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唐宋変革期
- 1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
- 中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。
その変化の一つは,支配階級の交代である。…
- 53 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 07:50:03.38 0.net
- 唐の農民は、国家が所有する農奴だろ
- 54 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 07:57:18.98 0.net
- まあ、古代奴隷制社会とはいえないが
- 55 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 08:02:23.62 0.net
- ていうか、均田制も府兵制と同じで、やっぱ関中あたりでしかやってなかったのかもな?
- 56 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 08:06:01.28 0.net
- あんな制度を、南のほうでもやってたとは思えない
- 57 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 08:44:09.62 0.net
- 敦煌やトルファンでの文書から、耕地の支給、回収が実施されていた。
→ 辺境でも実施されていたなら全国でも実施されていた説
→ 未開の辺境だから実施できたのであって、例外的事例に過ぎない説
お好きな方の説をお選びください。
- 58 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 10:11:15.44 0.net
- いくら古代社会の農奴が相手でも、既得権益のしがらみのない土地でなければ、分配するのは難しい。
辺境は人口が少なくて土地が余ってるから、均田制を実施しやすかったはず。
均田制を始めた頃の北魏は、征服王朝で、まだ華北の人口が少なくて土地が余ってた時代だからできたのだろう。
- 59 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 11:38:36.01 0.net
- >>52
全然違う
まず日本の公地公民制は共産主義と同じく土地は国家の一元管理を原則していて貴族でも私有地は持てず
荘園はあったが経営は国家によって委託され、耕作は班田農民に小作に出すことによって行われていて荘園領主はその収益を貰うだけ
直積経営も私有民を持つこともできなかった(初期荘園)
一方、唐の班田はあくまで土地の私有を前提としたもので、寛郷(土地余りの地方)では100畝以下、狭郷では50畝以下のものと中小規模自営農を対象に均田が支給された
土地の私有が禁止されていたのなら何で相変わらず貴族の荘園があったのか、土地の売り買いに関する法律が存在するのか説明できない
- 60 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 17:09:05.88 0.net
- >>58
古代社会に在った奴隷と中世に多く見られる農奴じゃ大分異なる
- 61 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 17:16:36.90 0.net
- >>59
公地私民制じゃ普天の下海内の内全部が国有地を意味しちゃうか。
言い度かった内容は全く同じで
世襲可能な土地と別に公から支給される土地を私民が耕すという意味で書いた
- 62 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 17:36:59.52 0.net
- 均田制の当初の意図は、
国家主導の荒地の開発、
土地の分配による生活保障
があったと思う。
決して民百姓を奴隷扱いする意図はなかったと信じる。
- 63 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 17:43:52.51 0.net
- 貨幣経済が未熟な頃なので、
徴収する税は労役が中心の人頭税で、
貨幣経済が発達してくると、
負担が重く感じられてくる欠点があるし、
お役所仕事で農業を振興するのは無理。
成功する徴税システムの基本は、
簡素であること、
公平であること、
負担が軽いこと
なんだが、
お役所仕事ではどれもうまく回らなくなり、制度が崩壊する。
- 64 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 18:13:37.91 0.net
- 北魏より行われていた均田制・租庸調制は全ての民衆を農民と見なし、一律に農地を支給し、一律に同額を徴税すると言う制度であった。
律令制の根幹であった均田制を自ら捨てたこと(ただし形骸のみはその後も残った)は、別の見方からすれば大土地所有を公認したことになる。
これ以降の唐では土地の兼併が更に進み、荘園は巨大化する。
また銭納を原則としたことで農民に貨幣を持つことを義務付けることになり、商業活動を更に活発にする。
その代わり、全国の農民が納税用の貨幣を持つために一斉に作物を換金する必要性に迫られて物価の下落や悪徳商人による買い叩きなどが生じた。
- 65 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 18:18:26.75 0.net
- それにしても、千年以上前の大昔に、農民が作物を換金しておカネで納税してたのだから、後期の唐はすでに貨幣経済の最先端を行っていた。
明の時代の江南は、米作から商品作物の生産に切り替え、それを原料にした繊維工業や食品工業が発達し、近代資本主義経済の一歩手前まで行った。
- 66 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 18:21:41.25 0.net
- >>62
それは、そういうもんなんじゃないかな。
漢末からの大戦乱と難民の流出で、華北の土地は荒れ果て、人口が激減していた。
放棄された空白地だったからこそ、平等に分配して一律に徴税なんてことができた。
戦後の復興期の傾斜生産みたいな体制。
- 67 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 18:32:26.16 0.net
- いってみれば、北魏から唐の前期にかけての中国は、戦後の復興期みたいな独特の体制。
飛鳥時代から平安時代の前期にかけての日本は、発展途上国の開発独裁みたいな体制。
それぞれ、いつまでも続くような体制ではなかった。
社会が発展して成熟してくれば、いずれ解体される運命。
- 68 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 18:42:23.90 0.net
- しかし、中国の均田制は、北魏の孝文帝の485年から、唐の楊炎が廃止する780年まで、
300年間も続いた。。
戦後の復興にしては長すぎるので、この例えは当たってないかもしれない(笑)
- 69 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 21:44:41.17 0.net
- 894年菅原道真による遣唐使廃止
902年南詔滅亡
907年唐滅亡
926年渤海滅亡
935年新羅滅亡
939年平将門新皇を称す
940年藤原純友、太宰府を攻撃
玉突きのように連動してないか?
- 70 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 21:49:00.75 0.net
- >>69
日本は不滅
- 71 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 22:31:14.81 0.net
- 天皇家の王朝が滅んで武家の王朝に代わったと見え無くもない
- 72 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 22:35:41.52 0.net
- それは幻覚症状だな
- 73 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 23:31:57.89 0.net
- 将門や純友は海外の勢力と繋がりはあったんだろうか?
- 74 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 06:34:45.17 0.net
- 直接的な繋がりはないかもしれぬが、
唐の影響を受けて国家を形成していた国々が同時期に解体期に入った。
日本の場合は菅原道真がいち早く唐の真似の限界に気付き、
藤原氏北家が民営化を推進し、
民間軍事勢力を活用することで、将門純友を鎮圧し、
体制変換に成功した。
- 75 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:01:45.64 0.net
- まあ確かに、平将門は「契丹も武力で皇帝になったんだし」といって挙兵したとされてるしなあ
後世の創作発言という説もあるけど、影響はあったんじゃないか?
- 76 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:02:53.21 0.net
- 藤原純友なんて、九州を取った後は半島進出するつもりだったんじゃないの?
- 77 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:05:19.65 0.net
- 唐までの日本は、東アジア情勢とダイレクトにつながっていた。
唐の滅亡後は、大陸と距離を置くようになる。
唐の滅亡で新羅が滅び、元の滅亡で高麗が滅びと、朝鮮半島の王朝は宗主国と連動していたが、
日本はほとんど影響を受けなくなった。
- 78 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:15:21.73 0.net
- 20世紀末の共産主義諸国家の崩壊に似てるかも。
本家ソ連が唐の役割で。
中国は上からの体制転換に成功し、天安門事件を乗り越えた。
北朝鮮は。。。あれは奇形児。
- 79 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:39:59.11 0.net
- >>58
西域は今でこそ砂漠に埋れた辺境だが、
この頃までは先進地域だったんじゃないかなぁ?
- 80 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 08:34:50.94 0.net
- どちらかというと江南の方が未開の地。
それが唐末から南宋にかけて、江南が中心地に変化。
- 81 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 09:30:28.65 0.net
- >>69
そのころ火山巨大噴火はあったかな?
貞観地震はあったけど
- 82 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 09:53:02.35 0.net
- >>79
それは商業の話。
もともと農耕に適した地ではないし、定住人口が少ない。
- 83 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:05:39.58 0.net
- 江南は南北朝期にもう華北と並んでたでしょ、人口はその頃に追い付いて
隋が運河掘ったのも江南の物産を輸送する為だし
- 84 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:28:04.67 0.net
- 漢末には、魏の曹操が攻めてくると聞いただけで、呉の重臣たちが「降伏しましょう」と言い出すほど、華北の国力が圧倒的だった。
「天下の三分の二は魏」と言われ、残りの三分の一を呉と蜀が分け合っていた。
しかし、呉から南朝にかけて、江南の開発が進む。
隋の時代には、煬帝が大運河を掘り、江南に行幸したまま帰ってこないので「事実上の遷都」と言われたほど、江南の経済力が大きくなっていた。
- 85 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:32:29.44 0.net
- 宋や明の時代を通じて、江南はさらに大発展した。
明では、完全に中国の経済的な中心。
長江デルタは温暖で肥沃で、水運も至便。
中国大陸でもとびぬけた最良の地だ。
ただし、古代には巨大な湿地帯で、人が住むには適していなかった。
クリークが掘られて、だんだん住みやすくなっていく。
- 86 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 14:28:55.73 0.net
- >>82
天山山脈から向こうのキルギス共和国なんかは、今でも緑が豊かで、綿花栽培なんかが盛ん。
山のおかげで砂漠化を免れた。
- 87 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 15:30:36.00 0.net
- >>86
キルギスやウズベクは、敦煌から遥かなる大砂漠と大山脈を越えた向こう側にある、別の文明圏の地
- 88 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 15:49:37.25 0.net
- 敦煌は、中国甘粛省の端っこにあるオアシス都市
ほとんど雨が降らない隊商基地
中央アジアの、特にウズベクあたりはアム川・シル川の大河農耕文明でまったくの別モノ
- 89 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:36:39.99 0.net
- 唐から宋にかけての大変化(・・・といっても、例によって本当は唐の後期からの変化だせど)のひとつに挙げられるのは、陸路のシルクロードの衰退だ。
この頃から海洋貿易が主流になり、福建省や広東省の港町が拠点として台頭した。
シンドバッドやアラジンのような、船乗りのアラビア商人の時代がやってきた。
ラクダに乗った隊商が、月の砂漠をはるばると越えて荷物を運ぶという風景は、なくなったわけじゃないけど、主役ではなくなった。
シルクロードの玄関としての長安の重要性は、当然ながら低下した。
いよいよ、古代黄河文明から続く、内陸部の中華の時代は終わり。
北京・上海・広東省の時代が来ようとしていた。
- 90 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:43:08.36 0.net
- >>78
確かに、唐の支配体制は、なんか全体主義っぽくてソ連崩壊を思わせるものがある
ソ連が崩壊して、衛星国も全滅
- 91 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:46:46.77 0.net
- 東ドイツでベルリンの壁が崩壊して、西ドイツに統合された
2年後に、ソビエト連邦は崩壊した
この類推で、「北朝鮮が潰れたら、2年後に中国も崩壊する」という説も登場している
- 92 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 19:06:42.55 0.net
- >>68
一度イデオロギーが確立されると、
人はなかなかそこから脱却できない。
律令制国家=共産主義国家
- 93 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 20:57:52.38 0.net
- 藤原時平 vs 菅原道真の政争は、
律令制回帰の理論優先路線 vs 脱唐現実路線の争いではなかったか?
時平は荘園整理令、延喜格式を出したり、班田実施を強行したりしている。
菅原道真本人は時平によって失脚させられたが、
時平の弟の忠平は兄と違い道真を師匠と仰いでいて、
自分が実権を掌握すると道真路線を採用して、
完全に律令制を廃れさせ、
地方武士を活用して将門純友を鎮圧した。
道真→忠平の政治路線が日本滅亡を防いだのだ。うん、きっと。
- 94 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 21:33:14.58 0.net
- 春秋時代みたいな物で実質滅びてるでしょ
- 95 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 21:56:30.17 0.net
- ちなみに将門は藤原忠平に仕えていたことがあるし、
純友は藤原北家出身なので、陰謀論が成立する余地がある。
道真の怨霊騒ぎも忠平の立場を強化させるものだったので、
忠平は目立たないようでかなりの策士である気がする。
- 96 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 22:36:42.14 0.net
- なんか、「キムジョンウンは、安倍内閣の支持率が低下するたびに号砲を打って応援している」っていうくらい、ベタな陰謀論だな
- 97 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:38:44.35 0.net
- いや、しかし、その可能性はあるな
- 98 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:41:06.58 0.net
- >>93
ただ、それで受益した農民に朝廷がやられることになるとは、菅原道真も思わなかったろうな。
事実上、一国の政権政府としての朝廷は承久の乱で滅んでいるしね。
そして鎌倉時代前期は財団法人、後期はNPO法人といったところにまで落ちぶれた。
先のレスにも書いてあったが、ある意味日本も律令制国家の多重崩壊のあおりを食って、
皇室、言わば天氏の王朝から北条氏の王朝に切り替わったのかもしれないな。
- 99 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:46:29.44 0.net
- 後百済と高麗は呉越に朝貢してたとかいうし、
純友もしていた可能性はあるな
で、九州と四国あたりを領土とする王に。
- 100 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 00:04:53.36 0.net
- 天氏の王朝って何?
大体、御成敗式目からして律令を覆すようなものではないですよって明記してるし
院宮王臣家は職の体系による王民制支配は太閤検地まで力をもっていのだから
それ以前は百姓すら作人職に補任された国家の官僚扱いだぜ
律令制もここまで徹底するとは異常すぎる
- 101 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 02:26:27.97 0.net
- 武家政権は武力と政治力しか持たない野蛮人だったからな
行政職や技術職を結構遅い時代まで京都その他の僧侶や職人に依存してた
- 102 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 06:51:06.40 0.net
- 実際、室町時代の初期、九州の懐良親王は「日本国王良懐」として明に冊封され、朝貢してるしなあ
- 103 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 06:51:54.89 0.net
- 藤原純友が、唐末五代の東亜の混乱に乗じて、九州乗っ取りを企んだのも不思議ではない
- 104 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 07:18:24.34 0.net
- そういう発想が不思議
- 105 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 08:37:56.21 0.net
- >>89
気候変動が関わっているだろうね。
内陸部の乾燥化が進んでしまった。
タクラマカン砂漠は海抜マイナスの低地になっていて、
かつては巨大な湖だったのが、
しだいに水が減り、消えていくにつれ、
森林が草原に、遊牧地に、そして荒野に、砂漠へと変化した。
ゴビ砂漠や、サハラ砂漠がかつては緑の大地だったのが、
人間の活動ができない世界に変貌したのと同様。
住んでいた諸民族の興亡に気候変動が大きく関わっているはず。
- 106 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:07:57.01 0.net
- 国号は筑紫と坂東だろうか
- 107 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:30:46.22 0.net
- アラル海はもうじき消滅する。
水が残っているところは弓の弦みたいな形で残ってるが、風前の灯。
ほんの数十年前まで世界第4位の大きさの湖だったのに。
これは開発の失敗が引き金だけど。
- 108 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:43:14.92 0.net
- 豊かな水量を誇っていたアム川だが、アラル海まで届かなくなってるらしい。
地図を書き換えてもらわねばいけない。
- 109 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 11:09:25.41 0.net
- >>107
>これは開発の失敗が引き金だけど。
違う違う。
アラル海を犠牲にして行った自然改造計画が成功したからこそ、だよ。
開発が失敗していればアラル海は消滅しないはず。
- 110 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 21:56:43.05 0.net
- 纏足の宋は嫌い。
中華時代劇で唐代ならイラン系美人女優が華麗に舞えるが、
宋代はよちよち歩きせねばならぬではないか。
- 111 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:38:30.60 0.net
- まあ、時代劇では面倒なせいか纏足が省略されてるケースが多いけどな。
- 112 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:40:12.45 0.net
- 唐は纏足の奇習がまだなくて、中国にしては健康的だ。
宦官と人肉食はやってたが。
- 113 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:55:02.36 0.net
- 現代人にとっては、纏足女性は、足が不自由な障碍者にしか見えない。
健康的なのは、モンゴル人や満州人だけ。
漢族は障碍者ばかりの異常社会。
まあ、このあたりにも、日本人が唐以後の中国を好まない潜在的な理由がありそうだ。
- 114 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:59:39.89 0.net
- 日本人から見ると、纏足や宦官は気持ち悪い。
人肉食や墓荒らしは、神道の宗教的なタブーに引っかかる。
これは現代人に限らず、昔の日本人にとっても一緒。
日本人は、昔から中国が好きではない。
唐までは中国を高く評価していたが、その後についてはイマイチ(笑)。
- 115 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:08:23.48 0.net
- 纏足って反動ウヨク的発想その物だからな
男が男らしく女が女らしく上級国民は特別であるべきっていう
>>113
纏足は元代に流行して上流階級へ広がった、最流行時期も明〜清初
- 116 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:35:43.26 0.net
- 満州人は纏足しなかったので、清の宮廷モノでは、高宮の婦人が普通に歩いていても別におかしくない
- 117 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:36:18.01 0.net
- × 高宮
〇 後宮
- 118 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:38:20.69 0.net
- 纏足の害も、宦官の害も、両方とも明が最悪
- 119 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:26:21.58 0.net
- 行政組織の支離滅裂さも王族の横暴も明が最悪
- 120 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:29:34.99 0.net
- >>116
逆、江南嶺南より華北や北方で纏足が流行った
- 121 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:32:27.71 0.net
- 纏足が反動ウヨクとかわけわかめ
西洋の女がウェスト細くするために肋骨折ってたのと同じ原理だろ
大足が女に対する最大級の侮辱詞だしな
- 122 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:49:31.52 0.net
- >>120
地域じゃなくて、満州人の話
- 123 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:49:58.35 0.net
- >>121
バレエシューズも、纏足と発想は同じだな
- 124 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:51:23.04 0.net
- 拝金主義も明が最悪
とにかく、中国らしさを蒸留してウイスキーみたいに濃くしたのが、明という時代
- 125 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 02:21:19.02 0.net
- >>121
保守や本来の右翼じゃ無く
現代日本に特徴的な極限られた一時期の世襲貴族政体へ復古を志向する反動ウヨクな
纏足の目的って
女が女らしく上級国民は平民と異なる労働しない特別な存在である事の追求だから
- 126 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 06:03:02.09 0.net
- >>125
纏足女が女らしい、と言ってる現代日本人ってのが、
誰なのか、どれだけの人数いるのか、を具体的に説明してみてよ
- 127 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 06:46:04.09 0.net
- 戦前復古思想みたいなやつらのことか
- 128 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 08:39:13.73 0.net
- >>126
何故意図的に話をずらしたのかな?反論出来無いからか都合が悪いからか
纏足は当時に於いて、女が女らしく亦
自分等が労働せずとも善い特別な身分であると強調する為に行われた
- 129 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 10:28:48.04 0.net
- >>125
おまえ馬鹿か日本の世襲貴族は纏足じゃないだろ
- 130 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 12:37:17.34 0.net
- >>112-114
安禄山をきっかけに、日本は唐への憧れが窄んでいった
- 131 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:08:49.62 0.net
- >>125
「平民と異なる労働しない特別な存在である事の追求」
それはナマポ左翼だなw
- 132 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:53:18.45 0.net
- >>130
朝貢外交は停止したけれど、
商人の宋船は来航してたんでしょう?
平安貴族の誰だったか忘れたが、
宋人と会話し始めて友人たちが驚いたという話があった。
こっそり宋語を学んでいたわけだが、
舶来品への関心は衰えてはいないはず。
宋銭の需要もあるし。
- 133 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:57:11.38 0.net
- 朝鮮の両班は、顔すら自分では洗わず、下人に洗わせていた。
とにかく、労働を一切やらない。それが高貴な身分の象徴。
日本の皇族がテニスをしているのを見て、朝鮮の両班が、
「あのようなことは、なぜ召使にやらせないのか?」と言った
というのは有名なエピソード。
- 134 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:58:00.36 0.net
- 明や朝鮮の儒教エリートとは違って、日本には、労働しないのが美徳という発想がない。
- 135 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 22:47:33.90 0.net
- 日本教会史 ジョアン・ロドリゲス
「日本人は退廃的、享楽的な性格を有しており彼らをシナ人のような勤勉な農夫という事は出来ない。」
アビラ・ヒロン「日本王国記」
「日本人は生来、非常に短気で好戦的であり残忍かつ吝嗇である。・・・
男は女と比べて総じて怠け者であり、有り金を使い果たすまで働こうとはけしてしない。」
- 136 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:12:54.47 0.net
- >>132
藤原信西だろ。
- 137 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:14:35.69 0.net
- >>133
それは日本の皇族出なく19世紀末に
朝鮮にきた英国商人だろ。
- 138 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:19:54.55 0.net
- なんで銭を中国から輸入するのか
日本で作れないことはないはす
- 139 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 01:00:22.30 0.net
- >>132
だね
日本が中国からの技術を受け容れず済む様に成るのって
長足の発展を遂げた江戸中期頃
- 140 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 06:08:34.19 0.net
- >>138
そこが不思議なとこなんだけど、やっぱり宋銭や明銭じゃないとダメだったみたい
当時は日本に限らず、東北アジアや東南アジアはみんなそうだった
- 141 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 10:47:01.97 0.net
- 信用の問題だろ
- 142 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 10:51:06.68 0.net
- 宋は契丹女真の奴隷国なので信用できる
- 143 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:25:26.55 0.net
- 契丹人や女真人も、宋銭しか信用しなかった
- 144 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:34:33.91 0.net
- 異民族に銭を盗られて国まで盗られる悲惨な宋王朝
- 145 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:52:42.99 0.net
- そもそも宋はトルコ系の王朝だし
- 146 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 19:32:30.62 0.net
- トルコ語の影響ってあるの?
- 147 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 22:05:54.69 0.net
- 晋地方はトルコ語の影響かどうか解らんけど
南中国と違って割と均質な北方放言の中で異質
- 148 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 22:51:45.48 0.net
- >>147
関係ないだろうが、春秋時代の晋はよく北方民族と結婚してたな
イーゴリ公のときのルーシみたいに
- 149 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 23:06:19.33 0.net
- >>147
細長い盆地だからな
東西の両側を険しい山脈に挟まれ、隔離されている
- 150 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 00:29:35.59 0.net
- 日本でも、関東と九州は、アクセントがそんなに違わない
関西だけが大きく異なる
- 151 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 02:19:43.67 0.net
- 九州と東北の方言は全然解らんだろw
- 152 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 09:05:41.45 0.net
- >>143
宋は圧倒的な経済超大国だもんね。
「唐宋変革期」という言葉は、
遼や西夏、金を無視していて、
好きではないが、
GDPではしょうがないのか。。。
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