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唐宋変革期

669 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:05:50.40 0.net
よっぽど対モンゴル戦とその後の服属が効いたんだな。
本当に日本は征服されなくて良かったわい。

670 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:10:20.42 0.net
>>669
モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう
モンゴルの支配を受けなかったヨーロッパは、
恐竜絶滅後の哺乳類のように繁栄

671 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:08:11.51 0.net
モンゴルはなぜそうも破壊的に作用したの?

672 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:54:46.98 0.net
>>667

唯一の「証拠」が失われたのに、そう言えるのか?

673 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:56:07.41 0.net
>モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう

最大の例外は北京

674 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 05:06:50.47 0.net
北京はモンゴルの支配によって飛躍的に大発展した

それが現在につながっている

675 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:14:31.72 0.net
モンゴル関係無く既に人口100万超えてたんですが

676 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:21:37.29 0.net
それは、金のおかげ

677 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:23:44.54 0.net
名実ともにユーラシア大陸の東の中核となったのは、モンゴル帝国の時代

678 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:33:21.27 0.net
モンゴル帝国は、北京と江南を大運河でつないだため、それまでの開封に変わって北京が中国経済の中心になった。

しかも、北京からモンゴル高原を通って、中央アジアから西アジアに至るグローバルで高速な通商ルートが確立された。

679 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:35:07.43 0.net
明清のような鎖国と異なり、モンゴル帝国は非常に開放的だった。

このため、福建省や広東省の海港も、東西貿易で繁栄した。

いまの「中国」の基礎を築いたのはモンゴル帝国。

680 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 07:50:27.04 0.net
>>677
それ金代わ未だ南宋が存在してたからというだけじゃん
>>679
南宋時代に比べると明、杭、広州の貿易量は減ってる、北京、長安は増えたけど

681 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 08:25:41.30 0.net
>>680

衰退していた陸路が復活したのは大きい

中央アジアも、新たな黄金時代を迎えた

682 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 09:50:33.36 0.net
現代でこそ
海運が陸路より圧倒的にコスト対効果高いけど、
航海技術が未発達なうちは、
インド洋よりシルクロード使う商人の方が効率良かったのかな

683 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 10:03:36.63 0.net
さすがにそれはない
トラックや貨物列車がある現代なら陸路でも大量輸送が可能だが
昔は大量輸送が可能な唯一の交通手段が船だった

陸路じゃせいぜい高価な奢侈品の輸送しかできない

684 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:00.18 0.net
陶磁器とかは、結構デカくて重いからな。ラクダじゃ運べない。

だから、唐の時代の陸路は、絹が主力商品だった。

685 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:55.88 0.net
だいたい、唐の後半あたりから海洋貿易の時代になった

686 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:40:14.53 0.net
モンゴル帝国のおかげで、中央アジアとの交易が増加したため、陸路が復活した

687 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:11:31.56 0.net
>>670
イスラムがあれほど卑屈になったのも元のせい

688 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:14:23.50 0.net
でもイスラム教国のオスマン帝国にボッコボコにされてたよねキリスト教西欧諸王国

689 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:28:33.81 0.net
>>682
西夏が居たのも大きいけど北宋長安の商税額は
南部主要港湾の10〜20%位しか無いよ
南海貿易の広州杭州は元より日本+高麗の2国が多くを占める明州と比べても大分小規模

690 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:40:19.16 0.net
>>687
モンゴル帝国は13世紀

イスラムの最盛期は17世紀

691 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:16:06.44 0.net
17世紀のイスラムとか西洋からの軍事顧問よんで巻き返し図るレベルで
もうとっくに零落してるが

692 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:36:01.07 0.net
オスマン帝国はピークを過ぎてたが、サファヴィー朝・ムガール帝国との鼎立は壮観。

少なくとも、欧州諸国や清より大きかったのは確か。

693 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:47:39.26 0.net
サファヴィー朝やムガール帝国が清やオスマンより大きい???
ムガールとかインドすら統一できずにアウラングゼーブ死んでからずっと室町幕府状態なんだが

694 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:34:16.91 0.net
お前は本当にバカなんだな?

国語が苦手な奴は、世界史もできないよ。

「三帝国鼎立」と言ってるだろ、単体で中国とイランを比べる奴がいるか。

つける薬がない。

695 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:10.33 0.net
>>691
17世紀わ未だオスマン帝国軍のが強大だよ
前世紀みたいな負けっ放しじゃ無く成っただけで
キリシタン西欧諸王国は前半は劣勢、中葉から後半で漸く互角

696 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:25.00 0.net
>>693
ていうか、アウラングゼーブが死んだのは18世紀なんだが。

697 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:50:20.49 0.net
だからどうしたんだよムガール帝国とか諸侯の寄せ集めろくにまとまったことないし
アウラングゼーブ死んだあとは完全に分解しただけの話

一度も国としてまとまったことのないまま崩壊した王朝を中央集権国家を完成させた清やオスマンと同列に語ることなんて無理無理

698 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:52:43.52 0.net
>>694
国語苦手なのはお前だろ?
そもそも「帝国」としてまとまった事のないままくたばった国がどうやって鼎立できるんだ

699 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:58:02.02 0.net
つうかさムガル帝国とかデカン入った瞬間にぽしゃってるし
王朝としてはヴァルダナ朝かそれ以下だろ
一度も統治を受けたことない地域も同じ文化圏というだけで同じ「帝国」としてカウントしていいのなら
トルコは全トルコ民族、サファヴィー朝は全イラン民族、ヨーロッパは全欧米国を同じ「帝国」としてカウントしないとフェアじゃないよな

700 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:07:43.02 0.net
>>699

お前は本当にダメだな。鳩山由紀夫と同じで、アタマが壊れている。

いまは、イスラム圏全体の話をしてるんだよ。

清よりデカいだろ、どう見たって(笑)。

701 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:29:57.32 0.net
自民党信者のネトウヨのオッサンてどうしてそんなに頭が悪いの?
オスマン、ムガール、サファヴィー足しても大秦帝国にはかなわないんだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%A0%98%E5%9F%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7


大清帝国
14.7

オスマン帝国
5.2

ムガル帝国
4.6

サファヴィー朝
3.5

702 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:37:33.65 0.net
中国の面積と人口がムダに多いのは、今に始まったことではない。

昔からそうだ。

オスマン帝国だけでも、人口は清の十分の一もないけど、世界における存在感は勝るとも劣らない。

703 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:38:54.14 0.net
あの朝鮮人でさえ、「野蛮な国」といって清をバカにしてた。

表面的には土下座していたが(笑)

704 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:45:08.24 0.net
今だって、モンゴル人やベトナム人も、韓国人や北朝鮮人だって、みんな中国を軽蔑しきっている(笑)

705 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:48:26.21 0.net
保守派のオッサンって頭悪いくせにプライドだけは無駄に高いよね

706 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:52:47.78 0.net
保守派でもないし、オッサンでもないぞ(笑)

707 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:53:18.72 0.net
単に、バカに向かって「お前はバカだ」と直言してるだけ

708 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:57:15.89 0.net
まあ、ボケかかった爺さんをバカ呼ばわりするのも心苦しいのだが、やっぱりバカとしか言いようがない

709 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 21:01:11.08 0.net
オスマン、サファビー、ムガルともにトルコ系遊牧民族が先進地域を支配した国家だが、
どこもろくに発展しなかったな

710 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:28:44.50 0.net
日本も朝鮮も韓も越南も呂宋も中華圏だから中国圧勝だな
ムガル帝国も瓦解したのわ17世紀入って暫くしてから

711 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:30:12.44 0.net
>>709
オスマン帝国は経済でも科学でも文化でも西欧諸王朝を凌駕してたよ

712 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:43:42.68 0.net
このネトウヨオッサンはわ君とは別ベクトルでバカだな
無知指摘されるとへそまげてヘイトスピーチまき散らすTwitterで見かける典型的な安倍信者って感じ

713 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:11:55.42 0.net
清はヌルハチホンタイジ 康煕 雍正 乾隆の時代と末期では全然違う
言えるのは末期を狙って滅ぼせばいいだけやね

714 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:20:51.26 0.net
>>701
日本、ローマ後漢唐より上かー

715 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:53:13.91 0.net
遼、西夏という隣国に対して宋はお金で平和を買うという政策をとるようになりました。

ただしこれも長く続くと、さすがに経済大国の宋でも苦しくなる。遼と西夏に支払う歳貢が宋政府の財政を圧迫するようになる。政治改革をおこなって財政再建をすることが宋政府の課題となります

 
こういう状況で登場したのが王安石。第六代皇帝神宗が抜擢して政治改革をゆだねた大臣でした。

王安石は親父さんも科挙官僚だったのですが、かれが19歳の時に死んでしまう。
王安石は頭が良かったんですね。22歳で科挙に合格する。4番の成績で合格したので中央政界でエリートコース出世街道を驀進することもできたのですが、
一家の生活を支えるために実入りの大きい地方官の道を選びます。地方の実状を知る中で、政治の矛盾や不合理について考えるようになる。
やがて地方で実績をあげ評判になる。ついには45歳で神宗に抜擢されて宰相になりました。宰相というのは皇帝に全面的に政治を任される、今風にいえば総理大臣です。

716 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:01:03.69 0.net
王安石の改革を総称して「新法」といい、それを支持する一派を新法党と言った。

青苗法  春の植え付け時期に政府が資金を農民に貸し出し、秋の収穫期に2割または3割の利子を付けて返還させる貸付制度。

均輸法  農民の生産する物資を都に運ぶ際、輸送費・中間費用がかさんで値が上がることを防ぐため、その地で価の安いときに買い入れ、値の高いときに売ること。

市易法  政府が中小商人に資金を貸し付け、物資を購入させ、値が上がったときに売り出させて利益を還元させる方式。

募役法  農民に対する労役を免除する代わりに免役銭を納めさせ、それをもとに労役(差役)に従事するものを募集するもの。

保甲法  宋の軍事力は傭兵に依存したため、その出費が多かった。王安石は傭兵をやめ、民兵による軍事力の編成を試みた。

保馬法  保丁に対し、政府が馬を貸し与え、戦時には軍馬として、平時には農耕馬として飼育させ、軍馬の不足を補おうとした策。

717 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:03:47.29 0.net
王安石の変法が成功していれば宋はもう少し持ったでしょうか。

718 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:05:03.51 0.net
ベストアンサーに選ばれた回答

もたないでしょう。

中国の歴代王朝の衰退、滅亡の直接の原因はいろいろありますが、支配層の弛緩から来る下層民への圧迫、
農民反乱というケース(秦:陳勝呉広の乱、後漢:黄巾の乱、唐:黄巣の乱、元:紅巾の乱、明:李自成の乱など)、
北方民族による圧迫(晋:永嘉の乱、北宋:靖康の変、南宋:モンゴルによる圧迫など)、最後の清は西欧列強の圧力、
といったような内部崩壊か外圧によるものです。

宋のケースを述べてみましょう。宋の南遷は自業自得と言っていいのでしょうか、言い過ぎでしょうか。契丹族の遼が女真族の金に圧迫されるのを見て、金と結び遼に攻撃を開始します。しかし、その衰えた遼にも宋の軍隊は勝てなかった。

私が思うに、宋がもったかどうかはやはり極端に弱い軍隊、それから約束をすぐに反故にする稚拙な、ひどい外交。

王安石の変法云々より、外交政策の失敗ですね、宋は。

719 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:11:20.51 0.net
遼に莫大な歳幣を送り、カネで平和を買っていた宋だったが、1038年に建国した西夏にまで歳幣を送る羽目となる。

さすがに、巨大な経済力を誇る宋といえども、財政難に苦しむようになった、

そこで登場したのが王安石。貧富の差を克服すべく、経済改革に取り組んだ。

720 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:16:25.54 0.net
駆け出しの若き地方官王安石の詩です。

河北民       河北の民よ

生近二邊長苦辛 君らは契丹と西夏の国境近くに生まれたため長年辛苦を強いられている
家家養子學耕織 どの家ももらい子をして百姓しごとと機織りを仕込み
輸興官家事夷狄 作ったものをお上に納めてかの夷狄に奉仕する
今年大旱千里赤 今年は大日照りで大地は千里の果てまで赤く焼けただれたのに
州懸仍催給河役 それでも州や県のお役人は黄河へ行って舟を引けという
老小相携來就南 老人と子供も手を取りあって南へ移住するが
南人豊年自無食 南人とて豊作でも自分たちの食べる物がないのだ
悲愁白日天地昏 悲しみのために天地は真っ昼間でも暗く
路傍過者無顔色 路ばたを通り過ぎて行く者の顔に生気がない
汝生不及貞観中 君らの時代は唐の貞観の御世ではないのだ
斗粟數銭無兵戎 その当時米は一斗たった数銭でいくさもなかった

721 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 05:40:52.47 0.net
現代でいえば、小泉改革みたいなものか?

その後、民主党政権が改革を後退させようと必死になったところも、旧法党とイメージが重なる。

722 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 06:11:35.41 0.net
井上靖の小説燉煌の舞台が西夏勃興中の宋だね
主人公が殿試に臨む前に居眠りしてしまい遊牧民への対策につき積極策を採用すべきという意見を述べてる夢を見ていたという設定

723 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:10:41.93 0.net
>>715
細かいことをいうけど、王安石が任じられたのは翰林学士。
何人かいる宰相級の一人。
そして総理大臣ではなく国務大臣に相当。

724 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:12:25.52 0.net
>>720
阿呆だろw

養子わ文字通り子を養う事
千里赤も見渡す限り地面剥き出し位の意味
老小相携も三世代揃ってという意味

725 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:25:56.69 0.net
翰林学士って宰相級じゃ無いし、任じられたのも地方官
抜擢された後の役職も違う、数名のみ置く役職で平大臣より総理大臣に近いし

726 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:41:34.34 0.net
でも間違えるのがそのくらいって漢字文化って凄いね

727 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:46:42.59 0.net
宰相の前に後にって付ければ良かった

728 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 08:23:23.31 0.net
新法党と旧法党で、政権交代するたびに報復人事合戦をやってたあたり、宋は朝鮮に似ている

人民からかき集めたカネを他国に上納してたのも似ている

729 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 08:24:08.60 0.net
現代日本の護憲派は、旧法党の生まれ変わりかもな

730 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:00:51.70 0.net
旧法党は既得権益層
護憲派は朱熹とかその辺の窓際、アベ内閣が秦檜党
人民からかき集めたカネを他国に上納する点は当に害務省と自民党

731 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:13:09.82 0.net
株式時価総額と税収と求人は増えてるからいいんじゃね?

732 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:26:07.46 0.net
新法党は「大きな政府」主義。
旧法党は「小さな政府」主義。

漢の武帝の時代の塩鉄論の頃から続く、
政府による民間経済への関与を巡る論争。

733 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:47:28.89 0.net
>>731
税収増なんてどんな無能でも簡単に出来る、増税すりゃ増えるんだから
結果が消費-5%もの大打撃、而も年収300以下の若年層と全世代大量増

734 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 16:40:05.16 0.net
歴代の中国王朝って割と小さい政府というか統制だけ出来てれば善いや的な
地方丸投げ体質よな、その分税金は東亜諸国中じゃ軽いけど

735 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 18:24:23.63 0.net
地方に赴任する官僚は無給だった。

「現地で適当に稼げ」という無言の指示。

736 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 18:45:07.24 0.net
いや、普通に有給だけど

737 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 19:30:05.26 0.net
>>735-736
どっちなんだよアホ

738 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 20:46:40.30 0.net
>>733

消費税を上げたのは民主党政権だ

それを忘れるな

739 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 21:52:33.66 0.net
>>734
政府を頼らない、頼りにならない、当てにしない気風があるよね。
代わりに地域の互助組織が発達する。
今でも北京には出身省毎の省人会みたいなのが、
大きな力を持っていて、人々の世話をしている。

740 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 22:09:58.10 0.net
>>701
ソ連よりロシア帝国のほうが大きいと言うのが違和感ある
ロシア帝国よりソ連のほうが強大だし

741 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 23:07:18.39 0.net
お前ホント頭悪いね
デカいほうが強いとか昭和のロボットアニメかよ
アラスカ売り払ったんだから最盛期のロシア帝国よりソ連のほうが小さくて当たり前だろ

742 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 00:48:47.59 0.net
>>530
朱全忠が「大梁覇王」とか名乗って盟主になる

743 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 03:59:36.47 0.net
地方といっても、山東省・四川省・広東省といった大国は人口一億を超える

単なる郷土意識なんてものではない、一種のナショナリズムがあって当然

744 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:01:51.22 0.net
まあ、沖縄の場合は、あまりにも県土に占める基地の比率が大きすぎるな

もうちょっと普通だったら、また違うだろう

745 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:02:31.51 0.net
スレを間違えた

746 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:09:12.23 0.net
宋では科挙を大幅に拡充し、年間数百人がこの関門をくぐり抜けて官となっていった。
しかし官がやるべき仕事がそこまで多いわけではなく、重複ないし不必要な役職、すなわち冗官が増えていた。
3代真宗の代に「天下の冗吏十九万五千を減ぜん」との記録がある。

また唐の安史の乱後の律令制の崩壊以降、律令と現実社会との乖離が生まれ、その間を使職と呼ばれる令外官を置いていくことで埋められていった。
しかしそのやり方は計画性・長期的視点にとぼしく、体系的な官制を作るものではなかった。
宋でもそれは基本的に受け継がれ、唐風の三省六部体制が形骸を残したまま、実際に政治を動かすのは使職という二重体制が布かれていた。
このような体制は当然非常にわかり難く、非効率であり、同じような役職が併存するようになっていた。

747 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:17:08.15 0.net
新法党と旧法党の政権争いは、王安石と司馬光の死後も二転三転しながら40年にわたって延々と続き、
そのたびに反対派が追放され、処刑され、遂に内紛状態となって宋は亡びた。

748 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:31:45.63 0.net
科挙が登場したのが隋時代の598年。
その後、唐で制度が整えられていき、宋でもっとも隆盛を極めました。
当時、ヨーロッパでは貴族による封建制度だったため、どれだけ文明が進んでいたのかがわかります。
官僚制度によって皇帝の力を絶対的なものにしました。
唐までは貴族が力を握っていたため、国がよく分裂して戦争になったのです。

廃止されたのが、清時代の1905年。科挙は1300年以上も続きました

749 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 05:34:11.79 0.net
宋代の支配社会層は、官僚としては官戸と呼ばれる特権者であり、地域社会では士大夫と呼ばれる知的リーダー、経済的には形勢戸という地主、この三つ面をもった階層として理解します。

これに対して被支配者階層は自作農と「佃戸(でんこ)」と呼ばれる小作人です。

魏晋南北朝から唐までの時代と違うのは、この支配者と被支配者の関係が固定的ではなかったことです。
地主であっても何代も官僚を出さなければ没落することはあり得るし、小作農であっても優秀な子供が出て、科挙に受かれば一気に資産家に成り上がることができる。
中国社会は一族のつながりが強いので、一族の中に飛び抜けて頭の良い子がいたら、みんなして勉学資金を出しあって、いい先生のところに就けて科挙を目指させる。
だから支配者階層に入る人たちは何十年か経つとかなり入れ替わる。貴族階級として支配者が固定化しないわけです。

750 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 07:22:54.92 0.net
>>746
唐、宋の官制わまあまあ整理されてるよ、冗官の廃止や待遇、権限変更をやってるし
焼け太る一方の元明大日現日より遥かにまとも

751 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 08:01:38.19 0.net
>>748
>宋でもっとも隆盛を極めました

違うだろーーーっ!!!

752 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 10:59:33.03 0.net
>>751

元・清では、上にモンゴル人や満州人の貴族がいたので、科挙官僚の全盛期とはいえない。

明との比較でいえば、宋のほうが隆盛してたかもしれない。

753 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:02:23.59 0.net
唐ではほんのわずかだった科挙の合格者を、宋では一気に数百人に増やした。

このため、科挙官僚の人数が激増した。

754 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:14:57.40 0.net
『科挙と官僚制:世界史リブレット9』
山川出版社、平田茂樹著。1997年初版。 リブレットと名づけられているだけあって、わずか80ページ、読み易いがなかなか勉強になった本。

科挙の始まりは隋代の文帝に始まるとされるが、誰でも受験でき、公平性や客観性を備えるものになったのは宋代以降とされる。ただしこの<誰でも受験できる>というのは説明が必要だが… p10

マックスウエーバーによれば中国の官僚制では専門官僚の発達が見られなかったとされる。実際には皇帝の家庭の管理運営を目的にしたと。p22

また中国における官僚制の特徴として、唐代から宋代への移行において府兵制から募兵性に転換し100万とも言われる巨大な常備軍を維持するため高度な専門知識を備えた行政官が必要とされたが、
一方で科挙で生まれた官僚にはそうした行政能力は欠如しており、それが「胥吏=ショリ」と呼ばれる実務担当官を生み出したとする。
事実、官僚の任期は3年程度で十分な実務を積むことも難しかった。p23, それに対し胥吏は数十年にわたり役所に根を下ろした。p24

755 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:24:23.72 0.net
官僚制専制国家、宋の成立は、禅宗に大きな変化を迫るものであつた。
新たな支配層となつた士大夫階級の支持を待た禅宗は、他宗の衰退もあつて、仏教界を代表するものとなつた。
禅の歴史を記した『景徳伝灯録』(一〇〇四年)等の「四灯録」は入蔵の栄誉を受け、禅宗そのものが国家から承認された。
しかし、まさにそのために、禅は国家に対して従順を誓わなくてはならなくなつたのである。
禅宗寺院では、皇帝の長寿を祈る祝聖(しゅくしん)や国家のための祈祷が定期的に行われるようになり
、大寺院では十方住持制が採用され、官僚の監督を受けた
(南宋期には、官寺として「五山十刹(ごさんじっせつ・五山制度に基づく寺格の一つ)」が定められた)。
また、叢林(そうりん・禅林に同じ)の形式化も進み、嗣書が一般化し、寺院の公文 
士大夫(中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者)との交流は、禅寺の権益を守るためにも必要であつたため、
詩文書画といつた士大夫文化が叢林に流入し、禅は「出世聞」というよりも、士大夫社会の一部を構成するものとなった。
禅に固有の反権力の思想は、単に「悟り」の体験の中でのみ維持されたといっても過言ではない。

756 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:43:26.35 0.net
胥吏って割と直ぐ免職されてるのに意味不明過ぎだろマックスくん
科挙試験は高級官僚を採用する為の物で学者や議員の様な物だし
胥吏なんて以っと前から在って末端実務を担う為に現地採用されてるというのに

757 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:48:46.55 0.net
胥吏ってのは、現代日本でいうノンキャリ公務員か

758 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:51:02.09 0.net
現実には貧乏人には無理だったとはいえ、科挙に受かれば誰でも支配階級に加われるってのは、たしかに千年前にしては凄い制度だな。

759 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:16:32.97 0.net
しかし、マックス・ウェーバーによれば、宋〜清の官僚はしょせん家産官僚にすぎなかった。

近代国民国家の官僚制度とは、似て非なる前近代的なシロモノだった。

760 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:18:29.59 0.net
家産官僚制

M.ウェーバーの用語で,伝統的支配の一形態である家産制 (→家産制国家 ) のもとで,国王もしくは君主の世襲的財産の維持,拡大にあたる官僚制組織をいう。

家産制的支配は,没主観性を一般的特質とする近代の合理的な官僚制的支配と正反対の組織原理によって構成されているが,
西欧の中世から近代にいたる歴史においては,経済社会の発展に対応した「君主の官僚制」の拡充を通じて,徐々に合理化を余儀なくされていった。

なお最初の家産官僚制として典型的なものは,古代エジプトにおいてみられる。

761 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:50:20.83 0.net
近代以降の官僚もどうかなと思うけどね
軍官僚も大戦後の積極国家においても
結局は点数稼ぎに終始して発展は見込めないのではないかな

762 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:13:32.19 0.net
そういえば、日本では、90年代には経済評論家が官僚批判の大合唱だったけど、最近はそうでもないな。

763 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:18:48.00 0.net
おまえが言ってることは宮内省以外の官省を廃止しろと言ってるようなものなんだが
あと後漢代から皇室財政と国家財政は分離されて、それぞれ少府府と大司農府が管轄していたので
ウェーバーの理解はかなり間違ってる

764 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:27:21.13 0.net
宮内庁は政府機関の一部

家産官僚とはまったく意味が異なる

765 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:32:52.85 0.net
>>763
中世ヨーロッパでも、君主の家計と国家財政の区別くらいしてただろ

766 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:45:05.86 0.net
朝廷が雇うのは、官。
官人には一人ではあり得ないほど膨大な仕事が割り当てられ、
その処理のため官人は下僚を雇う。
現実には官人は次々と異動し、下僚はずっとそこにいて新任官人に雇われ直す。

この習慣が今も中国には残っていて、正規社員が会社に断りも無しに
自分の仕事を手伝わせる人を勝手に呼び込んで、外国企業はそのために
しばしばトラブルになる。

767 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:40:12.74 0.net
>>759
意味不明
頭悪過ぎだろマックスくん
家産官僚ってのわ初期の胥吏やローマ帝国の高官が自前で用意する文官を指す言葉

768 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:43:16.41 0.net
>>765
して無いよ
最初に官僚機構を整備したハプスブルク王朝スペイン帝国ですら
フェリペ2世の時代でも王朝の家計=国家予算

769 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:51:36.13 0.net
>>764
漢帝国以降の官僚は内朝と外廷と地方に分かれてる
唐以降は中央と地方が官制上一体
家産官僚制とか意味不明過ぎる

770 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:12:49.96 0.net
そもそも中世ヨーロッパだとかなり後まで「王室の家計」という概念すらなかった
必要物資はその都度さまざまな地域を巡行して調達していくというスタイル
いわゆる「移動宮廷」という奴

771 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:32:45.32 0.net
宮廷が移動するって日本人的にはえらく不思議
根っこが生えたように京から動かないのが日本の皇帝だからな

772 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:46:54.64 0.net
そりゃ略奪が生業の蛮族と農耕主体の日本人じゃ生活様式違って当然

773 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:29:15.83 0.net
>>771
>根っこが生えたように京から動かないのが日本の皇帝だからな

古代には京そのものがしょっちゅあちこち移動してたけどな

774 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:45:58.58 0.net
平安京に落ち着くまでは、しょっちゅう移動していたな

誰か有名人が死んだだけで、怨霊の祟りをおそれて遷都したりとか

775 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:47:14.60 0.net
神聖ローマ帝国とか、セルジューク朝とかは、首都がどこなのか分からなくて悩みどころ

776 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:51:21.98 0.net
ヨーロッパの王様みたいに乞食しながら諸侯の間を遍歴してた天皇とかいるか?
いないだろ

777 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:56:20.37 0.net
明治大帝は、東京に行幸したまま帰ってこなかった

778 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 17:44:04.20 0.net
アレクサンドロス大王は10年間宮廷が移動し続けたな

779 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 17:58:15.49 0.net
>>766
王安石は胥吏に俸給を出そうとして失敗したんだよね。
歴代王朝は何で胥吏を政府で正式採用しようとしなかったんだろう?

地方官庁で土着の胥吏が幅を利かせているイメージを持ってたけど、
中央官庁でも胥吏が実務を担当してたと知って、
意外に感じたことがある。

780 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:08:24.19 0.net
政府が役人に給料を払わず、「賄賂を取る」ということを暗黙の前提として成り立ってきた社会。

漢朝から続く伝統を、習近平主席が変えようとしている。

781 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:18:13.80 0.net
なぜ日本では科挙やらなかったの

782 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:22:35.16 0.net
儒教国家じゃないからでしょ

783 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:25:42.79 0.net
江戸時代の幕藩体制において、武家の子弟は藩校その他で儒学を勉強していた

武家とはいうものの、天下泰平の世だけに事実上の文官

これが科挙の代わりになっていたから必要なし

784 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:28:52.42 0.net
宋では、皇帝専制の中央集権体制で全国統治しようとしたから、ああなった

中世の日本は封建社会だから異質

785 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:32:48.46 0.net
唐のあらゆる制度を取り入れようとした日本だが、科挙と宦官だけは受け入れようとしなかった

宋からは、それに纏足も加わった

786 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:34:45.27 0.net
科挙は唐の頃からあったけど、盛んになったのは宋から

日本が中国の影響を最も強く受けたのは唐代だから、そのせいかもしれない

もしも、宋が日本国家の黎明期とかぶっていたら、当然、科挙も見習おうとしただろう

787 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:45:17.63 0.net
科挙を取り入れなかったから朝廷は武家に天下を奪われた

788 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:01:01.43 0.net
>>781
単純に科挙やれる程知識人も居無かったし前提のインフラも制度も整って無かったから
>>779
>>756>>766も書いてる通り俸禄たっぷり支給してるんだからちゃんとやれという事
胥吏わ国家が雇う官員じゃ無いしね、日本みたく下っ端丸抱えで法外な税金を支給すると
歴代王朝全て、外国人が驚く程の重税なのに財政破綻やらかす、なんつー愚劣極まる愚挙をやらかす

789 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:03:12.74 0.net
>>781
>>783が書いてるけど先ず科挙の受験資格を持つ様な人間が
江戸時代より前だと一部の僧侶位しか居無かった

790 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:03:58.76 0.net
>>781
日本は鮮卑に支配されてないから

791 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:09:45.62 0.net
>>785
日本は唐から仏教や密教を学ぼうとしたのに、
唐は仏教を弾圧したんだよ

792 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:29:35.92 0.net
中国には、シルクロードを通じて入ってきた先進文明もあったけど、
その反面、宦官・纏足・人肉食といった野蛮な風習も多かった。

日本人は、それを取捨選択して取り入れてきた。

793 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:53:42.45 0.net
>>789
科挙に受験資格なんて無いけど?
あるのは受験環境

794 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 20:08:37.31 0.net
結局のところ、「少数民族による征服王朝が、多数派の原住民から抜擢した人間に地方の運営をやらせていた」
というのが、中国の官僚機構の本質

古来から独立国家だった日本になじまないのは当たり前

795 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 20:31:48.98 0.net
科挙試験は、理系科目が無いのが痛い
だから農政官でも現場の知識や農民の声に疎くなる
もっとも江戸時代の藩校でも儒教ばっかり教えていたんだろうが

796 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:12:25.89 0.net
>>795
いやいや、トンデモない。

江戸時代の藩校では、理系科目もやっていた。
後期には蘭学も普及した。

明治維新とともに各地で総合大学が発足したのは、藩校の伝統のおかげ。

一方の清では、相変わらず、宋学を丸暗記してガチガチの文系人間を量産していた。
これが、近代日本と近代中国の明暗を分けた最大の要因のひとつ。

797 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:14:57.22 0.net
日中の技術格差は、50年や100年でついたものではない。

今後も、中国が日本に追い付くのは不可能。

798 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:15:06.39 0.net
>>792-795
ペルシャ帝国やローマの帝国に対して先進文明だったのが中華帝国
無知や無教養は落ちる、知識人という有能力者である事が受験資格
一応官僚機構が整備されたのが漢帝国、科挙合格者の任官は主に中央、征服王朝は歴代で元と清の2つしかない
日本人は農業や建築も江戸時代前期、初期迄中国人の文物や顧問を天然資源と引き換えに導入してた

799 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:16:56.05 0.net
>>777
遺言で墓は京都だけどね
生前は江戸復興に尽力したんだと思う

800 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:17:03.83 0.net
>>798
それは、まったくバカげた考え。

「有閑階級である」ということが、科挙の受験条件だった。

801 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:17:55.04 0.net
>>797
日本を引っ張っていた工業系の会社が次々にダメになってますが

802 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:18:27.27 0.net
>>801
それは、どこのパラレルワールドの話だ?

803 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:19:39.41 0.net
征服王朝二つなのか
なんか漢民族の王朝は漢と宋明ぐらいしか浮かばない

804 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:20:20.30 0.net
中国で伸びているハイテク企業は、日本でいえば楽天みたいな、ネット通販の会社が中心。

技術軽視の商業民族の伝統は、現代の中国にも脈々と流れている。

805 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:21:51.42 0.net
>>803
宋も、趙兄弟の出自は怪しい。

明は、民族的には漢人だけど、首都を北京に移してモンゴル化した。

806 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:43:39.44 0.net
>>801
東芝とか三菱とか嫌というほど

807 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:47:57.67 0.net
>>798
日本が江戸時代だったころ、
支那は女真族の奴隷国家だった

808 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:51:15.87 0.net
>>807
元とか清の支配層が無能なせいで中国の地位が落ちた
とくに清

809 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 22:41:08.10 0.net
>>798
科挙合格者はみんな知能が低いからノーベル賞なんて絶対に無理だね

810 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 22:46:57.84 0.net
>>797
お前バカ?お前の使ってるパソコンの部品もほとんど中国かベトナム製だぞ

811 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:13:03.99 0.net
>>810
バカはお前だよ。

中国やベトナムに工場があるだけだ。

中国人やベトナム人に技術があるわけではない。

812 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:14:30.18 0.net
技術軽視の商業民族。

その伝統は、現代の中国にも脈々と流れている。

813 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:27:14.55 0.net
今の日本もその流れをくみ始めたな。
でも現場担当の技術者は基本的にドキュソ出身が多い

だから幼少期にドキュソにいじめられていたインテリは過去の恨みで
余計に現場や技術を軽視、軽蔑するようになる

814 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 04:42:41.84 0.net
あの大量製品の部品投げて検品するの直すだけでも大分寿命違うのにな
習慣が運命まで変えてしまうってヤツだな

815 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 07:15:39.70 0.net
>>800
オマエの願望と史実は違うからなw
>>803
漢族王朝は秦、漢、宋、明の4つ。征服王朝は遼、金、元、清の4つ。北魏以降の北朝と隋、唐は漢化した浸透王朝
>>804
ソフトウェア開発じゃもう抜かれてる、最近矢鱈と持ち上げられてる人工知能の研究と実用じゃ完全な周回遅れ

816 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 07:20:48.79 0.net
>>808
元の方が酷くね、清は統治者としちゃまあまあだけど
中国支配してからも新しい物わ外から流れ込んで来るって感覚のまま進歩に無関心だったのと
最後迄支配民族として君臨したせいで不合理非効率を改められなかったのが

817 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 08:51:43.91 0.net
>796
>理系
算術は寺子屋止まりって印象があるんだが、
これも当時の欧州水準までやってたのか?
微分積分とか。

818 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:15:38.78 0.net
戦乱が続いた五代十国時代の反省を受け、趙匡胤は軍人の力を削ぐことに腐心した。
唐代から戦乱の原因になっていた節度使の力を少しずつ削いでいき、最後には単なる名誉職にした。
この時、強引に力で押さえつけるようなことをせず、辛抱強い話し合いの末に行った。
趙匡胤の政治は万事がこのやり方で、無理押しをせず血生臭さを嫌った。

また、科挙を改善して殿試を行い始め、軍人の上に官僚が立つ文治主義を確立した。
科挙が実質的に機能し始めたのは宋代からと言われる。

819 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:20:17.96 0.net
趙匡胤は、時間をかけて徐々に節度使の力を削ぎ、軍閥割拠状態を収束していった。

文官優位のシビリアン・コントロール体制を確立した。

遼や金さえなかったら、天下泰平の世が何百年も続くところだった。

820 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:21:57.41 0.net
唐よりも、遥かに洗練された統治機構が出来上がった。

遼と金、ついでに西夏さえなかったら、中国にとって最良の時代だっただろう。

821 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:24:57.94 0.net
陰謀か血で解決してナンボの中華世界で、
あくまで話し合いとか珍しいな

「孔明は現代日本人だった」っていう自衛隊三国志なる小説があるが
趙でも作れそう

822 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:28:00.82 0.net
日本人に限らず西洋人も、宋の統治機構には、「千年前でこのレベルかよ」と驚き、脱帽するしかなかった。

文民統制も、三権分立も、罪刑法定主義とかも、何もかも、その先駆けといえるものが宋にはあった。

逆に、「千年前にここまで来ていながら近代国家になり損ねたとは、これいかに?」という疑問がわいてくる。

中国文明には、何かが、よほど欠けていたのであろう。

823 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:33:36.85 0.net
>>817
和算の関孝和は、ニュートンやライプニッツとは別に、独自に微分積分へと到達した。

それとは違うが、江戸時代の後期には各地の藩校が蘭学を取り入れ、医学などを盛んに学んでいた。

824 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:37:27.10 0.net
内政は優れてたけど
国防が弱体化しすぎて周辺勢力に敗れ崩壊
結局その後の諸王朝で宋のシステムが復活する事は無かった

ローマ文明が失われた流れと同じかと

825 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:41:46.62 0.net
江戸時代の日本は、参勤交代で大名の妻子を江戸屋敷に住まわせることにより、
「子供の頃は江戸で育ち、大人になったら本国に赴任して大名になる」
というサイクルを辛抱づよく200年続けた結果、
最終的には全国の大名を、江戸から転勤したサラリーマン支店長みたいな
人間ばかりにしてしまった。

バラバラな中世封建社会で真の統一を実現するには、それくらいの根気がいる。

宋の場合は、皇帝が採用した科挙官僚を、全国各地に赴任するという体制でこれを実現した。

826 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:46:19.71 0.net
江戸暮らしに慣れた御曹司達にとって、
鄙びた田舎藩への下向は鬱だったろうな

827 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:47:17.37 0.net
>>817
微分積分思い付いてたよ
>>822
西欧諸王国も米大陸の発見が無ければ産業化不可能だった
亦オゴデイが死な無ければ同様に今頃が産業化始まる時期だったと思うよ
大航海時代も西欧が米大陸に近いという全くの偶然に因る物
造船技術も経験も明より大分劣ってたしな

828 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:50:56.25 0.net
>>824
大唐帝国が周辺民族を自国の社会体制にばっちり組み込んだ為に
周辺国が技術的、行政的、政治的、軍事的に長足の進歩を遂げちゃったのも似てるよね

829 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:51:01.97 0.net
唐末五代だけでなく、千年後の清末民国初にも、辛亥革命で全省が独立宣言して中国がバラバラになりかけた。

中国共産党は、全国の人事異動を何十年も続けて、なんとか真の統一を実現しようとしている。

以前、「瀋陽軍区が北朝鮮とつるんで怪しい動きをしている」
というのが話題になったことがあったが、そのときの
瀋陽軍区長だった張又侠は、つい最近の人事で全国の軍部のトップになった。

830 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:02:29.77 0.net
>>821
宋太祖趙匡胤は東漢光武帝と並んで意味なく無駄な人殺しをしなかった開朝の君主だからな

831 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:24:10.40 0.net
>ソフトウェア開発じゃもう抜かれてる、最近矢鱈と持ち上げられてる人工知能の研究と実用じゃ完全な周回遅れ

あれは、アメリカから買ってきたコンピュータを大量につなぐことにより、並列処理で処理速度を上げてるんだよ。

うわべだけで、技術の中身はない。

832 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:45:28.17 0.net
>>831
アルゴリズムやデータ加工の出来不出来の話だぞ。コンプーテーを大量に糸で繋ぐとか意味不明過ぎる

833 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 11:56:26.64 0.net
>>826
どうしてどうして。
仕事は知らないし出来ないけど権力だけは絶大なものがある。
よって地方の名士が賄賂を抱えて門前に行列。
数年で大富豪になって都へ帰れる。
何が欝なものかw

834 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:24:12.59 0.net
>>811
お前本当にバカだな
外国に工場作るってことは技術が流出してるってこだぞ
家電業界や半導体産業も今ではほとんどシェアを中韓企業に奪われてるだろ

835 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:34:00.42 0.net
90年頃まで電子立国日本とか世界の半導体市場を日本が独占するとかホルホルしてたけど
20年経た今ではむしろ日本は衰退する一方で中国が世界のシェアの半分を占めると見られている
http://image.itmedia.co.jp/ee/articles/1502/04/mm150204_insights2.jpg

836 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:28:34.35 0.net
>>810

支那が造った潜水艦はロシアの劣化コピーでドンチャカうるさいポンコツだし、
ベトナムの潜水艦はロシアの輸入品なんだけどな

837 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:30:43.95 0.net
>>834
家電なんか、昭和の斜陽産業だ

いまさら、冷蔵庫や洗濯機で新興国と勝負するのか?

838 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:32:42.47 0.net
>>835
中国は、まだ半導体を作れてないよ。

韓国メディアでも、「我が国の産業はほとんど中国に追い付かれたが、
まだ半導体だけは優位をキープしてるニダ」といつも言ってる。

工程が複雑だから、パクりにくいんだ。

839 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:53:08.26 0.net
>>827
大航海時代は、強大なイスラム勢力が立ちはだかっているおかげで、陸路でアジアに行けないという特殊事情によるもの。

モンゴル人も、さすがにイベリア半島までは行けなかっただろうから、大航海時代は起きただろう。

840 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:20:13.54 0.net
>>838
台湾にぶち抜かれたけどな
>>839
西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし
雑魚の群れでしかない当時の西欧諸族相手ならオゴデイが5年生きてたらモンゴル軍はジブラルタル迄到達したよ

841 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:41:47.93 0.net
モンゴル軍が、ドイツの森林という厚い壁や、ピレネー山脈という高い壁を越えてまで
欧州西端に行きたがったかは疑問だが、本気で狙えば行けただろうな。

しょせん陸路だし。

842 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:54:28.60 0.net
>>834-835
半導体製造機械だと支那チョンのシェアはミジメなことになっちゃうぞ

843 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 16:30:13.79 0.net
>>825
島津はちょっと違う気がする

844 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:16:31.99 0.net
>西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし

いくらなんでも、そこまで近くはないんじゃないか?
日本からシンガポールくらいには離れてるはず。
日中間くらいの距離なら、普通に古代から文化交流が起きるだろ。

845 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:55:36.92 0.net
>>838
http://news.mynavi.jp/news/2017/03/21/105/
>上記の表で注目されるのは、中国が2009年には5%に過ぎなかった市場シェアを2016年に10%へと倍増させ、
>さらに急成長しようとしている点である。
>実質的にファブレスの市場シェアが大きく伸びたのは、世界中で中国だけである点は特筆に値するだろう。
>中国は、将来有望な半導体製造拠点として注目されがちであるが、実は半導体設計分野でも世界の拠点とな
>ろうとしている。

846 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:16:28.48 0.net
ファブレスってのは、工場を持たずに製造を他社に丸投げしてる会社のこと。
自社では、商品の企画しかしない。

中国企業は、半導体においては、その方向で特化してきている。

「なぜ、中国人は半導体の製造がこんなに苦手なのか?」については諸説あるが、
単純に、「工程が複雑で難しいから」というのが最も正解に近いだろう。

847 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:29:03.20 0.net
中国では、ネット通販やネット金融・モバイル決済といった、
スマホを使った商売がどんどん発達し、世界の最先端を行くようになっている。

ハイテク産業といっても、技術軽視の商業民族としての特色がはっきり表れている。

848 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:30:24.24 0.net
中国人は、モノづくりより、カネづくりが得意。

その点で、日本やドイツよりもアメリカに似ている。

849 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:42:54.14 0.net
唐宋革命って安土桃山から江戸時代の変革と同じぐらいの変化ですか?

850 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:16:29.16 0.net
>>844
思ったより遠くて兵庫〜寧波の2倍弱だったわ
大阪〜広州と同じ位
>>846
台湾企業がトップ集団に居るからでしょ多分

851 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:37:24.81 0.net
>兵庫〜寧波の2倍弱

それにしたって、近いな。

古代の遣唐使船が渡ってた距離の2倍もないんじゃ、行けて当然。

852 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:40:26.00 0.net
>>849
「中国の歴史は、唐末五代の前後で断絶している」と唱えた内藤湖南は、
「日本の歴史は、応仁の乱の前後で断絶している」とも主張した。

853 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:50:20.37 0.net
「応仁の乱より前の日本史を勉強しても、現代の日本を考える上で、あまり参考にならない」とまで言ったという。

ということは、「唐末五代より前の中国史を勉強しても、現代の中国とはあまり関係ない」ということになるだろう。

854 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:53:45.93 0.net
>>850
日本からアメリカ西海岸に行こうとすると、最短距離だと、真ん中にアラスカが来るんだよねえ。
いくらなんでも、寒すぎる。

かといって、広い太平洋をマトモに横断しようとしたら、それこそ地球を半周することなる。

アメリカ大陸をヨーロッパ人に先取されたのは、地理的な必然。
それこそ、天意でしょうな。

855 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:53:48.36 0.net
>>852
漢帝国の崩壊から隋は断絶してるような気がするけど

856 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:56:28.60 0.net
>>855
秦漢は、メキシコにとってのアステカ帝国みたいなもの。

「滅びた先住民による旧文明」とでも位置づけるべきかと。

857 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 20:14:55.42 0.net
>>855
社会構造が大きく変わったって意味だぞ>>852で使ってる断絶は

858 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 20:28:24.98 0.net
「漢末から魏晋にかけて人口が激減し、北方や西方からの民族流入が起きて人間が入れ替わった」
と言ったのは、内藤湖南じゃなくて岡田英弘。

859 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 22:37:05.34 0.net
>>846
お前文盲なの?
>中国は、将来有望な半導体製造拠点として注目されがちであるが
が見えないの?

860 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 22:52:57.82 0.net
>>856
それはむしろ縄文時代と弥生時代のほうがそれに近いんじゃね
縄文時代はYハプロタイプはすべてD1bだったんだが、弥生時代になると鉄器武器や稲作農業を持った大陸が押し寄せてきて
現在では九州や機内では2割程度になってる
ちょうどメキシコ人に占める先住民のハプロと同程度

一方、秦漢代からハプロタイプは華北はO3、華南では長江文明の頃からO2bが主流で現在とさして変化がない

861 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 23:30:17.12 0.net
>>853
応仁の乱で旧日本人は絶滅したからな

862 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 00:35:57.95 0.net
>>860
縄文がすべてD1bって
数字が2割って
お疲れ様です

863 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 01:10:47.49 0.net
縄文人のYハプロはC1aとD1bの二系統あるが検出されたハプロはほとんど後者
だし縄文人直系のアイヌ人もD1bが87%かつC1aがまったく見られないことからD1bがYハプロのほとんどを占めていたのは間違いない

いづれにしても君のYハプロも8割の確率で南中国系のO2系か朝鮮系のO1b2だ

864 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 01:53:21.94 0.net
三国時代は人口7分の6減ってるしね

865 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:13:37.54 0.net
>>859

いつものことだが、世界史と関係ないことでムキになるなよ。

中国経済のバラ色の未来を主張したいのなら、もっと適した掲示板があるだろ。

866 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:17:08.11 0.net
>>864
唐末五代も、それに匹敵するジェノサイド。

867 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:19:23.92 0.net
唐末の875年に起こった黄巣らを指導者とする農民反乱。884年に鎮圧されたが、唐は急速に衰退する。

唐の末期の875年夏、黄河下流の山東省・河南省一帯で相次いで農民反乱が起こった。
その年、この地方にイナゴが大発生し、その大群がとぶと日中も暗く、飛び去ったあとは青いものはすべて食べ尽くされ赤土だけが残ったという。
そのような中で唐朝が草賊とよんだ群盗、塩の密売人である王仙芝と黄巣が、その秘密結社の組織力を生かして反乱を指導し、急激に膨張し反乱集団は大きな勢力となった。
彼らは塩専売制のもとで密売によって利益を得ていたが、唐政府が密売摘発を強化したことに反発して反乱を起こしたのだった。
878年王仙芝が戦死するとその勢力を併せた黄巣は、江北の節度使との対決を避けて南下し、広州に入った。
さらに北上を目指し、880年には長安を陥れ、黄巣は皇帝の位につき、大斉と言う国号を称した。

唐の皇帝僖宗は、トルコ系(突厥系)沙陀族の李克用の援軍を求め、独眼竜と言われた勇猛な李克用が長安を攻撃し、そのため長安は灰燼と帰し、このとき唐文化の繁栄は失われた。
ついで反乱軍の部将であった朱全忠が唐軍に投降し、李克用とともに黄巣の軍を攻撃したため黄巣は長安を追われ、山東に逃げ延びたが、884年に鎮圧された。

868 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:38:22.54 0.net
また食人しながら転戦した例としてとくに有名なのが「黄巣の乱」(875年~884年)の黄巣軍です。
「黄巣の乱」は唐を滅亡に到らせた大きな叛乱でした。それは流民や飢民を吸収し五十万の規模に膨れ上がり、各地を転戦しながら、880年ついには都・長安を占領します。
この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置しました。

「「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は人々を捕らえて食用に供した。
一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な臼数百基を備えている。
人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)
「黄巣らの反乱軍は、西は関門、東は青州、斉州、南は江、淮、北は衛州、滑州にいたるまで荒らしまわった。」
「人影は絶え、イバラが野をおおいつくした。反乱軍は食糧が欠乏していたので、食用人間を貯蔵していた。兵士が四方に出て人々を捕獲し、『塩屍』をつくり、関東の郡県はことごとく攻略された。」(『唐書』秦宗権伝)

869 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:39:47.77 0.net
人肉をミンチに加工する巨大工場を作った黄巣軍。

食品加工業に関しては、世界の最先端を行っていた?

870 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 08:20:51.64 0.net
>>864
西晋初期の戸籍で2400万だから単に後漢末の動乱で
把握出来て無かったり別枠の人数が多かっただけだよ

871 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 08:37:38.73 0.net
>>847
中国の非通貨商行為の普及は、通貨不信が原因。

872 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 09:24:26.14 0.net
無戸籍3分の1だとしたら大概やで
ベビーブームだろう

873 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 09:24:55.44 0.net
3分の2か

874 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 11:28:16.31 0.net
>>870
人口減少は、死ぬだけじゃない

南に逃げたというのも大きい

875 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 12:20:03.25 0.net
>>472

プロデュース():モンゴル人
設計: モンゴルの奴隷
製作: モンゴルの奴隷
デザイン: モンゴルの奴隷
資材調達: モンゴルの奴隷
労働者: モンゴルの奴隷

ってとこだろうね

876 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 13:21:47.30 0.net
>>872
日本で再度戸籍が整備されたのって戦国時代後期に成って以降だからね
>>871
宋代も金属でしかない銅銭不信で紙幣による売買が普及したしな

877 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 14:41:26.01 0.net
銅銭が信用できないなら紙幣なんかますます信用できないはずや

878 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 15:54:15.96 0.net
>>803
前漢は匈奴の属国だろ

879 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 16:31:50.70 0.net
>>878
匈奴わ前漢の属国だよ

880 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:04:34.65 0.net
>>872
そんなこと言い始めた藤原時平の治世以降の日本何て無戸籍10割なんだが

263年の統計では500万しかいないのに17年後の280年の統計では1600万になってるので
自然増は考えられない

881 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:14:26.94 0.net
晋代では精々人口は1600万程度だったのに
五胡の乱時代の一地方政権にしか過ぎない前燕では1000万
前趙では胡人500万漢人2500万と爆増してる

882 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:22:08.02 0.net
西晋は屯田兵とか軍戸じゃ無かったからでしょ増えたのも増えただろうけど

883 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:23:18.08 0.net
日本では20代の若者が100歳だと言ったり
元の場所に住んでるのに引っ越したと言ったり男なのに女だと言い張ったり
生きてるのに死んだと言ったりして遂に戸籍が使い物にならくなった
ウソをそのまま記載する郡司や里長も悪いんだが戸籍と言うのは忠誠心や公共心が乏しい社会で成立しない

884 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:45:23.39 0.net
>胡人500万

胡人の大量流入で、中国大陸の人種構成は激変した。

885 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:04:46.07 0.net
六鎮の乱で武川鎮以外はへそまげて漠北に帰っちゃったからそれはどうかな
そのままとどまってたらもっと中国人はウズベク人みたいなエキゾチックな容姿してたんじゃないの
爾朱栄は金髪碧眼の美丈夫だったらしいし

886 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:47:37.54 0.net
>そのままとどまってたらもっと中国人はウズベク人みたいなエキゾチックな容姿してたんじゃないの

たしかにイラン系みたいにはならなかったが、その代わり、モンゴル人みたいな顔立ちになった。

887 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:48:27.58 0.net
>>815
明はモンゴル王朝

888 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:48:35.65 0.net
イラン系は、次第に中央アジアで衰退し、トルコ系やモンゴル系にとってかわられていった。

889 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:51:09.15 0.net
明は、当初は南の王朝だったが、永楽帝が北京に遷都してからはモンゴル帝国の継承者であることが歴然としている。

実際、あのまま南京にいたら、そのうち北の勢力にやられてしまって短命王朝に終わっただろうが。

890 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:58:24.29 0.net
スキタイ人の南下があってイラン系遊牧民との混合が進み
中国がウイグル人と同じ容姿だったら大分イメージ変わりそう
https://sociorocketnews.files.wordpress.com/2014/10/p_large_bqhv_1ed300002a27125c.jpg?w=580&h=386
http://www.ts.cn/big5/pic/content/attache/site1/20061215/62410.jpg

891 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:04:12.73 0.net
李克用は李国昌の第3子であり、母は秦氏である。
李克用は生来から片目がすがめで、そのために独眼龍と呼ばれていた。
878年に李克用は父と共に唐軍の将の段文楚を殺害したため、唐に対して反乱を起こしたが、敗れて韃靼族の部落に逃亡した。
唐は韃靼に対して賄賂を送って李克用らを捕らえるように命じたが、李克用は韃靼の有力豪族を集めると
その目の前で木の葉や糸に吊るした針等を矢で射て百発百中の腕前を見せつけて韃靼を全て心服させた。

892 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:04:15.43 0.net
「入れ替わった」論が正しいとすると、
無人の土地に入った異民族(現代の中国人の先祖)がほんの数百年の間に、教えてくれる師もほぼ無しに
日本とは比べ物にならないほどの文明を築き上げたことになるね

893 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:05:54.40 0.net
882年、唐に復帰した李克用は雁門節度使に任命され、黄巣討伐を命じられた。
李克用は4万の兵を率いて黄巣軍を討伐し、883年1月に京師東北面行営都統に任命され、
2月に黄巣軍を完膚なきまで叩き潰したため、黄巣は李克用を恐れて4月に長安を放棄して東に逃走し、
朱全忠の本拠地であった陳州(現在の河南省項城県東北)を包囲し攻撃した。
朱全忠は李克用に援軍を求め、李克用は要請に応じて黄巣軍を再び破って陳州を救援し、
さらに黄巣軍を追撃してほぼ壊滅状態にして開封に追い散らした。

884年6月、李克用は現在の山東省で黄巣軍を完全に壊滅させ、黄巣を自殺に追い込んだ。
李克用は反乱軍討伐の功績により河東節度使(太原を中心とした一帯)に昇格し、黄巣討伐の殊勲者となった。
895年には晋王に封ぜられ、山西一帯を制圧する大軍閥となった。

894 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:08:15.13 0.net
・・・朱全忠は怒りを抑えて作り笑いを浮かべながら李克用を手厚くもてなした。
そして李克用と部下らが酩酊したのを見計らって自軍の兵を率いて李克用を襲撃した。
酩酊していた李克用は部下に水をかけられて目を覚ますと直ちに応戦し、
折からの大雷雨も幸いして朱全忠軍の包囲を破って城外に逃げ延び、
ここに朱全忠と李克用は不倶戴天の仇敵同士として争う事になった。

李克用は戦争には強いが、政略では朱全忠に劣り、また配下の鴉軍もその勇猛さが時に粗暴に変じたために政府中央の評判は芳しくなかった。
朱全忠とは何度も激しい争いを繰り広げるが、901年に朱全忠に河中を抑えられたことで中央への進出が難しくなり、太原に閉じ込められた格好となる。

895 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:10:07.54 0.net
>>892

相変わらず、バカな奴だな(笑)

北魏に雇われた漢人宰相の崔浩とか知らんの?

明治のお抱え西洋人と同じで、知ってる奴を雇えばいいだけ。

896 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:10:58.60 0.net
>>891
そこ、謎なんだよね。
片眼とはいいながらも見えることは見えてたのだろうか。
でなければ百発百中なんてできないはず。

897 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:11:38.84 0.net
いくらノンビリした古代とはいえ、数百年は長いぞ。

先住民が残した旧文明を吸収するには、十分な期間だ。

898 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:17:41.58 0.net
で教えてくれる先住民はどこ行ったの?
漢人優遇しないと官僚制度すら保てないから石勒は君子営なんてものを造ったり
道武帝は洛陽遷都を断行、鮮卑人は平城に置いてきぼり、胡服と鮮卑語を禁止、それに従わない奴は斬り捨てて
漢人勢力のご機嫌を取るとかバカなことやってたんだろ

先住民が未開だったために協力なしに自力で文明を築いていった我々の先祖とは勝手が違う

899 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:18:33.84 0.net
漢の古典に詳しいのを買魏に雇われた漢人宰相の崔浩は、歴史を忠実に碑文に書き込んだおかげで、野蛮人の子孫あつかいされたと鮮卑人を怒らせてしまった。

崔浩自身は誅殺されたが、その子孫は生き残った。

唐においては山東貴族の筆頭格として宰相を12人も出すなど、唐でも第一の貴族の家柄となった。

900 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:19:25.61 0.net
>で教えてくれる先住民はどこ行ったの?

全滅したとは誰も言ってないだろ。

九割ほど減少しただけだ。

901 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:20:38.71 0.net
>>899
>漢の古典に詳しいのを買魏に雇われた

「漢の古典に詳しいのを買われて、北魏に雇われた」の間違い

902 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:21:37.02 0.net
9割も減少してたら高度な漢字文化や官僚制度、都市文化は壊滅状態だわな

大体、長江以南はずっと漢人の亡命政権が自立していた時点でその理屈は成り立たないわけだが

903 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:22:31.03 0.net
>>892
支那の王朝文明は、日本文明のように長続き出来ないので、
築き上げてもすぐ崩壊してしまう

904 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:28:58.01 0.net
黄巣の乱鎮圧の二大功績者である李克用と朱全忠はそのまま唐末の二大勢力となり、激しい抗争を始めることとなる。
しかし武勇に優れていても、脳筋気味である政略・謀略の才のない李克用は唐の朝廷で終始朱全忠に主導権をとられ、中央への進出を阻まれてしまう。
また幽州の劉仁恭が彼を裏切って自立したこともあって沙陀軍閥は華北で孤立してしまう。

状況を打開するため、李克用は同時期に南モンゴルで勢力を拡大しつつあったキタイ(契丹)の耶律阿保機と雲州で会談し、一時的に沙陀・キタイの同盟が結ばれた。
しかし精強な沙陀騎兵を恐れたためか、結局阿保機は李克用を裏切って朱全忠と結び劉仁恭の勢力に攻め入った。

この戦いの数ヶ月後、朱全忠はついに唐王朝を滅ぼして皇帝を名のり大梁国を建てた(後梁)。
この報を聞いた李克用は激怒するも、ここ数年の心労がたたったためか朱全忠の皇帝即位から一年たたずの内に病死した。

李克用は、子の李存勗に三本の矢を渡して、朱全忠・劉仁恭・耶律阿保機を討ち取るよう言い残したという。

905 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:31:06.04 0.net
>>902

「漢人が激減した」というのは、華北の話だよ。
長江以南は、むしろ華北の漢人が逃げ込んだ先だ。

だから、お前はバカだってんだよ。
脳ミソが石でできてるんじゃないかってくらい理解力がないのに、やたらと噛みついてくる(笑)

906 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:39:45.99 0.net
>>902
そもそも農民の大半が死滅したら生産力も激減しそう
しかも。入れ替わり論だと遊牧民が農民になってその後人口激増したとでもしないと辻褄が合わなくなる

907 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:41:20.09 0.net
>遊牧民が農民になってその後人口激増したとでもしないと辻褄が合わなくなる

そう、その通り、そういうこと。

やっと分かってきたみたいだな。

908 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:06:13.29 0.net
>>900>>905
自分の願望に基づく妄想より史実を重視しような、北朝の北魏後期でも胡人は半数に満た無い
>>903
江戸時代初期迄常に中華帝国から新技術を導入していたという現実
>>889
モンゴル帝国は征服されただけな、特に何も有益な物を残さ無かった

909 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:28:06.64 0.net
日本は遣唐使廃止や 神本仏迹説みたいに中国化しないからね

910 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:33:28.75 0.net
>>908
日本が江戸時代だったころ、
支那は女真族の奴隷国家だったという史実

911 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:49:06.69 0.net
>>910
中国が高度経済成長中の今
日本国は米軍の奴隷国家という現実

912 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:51:14.73 0.net
生活は全く羨ましく無いけどな

913 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:58:47.12 0.net
>>911
ちゃんとした選挙やらずに
共産党に支配され続けてる奴隷が現代の支那人

914 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 22:36:11.98 0.net
>>792
唐軍兵士の人食いについては、日本人の遣唐使が記録に残してる

915 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:01:45.08 0.net
>>905
バカはお前だよ
漢人が少数派だったら鮮卑語廃止してまで媚び売る必要がない
前趙時代の統計でも胡人は少数派で一度も多数派を占めたことがないし
Yハプロ上でも変動がない
お前は何の根拠も示さず願望を垂れ流してるだけの哀れなネトウヨおじさん

916 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:43:27.88 0.net
>>913
中国共産党はジミン党カスミガセキよりマシだよ
税金は軽く、報道の自由が有り、法治主義だしな

917 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:46:41.70 0.net
>>916
なら日本から出ていけよ
そんで支那にずっと永住しろ

918 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:51:21.48 0.net
凄いな
キレイな独裁を選ぶってことか

919 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 00:07:39.85 0.net
中国人の日本の選挙の論評が「国民が正気じゃ無い」とか「メディアに洗脳されてる」「視野が狭いから左翼が発展出来ない」とかだからな

920 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 00:22:37.35 0.net
選挙をやらないのは野蛮国の証明だからな
中共や北朝鮮は、
モンゴルや台湾よりも下劣な奴隷国家で間違いない

921 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 03:35:13.24 0.net
いまどき、盲目的な中国礼賛を続ける阿呆もいるんだな

まさに、生きる化石

922 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 03:36:09.42 0.net
日本は、明治時代から民主主義をやっている。

中国は、民主主義をやったことがない。

この差はあまりにも大きい。

923 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:07:35.94 0.net
呉 902〜937

戦災孤児(?)であった淮南(安徽)の楊行密(ようこうみつ)が建国。
戦火によって灰塵に帰していた本拠地揚州近辺をよく治め、復旧に努めた。
彼の直属部隊は、黒衣を身に纏った精鋭であり、「黒雲都(黒い雲の集団)」と呼ばれた。
しかし、楊行密死後は派閥争いで衰退。
権臣徐温(じょおん)が実権を握り、その養子の徐知誥(じょちこう)によって国を奪われる。

924 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:13:47.28 0.net
呉越 907〜978

両浙の任侠道あがり、銭鏐(せんりゅう)が、朱全忠より爵位を受け、建国。
生まれ故郷の杭州を中心とした集団、「杭州八都」より身を起こし、地域密着型の内政を推進。
運河交通が盛んで、水害の多いこの地域にあって、治水工事などに精力的であった。
基本的に中原の五代王朝に従属し、対外戦争をなるたけ避けようとした。
5代目銭叔は仏教の保護で有名。六和塔は彼の時代の仏教建築物。
結局は北宋に降伏したが、その時も平和的に行われた。

925 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:14:50.26 0.net
南唐 937〜975

もと呉の臣である徐知誥が、呉の皇帝から禅譲を受け(もっとも、それは建前であるが)建国。
金陵(南京)を根拠地とし、唐の皇族の末裔と称し、その後を継ぐに相応しい者と自認していた。
豊かな国力で十国中最大の経済力、軍事力を有するも、英主柴栄の前に屈服し、南唐皇帝の地位は「江南国主」となる。
それより後、北宋に降伏する。

2代目李m(りけい)と3代目李U(りいく)は「南唐二主」と並称され、『浪淘沙令』(ろうとうされい)などの詞を残し、文学史上有名。

926 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:17:06.56 0.net
李U 「浪淘沙令」    
     
簾外に雨は潺潺たり               御簾の外、雨は絶え間なく降りつづき、
春意闌珊たり                   春は過ぎ、季節は替わろうとしている
羅衾は耐えず、五更の寒きに          薄絹の衣は寒く、夜更けに目覚めて雨を知る
夢の裏に身は是れ客なるを知らずして    夢の中では虜囚の身を忘れて、
一餉、歓びを貪りぬ               しばし楽しい思いをしていたが

独自り欄に憑ること莫れ             独り手すりにもたれても無駄なこと、
無限の江山                    故国の山河は遙か彼方、見えはしない
別るる時は容易きに、見ゆる時は難し     たやすくも別れてきてしまったが、もう目にすることはあるまい
流水落花、春去りゆきぬ            時は流れ、花は散り、春は去っていったのだ
天上人間                     天においても、人の世でも

927 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:22:26.49 0.net
「歴史は繰り返す」というが、隋に滅ぼされた陳の後主も、宋に滅ぼされた南唐の李Uも、
ともに皇帝としてはイマイチだったが、詩人としては文学史上に不朽の名をとどめている。
どちらも、「軍事の北、文化の南」を象徴する出来事だと言えるだろう。

とくに、李Uは有名。

南京での華やかな宮廷生活を詠んだ詞もすばらしいのだが、それ以上に評価が高いのは、
宋に国を譲って隠棲してからの、人生の無常を詠んだ数々の詞。

南唐が滅びずに続いていたら、あれほどの詩境には到達できなかったに違いない。

928 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:05:20.41 0.net
李U(りいく;Li3Yu4)(937年〜978年)は、南唐最後の国主である。故に南唐後主と呼ばれる。李mの第六子として南唐建国の年に生まれる。
初めの名は従嘉で、961年に位を嗣ぎ、Uと改める。字は重光で鐘隠と号する。

南唐は、唐朝滅亡後、宋朝が統一するまでの間、揚子江(長江の一部の名称)下流、呉の地に、江を跨いで建国された国家で、高い文化を誇った。世に云う五代十国のうちの一国・南唐である。
 
南唐は、李Uの父の李mの代に北の後周に攻められ、長江以北を失い、皇帝の位を降り、国主となることを余儀なくさせられ、国は衰退し始めた。

李Uの代になり、後周の後を継いだ宋によって都の金陵を占領され、李U自身も宋の都京に連れて行かれ、南唐は滅んだ。やがて、彼も次の頁に掲げる詞・虞美人のために牽機薬で毒殺されたという。(王「默記」)

929 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:06:16.26 0.net
李Uの作風は大きく二分される。前半の南唐時代と後半の北宋時代である。
  
前半生の彼の詞は、南唐国主として生まれ、父・李mの影響もあって、華麗な宮廷生活の中の心の動きを詠っている。

しかしながら、北宋に敗れ、亡国の君主となった後は、詞風に計り知れないほどの深い憂愁を漂わせ、極端な変化を見せている。
これは、彼の詞の際だった特徴である。勿論、詞としておもしろいのは、後期のものである。深い哀愁と憂悶の詞は千古の絶唱である。

930 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:07:15.26 0.net
虞美人
     
春花 秋月  何の時にか了らん,
往事  多少(いくばく)かを 知らん。
小樓 昨夜 又 東風,
故國は 回首に 堪へず  月明の中。

雕欄 玉砌(ぎょくせい) 應に猶ほ 在り,
只だ是れ 朱顔 改まる,
君に問ふ:  能く 幾多の愁ひ 有りや。
恰も似たり 一江の春水の  東に向かって流るるに。

931 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:11:57.44 0.net
春の花が咲き、秋の月が冴え渡るこの季節の移ろいは、いつ終わるのだろうか。

昔、(王侯として過ごした栄華等の思いでは、)どれほどだろうか、限りがない。

(わたしのいる)小さな高殿にも、昨夜またも故国の方から春風が吹いてきた。

故国(南唐)は、月明かりの中で、ふりかえるのに堪(た)えられない。 

彫刻を施した欄杆(らんかん)と大理石のきざはしは、きっとまだ残っているだろう。 

ただ、若い顔だちが改まって、年を取ったことだけだ。

きみに問うが、愁(うれ)いは、どれぐらいあることだろうか。

ちょうど川いっぱいの春の流れが、東に向かって流れていくようなものだ。

932 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 07:38:05.46 0.net
5chでは、李イクの「イク」って字が表示されないみたいだな。

・・・ってことは、三国志の程cもダメか?

933 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 07:38:43.74 0.net
程cは表示されている。

cに火へんがつくとアウト。

934 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 08:57:02.08 0.net
>>918
独裁から程遠い政治体制だよ中国政府は
>>920
選挙わ原始部族社会にも現代中国にもアルヨ、選挙権が限られてるけどな

935 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:25:01.22 0.net
>>934
お前キチガイかよ
支那の憲法に「独裁」が明記されてるだろが

936 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:28:36.10 0.net
>>935
中国語の独裁だと現行自由民主党も独裁だろが

937 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:32:46.77 0.net
>>936
日本の自民党は複数候補の中から投票で議席を獲得し、
過去には政権与党じゃなかった時期も存在する
支那の独裁とは大違いだよボケが

938 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:35:00.51 0.net
>>936
日本の憲法に「独裁」が明記されたことはないんだよ

939 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:37:43.83 0.net
>>937
中国の共産党は複数政党の複数候補の中から投票で議席を獲得し
公務員を任免する
現行ジミン党の独裁その物だよボケが

940 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:38:21.13 0.net
>>938
解釈改憲
はい論破

941 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:43:26.09 0.net
>>939
日本では自民党に反対する政党も立候補できるが
支那では共産党に反対する政党は立候補できないんだよボケが

942 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:44:48.42 0.net
>>939
中共は共産党が政権から下野したことすらないだろ

943 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:45:31.37 0.net
>>940
日本政府は独裁を認める憲法解釈なんてしていない
はい論破

944 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:46:06.80 0.net
>>934
下手くそな日本語で工作してんじゃねえぞ

945 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:49:51.55 0.net
中華人民共和国が建国してからず〜と共産党の国なんです。

 政権交代が起きないということは、いったいどんな選挙を行っているのでしょうか?

 まず、立候補する人ですが、これは自由に立候補することはできません。
共産党から立候補するように指示を受けた人しか立候補できないんです。
ですから、与党、野党が入り乱れての争いなんていうのは起きません。
共産党が支持した人が立候補し、国民はその人を支持するか?しないか?の投票をするだけです。
どの人がいいか?どの政党がいいか?を投票するのではなく。
この共産党が推薦している人を支持するか?しないか?を国民が選択する選挙方法なんですね。

946 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 09:54:06.17 0.net
>>934
秘密投票の保証、対立する複数政党・複数政策の選択が認められてないのは、
民主主義とは言えない

947 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:29:36.21 0.net
左翼はどうしようもないな

このキチガイが出てくると歴史どころじゃない

948 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:33:54.77 0.net
>>947
唐宋の時代に左翼がいたの?

949 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:34:42.95 0.net
中国史は5ch向きなテーマじゃないな

西洋史にしとくか

950 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:43:59.12 0.net
日本では、日本の中に自民党があるけど、
中国では、中国共産党の中に中華人民共和国があるのだよ

951 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:46:02.78 0.net
中国史は、すぐ政治の話になるからダメだ

952 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 10:52:28.56 0.net
日本の政治のどこが独裁体制なんだよ

アタマがおかしすぎて話にならない

953 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 11:06:59.87 0.net
政治の話も、普通の内容ならいいんだが、これじゃキチガイのたわごと

ダメだこりゃ

954 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 11:09:00.33 0.net
毛沢東の時代なら、こんな盲目的中国礼賛者がいても不思議はないのだが

今は21世紀だよ、バカにつける薬はないな

955 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 11:09:59.96 0.net
このスレももうすぐ終わりだ

話題を西洋史に変えよう

956 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 11:39:01.44 0.net
青春期に革命を志したんだろう
数々の悲劇を産んだだけで終わっては自分の青春を汚すことになってしまう
これは中華人民共和国もそうなんだと思う

957 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 12:15:28.57 0.net
>>946
何れも認められてるよ、悔しかったら共産党員に成れ
>>945
国民審査
ハイ論破

958 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 12:32:47.65 0.net
>>957


人民代表選挙は中国共産党によって指名された候補に対する信任投票となることが多いが、
複数の候補から選択する「差額選挙」(現在の普通選挙)が行われることもある。
いずれにせよ指導政党である共産党の原則的方針から根本的に逸脱する者が人民代表に選出されることは絶対にない。

959 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 15:52:19.11 0.net
確かにまあ習近平に代わってからの中国は何か変だけどね、アベ政権みたく

960 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 17:36:10.30 0.net
>>916
民主主義指数ランキング

20位 日本  8.08 (完全な民主主義国)

23位 フランス 8.04 (完全な民主主義国)

144位 中華人民共和国 3.00 (独裁政治体制)

961 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 17:39:33.10 0.net
>>934

民主主義指数ランキング

20位 日本  8.08 (完全な民主主義国)

23位 フランス 8.04 (完全な民主主義国)

144位 中華人民共和国 3.00 (独裁政治体制)

962 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 18:19:54.88 0.net
「民主主義指数」が日本より上なのは、小国がほとんど。

しかも、日本の場合は、選挙での投票率の低さが大きくマイナスになっているだけで、
それ以外の点では文句のつけようがない評価。

963 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 18:33:29.00 0.net
明治以来の民主主義の伝統があるからな。

964 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 18:39:47.63 0.net
かつて江沢民は中国を二千年以上前から民主主義の伝統があると言ったことがある。
聞いてた人たちは、「は?」

中国では権力者への道は誰にも開かれている。
競争に勝ち残りさえすれば誰でも最高権力者となることができる。
これが民主主義でなくてなんだというのか。

一同唖然・・・

965 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 18:53:02.72 0.net
>>959
アホ?
毛沢東から第三世代までの中国の指導者とかコチコチの中央集権、独裁、先軍政治、武断主義の連中ばかりだぞ
その時と比べると随分と穏健になってる

966 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:01:15.69 0.net
>>961
民主主義指数ランキング
住民投票を行うと自治州議会を解散するという暴挙に走る某国ですら
17位 スペイン 8.30 (完全な民主主義国)

一方の日本国はこちら
23位 日本 7.96 (不十分な民主主義国)

967 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:06:19.61 0.net
>>965
意味不、胡錦涛政権の頃と比べてだよ

968 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:13:40.48 0.net
>>966
民主党の菅直人政権が、原発事故の情報を隠蔽して隠密に処理しようとしたおかげで、報道の自由のイメージが大きく低下した。

悪夢の民主党政権が潰れて久しいのに、欧米からの誤解が解けていない。

969 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:25:59.38 0.net
>>968
転落したのわ2015年度以降
その時の政権与党といえば…
誰が原因か明々白々ですよ、ええ

970 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:36:29.72 0.net
>>968
すげえ!こんなところにも、ネトウヨて出張るのか!

971 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 19:56:20.72 0.net
>>970

バカはすっこんでろ(笑)

972 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 20:00:46.16 0.net
昔の左翼はインテリ青年だった

今はボケが入った爺さんしかいない(笑)

973 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 20:13:58.97 0.net
>>966
それで、
中共の民主主義指数と順位はいかほど?

974 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 20:33:44.40 0.net
>>973
所謂民主主義指数は西方キリスト教国の拵えた偏向指標であるから無価値

975 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 20:54:38.83 0.net
>>974
なるほど>>966は無価値ということか?
それとも民主主義そのものが、西方キリスト教国からの伝搬だから無価値ということなのかな?

976 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 20:58:03.70 0.net
>>71
武家政権が樹立しても皇室は不滅を維持してる

977 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 21:36:13.56 0.net
一国の政権政府としては、朝廷は承久の乱で滅んでいるよ。
その後は鎌倉時代は地方自治体、室町江戸に至っては単なるNPOみたいな扱いだな。
そして漸く明治で政府として復活するわけだ。

978 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 21:37:19.45 0.net
詩から詞へ

唐末以降、格式ばった詩に代わり、詞と呼ばれる歌謡文学が 庶民の間で流行した。

詞は曲子詞とも呼ばれ、唐代に西域から伝わった音楽や民間の俚曲に新しい歌詞を添えて歌う、一種の替え歌である。

敦煌石窟からは、唐末に編纂 された雲謡集の写本2種32闋が発見されている。

南唐の後主・李Uの詞は、そ の悲劇的な生涯と相俟って、多 くの人々に愛唱された

979 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 21:38:27.27 0.net
南唐後主・李Uと文房四宝

五代十国時代、金陵(南京)に都を置いた南唐は、豊かな江南の地を支配し、十国中第一の富強を誇った。

961年、24歳で南唐の第三代国主(後主)となった李U (937〜978)は、庶民の間に芽生えていた芸術や工芸を保護育成し、江南の地場産業 であった墨、硯、紙、筆(文 房四宝)の生産を発展させた

980 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 21:39:20.90 0.net
南唐の後主・李Uと虞美人の詞

975年、北宋の攻撃を受け、 南唐が滅亡すると、李Uは宋 に送られた。
978年、北宋が呉越国を滅ぼし、天下を統一すると、李Uは毒殺された。
彼が毒殺される原因となっ たのが虞美人の詞である。

981 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 21:42:19.53 0.net
(南唐)李U 虞美人 南唐二主詞所収

春花秋月何時了
往事知多少
小楼昨夜又東風
故国不堪回首
月明中

雕欄玉砌依然在
只是朱顔改
問君都有幾多愁
恰似一江春水

昔のままに ひとりわが顔のうつろう
つもる愁い いくばくと 人問わば
さながら春の江の水の 東に流るるよう

982 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 01:42:09.43 0.net
美しい宋の青磁

なんとも深みのある青だ。
素朴な唐の三彩にも、華麗な明の五彩にも、これほどの深みはない。

この時代だけが生み出した奇跡だ。

https://cdn-ak2.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/ivoryw/20170918/20170918000828.jpg

983 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 01:44:58.94 0.net
柴窯

中国 五代十国時代 後周(951年〜960年)の皇帝柴栄(さいえい)がその地位にあった954年から959年までの5年間だけ焼かれていた皇帝のための窯(官窯)
 
1,000年以上も前に作られ、窯が開かれた期間も短期間であるため、希少性が高い。
完成品も窯跡も発見されていない究極の至宝
明代の文献では、宋代の五大名窯よりもさらにワンランク上と位置づけされる。

984 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 01:49:29.98 0.net
李Uの詞もそうだが、中国史上でも最大の分裂期とされる五代十国は、至高の芸術を生み出した。

宋では、隋唐の金ピカ趣味を抜け出し、渋みのある典雅な青磁・白磁や文人画が主流になった。

985 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 01:52:53.40 0.net
>>977
それは、日本史に対する大きな誤解

986 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 01:57:47.25 0.net
禅宗

6世紀のインド僧達磨が中国に渡来して始まり、唐代に中国独自発展した。宋代にさらに盛んになり、日本にも強い影響を与えた。大乗仏教ではあるが、不立文字など自力での悟りを求めるのが特色。
 
仏教の一派である禅宗は、中国仏教の中で独自に発展したものである。
大乗仏教の『般若経』にある空の思想に中国の老荘思想が融合して、独自の精神文化を形成した、ということができる。
経典などを学ぶよりもひたすら瞑想することによって仏陀の精神を直接みること、つまり悟りを開くことを説く自力仏教として発展した。

987 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 02:05:00.34 0.net
禅とはサンスクリット語(梵語)の Jhana の音を漢字で表した禅那の省略形である。
もとの意味は「静慮」であり、心を集中して正しく思惟するため坐禅を組むという仏教の修行法の一つである。
坐禅は戒律とともに仏教修行の基本的要素の一つであり、どの宗派でも行われるものであったが、禅だけを重んじる宗派が現れ、それが禅宗と言われた。
禅宗では、その教えは言葉や経典で伝えることはできないので、「教外別伝」とか「不立文字」といい、直感的な悟りの境地は、師が弟子に質問する(公案という)ことで弟子が自ら体得するものとされた。

988 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 02:06:10.50 0.net
禅とは何かと聞かれて、趙州は答えて言った、「今日は曇っているから答えない」。

同じ問いに雲門の答えは、「それだ」であった。
また別の折には、師は全然肯定的ではなかった。
かれは言った、「言うべき言葉は一つもない」。

<鈴木大拙/工藤澄子訳『禅』1987 ちくま文庫 p.125>

989 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 02:10:32.83 0.net
宋は、東洋文化の完成形だ。

この時代の文化は、精神性の深さが他の時代とは異なる。

元や明になると、貨幣経済がさらに発達して大衆消費社会が到来する。
陶磁器や絵画の見た目は豪華になり、傾向が変わっていった。

990 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 02:16:29.14 0.net
唐代は、中国がペルシャやインドの影響を最も受けた時期だった。
中国史のなかでも国際性は抜群だけど、本当の中国文化は、そのあとの宋の時代に実現する。

ちょうど、平安時代の日本が国風文化に移行したようなものだ。

唐の金ピカ趣味は、おそらく西域の文化に由来する。

アラビアでは、宋の陶磁器を盛んに輸入していたが、宋の青磁や白磁はアラブ人の好みからすると
地味すぎたようで、宋から輸入した陶磁器を加工し、吸い口を金箔で覆ったりしていた。

991 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 02:23:20.80 0.net
北朝は結構金ピカ趣味じゃん?副葬品しか知らんけど

992 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 03:17:18.64 0.net
農耕民に比べて、牧畜民は派手好きな傾向がある。

東洋的な渋みがあるのは、南朝の文化。

993 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 03:19:28.22 0.net
>>977
幕府が安定しているときは京都の朝廷が目立たないが、
ひとたび不安定になると、ただちに再登場が要請される。

994 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 03:22:41.06 0.net
鎌倉時代には存在感が低下していたが、建武の新政で後醍醐天皇が登場。南北朝の両統対立で、日本中を争乱の渦に巻き込む。

室町時代には存在感が低下していたが、織田信長と豊臣秀吉が権威のよりどころとして再活用したため、再び台頭する。

江戸時代にも存在感が低下していたが、江戸幕府が不安定になると、たちまち政治の中心が京都に戻った。
最後の将軍・徳川慶喜は、京都で即位して京都で退位し、在任中は江戸に行く機会がなかった。

995 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 03:25:28.25 0.net
中国も、唐の皇帝がずっと存続してたりしたら、おもしろかったんだが。

朱全忠は、よく唐の皇帝を廃する気になったもんだな。
三百年の皇統だってのに、平安時代の日本で天皇を廃するのと大差ないだろう。
恐るべき不敬行為。

996 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 07:37:43.31 0.net
あれだけ王朝交替が行われてりゃ当然の発想

997 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 07:58:52.54 0.net
後唐が300年続いてもおもしろかった

998 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 08:00:59.55 0.net
しかし、南北統一は無理っぽい

999 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 08:01:13.74 0.net
細長い日本は東日本と西日本が完全な別世界だけど
華北と江南はそこ迄じゃ無いしな

1000 :世界@名無史さん:2017/11/01(水) 08:06:12.01 0.net
自民党政権が300年続く

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