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心理学の院生やってるけど質問ある?

1 :まこと:2018/05/25(金) 21:35:52.21 .net
某国立大学で院生やってます。
なんでもできる限り答えます。

698 :没個性化されたレス↓:2023/06/07(水) 10:35:14.59 .net
>>697
2023発行の新しい本
もしくは、有斐閣からでてるそれっぽい名前のやつ
https://i.imgur.com/faMua1d.jpg

699 :没個性化されたレス↓:2023/06/07(水) 18:19:28.49 .net
>>698
ありがとうございます

700 :没個性化されたレス↓:2023/06/15(木) 00:46:32.62 .net
https://i.imgur.com/cmulxr6.jpg
https://i.imgur.com/z08AoiS.jpg
https://i.imgur.com/66NgYE6.jpg
https://i.imgur.com/hUBn8Cx.jpg
https://i.imgur.com/1O7kvs1.jpg
https://i.imgur.com/de5nbdP.jpg
https://i.imgur.com/dWYbgry.jpg
https://i.imgur.com/pVJvj86.jpg
https://i.imgur.com/DWMFkPm.jpg
https://i.imgur.com/l45A5eT.jpg
https://i.imgur.com/nOoE9w0.jpg
https://i.imgur.com/a6cFhuV.jpg
https://i.imgur.com/mGfcmjf.jpg
https://i.imgur.com/rVrBIj6.jpg
https://i.imgur.com/XjhEZ6S.jpg
https://i.imgur.com/I4PRkab.jpg
https://i.imgur.com/ChEXmPO.jpg
https://i.imgur.com/OVgWfwA.jpg

701 :没個性化されたレス↓:2023/06/15(木) 16:46:08.84 .net
人は二つ以上の共通点がないと関係がうまく行かないようですね

702 :没個性化されたレス↓:2023/06/15(木) 17:05:05.54 .net
他人と同じ空間にいると脳の活動が同期するんだっけ
アホ親父と話してると頭が悪くなる感覚がある

703 :没個性化されたレス↓:2023/10/17(火) 18:28:19.51 .net
!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?

704 :没個性化されたレス↓:2023/11/11(土) 23:35:01.45 .net
日常生活で役に立ったことは?

705 :没個性化されたレス↓:2023/11/15(水) 08:47:25.68 .net
文教大学大学院の公認心理士コースはどうなんでしょうか?松本麗華カウンセラーから、紹介してもらった北辰病院の中西達郎医師は、断薬のプロ。中西達郎医師のお陰で、20年間飲み続けていた精神科の薬を完全に断薬することに成功しました。やっぱり突然死怖いですもんね。
松本麗華さんから、「頭の回転が速すぎるから、(精神科の)薬飲んだ方がいい」と言われました。繰り返し北辰病院に「リフレッシュ入院してください」と言われた。広末さんたちと山梨のパワースポット巡りの方がリフレッシュできた。FUJISOFT KIKAKUの人から精神科病院に入院させろと頼まれたのだろう。あのめちゃくちゃやってるブラック企業に協力していた。後悔しているでしょうね。

706 :没個性化されたレス↓:2023/11/15(水) 08:50:18.26 .net
佐織壽雄は筑波大学大学院カウンセリングコースで学んだ方ですが、筑波大学大学院カウンセリングコースってどうなんでしょうか?
以前、IT企業で働いていて、FUJISOFTの社員と一緒に働いていた人が、相模原市の地域活動支援センターでやっている精神障害者な就労ミーティングで、FUJISOFT KIKAKUのやってる委託訓練を紹介したら、「あの会社とは二度と関わりたくない」と話していた。FUJISOFTKIKAKUは、佐織壽雄(さおりひさお)・横浜市横浜上大岡就労支援センター長がいた、2009年頃までは、精神障害者雇用の取り組みが注目されたが、ブレーンだった佐織壽雄さんがいなくなった後は、おかしくなってしまった。佐織壽雄さんから
遠田千穂(とおだちほ)さんにカウンセリング室長がチェンジして以降。早津宗彦(初代FUJISOFTKIKAKU社長)さんは、「遠田千穂さんは嘘をついている」「富士ソフト企画は大船にあるのだから、見学者は大船本社を案内しないといけないのに、富士ソフトの秋葉原ビルを案内してるのはおかしい」「恥ずかしいから名刺に「富士ソフト企画初代社長」って書くのやめようかな」と話していた。小嶋美酉さんがよく富士ソフト企画秋葉原営業所で「あのバカ女!」とブチ切れていました。向谷地宣明先生の当事者研究でも、富士ソフト企画の酷さを発表して、「富士ソフト企画っていい会社じゃなかったのですね」と参加者が話していた。FUJISOFTAMERICAのAI

707 :没個性化されたレス↓:2023/11/21(火) 05:22:58.68 .net
僕と骨伝導しませんかの三人

セクハラで処分された心理師が教えて
る大学って、福島県立医科大学と人間環境大学ですか?

日本認知行動療法学会の学会組織役員一覧のページで
過去のウェブサイト閲覧サービスを使ったら、その大学の教員名が削除されてました。

708 :没個性化されたレス↓:2023/11/21(火) 11:15:54.75 .net
最近MBTI(16personality)が流行ってるけど心理学界隈の中でのそれらはどういう位置にあるのか教えて

709 :没個性化されたレス↓:2023/11/24(金) 20:13:15.73 .net
お遊び

710 :没個性化されたレス↓:2024/02/13(火) 17:28:06.98 .net
難しくないやつで
理解しやすい心理学の本があれば教えてくれ

711 :没個性化されたレス↓:2024/03/02(土) 04:10:54.64 .net
大谷選手が結婚発表したとき、芸能人でなければいいが、と思いました

なぜそう思ったのか自分でもよくわかりません、お教えください。

712 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 08:46:16.73 .net
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

713 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 08:46:25.46 .net
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。

714 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 08:46:32.73 .net
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。

715 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 08:46:39.48 .net
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」

716 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 08:46:46.76 .net
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。

ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。

以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。

717 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 11:33:52.57 .net
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

718 :没個性化されたレス↓:2024/05/09(木) 11:33:59.75 .net
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の議論には、ラッセルのパラドックスが潜んでおり、それが爆発律につながって詭弁を正当化してしまう問題がある。
西田は、「物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」と述べている。ここで、「物」を集合、「物理的空間」を集合族と解釈すると、ラッセルのパラドックスが生じる可能性がある。つまり、「物」(集合)が「物理的空間」(集合族)の要素であると同時に、「物」同士の相互作用が「物」に働きかけるという矛盾だ。
しかし、ブルバキ流の公理的集合論では、集合族とその要素である集合は異なるレベルの対象なので矛盾は生じない。したがって、西田の「現実というものがなくなることである」という主張は、ラッセルのパラドックスを正しく理解していない誤謬だと言える。
問題は、この誤謬を前提として議論を進めると、爆発律が成立してしまうことだ。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導出できるというものである。西田の議論では、集合の階層性を無視したラッセルのパラドックスを矛盾として認めてしまうことで、爆発律が適用可能になる。
その結果、西田の議論は「絶対矛盾的自己同一」という概念に至るが、これは爆発律によって正当化された詭弁だと言える。爆発律が成立してしまえば、どんな不合理な主張でも導出できてしまうからだ。
西田は集合の階層性を踏まえずに議論を展開したために、パラドックスに陥り、爆発律によって詭弁を正当化してしまったと言えるだろう。ラッセルのパラドックスや爆発律は、論理的な誤謬を見抜く上で重要な概念であり、哲学的な議論においても適切に理解し、用いることが求められる。

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