志ん朝、談志が死んで名人が消えた落語界
- 1 :重要無名文化財:2012/07/06(金) 08:06:35.40 .net
- これで米朝が死んだら終わりやね
- 340 :重要無名文化財:2013/12/21(土) 22:28:49.53 .net
- 立川談志さん死去・柳家小三治さんインタビューを掲載します
小三治さん)
「(古今亭)志ん朝の落語をどう思う?」って聞かれたことがあるんですよ。
まだ志ん朝さんが生きている頃ですよ。
「いいんじゃないんですか」って言ったんですよ。
そしたら「本当にいいと思うのか」って。
「いいんじゃないんですか、ああいう落語もあり、お兄さんみたいな落語もあり、
色んな形があって、それが落語界を作っているのだから」と言ったら
「すぐお前はそういうことを言う」ってとっても不愉快そうにしていましたね。
つまり、私が「あれは駄目だ」と志ん朝さんのことを指して言えば、
きっと、意気投合したかったんでしょう。
- 341 :重要無名文化財:2013/12/21(土) 22:31:42.57 .net
- 小三治さん)
それで志ん朝さんが亡くなったときに言った言葉は「商売になる生き方をした」と言った。
「はなし家として立派な人だった」という言い方はしない、
彼の本当の心は、腹の中では認めてなかったんでしょ。
- 342 :重要無名文化財:2013/12/21(土) 22:34:09.04 .net
- 小三治さん)
私としては、そうですねー、議員なんかにならなきゃ良かったと思うけど。
でもあの人はそういうことが目的で生きていたとも言えるんです。
権力にあこがれていた人ですからね。
そのために三遊協会分裂のもとを作ったのはあの人ですよ。
ねえ、それから、結局は落語協会を飛び出して、立川流とかっていう、
家元とかっていう名前を自分でつけたわけで、誰も周りがいったわけじゃねえのに。
そういうところもあの人らしいなあって。
苦笑いをして見て来たわけです。
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