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数・記号の文明史

216 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2015/05/11(月) 23:09:04.63 0.net
>>176

フィボナッチは
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の下のシチリアに行ったかと思ったが、
どうもそうじゃないんだなぁ、この辺りからかなりめんどくさい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81

グリエルモは貿易商人の職を求めてムワッヒド朝(現・アルジェリア)のベジャイアに移住した。
まだ少年だったレオナルドも父親を助けるために現地に赴き、そこでアラビア数字を学んだ。

レオナルドはアラビア数字の体系がローマ数字よりも単純でより効率的なことに気づき、
当時のアラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行した。
1200年頃には帰国し、32歳になった1202年に、彼は自身の学んだことを「算盤の書(Liber Abaci)」にまとめ、ヨーロッパで出版した。

レオナルドは、科学と数学を好んだ神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に気に入られ、しばしば宮殿に呼ばれた。
1240年にはピサ共和国から表彰され、給料が贈られるようになった[5]。

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