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ジャンヌ・ダルクについて語るスレ

1 :世界@名無史さん:2016/05/09(月) 05:48:46.36 0.net
歴代最高のジャンヌ・ダルクと名高い
ヴァージン・ブレイド ジャンヌ・ダルクの真実
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-91-85/pianissimo_chu/folder/496553/16/11082316/img_0

ダンス・マカブル 西洋暗黒小史
http://i1.wp.com/img.korewaeroi.com/imgs04/1422928171/57_3s.jpg

810 :世界@名無史さん:2020/08/27(木) 20:08:37 ID:0.net
<ジャンヌダルク偽物事件>
引用元:世界不思議百科(コリン・ウィルソン著)

ルーアンでジャンヌが火刑に処されて五年後、即ち1436年5月。ロレーヌのメッツという町に、処女ジャンヌを名乗る25歳前後の
女性が出現した(ただし以前は、クロードと呼ばれていた)。噂を聞いたジャンヌの実弟プティジャンとピエールは当時まだ軍務に
就いていたが、さっそく真偽を確かめるべくメッツに赴く。果たして地元の馬上武術試合に参加する女騎士と接触、実姉と認めた

この時点ですでに「姉」は侍従武官ニコール・ローはじめ、かつてのジャンヌと面識のある戦友たちに囲まれていた。彼女は各地で
歓待され、アーロンで公爵家の城館に滞在。その間にプティジャンは、姉の生存を王に報告。この件は8月9日付の記録が現存する

いっぽう「ジャンヌ」はウルリッヒ伯に庇護されケルンに移動。現地の異端審問官に狙われる一幕もあったが再びアーロンに逃げ、
ロベールという貴族と結婚。アルモアール夫人となり3年間で2児の母となる。1439年夏にオルレアンを訪問、大歓迎され210リー
ブルを受領。トゥールで「旧知」のギヨーム・ベリエを通して王に書簡を送る。ジルドレも本物と認知し、騎士長の称号を授与した
(続く)

811 :世界@名無史さん:2020/08/27(木) 20:09:16 ID:0.net
(承前)
1440年、アルモアール夫人は遂にパリにて王に拝謁した。王はこの時も初対面時とおなじ替え玉テストを実施したが、彼女はまたも
見破る。王もその場では「処女よ、汝は神の御名のもと歓迎されるであろう」と、口走っている
ところがその拝謁後、王はふいに彼女を偽物と断定。裁きにかけ市民の面前で悔恨を強要した旨、当時の「パリ市民報」が伝えている

但しその後アルモアールはメッツに戻り、従前どおりジャンヌとして通した。1443年には弟ピエールが「姉ジャンヌの件」での嘆願書
を出している。従兄アンリ・ド・ヴールトンを含む親戚パーティに、彼女はしばしば出席していたという。14年後、ソムールでもジャ
ンヌとして役人から受け入れられており、それが最後の記録となる。以後はメッツで、貴族の妻としての人生を全うしたとみられている

ともあれ偽物の典拠は瓦版「パリ市民報」のみ。家族を含め、ジャンヌと直接の面識がある大勢が、本物と認知していたのは確かである
当時はまだジャンヌの名誉回復前の微妙な時期で、パリ市民にはジャンヌへの警戒があり、王の否認は政治的なものだとする推論もある
なお「蘇ったジャンヌ」は、脱出の詳細には触れていない。ただ「火刑にされたのは替え玉(別の魔女)で、自分は救出された」という
のみである。ちなみに火刑の現場は800人の英軍兵に囲まれ、見物人は遠ざけられていたとのこと……

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