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唐宋変革期
- 1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
- 中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。
その変化の一つは,支配階級の交代である。…
- 623 :世界@名無史さん:2017/10/23(月) 20:21:55.33 0.net
- 長安は、周囲がほぼ砂漠だからな。
自然環境が貧弱だと、せめて人工物くらいはキンキラキンに飾りたくなるようだ。
- 624 :世界@名無史さん:2017/10/23(月) 20:36:24.48 0.net
- 建物を階段状に並べて実際より大きく見せる建築いわゆる台榭も日本では流行らなかった
http://yonseisinology.org/wp-content/uploads/2016/10/%ED%95%9C%EC%9E%A5%EC%95%88%EC%84%B1%EB%AF%B8%EC%95%99%EA%B6%81%EB%B3%B5%EC%9B%90%EB%8F%84.jpg
第三期鴻臚館ぐらい?
https://www.youtube.com/watch?v=-Rr-Wqh7oqc
- 625 :世界@名無史さん:2017/10/23(月) 23:54:46.23 0.net
- >>603
金、南宋は公文書公記録があんま整理されて無い
>>607
江戸初期迄大掛かりな建築物建てる時わ中国人大工を顧問として呼んでたよね
>>610
砂糖の製造は東晋北魏の頃に始まった、水飴なら戦国時代から既に有る
- 626 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 00:04:23.26 0.net
- >>618
そんな事実が無いからな
宋は唐より時代が近い事と建築技術が大きく発展したお陰か建築物が大分残ってる
>>619
簡単な話で未だ当時の日本じゃ技術的な問題から染料が高価だったので
煌びやかな装飾は貴族だろうと身の丈に合わ無かったというだけ
- 627 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 00:09:14.06 0.net
- >>623
関中は結構降水量が有って砂漠から程遠いし
北方の河套地域も未だ今みたく乾燥化する前
- 628 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 05:26:02.54 0.net
- >>627
たしかに砂漠ではないが、かなり荒涼とした地域
かろうじて農業生産が可能という程度
- 629 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 05:31:23.01 0.net
- 五代から北宋にかけて開封は運河の起点として栄えたが、モンゴル帝国が北京と江南を大運河で
結んだため、商業ネットワークの中心は北京に移った。
それ以来、開封は衰退し、明代の大洪水で土砂に埋もれた。
- 630 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 05:34:39.84 0.net
- >>625
>江戸初期迄大掛かりな建築物建てる時わ中国人大工を顧問として呼んでたよね
呼んでねえよw
- 631 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 05:40:16.98 0.net
- 春に花粉症で困っていたところ、知り合いの上海人から「中国に行けば、花粉症はすぐ治ります。
木が生えてないから、花粉もありません」と言われた。
日本は木の文化なので、大陸とは建築に対する基本コンセプトが異なる。
日本人は、木目をそのまま残して彩色しないことが多い。
- 632 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 05:56:46.41 0.net
- >>623 >>628
周から隋唐まで長安に都が置かれたのはこれを支えるだけの
農業生産があったからなわけだが。
>>629
汴州の繁栄は唐代からですよ。
朱全忠が天下を取れたのはここの節度使になって無限の財力を得たから。
- 633 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 06:02:11.26 0.net
- >>631
杉花粉症は無いかもしらんが黄砂による塵肺が・・・
>日本人は、木目をそのまま残して彩色しない
新築の時は彩色し、その後色が落ちても再度の彩色をしないだけ
- 634 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 06:39:05.79 0.net
- >周から隋唐まで長安に都が置かれたのはこれを支えるだけの
農業生産があったからなわけだが。
秦漢までは確かにそうだけど、隋唐の頃の長安は、江南から運河で運んだ食糧で成り立ってた。
- 635 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 06:40:33.93 0.net
- >新築の時は彩色し、その後色が落ちても再度の彩色をしないだけ
それは、わざとそうしている。
庭も、苔が生えたときのことまで計算して作られている。
- 636 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 06:58:07.82 0.net
- 中国も、金ピカ趣味だったのは唐の王朝貴族の頃の話で、宋では典雅で上品な青磁・白磁や文人画が主流になったように思う。
ペルシャやアラビアでは中国の陶磁器を盛んに輸入していたが、彼らの金ピカ趣味からすると地味すぎたせいか、注ぎ口を金箔で覆ったりしていた。
- 637 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:37:37.89 0.net
- 実際のところ、江南は中国の中でも緑豊かというイメージがあるけど、日本の風景を見慣れた目からすると、上海の郊外あたりでもちょっと・・・。
- 638 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:42:15.19 0.net
- 韓国も、釜山からソウルまで電車で移動した人によると、「赤茶けた大地が広がっている」という話だった。
- 639 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:44:28.62 0.net
- 北京や上海から日本に来た人達の感想は、「緑が豊かで、空気がきれいで、静かで、古い建物が多くて、ノンビリしていていいね」という調子。
だんだん、「都会から田舎に来た人」の感想になってきているのは否めないが・・・(笑)
- 640 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:45:16.42 0.net
- 同じ温暖湿潤でも
大陸と島嶼には植生に差が出るのか
単に先人達の植生管理の差か
日本人が朝鮮のハゲ山を緑化してやったのは最近の史観見直しの中で知られてるけど
- 641 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:45:17.88 0.net
- >>631>>635
中国は木と竹の文化、南部は特にそうだし北部も
まあ長年の人間活動で大分木材枯渇しちゃったからアレだけど
東国は公方や守護も日常は焼き魚とかおひたしとか常食してたし
素材を活かした物が好きと言えなくも無いわな、痩せ我慢とも言えるが
- 642 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 07:55:37.11 0.net
- >>641
華北は竹の文化じゃない
- 643 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 08:06:16.72 0.net
- >>640
降水量が大分違う
植生区分でも中国の大半は広葉樹林帯じゃ無いし
- 644 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 08:12:26.71 0.net
- 日本も明治までは全国の山ははげ山だった
- 645 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 08:22:51.12 0.net
- >639
向こうは「オイあんた!」って自分の権利主張しなきゃ生活してけないけど
こっちは「すみません」で大概の事が通せる気楽さはあるかも
- 646 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 15:44:20.70 0.net
- >>642
いや、竹の文化だよ
建築でも工芸品でも多用されてた
- 647 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 18:11:33.41 0.net
- >>644
それは謬説
アレクサンダー・フォン・シーボルトは「日本ほど食性が豊かな国はない」と書いている
明治期には多くのお雇い外国人が招致されてるけどやはり異口同音
- 648 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 18:33:24.33 0.net
- 日本の風土じゃ、すぐに雑草が生い茂ってくるので、ハゲ山状態を維持するほうが難しい
鳥取砂丘だって、人間が努力して保存している
- 649 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 18:46:23.47 0.net
- 日本人には、木が生えてない状態が不自然に感じられるので、中国でも朝鮮でも、やたら熱心に植林しようとするのが特徴
- 650 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 18:47:28.74 0.net
- >>642
秦漢までは紙がないか、あっても高価だったから、書くのは竹簡だったような
- 651 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 18:56:58.54 0.net
- 朝鮮の場合は、紙の原料となるコウゾ・ミツマタが育たない風土なので、慢性的な紙不足だった。
伝統文化が貧弱なのは、それも大きな原因のひとつ。
- 652 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 21:10:09.67 0.net
- 朝鮮では紙の原料はからむしだろう。
からむしは布の原料でもあるけど。
- 653 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 23:25:53.82 0.net
- 普通に宋代には高麗紙を輸出するほど国上げて製造してたが
三国時代、高麗の武臣政権、李朝の最初あたりとか適度に戦争してた方が
朝鮮の場合は繁栄してる
- 654 :世界@名無史さん:2017/10/24(火) 23:47:06.96 0.net
- >>653
まさか、「世界初の金属活字を発明したのは我が国ニダ」を信じてるってことはないよな?
- 655 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 00:08:44.98 0.net
- やれやれロクにものを知らないネトウヨを教育するのは大変だ
陵陽詩鈔 宋韓駒
「王卿贈我三韓紙,白若截肪光照幾」
紙墨筆硯箋 屠隆
「高麗紙以綿繭造成,色白如綾,堅韌如帛,用以書寫,發墨可愛。」
- 656 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 04:18:14.13 0.net
- >>654
アレわ発明というか改良でしょ
それ迄、木や陶器で作ってたのを金属に変えただけだし
- 657 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 04:22:16.02 0.net
- >>649
日本列島と違ってそう簡単に行かないのにな
自然状態の植生からして降水量多く無い半島と華北は植物の種類と量が少ないから
- 658 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 07:17:42.60 0.net
- >>656
科学的な分析の結果、20世紀以降にしかありえない化学物質が含まれていた
- 659 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 07:19:22.33 0.net
- >>655
それが、高麗で紙が大量に生産されていたという根拠なのか?
- 660 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 08:55:14.07 0.net
- >>658
えっ?
- 661 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 14:39:37.78 0.net
- 【韓国】「世界最古の金属活字」から20世紀の人工元素が検出
(朝鮮日報記事より)
http://gensen2ch.com/archives/47909463.html
- 662 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 16:07:17.47 0.net
- >>659
まあでも高麗側の貿易品は主に金器、銅製品、布帛、朝鮮人参、木材、紙、墨とあるし
それなりに量産してたんじゃ
日本も木材と硫黄が2大輸出品だし、大分森林減ってたっぽいね
- 663 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 18:20:15.82 0.net
- >>659
自国のみならず中国の文人の間にも流通してたのはなぜなのか考えられないのか?
- 664 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 19:37:45.70 0.net
- >>663
自国では流通してない。
- 665 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 19:41:40.22 0.net
- まあ、文化水準からいって 高麗 > 朝鮮初期 > 朝鮮後期 > 朝鮮末期 なのは、文化財を見れば分かる。
高麗は、朝鮮よりはだいぶマシだったのは確か。
- 666 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 19:45:34.85 0.net
- 高麗は、人口密度が妙に高かった。
- 667 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 22:19:03.94 0.net
- >>661
捏造品が一部あっても全部が捏造にはならないよ
- 668 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:05:47.93 0.net
- だまちょん、だまちょん
- 669 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:05:50.40 0.net
- よっぽど対モンゴル戦とその後の服属が効いたんだな。
本当に日本は征服されなくて良かったわい。
- 670 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:10:20.42 0.net
- >>669
モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう
モンゴルの支配を受けなかったヨーロッパは、
恐竜絶滅後の哺乳類のように繁栄
- 671 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:08:11.51 0.net
- モンゴルはなぜそうも破壊的に作用したの?
- 672 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:54:46.98 0.net
- >>667
唯一の「証拠」が失われたのに、そう言えるのか?
- 673 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:56:07.41 0.net
- >モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう
最大の例外は北京
- 674 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 05:06:50.47 0.net
- 北京はモンゴルの支配によって飛躍的に大発展した
それが現在につながっている
- 675 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:14:31.72 0.net
- モンゴル関係無く既に人口100万超えてたんですが
- 676 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:21:37.29 0.net
- それは、金のおかげ
- 677 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:23:44.54 0.net
- 名実ともにユーラシア大陸の東の中核となったのは、モンゴル帝国の時代
- 678 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:33:21.27 0.net
- モンゴル帝国は、北京と江南を大運河でつないだため、それまでの開封に変わって北京が中国経済の中心になった。
しかも、北京からモンゴル高原を通って、中央アジアから西アジアに至るグローバルで高速な通商ルートが確立された。
- 679 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:35:07.43 0.net
- 明清のような鎖国と異なり、モンゴル帝国は非常に開放的だった。
このため、福建省や広東省の海港も、東西貿易で繁栄した。
いまの「中国」の基礎を築いたのはモンゴル帝国。
- 680 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 07:50:27.04 0.net
- >>677
それ金代わ未だ南宋が存在してたからというだけじゃん
>>679
南宋時代に比べると明、杭、広州の貿易量は減ってる、北京、長安は増えたけど
- 681 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 08:25:41.30 0.net
- >>680
衰退していた陸路が復活したのは大きい
中央アジアも、新たな黄金時代を迎えた
- 682 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 09:50:33.36 0.net
- 現代でこそ
海運が陸路より圧倒的にコスト対効果高いけど、
航海技術が未発達なうちは、
インド洋よりシルクロード使う商人の方が効率良かったのかな
- 683 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 10:03:36.63 0.net
- さすがにそれはない
トラックや貨物列車がある現代なら陸路でも大量輸送が可能だが
昔は大量輸送が可能な唯一の交通手段が船だった
陸路じゃせいぜい高価な奢侈品の輸送しかできない
- 684 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:00.18 0.net
- 陶磁器とかは、結構デカくて重いからな。ラクダじゃ運べない。
だから、唐の時代の陸路は、絹が主力商品だった。
- 685 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:55.88 0.net
- だいたい、唐の後半あたりから海洋貿易の時代になった
- 686 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:40:14.53 0.net
- モンゴル帝国のおかげで、中央アジアとの交易が増加したため、陸路が復活した
- 687 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:11:31.56 0.net
- >>670
イスラムがあれほど卑屈になったのも元のせい
- 688 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:14:23.50 0.net
- でもイスラム教国のオスマン帝国にボッコボコにされてたよねキリスト教西欧諸王国
- 689 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:28:33.81 0.net
- >>682
西夏が居たのも大きいけど北宋長安の商税額は
南部主要港湾の10〜20%位しか無いよ
南海貿易の広州杭州は元より日本+高麗の2国が多くを占める明州と比べても大分小規模
- 690 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:40:19.16 0.net
- >>687
モンゴル帝国は13世紀
イスラムの最盛期は17世紀
- 691 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:16:06.44 0.net
- 17世紀のイスラムとか西洋からの軍事顧問よんで巻き返し図るレベルで
もうとっくに零落してるが
- 692 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:36:01.07 0.net
- オスマン帝国はピークを過ぎてたが、サファヴィー朝・ムガール帝国との鼎立は壮観。
少なくとも、欧州諸国や清より大きかったのは確か。
- 693 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:47:39.26 0.net
- サファヴィー朝やムガール帝国が清やオスマンより大きい???
ムガールとかインドすら統一できずにアウラングゼーブ死んでからずっと室町幕府状態なんだが
- 694 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:34:16.91 0.net
- お前は本当にバカなんだな?
国語が苦手な奴は、世界史もできないよ。
「三帝国鼎立」と言ってるだろ、単体で中国とイランを比べる奴がいるか。
つける薬がない。
- 695 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:10.33 0.net
- >>691
17世紀わ未だオスマン帝国軍のが強大だよ
前世紀みたいな負けっ放しじゃ無く成っただけで
キリシタン西欧諸王国は前半は劣勢、中葉から後半で漸く互角
- 696 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:25.00 0.net
- >>693
ていうか、アウラングゼーブが死んだのは18世紀なんだが。
- 697 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:50:20.49 0.net
- だからどうしたんだよムガール帝国とか諸侯の寄せ集めろくにまとまったことないし
アウラングゼーブ死んだあとは完全に分解しただけの話
一度も国としてまとまったことのないまま崩壊した王朝を中央集権国家を完成させた清やオスマンと同列に語ることなんて無理無理
- 698 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:52:43.52 0.net
- >>694
国語苦手なのはお前だろ?
そもそも「帝国」としてまとまった事のないままくたばった国がどうやって鼎立できるんだ
- 699 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:58:02.02 0.net
- つうかさムガル帝国とかデカン入った瞬間にぽしゃってるし
王朝としてはヴァルダナ朝かそれ以下だろ
一度も統治を受けたことない地域も同じ文化圏というだけで同じ「帝国」としてカウントしていいのなら
トルコは全トルコ民族、サファヴィー朝は全イラン民族、ヨーロッパは全欧米国を同じ「帝国」としてカウントしないとフェアじゃないよな
- 700 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:07:43.02 0.net
- >>699
お前は本当にダメだな。鳩山由紀夫と同じで、アタマが壊れている。
いまは、イスラム圏全体の話をしてるんだよ。
清よりデカいだろ、どう見たって(笑)。
- 701 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:29:57.32 0.net
- 自民党信者のネトウヨのオッサンてどうしてそんなに頭が悪いの?
オスマン、ムガール、サファヴィー足しても大秦帝国にはかなわないんだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%A0%98%E5%9F%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7
大清帝国
14.7
オスマン帝国
5.2
ムガル帝国
4.6
サファヴィー朝
3.5
- 702 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:37:33.65 0.net
- 中国の面積と人口がムダに多いのは、今に始まったことではない。
昔からそうだ。
オスマン帝国だけでも、人口は清の十分の一もないけど、世界における存在感は勝るとも劣らない。
- 703 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:38:54.14 0.net
- あの朝鮮人でさえ、「野蛮な国」といって清をバカにしてた。
表面的には土下座していたが(笑)
- 704 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:45:08.24 0.net
- 今だって、モンゴル人やベトナム人も、韓国人や北朝鮮人だって、みんな中国を軽蔑しきっている(笑)
- 705 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:48:26.21 0.net
- 保守派のオッサンって頭悪いくせにプライドだけは無駄に高いよね
- 706 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:52:47.78 0.net
- 保守派でもないし、オッサンでもないぞ(笑)
- 707 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:53:18.72 0.net
- 単に、バカに向かって「お前はバカだ」と直言してるだけ
- 708 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:57:15.89 0.net
- まあ、ボケかかった爺さんをバカ呼ばわりするのも心苦しいのだが、やっぱりバカとしか言いようがない
- 709 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 21:01:11.08 0.net
- オスマン、サファビー、ムガルともにトルコ系遊牧民族が先進地域を支配した国家だが、
どこもろくに発展しなかったな
- 710 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:28:44.50 0.net
- 日本も朝鮮も韓も越南も呂宋も中華圏だから中国圧勝だな
ムガル帝国も瓦解したのわ17世紀入って暫くしてから
- 711 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:30:12.44 0.net
- >>709
オスマン帝国は経済でも科学でも文化でも西欧諸王朝を凌駕してたよ
- 712 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:43:42.68 0.net
- このネトウヨオッサンはわ君とは別ベクトルでバカだな
無知指摘されるとへそまげてヘイトスピーチまき散らすTwitterで見かける典型的な安倍信者って感じ
- 713 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:11:55.42 0.net
- 清はヌルハチホンタイジ 康煕 雍正 乾隆の時代と末期では全然違う
言えるのは末期を狙って滅ぼせばいいだけやね
- 714 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:20:51.26 0.net
- >>701
日本、ローマ後漢唐より上かー
- 715 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:53:13.91 0.net
- 遼、西夏という隣国に対して宋はお金で平和を買うという政策をとるようになりました。
ただしこれも長く続くと、さすがに経済大国の宋でも苦しくなる。遼と西夏に支払う歳貢が宋政府の財政を圧迫するようになる。政治改革をおこなって財政再建をすることが宋政府の課題となります
。
こういう状況で登場したのが王安石。第六代皇帝神宗が抜擢して政治改革をゆだねた大臣でした。
王安石は親父さんも科挙官僚だったのですが、かれが19歳の時に死んでしまう。
王安石は頭が良かったんですね。22歳で科挙に合格する。4番の成績で合格したので中央政界でエリートコース出世街道を驀進することもできたのですが、
一家の生活を支えるために実入りの大きい地方官の道を選びます。地方の実状を知る中で、政治の矛盾や不合理について考えるようになる。
やがて地方で実績をあげ評判になる。ついには45歳で神宗に抜擢されて宰相になりました。宰相というのは皇帝に全面的に政治を任される、今風にいえば総理大臣です。
- 716 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:01:03.69 0.net
- 王安石の改革を総称して「新法」といい、それを支持する一派を新法党と言った。
青苗法 春の植え付け時期に政府が資金を農民に貸し出し、秋の収穫期に2割または3割の利子を付けて返還させる貸付制度。
均輸法 農民の生産する物資を都に運ぶ際、輸送費・中間費用がかさんで値が上がることを防ぐため、その地で価の安いときに買い入れ、値の高いときに売ること。
市易法 政府が中小商人に資金を貸し付け、物資を購入させ、値が上がったときに売り出させて利益を還元させる方式。
募役法 農民に対する労役を免除する代わりに免役銭を納めさせ、それをもとに労役(差役)に従事するものを募集するもの。
保甲法 宋の軍事力は傭兵に依存したため、その出費が多かった。王安石は傭兵をやめ、民兵による軍事力の編成を試みた。
保馬法 保丁に対し、政府が馬を貸し与え、戦時には軍馬として、平時には農耕馬として飼育させ、軍馬の不足を補おうとした策。
- 717 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:03:47.29 0.net
- 王安石の変法が成功していれば宋はもう少し持ったでしょうか。
- 718 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:05:03.51 0.net
- ベストアンサーに選ばれた回答
もたないでしょう。
中国の歴代王朝の衰退、滅亡の直接の原因はいろいろありますが、支配層の弛緩から来る下層民への圧迫、
農民反乱というケース(秦:陳勝呉広の乱、後漢:黄巾の乱、唐:黄巣の乱、元:紅巾の乱、明:李自成の乱など)、
北方民族による圧迫(晋:永嘉の乱、北宋:靖康の変、南宋:モンゴルによる圧迫など)、最後の清は西欧列強の圧力、
といったような内部崩壊か外圧によるものです。
宋のケースを述べてみましょう。宋の南遷は自業自得と言っていいのでしょうか、言い過ぎでしょうか。契丹族の遼が女真族の金に圧迫されるのを見て、金と結び遼に攻撃を開始します。しかし、その衰えた遼にも宋の軍隊は勝てなかった。
私が思うに、宋がもったかどうかはやはり極端に弱い軍隊、それから約束をすぐに反故にする稚拙な、ひどい外交。
王安石の変法云々より、外交政策の失敗ですね、宋は。
- 719 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:11:20.51 0.net
- 遼に莫大な歳幣を送り、カネで平和を買っていた宋だったが、1038年に建国した西夏にまで歳幣を送る羽目となる。
さすがに、巨大な経済力を誇る宋といえども、財政難に苦しむようになった、
そこで登場したのが王安石。貧富の差を克服すべく、経済改革に取り組んだ。
- 720 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:16:25.54 0.net
- 駆け出しの若き地方官王安石の詩です。
河北民 河北の民よ
生近二邊長苦辛 君らは契丹と西夏の国境近くに生まれたため長年辛苦を強いられている
家家養子學耕織 どの家ももらい子をして百姓しごとと機織りを仕込み
輸興官家事夷狄 作ったものをお上に納めてかの夷狄に奉仕する
今年大旱千里赤 今年は大日照りで大地は千里の果てまで赤く焼けただれたのに
州懸仍催給河役 それでも州や県のお役人は黄河へ行って舟を引けという
老小相携來就南 老人と子供も手を取りあって南へ移住するが
南人豊年自無食 南人とて豊作でも自分たちの食べる物がないのだ
悲愁白日天地昏 悲しみのために天地は真っ昼間でも暗く
路傍過者無顔色 路ばたを通り過ぎて行く者の顔に生気がない
汝生不及貞観中 君らの時代は唐の貞観の御世ではないのだ
斗粟數銭無兵戎 その当時米は一斗たった数銭でいくさもなかった
- 721 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 05:40:52.47 0.net
- 現代でいえば、小泉改革みたいなものか?
その後、民主党政権が改革を後退させようと必死になったところも、旧法党とイメージが重なる。
- 722 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 06:11:35.41 0.net
- 井上靖の小説燉煌の舞台が西夏勃興中の宋だね
主人公が殿試に臨む前に居眠りしてしまい遊牧民への対策につき積極策を採用すべきという意見を述べてる夢を見ていたという設定
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