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鮮卑族について語るスレ
- 1 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 21:28:34.72 0.net
- 鮮卑族の歴史スレッドです。
- 46 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:18:39.49 0.net
- チベットって鮮卑と関係ないような…
- 47 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:51:43.28 0.net
- 吐蕃の前に青海を支配していた吐谷渾は、鮮卑慕容部の分派がチベット系土着民を支配する国
吐蕃についても王室は拓跋部の流れとしている史書はあるようだがなー、拓跋だとさすがに遠すぎ感
- 48 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 23:14:50.86 0.net
- 西夏の李王家も拓跋名乗ってたからなぁ
唐に冊封されるまで…
- 49 :世界@名無史さん:2014/03/08(土) 21:18:52.59 0.net
- 今現在の中国人の祖先は鮮卑とか五胡十六国の時代に中原に
新入してきたやつらの子孫だけどなw
- 50 :世界@名無史さん:2014/03/08(土) 22:50:34.23 0.net
- ?や羌のチベット系は、馬騰あたりから五胡十六国前期くらいまで鼻息あらかったのに、
そのあともっと頑張れよと思わないでもない。
でも鮮卑が溶けて消滅したことを考えると、辺境で小さくまとまって正解だったのかな。
流れに流れて、ビルマという独立国家を存続させることもできたし。
- 51 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 18:53:39.80 0.net
- 漢化してしまって、辺境にいる集団だけ固有言語が残ったんだよ。
羌も固有の言語で話すのがいっぱいいたはず。
家系的に姜姓の李氏なんかは、五胡系だから潜在的に羌も鮮卑も多いと思われ。
- 52 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 22:24:54.04 0.net
- 桓温、北伐により羌と鮮卑を討つ
- 53 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 23:26:46.50 0.net
- その観点でいうと、鮮卑もおそらくは末裔であろう集団が周辺に生き残ってんだよな
モンゴルと名前は変わったが・・・何部の血がもっとも濃く残ってるかはわからんけど
- 54 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 19:36:32.74 0.net
- 内モンゴル自治区には500万人のモンゴル族がいるぞ
モンゴル本国より多い。
女真族の子孫の連中は大抵漢民族と届けるらしい。
文化大革命で迫害されたから。
大陸の歴史は過酷だなぁ…
- 55 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 21:21:46.65 0.net
- 言語も信仰も祭祀も失ってしまった満洲族だが、一人っ子政策の影響で
1980年代に2000万人も増えた。
- 56 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 23:20:20.10 0.net
- >>55
1000万人じゃね?。ともあれ激増したのは確かだ
- 57 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 23:30:57.73 0.net
- 都市でペットを飼うために、少数民族登録する人もいたんだよw
- 58 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 23:45:30.04 0.net
- 普通の漢人が満州族になりすまして子供生んだりするのも可能?
- 59 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 23:57:40.17 0.net
- 農村ならば、民族籍は自己申告でほぼ通るからな。可能だよ。>>58
都市だと、バイリンガルだと確認されたり、宗族会(族譜の出版元)の会費払っているかとかチェックされるかももしれんね。
- 60 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 00:36:35.51 0.net
- >>57
たかがペットで民族変えるほどに民族が平等で軽いのか、少数民族となるも
辞さぬほどにペットが重いのか
- 61 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 15:00:02.80 0.net
- >>48
拓跋魏も曹魏との縁で魏名乗ってたシナ
- 62 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 16:03:15.45 0.net
- 中国で日本という民族籍は大変そうだなw
残留孤児の人が苦しむわけだw
- 63 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 20:19:50.59 0.net
- >>62 残留孤児は、55小数民族と違い、ヤマト族には優待条件が無いので、
養父母や兄弟と同じ民族(たいがい漢族 まれに蒙古族)で登録しているよ。
- 64 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 23:28:12.45 0.net
- 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q
- 65 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 15:21:33.63 0.net
- シボ族が鮮卑の子孫ってことになってるけどどうなん?
- 66 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 17:17:36.55 0.net
- 民族衣装が確かに北魏のものに酷似してるけど?
- 67 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 19:15:07.83 0.net
- >>65
彼らの叙事歌、西遷之歌の信憑性次第だろう
(概要)
南を目指した人々は、鮮卑と呼ばれていた。彼らが大興安嶺山脈の中で道に迷い、途方に暮れていると、
虎のような爪を持ち、馬に似た身体に角を生やした、一頭の聖獣が現れ、道案内をしてくれた。
彼らはこれをトーテム獣として祀ることにし、住居の西または北の壁にこの獣の図を飾るようになった
- 68 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 20:01:12.18 0.net
- >>67
ユニコーンの神話ってゲルマンだけじゃないのね…
- 69 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 11:10:28.25 0.net
- 私のたった一つの望み
- 70 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 11:12:34.83 0.net
- ガンダムユニコーン禁止
- 71 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 12:34:13.52 0.net
- 三國時代の500万人が晋代に1500万人まで増加
しかし、八王の乱とそこから火がついた五胡十六国の乱でまたもや減少
その人口を埋めたのは北方遊牧民
後漢代と同じ5000万人台を回復するのは隋の統一まで待たねばならない
中国人の中身が入れ替わったことは切韻の発音表を見れば一目瞭然
- 72 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 12:42:02.28 0.net
- 「鮮卑」って「鮮卑山」に行った東胡の子孫だから鮮卑と呼ばれてるだけで
実際のところ、本人達の自称って中国側からの史料には残ってないのよな
- 73 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 23:18:46.00 0.net
- 遊牧民が着けるベルトのバックルを集団名とした説のほうが納得感はある
白鳥庫吉のいうように、盤踞する民族名→地名という名付け順かもしれんしな
「漢書」匈奴傳
犀[ ],胡帶之鈎也。亦曰鮮卑,亦謂師比,總一物也,語有輕重耳
※{ ]内は「田比」を一字にしたもので、犀とあわせて漢音で「さいび」、中古音で「sieibi」
- 74 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 01:03:40.04 0.net
- >>71
しかし北方遊牧民って何百万人もは居ないんじゃね?
北方が空になったわけじゃないし
- 75 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 04:11:26.62 0.net
- >>74 西からも来たのであろう。
『春秋左氏伝』では、「戎狄豺狼」という話を載せているし、
現代語にも、「诸戎」「群狄」というのもある。
東周の頃から、華夏の人々の間では、西戎と北狄というのがあると認識されている。
『後漢書』にも、水平移動してくる西戎、それをとりいれる秦みたいな話(五帝の嚳になぞらえた形) も載っている。
禿髪や宇文のように、西からやってきた集団は、やはり五胡十六国以後も西方でも活動している。
- 76 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 16:42:44.45 0.net
- >>75
西も乾燥地帯に高山で人口密度少なそう。そんなだからこそ土地が空いた、
それ移住ということになったんだろうけど
北朝の内に漢化が進んだようだが、支配者側だとあんまし民族性に拘る
動機が薄かったのかな
- 77 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 17:04:44.00 0.net
- >>53
ハルハモンゴルの祖先は、室韋。鮮卑や烏桓/烏丸とは別集団。
内蒙古の呼倫貝爾あたりには、契丹の語彙が残っているので、そのへんも鮮卑や烏桓/烏丸とも別集団。
- 78 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 17:22:50.13 0.net
- ・・・と書いてしまった後に気付いたが、
ホロンバイルは鮮卑山の(興安嶺)の南。鮮卑の末裔が契丹に合流している可能性がある。
- 79 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 18:28:57.83 0.net
- その室韋が、史書では鮮卑の末流にされてるからそう言ってるんじゃないの?
まぁ、史書については中核氏族と臣従集団との区別を曖昧なまま記述しちゃってるだろうけど・・・
とはいえ「北書」なんかだと7世紀前半の完成だから鮮卑がどういうものかまだ把握してるだろうし、
そのうえで室韋に相応の近似性を見出して書いてるんじゃないかって気もするけどね
- 80 :世界@名無史さん:2014/03/16(日) 15:50:25.09 0.net
- かなりの部分が漢地に行って漢化し隋唐の支配者になったけど
元の地に残った鮮卑の集団は尚可孤が纏め上げた
これが松・漠の地にいたけど安史の乱の後あたりで
朝廷側に立って戦い信任を得て長安周辺に移住した(『旧唐書』144)
そこで勢力の空白地となった松・漠の地に勃興したのが契丹
その一部が細々と残っていたけど契丹に圧迫されて
後晋のころに鮮卑謙がラン州に移り住んだ
金の支配下でモンゴルに呼応して鮮卑仲成が挙兵したけど討ち死にし(『永平府志』)
弟の鮮卑仲吉が跡を継いで、子孫もモンゴルの重臣として栄えた(『元史』165)
その子孫が鮮卑氏から卑氏となって現在に至る
- 81 :世界@名無史さん:2014/03/17(月) 01:29:22.02 0.net
- あんた結構な博識だな、簡単にウラとってみたがどうやらその通りのようだ
なお卑姓ってのは鮮卑由来じゃないのもあるから、卑さんがいたら即鮮卑系・・・とはならんみたいね
- 82 :世界@名無史さん:2014/03/17(月) 21:38:07.81 0.net
- >>80
契丹族ってまだいるん?
- 83 :世界@名無史さん:2014/03/17(月) 22:14:39.40 0.net
- 契丹の子孫は、蒙古か達斡爾なのでは?
- 84 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 00:33:28.58 0.net
- >>82
契丹という民族意識を持った人はもういないはず
清代の『続通志』82に耶律氏が伊喇氏に、蕭氏が舒穆禄氏(地名から取った)になったと記してある
元が滅んで、漢化を拒んだ人たちは北方に戻って勢力を保ち八旗になったらしい
伊喇氏は伊拉里氏ともいって
和舜武(『清史稿』359)や張作霖を帰順させた増祺(『清史稿』453)を輩出し
舒穆禄氏は満族八大姓の一つになるほどの大勢力で
揚古利とその一族(『清史稿』226・227)のように清の建国の功臣だったり
『明史』の編纂に携わった徐元夢(『清史稿』289)や二十世紀の文豪の老舎のような文人もいる
「高麗系」が「漢人八旗」になったように
契丹の末裔はすでに清初に満洲族に溶け込んでたみたい
ただ『清史稿』85に舒穆禄氏だけ他の満洲族と祭祀の方法が違うみたいなことは書いてある
あと耶律禿花の子孫という人たちが雲南に十五万人ほどいる
- 85 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 01:21:48.12 0.net
- 契丹が出てきたついでに
誰か古代の漢字の音読みに詳しい人がいたら教えて欲しいんだけど
「耶律氏」と『新唐書』221上に出てくる「野利氏」、『文献通考』334の「野律氏」は同じ音を漢字で記したものかな?
「耶」と「野」が通じててこの野利氏と耶律氏が同じ氏族で
タングートの一氏族が東遷して契丹の支配者となったとすると
複雑怪奇でかなりありえない展開なんだけどどうなんだろ
抜里・乙室已・述律の三氏を合わせて蕭氏にしたと『遼史』67にあって
述律氏がウイグルってのは史書に書いてあるから確実だけど
『新唐書』に野利氏と一緒に出てくる把利氏が抜里氏なんだろうか?
そうなると『金史』の「交聘表」に出てくる西夏の使者の姓の把里だの芭里だのは故地に残った一族かな
このあたり思いつきで書いてて自分でもかなりあやふやな感じがするんだけど
このあたりちゃんと分かる人誰かいない?
- 86 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 01:54:01.68 0.net
- 漢代の説文解字なんか見ると律の音が「リツ」ではない模様
唐代までにどう変わるかだなぁ
- 87 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 20:42:33.22 0.net
- とりあえず、隋唐期の中古音を以下に記す(4研究者の各説を併記)
発音記号については文字化けしないもので代替してる
正確なものは http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ccr/ にて参照のこと
耶: ia / ia / ja / ia
野: ziwo / zio / zjo / dzio (※字號10826分)
野: ia / jia / ja / ia (※字號13195分)
述: dzhiuet / dziuet / dzhjuet / ziuit
律: liuet / liuet / ljuet / liuit
利: lji / li / ljei / lii
把: pa / pa / pa /pa
拔: -- / biwet / bhjet / biat (※字號21623分)
拔: bhuat / buat / bhuat / biat (※字號22190分)
拔: bhwat / beat / bheat / bat (※字號22211分)
芭: pa / pa / pa /pa
里: lji / lia / li / li
- 88 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 07:40:39.20 0.net
- >>87
ありがとう、こういうので調べるんだね
耶と2番目の野は同じみたいで
『新唐書』と『文献通考』で同じ氏族名を利と律に書いてあるけど
最初の発音はあってるから聞き取った漢人が語末を聞き取れたかどうかの問題かもしれない
抜里氏と把利氏はまるっきり合わないみたいだからこれは無しだね
野利氏と耶律氏が通じるとしてあとは傍証が何かあればいいんだけど
『遼史』37と『契丹国志』の序文で奇首可汗の神話があって
あれをみると昔からその地に住んでた一族みたい感じがして
西から移ってきたらしい話が見当たらない
たまたま名前が似ているのかもしれない
- 89 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 16:53:34.64 0.net
- 女真は女真族の中でも農耕してるやつから狩猟民、遊牧してるやつまでいるぞ。
熟女真とかいろいろ区分けされてるけど、、、、
李氏朝鮮の李成桂は女真だよね?
- 90 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 18:09:03.31 0.net
- gobaku?
- 91 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 22:41:39.64 0.net
- >>88
まあ、そんなとこだろうね
その『新唐書』221上の野利氏の記載箇所近傍をみると、吐谷渾や吐蕃の存在が見てとれる
吐谷渾は鮮卑慕容部の流れだし、吐蕃も王室は鮮卑の流れとする史書もある
いっぽうで、『隋書』あたりだと契丹は鮮卑宇文部→奚→契丹という流れとしている
したがって、鮮卑時代に部によらず「ia-liuit」的な一般的な名があって
それが東西で原型を留めたまま残り、後になってそれぞれ記録されたとでも推測したほうが自然に思う
- 92 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 16:35:17.50 0.net
- 【画像あり】日本人研究者が韓国古代史分野で日本の通説に反論 ←顔観て あっ察し
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1394598042/
日本人の歴史研究者が、「統一新羅と渤海は、中国に朝貢して政権を認めてもらう関係だった」
という日本の歴史学界の定説に反論する研究で、博士号を取得した。
ソウル大学国史学科は先月、小宮秀陵さん(33)が提出した
博士学位論文「新羅・渤海の対唐藩鎮交渉研究」を承認した。
論文の要点は「9世紀初めに相次いだ反乱で唐の影響力が弱まった後、
新羅・渤海は唐の藩鎮(皇帝から領地を授けられた節度使が治める地方政権)と直接交渉し、
実利を追求した」というもの。また「新羅と渤海は藩鎮と物資および人を交流させて利益を上げ、
さらに唐の朝廷の要請で朝廷と藩鎮の対立に介入するなど、唐内部や東アジアの国際情勢に影響を及ぼした」
としている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/12/2014031201315.html
http://uproda.2ch-library.com/770161nw8/lib770161.jpg
- 93 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 23:33:22.71 0.net
- >>71
前趙の頃胡人が500万にたいし漢人2000万いたんだから
入れ替わったてのは言いすぎだろ
それに長江以南には五胡入ってきてないしな
- 94 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 00:00:23.55 0.net
- 疫病に強い胡族 胡族の比率が増えたのであろう
- 95 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 15:10:59.67 0.net
- >>93
中原から長江以南への移民はその後も異民族が侵入するたびに起こってるが?
漢民族と言っても古代と今では遺伝子が違うと思うよw
- 96 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 15:19:45.37 0.net
- >>95
民族と遺伝子はまるで関係ない
- 97 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 20:02:59.15 0.net
- >>96
中国と言えば食人だけど
中国の場合唐代以降食人に対するハードルが下がってるように思えるが?
普通に食べるよね人。
- 98 :世界@名無史さん:2014/03/22(土) 13:05:02.97 0.net
- ネトウヨ「鮮卑とは卑しい朝鮮人の略である」
- 99 :世界@名無史さん:2014/03/22(土) 18:31:35.36 0.net
- 鮮卑は朝鮮人の飼い主だった時代もある
- 100 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 12:36:46.06 0.net
- >>97
唐宋期以降に人肉食うのは、南のほうが顕著だろ?
牛や羊といった家畜飼っていた五胡族は、同種生物だと同じ細菌やウィルスが伝染しやすいことを
経験的に知っていたから、人肉は食わないようにしていたよ。
- 101 :世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:08:29.21 0.net
- >>100
え?洛陽の都歩いてたら弓で殺されて食われたとかあるけど?
石虎とか掲族の連中普通に人食べてるぞ?
- 102 :世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:11:34.24 0.net
- フィンランド人も古代は人食ってたぞ
タキトゥスのゲルマーニアに書いてある
- 103 :世界@名無史さん:2014/03/24(月) 23:49:29.82 O.net
- かの悪名高い凌遅刑も制度化されたのは五代十国あたりだっけ
- 104 :世界@名無史さん:2014/03/25(火) 12:04:03.76 0.net
- 凌遅刑に相当する刑は中世欧州の一部でも行われていた。
特にイギリスの大逆罪において。
- 105 :世界@名無史さん:2014/03/25(火) 18:49:52.17 0.net
- さすがに蛮族スレに人権も糞もないなw
- 106 :世界@名無史さん:2014/03/25(火) 21:45:23.43 0.net
- 「人権とは素晴らしい。それに当てはまらない人間を合法的に絶滅できるから」
フランスの哲学者
- 107 :世界@名無史さん:2014/03/26(水) 00:45:13.35 0.net
- >>104
孔子様の弟子すら塩辛にされちゃったからな、生身の人間に対してやったか殺してからやったかはともかく昔からあったんだろうな
制度としてそんなもの取り入れてしまう所が怖い
どんだけ統治に苦しんだのかとw
以上鮮卑そのものとはあんまり関係ない話
- 108 :世界@名無史さん:2014/03/26(水) 02:39:56.40 0.net
- 孔子の弟子は塩辛にされただけで食われてないけどな
- 109 :世界@名無史さん:2014/03/27(木) 01:43:39.24 0.net
- 長く晒しものにするための塩漬けだからな。食ってしまってはいかん
- 110 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 19:24:38.36 0.net
- 宋も佐陀突厥出身の天子。
始皇帝の秦も犬戎だし。漢民族とは思想上の概念でしかないよw
- 111 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 19:50:50.34 0.net
- >>110
漢民族(まあ民族概念そのものもだけど)人種と関係無いから
いい加減適当な民族論ぶち上げるのやめろと
- 112 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 20:27:49.82 0.net
- >>111
チンギス・ハーンが民族の英雄になるわけですねw
禿笑
- 113 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 20:35:21.58 0.net
- >>112
そう言うことじゃ無い
少なくともモンゴル族は漢民族の文化風習を取り入れていないし、宗教観も別だから
明らかに別の民族
煽りにしてもくだらなすぎる
- 114 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 20:39:28.71 0.net
- >>113
中国の教科書では民族の英雄になってるぞw
- 115 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 22:01:06.70 0.net
- チャイナは、56の民族から構成されているので、蒙古族のチンギスもチャイナの英雄であることは変わらない。
- 116 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 00:23:17.84 0.net
- >>114
それは「中華民族」という中国政府の提唱する謎概念においての話だとおもう
- 117 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 00:54:07.65 0.net
- >>6
そういう風に民族の起源伝承を漢風に書き換えてあるとがっかりするよな
慕容氏は『述異記』にある
「乾羅は慕容カイの十一世の祖なり
金銀の襦鎧を着け、金銀の馬具を着けた白馬に乗って天から降り立った
鮮卑はこれを神とし君長に推戴した」
というのがいうのが本来の始祖伝承なのに
『晋書』108の慕容カイ載記では
「有熊氏(黄帝)の苗裔で、代々北夷に住む」
となっているし
後世だけど契丹なんかも
『契丹国志』の契丹国初興本末や『遼史』37には
白馬に乗った神人と青い牛の牛車に乗った天女の間にできた子孫としているのに
『遼史』2の論賛に「遼の先祖は炎帝より出る」とか
『遼史』63の世表序に「遼はもと炎帝の子孫で、耶律儼は遼を軒轅の子孫とする」
という感じで変えているし
- 118 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 00:59:20.67 0.net
- キリストが磔から3日後に復活し、40日後昇天したが、
「おかしなおっさんがアホなこと言って死にました」だとルネッサンスも何もなかったろうなあ
- 119 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 01:28:27.40 0.net
- そう思うとモンゴル帝国は異色だったよな
それまでの侵入北方民族とちがって漢の伝統におもねるところがなく、姓すら持たないまま
先にホラズムまで征服して、漢土があくまで一支配圏に過ぎない状態を作っていたためだろうか
清はかなり巨大だったしモンゴルを臣従させてはいたものの、そういう稀有壮大な突き抜け感はないな
- 120 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 13:40:58.04 0.net
- 清は時期的に騎馬民族最後の輝きだからね
17世紀は古代からの無敵の騎馬武力集団が銃で武装した歩兵に負けだす転換期だから
中国で銃器の使用が日本並みに盛んだったら異民族征服王朝としての「清」は成立しなかった
- 121 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 19:24:12.72 0.net
- ヌルハチやホンタイジの時代も、火縄銃やゲベール銃は使われていたでしょ?
朝鮮が清に攻められて、結果として本土まで攻め込まれ、しぶしぶ清の革命政権を承認したでしょ?
まー明朝があんまり火器の数量を揃えていなかったってのもあるけど。
- 122 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 20:40:25.66 0.net
- 17世紀後半にフランスで誕生したゲベール銃は、物理的にホンタイジまでの時代にはない
- 123 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 20:59:13.86 0.net
- ライフルが出てきて、塹壕戦やるようになるのが近代戦じゃろうね
- 124 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 11:16:19.13 0.net
- 塹壕戦は20世紀に入ってからのトレンドだからこの話とは全く無関係ナリよ
古代から騎馬勢力は習熟に時間と環境が必要で
数を揃えるのが難しいけど一旦編成運用できれば歩兵に対して無敵
中華の農民徴兵軍なんていくら数を集めても
ほぼ一方的に消耗させられるだけなのが通例(1:10でも負ける)
これが銃の集中運用で「馬ごと」葬れるようになった
銃器は馬だって一撃で殺せるからね
こうなると「習熟に時間と環境」が必要な騎馬勢力が
数と銃を揃えた歩兵軍と同等の消耗戦を演じてしまう事態に
17世紀は今まで恐怖の象徴だった遊牧民の略奪騎馬隊が
ただの少数勢力に転落する転換期
別に騎馬の有効性が無くなったって意味じゃないよ?
- 125 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 14:04:58.36 0.net
- >>124
塹壕戦のハシリは19世紀のクリミア戦争や南北戦争あたりではなかろうか
それと、騎馬兵の優位さを全否定する気は無いけれど、密集陣組んでる統御された
歩兵集団は騎兵の天敵じゃなかったかな、過去の戦績的に
遊牧民の場合は、そのドクトリンも農業国家の歩兵にとっては対応の難しいものであった
と思うよ
- 126 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 15:25:04.52 0.net
- >>125
はしりはその辺だけど一般化は機関銃が出回った後じゃないかな?
地形に依存するけどローマの歩兵集団ですら騎兵が十分に居ないと
パルティアにボロ負けするレベルだからなぁ・・
歩兵集団は歩行速度でしか移動できないんだから
当たり前なんだけどね
騎兵側は相手が疲れ果てるまで射掛けて相手が疲労したり陣形が崩れたら踏み潰す
不利になったら逃走してしまえばいい
これを延々やられたら農民主体の歩兵はどうにもならない
あ、日本なんかは別ね
隘路防衛戦主体になるんで騎馬の有利さはそんな出ない
逃げようにも山ばっかでルートが限られる&人口密度高いから逃げた先にも
同じような武装部落があって移動できないからいずれ追いつかれる
- 127 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 20:28:51.00 0.net
- >>126
戦国末期から江戸時代にかけて銃の普及はすさまじく
騎兵はただの的でしかないぞ日本の場合。
薩摩はオール銃兵ドクトリンで将兵皆銃兵になる。
- 128 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 21:08:21.82 0.net
- >>127
うん
>>126は銃が無く遊牧民族有利だった時代の話で
鮮卑族や匈奴を想定した話
それと同時代の日本との比較の話
- 129 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 22:07:07.58 0.net
- モンゴル系でもチベット系でも遊牧民はどこでもは、豹などの害獣を撃つために
かなり早くから火器を導入していて、狙撃には慣れ親しんでいた。
遊牧民が不利になる時代はかなり後世だぜ。
交易をするのだから、銃自体は遊牧民のほうが入手しやすかった。
現代でも、遊牧民は猟銃保持を認められていから、人民軍の採用試験で有利にはたらいている。
- 130 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 22:28:34.12 0.net
- 四川省の遊牧民 普通に銃を操っているぞ
http://www.youtube.com/watch?v=gpEYAaeFdoU
http://www.youtube.com/watch?v=nlqrXCaq_bE
http://www.youtube.com/watch?v=KzZSPzZC77s
- 131 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 23:43:21.10 0.net
- ちがうねんw
元々騎兵:歩兵で10:1位の差があったのが
双方に銃の導入後は15:6くらい(3:1)になる
歩兵の方が数が圧倒的に多く補充しやすい
となると遊牧民と農民の数の差で押し切られる
この転換期が17世紀付近って話
銃自体はもっと前15世紀からあったでしょ?
- 132 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 00:36:51.10 0.net
- 中国の場合10世紀以降は火薬兵器登場してきてるから、対遊牧民での火力戦は相当長期間経験してる
ただ宋から技術流出起きたせいで金も短期間で火薬兵器に習熟するようになったみたい
- 133 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 05:55:52.90 0.net
- 有効射程距離の問題じゃないかな?
16世紀だとモンゴルの弓って200mで火縄銃は100mだったはず
- 134 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 07:48:59.00 0.net
- だからとって、モンゴルが銃を買わないということはなかったのだよ。
- 135 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 13:47:49.66 0.net
- >>128
元寇のときに、「てつはう」でさんざやられたのに?
- 136 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 14:10:24.71 0.net
- >>135
てつはう・・13世紀の話?
どんな前提で書いてる?
あっさり撃退された上に武士は武器として
全然評価せずその後に取り入れてもいない・・
たぶん経験した上で「使えない」と判断したんでしょうね
16世紀の火縄銃が伝来10年で蔓延したのとはえらい違うよね?
同じ火器でも火縄銃は質、威力が別次元の兵器でそれ以前の戦法を葬り去った
射程、命中率・・よりも個人携帯兵器で遠距離から「馬を一撃で殺せる」
人間より馬ね
弓じゃ人間の10倍近い質量の(防護された)馬は中々殺せないもの
- 137 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 14:26:03.97 0.net
- >>136
武士だから、そんなオツムが無かったんだろう。
- 138 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 15:07:45.77 0.net
- >>135
さんざやられた?
元寇って日本の武士の圧勝なんだが
- 139 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 15:18:47.62 0.net
- ただ単に人の意見にケチ付けたいだけでしょ
>>137とか苦し紛れすぎるww
- 140 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 15:44:45.73 0.net
- オツムが足りね-のは>>137のほうだわな
てつはうってのは震天雷のことだと判明してるから、射程距離はせいぜい30m
攻城戦とかならともかく、野戦では初見の相手をビビらせる以外は役立たずの兵器だからすぐ廃れた
銃や大砲になるのは火薬兵器でも火槍→マドファの流れで、この系統の種子島を見た武士は即座に採用してる
- 141 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 15:48:38.84 0.net
- >>138
攻め込まれて、略奪に遭って、町焼かれて、被害甚大だろうに、
大将首も獲れてない、領地も獲れてない、それで圧勝か?
- 142 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 16:09:29.50 0.net
- なるほど、本物の馬鹿だ。
- 143 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 16:39:09.72 0.net
- キルレシオ10対1レベルの戦争で圧勝でないというのは難しいな
被害云々についても、前期倭寇の慶元府焼き打ちを初めとする殺戮略奪は、対馬や壱岐の損害の倍返しどころじゃない
元寇とその復讐活動の一環でもある前期倭寇によって、元(さらには明初期まで)の海上活動は大きく制限されることになった
- 144 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 17:39:47.93 0.net
- まぁ元寇の話はここの本筋じゃないでしょう
ヨーロッパで始まり日本にももたらされた火器運用革命で中国は
遊牧民族の恐怖から歴史上初めて解放されるはずだった・・
んだけどモタモタしてる間に清が成立しちゃったwwwwって話
清がモンゴルと違って意外に善政を引いたってのは
この辺の「環境の変化」を割とトップが理解したからなのかもね
- 145 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 18:50:20.79 0.net
- え?
清が善政てwww それもモンゴルとの比較で善政とかwwwwww
現在に至る支那人の腐敗体質は、明清を通して培われたものだろうにwwwwww
- 146 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 19:02:01.48 0.net
- そりゃ清は異民族征服王朝じゃん
比較対象が元になるのは当然
でも明とどっちがマシだったのかちょっと判断難しいでしょw
あと腐敗体質ならそれこそ秦や漢の頃でも同じじゃない?
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