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ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義4
- 1 :考える名無しさん:2019/11/20(水) 23:06:19 ID:0.net
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- 359 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:45:43 ID:0.net
- ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。
“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”
― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
- 360 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:46:38 ID:0.net
- 次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)
“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
- 361 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:47:08 ID:0.net
- >>359
その際に、デリダやレヴィナスに特徴的な「痕跡」がないのは、文明論的な違い(どういう違いか?)。
“〔万物を生成する道は〕現われ来たってもその跡を見せず、過ぎ去ってのちはゆくえも知らない。”
“其來無迹。其往無崖。(知北遊篇第二十二 5)”
― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
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