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意識のハードプロブレムの答え4
- 1 :時計 :2020/06/13(土) 09:09:59.86 0.net
- 1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の意識は存在しない。
私は独りである。
意識のハードプロブレムの答え3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/
- 760 :考える名無しさん:2020/09/14(月) 11:26:37.07 0.net
- でこすけさん返信ありがとうございます。
なぜ人が〜については明確な答えが出せるレベルの問ではないのでいくつかの仮説と
推測になりますね。
現生人類(我々)とネアンデルタール人の違いについては確かに興味深い問いだと思います。
ただ残念ながらネアンデルタール人は現存してないので推測になりますが、
ちなみに石包丁の話については初耳なので勉強になります。
私個人としてはネアンデルタール人が能力的が我々人類に対して
総体的に違っていたと言う事はないのではないかと思っています。
ただ身体的に発声が苦手であったこと(これが両者のその後を分けてしまったと考えられる)が
これが当時の生存競争(この表現が適当かどうかは難しい)において適切な選択ではなかった
と言う事に結果的になってしまったのではないか、と
とは言え我々と他人類は交配の形跡があるので彼らは厳密にいえば滅びたわけではないのかもしれませんね。
と、ここからが「なぜ人が〜」とより直接的(表現が難しい)に関わってくる話題ですが、
我々はネアンデルタール人からうつ病的気質を貰った(受け継いだ)可能性があると言う記事を見たときに思ったことがあり
これは一つの可能性(仮説)になりますが、我々の哲学的な思考(自己の内面に対する思考)の発露(あるいは発展)に対し
ネアンデルタール人(デニソワ人なども含む)の関与はかなり重要だったのではないか、と想像したわけです。
これはでこすけさんの質問に対する直接的な答えではありませんが、
これ以上書くとぐちゃぐちゃな文章になりそうなので(私は文章を書くのが苦手なので)
長いうえにかなり短くしてるので残念ながら言葉が足らない部分が多々あるとは思いますが
仮説のすべては想像であり、何らかの確定的物証はありません。
まあそういう可能性もあるかも程度に見てもらえると助かります。
何か質問や分からないことがあれば出来る範囲で答えるようにはいたします。
- 761 :でこすけ:2020/09/14(月) 17:55:38.30 0.net
- 興味深いおはなしでした。
言われてみれば「なぜ人が複雑かつ高度な自己表現を得るに至ったのか」という問いは
「なぜ原生人類だけが複雑な言語を獲得できたのか」という問に置き換えられそうな気がします。
そしてその答えについての私の理解では
言語の発達には体格や知能だけでなく性格も関わったりするのみならず
流動的な状況の中でたまたま条件がそろった、
つまり決定的な要素がひとつあったわけではなかったというかんじなんですが、
そう解釈するとにわかにリアリティがある気もします。
というのもじつは最近似たようなはなしを聞いたのです。
それは古代日本の大和朝廷による列島社会の統一なんですが、
その頃の地層を発掘しても戦争の跡が出てこないというのです。
ようするに3世紀頃日本列島にあったはずの百余りの小国が
数百年後には戦を経ずにひとつにまとまっているらしいのです。
解説によると国家の平和的な統一は古代日本とEUくらいではないかと。
ー稀なことが列島社会に起こったのか、
そして結論を言うとそれはたまたまだと。
大陸から遠からず近からず、島が広からず狭からず、
自然に恵まれ民族性も影響するでしょうし
さらには当時の政治状況経済状況すべてがいいかんじだったのだと、
つまり決定的な要素がひとつあったわけではなさそうなのです。
高等言語にせよ平和国家にせよ
世の中いろいろだから中にはそんなこともある、
なんだかミもフタもないはなしですが
あるいはそんなものなのかもしれませんね。
(もちろんそれとは別に具体的なことについては
研究する価値があると思っているつもりです)
- 762 :でこすけ:2020/09/14(月) 18:27:18.91 0.net
- ところで折角なので質問です。
>>748は760さんで間違いないでしょうか?
>自己意識は他者に観測されることで具現化します
このようにお考えになる根拠
もしくはそのように考えるに至った経緯ををうかがいたく存じます。
いかがでしょうか?
ちなみに私はこのくだりからシュレディンガーの猫を連想します。
私は箱の中の猫の生死は観測者と関わりなく決まると信じています。
自己意識の人間的成長については付き合っている人の影響を受けるとしても
自己意識の成立そのものはもっと違うメカニズムによる気がしています。
- 763 :考える名無しさん:2020/09/14(月) 21:42:14.23 0.net
- でこすけさん、こんばんは。
748から760も含めて長文は私ですね。
日本の古代史についてはあまり造詣は深くありませんが、そのあたりの時代は非常に興味いですね。
その少し前に倭国大乱、さらにその前後は紛争が散発的に続くなど混迷の時代だったと思われます。
そして邪馬台国、入れ替わるように大和王権、そのあたりに何かそうなるに至った謎を
解くカギがありそうにも思いますね。ただその時代は資料もほぼありませんし想像ですね。
しかし古代に思いをはせるのは本当に楽しいですね。
762の自己意識に関してですが、この問題は複雑でして「箱の中の猫」というのとはちょっと違うんですよね。
まず答えのようなものが複数存在します。
1、現実的には自己意識はあるでしょう。(これは一般的、一般の社会通念上です)
2、現実的にはあるが思考上は自己意識は存在しない(ただし意識はあります)
3、その他
1についてですがこれは我々が通常生活をするのに必要な認識ですね。特に言う事はないかと
問題は2ですね思考してみると、今こうして書き込みをしている外界に存在する自分の事を
自己意識と思いがちですが、おそらくこれは意識の代表者に過ぎないのではないかと思われます。
外界に対する代表者なので、今ここにいる自分は内部的な自己意識ではないとなるわけです。
ただ内部的に(これは難しいですが)意識の表層部分とでも表現する場所に外界に対する自分が
記録されているわけですよね。
これは内部(自己ではない意識)から上がってきた意見を外部(他者との関係や状況)に合わせて取捨選択し外部に
発信させます。そしてその瞬間(現実世界にあける)自らの意思になるわけです。
重要なのは、この外界に対する代表者的自己は他者(外界)がなければ存在できない(必要ない)可能性が高いと言う事ですね。
ではこの今存在している自分を取り除いた自己の内面に自己意識なるものは存在するのか?ということになります。
これが自己というものが他者(外界)に依存(748では観測という言葉になっていますが本質的には同じです)
するという話に繋がると言う事ですね。
思考上は内面世界に対して自由意志や自己意識は存在しない(必要がない)ように現時点では思います。
難しい話な上に読みづらい文になっているとは思いますがご容赦ください。
- 764 :でこすけ:2020/09/15(火) 00:47:06.16 0.net
- >>763
具体的な解説をありがとうございます。
正直まだピンときていないというのが率直なところです。
おそらく鍵になるのはやっぱり「観測」という部分です。
たとえば量子力学でいう「観測」は一般的な「観測」とは少し違うらしいですが
あるいは>>748の「観測」は>>763では「依存」とも表現されているので
私がイメージするのとはちょっと違う気もするところです。
ただ「意識の代表者」という表現には心当たりがあります。
私は>>746で「個人の(表層)意識が何らかの現象の根源的な「ヨシ」になることはあり得る」としましたが、
じつはこのくだりはコクビをかしげつつ勢いで書き込みしてみたものです。
大きくはずれているとは思いませんが、ウラのないはなしではあります。
一方で私にあるのはこのスレのはじめのころまでレスを寄せて下さった257さんの
「他者でない部分を自分として発見する」という見解です。
これは私の解釈になりますが、
これは「この世界にはコントロールできないものがある」
ということの発見だと思います。
そう解釈しておくと階層論的にはわかりやすい気がするのです。
自覚という作用で核になるのはそうはいっても「言葉」だと思います。
そして言葉というのは外部との情報交換を通じてしか獲得できない気がします。
また、生物が何らかの記号で意思疎通をする上で重要なのは二匹目です。
一匹めが言葉を発明できても二匹目がそれを理解できなければ成立できません。
その前提に何らかの共通理解がなければならないということです。
すると言葉自体は後天的ながら共通理解には先天的なものを感じます。
そのあたりと「観測」をからめるとわかりやすくなるのかな、
とか考えてみたところです。
以上の考察は支離滅裂の見本になってしまった気もします。
もう少し考えてみたいところです。
- 765 :でこすけ:2020/09/15(火) 01:39:54.10 0.net
- 折角なので歴史のはなしです。
歴史学(?)では三世紀の中頃、まさに邪馬台国の衰退あたりで
弥生時代から古墳時代へ移行したとされています。
この頃はまだ列島社会に文字がないうえ大陸にも列島に関する記録がなく、
考古学的な遺物から勝手に空想するしかない時代です。
発掘によると弥生時代の末期は卑弥呼が戦争で死んだらしきに象徴されるように
騒乱の時代だったようですが、
古墳時代は一転して平和な時代だったようです。
この頃のことを象徴するのがまんまながら古墳です。
強力な権力の出現が政治的な安定をもたらし、
公共事業としての古墳造営が経済的な安定をもたらした可能性を伺わせます。
また弥生時代の宗教事情には銅鐸や銅鏡から精霊崇拝が見て取れますが
古墳時代には古墳だけに祖霊崇拝への移行が推察され、
このあたりでのちの大和文化の礎が築かれた印象を受けます。
ではこの大きな変化のきっかけはなんだったのでしょう。
どうやら半島からの大規模な難民の流入だったようです。
記紀でいうところの天津神、つまり外部との接触です。
私が古代史に関心を持つのは単純にそれだけで面白いからということもありますが、
一方では階層論という視点もあるつもりです。
この世界では物質から生命が生まれ、さらに生命から文明が生まれています。
物質の生成、生命の誕生、文明の成立はおそらく同じ構造を持っている気がするのです。
そして鍵になるのは二千五百年前に提起された問題ながら
未だに答えが出ていない「アルケー」だと思います。
そこで私としては「モナド」を売り込みたいわけです。
ライプニッツのまんまとなったらいかがなものかとも思うわけですけど。
- 766 :考える名無しさん:2020/09/15(火) 15:14:12.90 0.net
- でこすけさん返信ありがとうございます。
763(自己意識)についてはそう言った可能性の話なので、
まあなんとなく聞いていただければ問題ないです。
私自身納得いく説明は出来ていません。
(概念的なものなので現実世界では確率的な表現しかできない)
個人的には現実世界と自己の内面世界(精神、思考上の世界)は
別の世界と考えているわけです。
(ただ便宜上なので実際は物理的な接点が存在する可能性があります)
(その可能性が一番高いのが量子の世界という気がしますね)
量子の世界は私には未知の世界なのでそうであるならばという仮定の話ですが。
「他者でない部分を自分として発見する」
「この世界にはコントロールできないものがある」
(観測された瞬間に特性が固定される(個性、自己になる))
(特性が固定された瞬間、不確定だった(他者と区別できない)ものが
自己を持ち、他者(コントロールできないものを)を認識すると解釈できる)
これが、観測=依存=その他(状況により変化)と言う事になるわけです。
状況によって言葉が変化しているだけなので本質的意味は変わらないと言う事です。
量子(これは量子そのものに固定しているわけではなくこの世界を構成する最小の物質)は
この世界の根本原理、本質性を直接的に示している可能性があるわけですね。
話が量子に逸れてしまいましたが、
こう言ったものも自己意識に関する思考上の根拠(というよりも材料でしょうか)の一部になっています。
長くなってしまったので一旦置かせていただきます。
稚拙な説明なので分かりづらいとは思いますがご容赦ください。
- 767 :考える名無しさん:2020/09/15(火) 22:26:51.16 0.net
- こんばんは、766の続きというわけではありませんが765への返信を
難民の流入についてはこのころ大陸も動乱期なので大量に来ていると思われます。
古代中国などにおいては精霊信仰=祖先信仰でもあると思われますので
この時期に祖先信仰に強くシフトした理由については色々と考察の余地がありそうですね。
昔どこかで見たのですが邪馬台は日本読みだとヤマトになるとか、
卑弥呼は姫巫女あるいは日御子という説をみて本当なら面白いなと思ったことがありますね。
平和な古墳時代についてですが、既視感があるんですよね。
そう、江戸時代(もちろん各時代(特に日本では)そうですが)に似ているんですね
戦乱の後の(長期)平和、そして戦乱に突入する(まあ歴史の基本ですね)
私の好きな言葉に「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というのがありますが、まさにこれですね。
765の後半の部分ですが、私も古代史は非常に興味がありますね。
(といっても私の場合はメソポタミア〜古生物とかなりアバウトですが)
なぜ興味があるかというと766にも少しかかりますが、
原始に近づけば近づくほど本質的になる、と感じるんですよね。
ちなみに私は哲学書をほとんど読まないのでモナド?和菓子かななどと思ってしまいました。(笑)
なるほど、空間と言う事ですか。
私自身も基本的な考えとしてすべてのものは大なり小なり
何らかの関係、影響、繋がりがあると思っています。
ただ何がその中心なのか(そもそも中心があるのかと言う事も含めて)パッとは答えられませんね。
毎回非常に長くなってしまっていますがご容赦を。
- 768 :でこすけ:2020/09/16(水) 00:33:31.03 0.net
- >>766
ご丁寧に痛み入ります。
大変恐縮ですが、私には「観測=依存」がいまいちよくわかっていません。
あるいは763さんご自身でも納得している表現ではないかもですから
(それならそれでわかります!)つまり余りこだわっても仕方ないかもですが、
それでもひとつ思い当たるのは「類は友を呼ぶ」という不思議な現象です。
私たちは何故か相手を見るなり瞬時にコミュニケーション可能か否かを判断できます。
普通の人が普通の状態であれば道を歩いていて突然電柱に話しかけたりはしないものです。
岡本太郎画伯は白人を見ると一律フランス語で話しかけていたそうですが、
私だったら一応どこの国から来たのか気になったりします。
私たちは何故か本能的にそういうことはわかることになっています。
そして(ここからがポイントですが)同時に相手が自分を
コミュニケーションの対象として認識していることもわかったりします。
旧知の人でも状況によって今は話しかけてはいけないとか、そういうこともわかります。
つまり暗黙の共通理解がいつのまにか成立していたりするわけです。
そしてそのあたりが自己意識の形成に関わるのかなとか考えたりもしました。
率直に言ってたしかに763さんの文章はわかりづらい部分があります
(私も人のことは言えないようですが…)。
しかし何か確かなイメージをお持ちなのだろうとは感じたりするのです。
- 769 :でこすけ:2020/09/16(水) 01:44:13.79 0.net
- >>767
卑弥呼の「卑」は「日」ではなく「干」ではなかろうかという説があります。
「干」というのはこの場合は干潟のことですが、
海洋国家であった邪馬台国にとって恵みを与えてくれる干潟は当然重要である上
汐の干満という現象は自然の神秘としてなから宗教的関心があったはずです。
干潟というのは太陽との関係で同じ「ヒ」という発音になるのでしょうから
突き詰めてしまえば同じことですが、
何が言いたいかのというと、
このたぐいは深堀れば深堀るほど面白いはなしが出てくるということです。
(干巫女説が当たっているとは思いませんけど)
一方では私の会社の上司からはるか宇宙意識までが
「仕事は楽しくやろう!」みたいなことを言っていたりします。
実際わたしの経験上からも面白いことをたぐっていくとどんどん世界がひろがってゆき、
そしてそれは多分プラスです。
あるいは自分の気持に正直になることは生き物の仕組みとして問題はない
ということでしょうか。
するとこのあたりで自称哲学者としては一応疑問を持つわけです。
すなわちその背後にはどのような構造があるのだろうかということです。
普通の人の普通の幸せはえてして家族や恋人友人ですが、
幸福を追求すると種の繁栄に繋がるというのは偶然とは思えません。
どのようなメカニズムでそのような設定が実現されたのか、
いずれにしてもなんだか意識の深層がかかわっている気がします。
ここで無理やりスレタイにからませると、
その答えはこういった疑問もフォローできなければならないのではなかろうか
とか思ったりするのです。
ちなみに「モナド」というのはライプニッツが主張した
世界を構成する最小単位のことです。
モナドは空間的な部分を持たないということになっていますから
空間はあまり関係ないようです。(一応)
私の解釈では唯心論のバリエーションということになっています。
- 770 :考える名無しさん:2020/09/16(水) 02:06:51.68 0.net
- でこすけさん返信ありがとうございます。
ご指摘の部分は748の「自己意識は他者に観測されることで具現化します。」ですね。
これは完全に私の認識というか説明不足だと思われます。申し訳ない。
この自己意識は正確には表層意識の事を言っているんです。
748の定義上は(外界と切り離された)自己意識はないと言う事になるので
内部で発生する意識が表層意識になる(形成する)には外界の影響が必要だという事を言っています。
誤解を生じさせる使い方をしてしまったようです。
ただ私個人としては自己意識が無いと断言するわけでもありませんし、
もちろんあると断言もしません。
予想として、無いという確率の方が現時点では高いというスタンスです。
(なので色々思考したり議論したりするわけですね)
- 771 :考える名無しさん:2020/09/16(水) 03:04:41.57 0.net
- 日>干の指摘ありがとうございます。
その部分の字は自分でもちょっと自信がなかったので(汗)
生物として幸福(種の繁栄)を求めることは生き物としての定めのように感じます。
一方で思考することが上記の生物としての幸福(種の繁栄)に繋がる(必然性があるか)か
については少し疑問な所もありますね。
とは言っても知の探究は楽しいですね。
ただ知れば知るほど自分が無知であるとも感じます。
たまに背筋がゾクっとするような思考に行き当たることもあります。
最後のモナドについてですが、私は何を見ていたんだ(笑)。全然違いましたね。
モナド的概念と量子には類似点を感じるので両者の関係は気になりますね。
- 772 :でこすけ:2020/09/16(水) 22:56:27.51 0.net
- >>770
ところでアホな質問です。
出会った他者がいわゆる哲学ゾンビだった場合、
つまり仕草が全く普通でありながら中身はからっぽ、
このとき自己意識は発現すると思いますか?
つまり自己意識を誘発するのは実体的なものからの直接の影響からなのか
あるいは表層的なパターンからなのかという素朴な疑問です。
もちろん当てずっぽうなイメージでかまいません。
しつこくてすいません。
- 773 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 01:07:30.32 0.net
- でこすけさんこんばんは。
私も偶然ですが昨日哲学的ゾンビの記事をチラッとみました。
自分なりに考えてみようと思い
例えば哲学的?偽リンゴがあったとしたらどうだろうと思いました。
実際にはそんなものはありませんが、色も形も味も食感も効果効能も
すべて本物のリンゴと同じなわけです。
しかし遺伝子(これは哲学的ゾンビで言うクオリアと思ってください)はリンゴではない
この偽リンゴは店で本物の隣に一緒に売られていても誰にも偽物とは気づかれないでしょう。
遺伝子を調べればリンゴではありませんが、それ以外はすべて本物と同じです。
人々はこれをリンゴではないと思うでしょうか?
↓に続きます。
- 774 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 01:10:54.91 0.net
- 773の続きになります。
クオリア(感じ?)に関しては詳しい知見を得てはいないのでこれを使用しての
解説をするのが難しいですね。
ただ哲学的ゾンビについては疑問に思ったことがありまして、
もしクオリアというものが人を構成している元素(的なもの)であるならば
それなしに哲学的ゾンビ(すなわちクオリアを除き人と全く同じ)のような者は
存在しない(出来ない)と言う事になると思うんですよね。
何かを構成する時に何かが一つでも足りなかったらそのモノの完成品ではありませんよね。
(すなわち何かが欠けていたら本物と寸分たがわぬ動きは出来ないはずです)
これ(哲学的ゾンビ)が存在するとしたら
クオリアには人にとって人であることをを証明するものではないと言う事になってしまう。
それどころかクオリアは存在しないという解釈もできてしまうように思います。
と、ここで偽リンゴを思い出します。
もし現実に哲学的ゾンビが存在したとしたら、現実的には偽リンゴと同じような扱いになるでしょう。
と言う事で本題の質問への回答ですが上記の前提で話した場合、
たとえ相手がゾンビであったとしても(こちらもゾンビでなければ)
接触により表層意識は形成されると推測されます。
(ただしクオリアが存在してそれが他者のクオリアや表層意識形成にとって
重要な影響(あるいは役割)を与えている場合は結果が変わってくることが予想出来ます)
私の問題へのアプローチとして類推や置き換えなどが基本になっているので、
どうしても回り道や余分と感じられる部分が多々あると思われますが、
そのあたりはご了承ください。
- 775 :でこすけ:2020/09/17(木) 02:23:23.13 0.net
- >>771
卑弥呼にこだわるようですが、
じつは誰にも「ヒミコ」という言葉の意味はわかっていないはずです。
そもそも「ヒミコ」という読み方が正しいかどうかもわからないのです。
たとえば古代の日本人にはハ行の発音ができなかっただろうという説
(あくまでも説ですが)が有力とされているようで、
じつは現代でもハ行を発音できない日本人はいるようです。
「お日様」を「オヒサマ」とは発音できず「オシサマ」みたいになってしまいます。
かく言う私も「天日干し」を「テンヒボシ」とは発音しづらく
「テンピボシ」と発音しています。
また、昔の総理大臣だった村山さんはサ行が苦手だったらしく
アメリカの大統領のことを「クリントンしゃん」と発音していました。
発音ひとつとっても難しいということです。
今どきの若者はそもそも「天日干し」という日本語を使わないかもしれませんけど、
とにかく何が正しいのかは常にわからないということです。
何が言いたいのかというと
私が言うことを鵜呑みにはしない方がいいですよ、ということです。
- 776 :でこすけ:2020/09/17(木) 02:23:34.15 0.net
- 折角なので私の古代日本のイメージに大きく影響した
「逆さ日本地図」をご紹介します。
有名なものなのでご覧になったことはあるかもしれません。
ちなみに私は歴史家の網野善彦さんの本で見たと思います。
http://www.nihonkaigaku.org/kids/about/index.html
日本列島にオモテとウラがあるとするならば
現代人の感性では太平洋側をオモテとしておくのが一般的だと思います。
しかし古代においては日本海側(大陸側)の方が重要だったようです。
たとえば西方で始まった水稲農業や古墳文化の関東への流入は
日本海側を北上し、それから山を超えて群馬あたりから南下しているようです。
日本海ルートはじつは縄文時代から普通に使われていたようですが、
縄文社会が黄河文明や長江文明と関わっていたとなれば何気に当然な気もします。
このはなしのポイントは
私たちの一般的な視点が必ずしも普遍ではないということです。
もちろん哲学もしかりです。
「方法的懐疑」や「イドラの除去」は近代哲学が始まった時点でさっそく指摘されたことですが、
実際問題としてはやっぱり難しいというのが率直なところです。
かく言う私もヘンな思い込みに翻弄されっぱなしです。
わからないときというのはたいてい何かの思い込みに邪魔されているときです。
わかってみると何でわからなかったのかがわからなかったりします。
ひょっとすると何がわからないのかもわかりません。
探求に終わりはないという一般的な年寄のタワゴトです。
つきあわせちゃってごめんね。
- 777 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 13:23:30.90 0.net
- でこすけさん、返信ありがとうございます。
卑弥呼の字や発音に関しては
これは大陸(中国)側の当て字のようなので実際の意味はわからないようですね。
発音に関しても日本側の発音を聞いた大陸側の当て字からなので
ズレがあると思われます。
これは我々が外国人に言葉を伝えてオウム返しされたときに
イントネーションや使用言語などの差から
おかしな発音や違う言葉のように聞こえるという事実からも推察されますね。
ちなみに鵜呑みということに関してですが、
これは私の書いた字より確率的に高いと思いましたので
そのように書いたということですね。
事実がどうであったかは実際に本人に聞かないかぎり現時点ではわからないでしょうしね。
- 778 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 13:45:57.28 0.net
- 777の続きになります
ちなみに私個人としては思考的に間違う事には非常に寛容な立場を持ってます。
間違うのは正解することの一部だと思ってますし、
間違うことで正解にたどり着けるわけですから。
私は思考上の答えについては普遍性を求めていません。
唯一とか絶対の答えを求めてないわけですね。
確率答(これは私の造語ですが)
例えばAという思考上問題があってその答えにBとCが考えられるとします。
その時、Bが100%、Cが0%になる、とかそうならなければならないとは考えないわけです。
我々は流動している考えを基本としていますので、
色々思考すると現時点ではBが70%くらい、Cが30%くらいなどど考えるわけですね。
ただそうなったときにCの方がBよりも正しい!とは言えないわけですね
ですから現時点ではBの方が正しい(立場としてBの主張になる)のではないか、となるわけです。
もちろん何か新しい発見や進展によってこの確率図が変わることは十分にありえます。
(実際に何度もあって今の考えに至っています)
探究(あえてこの字にしました)に終わりはありません。その通りです。
- 779 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 23:27:52.59 0.net
- 662 :可愛い奥様 :2020/09/17(木) 17:43:31.11
既彼が乳首舐められるの大好きで吸ったり甘噛みしてたら乳首が肥大してきちゃってw
奥にバレないのか心配になるわ
上半身裸になっても目立つ大きさになったのよ
- 780 :でこすけ:2020/09/18(金) 00:14:47.95 0.net
- >>774
なにげに哲学的ゾンビについてです。
私は二通りのパターンを考えます
(片方はいわゆる哲学的ゾンビではないかもしれませんが)。
ひとつ目は振る舞いだけではなく
その部分の物質的な構造からそれが機能している様子から
すべてがまったく見分けのつかない状態ものです。
もはや人間に観察できないレベルまでがそっくりに構成されている生体です。
私はこのタイプの哲学的ゾンビはあり得ないと考えます。
たとえばこの宇宙ではどこへ行ってもコイルに電流を流すと
必然的に磁界が発生する(ということになっている)ように、
それが普通の生体とあらゆる点で区別のつかないものであるのならば
そこには意識が必然的に内在していると考えておくのが妥当だと思います。
仮面ライダーのように脳以外はすべて機械の状態であっても
あるいはルパン三世のマモーのように水槽の中に脳だけ浮かんでいる状態であっても
それが正常に活動しているのであればクオリアは伴っている気がします。
- 781 :でこすけ:2020/09/18(金) 00:14:55.79 0.net
- ふたつ目は脳にあたる部分が半導体でできているタイプです。
この場合は哲学的ゾンビとは言わないかもしれませんが、
とりあえずは高度な学習能力が与えられているコンピューターで
たとえばいわゆる精神的なストレスで病気になったりもします。
誰かに見られていないときでも限りなく人と同じ振る舞いをするもので
もはや自分を普通の人間として認識していたりさえする設定です。
さしづめブレードランナーのレプリカントですね。
私はこのタイプに意識が内在することはないと考えます。
半導体でできている計算機はどれほど高度に進化しても
どこかの段階で主観を獲得できる気がしません。
少なくとも現在の知見ではその確証はないはずです。
そのロボットは人がいないのを見計らって腋の臭いをかいだりするようになりますが、
じつは臭いはしていない、つまりある種のゾンビです。
一応莫大な時間と経費をかければそのようなものも開発可能だとは思いますが
実際問題としては無理な気がします。
さて、じつは>>772の質問のつづきですが、
カンペキなプログラムを持ったロボット(ゾンビ)と接する場合は
何の問題もなく自己意識を持てるようになるという認識でよろしかったでしょうか?
重ね重ねしつこくてすいません。
- 782 :でこすけ:2020/09/18(金) 01:14:14.45 0.net
- ところで私は>>770の
>自己意識は他者に観測されることで具現化します
の「自己意識」は「自覚」のこととして、
また同>>770の
>自己意識が無いと断言するわけでもありませんし、
>もちろんあると断言もしません
の「自己意識」は「深層意識」のこととして理解していましたが、
そんなかんじでよろしかったでしょうか?
となると深層意識はじった存在していない可能性の方が高いとお考えのようですが、
- 783 :でこすけ:2020/09/18(金) 01:44:04.04 0.net
- 失礼しました意識を失っていました
>>782については何が言いたかったのかもよくわかりません
- 784 :考える名無しさん:2020/09/18(金) 03:17:51.22 0.net
- でこすけさん、こんばんは。
二つ目についてですが、
偶然にも私も機械(プログラム)的哲学ゾンビ的なモノを思考していました。
さて781の最後の問いですが、
哲学的ゾンビを使用しての自己意識の証明は困難であるように感じましたので
表層意識(私の解釈にになりますが外界と接する意識=自己と仮定してます)に関しての予想をお話しします。
ちなみにカンペキなプログラムというのは表層意識(自己)を持たないが、
持っているのと同じく行動できるという定義(認識)でよろしいでしょうか。
そうなる場合一つの仮説を想像します。
表層意識無しに我々と全く同じ行動が出来ると仮定した場合、
例えば、でこすけさんの両親や友人などを関係する人間をすべて
哲学的ゾンビに置き換えることが可能であると考えられます。
そうだった場合、今でこすけさんは表層意識(自己)を持っているのでしょうか?
もしあると持っていると思われる場合はどうなるかと言うと
相手が哲学的ゾンビであっても表層意識形成には問題ないと言う事になると思われます。
もしそれでは持てない(持っていない)と思われた場合はどうなるでしょう
でこすけさん(人間)は実は哲学的ゾンビだったと言う事になると思われます。
表層意識(外界と接する意識)と自己意識(内部にしか接しないとされる意識)を
分けて考えていますのでご了承ください。
実在する完璧な哲学ゾンビという存在は
現実的には人間と同義と解釈することになるので
人間に接するのと同じ結果=表層意識形成がされると思われます。
- 785 :考える名無しさん:2020/09/18(金) 17:42:59.65 0.net
- 人はおぼろげで形のないものは、つかめないんだよ、
強引に掴んでもそれは空気を掴むのと同じ
それが境界を持たないものなら風船の中に空気を閉じ込めるわけにもいかない。
- 786 :でこすけ:2020/09/18(金) 21:15:59.00 0.net
- ちなみに>>770の「自己意識は無いという確率の方が高い」というお考えは
どのような経緯でそういった見解に至ったのでしょうか。
その背景には「意識とはどのようなものなのか」という
簡単に答えが出るとは思えない疑問がチラついています。
私としてはとりあえず唯心論とか言っていますが、
じつは「心」というものがどのようなものなのか
よく考えてみるとよくわかっていないみたいなのです。
何かヒントを探しているわけです。
- 787 :考える名無しさん:2020/09/19(土) 00:06:05.63 0.net
- 思考って不思議すぎる
脳が考えてるって錯覚じゃないのかね
- 788 :考える名無しさん:2020/09/19(土) 00:52:39.52 0.net
- でこすけさん、こんばんは。
786のご質問についてですが。
これはでこすけさん自身がおっしゃっているように
簡単には解明することは困難な問題です。
見解というほどの大袈裟なものでもないのかもしれませんが
いくつかの条件(表層意識と自己意識を別と考えるなど)のもとで
思考した結果、今までの書き込みに色々書いてありますが、
肯定的でない予想の方が強く出来てしまうということでしょうか。
2つ目ですが、「心」とは何か?
もちろん私には「これだ!」と答えることは出来ません。
しかしヒントになるかどうかは分かりませんが、いくつかの疑問は浮かびます。
我々はいつから心を持つようになったのか?(人類の進化史上)
なぜ心が必要なのか?(何のためにあるのか?生存のため?他の何か?)
人類が心を獲得してから今まで心は変化(発展など)してきたのか?
でこすけさんの思考の一助になることを祈ります。
- 789 :でこすけ:2020/09/19(土) 02:05:06.33 0.net
- >>788
そういえば私も以前「“私”というのは存在しない」と主張していた気がします。
なんだか突然思い出しました。
ただし>>770と同じ意味かどうかは不明です。
突き詰めれば同じことのような気もします。
- 790 :でこすけ:2020/09/19(土) 23:33:17.64 0.net
- >>787
思考が錯覚なのか、脳が錯覚なのか、
私は脳の存在の方が錯覚だと思います。
脳は意識の中のイメージにすぎないものという可能性の方が高いと思います。
そしてこれが意識のハードプロブレムの答えだと思います。
なんだかシメくくろうとしているみたいですけど。
- 791 :考える名無しさん:2020/09/20(日) 11:49:53.15 0.net
- 自分の思考を自分の思考で説明することって出来る?
- 792 :考える名無しさん:2020/09/20(日) 14:51:47.65 0.net
- こんにちは
787、790、791を見ていて思いましたが、
このような思考は大変興味深いですね。
脳は我々より“賢い”と言う事なのかもしれません。
- 793 :考える名無しさん:2020/09/20(日) 16:59:55.69 0.net
- 錯覚を原理とする思考、主体からの意味ではない立場での思考、
これができないからこそ792みたいなアホが賢いなんて言い出す。
- 794 :でこすけ:2020/09/20(日) 21:51:10.54 0.net
- >>791
言葉尻を捕まえるようですが、
説明するだけなら、つまり正解でなくても構わなければ可能です。
ちなみに私としては「絶対的な正解はあり得ない」と考えています。
(どのような問いであれ、問いというのは暗黙の前提をもっていて、
そして答えは常にその前提の範囲に限られるものであり、
つまり前提を超えた絶対的な答えはあり得ないことになります。
逆にいうと、前提さえあればその範囲での正解があり得るということです)
なお、わかりづらかったかもしれませんが、
>>790で取り上げている「思考」というのは現象としての「思考」のことです。
「思考」という現象は実際に起こっていると言えるのか
ということを問題にしているつもりです。
このことについて、少なくとも私の感覚では思考は実際に起こっていることとして感じられます。
もちろんこのことも絶対に正しいという保証はないわけですけど。
- 795 :でこすけ:2020/09/20(日) 21:59:10.70 0.net
- 私としては、たとえば「A=A」についても絶対に正しいという補償はないと考えます。
しかしそのようにあらかじめ定義しておくことであれば可能のはずです。
「我思う故に我有り」についても絶対に正しいという補償はないと考えますが、
「存在するというのはそういうことだ」という定義を含ませることは可能だと思います。
- 796 :274:2020/09/21(月) 04:55:24.08 0.net
- >>790
>脳は意識の中のイメージにすぎない
だとすると、なぜ科学では人間の意志作用の伝達源としての複雑な脳の構造や機能を
観察できているのかが謎になってしまいますね。
それこそが主観的唯心論の大きな難点の一つだと思います。
- 797 :考える名無しさん:2020/09/21(月) 05:03:54.25 0.net
- 脳は実のところ、何か?の代理人のような役割なのかも?しれないなあ。
ニコラ・テスラだっけ。脳は受信機っていってたの。
「今日は吉野家にしよう」と思うのだって、そりゃ自分の頭が考えてるのは一見明白だけど、
でもその本当の源は、本当に物理的な意味での自分なのか、疑い始めたらよくわからなくなる。
- 798 :考える名無しさん:2020/09/21(月) 05:58:35.69 0.net
- 797さんのような疑問は脳=自己と考える事で生じる問題だと思います。
より正確な考え方は脳≠自己や脳≒自己のように感じられます。
自己は脳の一部とお思われますが、脳は自己の一部(全部)では無いと考えられます。
もっとも送信元が自己の認知外の自己未分的意識ならば(受信機は)ありえそうですね。
- 799 :考える名無しさん:2020/09/21(月) 15:31:19.51 0.net
- 鏡に映った顔は左右が反転している、そして鏡は上下反転しない
この原理こそ、主体から左右という原理説明を理解せずに自己中心で
鏡に映ったそれも自分からみて左右だという説明に気がついていない。
鏡に映さず完全に酷似している双子が、正面に向き合い
それぞれが鏡にように見えたとしても左右は反転しない、
それは主体的意味が鏡に映ったのは映像ではなく自分からの関係性で
右と左かという対称性にあるからだ、
たとえば鏡で写したように見える双子の顔を無重力の宇宙空間で
上下逆な姿勢で向かい合えばどっちが上下か?当然自分にとって
下が下であり、相手にとって下は上になる、たんなる思考の主体的意味づけの詐欺だ。
- 800 :考える名無しさん:2020/09/21(月) 15:33:09.36 0.net
- つまり鏡にうつった相手(自分)の、鏡側からの視点で物事を観察できないからこそ
左右が逆転する。写った側からの視点では左右は逆転していない。
- 801 :でこすけ:2020/09/22(火) 02:08:00.64 0.net
- >>796
私もそのように思います。
私としてはざっくり唯心論で間違いないとは思っていますが、
そうはいってもいまいち心もとないというかんじです。
このかんじは進化論と同じようなところ(というか“まんま”ですが)があります。
生物の進化は突然変異と自然淘汰によるものということになっていますが、
しかしこれはようは偶然ということであり、
そしてそんなわけはなく、
つまりいわゆるセントラルドグマでは心もとないというかんじがあります。
ただ、だからといって一方の創造説はもはやありえません。
人間は単細胞生物から少しづつ進化したと考えるのが妥当であることにかわりはないと考えます。
私は空間や物質を錯覚もしくは幻想と考えていますが、
つまりようは情報です。
R•ドーキンス氏によると情報もまた変異と淘汰を繰り返しながら進化をするものです。
私は物質世界という幻想は40億年もしくは138億年かけて精緻に構築されたものだと考えますけど、
ただ、偶然の産物ではないとも思います。
しかしそこで必然性をもたらす構造についてはまだよくわかりません。
それでも物質世界が幻想であることに変わりはないとは信じています。
そこで皆さんのお考えを伺いたいと思い書き込みをしているわけです。
(ちなみに私は結構書き込みをしているはずなんですが、
じつは反響がほとんどないというのが私の率直なかんじです)
なお取って付けるようですが、いわゆる「脳」を疑うのは
脳が意識を生み出す仕組みを説明できないからです。
流れ的には「意識」ではなく「脳」を疑うのが自然だと思うのですが
いかがでしょうか?
そもそも「脳が意識を生み出す」という証明されていない前提に問題がある気がします。
- 802 :でこすけ:2020/09/22(火) 02:27:10.97 0.net
- >>801の「脳が意識を生み出す」は
「脳というシステムが意識を生み出す」に訂正させていただきます。
意識は細胞単位で既に獲得されている可能性が否定できないためです。
単細胞生物が光や熱に反応するとき
私にはクオリアが伴っていると考えておく方が無難に思います。
脳を持っている生物の意識は感情やコミュニケーション言語を持っているような
比較的複雑なもののように思います。
たとえばサカナとかトカゲとかムシとかでもいたずらすれば怒るかんじがあります。
意識はもっとシンプルなものから少しずつ進化した気がするのです。
脳は意識を複雑にするものではあっても
意識を発生させる装置ではないと私は考えます。
- 803 :考える名無しさん:2020/09/22(火) 02:50:32.26 0.net
- 現実を幻想というのは思考と現実の区別を付けない暴論のように感じますね。
この世界がシミュレーション世界である可能性については否定しませんが、
その場合でもバーチャル世界である可能性は限りなく低いと思われます。
科学的にもデコーディング技術などの進歩、発展により脳の意識への影響が強く示されてきている今、
脳を疑うと言うのは「意識は特別なものである」という信仰に他ならないように感じます。
- 804 :考える名無しさん:2020/09/22(火) 03:32:05.63 0.net
- 799さんの鏡の話は実は左右反転してないとか、
足元や頭上に鏡を置けば上下も反転して見えるとか言うツッコミしちゃだめなのかな?
まあ言いたいことは799さんの書かれてることも一つの固定概念なのではと言う事ですね。
もちろん他にも色々な考えをお持ちだとは思いますが。
- 805 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/22(火) 06:52:39.00 0.net
- 悪霊と壮絶に戦っていたのか。デカルトは。
- 806 :時計 :2020/09/22(火) 07:51:06.49 0.net
- >>801
私は物質は確かに存在するものであると、一応ですが、考えます。
確かに存在することと幻想であることの違いは、
確率論的に0.9であることと0.5であることの違いのように考えます。
このようなことに確率を語ることは難しいですから、
物質について、「確かに存在する」と「幻想である」のどちらの術後を選ぶかは、
極めて恣意的なものであると言わざるを得ないかと思います。
- 807 :時計 :2020/09/22(火) 07:55:32.44 0.net
- >>806
「術後」は「術語」が正しいです。
- 808 :考える名無しさん:2020/09/22(火) 09:52:28.30 0.net
- >>801
>生物の進化は突然変異と自然淘汰によるものということになっていますが、
>しかしこれはようは偶然ということであり、
なぜこう考えているのでしょうか。偶然の要素など
- 809 :でこすけ:2020/09/23(水) 00:04:00.56 0.net
- >>803
率直なご意見ありがとうございます。
言葉尻で恐縮ですが、私としては夢を見ているときは夢が現実であるように、
私達にとっては物質世界がじつは幻想であったとしても
一応とりあえずの現実であることに変わりはないと考えます。
「幻想」という表現は誤解を招くことがあるようですが、
私が>>801で主張しておきたかったのは、
「現実世界は実体である以前に情報だ」ということのつもりでした。
情報は生物と同様に進化するということです。
私は、私達が普通に認識している物質世界を幻想もしくは錯覚を含むものと考えています。
たとえば原子は光の性質により映像情報をもたないものです。
一般に出回っている原子の写真は電子顕微鏡から得た情報を
便宜的に映像に変換した、いわば疑似映像のようです。
そもそも物質世界は素粒子を基本的実体とするわけですが、
そのレベルには光も音も無いはずであり、
となると感覚は私達の意識の中にしかないものである気がします。
感覚を介する物質世界は
その意味でなら「幻想」と言えるものなのではないでしょうか。
私は自然科学は構造的には虚構だと考えますが、
しかし恒常性が確保されているものだとも思います。
ゆえにみんなで共有可能なのだと考えます。
さしづめ共同幻想ということになります。
ちなみにどのようなメカニズムで恒常性が確保されているのかは
私にとってもナゾです。
- 810 :でこすけ:2020/09/23(水) 00:14:36.85 0.net
- 「物体としての“脳”という錯覚」について
まず脳は原子でできているとのことです。
原子は原子核と電子で構成されているわけですが
ようはスカスカです。
脳が頭蓋骨の中にたっぷり詰まっているような感覚は
錯覚と言えると思います。
「逆転スペクトル」という思考実験は
誰が見ている世界が正解なのかを特定できないことに特徴があると思います。
哺乳類と昆虫が違う世界を見ているかもしれないとき、
私達が見ている脳がその本当の姿かどうかはわかりません。
分析することに意味があるという感覚は錯覚の可能性があります。
また脳は脳として存在しているイメージがあるかもしれません。
しかしたとえば脳をミンチにしてハンバーグを作った場合、
まったく同じ材料でできているとしてもそれはもはや脳ではありません。
脳は機能はしていても存在していることにはならない気がします。
脳という物体が存在しているという感覚は
錯覚と言えると思います。
あるいはえてして脳は人間の意識とは関係なく客観的に存在している気がします。
これは私のお得意の冷蔵庫のたとえですが、
脳が頭蓋骨の中に収まっていて誰も見ることができないとき
そこに脳は「有る」と言えるのか、
冷蔵庫の扉を閉めてもまだ中の電気がついているような感覚が錯覚であるように
縫合しても中に脳が有るという感覚は基本的には錯覚だと私は思います。
私はたとえばD•チャーマーズ氏が「脳」をどの様に定義しているのかは存じませんが、
ただ、少なくとも意識のハードプロブレムで前提にしている「脳」というのが
必ずしも思い込みを完全に除き去ったものという印象はなかったりするのです。
- 811 :考える名無しさん:2020/09/23(水) 00:36:08.24 0.net
- MRIやCTスキャン画像見たことない人なのかなw
- 812 :でこすけ:2020/09/23(水) 00:36:27.91 0.net
- >>806
私は物質は存在しているものだとは思いませんが
恒常性のあるものだとは思います。
そしてそのように認識されるシステムがあるのだろうと考えます。
たとえば服用すると確実に鬼や天狗が見える薬があるとします。
それは絶対確実に見えるんですが、
しかし私の感性ではそこに鬼が存在しているとは思えません。
私には脳が存在論的に存在しているとは思えません。
しかし頭蓋骨を開けると確実にそれが現れる仕組みだったらあるのだろうとみているのです。
- 813 :でこすけ:2020/09/23(水) 00:57:22.62 0.net
- >>808
ある環境の中で生き残るものにはある程度の必然性があるかもしれません。
しかしその環境にエントリーすることには偶発性があると思います。
その意味で全体では偶然です。
DNAの変異がランダムだったら自然界に奇形がもっといてもいい気がします。
しかしたとえば進化が個ではなく種を単位で起こっているとき
そこに淘汰圧とは別の必然をもたらす仕組みがあると考えるのが妥当だと思います。
- 814 :考える名無しさん:2020/09/23(水) 01:29:23.68 0.net
- 主観と主体観測という立場からの意味に呪われている
論理という呪縛では、偶然を制御下にできないのでござる。
- 815 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/23(水) 07:57:35.41 0.net
- 哲学科大学院卒(博士)以上に運営仕切らせたら哲学らしくなると思うよ。
- 816 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/23(水) 07:58:19.00 0.net
- 僕は文学科国文学専攻。片手間に哲学やってるだけ。
- 817 :考える名無しさん:2020/09/23(水) 17:54:38.55 0.net
- >哲学らしくなる
現代のゆとり教育がつくった文化、
哲学ではなく、「哲学らしくなる」これが答えだ。
永遠に哲学にならない1歩手前、たかが哲学なのに。
正解すなわち、答えがある学校で、ピーマンの絵を教え、パプリカと答えれば、
不正解になるのが「哲学らしくなる」ということだ。
哲学という幻覚を覚えてそれを哲学とする「哲学らしくなる」世界、
言葉の定義が変貌するように現代哲学は「ゆとり哲学」に変貌してゆく。
- 818 :考える名無しさん:2020/09/23(水) 18:59:44.12 0.net
- 本を読んでるときは確かに自分が読んでる
言葉を読んでる
でも普段はどうなんだろう
こうやって書いてるものも、言葉はあとから表現として出てくる
言語になる前はXだけど、前頭葉あたりでなんらか働いてる
- 819 :考える名無しさん:2020/09/23(水) 19:16:59.53 0.net
- マッラとは
末盧国は、現在の唐津市周辺に古来大陸との交流をもとに栄えた「クニ」であり、それが中国の王朝にも知られていたという。 末盧国には日本の稲作発祥の地(菜畑遺跡)や邪馬台国時代の王墓(久里双水古墳)など貴重な文化財の発見が相次いでいる。ここは大陸(唐の国)への玄関口(津)であり、稲作文化もここから日本全土に広まっていったのであろう。土器も薄く、色もちょっと灰黒色ぽくて、朝鮮の強い影響を感じる。
奈良時代までは、朝鮮、対馬、壱岐、末盧国、伊都国、赤間関のルートであったが、新羅と国交断絶の後は、壱岐から直接下関への航路に移り変わって行き、末盧国や伊都国は取り残されて行った。秀吉の朝鮮出兵では、名護屋城が拠点となり、人口は100万とも言われ、当時の大阪を凌ぐ賑わいを見せていたが、それも僅10年足らずで、秀吉の死亡と共に衰退して行った。
- 820 :考える名無しさん:2020/09/24(木) 00:59:36.92 0.net
- おまんこ同情
- 821 :でこすけ:2020/09/24(木) 03:35:27.33 0.net
- >>814
私はそもそも因果律に疑念をもっています。
少なくともビッグバンには原因がありません。
コントロールはゲンソー、
さらにコントロールできてる感は気のせいだと考えています。
私としては運動の3法則よりも不確定性原理の方が
わかりやすい気がしています。
運動の3法則は自然の記述であって、
となると哲学板的には「何故この宇宙ではそうなのか」
という疑問を持たざるを得ない状況です。
とりあえずそれらには妙な説得力があるので鵜呑みにしたくもなりますが、
どのようなメカニズムでたとえば作用に対してそれと全く同じ反作用が起るのか
よく考えてみるとよくわかりません。
仮に作用に対してそれに見合わない物理状態が起こったとしても
そうなってはいけない絶対的な理由はない気がします。
それに対し不確定性原理の方はあらかじめ「理由はない」とか
ばっさり切ってきます。
それ以上のつっこみようも無いというものです。
私には「何故理由が無いのか」という疑問に意味があるとは思えません。
その上で「進化に必然性を与えるもの」とか自分から言ってしまいました。
なにげにちょっと困っているわけです。
- 822 :でこすけ:2020/09/24(木) 04:10:01.79 0.net
- >>818
>言葉はあとから表現として出てくる
この感触は私としてもわかる気がします。
しかしそれは錯覚の可能性もあると思います。
言葉の介在しない思考というのはあり得ない気もするからです。
文字の無い社会では近代科学が発展する気がしませんし、
言葉の無い社会で哲学が発展する気もしません。
言葉こそ思考そのものかもしれないわけです。
思考しているのは表層意識なのか深層意識なのか、
この問題は邪馬台国論争のように決着がつきにくいもののような気がします。
先日私は表層意識と言いましたが、じつは深層説も捨てきれません。
そこで可能性を考えることにしました。
とりあえず私としては九対一で「表層」ということにしておきたいです。
- 823 :時計 :2020/09/24(木) 04:59:35.34 0.net
- 私は、物質は幻想であるという考えはとても大切なものであると考えます。
とは言え、私達は日常では物質は確かに存在すると考えて行動しています。
この両者をどのように融合させるか。それが大切なことであると考えます。
私達の世界は中盤のオセロのように終盤にひっくり返される可能性がある。
比喩的にはそのように語られるかもしれません。
あるいはオセロのように盤面は不安定なものであると。
- 824 :考える名無しさん:2020/09/24(木) 05:22:13.31 0.net
- >>822
どうなんですかねえ
哲学でいうと知的直観、イデアを補足するような能力、
霊感に近いというか、芸術などの一瞬のひらめきみたいなものが、源泉のような気がします。
最初から言語ありきのタイプの人もいるとは思いますけどね。。
- 825 :でこすけ:2020/09/24(木) 05:39:47.20 0.net
- 米は縄文時代から陸稲として栽培されていたようですが
列島社会に主食として定着したのは水稲が始まった弥生時代以降のようです。
しかし考えてみれば何故陸稲から水稲にシフトしたのか
私事で恐縮ですが私にはそのあたりの理解がないことに今回気付きました。
私としては人類が農耕を始めたのは「楽しかったから」だと考えていますが、
それだけであれば陸稲でも良かった気がします。
実際よその社会では麦とか大豆とかも採用されていたりするわけです。
そこで以下は根拠の希薄な妄想です。
ぱっと思いつくのはやっぱりその方が美味しかったんだろうなということです。
私にはじつは今までの人生でオカボを食べた記憶がないんですが、
パサパサで美味しくないとは聞いたことがあります。
米というのは新米に象徴されるようなみずみずしくもっちりしたものこそ味が良く感じます。
弥生人は米ばかり食べていたせいで縄文人よりも体格が貧弱だったそうですが、
それは他に食べるものが無かったというわけではなく
現代人がジャンクフードばかり食っている感覚ではなかったかと思うのです。
一方で水稲農業は社会制度の発達に影響したであろうこともうかがえます。
組織的な作業はもとより余剰も増え、社会の安定にもつながるはずです。
水田からの残土は墳丘墓として再利用され、
やがて政治、経済、宗教へと波及し列島の発展へとつながります。
ただ、それでも栽培したのが米以外だったらどうなっていたのか、
やっぱり一番重要な要素は「うまかった」ということのような気します。
つまり歴史を動かしたのは富や権力などではなく
味(クオリア)だったのではなかろうかというおはなしでした。
- 826 :でこすけ:2020/09/24(木) 06:10:39.84 0.net
- >>823
一応指摘させていただきますが、
時計さんが想定している「物質」と私が想定している「物質」は基本的に異なるものです(と思います)。
時計さんが言っている意味での「物質」は私も存在していると言えると考えます。
むしろ本当に存在しているのはその意味での「物質」かもしれないとも思います。
- 827 :でこすけ:2020/09/24(木) 06:23:14.43 0.net
- >>824
私としては、その「ひらめきみたいなもの」が
どこで起こっているのかが問題なのだと考えます。
表層なのか、深層なのか。
ちなみに今の私の気持ちとしては先程から少し修正があり
六対四で表層ということにさせていただきたいです
(この比率は今まで絶え間なく変化してきましたし、
これからも絶え間なく変化すると思います)。
- 828 :時計 :2020/09/24(木) 06:43:45.40 0.net
- >>826
それでは、物質の存在は幻想であるというときの、
でこすけさんの言う物質とはどのようなものでしょうか?
私は本質的には変わらないと考えます。
- 829 :考える名無しさん:2020/09/24(木) 09:07:48.13 0.net
- >>821
因果は存在するが人が認識できる因果は本当の因果ではなく
さらにその上の別の因果が何らかの理由で存在するということですか
- 830 :でこすけ:2020/09/24(木) 23:48:59.98 0.net
- >>828
私は意識には内側と外側があると考えています。
この時点で間違っていたらそれまでですが、
たとえば私には他人のクオリアを体験できていないようなので、
つまりそこには断絶なり境界なりがあって、
そしてその境界のこちら側が内側ということになります。
外側というのは永久に体験することができないというよりも、
むしろ体験できないものを外側とする、というかんじです。
人類70億人全員にその認識で了承を得られるのかどうかは分かりませんが、
私の理解では時計さんもそのようにとらえている印象です。
ただ、私の方は「意識の外側にも何かが存在してはいるのであろう」
と根拠のない(ありえない)推測をしているのに対し、
時計さんは「何も存在していない、すべては内側にある」としていて
その点で相違があるわけです。
すなわち私が言うところの物質とは意識の外側にあるものの候補のことであり、
時計さんが言うのは意識の内側にあるものであろうということになります。
私としては、ややこしくなるのでやめた方がいいとは思いますが、
意識の中の物質は存在すると言い得ると思います。
しかし意識の外側には精神的なものしか存在していないであろうと主張しているつもりなわけです。
私としては物質が意識の中にしかないものであれば
それを「仮想」と表現してもさしつかえがない気がしますが、
しかしこの仮想は摂理に基づき強固に構築されたものであろうとは想定してい
ます。
意識のハードプロブレ厶を除けばたいていの場合で物質の存在を想定しても
問題はない気がします(むしろメリットの方が大きいかもしれません)。
普通の暮らしをする上では何も変わらないと思います。
- 831 :でこすけ:2020/09/25(金) 00:09:31.90 0.net
- >>829
「因果」は主観が世界に起こっていることをそのように解釈したというだけのことであり
世界はそのようなものとしてつくられているわけではない、
もしくは主観がなければ因果もない、
という表現でご理解いただけますでしょうか?
世界観というのは認識者自身の投影像と言ったらわかりづらくなるでしょうか。
おそらくすべての現象に本質的な原因はありません。
しかし世界は個々の集積として存在し、
そしてそれらのふるまいにはアベレージがあって、
つまりアベレージの予測であれば可能ということなのだろうと思います。
運動の3法則もアベレージということなら理解できます。
- 832 :考える名無しさん:2020/09/25(金) 00:56:56.30 0.net
- >>831
なんとなくわかります
>「進化に必然性を与えるもの」
を考慮すると>>829かと思ったのですがそれは別の視点からのものでしょうか
- 833 :でこすけ:2020/09/25(金) 01:42:15.74 0.net
- >>832
たとえばふたつのサイコロを振ってそれぞれに出た目の数を足したとき
「7」になる確率が一番高くなるはずです。
実際何度も繰り返すと最も頻度が高くなります(実証済み)。
私の感性では、これは必然ではあっても原因があっての結果ではない気がします。
かく言う私であっても理由をつけることはできます。
全36パターンで「7」が一番多いため、
しかし理由は原因とは違う気がするのです。
とりあえず人間は何らかの理由を求める動物なのだろうと思います。
受精卵が成体に成長するのが必然であるように
単細胞生物が高等生物にまで進化するのも必然のはずです。
しかし進化の場合、すべてが原初に設定されているわけではありません。
たとえばヒトの場合、6500万年前の隕石の衝突による大量絶滅が影響しているはずです。
基本的には偶然の集積でありながら
それもこれも含めての必然というのはよっぽど何かがある気がするところです。
なんだかわかってみるとたいしたことなくなる気もしますけど。
- 834 :時計 :2020/09/25(金) 04:27:16.66 0.net
- >>830
私は意識の外側は存在しないと考えます。
そして、物質もまた心的現象だと考えます。
違いとは、その辺りでしょうか。
- 835 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/25(金) 07:09:50.40 0.net
- 他者の存在否定した哲学者は過去にいたけど坊さん系かな。無茶苦茶なところはある世。
- 836 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/25(金) 07:10:20.89 0.net
- 他者の存在否定した哲学者は過去にいたけど坊さん系かな。無茶苦茶なところはあるよ。
- 837 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/25(金) 19:17:27.85 0.net
- 他者が存在しないなら自己や他者にとっての他者である自己も存在しないほうが
スッキリとした地平が眼前に開けてくる。心中のようではあるが。
- 838 :考える名無しさん:2020/09/25(金) 19:27:54.69 0.net
- 魔法使いが世界を支配している
- 839 :考える名無しさん:2020/09/25(金) 20:13:15.19 0.net
- この世は仮想現実
- 840 :時計 :2020/09/25(金) 20:30:41.90 0.net
- >>837
おっしゃる通りだと思います。直感的には。
だから、唯我論には賛同しません。
- 841 :でこすけ:2020/09/25(金) 20:42:02.98 0.net
- 知れば知るほどわからなくなります
- 842 :考える名無しさん:2020/09/26(土) 00:40:08.57 0.net
- 学術君が発狂しているのはなんで?
- 843 :時計 :2020/09/26(土) 10:48:20.47 0.net
- >>840
しかし、他者の意識は無であるというときの無と
主体の意識は無であるというときの無とは意味合いは異なるのかなと思います。
後者は「空」とでも言った方がいいのかもしれません。
- 844 :でこすけ:2020/09/26(土) 13:36:14.94 0.net
- ところで>>830の補足です。
私としては唯心論を主張する上でより重要になるのは
じつは物質ではなくて物理学的空間だと考えています。
意識の外側には物質以前に物理空間がないということです。
いつだったか私が「空間は虚構だ」としたときの時計さんのコメントに
「私も空間信仰をもっていました」というものがありましたが、
じつは時計さんの世界観にはそもそも私が問題にしているような空間など
はじめから無かったかんじです。
とりあえず「空間」は主観が生み出した主観内部のための便宜的表象であり、
それは裏を返せば内部にはあるということになりますが、
しかし私としてはそれについてはいわゆる空間そのものではないと考えます。
空間が意識の外部にも存在しているのか否かは別のことです。
私は物質と同様に意識の外側の物理空間も錯覚だと考えます。
私はそれぞれの意識は互いに影響を及ぼし合っていると考えていますが、
(この点はライプニッツのモナドとは異なっています)
それ以上のことはないと捉えておくのが妥当だと思います。
これはもちろん意識の外側のことですから断定はできませんが、
私としてはどこか不自然な気がする空間という概念は
じつは虚構の可能性の方が高いように思えるのです。
- 845 :でこすけ:2020/09/26(土) 13:38:14.40 0.net
- >>843
学術さんが「坊さん系」としたことに関連するのでしょうか。
主観主義は修行が必要なようなので私はためらっています。
- 846 :考える名無しさん:2020/09/26(土) 17:30:05.82 0.net
- 意識の外側
死後の世界
貴方のしらない世界
- 847 :考える名無しさん:2020/09/26(土) 17:38:57.86 0.net
- それはイデアってやつですかね。。
- 848 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 17:44:42.85 0.net
- おっぱいある 有
おっぱいない 無
性欲が錯綜してるだけでしょう。
でもおっぱいがあ
る男性やおっぱいがない女性も生まれ育ちます。
他者が無だというのもそういう滑稽味がある話で。坊さんのように無茶苦茶なシビアもある種いい女であることでしょう。
- 849 :時計 :2020/09/26(土) 17:54:51.48 0.net
- >>848
その喩えはよく解りませんが、
他者が無というよりは、正確には、他者の意識は存在しないですね。
- 850 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:05:56.54 0.net
- 無というのも左右対称ではありませんがな。有るにしても。
胸がない女性もきれいで、餓鬼のように太ってる男性もいます。
- 851 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:09:12.89 0.net
- 意識の流れは面白いけど、活性化すると起きている時間は少ないですね。
シュールレアリスムなんてどうでしょうかフリーダカーロレメディオスバロレオノーラ伽リントン
など。
マジックタイム的な。死神か女神かというようなことも性差があって人生に大切な節です。あとはカラーズとか。
- 852 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:09:49.08 0.net
- レオノーラキャリントンね。
- 853 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:30:57.03 0.net
- 女性目線でないこと 男性目線であること は同じ結論を求めていないし
合致することもないものですからね。平行線の様な咆哮や連鎖ですよ。
当たり前の話ですが。一つの笑い話だ。
- 854 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:32:04.80 0.net
- しかし同性愛者のような境界のあいまいさ、ユニセックスののようなことも
古典にも現代にもいい恋でしょう。
- 855 :時計 :2020/09/26(土) 18:40:07.25 0.net
- >>851
>>852
シュールレアリスムは面白そうですね。
西洋絵画はぼくには少し重すぎるかもしれません。
- 856 :時計 :2020/09/26(土) 18:43:13.50 0.net
- >>853
>>854
私は、男性も女性も付いているものが違うだけで、同じ様な存在だと考えています。
そういう意味では、ユニセクシャルな主義なのかな。
- 857 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 18:49:16.84 0.net
- 同族ということなら似ているけど昔はクーデタもやったけどさ、
異質なものは繁殖がスパン長いでしょうね。感動。
- 858 :時計 :2020/09/26(土) 18:57:02.75 0.net
- >>857
異質なものに惹かれるということは本質かもしれません。
異質と言うか美しいのだろうけれども。
- 859 :学術@死狂廃神龍騎師:2020/09/26(土) 19:12:00.23 0.net
- 本質というと哲学ではニーチェが筆頭かな、文学ならドストエフスキートルストイ
ゲーテダンテなどあとはフランス文学がスカスカになってるほど(本質残ってない)貴重。
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