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【フェチの】柄谷行人を解体する70【内在と超越】

598 :考える名無しさん:2023/02/09(木) 01:54:27.32 ID:0.net
「力と交換様式」 序論 29ページ

フェティシズムは、時が経てば経つほど、
むしろ滑稽な倒錯性を示す比喩として受け取られるようになった。
『資本論』でマルクスが述べたことが単に揶揄的な比喩としてしか
受け取られなくなったのは、一つにはそのためである。
しかし、後述するように、『資本論』以後のマルクスは、
フェティシズムに関して肯定的となった。それは、
アフリカ人のフェティシズムと、近代西洋人すなわち
資本主義のフェティシズムを区別するようになったからだ。

それを示すのは、彼が最晩年に、
ジョン・ラボックの『文明の起源と人類の起源』について書いた摘要である。
その中で、重要なのはフェティシズムと偶像崇拝の区別である。
通常、それらは同一視されている。
しかし、偶像崇拝が神への屈服であるのに対して、
フェティシズムは神への攻撃である、とマルクスはいうのだ。

私の考えでは、それは次のようなことを意味する。
アフリカ人のフェティシズムが氏族社会を形成する交換様式Aに
もとづくのに対して、
偶像崇拝は国家や資本を形成する交換様式BやCにもとづく。
『資本論』でマルクスがいうフェティシズムは、
後者のような偶像崇拝である。


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 ↑

そしてこれが厨が「読み飛ばした」
と自分で言ってるところの「序章」に現れた

柄谷行人自身によるフェティシズム論の最初の説明ですね。

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