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唐宋変革期
- 1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
- 中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。
その変化の一つは,支配階級の交代である。…
- 557 :世界@名無史さん:2017/10/22(日) 04:12:47.81 0.net
- 「夏と秋の2回に分けて徴収する両税法」が唐で導入されたのも、
冬小麦と春小麦の二毛作がこの時期に普及したことの表れ
- 558 :世界@名無史さん:2017/10/22(日) 06:06:46.82 0.net
- (コピペ)
>田地に対して、租庸調と呼ばれる税を納める義務を負う。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収める。年間20日の労役の義務があり、免除して貰う税は庸と呼ばれ、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収める。
>780年に施行された新しい税制は、それまで資産に関らずに定額を課税していたものを、財産に応じた額に改めたものである。夏(6月)と秋(11月)の年2回徴収するので、両税法と呼ばれる。夏に納めるのは麦であり、秋に納めるのは粟と稲である。
- 559 :世界@名無史さん:2017/10/22(日) 06:10:02.18 0.net
- 租庸調制の時代には、粟で租税を納めていた。
このことからしても、唐の前期においては、粟が主要作物だったことが分かる。
それに対して、両税法では、夏は麦、秋は粟で納税することになった。
金銭での納税も始まった。
これを見れば、唐代に冬小麦の生産が広まったことが分かる。
でも、まだ粟の存在感は大きかった。
金納が当たり前になる宋に比べて、まだ貨幣経済も中途半端だった。
- 560 :世界@名無史さん:2017/10/22(日) 06:16:53.16 0.net
- 粟っていったら、小鳥の餌箱に入っている小さな粒の穀物だ。
小鳥にとっては大好物だけど、人間にとっては不味い。
唐の庶民は、黄土高原に穴を掘って地下で生活し、小鳥のエサみたいなものを食べていた。
- 561 :世界@名無史さん:2017/10/22(日) 06:20:08.45 0.net
- しかし、かつては高価だった小麦粉が安くなり、次第にマントウや麺類が普及してきた。
宋代には、当たり前の存在になった。
昔、「アルプスの少女ハイジ」というアニメでは、金持ちが柔らかい白パンを食べ、貧乏人が固い黒パンを食べていた。
黒パンは、よほど歯が丈夫な人じゃないと食べられないようなシロモノだった。
近代ヨーロッパというのは、そういうところだった。
それに比べて、宋の小麦粉の質は高かった。
この点に関しては、近代ヨーロッパを上回っていたと言われている。
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