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北京の歴史
- 384 :世界@名無史さん:2019/02/01(金) 03:35:14.48 0.net
- 大都は積水潭という内陸港で天津方面や
江南への運河とつながっているから、
夏場でも物資の中継地・集積地として重要だっただろう
積水潭はまた什刹海(北から西海・後海・前海と連なる三つの池)の
北の入り口であり、前海の南にはさらに北海・中海・南海(明代に新たに掘削)
と池が連なっている
元のフビライが大都を造るにあたっては、北海の瓊華島を中心にしたとも言うが、
その北の什刹海と積水潭を重視したともいう
後者なら物流を重視したとも考えられる
大運河ははるか南方の物産を運ぶが、その終点が首都になったのだ
一気に運河を軸にした経済活動が活発になり、
漢人商人にとっては大都こそ重要な拠点だっただろう
上都は蒙古人が区画ごとにゲルを張って羊を養ってくつろぐためのでっかい田舎だろう
漢人でそこまで毎年移動したのは使用人と御用商人ぐらいだろう
元は後の時代になるほど上都の重要性が減り、草原を離れた蒙古人は
大都に常駐するようになったのではないか
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