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◆◆キルケゴール、キリスト教と実存主義◆◆

56 :ちゅん太郎:2017/12/14(木) 21:45:26.75 0.net
また自我も生じた。前近代までは曖昧に生きており選択することが極めて限定されて
おり、例えば鍛冶屋の息子は鍛冶屋に、靴屋の息子は靴屋になった。この様に主体的
自己はほぼ無かったが近代に入ると、社会の流動性が活発になり自ら選択する必要性が
産まれここでの選択する際に準拠するものが自我であり、私自身という人格的主体性
が生じたのである。

未決状態で曖昧に捉えられるものが事(こと)、志向意識で明確に頭の中で判断
されるのが物(もの)であるとするなら、意識を志向し事を対象化することは、事
からの刺激と受容者の感性を通じて記号としての対象を産出する。そして事としての
自己自身に意識を志向し対象化することもまた、自己自身という事からの刺激と
受容者の感性を通じて近代的自我という言語としての対象を産出する。そして
この様な自我が時間の中で同一性を維持できていると判断される根拠は、差延の効果
が反映しているからである。こうして現在において人は自己同一性を担保する。
しかし現実には自己自身の同一性など存在せず擬制によって成立しているだけで
あり、事としての自己同一性は単なる差延にすぎない。自己は実在しない。近代的
自我がこの様なものであるからには、キルケゴールが準拠しようとした思想も、
流行思想に過ぎないということが出来る。

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