2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

【シビけるところが】広沢虎造(二代目)3【コマツ村】

661 :重要無名文化財:2014/03/21(金) 05:53:32.47 .net
(つづき)と詳細に書いてある。花園町という名はあっても、誰も「秋葉[あきば]の原[はら]」
としかいわなかった。当時は神仏混淆の禁令の威力が凄じかったから、

 世人、当社を鎮火の社と号せらるゝを以て、仔細を弁ぜずして、遠州秋葉山[あきばさん]の神を
 勧請ありしと心得て、参詣のもの秋葉山権現と称へて拝する人まゝこれあり、
 秋葉山は祭神大己貴命[おおなむちのみこと]にて、後来三尺坊を合祭し、習合[しふごふ]の社たりしが、
 此頃三尺坊は同国可睡斎[かすゐさい]に移されて、唯一の社とは改れど、祭神は別神なり、
 しかるに此近辺の輩も世間につれて誤れるが多き故、こゝに其趣を記せり、上野の両大師へ詣でて、
 弘法大師と心得、南無大師遍照金剛と唱ふるものあるも比類なるべし。 (同上[武江年表])

と弁じはするものの、何が何でも秋葉大権現と思い込んでいる。その社があるから、
秋葉の原としかいわない。この原へは涼みに出る者が多く、夏の夜は賑わしかった。
涼みに出る中に、大和町辺の駄菓子職人の喉自慢が揃って来て、風通しのいい原中、
月は冴えて照り渡る、そこで存分に唄う。これが何よりの景物になって、近所だけ
でなく、橋を越して聴きに来る人もある。それからだんだんと大道芸人が覘う場所になり、
祭文読やら講釈やら、いろいろな見せ物も出て、夏冬なしに一年打通[ぶっとお]しの群集、
火除地が遊園地に化けてしまった。

 明治二十三年、日本鉄道会社は、ここを貨物取扱所にした。そのために秋葉社は
前年に下谷坂本へ移ったそうだ。今日の駅名は、本来なら花園町というべきはずなの
だが、当時から通用の悪い町名だけに、耳馴れて知れやすい方にしたのらしい。
それなら何故に「の」の字を倹約したのだろう。タッター字で原をバラと濁らなければ
呼べなくもなり、聞えも変なものになった。それでも秋葉の原と請け取ればいいが、
我等などには何のことか分らない。倹約のムズカシイのはここにも証拠がある。
ただ「の」の一字で、原をバラと読まなければならなくもなり、原称が不明にもなる。
分りましたか。
=====

235 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver.24052200