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【YMO】高橋幸宏・総合スレpart38【In Phase】

119 :NO MUSIC NO NAME:2014/10/12(日) 12:51:15.94 ID:HFpn5Z9H0.net
1981年3月。高橋幸宏はソロアルバム「ニウロマンティック」のレコーディングのためロンドンに渡っていた。
その合間にスティーヴ・ストレンジが経営していたクラブでは「デヴィッド・ボウイ・ナイト」が開催されていて、
そこに高橋が立ち寄った際、現地で暮らしていたハービー・山口と偶然に出会い、
彼がルームシェアしていたボーイ・ジョージとの運命的な出会いを果たした。
当時DJをやりながらバウ・ワウ・ワウにも在籍していたボーイ・ジョージは、
高橋のそのオリエンタルな風貌とミュージシャンとしてのキャリアに圧倒され、すぐに意気投合した。
その後すぐにボーイ・ジョージはバウ・ワウ・ワウを脱退。
高橋も帰国後にプロデュースしていたスーザンのアルバムを発表した直後、
在籍していたイエロー・マジック・オーケストラをその人気の頂点で電撃脱退した。
イエロー・マジック・オーケストラは屋台骨であった高橋を欠いたことで空中分解し、
アルバム「いわゆるテクノデリック」の未完の録音を残して1981年11月に解散消滅した。
9月に再び渡英した高橋はスティーヴ・ストレンジの仲介で現地のミュージシャン達と夜な夜なセッションを繰り返し、
現在でも語り継がれる、数々の伝説的なレコーディングをこなしていた。
一方でボーイ・ジョージは1981年秋にカルチャー・クラブを結成したが、彼はドラマーで恋人でもあったジョン・モスと破局。
すぐに高橋に白羽の矢を立てて新ドラマーとして迎えた。高橋はロンドンに定住した。
カルチャー・クラブは1982年に入るとヴァージン・レコードと契約し、シングル「イエロー・ボーイ」でメジャーデビューを果たした。
その後ミュージック・ビデオを駆使したプロモーションで一躍世界のスターダムにのし上がったことは言うまでもない。

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