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チュルクとモンゴルはなぜ差がついたのか?

364 :世界@名無史さん:2019/02/09(土) 18:01:08.22 0.net
>>363
ネストリウス派の中央アジアへの浸透は、ササーン朝がローマからネストリウス派の信者の
亡命受け入れてからで、その後聖書のギリシア語からペルシア語への翻訳が行われた。
ソグド人のネストリウス派信者も最初はペルシア語の聖書にペルシア語の典礼だったろう。
それをさらにソグド語に訳したかどうかはわかってないし、ナイマンやケレイトはペルシア語
理解できる者も少なくなかったから、彼らの典礼用語や聖書はソグド語でもペルシア語でも
どっちでもよかっただろう。
ソグド人のペルシア語についてもどうでもよくて、ソグド人にペルシア語の教養必須でなくても
最初に彼らがネストリウス派に触れたのはペルシア語聖書であることは間違いないだろう。
ギリシア語からソグド後にダイレクトに翻訳されたわけではないのだから。

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