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寄席は死にました その2

1 :重要無名文化財:NG NG.net
寄席(定席)の現状に対する不満・改善案等、
話し合ってみましょうか。

<前スレ>
寄席は死にました
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/995023727/l50

346 :重要無名文化財:NG NG.net
寄席を殺しているのは、落語家ではないか?
お金を払って、遠くから見に来たお客さんに対して、
・来ない方がよいとか・あんた何しに来たとか・こんな少ない人数で笑えるとしたら、気が狂っているとか
・寄席の常連客は、友達がいないとか・常連客は、じゃまだとか・ほかに行くとこあるだろうとか
なぜこんなことを、毎回のように言っていられるのか、不思議だ。
これを元気な若者や壮年のサラリーマンに言うならまだしも、お年寄りにも平気で言う。
私は、最初、こういうのも、ちょっとブラックの入った冗句と思っていた。
笑いには、多少の毒舌は不可欠だろうし、たまに言うなら洒落だろう。
しかし、毎回言うんだから、やはり本気で常連客が、嫌いなのだろう。
半可通が嫌いなのではない。常連そのものが嫌いなのだ。
なぜならば、その客が、半可通か、よい常連客か、ちょっと見たぐらいで、区別がつくはずないし、
また区別せずに、誰彼かまわず、上述のようなマクラを振るのだから、
落語家にとっては、定席の常連客=半可通=虫唾がはしる存在なのであろう。
これはたぶん、ご祝儀をあげるような心優しいお客さんでも、
いったん常連客と認知されたならば、定席の常連客=半可通=虫唾がはしる存在ということになってしまうのだ。
確かに何人かの落語家は、本気でそう思っていると思う。
落語家自体が、寄席のリピーターを(そのお客さんが人間的に立派な人であったとしても)
本質的に毛嫌いしているのだから、お客さんが増えるはずがない。
そんなに寄席の常連客が嫌いで目障りならば、また来てくださいなんてことを言わなければいいのに。
また、寄席の常連客を見たくないならば、そもそも、定席の高座に上がらなければいいのに。
ホール落語やほかの仕事の方が儲かるんだから、経済的にも問題ないだろう。
私は、寄席を殺しているのは、お客さんでも、お席亭でも、世の中の激しい変化でも、
その他諸々の諸条件でもないと思う。

つづく

347 :重要無名文化財:NG NG.net
>>346のつづき
落語家にとっていいお客さんとは、
楽しく明るく笑って、高座を盛り上げ、拍手もたくさんくれるお客さんではない。
落語家にとっていいお客さんとは、
落語のことをまったく知らず、ただお金を笑って置いていくだけで、
もの考えない金置き人形のことなのだ。しかし、どんな馬鹿なお客さんでも、何度も通えば、落語の知識が身につく。
そうなるとこの条件を満足しなくなるので、徐々にうっとうしくなるのだ。
信じる信じないは別として、落語家は、常連客が嫌いなのだ。否、落語家は、客が嫌いなのだ。
これは、抜きがたい本質的な真理を含んでいる。
寄席にお客さんが来ないのは、
表面的にいくら取り繕おうとも、垣間見えてしまう、このリピーターを毛嫌いする落語家の心が原因であると思う。
おそらくその心は、落語の心とは本質的に矛盾する心のありようだ。
落語の中の毒舌は、言いたい放題、無責任のようでいて、どこかやわらかさがあるものだ。
上述のマクラを話す時の落語家には、そのやわらかさがないので、救いがない。
ただ唯一、救いらしきものがあるとしたら、すべての落語家がそうである訳ではないことだけだろう。
だから、今、お席亭のするべきことは、落語家を、芸の良し悪しや、人気の有無で判断するのでなく、
せめて、明るく笑い、たくさん拍手し、場合によってはご祝儀をはずむような、心優しいお客さんぐらいは、
常連として受け入れるような(私は、半可通を受け入れるとは言わない、いびきをかいて寝る客を受け入れろとは言わない)
心の優しさがある落語家どうかを見極めて定席に上げるかどうかを判断することだと思う。
今、芸の質だけでお客を呼べる落語家は、東西合わせて10人いればよいところだろう。
だから芸の質や人気ではだめなのだ。
しかし、それが、改善されたとしても、私は、もう寄席にはいかない。
私にとって、それほど現代の落語家の心は醜い。

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