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◎女形役者について語るスレ◎

527 :玉三郎インタビュー 3/:2021/05/09(日) 18:31:54.74 .net
>>526

幼稚園には行かず、歌舞伎俳優、十四代目守田勘弥の妻である藤間勘紫恵に日本舞踊を習い始めた。4歳の頃、稽古場で初めて「お月さま」を踊った時のことを覚えている。
それから守田勘弥の部屋子となり、7歳で初舞台を踏んだ。

「最初は興行が25日間もあると知らなくて。朝起きて、『今日もまた舞台に出られるの?』って母に聞くと、『今日も出られるよ』。
『いつまで?』『幾日まで』。毎日出られることが信じられなくて、嬉しかったです」

血縁だけが家族ではない

14歳で五代目坂東玉三郎を襲名。「心中刃は氷の朔日」。1964年6月、歌舞伎座 (C)松竹株式会社

子役として舞台出演を重ね、14歳で守田勘弥の芸養子となる。この時、五代目坂東玉三郎を襲名した。

「養父の守田に『今日から専門家になるんだから、今までのような甘い生活はできないよ』と宣言されました。『あ、そうか』と受け止めて、朝10時から夕方5時まで、稽古ずくめということを覚悟しました。
踊り、三味線、鳴り物、お習字、義太夫の稽古をしていました」

親元を離れて暮らすことに、寂しさはなかったのだろうか。

「名前を継ぐと、ありとあらゆることがやってくるという覚悟がありました。僕、寝床を一回決めると、そこから外泊できない子どもだったんです。
だから養父、養母のところに引っ越した後、ほとんど生家に帰らなかった。実父は養父のところに僕をやりたくなかったと思います。
そばに置きたかったと思うんですね。ただ、実父は僕の言いなりでしたから、行くと言ったら、『ああ、そうかい』って」

十四代目守田勘弥と。「与話情浮名横櫛」。1973年、中日劇場(写真提供:坂東玉三郎事務所)
玉三郎は父親を「自分の感情の根源」だと言う。実父は「甘いだけ」、養父は「厳しいだけ」。
2人の父にそれぞれのあり方で見守られた。養父と養母の他に、稽古で叱られたことは一度もないそうだ。

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