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意識のハードプロブレムの答え4

1 :時計 :2020/06/13(土) 09:09:59.86 0.net
1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の意識は存在しない。
私は独りである。

意識のハードプロブレムの答え3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/

516 :でこすけ:2020/07/13(月) 05:43:27.42 0.net
>>506
そうこられるとドキッとします。
じつは近頃わたしの認識と世間の認識にギャップを感じていたからです。

そこでいろいろ考えるわけですが、結論的なものからいってみることにしました。
「物質と精神とのあいだの相互作用に関わる問題」のことです。

私のイメージとしては、物質と精神とは互いに還元することのできない
まったく異なる実体として存在していて、
そしてそれらは互いに作用しあえる気もしないものです。
にも関わらず認識レベルではそうは見えないということがあって、
つまりその矛盾をハードプロブレムとして私は理解しています。

517 :でこすけ:2020/07/13(月) 06:01:26.78 0.net
>>516の解説その1
個人的な認識についてなので解説も自分語りになります、恐縮です。

私も哲学に関心を持つ多くの人たちと同様に、
若いうちから人から教わったわけでもなく唯我論や逆転スペクトルや
近代的ニヒリズムなどを漠然とイメージしていました。
そしてある日自分以外の人(しかも哲学の大御所)が似たようなことを
本に書いたりしていることを知ります。
私としては意識のハードプロブレムもそのひとつです。

ただ、私の場合ことさら哲学に関心があったわけでもなかったうえ
若い頃はむしろ違う分野に関心があったためそちらが中心になっていて
たとえば原著は今でもほとんど読んでいませんし、
そもそもディテールを詰める気もあまりありません。
そんなわけでチャーマーズ氏の著作も読んではいないわけですけど、
それでもいろいろな噂は聞きます、確か彼の言葉で
「真面目に考えたことがある人なら気付く脳と心との断絶」
みたいな表現があったと思いますが、
私としてはこれは多分私が感じたあの断絶のことであろうと勝手に推測したわけです。
故に私の認識は世間一般とは微妙にズレているのかもしれません、すいません。

察するに「ハードプロブレム」は「イージープロブレム」と対になっていて、
つまり本来は「脳」と「心」との問題なんでしょうけど、
私が>>516で「物質」および「精神」としているのは
むしろデカルトを意識しているためです。
私としては昨今の脳科学事情よりも、デカルトの二元論の方が釈然としなかった
ということがあったのでした。

ちなみにデカルトもちゃんとは読んでいません、
重ね重ねすいません。

518 :でこすけ:2020/07/13(月) 06:02:28.36 0.net
>>516の解説その2
さて、私がイメージする「物質と精神との断絶」についてです。

私のとりあえずの印象として、脳は空間的に広がりをもって存在しています。
その中で心はどのようにして存在しているのか、
「物質」と「精神」と言っておきながら「脳」と「心」を例にとります。

私のかんじでは心は脳の中で広がりをもって存在しているように思えません。
広がりがあるとすればその断面はどうなっているのか、
その中では映像はともかく音や味や匂いはどうなっているのか、
なんだか変な気がします。
かといってまったく広がりがないというのも変なかんじです。
数学的な点の中にすべてが詰まっている気がしません。
そこで察するに、心はどこにも無いということないはずですから
とりあえず物理空間には無いということではなかろうか、
つまり物質と精神とはいわば別世界に存在しているということではなかろうか、
よく考えてみると随分勝手な空想ですが、
いずれにしてもそれらが互いに影響を及ぼし合うことは相当困難
という印象は否めません。
つまりハードプロブレムです。

この感覚には個人差があるようだということを最近になって知りましたが、
とにかく私の場合はそのように感じた、というおはなしです。
ご参考にしていただけましたら、
また不明な点につきましては率直にご質問いただければと存じます。

519 :時計 :2020/07/13(月) 06:42:56.16 0.net
>>516-518
御丁寧な回答、ありがとうございます。
精神と物質の断絶ですか。
私の考えでは、物質から精神を導くことは不可能ですが、
精神から物質を導くことはある意味では可能です。
それは確かな存在としてですが。
そこに唯心論や唯我論の優位性があると思います。

520 :考える名無しさん:2020/07/13(月) 07:41:33.22 0.net
ドーピングは、身体に及ぼす効果ばかりが注目されるが、苦痛を抑制したり、
緩和したりすることにおいて意識に作用している。意識と身体を二分する
ような捉え方ではなく、「心身」における作用として捉え直すことが有効
かもしれない。さらに、苦痛の緩和や筋力発達の強化という限られた視点
からではなく、植物に肥料を与えること効果も含め、より広い生命現象の
脈絡で考えてみることも必要だろう。

521 :考える名無しさん:2020/07/13(月) 08:13:51 ID:0.net
どっこいしょ

522 :でこすけ:2020/07/14(火) 00:17:57 ID:0.net
>>519
「確かな存在としての物質を導くことができる唯心論」というのは
ぱっと見斬新ですね。
私としては、物質は客観的に存在している必要はなく、
常に確実に対象を認識できるシステムさえあれば
それは事実上存在するのと同じことだ、という立場です。

先日私は私たちが体験している世界について、
これはオンラインゲームのような
みんなで同時にひとつのプログラムへアクセスしているようなものではなく、
それぞれが別々に自分のパソコンの中だけで完結しているものだ、
というかんじの話を投稿しましたが、
その背景にはにわか仕込みの「自立分散型」なるものがありました。
何を思ったか近頃ブロックチェーンなるものについてチェックを入れまして、
その流れで出てきた概念です。
ブロックチェーンが採用する自立分散型という方式は
データがひとつしかないよりも、複数あるほうがその改ざんをしづらくなる、
つまりデータの信用性を高めることができるというのです。
もちろんこの世界がそのような構造をもっているのかどうかはまた別のはなしですが、
個人的には耳より情報だったので早速飛びついてみたというわけでした。

ところで「確かな存在としての物質を導くことができる唯我論」について
何か解説がありましたらと存じます。
これは時計さんが時折繰り返してきたところの「実在」に関連するのだろうと察しますが、
唯我論的にはどのようなメカニズムで同じ体験を繰り返すことが可能なのか、
何かお考えがありましたら、というところです。
とにかく私としてはそういった「構造」に関心があるのです。

523 :でこすけ:2020/07/14(火) 00:50:59 ID:0.net
>>515
どこに間違いがあるのか具体的にご指摘いただければと存じます。
私の実感としては、じつは私の主張に対する反論をほとんど見受けないので
むしろ戸惑っているというのが率直なところなのです。

524 :時計 :2020/07/14(火) 03:31:14.69 0.net
>>522
唯我論的世界においても、秩序=構造は存在すると思います。
例えば、毎日太陽は昇るということはそれです。
それは繰り返しの経験によって確立された存在です。
そのようなものを私は実在と呼びます。
実在には直接的=経験的なものと間接的=伝聞的なものとがあると思います。
例えば太陽が昇ることは多くの人にとって直接的だと思いますが、
ブラックホールの存在することは多くの人にとっては間接的だと思います。
間接的実在には大抵裏に専門家がいてそれを確証しているように思います。

525 :考える名無しさん:2020/07/14(火) 03:50:34.59 0.net
>さて、私がイメージする「物質と精神との断絶」についてです。
ちげーよ、

おまえが妄想するが正解、

526 :考える名無しさん:2020/07/14(火) 18:37:59.23 0.net
直観力のかけらもないやつらばかり

527 :人工意識 :2020/07/14(火) 22:38:29.16 0.net
意識とは、あるいは魂とは、量子状態である。
なぜかというと、それは人工意識のミニマムな世界を構築するとき、
量子状態しか考えていないからだ。
この考えが、早期に破綻するか、といえば、なかなか壊れない。
壊れるようであれば、その結果を元にしてさらに大きなモデルを考えるつもり、だった。

なぜ、破綻してくれないのか、と考えた。
量子状態とは重ね合わせの状態であり、その解像度は不明(プランク単位だろうね)ながら、
ほぼ無限の記憶を持つことができる。
(無限といっても古典的ビットだがね)

量子ビットは(ほぼ)無限の記憶ではあるが、観測してしまうと1ビットの情報しか得られない。
クローンもつくれない。

弱測定すれば少しだけ壊れる。なら、測定した結果を戻してやれば良い。
ターゲットとなる(一部の)古典的情報だけをとりだして、それを戻す。
この過程を「意識」と考えてみる。
これは、いわば、量子的DRAMである。
古典的DRAMは記憶を読み出しては書き戻す(リフレッシュ)ことで記憶を維持しているのだ。

もしかすると、そもそもの量子ビットも、常にリフレッシュしているのかもしれない。
これは自己同一性を保つということでもある。
極限状態における自発的量子オートマトン。
人工なので、そのような状況はつくれるが、
この宇宙がそのような状況となるためにはなにが必要か。
0次元球面があればよい。
これが「無」からうみだされればよい。

528 :でこすけ:2020/07/15(水) 02:45:37 ID:0.net
>>505
ところで率直な質問です。
このスレッド的に残っている課題とは何でしょう?
さすがに煮詰まったという気がするのですが。。

もちろん鍋奉行を仰せつかった私の責任です、その意味で申し訳ありません、、

529 :考える名無しさん:2020/07/15(水) 03:02:04 ID:0.net
>>528
>さすがに煮詰まったという気がするのですが。。
いあ、煮詰まっている気がする程度ではどうにもならない。
何が原因でまで気がつけないなら無理難題だ。

530 :でこすけ:2020/07/15(水) 03:17:52 ID:0.net
>>525
さかのぼれば因果関係というのは厄介な問題だと思います。
ヒュームがどうしたとか、ライプニッツも困った挙げ句に予定調和とか、
素粒子物理学でも素粒子の交換が何故引力や斥力になるのかはわからないとか、もともと相互作用というのは不可解なことのような気がします。

525さんには物質と精神とが相互作用するメカニズムについて
何かお考えがあるように見受けるのですが、いかがでしょうか?
気がつけば意識のハードプロブレムの答えそのものですけど。

531 :でこすけ:2020/07/15(水) 03:29:51 ID:0.net
>>529
私が原因です。

532 :時計 :2020/07/15(水) 05:11:58.94 0.net
>>528
うーむ、煮詰まって来ているのかな。
「意識」の問題。「私」の問題。「実在」の問題。

>>530
「因果」の問題も難しそうですね。
時間的に近接している因果と、離れている因果がありそうです。

533 :考える名無しさん:2020/07/15(水) 05:38:13 ID:0.net
本質を見ろ。それは見えるものではない。

534 :274:2020/07/15(水) 07:45:34 ID:0.net
>>522>>524
構造について

現実は人間の思い通り予想通りにならないことが無数にある事実がある以上、
少なくとも人間意識の一部でない何かが存在するという結論に至るのは自然と感じます。
そうした存在する何かの一つとして、「構造」はまさにその通りだと思います。

535 :考える名無しさん:2020/07/15(水) 14:42:53 ID:0.net
左脳と右脳にどうして分けたんだろうなあ
右脳は全体性、イデア寄り、
左脳は分別性、目の前のものを見る現象寄り、
その両方を合わせたものが目の前に現れてるのかな
理系の人は理知的で分別的なのだけど、
反対に理系の人から感じる違和感はその辺にある気が

536 :考える名無しさん:2020/07/15(水) 19:09:19.97 0.net
探求の基本な術すら習得していないことすら気がついていない

537 :でこすけ:2020/07/16(木) 04:05:57.14 0.net
>>532
「意識のハードプロブレム」自体については
世間一般に解決していないでしょうからまだまだですし、
私としてもしゃべりたらないくらいですが(大半は弁解ですけど)、
しかしこのスレッド的にはこれ以上議論が発展しない気もします。
そうは言ってもいろいろな状況の中でこのスレッドもあるわけですので。

ところでそのラインナップの中で私が個人的に「ほっ?」と思うのは、
「『私』の問題」です。
「『私』の問題」とはどのような問題でしょう?
たとえば「意識のハードプロブレム」とどのようにかかわるのでしょう?

それにしてもこのスレで議論が発展しにくいのは
私が絡みにくいキャラだからのような気がします。
申し訳ない限りです。

538 :でこすけ:2020/07/16(木) 04:27:21.53 0.net
>>534
このところ私は時計さんといくつか「構造」に関する意見を交換したわけですが
私が噛み合っていない気がしたのは
(時計さんの方でどうお感じになったのかはもちろんわかりませんけど)、
私が「構造」を客観的に考えようとするのに対し、
時計さんは主観的にとらえようとされるからではないかと考えています。
どうやら時計さんは骨の髄まで主観主義のようです。

かといって「客観的構造」なるものもまたひとつの公理系として
ゲーデル的な(?)限界をもつはずです。
じつは私としては骨髄移植を考えているところです。
どうやら大金を払う必要があるようですけど。

539 :でこすけ:2020/07/16(木) 04:51:58.22 0.net
>>535
私がこのレスからぱっと思い出したのは、
私たち(?)の感覚のスケールについてです。
私の視覚にはパソコンや人間や街や自然が映っています。
しかしたとえば私は数十年前には一個の受精卵だったわけですが、
もしそのとき視覚があったとすれば
じつはよその細胞を見れた気がします。
あるいは地球が生命体だとすればひとりひとりの人間は見えないのでしょう。
この世界の中で私たちがこのスケール感であるということには
なんらかの構造がある気がします。

ちなみにそれらのナゾについて
私としては仮に答えが出せないとしても
答えの出し方はわかりそうな気がします
(たとえば地球上の葉っぱの数は答えは出せなくても出し方はわかる)。
気のせいかもしれませんけど。

540 :でこすけ:2020/07/16(木) 05:00:00.32 0.net
>>536
そうは言っても近代的な「知」のあり方だけがすべてではないのだろうと、
なにしろ「知」はそれ自体が本当の目的ではないわけですから。
しかしこれははっきり言って時計さんの影響が大きいです!

541 :考える名無しさん:2020/07/16(木) 07:24:36 ID:0.net
知能の本質?
そんなもの役に立たない、
必要なのは思考の本質だ。

知能を合理化しても思考は生まれない、いや逆に思考は否定される、
単純化すること、簡単にすること、扱いやすくすること、そこに無駄は
必要ないからだ。

必要なことは技術の知的再現であり、未知の技術を探求することではない、
この条件からは未知は否定され思考は否定される。
想像、妄想、幻想すること、それは原理と技術として正しいのか?
だからこそ結果は見えてくる。
どこに原理を求めているのか、何が本質なのか考えたまえ、でなければ
おわりなき知的ループが待っているだけだ。

542 :学術:2020/07/16(木) 07:55:08 ID:0.net
私ってあとから考えてるんじゃないの。つまり主観も。その前。

543 :学術:2020/07/16(木) 07:58:01 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=x-8o8K9jZuE

544 :学術:2020/07/16(木) 08:12:57 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=yo-OfQ3VQWw

545 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/16(木) 08:14:50 ID:0.net
>>537
「私」の問題は、意識のハードプロブレムと似ていますが、
「私」は自然科学的に記述可能かという問題です。
しかし、問題の定義自体が人それぞれかもしれません。

>>538
私は、構造を主観的に考えているというより、
客観はある種の主観であると考えています。つまり、「客観→主観」です。

546 :学術:2020/07/16(木) 08:18:35 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=phaJXp_zMYM
https://www.youtube.com/watch?v=ol0Y1rlMoto
https://www.youtube.com/watch?v=0e3KfnXsdtk

骨髄移植かはいコレ。

547 :考える名無しさん:2020/07/16(木) 08:26:24 ID:0.net
>>541
それを幼少期に体感し後生大事に用いられるか、成長期に周囲に感化され新しい単語や形だけの技術をパズル的に組み合わせた似非技術で理論武装するかで本質を見抜く意識というものは違ったものとなるだろうな。

548 :学術:2020/07/16(木) 08:37:45 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=C3xHEHt0XvU

たまにはいいことしなさい。

549 :学術:2020/07/16(木) 08:41:46 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=vdkmhquF60o

550 :学術:2020/07/16(木) 08:42:34 ID:0.net
はやいリズムで生きるのじゃよ。

551 :考える名無しさん:2020/07/16(木) 09:43:42.75 0.net
似非技術で理論武装て
似非理論では?

552 :考える名無しさん:2020/07/16(木) 12:36:53.39 0.net
そこのところはどうでもいいが、やっぱり本質からずれてるなw

553 :人工意識 :2020/07/16(木) 20:24:10.62 0.net
人工1量子ビットマナカナ。
seed=[[a],[b]]を制御ビット、|0>をtargetとしてCNOTゲートにぶち込むと、
mana=[[a],[-b]]
kana=[[a],[-b]]
が得られる。
kanaの位相が不明だったが、緻密に計算した結果では、manaと全く同じになった。

manaが、他者の意識を取り込もうとしても、観測したものでなければならないので、
他者の意識は交わらない。
もし、(共生的に)他者の意識をまるごと取り込むであれば、それはもやは他者ではない。
ところが、意識の中に別の意識があることになる。
おもしろい。
ミトコンドリアは他者由来の意識を持っているかもしれないw

554 :考える名無しさん:2020/07/16(木) 23:28:46.65 0.net
典型的な妄想の原理

555 :でこすけ:2020/07/17(金) 03:13:54 ID:0.net
>>541
「本質」について、はっきり言ってしまえば「シアワセ」だと思います、
さすがにほっぺが赤くなります。
生命のみならず物質もたぶんシアワセになるために進化するのでしょう
(物質のシアワセというのは原始的なものという妄想です)。

ただし進化した結果本当にシアワセになれたかどうかはまた別です。
たとえばたくさんモノを覚えたり考えたりすればシアワセになれるとは限りません。
アメリカ大陸の先住民に「狂った人間だけが考える」ということわざがあるそうですが、
あながちハズレていなさそうなところが哲学者的にコワいところです。

もはや人類は知恵をつけることによってしかシアワセにはなれない気がします。
つまらない悩みはたいてい知ることによって解消されたりもするからです。
しかしそのような生物はあっという間に滅びる気もします。

さすがにほっぺが赤くなります。

556 :考える名無しさん:2020/07/17(金) 03:16:17 ID:0.net
彼の本質は「ほっぺが赤くなります。」

答えはでた。さあ受け入れたまえ「完全解である」

557 :でこすけ:2020/07/17(金) 04:20:06.18 0.net
>>545
私(でこすけ)としては、「私」の定義によって
それが自然科学で分析可能なのか否かが決まる気がします。

ただ、私としては「科学」なるものの定義が気になります。
たとえば一般には「数学」も自然科学に含まれるようですが、
私の感性では釈然としません。
論理学が哲学なら数学も哲学のような気がします、
ていうか、数学は無条件に哲学というのが私のかんじです。
(どうでもいいはなしですけど)

何が言いたいかというと、ひとつの探求に対して
それを世間が科学的と言ったり哲学的と言ったり宗教的と言ったりすることに
本質的な意味はなさそうだ、ということです。
他人が何と言おうと我道を参りましょう(せめてここだけは)ということです。
どうせ運が悪くても死ぬだけのことですから。

https://m.youtube.com/watch?v=YBpMzC1oP4I

ところで折角なのでお伺いしたいのですが、
時計さんがお考えになる「私」の定義とはいかなるものでしょう。
甚だ無責任な質問で恐縮です。

558 :でこすけ:2020/07/17(金) 04:49:56.05 0.net
>>556
なるほど確かに完全解ですね。

て、何がですか?

と申しますか、どなたでしたでしょうか?
私にも何人かの心当たりがございますので。

559 :学術:2020/07/17(金) 08:12:19 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=3hOZaTGnHU4
https://www.youtube.com/watch?v=58WD6eO11R4

560 :学術:2020/07/17(金) 08:35:20 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=88BPk903jUQ
https://www.youtube.com/watch?v=6nXdbB_tvNk
これは学歴にも関係あるやつだな。付属校いかなくなって遊んでた後また大学大学バスケに復帰したときの。

561 :学術:2020/07/17(金) 08:39:54 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=7Xue-dOOLiY
https://www.youtube.com/watch?v=ySZMHcwh_c0
大学卒業前後。

562 :学術:2020/07/17(金) 08:42:07 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=ySZMHcwh_c0
転落事故で負傷したときの。タリバーン全盛の時代だったな。学生戦争。

563 :学術:2020/07/17(金) 08:44:33 ID:0.net
ベイビーバッシュの様に槍をひさいでつむいでるのもなかなか。

564 :学術:2020/07/17(金) 08:46:10 ID:0.net
それなりに彼は高い紋だよ。

565 :考える名無しさん:2020/07/17(金) 11:34:28 ID:0.net
>>558
何人じゃなくて彼は1人だろ?

566 :時計 :2020/07/17(金) 17:50:12.71 0.net
>>557
私の定義は、「あらゆる主観的行為の主体者」でしょうか。
難しいですね。

数学は科学であるかも難しいですね……
留保したい問題です。とりあえず数学と呼んでおけば安全ですね。

567 :考える名無しさん:2020/07/17(金) 20:02:59.81 0.net
私は意識の集合体

568 :でこすけ:2020/07/18(土) 03:37:22 ID:0.net
>>565
(自作自演説もささやかれているようなので)

569 :でこすけ:2020/07/18(土) 05:07:19.80 0.net
>>566
おそれいります。
じつは私はアマノジャクなので
とりあえず「私」を科学的に分析するやりくちを模索します。
もちろんわかりません。

しかし昔ノーベル賞を取った日本人が
「科学で最も重要なものはコンセプトだ」
みたいなことを言っていましたから
ひょっとしたら何かやりようがある気もするのです。
まして量子力学のような研究対象の実像が曖昧なものであっても
結構な信用を獲得できる学問があることを思えば
あるいは、と思ったりもするわけです。
私は才能がれば相当な自由が効くと信じています。
確かMポランニーも人格が参加しない科学はあり得ない
みたいなことを言っていた気がします。

ただ、自然の一部としての「私」は自然科学で、
社会の一部としての「私」は社会科学でというようなことがあったとしても
それですべてフォローできる気もしません。
そしておそらく時計さんの関心はその部分にあるのだろうと察するわけです。
そこで鍵になる気がするのが「主観的行為」だと思うのですが、
時計さんとしては具体的にはどのようなものをイメージされているのでしょうか?
ややこしいことは承知の上の狼藉です。

文学もまた大自然の一部と言ってしまったらミもフタもありませんが、
とにかく私はマムシのようにしつこいのです、すいません。

570 :でこすけ:2020/07/18(土) 05:30:21.76 0.net
>>567
言葉遊びのようで恐縮ですが、
「私の体」と表現すると「体」は私の外部にある気がするものです。
実際ひょっとすると脳も含めて交換可能(実際代謝してますが)です。
つまり「私」は意識も含めたときどこまで交換が可能になるのか、
なんとなくながらも交換できる部分は「私」の本質に関わらない気がするわけですが、
かといってその部分を取り除いていって最後に何かが残る気もしません
(この印象には個人差があるようですけど)。
すなわち「私」というのはマボロシ、
そういう解釈もあるかもしれないというおはなしです。

ハタと自分の立場を思い出したもので、、、

571 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 07:47:52.13 0.net
>>570
私の定義もできないのに屁理屈おおすぎるぞ、
食べた食べものは私か?
移植した腎臓は私か?
人工義足は私か?
私が住んでいる家は私か?

あたまがゆるいのでは?

572 :人工意識 :2020/07/18(土) 10:18:58.97 0.net
「わたし」との間に(量子)もつれがあれば、それは「わたし」である。
そう考えてみる。

愛用品などにもある程度のもつれがついていると思われるが、
それは消える/離れることもある。
外部からの射によってあらわれるもつれ。
(これを他己同一性とでも呼ぼう。外部から与えられる自己同一性である)
図書館にいって湯川秀樹の素領域理論関係の本を借りてこなくては。
治部・保江アプローチ(量子脳)との関連性がありそうだ。

573 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 12:39:14 ID:0.net
私というのは認識されるものであるため最低限、脳とセンサとエネルギーと配線が必要だ

574 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 12:40:05 ID:0.net
無限大の価値のレスをしてしまった。

575 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 12:55:45 ID:0.net
私が神じゃよ、

576 :時計 :2020/07/18(土) 14:24:53.81 0.net
>>569
「主観的行為」とは「(主観的な)自由意志による行為」のことだと考えています。
これだとあんまり変わらないかもしれませんが。
しかし、難しいですね。

577 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/18(土) 17:14:59 ID:0.net
>>576
しかし、自由意志とは限らないか。
「私は悲しい」は自由意志によるものでは無さそう。

578 :学術:2020/07/18(土) 17:16:49 ID:0.net
私というのは他者の存在があるように自分もあると想定しただけのうそっぽい仮構で重要性はない。

579 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 17:47:14 ID:0.net
私はリファレンス

580 :考える名無しさん:2020/07/18(土) 22:20:26.05 0.net
他であって、他者ではない。

こういう誘導をするのが学術のぼけ

581 :でこすけ:2020/07/19(日) 02:21:11 ID:0.net
>>571
私(でこすけ)による「私」の定義ですが
これまた屁理屈になるので恐縮です。

得てしてひとつの言葉には複数の意味がある場合があります。
私は普通は「私」という言葉を辞書通りの意味で使っているつもりですが、
いずれにしても意識のハードプロブレムを論じる上では
辞書通りの「私」はマボロシという立場です。
すなわちこの文脈では厳密な定義も必要ないと考えます。

基本的には言葉というのは状況に応じて勝手に定義づけて構わないものだと思いますが、
私としても今回私が時計さんにうかがった
「自然科学で分析することができない『私』とはどのようなものか」
という問いに対して何らかの答えはあり得ると考えます。
私の意図をうまく時計さんに伝えることができたかどうかはまた別ですけど。

展開のペースや私の日本語の限界などにより
文脈をつかみづらい状況はあるのだろうと察しますが、
目下の流れはそんなかんじだとご理解いただければと存じます。


ところでたまには長文の弁解です。
私には得てしてひとつのレスがいくつかの意味に取れることがあります。
繰り返し繰り返し読んでもよくわからんのです。
そこで私としてはなるべく自分の意図を正確に伝えようと思うと
長文になるわけです。
たとえば>>567はどのような文脈においてでしょうか。
流れによっては糞かもしれないし、ひょっとすると神かもしれません。
もったいない気がするのですが、いかがでしょうか。

582 :でこすけ:2020/07/19(日) 02:59:29 ID:0.net
>>576
私は自由意志に対しては懐疑的です。
量子力学によってラプラスの悪魔がどうしたというはなしもありますが、
だからと言って私たちに何かを選択できるわけではない気がします。
すべては基本的な摂理に従っているだけのことであり、
自分で何かを選んだ感覚はただの気のせいだろうと考えています。
マジシャンが「お好きなカードをお選びください」と言ってきても
そして確かに自分で選んだつもりでいたとしても
しかし実際には選ばせてもらえていないようなものです。

さて、時計さんが想定している自由意志とはどのようなものでしょうか。
私としては「仕組まれた自由も一応自由かもしれないけどさ」とか、
これは尾崎世代のヒガミですけど。

583 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/19(日) 04:36:39 ID:0.net
>>582
「あなたはこれから右手を挙げることも挙げないことも自由である」
自由意志とはそのようなものです。
それが存在しないということは私には信じられません。

584 :時計 :2020/07/19(日) 04:58:05.87 0.net
>>582
でこすけさんのいうマボロシとは何でしょうか?
場合によっては、存在するがマボロシであるということもあり得るかもしれません。

585 :時計 :2020/07/19(日) 05:01:09.85 0.net
>>582
話がややこしくなってきましたね。すみません。
自由意志がマボロシであるということは、
全ては運命により決定されているということでしょうか?
私は、自由意志と運命論は共存可能かもしれないと考えています。

586 :でこすけ:2020/07/19(日) 06:58:18.72 0.net
>>583
なんとなくの大枠ですが、
ただし基本的には私の妄想です。

私はどちらかといえばの唯心論ですが、
つまりすべては意識の中の出来事だと考えます。
そして意識の中では何が起こっているのかというと、
すべては「創発」という概念に還元できると信じています。
個々の要素に対し、それらを総合しながら
しかしそれらの総和ではない要素が付加される現象です。
ちなみに何故そのようなことが起こるのかはわかりません。
とにかくそのように観察されるのでそれはそうだとしか言いようもありません。

このとき、創発にはビッグバンと同様で原因はないと考えられます。
これは原初の段階でその後のすべてが決まっているわけではないという考え方です。
しかし一方にはこの世界には必然もあります。
マスクやトイレットペーパーの買い占めが起こるべくして起こっていたりもするわけです。
ただ、それが主体の責任での選択であり得るかどうかもまた別です。
創発に因果律が適応されないとなれば
主体によるコントロールもできないことになるためです。
私が今、世の中の空気を読みながらマスクを買いに走るのは
開闢の瞬間に決まったことではないながらも
かといって必ずしもすべて私の意志とは限らない、ということです。
そして私としては、私たちの選択というのはえてして
何らかのプレッシャーを受けているような状態でなされている、
と推測しています。

いずれにしても私の勝手な存在論を前提にしたものですから
「こーゆー考え方もあるよっ」という参考程度のものでした。
お粗末様です。

587 :学術:2020/07/19(日) 07:09:10.66 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=GqTiej7KmS8
https://www.youtube.com/watch?v=sy7JwllhUR8

588 :学術:2020/07/19(日) 07:17:16 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=HpQmFfdYFzY

589 :でこすけ:2020/07/19(日) 07:50:36.49 0.net
>>585
よく見たら「自由」と「運命」とが共存可能て書いてありました。
どのような意味においてでしょうか。
ちなみに私は自由にも運命にも懐疑的ですから
見事に真逆です。

590 :でこすけ:2020/07/19(日) 08:42:28.86 0.net
>>584
アバウトが信条の私としては、
錯覚や妄想から虚構や仮説までいろいろ含めて
十把一絡げに「マボロシ」としています。
オリジナルがあやふやなものといったところでしょうか、
ただしマボロシ自体があやふやとは限らないのが特徴です。

たとえば「他人の意識の存在」はどうあがいても仮説の域を出ない
という意味でマボロシです。
しかし一般的にはたぶん覆されることのない事実上の事実です。
あるいは私は「物質」についてもマボロシとしていますが、
このマボロシは138億年かけて少しずつそして確実に築いたもの(という建前)ですから
相当に精緻な構造を持っているのだろうと察します。
メチャクチャよくできた嘘というかんじです。

認識は存在に先立つとされていますが
私たちは私たちの認識能力相応にしか認識できないという事情もありますし、
仕組みとして言葉で完璧に表現でききる気もしません。
そもそも意識の内側にあるものはその外側にあるものそのものではあり得ません。
それはそういう宿命なのだろうと思います。

591 :でこすけ:2020/07/19(日) 09:57:38.04 0.net
私が自由意志に対して懐疑的なのはトラウマ的なものによるのかもしれません。
印象にあるのはシャンプーの販売戦略です。

その昔、私どもが幼い頃もっぱらシャンプーの容器は透明だったものです。
ところがいつしかそうではなくなったわけですが、
とりあえずキョンキョンあたりがコマーシャルなんかすると
妙に都会的でオシャレなかんじがしたりなんかして、
我が家にそのタイプのシャンプー様が到来したおりには
ヘンな優越感があったものです。

ところがやがて驚愕の真実が暴かれます。
ヒトはシャンプーの中身が減ってくると無意識にケチる傾向があるため
そこで残量が確認できなくしてやると最後までガンガン行くというのです。
果たせるかな日用品メーカーはその戦略で荒稼ぎをしたとのことですが、
こちらとしてはシテヤラレタ的な感覚が止まりません。
いつの間にかコントロールを受けていたという顛末です。

こういったことはいろいろな場面にあるようです。
たとえばコンビニでは得てして雑誌コーナーが窓側にありますが
これは店内に客がいると通行人が入りやすくなるという効果を狙ったもので
わざと立ち読みを促しているところがあるとかないとか、
あるいはヒトというのは他人が見ている方向を何気に見てしまう傾向があって
そこでデパートなどではマネキン人形を使って密かに客を誘導しているとかなんとか、
とにかく私たちは思いのほかコントロールを受けているというおはなしです。
自由というものについてちょっと考えてしまうところです。

一方でナントカっていう思想家によると、
社会主義はイデオロギーではなくある種の症状だそうです。
あれはある種の病気だと。
あるいはでこすけ理論も哲学ではなくある種の症状かもしれないな
とか思ったりもするわけです。

592 :時計 :2020/07/19(日) 11:07:50.65 0.net
>>586
>>591
私は、それこそ、自由意志と選択圧は共存可能だと思いますが。
例えば、透明な容器のシャンプーに関しても、
敢えて沢山使うということは可能だと思います。

>>589
自由意志と運命の共存についてはまさに考えているところです。
いつか考えをお披露目できるといいのですが……

>>590
でこすけさんの思想において、私にとって一番印象的なのは「マボロシ」なのです。
オリジナルがあやふやなものということですか。
物質をよく出来た嘘と考えるのは面白いですね。

593 :でこすけ:2020/07/19(日) 14:37:56 ID:0.net
>>592
自由意志があっても環境的な要因が入ると左右されてしまうので
純粋な意志の働きというのはないです
どんな状況でも道を誤らないひとはいない、縁起です

594 :時計 :2020/07/19(日) 15:33:34.09 0.net
>>593
環境は選択圧をかけることはありますが、
多くの場合、選択をしているのは人間ではないでしょうか。
だから、行為には責任があることを問えるわけで。

595 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/19(日) 15:49:18 ID:0.net
運命と自由意志について。
(A B C)という世界を考えると、例えば、秩序ある世界は、
(A B C)
(B C A)
(C A B)
(A B C)
と左回転を繰り返す世界です。無秩序な世界の例は限りなくあります。
確率的な秩序ある世界は、例えば、左回転と右回転が1/2の確率で現れる世界です。
量子力学は確率的な秩序ある世界であり、無秩序な世界とは異なると思います。
運命的で確率的な秩序ある世界は可能です。
先にサイコロが降られているだけのことです。
自由な世界というのは世界の遷移が自由に決められる世界です。
それでは、自由で運命的な世界は可能でしょうか。
私の考えは、その運命が不可知であれば可能かもしれない、ということです。

596 :でこすけ:2020/07/19(日) 16:00:12 ID:0.net
>>595
無秩序(非決定論的)であると言うことと意志の働きはあまり関係ないです
運命は確定はしてないが意志では変えることは不可能ということです

サイコロの目は確定してなくても意志の力でそれをコントロールする
自由は与えられていない
意志の力を受け入れるなら物質の他に精神が存在することを
受け入れなければなならない
しかし実態は全てが物理の働きであって受動的な被験者(物質)が
運命に対して働きかけることはできません。

597 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/19(日) 17:27:00 ID:0.net
>>596
確かに無秩序と意志の働きは関係ないです。
運命論者である私は、サイコロは既に振られていると考えます。
でこすけさんは非運命論者のようです。
また、でこすけさんは自由意志は存在しないと考えているようです。
私は自由意志は存在すると考えます。自由意志は制限された能力です。
例えば、(A B C)の世界では、1番目の存在と2番目の存在を入れ替えること
などと喩えられるかもしれません。

598 :時計 ◆Mjk4PcAe16 :2020/07/19(日) 17:29:30 ID:0.net
>>595
「サイコロが降られている」は「サイコロが振られている」が正しいです。

599 :学術:2020/07/19(日) 17:36:03 ID:0.net
精神サイコ ロ。

600 :でこすけ:2020/07/19(日) 18:25:37.07 0.net
>>597
スピノザが示した通り意志は結果を受け取るだけであり運命を左右することに
関与することはできません
水や空気などとおなじように全ての生物、ヒトも物質であるということです
物質は全て定められた物理法則に従うだけです
仮にニーチェやサルトルがジャングルで産声をあげていたなら
彼らが学者になることなどあり得ず裸足で駆け回り槍を振り回しながら
生涯を終えていたでしょう。

601 :時計 :2020/07/19(日) 19:22:20.45 0.net
>>600
でこすけさんからそのような発言を聞くのは意外な感じはします。:)
確かにその可能性はありますね。
私は、自由意志は存在すると考えます。

602 :考える名無しさん:2020/07/20(月) 03:53:31.06 0.net
決定論思考は知能が一定以上なら、何もしなくても誰でもできる

603 :でこすけ:2020/07/20(月) 05:45:20.17 0.net
>>592
>私にとって一番印象的なのは「マボロシ」
時計さんははじめ自分が「ひとり」であることを考えていたとのことですが、
私の場合はこの世界に「嘘」を感じていたということだと思います。
本当はもっと違うもののような気がする、
そういう目で見ていたからそういう結論になったのだと思います。

https://m.youtube.com/watch?v=SntyeRY-ezs
(これクセになりますね)

>>594
たとえばラーメン屋に入って醤油ラーメンにするか味噌ラーメンにするか、
それを決めるのは私の考えでは潜在意識ではなく顕在意識です。
「決定」というのも私的にはもちろん「創発」の一種であって、
その創発はどこで起こっているのかというと
私は最終的には心の中で回っている言葉が決めているのだと考えています。
その決定は、たとえば醤油か味噌かのケースなどでは
潜在意識にがんじがらめにされているわけではない気もしますが、
少なからずの影響を受けているのは間違いないはずです。

私がそれを自由意志と言いたくないのは
よく考えてみると私の個人的な事情かもしれません。
私としては、私の意思も含めてすべては何らかの摂理に基づいて運行している、
そういうものにすぎないとしておく方がすっきりする気がするのです。
私の肉体も銀河系を構成する部品のひとつにすぎない的な発想です。
また、リアルとリアリティが別物であるように、
たとえば1192年鎌倉幕府成立にリアリティをかんじるのと
実際にどうだったかが別であったように、
意識が自由であることと自由を実感することは別のものだと考えています。

604 :学術:2020/07/20(月) 07:05:54.78 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=0VzMPCf3K6E
https://www.youtube.com/watch?v=75-irA6YhXw

605 :考える名無しさん:2020/07/20(月) 10:11:00.93 0.net
学術以下になったスレ

606 :時計 :2020/07/20(月) 12:11:55.28 0.net
>>603
>私としては、私の意思も含めてすべては何らかの摂理に基づいて運行している、
>そういうものにすぎないとしておく方がすっきりする気がするのです。
自由意志を否定する論理はこれでしょうね。
私は、自由意志はコギトにさえ先立つものであると考えます。
だから、それの無いということは考えられないのです。

井上陽水、良かったです。:)

607 :でこすけ:2020/07/21(火) 05:30:03 ID:0.net
>>606
ちょっと落ちついてふと主観主義の立場的なところから考えてみると
自由意志は当然アリになる気がします。
むしろ私が因果律さえ妄想としておきながら
摂理という概念を持ち出すのは矛盾だった気もします。
私は結局客観的な何かがあるということを信じるところから始まっていた
ということのようです。

ところでスレチな話題にそれますが
>>594にある「行為の責任」についてです。
自由意志に懐疑的な私としては
突き詰めたところに「責任」はないと考えています。
時計さんがお考えになる「責任」とはどのようなものでしょうか。
たまにはそんな話題もいかがでしょうかという提案です。

608 :考える名無しさん:2020/07/21(火) 13:50:33 ID:0.net
自己矛盾を見つけられない時点で、下の下

609 :学術:2020/07/21(火) 15:47:26.98 0.net
刑務所や病院の中に完全な自由意志はないよ。

610 :時計 :2020/07/21(火) 17:06:12.39 0.net
>>607
行為の責任について。
多くの法律では、行為の責任は自由に基づくと考えられると思います。
例えば、精神障害者は罪に裁かれません。
飲酒者は飲酒する自由があったと考えられるから裁かれます。
責任なき法というものも考えられます。
もしかしたらでこすけさんの考えはそれに近いかもしれません。
責任なき法では、工場で生産される機械の不良品が除外されるように、
機械的に不良である人間を裁きます。
その考えでは、精神障害者は不良ですから、法により裁かれるでしょう。
未来の法律はもしかしたらそんな感じかもしれません。
責任とは当人の行為への評価の割り当てのことだと思います。

611 :でこすけ:2020/07/22(水) 05:06:34 ID:0.net
>>610
トンチンカンな質問で恐縮でした。
考える時間もあまり無かっただろうと察します、おそれいります。

私としては耳タコでしょうけど「責任」もまた虚構です。
得体のしれないカリスマか何かが「世の中が悪いのはあいつのせい」
みたいに煽るのはむしろある種の病気だったりするようですが、
たとえば「責任」という概念にも当然ながら人類学的な起源があって、
そのあたりをたどっていくと(私はたどってませんが)
そちらからでもやがてそれは雲散霧消してしまう気がします。

その上で「責任とは当人の行為への評価の割り当てのこと」という表現は、
言葉尻に拘わっても仕方ないながら、特に私と矛盾しません。
そうはいっても現実問題として社会秩序を守らなくてはならないとき
個人に制限を設けるのはそれはそうだと私でも考えるためです。

ただ、しつこいですけど私としては「罰」も虚構です。
「罪」に対してそれと同等の「罰」なんてものはあり得る気がしません。
私は「罪」と「罰」は「ケガレ」と「キヨメ」のようなある種の宗教であろうと認識しています。
(もちろん宗教が悪いと言っているわけではありません)
私としては不良品は排除するのではなく
なおして使うのが望ましいと思いますが、
なおってない奴が塀の中から出てくるのはコワいという
ささやかながらも一般的な問題提起です。
個人的には、なおす必要のない人間をなおそうとするコワさを
訴えたいんですけど、結構切実に。

612 :考える名無しさん:2020/07/22(水) 05:33:08 ID:0.net
>>609
> 刑務所や病院の中に完全な自由意志はないよ。
国や地球という壁の中にも完全な自由意志はないよ。

おまえの発想は屁理屈なのに気がつけ

613 :時計 :2020/07/22(水) 06:30:52.53 0.net
>>611
不良品は棄てるより直す方が道徳的ですね。
経済学的にはコストが問題ですが。
直す必要性のないものを直すということは、現代において、
頻繁に行われていることかもしれません。
多めに直しておくという心理が働くのではないでしょうか。
その辺りの精度の改善は必要だと私も思います。

614 :考える名無しさん:2020/07/22(水) 06:46:35.12 0.net
>>613
>道徳的
徳という漢字の意味わかっていないだろw

615 :学術:2020/07/22(水) 07:08:23 ID:0.net
不良を裁くようなものが人の上にたつな。

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