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北京の歴史

206 :世界@名無史さん:2017/11/26(日) 22:04:00.91 0.net
モンゴル帝国の時代には、北京は商業と金融の世界的な中心でもあった。
現代でいえば、ニューヨークのような存在だった。

しかし、明朝の300年を通じて、江南がさらに台頭する。
もはや、誰が見ても長江下流が中国経済の心臓部だった。

しかし、政治都市としての北京の重要性は揺るがなかった。
内地からモンゴル・満州に出るのにも、モンゴル・満州から内地に入るのにも、北京を通るのが最良のルート。
周囲は険しい山地と砂漠地帯で、ここしか通るところがない。

207 :世界@名無史さん:2017/11/26(日) 22:08:36.59 0.net
年表

1643年 清で順治帝が即位。
1644年 李自成が北京を包囲し、これを占領。明が滅亡する。
1644年 清が北京に侵攻し占領。清の中国支配が開始。
1646年 鄭成功が江戸幕府に救援を求める。
1648年 ヨーロッパで初の国際会議が開かれ、ウェストファリア条約が結ばれる。近代国際法の原点。
1649〜58年 イングランドでオリヴァー・クロムウェルが独裁。
1651年 ドルゴン、死去。
1658年 ムガル帝国皇帝にアウラングゼーブ大帝が即位。
1658年 (神聖ローマ)レオポルド1世が即位。
1661年 順治帝、死去。

208 :世界@名無史さん:2017/11/26(日) 22:16:21.06 0.net
しかし、女真人は人口が少ない。漢人は人口が多い。
清が中国を再統一するのは、それほど簡単なことではなかった。

北京から追い出された明朝の残党は、南京を拠点として再起を図っていた。
このままでは、また、金と南宋のような南北朝時代になっても不思議はない情勢。

その困難を乗り越え、広い中国を再統一したのは、宰相ドルゴンの凄腕だった。

209 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 21:16:59.66 0.net
http://www.china-watching.com/ura/ime142.jpg

210 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 21:19:08.29 0.net
↑ラクダに乗った隊商が、清の都・北京に向かうの図

北京からモンゴル高原を通って西域に抜けるルートは健在だった

211 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 21:21:06.08 0.net
かっての北京は城壁に囲まれた町でした。
北京は厳重に二つの部分に分かれています。
内城と外城です。

内城は、俗に言う北京城の部分で、9つの門がありました。
この9つの門のうち、現存するのは正陽門(前門)という
故宮の真南にある門と、徳勝門という北西の門です。

外城は、内城の南に出っ張るような形の部分で、言ってみれば「下町」のような場所でした。

http://www.china-watching.com/ura/ime271.jpg

212 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 21:22:31.29 0.net
城内と城外、城内でもその場所場所によって町の雰囲気が全然違います。
内城は紫禁城があり、官僚なども住んでいただけあって、
格式ばった雰囲気がありますし、外城は商店も多く、
道も込み入っていて、なんとなく繁雑とした感じ。

その城壁は中華人民共和国「1950年代頃から」地下鉄を作る為、
取り壊され、現在・北京地下鉄環状線です。

北京の地下鉄環状線は、ちょうど東京の山手線のように、北京旧・内城をぐるりと回っている市民の便利な足です。
この環状線には駅が18ありますが、そのうちの11の駅の名の最後の文字は「門」で終わっています。

213 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 21:23:58.09 0.net
復興門「フーシーメン」駅から右回りに「門」の付く駅を拾ってみますと、
宣武門「シュェンウーメン」、和平門「ホーピンメン」、前門「チェンメン」、
崇文門「チョンウエンメン」、建国門「チェングオメン」、朝陽門「チャオヤンメン」、
東直門「ドンジィメン」、安定門「アンチィメン」、西直門「シィジィメン」、
阜成門「フチョンメン」、そして復興門駅にもどってきます。


 なぜ、こうも門が続くのか。
そのなぞは、この地下鉄環状線が明・清の時代の北京を囲む城壁の地下を走っており、
「門」の付く駅の地上には、城壁ありし日には城門があったからです。
その後も城門の名だけは残って、そこの地名や駅名として、
いまも脈々と生き続けているのです。

214 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 22:15:36.46 0.net
>>206
日本の支配層だったら北京やコンスタンティノープルは
重要都市に位置付けても首都には出来ないな 博多や長崎に皇居があるようなものだ

215 :世界@名無史さん:2017/11/27(月) 22:31:18.45 0.net
地理的位置からすれば、日本でいえば札幌に首都があるようなもので、あまりにも偏っている。

でも、もしも首都がもっと南のどこかに移ったら、北京は衰退するだろう。
あれだけ政治権力が集中していても、金融の中心は上海や香港にある。

金融というのは、政治権力と切っても切れない関係にあるので、
アジアでは首都に収れんしていく傾向がある。日本がいい例だ。
それだけに、北京にも相当なアドバンテージがあるはずなのだが、それでも無理。

216 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 09:09:50.75 0.net
北京のGDPは中国全国のGDPの2%でしかない。
首都に一極集中していない経済構造は、発展に有利な気がする。

217 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 09:45:24.71 0.net
>>211
徳勝門の横にバス乗り場があって
八達嶺長城や明十三陵行きのバスがどんどん発車していた。
ほとんど2,3分おきぐらいで、
客待ちのバスが常に数台待機していて、満員になり次第次々と発車する。
IC交通カードを利用すると運賃がびっくりするほど安い。
6元ぐらいじゃなかったかなぁ?
八達嶺まで乗ってみた。
IC交通カードは乗車時と降車時にタッチするが、
道中で車掌がカードを集めてタッチして戻してくれる。
降車する時間を減らすためらしい。
高速を利用するので1時間ぐらいで到着できる。
帰りも徳勝門直行や明十三陵行きのバスにほとんど待たないで乗れる。

北京を個人旅行する時は、
空港駅前の窓口で、IC交通カードを買っておくこと。
100元も入れておけば、市内地下鉄、バス、タクシーに利用できて、
切符を買うよりかなり割安に設定してあって超便利。
政策的低価格というやつだ。
チャージは地下鉄駅窓口などで係員にお願いする。
券売機でチャージするのかと思ってたらできなかった。
出国時に空港駅の窓口でカードを返却すると、残金とカード保証金が戻ってきた。
地下鉄駅入り口や有名観光地入り口には、荷物検査がある。
公安関係に随分と人手と手間を割いている。

218 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 19:53:27.50 0.net
「ソ連時代は良かった。電気代やガス代が、タダみたいに安かった」というロシア人みたいなものだな。
財政赤字をどれだけ垂れ流しても気にしなくて済むのが、社会主義国の強み。
後にツケを回してるだけとはいうものの。

219 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 19:56:24.06 0.net
>>216

そういう意味でも、日本でいえば札幌が首都で、東京や大阪が地方になっている状態。

まあ、北京もかなりの大都会なので、札幌とは違うが。

220 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 19:57:41.96 0.net
政治と経済の中心は別の方がいいな

221 :世界@名無史さん:2017/11/28(火) 20:00:50.94 0.net
北京の「前門」は、明代にさかのぼる歴史のある繁華街

地下鉄2号線「前門」の駅を降りると、昔の城壁の一部として「前門」の「城楼」と「箭楼」が2つ並んで建っています。
南側の「箭楼」をスタート地点に、南へまっすぐ続くのが「前門大街」。
古くからの商店街、歓楽街として、「北京の浅草」ともいわれる場所です。

このあたり一帯の歴史は古く、繁栄がはじまったのは、明代(1368〜1644)から。
明代には、皇帝の住む故宮のまわりでは商売は許されず、商売人はこの「前門」あたりに集められました。
謹厳な空気の故宮のまわりから、この「前門」に来ると、あたりはうってかわって人々のいきいきとした熱気が漂い、
堅苦しい宮廷務めに肩が凝った高級官僚などの格好の息抜きの場だったといいます。
気取りのない賑やかさがこのエリアの特色です。

222 :世界@名無史さん:2017/11/29(水) 12:25:59.21 0.net
>>220
二都体制が理想ということか?
徳川時代の三都体制はどうだ?

223 :世界@名無史さん:2017/11/29(水) 12:31:18.07 0.net
>>222
日本史板でやれ馬鹿

224 :世界@名無史さん:2017/11/29(水) 16:32:07.42 0.net
>>207
順治帝には生存伝説があったよね。
寵姫が亡くなってなにもかもいやになり、24歳で帝位を放り出して五台山に籠もってしまった、と。
朝廷では仕方なく崩御したことにして康煕帝が後を継ぐ。

225 :世界@名無史さん:2017/11/29(水) 20:59:41.60 0.net
>>224

康熙帝が、遠く離れた五台山をわざわざ何度も訪問していたり、
李自成の生存伝説よりは、ずっと信ぴょう性がある話。

両方とも、時代劇では当たり前のように登場するエピソードだが。

226 :世界@名無史さん:2017/11/30(木) 10:01:52.40 0.net
>>218
日本の公共交通費が高くない?
北京や広州に行ってきたが、タクシー代ですら安く感じる。

アモイで正規のタクシーが捕まらず、
やむなく白タクを利用したことがあるが、
乗る前に行き先と値段を交渉できたので、
ボッタクられることはなかった。
でも違法かつ危険な場合もあるのでオススメしない。
あと Ubar が超便利だった。
白タクよりマシだし。
日本じゃ、Ubar は違法のまま規制緩和する見込み無し。

北京ではレンタル自転車があちこちで走っていた。
スマホで借用と支払できるみたい。
外国人も結構レンタル自転車を利用していた。

それでも道路の渋滞はなくならないね。

227 :世界@名無史さん:2017/11/30(木) 19:09:59.91 0.net
万里の長城の兵卒って一体どこに住んでたんだろ
九辺鎮にはすべて合わせて百数十万の兵士が常駐してたそうだが
あんな崖っぷちの何もない所でよくそれだけの人口を養えたな

228 :世界@名無史さん:2017/11/30(木) 21:10:30.13 0.net
昔とは逆で、「北京から東京に来ると、物価が安いなと感じる」という人が多いけどな。

交通機関に関しては、北京のほうが安いか。

229 :世界@名無史さん:2017/12/01(金) 00:46:49.63 0.net
>>227
食糧を送るために、北京の大運河がある

230 :世界@名無史さん:2017/12/01(金) 00:49:31.62 0.net
モンゴル帝国の時代には海運が盛んになり、江南から天津港を経由して北京への海上輸送が行われた。

その後、明の反動的な政策で海運は衰退したのだが。

231 :世界@名無史さん:2017/12/01(金) 22:55:25.58 0.net
天安門にほど近い大通り、前門大街。こちらから大柵欄・鮮魚口にかけては明清時代から続く歴史的な商業地区で、老舗の名店が数多く立ち並ぶ地域です。
北京オリンピックに合わせて、前門大街では大規模な再開発が行われ、再開発の目玉として、1924年から1958年まで運行されていた路面電車が再現されました。
歴史を感じるおすすめスポットをピックアップしていました。
北京の気候は春秋が比較的短く、冬がやや長いです。
空気が乾燥しているので、町歩きにはミネラルウォーターを持ち歩くことをおすすめします!

232 :世界@名無史さん:2017/12/02(土) 06:49:22.71 0.net
>>229
その大運河は黄河以北では、度重なる洪水と黄河断流で底が上がり、使用不能だけどな

233 :世界@名無史さん:2017/12/05(火) 00:06:24.49 0.net
>>198
それ2ちゃんのコピペでしか見ない話

234 :世界@名無史さん:2017/12/05(火) 00:22:09.10 0.net
>>233
情弱ご苦労

235 :世界@名無史さん:2017/12/05(火) 00:46:51.34 0.net
>>233
そりゃ、お前が2chしか見ないからだろ

236 :世界@名無史さん:2017/12/05(火) 01:31:28.82 0.net
2chが世界の全てか
うん、それはそれで幸せかもしれない
俺はそんなの勘弁だが

237 :世界@名無史さん:2017/12/06(水) 14:17:45.59 0.net
>>235
何言ってんだお前

238 :世界@名無史さん:2017/12/07(木) 20:11:24.44 0.net
>>223
へぇ〜懲録て2chのコピペだったんだ

239 :世界@名無史さん:2017/12/07(木) 20:22:52.79 0.net
今は5chだが

240 :世界@名無史さん:2017/12/07(木) 20:26:23.36 0.net
223じゃなくて>>233じゃねえの?

241 :世界@名無史さん:2017/12/07(木) 20:36:01.46 0.net
>>233
お前らは史実も現実も直視できないもんな

242 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 06:27:17.50 0.net
>>237

2chしか見てない奴が、「そんな話は2chでしか見たことないぞ」って、笑わせんな

243 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 07:46:05.34 0.net
2chが世界の全て

244 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 08:30:55.77 0.net
あんてんどぅ?

245 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 20:39:29.32 0.net
北京は華北大平原の北端に位置し、潮白河、永定河が形成した扇状地にあり、北京湾と呼ばれるポケット状の小平野をなしており、東、西、北を山に囲まれている。

西部の山地は総称して「西山」といい、太行山脈に属している。
北部と東北部の山地はすべて「軍都山」と称し、燕山山脈に属している。
天然の峡谷沿いに東北へ向かえば遼河平原に入り、西北へ向かえば蒙古平原に達する。
潮白河、永定河などの河川は、西北部の山地に発し、山を突き抜けて東南の平原地域へ向かって流れ、最後は渤海に流れ込んでいる。

246 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 20:41:14.36 0.net
つまり北京は、山に囲まれた麓にあり、いくつもの河が流れる、砂漠のオアシスみたいな都市。

水が枯れるまでは、首都であり続けるだろう。

247 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 22:19:09.31 0.net
広大な中国だが、首都に適した地はここしかないようだ

248 :世界@名無史さん:2017/12/08(金) 22:24:22.86 0.net
仕事より人のあら捜しに夢中のゲスイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする 
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする

大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ

今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923

249 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 20:53:20.04 0.net
白蓮教徒の乱が鎮圧された後、その信者の一部は逃れて天理教と改称し、なおも団結をつづけた。

1813年、指導者の大工・李文成と、薬局局員の林清は反乱を計画、李文成が山東省で挙兵、
林清は紫禁城の宦官の不満分子と連絡し、200名の反乱部隊を城内に侵入させた。

反乱部隊は皇帝の居所の養心殿にせまった。嘉慶帝は不在だったが、第二皇子(後の道光帝)が小銃をとって応戦した。
内応していた宦官は弾を込めていない小銃を手渡したので、皇子は服のボタンを込めて撃ったという。
紫禁城の隆宗門の扁額にはこの時放たれた矢がまだささっているという。乱は鎮圧され、首謀者はとらえられ、
参加者はすべて殺されたが、紫禁城に賊が侵入するという前代未聞の出来事は、清朝の衰退を予見させる出来事であった。

<寺田隆信『紫禁城秘話』1999 中公新書 p.171-173>

250 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 20:57:36.19 0.net
日本でも百姓一揆はよく起きていたが、江戸城まで攻め込むなど、とても考えられない。

その点、北京の紫禁城は、李自成・天理教と、2度も反乱軍に攻め込まれている。

251 :世界@名無史さん:2018/01/30(火) 09:07:49.54 0.net
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

SBJJI

252 :世界@名無史さん:2018/03/03(土) 22:13:24.71 0.net
ヒトラーが構想した「世界首都ゲルマニア」は、計画のみで実現しなかったが、
今も残る模型や図面を見ると、戦慄すべきものを感じる。

一方、中国人は儒教イデオロギーに基づく「世界首都」を地上に実現した。
明清帝国の首都・北京と、その中心に位置する紫禁城(現在の「故宮」)は、
儒教の経典『周礼』冬官考工記の「世界首都」構想を発展的に具現化している。
紫禁城は、宇宙の支配者たる天帝の住まい「紫微垣」(北極星のすぐ横の、天頂の中心)をモデルとする。
北京の都市計画のコンセプトは、「天子」たる中華皇帝が天に代わって世界を支配するための巨大な「魔法陣」だった。
 
紫禁城は過去の遺産だが、中華帝国の世界首都構想は、21世紀の今日も脈々と受け継がれている。

253 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 14:46:18.40 0.net
>>247
砂漠がすぐそこまで迫っているのに?

254 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 15:56:52.84 0.net
安陽:商代のみ
旧長安:何度も長期政権の首都になる 洛陽:何度か首都になる
開封:北宋のみ 南京:何度か首都になるが短命政権が多い
北京:元代以降の長期政権
基本的に中国で首都に選ばれたのは7つ位しかないし、ほとんどが西安か洛陽か北京

255 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 16:05:22.93 0.net
唐代以前:ほぼ長安か洛陽
唐滅亡→五代十国→北宋の首都=開封
元代以降:北京か南京   内陸部が砂漠化で衰退?

256 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 19:00:31.62 0.net
北京・上海・広東省。
中国の中心が、内陸部から沿海部に移って久しい。
日本でいえば、「太平洋ベルト地帯」に相当する(古いか)。

この体制が確立されたのは、やはり、モンゴル帝国期といえるだろう。

257 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 23:59:58.53 0.net
もともと、長江デルタや珠江デルタが、中国で最も肥沃な最良の土地。

沿海部が発展して、内陸部を凌駕するのは時間の問題だった。

258 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 00:02:50.93 0.net
今後も、中国の首都は北京しかない。

ほかの都市に移ることは、まずないだろう。

259 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 00:11:43.35 0.net
元々は明の首都は南京だった 国民党時代の中国も南京だったし、
気候も北京より雨量が多く温暖で過ごしやすいのではないか?
何でわざわざ大陸性気候のさぶい北京に遷都する?南京のままでいいだろう さぶいの嫌!

260 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 02:46:54.49 0.net
鮮卑系が支配してるからだよ

261 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 07:29:48.85 0.net
日本人で中国史が好きな人というのは、たいてい三国志や項羽劉邦といった古代史からこの道に入ってるので、「中国の古都」というと、洛陽や長安を連想する。

でも実際には、日本でいえば平安時代の後期あたりから北京が台頭し、鎌倉時代あたりからはずっと北京が都。

その間、洛陽や長安は荒廃して再建されたりしている。現在の西安は、明代に再建された都市だ。

要するに、「中国の古都」といえば、第一に北京を連想するべき。

262 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 08:13:22.68 0.net
古代史にこだわるのは、現代の中国を理解する上で役立たない。
むしろ、誤解を生むので有害。

現代の中国を理解したかったら、やはり、北京の歴史に限る。

263 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 08:30:06.04 0.net
>「中国の古都」といえば、第一に北京を連想するべき。
古都ではなく現都なんですが

264 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 08:34:27.40 0.net
北京はモンゴルの首都だった

265 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 08:44:47.21 0.net
日本史に例えれば、奈良時代のことまでは実によく知ってるが、平安時代から後のことはほとんど知らない。

「日本の首都」と聞いて、反射的に飛鳥・奈良を連想するという状態。

266 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 18:21:05.61 0.net
>>264
その前に金の首都「中都・大興府」

267 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 16:17:55.62 0.net
戦前の教育を受けた祖父は
「”ぺきん”とはなんだ!? "ぺいぴん”だろが!!」
と酔うたび言ってたな

268 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 19:26:30.35 0.net
>>266

269 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 19:27:22.11 0.net
契丹人は「南京」と呼び、満州人は「中都」とよび、漢人は「北京」と呼んだ

270 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 19:29:03.46 0.net
>>267
台湾では、いまでも「北平」

さすがに、大陸との交流が盛んな今は、「北京」と呼ぶ人が多いが

271 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 19:55:18.68 0.net
もし北京政府が南京でなく「南平」とか「江州」とかだったら
台湾も対抗上頑として「北平」のままだろうなw

272 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 21:01:47.10 O.net
万里の長城そばの トイレ って
未だに扉が無くて,ケツ丸出しで
用を足さないと,いけないんですか ?

273 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 21:13:39.10 0.net
確認するが宜し

274 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 19:08:28.02 0.net
北京を首都にしていても、上海や香港は勝手に繁栄する。

南京を首都にしたら、北京は衰退するだろう。

だから、国土の均衡ある発展のためには、北京を首都にしておいたほうがいい。

275 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 19:14:13.78 0.net
つまり、中国の首都がどこになろうとも、上海や香港が繁栄することに変わりはない。

一方、北京については、あくまでも、首都であることに意義がある。
首都でなくなったら、経済的にも衰退するのは間違いない。

276 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 19:52:43.71 0.net
経済中心地と政治中心地は別れている方がいい

277 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 21:17:27.96 0.net
アジアでは、政治と金融の結びつきが強いせいか、首都に金融機能が集中していく傾向がある。
東京がその最たる例だ。

278 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 21:33:16.45 0.net
>>271
仮にそうしたのなら「金陵」だろうな。実際南京の地ビールには金陵ビールってのがあるし。
>>277
そりゃ東アジアだけに限れば名実共にれっきとした連邦制国家はマレーシアだけだからな。中国はその点
中央集権国家としては例外中の例外とも云うべき存在だな。
一方アジアって括りなら何と言っても世界一の多民族多言語連邦国家であるインドがあるからね。
こちらも金融機能はムンバイが受け持ってるからな。

279 :世界@名無史さん:2018/03/23(金) 22:10:06.74 0.net
>「金陵」

古っ

280 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:02:33.45 0.net
アジアで、政治と経済の中心が分離しているのは、中国とベトナム

281 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:11:28.52 0.net
西方まで含めればパキスタン、カザフスタン、イスラエル、トルコもそう

282 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:12:24.96 0.net
>>280
「アジア」て括りならインド(デリーとムンバイ)、パキスタン(イスラマバードとカラチ)、
それとスリランカ(現首都とコロンボ)もね。

283 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:15:16.36 0.net
あっそれと最近はミャンマーもだったな(ネピドーとヤンゴン)。

284 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:23:47.78 0.net
>>282
スリジャヤワルダナプラコッテと言えないのか!

285 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:27:53.35 0.net
略称はなんていうんだろうな?

286 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:29:59.03 0.net
バンコックの正式名称を言える人には、まだ一度もお目にかかったことがない

287 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:47:19.88 0.net
スリー・ジャヤ・までは分かるけどその後どう分けるか分からんわ

288 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:51:19.97 0.net
東京・南京・西安・北京

289 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 19:51:22.59 0.net
>>284
面倒だったから書かなかっただけだよw

290 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 20:18:12.76 0.net
シュリー(吉祥なる)・ジャヤ(勝利を)・ヴァルダナ(齎す)・プラ(都市)・コーッテ

291 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 21:51:31.03 0.net
「聖なる勝利をもたらす街・コッテ」か。

要するに、コッテというのが街の名前。

292 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 21:53:15.63 0.net
外国人からは、「シュリージャヤ」と略されそうだなあ。

昔、タイの「メナム・チャオプラヤ」を、日本ではメナム川と呼んでたが、
メナムというのはタイ語で「川」だってことがわかってからは、
「チャオプラヤ川」と呼ぶようになった。それを思い出す。

293 :世界@名無史さん:2018/03/25(日) 00:51:53.53 0.net
>>286
クルンテープマハナコーン

294 :世界@名無史さん:2018/03/26(月) 06:17:39.77 0.net
>>277
以前、中央政界で北京派と上海派が激しく争っていた頃、「上海に代わって、天津を金融センターにする」という計画が実行に移された。

天津のベイエリアに建設された巨大な新都心は、いまや壮大な廃墟と化し、中国バブル崩壊の象徴になっている。

295 :世界@名無史さん:2018/03/26(月) 07:05:04.49 0.net
金融センターに転身できなかったのか

296 :世界@名無史さん:2018/03/26(月) 12:35:53.27 0.net
孔健が、「首都に金融センターがあるのが自然」と主張してたが、失敗に終わった。

「上海没落、北京勃興」とかいう本を出してたが、すぐ絶版になったみたいだな。

297 :世界@名無史さん:2018/03/26(月) 12:36:33.38 0.net
北京と上海の対抗意識は凄い。

同胞意識がないね。

298 :世界@名無史さん:2018/03/26(月) 12:47:57.14 0.net
燕と呉越か・・・

299 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 06:52:36.08 0.net
フランスが、イギリスに何百年も支配されてきたようなものだからな。

もともと、長江下流域は中国大陸で最良の地であり、根強い独立志向がある。

300 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 06:58:27.23 0.net
もちろん、べつに現地で独立運動が起きてるわけではないが。
しかし、北京に対する反感は根強い。
大阪と東京の関係とも違う。
明らかに上海のほうが大都会だから。

301 :世界@名無史さん:2018/04/01(日) 07:09:09.44 0.net
http://www.youtube.com/watch?v=C5a5ZomA4CY

302 :世界@名無史さん:2018/04/10(火) 18:43:31.64 0.net
>>295-296
(特に利権系の)ベンチャーだと、北京は強いよww
ベンチャーというのは、とどのつまり「オラオラ系の金融機能」そのものなので、
北京はそれなりに金融機能を果たしているということになる。
利権系といっても馬鹿にしてはいけない。
六本木や渋谷周辺でせいぜい10人程度の社長さんが内輪で飯を食ってるだけの東京のそれとは、
スケールが全然違うから。典型的には小米だとか、世界を狙う位置にいる。

303 :世界@名無史さん:2018/04/11(水) 06:04:35.46 0.net
>>254
杭州忘れてるぞ

304 :世界@名無史さん:2018/04/11(水) 13:30:23.22 0.net
中国の六大古都

北京 南京 洛陽 長安 開封 杭州

「七大古都」だと、殷墟が入る

305 :世界@名無史さん:2018/04/11(水) 15:06:20.54 0.net
>>302
レノボが北京なのは、政府系企業としてスタートしたからだな

306 :世界@名無史さん:2018/04/11(水) 15:07:01.78 0.net
ホアウェイは深セン、アリババは杭州

307 :世界@名無史さん:2018/07/12(木) 12:27:31.92 0.net
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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308 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 00:13:22.64 0.net
三国史から中国の歴史に興味を持った自分としては、現北京が三国史の北平ってのが何ともいえない
春秋戦国に興味を持ったら燕の薊だし、北宋に興味を持ったら雲台十六州ってのがまたなんとも
歴史って面白いですね

309 :世界@名無史さん:2018/10/28(日) 09:42:52.95 0.net
モンゴルが紫禁城を建立

310 :世界@名無史さん:2018/10/28(日) 11:15:59.67 0.net
>>308
日本でも、平安時代には、関東が田舎だったのと同じ

今の中国の中心である北京・上海・広東省が台頭したのは、長い歴史の中では割りと最近のこと

311 :世界@名無史さん:2018/10/30(火) 20:52:46.36 0.net
>>308
燕の薊は、微妙に場所が違うんじゃないかな?

312 :世界@名無史さん:2018/10/31(水) 00:43:05.69 0.net
まあそれ言い出したら邪馬台国だって奈良県でしょが
へんな子が邪馬台国は九州二ダいや徳島ニダと言い出すだろうけどさ

313 :世界@名無史さん:2018/10/31(水) 01:33:18.96 0.net
邪馬台国の場所は不明だよ
奈良と断定しちゃう人も同様にへんな子だよ

314 :世界@名無史さん:2018/11/09(金) 19:55:11.89 0.net
そうだ

邪馬台国は確定していない

大阪でも岡山でもまったくおかしくない

315 :世界@名無史さん:2018/11/09(金) 19:58:19.06 0.net
北京は、山々にはさまれた回廊の地形

中原からモンゴル・満州に出るには、北京を通るしかない

古来からそれなりに重要なところだった

316 :世界@名無史さん:2018/11/09(金) 22:59:43.34 0.net
>>314
岡山の県北は糞大国だった!?

317 :世界@名無史さん:2018/11/10(土) 08:02:49.44 0.net
>>316
糞大国?

朝鮮のことか?

318 :世界@名無史さん:2018/11/10(土) 21:49:01.06 0.net
そうそう
トンスルをドバーっとワシの口に出してきたんや

319 :世界@名無史さん:2018/11/10(土) 22:26:52.60 0.net
>>10
北京では路面電車の専用路はないから、トロリーバスになったのかな
80年代はちょくちょく巻き込み事故を起こしていた

320 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:44:00.89 0.net
日本人の関心は古代史に集中しているので、古都といえば洛陽や長安を思い浮かべ、北京については上海・香港のような現代都市と思っている人が多い

だが、それは間違いだ

「中国の古都」と聞いたら、真っ先に「北京」を思い浮かべるのが正しい

321 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:44:24.26 0.net
京都と同じで、千年の都だ

322 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:47:22.40 0.net
金建国前の女真(ジョシン)は、現在の中国東北地区(満州)黒竜江省の松花江の支流・按出虎水(中国語版)(アルチュフ川)流域にいて、遼に対して服属していた。
しかし遼の支配者たちは奢侈が募り、女真に対して過酷とも言える搾取を行っていた。これに対し、女真族の完顔部から出た阿骨打が反乱を起こし、1115年に按出虎水の河畔で即位し、「金」(女真語でアルチュフ)を国号とした。

この国号は、女真族が按出虎水から産出する砂金の交易によって栄えたことからつけられたとされる。
最初の首都となった会寧(上京会寧府)は按出虎水の河畔にあり、現在のハルビン市阿城区にあたる。

323 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:48:28.79 0.net
金は1120年に北宋と「海上の盟」と称される盟約を結び、遼を挟撃して分割し、宋側には燕雲十六州を引き渡すことを約束した。
しかし、宋は攻略にてこずったために金が燕京(現在の北京)を落とし、宋に割譲した。
阿骨打は1123年に死去するが、弟の呉乞買(太宗)が後を継いで遼との戦いを続け、1125年に逃れていた遼の最後の皇帝天祚帝を捕らえ、遼を完全に滅ぼして内モンゴルを支配した。

324 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:50:32.13 0.net
一方、燕京を手に入れた宋軍は、遼の残存勢力と手を組んで金を牽制するなど、盟約に従って燕京を割譲した金に対する背信行為を繰り返したので、
これに怒った太宗は1125年9月宋に侵攻し(靖康の変、1125年9月 - 1127年3月)、華北を席捲し、宋の首都開封を包囲した。

宋では欽宗が新たに即位して金の包囲に耐え、金もいったん和議を行い北に引き揚げた。
しかし金軍がいなくなると、またしても宋は背信して和約を破ろうとしたので、
1127年に金軍は再び南下して開封を陥落させ、欽宗を北方に連れ去って北宋を滅ぼし、中国の北半を征服した。

またこの時金軍は、欽宗のみならずその父の上皇徽宗、および多くの皇族や妃、公主たちを連れ去り、
妃や公主たちは全員が金の後宮に送られるか、洗衣院と呼ばれる売春施設に送られて娼婦とさせられた。

325 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 17:52:40.28 0.net
歴代最弱王朝の宋にも、北京を一時的に領有した時期はあった

しかし、宋に特有の、朝鮮人みたいなコスッからい裏切り行為で金を激怒させ、北京どころか開封まで奪われてしまった

326 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 18:19:52.21 0.net
>>320
だが今では、開発が進んで古都の雰囲気が失われている

327 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 18:25:51.43 0.net
京都も、寺とか神社が多いだけで、あとは単なる昭和の街だが

328 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:30:37.72 0.net
西安は、唐の長安が廃墟になって何百年も経ってから明代に建設された別物

じつは北京より新しい都市

329 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:36:55.83 0.net
アジア各国には、大都市の典型例として、日本における東京と大阪のように、首都と大商業都市という代表的な都市のペアがみられる。

(1)中国の北京と上海、(2)インドのデリー(ニューデリー含む)とムンバイ、(3)ベトナムのハノイとホーチミンを事例に挙げて、その特徴点などについて考えてみたい。

330 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:37:49.27 0.net
上記3つの都市ペアに共通して見られるポイントを総論的に挙げてみよう。

第一に、各都市の一人当たりGDP(国内総生産)は、各国の平均よりも高水準であり、消費市場としての重要度も大きい点が共通点といえる。

第二に、北京・デリー・ハノイは各国の首都で政治・行政の中心地であり、上海・ムンバイ・ホーチミンは大規模な商業都市である。
その点から、前者は、町や建物の雰囲気も重厚で落ち着きが感じられ、後者は、高層ビルも多く、町により活気があり喧騒も感じられる。
さらに後者には、各国のファッションやトレンドをリードする場所との印象もある。

第三に、上記の各都市ペアは、気候の面での違いに加え、いずれも長い歴史のある都市でもあり、言語・料理など文化面や住民の意識・気質等の違い、二大都市相互間のライバル意識がみられる。

331 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:39:26.53 0.net
北京・上海

一人当たりGDP(2015年)は、北京17,101ドル、上海16,667ドルと、国の平均値である8,113ドルの二倍を超える高水準となっており、巨大な消費市場としても知られている。

歴代王朝の首都であった北京の住民は、首都のプライドを持ち、社会的地位・名声・権力への興味や政治・教育への関心が大きいといわれる。
一方、国際都市としての歴史が長い上海の人々は、個人主義が強く商才に長け、流行・ファッションに敏感といわれる。
北京では重厚で落ち着いた建物が多いのに対して、上海(特に浦東新区)には斬新なデザインの超高層ビルが立ち並び好対照の印象がある。

332 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:40:11.95 0.net
デリー・ムンバイ

インドというと、常夏との印象があるが、北部に位置するデリーでは年間における寒暖の幅が非常に大きい。
筆者が始めて同地を訪問した際にコートやセーターを持参せず困った経験もある。

これに対して、ムンバイは通年高温多湿な日が多い。また産業も、デリー周辺では大企業の本社や工場などが多い。
ムンバイには、商業・金融・貿易・海運等サービス業が多く、中央銀行(インド準備銀行:Reserve Bank of India)の本店が、首都ではなく同地に所在しているのは珍しいケースである。

映画製作の拠点「ボリウッド」も有名である。デリーを中心とするインド北部の気質は、保守的でプライドが高く、見栄っ張り、家族重視の価値観が強いとされる。
一方、ムンバイは、経済観念が発達しており、個人主義が強く、海外の文化に開放的といわれる。

333 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:41:03.76 0.net
ハノイ・ホーチミン

かつての南ベトナムの首都でサイゴンと呼ばれていたホーチミンが、人口や産業・企業活動の面では、政治・行政の中心地であるハノイに対して優位にある。
気候もハノイは四季があり、寒暖の差が大きいが、ホーチミンは年間を通じて暑い日が多い。

ハノイでは集団主義の傾向が強く、家族・周囲・メディアの意見・提案を重視する。
プレミアム商品志向で、熟考して購入するし、貯蓄意欲も高い。
ホーチミンは、個人主義の傾向が強く、新しいもの・サービスに敏感で、目立ちたがり、見栄っ張り、衝動買いの傾向があるとされる。

以上、中国・インド・ベトナムの首都・大商業都市のペアについて、その特徴点等をみた。同じ国の大都市といっても大きな違いや魅力がある。
今回取り上げた各都市はいずれも、日本企業にとっての重要な進出地となっているが、各市場での成功を期す上では、各社の狙いや戦略に基づき、
それぞれの都市の歴史・文化・言語・気質といった特色や違いを十分に踏まえ尊重することが大切であると考えられる。

334 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:42:23.98 0.net
要約すれば、それぞれの国の中で、比較的、北にある寒いところが首都になる傾向がある

日本でいえば、札幌を首都にするようなものだ(個人的には、それでも良い気がするのだが)

335 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:51:03.91 0.net
札幌の利点は、アメリカに近いことだ(地球は丸いからな)

336 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 19:53:05.49 0.net
しかし現行憲法では、大臣の任命等に天皇の国事行為が必要なので、皇居から遠いところに国会議事堂を置くわけには行かない

337 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 20:20:11.23 0.net
北京のような古い都市は他にもある

だが、これほど「歴史の重み」を感じさせる都市は、北京の他に存在しない

338 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 20:26:49.13 0.net
別にアジアだけでなく、欧州にもあるわな>首都VS経済都市

ローマとミラノ、 ハーグとアムステルダム、ベルリンとフランクフルト
ベルンとチューリヒ、 あとマドリードとバルセロナもそんな感じ

339 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 20:31:27.44 0.net
北京是帝都、上海是魔都、西安是废都、南京是旧都、东莞是性都、重庆是陪都、广州是妖都、
武汉是伪都、深圳是雌都、成都是成都 都有什么由来么,为什么这么叫啊?

340 :世界@名無史さん:2019/01/19(土) 20:34:47.13 0.net
>>338
パリとロンドンの一極集中がむしろ特別

341 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 10:54:13.74 0.net
大都
だいと
Da-du; Ta-tu

中国,元の首都。北京の前身。
モンゴル帝国は,金から中都と称されたこの地を奪い,世祖フビライ・ハンの至元2 (1265) 年その北東隣接地に『周礼』に記されてある王都の規模を模範に新城を建設,国都とした。
これが大都で,南北に長い長方形をなしていた。マルコ・ポーロらは,これをカンバリク (汗〈カン〉,皇帝の城の意) と伝えている。

明初に北平 (ほくへい) と称された一時期を経て,明朝第3代の永楽帝のとき再び国都にされ,のち北京と改称された。

342 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 10:56:20.98 0.net
現在の北京の直接の前身は、元のフビライ・ハンが建設した大都。

その後、明の永楽帝が大改造を行った。

北京の観光名所の多くは、永楽年間のものだ。

343 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 11:21:38.12 0.net
>>339はなんでスマホで見るとあぼーんされているんだろう
PCだと同じJaneでも見れるのに
中国語入力についてはスマホとPCで逆なんだとしたら、
いったいどうやって書き込んだんだろう

344 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 13:57:45.91 0.net
>>342
大改造じゃなくて縮小工事
明代の北京は元代の北京の半分以下

345 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 17:35:01.02 0.net
やはり、元代が北京の最盛期か

346 :学術:2019/01/20(日) 18:01:12.34 0.net
天安門事件なんか歴史の教科書に載ってみない?

347 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 20:58:34.76 0.net
歴史捏造ミンジョクが、本当の歴史を載せるはずがないニダ

348 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 21:35:36.03 0.net
唐の時代にも、北京が天下を取りかけたことはあった

北京で旗揚げした安禄山は、大燕皇帝となった

もしもクーデターに成功していたら、唐は玄宗の代で滅び、燕になっていた

349 :世界@名無史さん:2019/01/20(日) 21:36:49.26 0.net
しかし、その安禄山も、皇帝に即位したのは洛陽だった

おそらく、北京を首都にする気はなかったと思われる

350 :世界@名無史さん:2019/01/22(火) 07:57:01.18 0.net
中国史は、モンゴル帝国から始めれば十分

金や南宋については、「前史」という位置付けで良いのではないか

351 :世界@名無史さん:2019/01/23(水) 10:37:20.64 0.net
先週初めて北京行ったよ。
1日しかなかったけど天壇・前門・天安門広場・王府井・国貿へ行った。
歴史とかあまり知らないけど、上海やシンセンにはない威厳があるね。
「マルコポーロがフビライに接見したのもここだったのかな・・」とか想像しながら
結構楽しかったな。もし次に機会があればゆっくり回りたい。
その前にここのスレで勉強しないとね!

352 :世界@名無史さん:2019/01/23(水) 12:27:04.17 0.net
知人のオッサンは、「ホステス付のカラオケ接待を受けるなら、広東省が一番」と言っていた

「北京ほどつまらないところはない」という話だったが、歴史マニアにとっては逆だ

353 :世界@名無史さん:2019/01/23(水) 13:53:25.11 0.net
>>351
マルコ・ポーロとフビライの接見は上都だから今の北京ではない

354 :世界@名無史さん:2019/01/23(水) 23:07:21.33 0.net
>>353
そうか、ありがとう。
すっかり北京が気にいちゃって、
次回の出張時も北京経由で画策中w

355 :世界@名無史さん:2019/01/23(水) 23:27:07.78 0.net
北京の虜になることを「燕迷」という

356 :世界@名無史さん:2019/01/24(木) 06:04:08.82 0.net
北京の空気は買春より恋愛するのに向いている
寒いから誰でもすぐ人恋しくなるんだよ
瀬戸内寂聴とかロリ可愛かった新妻が不倫でぐちゃぐちゃになった

357 :世界@名無史さん:2019/01/25(金) 16:38:36.93 0.net
>>353
マルコポーロはかなり長くいたから、北京でも会ってるんじゃないかな?

358 :世界@名無史さん:2019/01/25(金) 18:13:18.09 0.net
フビライがつき 朱棣がこねた 北京モチ

359 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 08:21:55.31 0.net
座ったままで喰うはキンペイ

360 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 09:11:24.92 0.net
>>328
五代・後唐の荘宗は初め長安を都にしようと思ったが、
瓦礫だらけの廃墟だったので諦めて洛陽を都にしたくらい。

361 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 10:17:52.20 0.net
>>360
その洛陽を首都にしたのも、「時代錯誤だ」とさんざん批判されたようだな

もはや、中国北部の中心は、業とか開封とか、太行山脈の東側に完全に移っていた

362 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 13:59:02.50 0.net
開封は水陸交通の要衝だから栄えた。
そのかわり、水害にも悩まされた。

現在の開封市の5メートルも下に、北宋時代の開封が埋まってる。

363 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 14:07:07.76 0.net
モンゴル帝国期には、北京が水陸交通の要衝になった

364 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 18:19:08.44 0.net
北京帝国の特徴としては、皇帝の権力がやたら強かった

明代ですでに、近代ヨーロッパの絶対王政の域に到達していた

365 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 18:20:53.17 0.net
明の領土は、ほぼ今でいう「内中国」に限られ、チベット・ウイグル・モンゴル・満州には明の統治が及ばなかった

366 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:09:32.70 0.net
先日も、左翼評論家が「中国は、歴史的に西のシルクロードへの領土拡張を目指してきた。
東の日本や朝鮮には、さほどの関心を示してこなかった」とブログに書いていた。

中国共産党の「一帯一路」構想に心酔し、それを称賛する文章なのだが、
それにしても、文系の大学教授にして、この認識レベルの低さには驚かされる。

やはり、日本人にとって、中国の歴史といえば、思い浮かぶのは漢や唐のイメージ。
とくに、シルクロードに交易圏が広がった唐の長安のイメージが強いようだ。
モンゴル帝国以後の、圧倒的に東の沿海部が中心になってからの、北京帝国の印象があまりにも薄い。

でも、日本でいえば鎌倉時代、ていうか、平安時代の末期くらいからそうなんだよ?
いまだに日本の首都が飛鳥奈良だと勘違いしてるくらいの、ひどい錯覚だ。

367 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:12:53.30 0.net
その点、朝鮮人は、さすがにここまで平和ボケしていない。

北京帝国にとって、首都の目と鼻の先にある朝鮮半島は、常に重点管理地域であり、逆らえば容赦なく武力制裁を加えてきた。

韓国では、最近も「丙子胡乱」(清の朝鮮侵攻)をテーマにした本がベストセラーになった。

368 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:26:31.22 0.net
内田樹
東アジア共同体について (抜粋)
2019-01-06

いまは「一帯一路」や「21世紀海洋シルクロード」の構想が示されています。
あまり言う人がいませんけれど、これはきわめて「中国的」なアイディアだと僕は思っています。
いずれも中国人の「中華思想」のコスモロジーにぴったりと合っている。

中国の基本的な趨勢はやはり「西漸」なのです。漢代から、中華皇帝は国内統一が済むと、まず西に向かった。
張騫や李陵や霍去病や衛青といった、われわれが中学生くらいのときから学ぶ人たちのたどったコースはいまの「一帯一路」とほぼ重なります。

「西」へ向かう強い趨向性を持ちながら、その一方で、「東」については、中国人はコスモロジカルな強い物語を持っていない。
朝鮮半島、日本列島、台湾というのは、王化の対象である「東夷」にカテゴライズされます。

「東」について、中国人は特に強い領土的野心を示したことがない。歴史的にそうなんです。
例えば、鄭和の船団は七回にわたって大航海をするわけですけれど、ついに一度も東へ向かわなかった。

・・・韓国の人口が六〇〇〇万人ですから、日本と合わせると二億近い人口をもつ、巨大な経済圏ができる。
生産力も開発力も両国ともにレベルは高いですから、日韓が連携すれば、一気に政治的にも経済的にも世界的なプレイヤーになれる。
ですから、東アジア共同体を立ち上げる場合には、まず文化的に最も近い韓国との連携をうち固めることから始めるのが合理的だろうと僕は思います。

369 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:33:29.05 0.net
・・・と内田樹は言うのだが、実態はむしろ逆だ。

中国の歴史は、古代には重心が西にあったが、その後は東に移動して、現代はますます東高西低になっている。

北京の政府は、そりゃ西の中央アジアにも興味はあるんだろうけど、東の日本や韓国・朝鮮・台湾の動向に神経を尖らせるのと比べたら、遥かに深刻さの度合いが低い問題だ。

「日本人の中国史観は、漢や唐のイメージが強すぎ。これが中国に対する見方を歪め、大きな錯覚を生んでいる」と以前から思っていたが、やはりそうだった。

370 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:39:08.67 0.net
いっそのこと、高校の世界史での中国の扱いを、モンゴル帝国から始めたらどうかと思う。

その方が、現代の中国を理解する上では、よほど役に立つ。

371 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 19:55:20.35 0.net
北京帝国による朝鮮半島侵略の歴史も、タブー視して避けているのか、時間がなくて割愛してるのかは知らないが、取り上げるべきだ。

先日も、左翼の知人が「中国は歴史的に、他国を侵略したことがない」と真顔で語るのを聞いて、あきれてしまった。

これじゃ、現在の東アジア情勢がわからないだろう。

372 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 20:02:37.80 0.net
明の十三陵

https://static.retrip.jp/article/10441/images/1044117f2ee0e-47ea-475d-bddb-dada3d06e8ee_m.jpg

観光客の感想

・明帝国の栄華をしのばせる広大な陵墓です

・中国のすごさを感じました

ここは北京ツアーでは定番の世界遺産です。万里の長城と結ぶバスが走っているので、先に北京市内から長城への直通バスで向かい、後に十三陵に行くのがおすすめです。

373 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 20:07:01.09 0.net
景山公園

・北京で一番好きな場所

・北京に行かれた際にはぜひ!訪れて頂きたいスポットです。

天安門を入りちょうど出口から道を渡った場所にあります。公園を一周しながら階段を上ると360度北京の街が見渡せる名所です。
上から見下ろす天安門方向はまさに映画ラストエンペラーの世界!映画をおさらいして行きましょう。

https://static.retrip.jp/article/10441/images/1044172905860-c813-4c54-bd57-45fd038d8381_m.jpg

374 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 20:23:28.78 0.net
>「中国は歴史的に、他国を侵略したことがない」
中華人民共和国が今の領域なのも歴代帝國による度重なる侵略の結果だもんな

375 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 20:33:49.89 0.net
>>334

札幌のような豪雪地帯を首都にするには無理がある。
除雪のコストが半端ないよ。

北京も東京も冬季に乾燥して雪が降らないから、除雪の問題が無い。

376 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 21:41:38.24 0.net
札幌は無理か

仙台ならイケるな?

377 :世界@名無史さん:2019/01/26(土) 21:59:13.94 0.net
でも首都のように頭脳集団が集まる地を北方に置くのは一理ある。
熱い場所なら頭がボオッとしてしまうからな。

近年における東南アジア地域の成長は、冷房の普及も大きいと思う

378 :世界@名無史さん:2019/01/27(日) 08:31:25.61 0.net
寒いとこだと、暑いとこから食糧を持ってこないと生きていけないから、全国制覇に乗りだそうとする意欲の強さが違う

379 :世界@名無史さん:2019/01/27(日) 11:58:56.30 0.net
天安門から景山公園までどんだけ歩くと思ってんだよw
わざわざ天安門を出発地に設定する意味ないわw

380 :世界@名無史さん:2019/01/27(日) 13:45:37.36 0.net
>>357
正月の祝いの席に出たフビライの話とかも残してるから
北京でもフビライとマルコ・ポーロが揃ってたのは間違いない
北京は避寒地として設置されてるから正月の催しの記録は必然的に北京になる

何故か北京が都になったとか勘違いしてる書籍や人が多いけど
モンゴル帝国の都はずっと上都
北京は上都が寒い時と遊牧民以外が草原に入らないための物置だったりする

381 :世界@名無史さん:2019/01/27(日) 20:41:49.83 0.net
>>380
まあ確かにそうだけど、当時の北京の繁栄ぶりは、数々の伝説に彩られている

中華史観のおかげで軽視されてるが、まさに全盛期だ

382 :世界@名無史さん:2019/01/27(日) 21:36:27.22 0.net
大都は、冬の3ヶ月の都だったんだな

残りの9ヶ月は上都だ

383 :世界@名無史さん:2019/01/28(月) 00:19:03.03 0.net
>>379>>373へのレスね
なんか間が空いてしまった

384 :世界@名無史さん:2019/02/01(金) 03:35:14.48 0.net
大都は積水潭という内陸港で天津方面や
江南への運河とつながっているから、
夏場でも物資の中継地・集積地として重要だっただろう
積水潭はまた什刹海(北から西海・後海・前海と連なる三つの池)の
北の入り口であり、前海の南にはさらに北海・中海・南海(明代に新たに掘削)
と池が連なっている
元のフビライが大都を造るにあたっては、北海の瓊華島を中心にしたとも言うが、
その北の什刹海と積水潭を重視したともいう
後者なら物流を重視したとも考えられる
大運河ははるか南方の物産を運ぶが、その終点が首都になったのだ
一気に運河を軸にした経済活動が活発になり、
漢人商人にとっては大都こそ重要な拠点だっただろう
上都は蒙古人が区画ごとにゲルを張って羊を養ってくつろぐためのでっかい田舎だろう
漢人でそこまで毎年移動したのは使用人と御用商人ぐらいだろう
元は後の時代になるほど上都の重要性が減り、草原を離れた蒙古人は
大都に常駐するようになったのではないか

385 :世界@名無史さん:2019/02/01(金) 10:49:54.73 0.net
>>384
モンゴル人は草原で暮らすのが一番楽しい
現代モンゴル人ですらその行動様式は変わっておらず
ウランバートルに住居を構えてても春夏は草原で楽しんでる

ちなみに元明清で漢人商人にとって一番大事なのは南京
ここが漢人商人の中心地

386 :世界@名無史さん:2019/02/01(金) 18:14:20.41 0.net
>>385
南京の重要性はもとからだろうけど、
元で北京の比重が一気に上がっただろ
最大のお得意さんが運河のそばで待ち構えてるんだから

大都の異名カムバリクが元々は具体的にどこを指したかというと、
北京の南のほう、牛街礼拝寺、モスクの辺り
今も北京の回族が集中する町だ(西城区)
元明清とイスラム商人はここを拠点にした
対して漢人の商人は、清朝期の場合これよりちょっと東に行った
前門のあたりを中心としたあたり(西城区と東城区の境目付近)
北京は北方の街にしてはよくがんばって運河をたくさん引いたほうだろう
地図をよく見ると長安門大街の南側のこのあたり(つまり城壁の南外)
にもよく運河が通っていたことがわかる
これも南方の商人がよく活躍していたことが原因だろう

387 :世界@名無史さん:2019/05/13(月) 04:22:21.87 0.net
北京っていうと、灰色の石造りの街って印象が強かったな。
牌楼とかデカイ金文字の看板とかビルの上に中華風の屋根が乗った建築とか。

388 :世界@名無史さん:2019/05/13(月) 19:28:09.35 0.net
>>387
最近の北京は見てないが、ネットショップが盛んなせいか、リアル店舗がなくなってきてるらしいな

389 :世界@名無史さん:2019/05/13(月) 19:29:51.62 0.net
スーパーも飲食店も、ネットで注文して宅配というのが主流になってきてるらしい

もはやSF映画の世界だ、現代の北京

390 :世界@名無史さん:2019/05/14(火) 11:24:08.68 0.net
キャッシュレス化がよく言われるけど、並行してショップレスになってきていたのか

元々中国は「欲しいものを手に入れる」というのが困難な国で、90年代から00年代は、
「こんな品物がほしい」というのは割と簡単に叶えられるが、
「この会社のこの商品がほしい」というのは実現困難だった
経済発展しても流通と在庫確保がガタガタ

だから通販が主流になるというのはわかる
あと出前もその頃から多く、人件費が安いからどんどん伸びていきそうだった
外食は宴会中心で豪華にやるのはまだまだ続きそうだが

391 :世界@名無史さん:2019/09/27(金) 23:03:35.98 0.net
北京は外海と繋がってたのに繋がんなくなったとは何で

392 :世界@名無史さん:2019/09/28(土) 15:38:23.37 0.net
天安門を見るたびに天安門事件の惨劇を思い起こす

393 :世界@名無史さん:2019/09/28(土) 16:32:12.35 0.net
>>391
いつの時代の話かはよくわからないが、
鉄道、自動車など陸上交通の効率が上がってきて
運河の交通は徐々に衰退していったのだろう

394 :世界@名無史さん:2019/10/26(土) 01:03:40.64 0.net
意外とモンゴル帝国は北京をアップグレードしてるよね

395 :世界@名無史さん:2019/10/26(土) 09:37:22 ID:0.net
>>385
商業の中心は揚州じゃなかったっけ?

396 :世界@名無史さん:2019/10/26(土) 09:43:11 ID:0.net
>>391
モンゴル帝国が、北京と天津を大運河でつなげて、海運を強引に北京まで引っ張ってきた

でも、北京周辺の運河には、「冬になると凍結する」という欠点がある。
明朝が海禁政策で海運を嫌ったこともあって衰退した。

397 :世界@名無史さん:2020/01/30(木) 22:50:05.08 0.net
折りたたみ北京

398 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 15:31:04 ID:0.net
江戸時代の日本は、長崎の出島でオランダ商人に限定して西洋貿易を行った、

清代の中国は、広州でイギリス商人に限定して西洋貿易を行った。

399 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 15:32:07 ID:0.net
オランダが、長崎でアヘンを売るようなヤバい国でなくて、日本は幸運だった

400 :世界@名無史さん:2020/02/05(水) 09:09:50 ID:0.net
>>397
現代中国SF、評判いいね。
今度読んでみようっと。

401 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 12:55:29.95 0.net
景山公園を日本語うぃきぺでぃあでみると
「崇禎帝が李自成軍に攻められたとき首吊り自殺をした槐の木がある」とあるが
中文版のうぃきぺでぃあの方を確かめると
この日本語版の説明は不完全で正しくないことがわかる

402 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 13:38:00.92 0.net
>>401
本当はどうなのか?

403 :世界@名無史さん:2020/08/26(水) 14:22:53.04 0.net
日本が、北京を昭和12年から昭和20年まで8年間占領したことは凄いことだが、
習近平、中国国民にしてみれば、最大の屈辱だ

404 :世界@名無史さん:2020/08/27(木) 17:34:17 ID:0.net
消えた巨大城壁、500年におよぶ四重の守り
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/18/030100005/030600001/?ST=m_column

昔の北京は南京のように巨大な城壁に囲まれた都市だったらしい

405 :世界@名無史さん:2020/12/25(金) 17:33:14.99 0.net
チャイナの周辺勢力って必ず一度は首府侵攻やってるよね

406 :世界@名無史さん:2021/01/13(水) 22:54:42.73 0.net
北京の地名に残る「胡同」(フートン)という言葉は、横町を意味するが、
もとはモンゴル語で井戸を表す「フトゥク」に由来するのだとか

407 :世界@名無史さん:2021/01/14(木) 18:46:42.84 0.net
>>403
当時の首都は南京だけどな

408 :世界@名無史さん:2021/02/13(土) 20:29:14.75 0.net
>>407
根絶やし失敗して禍根を残したな。
街を攻撃するときには、一人残さず殺しておかないと。

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