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唐宋変革期

1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。

その変化の一つは,支配階級の交代である。…

540 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 20:47:40.31 0.net
(コピペ)

唐中葉までには、小麦作が普及した。
すると、秋の稲・アワ・キビの収穫に加え、夏には小麦が得られることになる。
安史の乱後の財政破綻に対応して、この双方を税として徴収する両税法が、楊炎の提言によって始まった。

この政策の意義は、単に課税対象と時期の変更だけではなかった。農民に対して、古来、一律平等に課すのが原則だった税を、農民の土地保有や財産の額に応じて取り立てる戸等制が採用されたのである。
これは、「国家」が、「国民」の中に「貧富の差」の存在を認める、という一大転換であった。
以後、農民の貧富の差は、一層拡大したと言われている。

541 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 20:50:50.17 0.net
唐代における「胡食」の普及

唐代に流行したイラン系の西方文化は,おもに
「胡人」つまりイラン系ソグド商業民によってもたらされたので,当時は「胡風」とよばれた。
人々 は「胡帽」や「胡服」を愛用し,宮廷でも「胡曲」しょう が流行した。

「胡瓜」 胡麻 胡椒」などの「胡」 も,それが中国原産ではなく西方に由来する物産 であることを示す。
李白や白居易らの唐詩も,各地の飲食店で接客にあたる「胡姫」=ソグド人ホステスや,
彼女らが披露する「胡旋舞」=ソグド 流回転舞踊を,憧憬や驚嘆とともに描写している。

542 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 20:53:04.62 0.net
唐の中期からの巨大な社会変動の要因として、「小麦」も無視できない。

ペルシャから伝来した粉食文化は、華北の食文化を一変させた。

小麦二毛作の普及は、税制をも変えた。

543 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 20:56:23.66 0.net
粉食文化じゃない、パン食文化

粉食はもっと前からある(西域から伝来したことに変わりはないが)

544 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 20:58:46.87 0.net
麦を粉にする技術が広まったのは唐の時代だよ

545 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 21:04:35.58 0.net
小麦は、漢代に張騫が西域から持ち帰ったとされているが、本格的に普及したのは唐代だった。

小麦は、栽培するのに大量の水が必要となる。
もちろん、稲と比べたらそれほどでもないが、
それまで主流だった粟などよりは、ずっと多くの水を必要とする。
だから、灌漑施設が未発達な古代には、なかなか普及しなかった。

技術進歩もさることながら、長安でイラン風のパン食が流行したのが、普及の最大の理由と言われている。

546 :世界@名無史さん:2017/10/21(土) 21:09:08.82 0.net
>>544
水車の技術かな?

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