テリーが信頼するレコーディングエンジニアの
ケン・ハマンは語る。(Cleveland Recording Studioは
オハイオ州Cleveland Euclidのダウンタウン1515にあった)
「なぜなら私はすでにJames Gangなんかと仕事をしていたからね」
The James Gangの1stアルバムはJoe Walshがフィーチャーされ
前年にCleveland Recordingで制作されていた。
「ケンはオレが思っていたよりずっとオープンマインドだった」
ドンが語る。「彼のアプローチはこんな感じだ。『これはrock 'n' roll
なんだよ。いつも伝統的な方法でやる必要は無いよ。どうしたら
マークの金切り声をあげるボロボロで凄まじく卑猥なギターサウンドを
このWestのアンプから出せるだろう。どうやってコイツをテープに
収めようか?』彼は挑戦する事をためらわなかった」
マークとドンは(ケンに)指摘した。「ボロボロでイカした
このMessengerのギターを弾くのさ。そうすればそういう
サウンドが出せる。あとワウワウペダルも使うよ」
現在 Euclid通りの以前Cleveland Recordingがあった場所に行き
さらに北へ数ブロック歩くとRock And Roll Hall Of Fameがある。
そこで 栄光あるdirty soundを紡ぎだしたマークのMessengerの
ギターを見ることが出来る。

277 :まっくん:03/09/12 20:25.net
GFRについての書籍An American Bandの著者Billy Jamesは
マークの曲であるIn Needについて「一夜にして得た成功に対して
彼らが面と向かって受けたバンド仲間や知り合いの反応である」
と言っている。Jamesはまたその著書の中で LPリリースの数ヶ月後
(69年のクリスマスの数日後)バンドはHugh Hefner司会のTV番組
Playboy After Darkで Red AlbulmのA面からPlese Don't Worryと
Mr.Limousin Driverの2曲を口パクでやった と述べている。
「オレ達は まだ製作中の曲は決してショウでは演らなかった」
マークは言う。知っての通りオレ達はレコード盤になっていなければ
決してそれを試してみようとはしなかった。
Plese Don't WorryはRed Albumでマークとドンの両方の名前が
クレジットされた曲のうちの1曲だ。多くのGFRナンバーが
書かれたが マークとドンの共作はこの曲が一番最初である。

スタジオアルバム第二弾Grand Funkは69年10月にほとんど
レコーディングされ その2ヶ月後には店頭に並んでいた。
On Timeほど長時間ではないがRed Albumはそれでも50分近くあった。
今やGFRは90分近いコンサートの為のオリジナルレパートリーを持ち
彼ら自身がメインのショウをやる準備が整った。一方 DJ出身の
テリーは 彼のラジオ界での影響力をレコード業界のために行使した。
「一晩に2時間は電話をかけていた」テリーは言う。「おそらく5人か
6人だったか 国内中の主要なDJ達の専有回線にね。そして彼らを
おだて上げて頼んだ『Into The Sunをかけてもらえないかい?
私からのリクエストとして。それかInside Looking Outを・・・
どうかオンエア用のレコードを買ってくれないか?』こういう内職を
昼も夜もたくさん続けたよ」

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