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1992年の洋楽を語ろう

131 :名盤さん:2018/08/22(水) 20:47:39.83 ID:/DHTuqmt.net
私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって
論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ
信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずる
ことで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって
証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、
思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられ
るのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるで
ありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真
でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。
まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、
神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、
これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、
持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性
によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について
我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易である
ことが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かで
ありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得る
ほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります

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