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チュルクとモンゴルはなぜ差がついたのか?
- 1 :世界@名無史さん:2015/08/02(日) 02:26:34.05 0.net
- ともに同じような遊牧民族で、
モンゴルも一時はユーラシアを征服して世界に名を轟かしたのに
現在の領土や人口規模では大きくチュルクに水をあけられている
これはどうしてなのだろう?
- 203 :世界@名無史さん:2018/11/24(土) 09:07:02.49 0.net
- 移民なんてダメなのは、すでに歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴
《フンヌ》=フン族=後のハンガリー、フィンランド人のこと、
ウイグルや突厥に追われた柔然とはブルガール人、後のブルガリアのこと、
突厥がその後オスマントルコになるのは言わずもがな)、
しかし、三国志の統一も20年くらいで、
その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代が300年続いたのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
その結果がローマも中国も暗黒の中世である
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
フィンランド人の平均顔面
https://pmsol3.files.wordpress.com/2011/02/averagefinnman.jpg
日本人の平均顔面
http://livedoor.4.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/a/a/aac8ce68-s.jpg
だって生粋のフィンランド人てこれだからな
http://i.imgur.com/rM9Dvk5.jpg
なぜなのか
- 204 :世界@名無史さん:2018/11/24(土) 10:43:02.46 0.net
- >>202 ヤグノビ語の祖先は、ソグドが元気だった時代ですら、既に袂を分かって山奥に引きこもってた集団の言語なのかな
それこそ紀元前にとうに他のソグド語から分岐していたような。日本語でいえば古代東国方言の末裔の八丈方言みたいな
それとも商人の末裔がイスラム化の中で山奥に逃げ延びた?
- 205 :学術:2018/11/24(土) 10:48:18.07 0.net
- 教が教と会うのはおかしいな。どちらもちがっていて、先に宗教化するなり
あとから宗教になるなり、年代差はあると思う。宗教にも。改宗の問題も
宗教家だけが取り決めて働けばいいもので、もしかしたら宗教じゃないモノ
の可能性を切り捨てるべきではないよ。
- 206 :学術:2018/11/24(土) 10:49:25.81 0.net
- 宗教と仮に呼べば一人一人異体験だから関連性を求めるのも理由があってやってほしい。
- 207 :世界@名無史さん:2018/11/24(土) 18:19:27.34 0.net
- ソグド商人的なものはずっといたんでしょ?
トルコ系と混血したソグドは何て呼べばいいのか?
- 208 :世界@名無史さん:2018/11/24(土) 21:48:48.22 0.net
- トルコ商人
- 209 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 00:35:17.20 0.net
- チュルク系とイラン系の混血は
中央アジア各地でいろんな時期にいろんなパターンで起こっているので
その都度別の名前が付いていると見れば間違いないんでしょ
- 210 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 00:39:48.37 0.net
- >>203
滅んだんじゃなくて、混血して新しい民族になったんでしょ
ローマ帝国の後裔には、
金髪で長身でフォークでパスタを食う北部人と
黒髪で短躯でスプーンとフォークでパスタをいただく南部人がいて
金持ちで威張ってるビジネスマンは北部のヴァイキングの子孫、
貧乏で人情味あふれるマフィアは南部のローマ直系の子孫だろ?
で、世界史板によくいる金髪崇拝の顔バカのお前は北部崇拝だろ?
お前みたいな顔バカは移民賛成派になってなきゃおかしいんだよ
- 211 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 09:11:10.68 0.net
- >>206
すまんお前自身にも、そしてできれば他人にもわかるように説明してくれ
- 212 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 12:43:40.81 0.net
- チュルクは雑婚や混血に抵抗をそれほどしなかったが、
モンゴルは純潔への志向が強かったように見える。
- 213 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 13:51:42.54 0.net
- え?政略結婚を多用したモンゴルが?
- 214 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 16:35:09.12 0.net
- 一応、王族の正妃はモンゴル人を迎えたんじゃないの?
- 215 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 18:20:18.46 0.net
- 清朝皇室の女性で、時代がだいぶん下っても漢語じゃない名前だなと思ったら、だいたいモンゴルから迎えた妃だな
- 216 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 19:44:39.51 0.net
- >>210
ノルマン人のシチリア王国は南イタリアしか支配してないのに
北部がヴァイキングで南部がローマ人の子孫とか何その無知蒙昧
というかイタリアに渡ってきたノルマン人とか数百人とかそれぐらいの規模だぞ
- 217 :世界@名無史さん:2018/11/25(日) 23:18:39.55 0.net
- >>216
今どきヴァイキングをノルマン人と読んじゃうのって和ペディアだけだよ鎖国頭
人種の文脈ならヴァイキングに限ることはないけどね
北イタリアを金髪長身に塗り替えたのは東ゴートやフンやヴァンダルの占領、
あとはゲルマン傭兵の活躍と後代のドイツ人でしょ
- 218 :世界@名無史さん:2018/11/26(月) 21:28:27.91 0.net
- 概ねチュルクはイスラム、モンゴルは仏教という違いが差になったこととは関係ないのか?
- 219 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 11:05:58.54 0.net
- モンゴル語の母音は曖昧で第二言語としては習得が難しい
トルコ語の母音は明瞭で独語仏語など
いろいろな母音の多いタイプの言語の話し手にとっても似た母音が多くて習得しやすい
- 220 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 14:51:00.00 0.net
- 今のハルハモンゴル語でыはイの長母音だけど、ひょっとして大昔は今のトルコ語でiから頭の点を取った字の発音と一緒だったりしたのかな?
強いてカタカナで書けばウ
朝鮮語や北方の漢語やテュルク諸語など周辺言語にある母音なのに、モンゴル語にないというのが不思議
- 221 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 14:53:13.73 0.net
- もちろんキリル文字化はこの100年足らずのことで、モンゴル文字での弁別をийとыに書き分けたのかなってこと
- 222 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 16:31:00.42 0.net
- >>210
ローマ人直系はどっちも違うでしょ
南部はアフリカ北岸のイスラム王朝から結構入って来て
北部はゲルマン系の支配が続いたからね
- 223 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 18:36:31.67 0.net
- コーカソイドトルコ人は遺伝子的にはヨーロッパの
何人と近いの?
- 224 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 19:55:00.98 0.net
- >>217
東ゴート族はゲルマン最大部族と雖も精々30万ヴァンダル族は7万人
フン族に至ってはモンゴロイドだし
ドイツ人傭兵でイタリアに入植した奴なんてほとんどいないだろまだ南アフリカのほうが多いんじゃねえの
- 225 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 22:53:10.53 0.net
- >>224
当時なら30万はその地方の形質に十分影響するよ
せいぜい数十人から数百人ずつヘブリディーズやアイルランド西海岸の僻地に住み着いたヴァイキングが
今やゲール語の最後の話し手として示す存在感は格別だ(元々のケルト系はみんな英語化してしまった)
ローマ末期にゲルマン人が何回皇帝位を簒奪したと思ってんの
フン族はコーカソイドだよ顔キチくん
ウラル語族はウドムルトみたいに北東にいるの以外は白人だ
- 226 :世界@名無史さん:2018/11/27(火) 23:14:04.59 0.net
- 射精エベンキは今日も裸踊りを踊るのだった
セロイセローイ♪
- 227 :世界@名無史さん:2018/12/02(日) 03:26:16.70 0.net
- >フン族はコーカソイドだよ顔キチくん
ドルジ顔なコーカソイド=フン族ww
- 228 :世界@名無史さん:2018/12/02(日) 08:48:39.51 0.net
- エヴェンキ人にあやまれ
- 229 :世界@名無史さん:2018/12/02(日) 18:38:25.46 0.net
- 中央アジアからモンゴルテイストがほとんど感じられないのは
ロシアの政策によるもの?
- 230 :世界@名無史さん:2018/12/02(日) 22:00:42.92 0.net
- ティムールの頃に既にチュルク化してた
- 231 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 00:49:32.98 0.net
- チュルク化とイスラム化はほとんどの地域で同義
- 232 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 01:05:20.01 0.net
- ティムール朝時代もモンゴル以来の部族名とかはまだあったっしょ
- 233 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 01:29:26.27 0.net
- 名前だけならあったろうさ
あとチンギスハンの子孫を名乗るのもお決まり
バートルみたいな用語も使う
逆に言うとそれだけ
- 234 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 02:05:03.75 0.net
- ティムール朝を中央アジアから追い払ったのがシャイバーニー朝だっけ?
一応モンゴルの系譜だから、モンゴル色を完全に払拭したのはそれを
滅ぼしたロシア帝国だろう。
- 235 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 02:46:07.65 0.net
- いや、ロシアはむしろ支配下のモンゴル諸族のチュルク化を阻止してオスマンと連携しないようにしている。
言語的・宗教的にはティムールの時代にチュルク化・イスラム化していたし、
モンゴルの否定はソ連時代に徹底的にチンギスハンを否定する教育をした影響だろう。
- 236 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 04:44:43.45 0.net
- バーブルとかモンゴルの血何パーセントくらいなんだろ?
- 237 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 11:48:30.90 0.net
- アクバルやアウランゼーブの肖像画は全くドルジ顔とはかけ離れてるなw
- 238 :世界@名無史さん:2018/12/03(月) 17:09:05.75 0.net
- いまのイン土人にはドルジ顔は全くおらんの?
- 239 :世界@名無史さん:2018/12/04(火) 01:55:28.37 0.net
- チベット難民とか北東部の先住民を探した方が平たい顔族は見つけやすそう
インドの北東部だったら餅をカレーで食べたりしてるんだろうか...
- 240 :世界@名無史さん:2018/12/04(火) 23:52:22.46 0.net
- てか、バーブルどころかティムールですらけっこう彫りの深いマスクだったと思われ
- 241 :世界@名無史さん:2018/12/06(木) 12:09:37.22 0.net
- >>235
ロシアが力をつけた頃には「タタール」はとっくにチュルク化していた
- 242 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 01:04:12.53 0.net
- モンゴル人の誇りを捨て去ったか!
とチンギスに怒られそう
- 243 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 01:43:30.11 0.net
- モンゴル人の誇り=平たい顔 ってことかw
- 244 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 02:17:52.37 0.net
- バーブルはなぜかモンゴル人を蔑視していた
- 245 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 10:01:46.01 0.net
- 先祖に連なるモンゴルの武名と威光、自分の名の由来もモンゴルの将軍
現実のモンゴル人はそれほどでもないと失望したか、
チュルク化したことでニセモノ扱いでもされてコンプレックスだったか
- 246 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 12:34:24.01 0.net
- いまだ異教の民だったからか
- 247 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 15:46:18.87 0.net
- アフガニスタンのハザラ族は
東アジア風の顔立ちでモンゴルの子孫とも言われているが
周囲と違いシーア派で地位が低い
バーブルは遠征の途中でハザラ族に遭って思うところがあったのか
ハザラ族に囲まれたモゴール族はスンニー派で
モンゴル語の一種を話し、まだまとまった数が残っていたはず
バーブルがモゴール族には会ったかどうかわからないが
- 248 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 20:08:53.35 0.net
- ティムール朝及びモグーリスタン及びジョチ・ウルスと北元及びオイラトの関係がどのようなものであったのか、
気になるところだな
お互い相手をどのように認識していたのか
チンギスとその血脈に対する尊崇の念を共有していたのは確かだと思うが
- 249 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 21:33:55.59 0.net
- >>247 モゴールは風貌もモンゴルを保ってたんだろうか
それともハザラの逆で顔は濃くて言葉がモンゴル?
でもモゴール語は80年くらい前に絶えたんだっけ
- 250 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 22:08:06.83 0.net
- >>248
オイラトとモグーリスタンの関係なんてオイラトからの一方的な侵略の繰り返しだろ?
どんどん領土を明け渡していって最終的に完全に併呑さえてジュンガル帝国となった
- 251 :世界@名無史さん:2018/12/08(土) 23:21:03.16 0.net
- >>249
岩村忍の『モゴール族探検記』(岩波新書)を読めば
モゴールの容貌については出てくるはず
手元にはないが、たしかハザラ人と同じだったと思う
そのために現地では「日本人が歴史を奪いに来た」なんていう誤解まで生じた
現地のモゴール語の記憶はすでにカタコト程度になっていて、
調査隊はほかに数百語を書き付けた対訳単語メモを入手している
- 252 :世界@名無史さん:2018/12/09(日) 13:07:57.70 0.net
- 突厥文字は字体も読み書きしやすくてなかなか優れた文字
滅んだのが悔やまれる
- 253 :世界@名無史さん:2018/12/09(日) 18:47:16.58 0.net
- 突厥文字の子孫がウイグル文字でないの?
- 254 :世界@名無史さん:2018/12/09(日) 19:28:47.69 0.net
- >>253
ウイグル文字ってどのウイグル文字だ?
モンゴル文字満州文字の元になった奴なら違うからな
あれは突厥文字と同じくソグド文字から分化したから子孫ではなく兄弟関係にあたる
- 255 :世界@名無史さん:2018/12/10(月) 01:34:27.53 0.net
- マニ文字とかもあるな・・・
- 256 :世界@名無史さん:2018/12/10(月) 20:35:42.90 0.net
- 突厥文字はソグド文字の子文字と言われているが字体がだいぶ違う
むしろギリシャ文字やルーン文字に似ている
まあギリシャ文字やルーン文字も親文字はソグド文字と同じくフェニキア文字に行きつくが
- 257 :世界@名無史さん:2018/12/12(水) 00:18:47.03 0.net
- ロシア帝国はカルムイクの仏教信仰を容認してチュルク・イスラム化への歯止めにしている。
- 258 :世界@名無史さん:2018/12/12(水) 03:09:09.87 0.net
- オイラートってチンギスハンの時代からいるのな
- 259 :世界@名無史さん:2018/12/16(日) 19:16:55.18 0.net
- オイラ、オイラート
- 260 :世界@名無史さん:2018/12/17(月) 01:21:50.07 0.net
- >>258 ブリヤ―トよりモンゴルからの独立志向が強かったのかな。後にトド文字という独自の文字を発明
- 261 :世界@名無史さん:2018/12/17(月) 01:37:12.99 0.net
- オイラートはチンギスの娘をもらったんじゃないか?
- 262 :世界@名無史さん:2018/12/17(月) 02:18:19.60 0.net
- >>260
>>175>>178みたいな言語の方言的な違いがあると、
オイラートの側ではモンゴルに対して
意思の疎通はできても違和感もあったのだろう
大きな集団であるだけに自立的な意識が保たれたと想像する
ブリヤートのほうはいろんな部族の寄り合い所帯として始まったが
いくつかの方言的特徴がオイラートに似ていたという事のようで
もう少しモンゴル寄りの民族意識だったのかもしれない
なおトド文字の文字としての改良点は合理的なもので、
むしろモンゴル語が取り入れてもよかったようなもののようだ
- 263 :世界@名無史さん:2018/12/17(月) 03:13:42.18 0.net
- タイチウトはチンギスから6代遡ると同祖だから言語にそんな
違いはないんじゃないの?
- 264 :世界@名無史さん:2018/12/17(月) 04:38:00.84 0.net
- チュルク化したら変化は一瞬で起こるんだよ
- 265 :世界@名無史さん:2018/12/18(火) 01:03:22.17 0.net
- >>262
ダグール>オイラート>ブリヤ―トの順で左ほどモンゴルと違うという意識が強いのかな
- 266 :世界@名無史さん:2018/12/18(火) 02:05:03.50 0.net
- 室韋って碑文とかには出てこない名前なの?
モンゴル語の何を当てたかも分からない?
- 267 :世界@名無史さん:2018/12/18(火) 04:49:52.66 0.net
- 中国側の記録に出てくるのがせいぜい6世紀からだから、漢字の読みも上古漢語みたいなとんでもない音じゃないしな
中古漢語での室韋の読みでもそう言語と当たらずも遠からず、要は日本語での「しつい」からもさほど遠くない発音だったんだろうな
室 ̪̪シットかシェット?
https://en.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%A4#Pronunciation
韋
https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%8B#Pronunciation
室の方は中古漢語に存在しない音節末のrかlを、無理やりt終わりの字で当てた?
ひょっとしたら鮮卑と同系かも。上古漢語の時代から中原に存在を知られていた?鮮卑では、当時鮮の音はsarだったとする説もあり
https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%AE%AE#Pronunciation_1
鮮卑末裔説は昔からあるみたい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E9%9F%8B#%E8%B5%B7%E6%BA%90
でもシルベかサルウェかわからないけど、そういう自称の集団はモンゴルやテュルク側の記録には出てこないのかな?
- 268 :世界@名無史さん:2018/12/18(火) 13:42:50.74 0.net
- >>265
一本の線ではなく、それぞれの理由でモンゴルとの違いを自覚している
- 269 :世界@名無史さん:2018/12/20(木) 21:10:49.79 0.net
- タイ・ブカとかアリク・ブカとかのブカってどういう意味?
- 270 :世界@名無史さん:2018/12/24(月) 18:08:25.43 0.net
- 室韋=トルコ系がいうタタール
ではないのか?
- 271 :世界@名無史さん:2018/12/25(火) 19:32:08.77 0.net
- >>269
雄牛という意味だったはず
>>270
モンゴル部も元々は大興安嶺北麓のアムール川流域の森林地帯に住む半猟半牧の民だったようなんだよね
北魏の拓跋部もそうだったようだが
現在のオロチョン族に近い生活様式だったろうから、トナカイの飼養なんかもしていたかも
- 272 :世界@名無史さん:2018/12/25(火) 21:01:57.01 0.net
- モンゴルは森から出て草原のテュルクを駆逐・追放または同化し、追われたテュルクはウラル系やケットに同じようなことをし、か
モンゴル自体は誰に追われるでもなく、人口増加で西に膨張したのかな?それともツングースに森を追い出された?
- 273 :世界@名無史さん:2018/12/25(火) 22:38:20.61 0.net
- ブリヤートは元々モンゴルによって草原から追い出されたチュルク系だというが。
- 274 :世界@名無史さん:2018/12/25(火) 23:27:20.91 0.net
- いや、だったらブリヤートは今もチュルク語を話しているだろう
- 275 :世界@名無史さん:2018/12/25(火) 23:31:32.78 0.net
- 今のモンゴル国に当たるモンゴル高原は
かつてはチュルクがウイグル帝国などいくつもの王朝を築いたり
後にモンゴルがチュルクを追い出すなど魅力的な土地だったようだが、
過去500年ぐらいは寂れた土地として人口も少なく、
モンゴルの中心はずっと内蒙古だっただろ
その間に気候の変動でもあって、牧草の少ない寒冷地になったのだろうか
- 276 :世界@名無史さん:2018/12/26(水) 18:12:36.27 0.net
- ケレイトがネストリウス派を信仰するようになったのは1007年のことらしい
- 277 :世界@名無史さん:2018/12/30(日) 19:02:00.72 0.net
- 遼史に見える阻卜の族長磨古斯はワンハンの祖父のマルクスらしいな。
ワンハンの洗礼名はダビデらしいが、出典は何なんだろう?
- 278 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 01:57:09.69 0.net
- しかし、チンギスハンの使者を殺したせいで、その後大都市数百万の皆殺し
の復讐が連続で行われたのは恐ろしいな。
- 279 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 02:37:07.87 0.net
- 日本も鎌倉幕府が使者を殺したよ。
当時のモンゴル帝国は皆殺しの口実を探すことを重視したので、それが口実になっただろう。
鎌倉武士がモンゴルに敗北していたら、沢山の日本人が皆殺しにされ、大陸に奴隷として連れていかれたと思う。
中国や朝鮮の精神性をもたらしたのは、北方遊牧民の皆殺しによる恐怖支配。
日本も負けていたら、中国や朝鮮のような卑屈で嘘の多い社会になっていただろう。
- 280 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 02:44:33.65 0.net
- 誠実で勇敢な者は遊牧民征服王朝に殺されるので、世代を重ねた淘汰によって嘘つきばかりが生き残り子孫を残すようになる。
- 281 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 02:59:53.53 0.net
- フビライも占領地民の皆殺しやってたっけ?
- 282 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 03:13:16.49 0.net
- 対馬や壱岐島で大量虐殺やってるよ。
- 283 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 05:17:42.94 0.net
- モンゴル帝国で重要なのは将兵を殺戮したことではなく一般市民を殺戮したところ。
一般市民を殺戮すれば人々に恐怖を植え付けることができる。
- 284 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 09:39:56.77 0.net
- その分抵抗も激しくなると思うんだがな〜
- 285 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 09:50:03.03 0.net
- 実際、抵抗が激しかったじゃん。
降伏するなら助命する、と畳みかければ雪崩を打って降伏する者が出てくるが、けして恨みが消えることはない。
- 286 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 12:40:08.00 0.net
- モンゴルが実質上滅亡したのも結局は報復による自業自得か
- 287 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 12:42:44.69 0.net
- チンギスの血統自体、オイラト系以外は根絶やしにされている。
血縁関係を結んだぐらいで恨みが消えるならだれも苦労しないわな。
- 288 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 21:38:43.03 0.net
- 外モンゴルの方でオボク名がなくなってるのも、実質宗主国のソ連のロシア人が「お前らに氏族名なんて贅沢。父称だけにせい!」
と千と千尋の湯婆婆みたいなことを言って廃止させたのかな
タタールのくびきの意趣返しで
それとも元々一般的なものではなかった?
- 289 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 22:27:31.84 0.net
- >>279
日本が使者を殺したのは1275年の第七回使節からで、
その時にはもう前年に文永の役が起きてるから
弘安の役はともかく、元寇自体の口実にはなってないよ
それと使者殺害後の弘安の役でも、
クビライは国を手に入れるのは土地と民を得たいがためとかなんとか
日本人を滅ぼして日本の土地だけ手に入れたいわけじゃないんだぞって釘指してる
- 290 :世界@名無史さん:2019/01/02(水) 22:42:25.83 0.net
- 日本の上流階級にモンゴル人の血が入らなくてよかった。
上流階級の質の低下が民族の衰退をもたらす。
- 291 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 10:21:31.02 0.net
- ちょっと混血ぐらいしても良かったと思う
たくましいし風格はあるし
日本人なんか相撲でも勝てないしぐじぐじ文句行ってモンゴル人を見習おうともしない
- 292 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 11:13:27.03 0.net
- チンギス血統が入った地域はすべてディストピアになる法則
- 293 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 13:47:42.56 0.net
- 鷹島で掃討されたあとの元軍3万人の捕虜って、斬首と奴隷化とに分かれたみたいだけど、
どのくらいの比率だったんだろうね
大半が斬首だったなら世界史的に見ても結構な数だし、
多くが奴隷になったというなら少なくとも九州圏経済にとっては小さくないインパクトだよね
- 294 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 13:59:02.00 0.net
- 日本人のモンゴル好き|高橋和夫国際政治学者|note
ttps://n■ote.■mu/kazuotakahashi/n/nb6c4bbd4d33f
2018/12/18 03:40
ここで興味深いのは、日本人のモンゴル好きである。モンゴル好きという言葉が過剰であるならば、モンゴルに対する嫌悪感の欠如である。
これはユーラシア全体を見渡せば、変わっている。というのはモンゴルの侵略を受けた国々では、悲惨な経験が語り継がれているからである。
たとえば第二次世界大戦中のドイツ軍のポーランド占領が残酷であったとして、
イギリスの首相だったチャーチルが回顧録でモンゴルのヨーロッパ侵入以来の残虐さだと記述している。
つまり極悪非道の基準がモンゴル軍の行動であった。
確かに13世紀にポーランドに侵入したモンゴル軍はリーグニッツ(ワールシュタット)の戦いで勝利を収めると捕虜に対して非道の限りを尽くした。
モンゴル軍に席捲されたシルクロード沿いの人々も殺戮と略奪と破壊を経験した。それが深く人々の記憶に刻み込まれている。
筆者の招かれたイラン人たちのパーティーの時に、予想より参加者が多く食べ物が直ぐになくなってしまったことがあった。
そうすると、ある参加者が「モンゴルの襲撃のようだ」と表現するのを耳にした。モンゴルは決して愛されていない。
ところが日本人は襲撃を博多湾で食い止めたからなのか、モンゴルに対する嫌悪感が薄いようだ。これは世界でも稀な現象である。
もっとも、日本人は鎌倉武士の善戦と神風でモンゴル人の上陸を食い止めたつもりでいるが、実際はどうだろうか。
大相撲の九州場所は博多湾に面した福岡国際センターで行われるが、土俵上では多くのモンゴル出身の力士が活躍している。
結局、モンゴル人は博多に上陸したようだ。少し長くは、かかったが。
- 295 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 20:54:15.54 0.net
- モンゴル軍は助命を約束しながら降伏後にあっさり殺したり
人としてどうなのって感じ
- 296 :世界@名無史さん:2019/01/03(木) 23:24:54.57 0.net
- 鎌倉武士の引き立て役が世界帝国を作ったとか誇らしいじゃん
日本文化は尚武の文化だってことを忘れすぎだお前ら
- 297 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 00:15:53.29 0.net
- >>293
元史によれば助命され奴隷にされたのは南宋人だけ
- 298 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 00:46:38.18 0.net
- >>293
方伐木作舟欲還、七日、日本人來戰、盡死。
餘二三萬為其虜去。
九日、至八角島、盡殺蒙古、高麗、漢人、謂新附軍為唐人、不殺而奴之。
元史からのコピペ。
捕虜が二、三万。
うち蒙古人、高麗人、漢人は皆殺しにされて南宋人だけは助命され奴隷にされた。
弘安の役の元+高麗軍は南宋人十万人、蒙古人、高麗人、漢人四万人と南宋人が多かったけど、
台風で沈んだのは南宋船の方が多かったらしい
- 299 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 02:26:06.81 0.net
- モンゴル人は皆殺しにした死体を放置したまんまだったのかな?
虐殺にあった都市の近辺には大量の骸骨が埋まっているのだろうか?
- 300 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 03:01:56.11 0.net
- サマルカンドの遺跡で子どもを含む大量の遺骨発見とか以前ニュースで見た気がする。
- 301 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 22:16:44.23 0.net
- 後ろ手に縛って数珠繋ぎにして周囲から矢をいかけて殺すのが
モンゴルのやり口みたいだな
- 302 :世界@名無史さん:2019/01/09(水) 14:38:43.32 0.net
- ジュチがチンギスの実子かの遺伝子調査って行われたの?
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