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【メル】グランドファンクレイルロード【ドン】

1 :名盤さん:02/05/31 20:38 ID:Rvx/D1IU.net
グラファンについて語ってください。
個人的には1st〜3rd、LIVEが好き。それ以降はだめ。

399 :伝説の名無しさん:04/02/26 11:02.net
私が生まれて初めて買った輸入盤は「アメリカン・バンド」。中野ブロードウエーの3階
でのこと。でも今思い出してもあんな所にレコード屋なんて無かったのにあれは何屋さん
だったのだろう。金ピカのジャケットのいい、真っ黄色のレコード盤といい度肝を抜かれた。
肝心の中身は正直?で納得出来なかった。ガツーンと来る物が無かった。良さが解るまで時間
がかかった。ともあれ、初めての輸入盤体験は感動的だった。

400 :まっくん:04/02/26 20:39.net
あれから2週間・・・未だにGFRナンバーがアタマの中を回ってます
マークのバイオ本 From Grand Funk To Grace より

Chapter 9 Heavy Music
GFRは当時のどのバンドよりも大規模な機材を所有していた。
彼らの楽器に加え、20.000Wのフルステレオサウンドシステム、
さらに12本のマイクロフォンと2.000Wのモニターシステムを
持ち運んでいたのだ。彼らはまさしく最も音のデカいバンドだった。
彼らのユニークなサウンドはオーバードライブさせたWestのアンプを
ステージの両サイドそれぞれ7.000WのP.A.システムで可能なかぎりの
高出力で音量を上げることで得られた(それはほとんどのバンドが
やっていたことだった)。聴衆はそれを好んだが このような大音量に
長くさらされていると慢性の難聴になる危険性が 当時少なからず
認められたた。「神の御加護があったんだろうね。オレにはしっかりした
音程で歌うための聴力が必要だから。オレはピンが落ちた音さえ
聴く事が出来る。みんなは驚くけどね。オレ達は大量の機材を
持ち運んでいたけど それで最大音量まで上げることはしなかった。
だからみんなはクリアな音で聴く事が出来た。大規模なサウンドシステム
だと 小規模システムのように目一杯までドライブさせる必要がない。
だから良質で正確なサウンドが得られる。限度を超えた音量の楽器音の
中からボーカルを聞き取るのは難しい。マイクロフォンは アンプやら
そばで鳴っているあらゆる音を拾ってしまうからね。オレ達は全員
楽器の音を歪ませて演奏していたから そのアンプの轟く歪みは
そのまま保ちつつクリアなボーカルの音を得るのが主たる問題だった」
(噂ではテリーとメルは彼のユニークなディストーションベースサウンドを
編み出すために何日も苦労したという)

401 :まっくん:04/02/26 20:42.net
ミュージシャンが直面する最も大きな危険は感電のリスクだ。とりわけ
雨天の野外での演奏がそうだ。バンドのメンバーは電気ショックの
未経験者ではなかった。その事故は日本での演奏中に起こった。
GFRが日本の空港に着いた時 彼らを歓迎するために大挙して
押し寄せた大勢のファンにもみくちゃにされた。彼らは1971年7月17日
ロックバンドとして初めて東京の後楽園球場で演奏しようとしていた。
この特別なイベントは大型の台風によって台無しになった。
風は大変激しく球場へ行くために彼らが乗ったリムジンはマンホールの
フタが宙に吹き飛ばされるのをよけなければならなかった。報道によれば
暴風雨によって都内の主な5つの鉄道の路線が不通になった。しかし
Grand Funk鉄道は違った。彼らが球場に着いた時 外で何千もの人々が
すでにソールドアウトとなったショウを見ようとしていた。
(チケットを持たないファン達はゲート近くの電信柱を叩いて訴えたり
球場に入れてくれるよう泣きついたりしていた)

402 :まっくん:04/02/26 20:50.net
マークは回想する。「日本側のプロモーターがやって来てオレ達に言った。
『Ah-so さあ始めてくれ』オレ達は彼らに雨の中では演奏できない
と訴えた。まったく信じられないほど激しく雨が降っていた。しかし
さらに信じられない事には4万もの傘を持った観衆が豪雨の中を座って
いたんだ。彼らは何が何でもショウを見るつもりだった。だから
オレ達は出ていってプレイした。あのコンサートは素晴らしい経験だった」
常識的な慎重さを放棄して バンドは無情の豪雨の真ん中にある
ほとんど覆いのないステージに向かった。彼らは用心のためにラバーの
底の靴をはいた。ステージ中央の低い場所には何インチもの雨水が
たまっていた。ドンがドラムを叩くと水が弾けとんだ。ギターなどの
楽器とマイクロフォンは別々の電源回路になっていて 立ち位置によっては
非常な危険がつきまとった。(・・・・マークの立ち位置!)
マークはマイクロフォンとの距離を保つことを充分心得ていたが ある時
少しばかり近づきすぎて マークの唇からマイクロフォンに青い火花が
走った。これにはマークもかなり動揺した。メルは茫然自失だったが
ショウは続けられた。バンドにとって驚くべきことに聴衆の多くは
英語で歌い続けていた。マークは常に日本の人々の礼儀正しい手厚い
もてなしを受けた。日本は彼が訪れたりツアーをした国の中で 好きな
国のひとつだ。(現在でもマークとGFRは日本で高い人気を誇っている)


今さら気づくのもアホですが コンサート会場で買ったこのバイオ本の
表紙の裏にマークのサインが〜〜〜〜!!!!!!
しかし何だか製本が安っぽいので(ハードカバーじゃないです)
読んでいくうちにバラバラになりそうな悪寒・・・

403 :伝説の名無しさん:04/02/26 21:34.net
いつもありがとう。

404 :まっくん:04/02/28 23:17.net
同じく前書よりクレイグが加入したあたりの微妙ーーーな状況

Chapter 7 Four's A Crowd
GFRは独裁者テリー・ナイトから離れて新たに見いだした自由な活動と
彼らの音楽的な地平を拡げる事を熱望していた。彼らは4人目のメンバーを
グループに加えることを検討した。最初にHumble Pieのギタリストである
Peter Framptonが考えられたが Peterはやがて大成功する事になる
ソロ活動を開始させるのに忙しかった。問題は音楽と とりわけ
アルバム志向のFM局(その放送スタイルはGFRの様なグループに
適していて以前は彼らの曲のエアプレイを確約してくれていた)が
急速にAM局のTop 40スタイルを取り入れた事だった。通常の番組で
長い曲をかけたり アルバム一枚を丸ごと中断なくかけていたような
FM局のほとんどは もはやこうした自由や贅沢を提供しなくなった。
GFRはふたたび「適応しなければ死ぬ!」という可能性に直面した。
彼らはしぶしぶ適応することを決意した。(こうした変化は最初
バンドを空前の商業的な成功に至らせたが 最終的にはこのグループを
ここまで昇りつめさせた本質的なものを死なす事となった)

最終的にかつてのThe Packのメンバーだったクレイグが バンドの
キーボードを拡大するために選ばれた。クレイグは回想する。
「ある晩オレがプレイしていたフリントのクラブにドンが入って来た。
そしてマークの家に来て一緒にジャムセッションをしてくれるよう
オレに頼んできたんだ。コトは進んでオレはバンドに加わった」
この幸運に興奮しはしたが クレイグは突然巨大なアリーナの何千もの
観衆の前でプレイする事になり少なからずビクついた事を認めている。

405 :まっくん:04/02/28 23:19.net
クレイグをバンドに加入させるという提案にマークは動揺した。
マークは純粋に音楽的な見地からこのアイディアに異を唱えた。
マークは子供の頃からクレイグを知っていて本当に彼を好きだった。
この事がマークのクレイグ加入反対の意図をなおさら分かりにくく
している。しかしながらバンド内での決定は民主的に行われた。
マークが説明する。「ドンがクレイグ加入を提案しメルはそれに同意した。
ここでオレ達の対立が始まった。クレイグとオレは長い間ずっといい友達
だった。しかし彼のバンド加入を望まないオレの気持ちをクレイグが
気づいていた事でオレ達の友情が変化したんだと思う。もし彼をGFRの
一員にする事が無かったら オレ達は普通に仲良くしていられたと
オレは確信している。この事があってからバンドの信頼関係にある種の
緊張が持ち込まれた。オレ達はまだ一緒に楽しんでいたにもかかわらずね。
アルバムPHOENIX以後 オレ達はもはやパワートリオではなくなった。
何とかキーボードが加えられると オレ達は人々がオレ達の音楽の中に
見い出し、そしてたくさん愛してくれていた個性的なダイナミックさを
失ってしまった。(クレイグが加入した事で)ステージ上でのオレの負担は
いくらか軽くなった。クレイグに(パートを)引き継いでもらって
オレは制約なくいられるようになった」
マークによれば クレイグは言わばパーマネントのサイドマンとして
バンドに加わったのであり バンドの実質的な正式メンバーには決して
なっていない、と言う。(クレイグはバンドが崩壊する1976年まで
バンドに留まった)

406 :まっくん:04/02/28 23:21.net
「バンドがビッグになるにつれて ドンはバンドの為に曲をもっと
提供する事を強く望むようになったようにオレは思う。彼のそのような
行動の動機のいくらかには こうした曲のロイヤリティを共有し
もっと金を稼ぐ事があったと思うよ。オレが曲を書く時は詩も自分で
書く事を望んだ。この事についてドンは決して(自分も曲を作って利益を
享受する意志を?)明らかにしなかったし オレに対しても何も
言わかった。でもオレは ドンがオレ達の間の事をクリアに公明正大に
しておきたかったんだと信じている。(マークとの共作を嫌った?
借りを作りたくなかったとか?)この事を彼に言った事はなかったけれど
オレの直感では彼はもっと曲が書きたくなって一緒に曲を作ってくれる
誰かが必要になったんだね。彼はもし我々がクレイグのバンド加入を
必要としたら クレイグこそが自分の作曲を手伝える人物だと
感じたんだね」クレイグはこのドラマーの鼻歌を採譜して音楽的に
アレンジしたり彼の詩に曲をつけたりする事でドンの曲作りを助けた。
マークは言う。「ドンとオレの友情は残った。しかしAmerican Band
以降は深い友情ではなくなった。ドンがまだ農場をやっていて三輪自動車に
乗っていた頃は オレ達は湖で水上スキーなんかをしたものだった。
でも今やオレ達は2人の間のこうした距離に気づいてしまっていた。
大部分の時間 オレ達はベストを尽くし上手く付き合っていた。しかし
別のところでは ドンはクレイグとつるみ始め オレはメルと
以前に増して一緒につるむようになった」

407 :まっくん:04/02/29 00:11.net
蛇足 私めの深読み
Phoenixでせっかくクレイグがキーボードで参加したにも関わらず
アルバム1曲目のド派手なオルガンのイントロはマーク
American Bandの3曲目Cleepin'の印象的なエレピのイントロもマーク
ライブのCaught In The ActのFootstompin' Musicではわざわざ
ハモンドB3オルガンを2台ステージに乗っけてマークは自分のパートを
弾いている(クレイグもそっくり同じリフを弾いていて これはこれで
なかなか贅沢でゴージャス・・・・か?)
この辺はやはりマークと他のメンバー間で見えない火花が散っていた?
マークがキッチリ自分のポジションを固守しているように感じます
これが実質的なラストアルバムBorn To Dieになるとマークは
キーボードを全てクレイグに任せていますね
終りの予感があったのか すでに最後の決断を下した後だったのか
そんな状況がマークをそうさせたような気がします
イントロなどにクレイグの印象的なプレイが目立ちますね
自分としてはこのアルバムの4人のバンドアンサンブルの密度が
1番濃いように感じます
結局彼ら自身のレクイエムのようなアルバムになってしまいましたが

しかしロックバンド崩壊の経緯としては余りに「ありがち」な展開
GFRに限ってこんなナイーブな人間模様は無いと思ってました
連中のノー天気なだけじゃないところを垣間見れたのは新鮮!

408 :伝説の名無しさん:04/02/29 13:30.net
GFRにもこんな内部対立があったんですね。
でも最後まで、メンバーチェンジが無かったのは救いでした。

409 :伝説の名無しさん:04/02/29 13:35.net
良スレ紹介

http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/sports/1077278598/l50

410 :ウエスト:04/02/29 17:26.net
そう言えば、Born To Dieのジャケット写真の撮影時に、マークだけが目を開けている
写真を使うことをマークが要求し、メンバー同士でモメたと言う話を当時の雑誌で読んだ
覚えがあります。その時既にマークはソロ活動をすることを決意しており、末永く音楽活動を
行う意思表示をする為にその写真を使いたがったらしい。

411 :伝説の名無しさん:04/02/29 19:42.net
BORN TO DIEのジャケットって縁起悪いですよね。
マークだけが眼を明けていたらなおさら不気味でしたね。


412 :伝説の名無しさん:04/02/29 22:26.net
なんかクレイグがかわいそう。フェニックス・ツアーのビデオ(海○盤)を
観るとこの人凄いんだよね。ウルトラ・テクニシャン。もうちょっと評価されても
いいと思う。性格がおとなし過ぎたのかもね。

413 :まっくん:04/03/02 20:36.net
後書きに各メンバーのその後がありました(恐らく2001年当時)
クレイグは78年からボブシーガーのSilver Bullet Bandに加入
現在に至るまでずっとメンバーとして留まっている(凄いね)
クレイグは彼の娘によっておじいちゃんにされてしまった(オメデト)
彼の息子は親父の後を継いでミュージシャンの道を歩みつつある
ドンはフロリダに移った。興味深い事にやはりボブシーガーの
バンドに加わっていますね(83年と86〜87年)
さらに興味深い事にFrank Zappa(!)やPat Traversと
レコーディングセッションをしていたらしい
一時法律を勉強したが現在の法制度に幻滅したとの事???
最初のカミさんとは別れフロリダのラジオ局で人気のあった(DJ?)
Sunny Quinnと再婚。現在娘がふたり
メルは長年に渡りヴィンテージカーのレストアに情熱を注いでいる
またミュージックストアのチェーンを所有している
さらに鳥獣保護区の管理人もやっている
メルはマークと同じく敬虔なクリスチャンであり 彼の息子は
クリスチャンヘヴィメタルのバンドでプレイしている!

414 :伝説の名無しさん:04/03/02 22:54.net
四人共凄いミュージシャンなのに、浮ついた所があまり無く
地に足がついた生き方をしてるのが嬉しい。

415 :伝説の名無しさん:04/03/06 13:02.net
「ロコモーション」は「シャイニン・オン」完成後に出来たらしいですね。
むりやりアルバムに入れた?せいかこのアルバムバランス悪いと思いませんか。
「ディスティチュート・アンド・ルージン」は「ロコモーション」にはじきだされた?
とゆーとオリジナル?の曲順はどんなだったんでしょう。
1.シャイニン・オン
2.トゥ・ゲット・バック・イン
3.プリーズ・ミー
4.キャリー・ミー・スルー
5.ディスティテュート・アンド・ルージン
6.ミスター・プリティ・ボーイ
7.ゲッティング・オーバー・ユー
8.リトル・ジョニー・フッカー
違うかな。長々スミマセン


416 :教祖猫を噛む:04/03/06 17:45.net
ライブアルバムって奴良かったよ
ほかにオススメあったら教えてね

ザッパとやってるのってどう?

417 :伝説の名無しさん:04/03/06 19:19.net
>>416
「熱い激突」?私はあまり好きじゃないです。ぜい肉を削ぎ落としたサウンド等の
評価は有るんですが。美味しいとこもついでに捨てちゃったような風で。
曲は悪くないんですが。グランド・ファンクはぜい肉の魅力だったりして。

418 :伝説の名無しさん:04/03/07 07:37.net
去年アメ盤で出たリマスターのコートインジアクトをの
中古をレコファンでゲト
懐かしいなー昔も好きだが今聴いてもいいね
これ1000円は安かった
元気いっぱいの軽薄アメバンイメージがあるが
フロスト君のキーがプログレぽくていい

419 :まっくん:04/03/09 20:43.net
少し御無沙汰でした。 このバイオ本は私にはオモシロ過ぎます
辞書を引くのももどかしい・・もう少しスラスラ行きたいもんです

Chapter 10 Stoned On Stage
多くの人々の予想に反して GFRは聴衆の前では(マリファナで)
ハイになってプレイする事は滅多に無かった。彼らのキャリアの初期に
ほんの数回やった事はあった。そして彼らをその事をひどく後悔している。
彼らはアトランタのギグの前にいくらかマリファナを吸った。彼らは
曲のどこを演っているのか分からなくなるほどひどく酩酊した。
(演奏は)まったく脈絡が無くなりかなり混乱した。聴衆はそうした
彼らのパフォーマンスを喜んだが 彼らはそれがひどく嫌だった。
ファン達が頻繁にドラッグをステージに投げつけるので クスリの
作用は煽り立てられ、その場の状況はさらに厳しいものになった。
Bruce Bowles(GFRのローディ)は回想する。「ファンはマリファナの
包みをステージに投げつけた。マークの足は全くダンサーのように
機敏だった。彼はチラッと見ただけで良質なタバコを判別できた。
そして足で正確にそれを指し示してステージ横にいるローディ達の
誰かがまがい物に騙されず手に入れられるようにした。聴衆は
その類いのものを何でもステージに投げつけたものだった。オレ達は
ショウが終わってからそれを集めた。その飛んできたものだけで
スーパーの買い物袋5個分ぐらいは満杯になった」

420 :まっくん:04/03/09 20:44.net
またある時 彼らはハリウッドのWhisky A Go-Goでプレイしていた。
ショウの前に何人かの女の子がフリードリンクのスクリュードライバー
(ウオッカとオレンジジュース)をお客に勧めて歩き回っていた。
マークは少し用心して飲まなかった。「オレは全然飲まなかった。
みんなは飲んでいたよ。オレはコークなんかを飲んでいた。誰かが
一服を盛るのが分かるようにね」彼はバンドの連中に注意を促した。
メルもドンもテリーもマークの警告に全く注意を払わなかった。
彼らのローディのTom "Bookman" Deanだけはその忠告を聞いた。
(彼の体には多くの漫画のキャラクターの刺青があってコミック本の
ようなのでBookmanのニックネームが付いた)バンドには気づかれない
ように スクリュードライバーにLSDが盛られた。メルはベースのネックが
蛇のようにくねって掴むことが出来なかった、と後になって語っている。
メルとドンは曲の途中で止まってしまったり曲が終わっているのに
プレイし続けたりした。マークはその晩バンドの中で独りぼっちに
なったような気がした。音楽はひどく非現実的になったが 聴衆は
ますますハイになり喜んだ。

421 :まっくん:04/03/09 20:46.net
ステージ上でハイになったが故の喜ばしくない体験がもうひとつある。
バンドはハワイのホノルル国際競技場でプレイしていた。ドンの
ドラムソロの間に観衆の誰かがメルにマリファナの包みを手渡した。
マークはメルがその包みの中の1本を取るのを見た。そして彼を
非難するかわりにこう頼み込んだ。「そいつをオレに残しておいて
くれないかい? オレにも少しくれってば! 一緒にやろうぜ」
それは悪名高きハワイのMaui Wowieに違いなかった。マークとメルは
ドンのドラムソロの後 再び曲に加わった。ドンは曲の終りの合図に
いつものダウンビートを叩いた。しかしマークとメルは2人とも
それを聞き逃し曲が終わった後も演奏を続けた。観衆が気づいたり
心配したりしたのか定かではなかったが とにかく彼らは我が身を恥じ
二度と聴衆の前でハイになって演奏するまいと誓った。それ以来彼らは
いつもショウが終わってから マリファナや酒をやるようにした。
マークは言う。「オレ達はステージに対しては矢を射るように
真っ正直だった。集中力はひどく酩酊している時としらふでいる時では
同じではない。集中するためにはあらゆる身体的、精神的エネルギーが
必要だ。オレ達は一生懸命金を稼いでコンサートに来てくれたお客を
騙すようなまねは本当にしたくなかったんだ」
クレイグは言う。「バンドの中で誰もハードドラッグにハマったりせず
そうしたドラッグが深刻な問題にならなかったのを オレは幸せに
そして誇りに思うよ」

422 :伝説の名無しさん:04/03/10 04:39.net
>>398

当時は欧米でも日本でもNO WARだったんすよ


423 :まっくん:04/03/11 21:08.net
ジャニスの思い出

Chapter 10 Joplin Jokes
GFRはフロリダのWest Palm BeachでのMusic And Arts Festivalで
演奏する予定があった。3日間のイベントが1969年11月末に開催され
こうしたフェスティバルを象徴する面々が顔を揃えていた。
Johnny Winter, Iron Butterfly, Jefferson Airplane,
Country Joe And The Fish, Steppenwolf, Ten Years After,
Sly And The Family Stone, Vnilla Fudge, Janis Joplin,
Jimi Hendrix, The Rolling Stones, その他
伝えるところではジャニスはひどく酔っぱらっていて自分の出番の
直前まで無防備に歩き回っていたという。ストーンズの出演予定は
彼女のショウの時間と近かった。

それはいつになく蒸し暑い日だった。GFRの連中もジャニスも
特にストーンズの大ファンではなかったので 彼らは早々に
引き上げることにした。出演者をホテルに送り届けるために
かなり豪華な座席のある大型ヘリが用意されていた。
ホテルの裏にある海岸でヘリを降りてから マークはジャニスが
いないことに気がついた。彼はヘリに戻って彼女を探すことにした。

424 :まっくん:04/03/11 21:11.net
マークは順を追って話してくれた。「プロペラの下をくぐって
オレはヘリに近づいた。窓からジャニスがいるかどうか覗いてみた。
ジャニスがシートをこすっているのが見えた。オレは一体なんで
彼女が座席をこすっているのか不思議になった。何事も無かった
かのように立ち去ることも出来たが オレはヘリの後ろによじ登った。
そこはかなりうるさかったので 彼女はオレが戻ってきたのに
気がつかなかった。オレは大声で『何をやっているんだい?』と叫んだ。
彼女は振り返ってオレを見てびっくりしていた。彼女はひどく汚れた
チョコレートバーの包みを握っていた。高温によってチョコレートは
ひどく溶けていた。ジャニスは豪華な布の座席を溶けたチョコレートで
すっかり汚してしまっていたんだ。『何でこんな事をするんだい?』
オレは訊ねた。彼女は大笑いしながら言った。『ストーンズが
最後の出番だから次の便のヘリでここに来るわ。私、ミックのお尻を
いじめてやりたいのよ!』ミックはその夜白いサテンのパンツを
はいていた。何が起こったのかオレは全然聞いていないけど
彼女は目的をたやすく果たしたと思う。チョコレートで覆われた
シート以外に座れる場所はなかったからね。ジャニスがストーンズを
それほど好きでない事は知っていたけれど 彼女がその晩した
イタズラには全く呆れたね。その晩 オレ達は2人ともずっと
その事で笑い転げていた」

それはマークがジャニスと会ったごく最後の機会のうちの1つとなった。
ジャニス・ジョップリンは1970年10月4日、カリフォルニアのホテルの
一室で ヘロインを多量に摂取したために死亡した。彼女はまだ27才
だったが 彼女の代表的な録音となったPiece Of My Heartと
Me And Bebby McGeeを残していた。ドラッグによって死んだ
マークの友人は彼女だけに留まらなかった。

425 :まっくん:04/03/11 21:12.net
マークは言う。「ジャニスの死はオレに大きな影響を与えた。全く
ひどく打ちのめされたよ。ジャニスの死はジミの16日後だった。
そしてそれから僅か5日後がオレの22回目の誕生日だった。オレは
業界のアーティスト達や オレのバンドメンバーの誰よりもジャニスと
親しかった。ジャニスとオレはすごく仲が良かったんだ。ジャニスと
一緒にいるといつでも高揚してくるんだ。彼女はあらゆる事が
いつも風変わりだったよ。彼女が死んだ日はオレにとってはとても
辛い日だった。最初にそのニュースを聞いた時は受け止められなかった。
『信じられない!嘘だろう。彼女が死ぬ筈がないよ。彼女は死ぬには
余りに風変わり過ぎるよ』くり返し言えたのはこれだけだった。
オレはもっと自分がジャニスの役に立つような努力をしなかった事を
後悔した。ジャニスがオレに興味がある事は分かっていたからね。
彼女は普段オレ達が話しているよりも もっとオレに話したい事が
あったように見えた。だから振り返ってみるとオレ達はもっと
親しくなれたかも知れない。オレは今でも時々彼女の事を考えたり
彼女の友情を恋しく思う事があるよ。オレのジャニス・ジョップリンの
思い出は素晴らしい思い出だ」

West Palm Beachでのフェスティバルの次の週、ストーンズは
サンフランシスコ郊外のAltamont Speedwayでのフリーコンサートで
演奏した。そこで暴動が起こり死をもって決着がつけられた。そして
2年半前にカリフォルニアのモンタレーで始まった ピースフルな
ロックフェスティバルの流れは断ち切られた。この事件と群衆を
管理する事の困難さが 近い将来のロックフェスティバル終演の
発端となった。

426 :まっくん:04/03/14 20:53.net
ちょっと長いですが マークの回想 ジミ編

Chapter 10 Mark's Jimi Hendrix Experience
1969年の春 ベースをやめてリードギタリストに戻りパワートリオとして
プレイするというマークの決意は ジミ・ヘンドリックスのトリオでの
ギターの演奏スタイルが大きな要因である。その年の12月、GFRは
伝説的なニューヨークのFillmore Eastで演奏した。ショウが終わって
マークは彼の楽屋に向かった。彼は楽屋のドアを開けた時に見たものを
説明してくれた。「ジミ・ヘンドリックスがオレの楽屋にいたんだよ!
オレは自分が見ているものが信じられなかった。オレは圧倒された!
その場で凍りついてしまった。オレがようやく言えたのは「あのもしもし」
だった。ヒッピーの新参者が話すような間延びした口ぶりでね。
とにかく言葉を失ってしまった。オレがボーッとしているのに
彼が気づいていたかどうかは分からない。彼は明らかにハイになって
いたからね。彼に挨拶するために手を突きだしてオレは言った。
「あなたは素晴らしいギタリストだ」彼はまだ何も話していないのにね!
オレがこんな言葉を言ってしまった自分を責めるより先にジミが言った。
「そしてお前さんはたいしたシンガーだな」新人だったオレにとっては
この上ない激励だった。ジミが楽屋を出ていった後もずっと
彼の言葉がオレの耳に残っていた。

1970年7月17日、GFRはニューヨーク市郊外でのRandall's Island Pop Festivalでプレイした。予定されていた何組かのアーティスト達と
事なり GFRはプロモーターが契約書にあるギャラの全額を払わなかった
にも関わらず、彼らのファンを裏切らないためにそこで演奏した。
ジミ・ヘンドリックスもまたプログラムに名前があった。ジミは
バックステージでマークを見つけた。2人は握手をして他愛の無い
話を始めた。ジミは彼の楽屋にマークを誘ったが彼のアシスタントに
止められた。そのアシスタントはジミに 彼が会場に遅れてきて
はやくショウの準備をしなければならない事を思いださせた。
アシスタントはマークの肩からジミの手を取ると言った。「心配するな
ジミ。オレがコイツの面倒を見るよ。あんたは行って準備をしてくれ」
こうして2人は別れた。

427 :まっくん:04/03/14 20:55.net
アシスタントはマークを脇に連れて行くと小さな銀紙の包みを
マークの手に置いて言った。「コイツはJimi's blendだ」
マークが回想する。「オレは困惑した。彼が何を言っているのかも
分からなかった。あの頃は一日中マリファナをやっていてもオレは
平気だった。しかしハードドラッグをやるのは怖かった。とりわけ
オレは67年に徴兵逃れのためにそれを経験した後だった。しかし
この男がくれたのは何と言ってもJimi's blendだ。オレは試してみたい
気持ちになった。振り返るとオレの中には大物と同じ事がしたいという
気持ちがあったのかも知れない。オレの手の中にはスーパースターの
ドラッグがあるんだ。ジミはコイツをやっているからあんな風にギターを
弾けるんだろうと思った。オレはこの男が言ったのはスピードボール
か何かだと信じていた。(実際にはそれはコカインとヘロインの
組み合わせだった!)オレは男の部屋に行って ほんの僅かな量、
マッチ棒の先ぐらいの量を鼻から吸引した。ジミのショウが
始まりそうだったのでオレは急いでショウがよく見えるいい場所を
さがした。機材車の屋根の上だ。何が起こっているのか分かるより前に
オレは夢の世界にいた。そのマッチの先であっという間にオレの頭は
グルグル回りだした! それはメリーゴーランドに乗っているような
感じだった。オレは本当にジミの演奏に期待していた。ミュージシャンの
立場からオレはジミが心配になり始めた。「おい、彼はこんなヤツを
やったままプレイできるのか?」ジミはステージに立つと見事に
曲をプレイし始めた。オレは彼の体はいつもコイツをやっているに
違いないと想像していた。それがジミを見た最後になった。
次にオレが覚えているのは地面に横たわって見覚えの無い人々を
見上げていた事だった。オレ達のアシスタントのTom Deanと
Mike Swartzはオレの有り様に度肝を抜かれた。彼らによればオレは
青白くなって意識を失っていたらしい。彼らはオレをリムジンに乗せ
正気に戻すためにオレの部屋へ連れて帰ってくれた。

428 :まっくん:04/03/14 20:57.net
マークはその日、Jimi's blendを生き延びた。しかし2ヶ月後、24才の
ジミ・ヘンドリックスはそのように幸運ではなかった。1970年9月18日
イギリスのロンドンでジミ・ヘンドリックスの死が発表された。
薬物中毒による吐瀉物を喉に詰まらせたためである。ジャニスのように
ジミもロックフェスティバルシーンで聴衆に大変愛されていた。
Purp;le Haze, All Along The Watchtower, Flxy Lady, Hey Joe等の
録音における彼の独創的なフィードバックやディストーションは
マークを含む多くにギタリストに深く永続的な影響を残した。
「ジミとオレは友達というよりは顔見知りに近かった。ジミはオレを
気に入ってくれていてオレも彼が好きだった。そしてオレはジミの
ロックンロールに対する貢献をはっきりと認めていた。しかしオレ達は
団結する事はなかった。だからお互いを本当に知りあう事はなかったし
それ故彼の死はジャニスの死のようにオレを打ちのめす事はなかった。
Jim Morrisonに関して言えば、オレはソウルのある音楽以外は
聴こうとしなかったので The Doorsの音楽を聴くことはなかった。
Morrisonの死の場合、その影響でオレはより一層ハードドラッグに
反対するようになった。彼は音楽業界における長期の統計の
また別の値である。

ドラッグやアルコールを濫用したり常用したりする事は音楽の世界では
何も目新しい事ではない。Charlie Parker, Billie Holiday, Judy Garland
などがその先例だ。殊に60年代後期にはドラッグはオープンになり
風俗として容認されるようになった。不幸な事にドラッグによる死は
より多くなった。The WhoのKeith Moon, Led ZeppelinのJohn Bonhum,
The Beach BoysのDennis Wilson, そして王者その人であるElvis Presley
60年代中期の多くの人々にとっては ドラッグは精神世界を拡張する
実験や陶酔する為のものだった。その他の人々はよりハードなドラッグや
それを常用する事に身を落としていった。

429 :まっくん:04/03/14 20:59.net
ドラッグの服用は精神的な儀式を課するようなもので 多くの
ミュージシャンにとっては絆を深めるための方法でだった。それは
ミュージシャンの仕事のストレスを紛らす為の方法でもあった。
それはカウンターカルチャーやしばしば芸能界での会員証であり
流行であった。有名人である事はいつもちやほやされる事ではない。
世間と気楽に相対する為の方法のひとつがクスリを使う事だった。
芸能界で仕事をしている多くの人々は心の治療の為にそれをやった。
彼らはいくつかの理由から必死になってクスリを切望していた。
おそらくそれは 多くの愛や世話を受けられなかったり 早いうちに
両親を亡くしたりといった理由だろう。明らかに芸能人のほとんどは
観衆の前でのパフォーマンスにナチュラルハイを見い出すか、クスリに
手を出そうとしなかった。時々ハイな状態から戻るのが難しくなったり
ある時は短いショウが終わってだいぶ経っても本人はハイな状態を
持続しようとしたりする。だから彼らはささやかな"helper"を探している。
そして大抵は誰かが手助けの準備をしている。それはこの業界の
悪しき循環であり現在もある落とし穴だ。

こうした状況や厳しい結果となった出来事はマークにドラッグの
危険性を思い起こさせる。「10代の若者や子供達が過去のこうした
ロックヒーロー達を知って彼らのライフスタイルを読んだりしても
その創造性の理由を彼らが浪費したドラッグだと捉えないで欲しいと
オレは望むよ。ドラッグをやったからといって何か個性的なものを
創造できるわけではないからね。才能はすでにそこにあるものだ。
ドラッグは彼らに才能も能力も与えはしない。彼らはそれを失って
しまう。ドラッグがそれは失わせるのさ!多くの才能が我々の前から
失われてしまったのは悲劇だ。もしそうした人々が今も生きていたら
まだ我々の文化に寄与していることだろうね」

430 :まっくん:04/03/14 21:15.net
Chapter10 死とドラッグとロックンロール
どうにか完訳です
ドアーズに言及しているあたりは面白いですね
ジム・モリソンのくだりの最後の1節が
どうしてもニュアンスがつかめなかったので
どなたかご教示ください >>428中段です

He was anther statistic in the long line of statistics
in the music industry.


431 :まっくん:04/03/14 21:38.net
たびたびスミマセン 誤字です
もしよろしかったらどなたかお助けくださいませ

He was another statistic in the long line of statistics
in the music industry.

432 :ウエスト:04/03/23 22:10.net
最近動きが有りませんね。各々が思う各アルバムのベスト1投票でもやりませんか?
みなさん悩むと思いますよ〜。ではど〜ぞ!

433 :伝説の名無しさん:04/03/23 23:45.net
はぁーーーとヴレイカァーー

434 :伝説の名無しさん:04/03/23 23:56.net
[オン・タイム]・・[ハート・ブレーカー]・・〔裏)[キャント・ビー・トゥ・ロング]
[グランド・ファンク]・・[孤独の叫び]・・(裏)[ウインター・アンド・マイ・ソウル]
[クローサー・トウ・モーム]・・[アイム・ユア・キャプテン]・・(裏)[アイ・ドント・ハブ・トウ・シング・ザ・ブルース]
[グランド・ファンク・ライブ]・・[イン・トゥ・ザ・サン]・・〔裏〕[マーク・セイズ・オールライト]
[サバイバル]・・[フィーリン・オールライト]・・〔裏〕[自由が欲しい]
[戦争をやめよう]・・[戦争をやめよう]・・〔裏〕[ロンリネス]
[不死鳥]・・[ロックン・ロール・ソウル]・・〔裏〕[フライト・オブ・ザ・フェニックス]
[アメリカン・バンド]・・[アメリカン・バンド]・・〔裏〕[エイント・ガット・ノーバディ]
[シャイニン・オン]・・[シャイニン・オン]・・〔裏〕[プリーズ・ミー]
[世界の女はご用心]・・[サムカインド・オブ・ワンダフル]・・〔裏〕[ライフ]
[ボーン・トゥ・ダイ]・・[ボーン・トゥ・ダイ]・・〔裏〕[ミスター・ポリティシャン]
[熱い激突]・・[熱い想い]・・〔裏〕[パス・イット・アラウンド]


435 :伝説の名無しさん:04/03/25 15:20.net
ずいぶんアルバム出しましたね。
今考えるとたいしたものだと思います。

436 :伝説の名無しさん:04/04/16 13:00.net


437 :伝説の名無しさん:04/04/22 00:15.net


438 :伝説の名無しさん:04/04/22 00:15.net

70年代洋楽42曲!CD2枚組「セブンティーズ」−21日発売
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200404/gt2004042103.html
━━━━
disc1(19)アメリカン・バンド  グランド・ファンク  73

439 :伝説の名無しさん:04/05/17 16:00.net


440 :D−130:04/05/22 07:15.net
ファーストアルバムから順に聴いてみるとわかるけど、メルのベースはすごい!うねりまくりのリードベースと言っても良いくらいだ。
マークのギターがしょぼい部分を補っていると思う。なぜあまり評価されていないのか不思議だし、最近、この手の音を出すベーシストが皆無なのがさびしいかぎりです。

441 :名無しさん?:04/06/05 18:00.net


442 :伝説の名無しさん:04/06/16 03:19.net
なにげに凄いスレなのでage

443 :D-130:04/06/21 18:28.net
GFRのアルバムの中で、「ボーン・トウ・ダイ」のCDが今まで出されなかったのはなぜだろう。誰か知っている方は教えてください。

444 :伝説の名無しさん:04/06/21 19:19.net
「ボーン・"トウ"・ダイ」では仮面ライダーが許さなかったからじゃないかなぁ

445 :伝説の名無しさん:04/06/21 20:33.net
過去にホントに成功した外タレ
ボブサップとこいつら
これだけは譲れない

446 :伝説の名無しさん:04/07/08 14:17.net
後楽園age

447 :DonDonDon:04/07/27 17:13.net
マーク抜きのGFRでアルバムはリリース
されているんですか?
昔のFLINTみたいな?

448 :伝説の名無しさん:04/07/27 18:00.net
GFRスレ発見(・∀・)

俺も3rdまでのが好きだよ。
Sin's A Goodman's Brother最強

449 :伝説の名無しさん:04/08/03 17:29.net
個人的には「不死鳥」がなぜかフェバリットアルバムです。
音的にはいまいちですが。

450 :伝説の名無しさん:04/08/11 12:10.net
マークの身長を教えてください。

451 :伝説の名無しさん:04/08/16 14:46.net
age

452 :伝説の名無しさん:04/08/17 16:09.net
グランドファンクといえばジャケットにこだわりがありましたね。
一番好きなジャケットは不死鳥のジャケット。
意気込みともの悲しさのバランスが見事な味わいを醸し出していました。
後期の世界の女はご用心、驚異の暴走列車当たりはもう一つかな。

ところで熱い激突のCDはでてるんでしょうか?

453 :伝説の名無しさん:04/08/17 18:29.net
めっまっふぃーーーーおーーーーらーーーーーーーーーーーーぃーーーー
めっまっふぃーーーーおーーーーーーーおーーおーーおおおーおーーー
いえっすおーいえっすおーいえっすおーいえっすおーあああああーーーーーーー

454 :伝説の名無しさん:04/08/23 14:34.net
ドンが一番ふけたなぁ
マークはだいぶ後退したなぁ。頭が。

455 :伝説の名無しさん:04/08/24 16:46.net
昔はグランドファンクが好きだというとバカにされてました。
でも、そんなに下手?

456 :伝説の名無しさん:04/08/24 23:27.net
パンkよりはかなりうまい

457 :伝説の名無しさん:04/08/26 14:46.net
Walk Like a Man

458 :伝説の名無しさん:04/09/01 11:36.net
保守age

459 :伝説の名無しさん:04/09/04 15:04.net
70年代に帰りたい・・・

460 :伝説の名無しさん:04/09/07 16:56.net
DAT落ち阻止age

461 :伝説の名無しさん:04/09/08 13:07.net
GFRの情報求む

462 :伝説の名無しさん:04/09/09 11:06.net
情報っつてもなー。
いまは、マーク以外のメンバーが勝手にGFR名義の
ツアーやってるからマークと勝手にGFRのメンバーとの仲は
最悪らしい。
ビジネス上の連絡以外は交流もないらしい。

463 :伝説の名無しさん:04/09/09 11:39.net
元祖と本家の争いですな

464 :伝説の名無しさん:04/09/09 16:15.net
>462

マークもGFR名乗ってるんじゃ?

465 :伝説の名無しさん:04/09/10 11:01.net
GFRの再結成はもうないんでしょうかね?

466 :伝説の名無しさん:04/09/10 22:58:02.net
グランドファンクレイルロード登場! は名盤

467 :伝説の名無しさん:04/09/10 23:23:21.net
unun

468 :伝説の名無しさん:04/09/13 09:40:06.net
当時の国内盤はジャケットの裏側がライナーノーツだったのが懐かしい。

469 :伝説の名無しさん:04/09/14 15:30:25.net
GFR初期のメンバーのヘアはカツラだったって本当ですか?
ライブが口パクなのは知ってましたけど。

470 :伝説の名無しさん:04/09/14 17:14:38.net
おぉ!こんなスレがあったのか!
俺、ライブアルバムの「アーユーレディー」が大好きです。
いきなりあのテンションでライブが始まるなんて、実際に観てたらションベンちびるぐらい
感動すると思います。

471 :伝説の名無しさん:04/09/15 16:39:42.net
>470

禿しく同意!

472 :伝説の名無しさん:04/09/16 14:05:17.net
俺はLIVE ALBUMはジャケ買い。
なんかハードロックの本質を表してるかんじがする。
カッコーE

473 :伝説の名無しさん:04/09/17 08:17:07.net
昨日TVでマイケル・ムーアのドキュメンタリーやってたね
フリントの町もだいぶ荒廃してしまったらしい・・・・
一応ageとこ

474 :伝説の名無しさん:04/09/18 16:57:04.net
漏れは当時GFRとTレックスが命でした。

475 :伝説の名無しさん:04/09/21 21:08:01.net
age

476 :伝説の名無しさん:04/09/22 03:38:35.net
>>470
外道の1stもちょっとだけちかいもんがあるYO

477 :伝説の名無しさん:04/09/22 03:46:56.net
グラムロックとかベルベッツ周辺のが好きだった俺にとっても
グランドファンクは別格でした。

478 :伝説の名無しさん:04/09/23 07:28:02.net
やっぱロックて「勢い」だよねぇ
GFRとかCCRとかって確かに古臭い&野暮芋くさいイメージあるけどw
シンプルなだけにいつまでも劣化しない破壊力があると思う罠
70年代末〜80年代のPUNK/NEW WAVEって今きくと
大体薄くてペナペナなんだよね
(そうじゃないのもあるけどさ)

479 :伝説の名無しさん:04/09/23 10:46:35.net
伝説板へのID導入を考えよう
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/legend/1095900011/

480 :伝説の名無しさん:04/09/25 19:00:04.net
>70年代末〜80年代のPUNK/NEW WAVEって今きくと
大体薄くてペナペナなんだよね

同意。特に打ち込み系は陳腐化が激しすぎる。

481 :名無しさん?:04/10/16 17:00:18.net


482 :伝説の名無しさん:04/11/03 17:44:07.net
大好きです。


483 :四八九:04/11/07 11:44:55.net
マネージャーでプロデューサーのテリー・ナイトが亡くなったそうで。 61歳。
刺殺されたんですって。 自分の娘を、娘のボーイフレンドから守ろうとして。
ソースは、www.rollingstone.comで。NEWS・・・IN BRIEF


484 :加護は考えた。:04/11/09 23:59:59.net
なんてこった。葬式でみんなあつまるのか。

  〜
  |

485 :名無しさん?:04/12/16 01:00:00.net


486 :伝説の名無しさん:04/12/26 06:04:57.net
ザッパのプロデュース盤って国内復刻まだ?

487 :伝説の名無しさん:05/01/10 23:01:22.net
まだです

488 :名無しさん?:05/02/05 18:00:00 .net


489 :名無しさん?:05/03/17 12:00:00 .net


490 :伝説の名無しさん:2005/04/11(月) 06:02:42 .net
なにそれ!?

491 :名無しさん?:2005/05/28(土) 10:00:00 .net
what's funk?

492 :伝説の名無しさん:2005/05/29(日) 13:43:39 .net
A Ha?

493 :伝説の名無しさん:2005/06/09(木) 21:45:58 .net
GFR

494 :伝説の名無しさん:2005/06/11(土) 13:23:15 .net
1976年8月発売
曲目
ジャストクジュントウェイト、キャンユードゥイット、パスイットアラウンド、ドントレットエムテイクユアガン、ミスミーベイビー、ビッグバンズ、アウトトゥーゲットユー、クロスファー、1976、リリースユアラヴ、ゴーインフォーザパスター、*ラバーネック

プロデュース              :フランク・ザッパ
ボーカル、ギター、ピアノ        :マーク・ファーナー
ベース、バックボーカル         :メル・サッチャー
ボーカル、ドラムス           :ドン・ブリューワー
キーボード、バックボーカル       :クレイグ・フロスト
ギター、バックボーカル         :フランク・ザッパ
*CD盤ボーナストラック

495 :伝説の名無しさん:2005/07/03(日) 21:59:49 .net
age

496 :伝説の名無しさん:2005/07/04(月) 04:29:27 .net
昔はゼッペリンやパープルの下と見られてたけど、
今はどっちも聴かないがGFRは聴く。


497 :伝説の名無しさん:2005/07/04(月) 21:54:52 .net
パンクを通過した今GFRは聴けるけど…ry

498 :名無しさん?:2005/07/26(火) 00:00:00 .net

We're An American Band
ttp://gazo05.chbox.jp/gb.php?gbid=old-movie&res=38377

499 :伝説の名無しさん:2005/09/03(土) 15:55:11 .net
age

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