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RADIOHEAD 2+2=209

6 :名盤さん:2020/05/20(水) 21:01:17.81 ID:EYf/1JHs.net
RADIOHEAD  『In Rainbows』(CDR)
マガジンの曲のフレーズを借りて変形させた2曲目。この安易な楽曲がこのバンドの本質を象徴している。いい曲が書けないバンドなのだ。

好みではないが「creep」には芯となるメロディ=歌があった。以降、作曲能力の限界と共に音響に走るというスタイルを貫いているのがこのバンドの姿なのだと思う。
『In Rainbows』は以前のエレクトロニカ路線から一見、‘歌’へ回帰したような曲が並ぶが、核となるメロディがない。一つ一つのフレーズやリズムパターンに瞬間的に引き寄せられる緊張感がないわけではないが、それも極めて稀少。
音色の変化による劇的な場面転換も原曲の平坦さを補うに至らず、精神の暗部を振り絞るような様相を見せるボーカルや、大仰なストリングスアレンジも<核なきメロディ>を過剰に装飾する技法のような感触がある。
楽曲の様式より多分に'内面重視'派と自覚する私でも許容範囲を超えた<わざとらしさ>がある。いい歌は全くない。音響操作という過剰な‘アレンジ’があるだけ。絶望感や深刻度がもはや足らないのか。それが命のバンドだ。

問題意識の深化がアーティストの原形をつくり、技巧をものともしない表現の爆発性を生む事がロックではよくあり、そこにそこロックの醍醐味はあった。音楽至上主義はロックを希薄にさせる。むしろロックとは精神と同義であり、
もはや音楽の範疇で捉えることができない事が永いロックへのシンパシーの要因である事は間違いない。
しかし同時に音楽性の昇華の中には内面性というコンセプトは不要と実感させるものが多くあるのも事実。楽曲そのものの中に多弁な思惟や哲学、感情、問題意識が内包されたもの。アーティストが語らずとも音の中で表現し得る‘精神’こそに、
よりリアリティを感じる事が多い。そんな時、翻ってロックアーティスト特有の多弁は胡散臭く感じられるものだ。

ポストプロダクションとはある意味、創意の溶解と表裏一体なのだ。それが時代と言えばそれまでだが、確実にミュージシャンを弱体化させ、アーティスト気質の過剰評価を生んだ。プロデューサー、ナイジェルゴッドリッチは
レディオヘッドの本質=限界を理解した上でサウンド構築を施しているのだろう。

(続く)

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