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唐宋変革期

1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。

その変化の一つは,支配階級の交代である。…

670 :世界@名無史さん:2017/10/25(水) 23:10:20.42 0.net
>>669
モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう
モンゴルの支配を受けなかったヨーロッパは、
恐竜絶滅後の哺乳類のように繁栄

671 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:08:11.51 0.net
モンゴルはなぜそうも破壊的に作用したの?

672 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:54:46.98 0.net
>>667

唯一の「証拠」が失われたのに、そう言えるのか?

673 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 04:56:07.41 0.net
>モンゴルの支配をうけたところで良くなった所って一ヶ所もなさそう

最大の例外は北京

674 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 05:06:50.47 0.net
北京はモンゴルの支配によって飛躍的に大発展した

それが現在につながっている

675 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:14:31.72 0.net
モンゴル関係無く既に人口100万超えてたんですが

676 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:21:37.29 0.net
それは、金のおかげ

677 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:23:44.54 0.net
名実ともにユーラシア大陸の東の中核となったのは、モンゴル帝国の時代

678 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:33:21.27 0.net
モンゴル帝国は、北京と江南を大運河でつないだため、それまでの開封に変わって北京が中国経済の中心になった。

しかも、北京からモンゴル高原を通って、中央アジアから西アジアに至るグローバルで高速な通商ルートが確立された。

679 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 06:35:07.43 0.net
明清のような鎖国と異なり、モンゴル帝国は非常に開放的だった。

このため、福建省や広東省の海港も、東西貿易で繁栄した。

いまの「中国」の基礎を築いたのはモンゴル帝国。

680 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 07:50:27.04 0.net
>>677
それ金代わ未だ南宋が存在してたからというだけじゃん
>>679
南宋時代に比べると明、杭、広州の貿易量は減ってる、北京、長安は増えたけど

681 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 08:25:41.30 0.net
>>680

衰退していた陸路が復活したのは大きい

中央アジアも、新たな黄金時代を迎えた

682 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 09:50:33.36 0.net
現代でこそ
海運が陸路より圧倒的にコスト対効果高いけど、
航海技術が未発達なうちは、
インド洋よりシルクロード使う商人の方が効率良かったのかな

683 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 10:03:36.63 0.net
さすがにそれはない
トラックや貨物列車がある現代なら陸路でも大量輸送が可能だが
昔は大量輸送が可能な唯一の交通手段が船だった

陸路じゃせいぜい高価な奢侈品の輸送しかできない

684 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:00.18 0.net
陶磁器とかは、結構デカくて重いからな。ラクダじゃ運べない。

だから、唐の時代の陸路は、絹が主力商品だった。

685 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:27:55.88 0.net
だいたい、唐の後半あたりから海洋貿易の時代になった

686 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 12:40:14.53 0.net
モンゴル帝国のおかげで、中央アジアとの交易が増加したため、陸路が復活した

687 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:11:31.56 0.net
>>670
イスラムがあれほど卑屈になったのも元のせい

688 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 15:14:23.50 0.net
でもイスラム教国のオスマン帝国にボッコボコにされてたよねキリスト教西欧諸王国

689 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:28:33.81 0.net
>>682
西夏が居たのも大きいけど北宋長安の商税額は
南部主要港湾の10〜20%位しか無いよ
南海貿易の広州杭州は元より日本+高麗の2国が多くを占める明州と比べても大分小規模

690 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 17:40:19.16 0.net
>>687
モンゴル帝国は13世紀

イスラムの最盛期は17世紀

691 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:16:06.44 0.net
17世紀のイスラムとか西洋からの軍事顧問よんで巻き返し図るレベルで
もうとっくに零落してるが

692 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:36:01.07 0.net
オスマン帝国はピークを過ぎてたが、サファヴィー朝・ムガール帝国との鼎立は壮観。

少なくとも、欧州諸国や清より大きかったのは確か。

693 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 18:47:39.26 0.net
サファヴィー朝やムガール帝国が清やオスマンより大きい???
ムガールとかインドすら統一できずにアウラングゼーブ死んでからずっと室町幕府状態なんだが

694 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:34:16.91 0.net
お前は本当にバカなんだな?

国語が苦手な奴は、世界史もできないよ。

「三帝国鼎立」と言ってるだろ、単体で中国とイランを比べる奴がいるか。

つける薬がない。

695 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:10.33 0.net
>>691
17世紀わ未だオスマン帝国軍のが強大だよ
前世紀みたいな負けっ放しじゃ無く成っただけで
キリシタン西欧諸王国は前半は劣勢、中葉から後半で漸く互角

696 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:39:25.00 0.net
>>693
ていうか、アウラングゼーブが死んだのは18世紀なんだが。

697 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:50:20.49 0.net
だからどうしたんだよムガール帝国とか諸侯の寄せ集めろくにまとまったことないし
アウラングゼーブ死んだあとは完全に分解しただけの話

一度も国としてまとまったことのないまま崩壊した王朝を中央集権国家を完成させた清やオスマンと同列に語ることなんて無理無理

698 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:52:43.52 0.net
>>694
国語苦手なのはお前だろ?
そもそも「帝国」としてまとまった事のないままくたばった国がどうやって鼎立できるんだ

699 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 19:58:02.02 0.net
つうかさムガル帝国とかデカン入った瞬間にぽしゃってるし
王朝としてはヴァルダナ朝かそれ以下だろ
一度も統治を受けたことない地域も同じ文化圏というだけで同じ「帝国」としてカウントしていいのなら
トルコは全トルコ民族、サファヴィー朝は全イラン民族、ヨーロッパは全欧米国を同じ「帝国」としてカウントしないとフェアじゃないよな

700 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:07:43.02 0.net
>>699

お前は本当にダメだな。鳩山由紀夫と同じで、アタマが壊れている。

いまは、イスラム圏全体の話をしてるんだよ。

清よりデカいだろ、どう見たって(笑)。

701 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:29:57.32 0.net
自民党信者のネトウヨのオッサンてどうしてそんなに頭が悪いの?
オスマン、ムガール、サファヴィー足しても大秦帝国にはかなわないんだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%A0%98%E5%9F%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7


大清帝国
14.7

オスマン帝国
5.2

ムガル帝国
4.6

サファヴィー朝
3.5

702 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:37:33.65 0.net
中国の面積と人口がムダに多いのは、今に始まったことではない。

昔からそうだ。

オスマン帝国だけでも、人口は清の十分の一もないけど、世界における存在感は勝るとも劣らない。

703 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:38:54.14 0.net
あの朝鮮人でさえ、「野蛮な国」といって清をバカにしてた。

表面的には土下座していたが(笑)

704 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:45:08.24 0.net
今だって、モンゴル人やベトナム人も、韓国人や北朝鮮人だって、みんな中国を軽蔑しきっている(笑)

705 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:48:26.21 0.net
保守派のオッサンって頭悪いくせにプライドだけは無駄に高いよね

706 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:52:47.78 0.net
保守派でもないし、オッサンでもないぞ(笑)

707 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:53:18.72 0.net
単に、バカに向かって「お前はバカだ」と直言してるだけ

708 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 20:57:15.89 0.net
まあ、ボケかかった爺さんをバカ呼ばわりするのも心苦しいのだが、やっぱりバカとしか言いようがない

709 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 21:01:11.08 0.net
オスマン、サファビー、ムガルともにトルコ系遊牧民族が先進地域を支配した国家だが、
どこもろくに発展しなかったな

710 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:28:44.50 0.net
日本も朝鮮も韓も越南も呂宋も中華圏だから中国圧勝だな
ムガル帝国も瓦解したのわ17世紀入って暫くしてから

711 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:30:12.44 0.net
>>709
オスマン帝国は経済でも科学でも文化でも西欧諸王朝を凌駕してたよ

712 :世界@名無史さん:2017/10/26(木) 22:43:42.68 0.net
このネトウヨオッサンはわ君とは別ベクトルでバカだな
無知指摘されるとへそまげてヘイトスピーチまき散らすTwitterで見かける典型的な安倍信者って感じ

713 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:11:55.42 0.net
清はヌルハチホンタイジ 康煕 雍正 乾隆の時代と末期では全然違う
言えるのは末期を狙って滅ぼせばいいだけやね

714 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:20:51.26 0.net
>>701
日本、ローマ後漢唐より上かー

715 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 03:53:13.91 0.net
遼、西夏という隣国に対して宋はお金で平和を買うという政策をとるようになりました。

ただしこれも長く続くと、さすがに経済大国の宋でも苦しくなる。遼と西夏に支払う歳貢が宋政府の財政を圧迫するようになる。政治改革をおこなって財政再建をすることが宋政府の課題となります

 
こういう状況で登場したのが王安石。第六代皇帝神宗が抜擢して政治改革をゆだねた大臣でした。

王安石は親父さんも科挙官僚だったのですが、かれが19歳の時に死んでしまう。
王安石は頭が良かったんですね。22歳で科挙に合格する。4番の成績で合格したので中央政界でエリートコース出世街道を驀進することもできたのですが、
一家の生活を支えるために実入りの大きい地方官の道を選びます。地方の実状を知る中で、政治の矛盾や不合理について考えるようになる。
やがて地方で実績をあげ評判になる。ついには45歳で神宗に抜擢されて宰相になりました。宰相というのは皇帝に全面的に政治を任される、今風にいえば総理大臣です。

716 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:01:03.69 0.net
王安石の改革を総称して「新法」といい、それを支持する一派を新法党と言った。

青苗法  春の植え付け時期に政府が資金を農民に貸し出し、秋の収穫期に2割または3割の利子を付けて返還させる貸付制度。

均輸法  農民の生産する物資を都に運ぶ際、輸送費・中間費用がかさんで値が上がることを防ぐため、その地で価の安いときに買い入れ、値の高いときに売ること。

市易法  政府が中小商人に資金を貸し付け、物資を購入させ、値が上がったときに売り出させて利益を還元させる方式。

募役法  農民に対する労役を免除する代わりに免役銭を納めさせ、それをもとに労役(差役)に従事するものを募集するもの。

保甲法  宋の軍事力は傭兵に依存したため、その出費が多かった。王安石は傭兵をやめ、民兵による軍事力の編成を試みた。

保馬法  保丁に対し、政府が馬を貸し与え、戦時には軍馬として、平時には農耕馬として飼育させ、軍馬の不足を補おうとした策。

717 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:03:47.29 0.net
王安石の変法が成功していれば宋はもう少し持ったでしょうか。

718 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:05:03.51 0.net
ベストアンサーに選ばれた回答

もたないでしょう。

中国の歴代王朝の衰退、滅亡の直接の原因はいろいろありますが、支配層の弛緩から来る下層民への圧迫、
農民反乱というケース(秦:陳勝呉広の乱、後漢:黄巾の乱、唐:黄巣の乱、元:紅巾の乱、明:李自成の乱など)、
北方民族による圧迫(晋:永嘉の乱、北宋:靖康の変、南宋:モンゴルによる圧迫など)、最後の清は西欧列強の圧力、
といったような内部崩壊か外圧によるものです。

宋のケースを述べてみましょう。宋の南遷は自業自得と言っていいのでしょうか、言い過ぎでしょうか。契丹族の遼が女真族の金に圧迫されるのを見て、金と結び遼に攻撃を開始します。しかし、その衰えた遼にも宋の軍隊は勝てなかった。

私が思うに、宋がもったかどうかはやはり極端に弱い軍隊、それから約束をすぐに反故にする稚拙な、ひどい外交。

王安石の変法云々より、外交政策の失敗ですね、宋は。

719 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:11:20.51 0.net
遼に莫大な歳幣を送り、カネで平和を買っていた宋だったが、1038年に建国した西夏にまで歳幣を送る羽目となる。

さすがに、巨大な経済力を誇る宋といえども、財政難に苦しむようになった、

そこで登場したのが王安石。貧富の差を克服すべく、経済改革に取り組んだ。

720 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 04:16:25.54 0.net
駆け出しの若き地方官王安石の詩です。

河北民       河北の民よ

生近二邊長苦辛 君らは契丹と西夏の国境近くに生まれたため長年辛苦を強いられている
家家養子學耕織 どの家ももらい子をして百姓しごとと機織りを仕込み
輸興官家事夷狄 作ったものをお上に納めてかの夷狄に奉仕する
今年大旱千里赤 今年は大日照りで大地は千里の果てまで赤く焼けただれたのに
州懸仍催給河役 それでも州や県のお役人は黄河へ行って舟を引けという
老小相携來就南 老人と子供も手を取りあって南へ移住するが
南人豊年自無食 南人とて豊作でも自分たちの食べる物がないのだ
悲愁白日天地昏 悲しみのために天地は真っ昼間でも暗く
路傍過者無顔色 路ばたを通り過ぎて行く者の顔に生気がない
汝生不及貞観中 君らの時代は唐の貞観の御世ではないのだ
斗粟數銭無兵戎 その当時米は一斗たった数銭でいくさもなかった

721 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 05:40:52.47 0.net
現代でいえば、小泉改革みたいなものか?

その後、民主党政権が改革を後退させようと必死になったところも、旧法党とイメージが重なる。

722 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 06:11:35.41 0.net
井上靖の小説燉煌の舞台が西夏勃興中の宋だね
主人公が殿試に臨む前に居眠りしてしまい遊牧民への対策につき積極策を採用すべきという意見を述べてる夢を見ていたという設定

723 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:10:41.93 0.net
>>715
細かいことをいうけど、王安石が任じられたのは翰林学士。
何人かいる宰相級の一人。
そして総理大臣ではなく国務大臣に相当。

724 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:12:25.52 0.net
>>720
阿呆だろw

養子わ文字通り子を養う事
千里赤も見渡す限り地面剥き出し位の意味
老小相携も三世代揃ってという意味

725 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:25:56.69 0.net
翰林学士って宰相級じゃ無いし、任じられたのも地方官
抜擢された後の役職も違う、数名のみ置く役職で平大臣より総理大臣に近いし

726 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:41:34.34 0.net
でも間違えるのがそのくらいって漢字文化って凄いね

727 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 07:46:42.59 0.net
宰相の前に後にって付ければ良かった

728 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 08:23:23.31 0.net
新法党と旧法党で、政権交代するたびに報復人事合戦をやってたあたり、宋は朝鮮に似ている

人民からかき集めたカネを他国に上納してたのも似ている

729 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 08:24:08.60 0.net
現代日本の護憲派は、旧法党の生まれ変わりかもな

730 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:00:51.70 0.net
旧法党は既得権益層
護憲派は朱熹とかその辺の窓際、アベ内閣が秦檜党
人民からかき集めたカネを他国に上納する点は当に害務省と自民党

731 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:13:09.82 0.net
株式時価総額と税収と求人は増えてるからいいんじゃね?

732 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:26:07.46 0.net
新法党は「大きな政府」主義。
旧法党は「小さな政府」主義。

漢の武帝の時代の塩鉄論の頃から続く、
政府による民間経済への関与を巡る論争。

733 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 09:47:28.89 0.net
>>731
税収増なんてどんな無能でも簡単に出来る、増税すりゃ増えるんだから
結果が消費-5%もの大打撃、而も年収300以下の若年層と全世代大量増

734 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 16:40:05.16 0.net
歴代の中国王朝って割と小さい政府というか統制だけ出来てれば善いや的な
地方丸投げ体質よな、その分税金は東亜諸国中じゃ軽いけど

735 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 18:24:23.63 0.net
地方に赴任する官僚は無給だった。

「現地で適当に稼げ」という無言の指示。

736 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 18:45:07.24 0.net
いや、普通に有給だけど

737 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 19:30:05.26 0.net
>>735-736
どっちなんだよアホ

738 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 20:46:40.30 0.net
>>733

消費税を上げたのは民主党政権だ

それを忘れるな

739 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 21:52:33.66 0.net
>>734
政府を頼らない、頼りにならない、当てにしない気風があるよね。
代わりに地域の互助組織が発達する。
今でも北京には出身省毎の省人会みたいなのが、
大きな力を持っていて、人々の世話をしている。

740 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 22:09:58.10 0.net
>>701
ソ連よりロシア帝国のほうが大きいと言うのが違和感ある
ロシア帝国よりソ連のほうが強大だし

741 :世界@名無史さん:2017/10/27(金) 23:07:18.39 0.net
お前ホント頭悪いね
デカいほうが強いとか昭和のロボットアニメかよ
アラスカ売り払ったんだから最盛期のロシア帝国よりソ連のほうが小さくて当たり前だろ

742 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 00:48:47.59 0.net
>>530
朱全忠が「大梁覇王」とか名乗って盟主になる

743 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 03:59:36.47 0.net
地方といっても、山東省・四川省・広東省といった大国は人口一億を超える

単なる郷土意識なんてものではない、一種のナショナリズムがあって当然

744 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:01:51.22 0.net
まあ、沖縄の場合は、あまりにも県土に占める基地の比率が大きすぎるな

もうちょっと普通だったら、また違うだろう

745 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:02:31.51 0.net
スレを間違えた

746 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:09:12.23 0.net
宋では科挙を大幅に拡充し、年間数百人がこの関門をくぐり抜けて官となっていった。
しかし官がやるべき仕事がそこまで多いわけではなく、重複ないし不必要な役職、すなわち冗官が増えていた。
3代真宗の代に「天下の冗吏十九万五千を減ぜん」との記録がある。

また唐の安史の乱後の律令制の崩壊以降、律令と現実社会との乖離が生まれ、その間を使職と呼ばれる令外官を置いていくことで埋められていった。
しかしそのやり方は計画性・長期的視点にとぼしく、体系的な官制を作るものではなかった。
宋でもそれは基本的に受け継がれ、唐風の三省六部体制が形骸を残したまま、実際に政治を動かすのは使職という二重体制が布かれていた。
このような体制は当然非常にわかり難く、非効率であり、同じような役職が併存するようになっていた。

747 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:17:08.15 0.net
新法党と旧法党の政権争いは、王安石と司馬光の死後も二転三転しながら40年にわたって延々と続き、
そのたびに反対派が追放され、処刑され、遂に内紛状態となって宋は亡びた。

748 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:31:45.63 0.net
科挙が登場したのが隋時代の598年。
その後、唐で制度が整えられていき、宋でもっとも隆盛を極めました。
当時、ヨーロッパでは貴族による封建制度だったため、どれだけ文明が進んでいたのかがわかります。
官僚制度によって皇帝の力を絶対的なものにしました。
唐までは貴族が力を握っていたため、国がよく分裂して戦争になったのです。

廃止されたのが、清時代の1905年。科挙は1300年以上も続きました

749 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 05:34:11.79 0.net
宋代の支配社会層は、官僚としては官戸と呼ばれる特権者であり、地域社会では士大夫と呼ばれる知的リーダー、経済的には形勢戸という地主、この三つ面をもった階層として理解します。

これに対して被支配者階層は自作農と「佃戸(でんこ)」と呼ばれる小作人です。

魏晋南北朝から唐までの時代と違うのは、この支配者と被支配者の関係が固定的ではなかったことです。
地主であっても何代も官僚を出さなければ没落することはあり得るし、小作農であっても優秀な子供が出て、科挙に受かれば一気に資産家に成り上がることができる。
中国社会は一族のつながりが強いので、一族の中に飛び抜けて頭の良い子がいたら、みんなして勉学資金を出しあって、いい先生のところに就けて科挙を目指させる。
だから支配者階層に入る人たちは何十年か経つとかなり入れ替わる。貴族階級として支配者が固定化しないわけです。

750 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 07:22:54.92 0.net
>>746
唐、宋の官制わまあまあ整理されてるよ、冗官の廃止や待遇、権限変更をやってるし
焼け太る一方の元明大日現日より遥かにまとも

751 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 08:01:38.19 0.net
>>748
>宋でもっとも隆盛を極めました

違うだろーーーっ!!!

752 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 10:59:33.03 0.net
>>751

元・清では、上にモンゴル人や満州人の貴族がいたので、科挙官僚の全盛期とはいえない。

明との比較でいえば、宋のほうが隆盛してたかもしれない。

753 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:02:23.59 0.net
唐ではほんのわずかだった科挙の合格者を、宋では一気に数百人に増やした。

このため、科挙官僚の人数が激増した。

754 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:14:57.40 0.net
『科挙と官僚制:世界史リブレット9』
山川出版社、平田茂樹著。1997年初版。 リブレットと名づけられているだけあって、わずか80ページ、読み易いがなかなか勉強になった本。

科挙の始まりは隋代の文帝に始まるとされるが、誰でも受験でき、公平性や客観性を備えるものになったのは宋代以降とされる。ただしこの<誰でも受験できる>というのは説明が必要だが… p10

マックスウエーバーによれば中国の官僚制では専門官僚の発達が見られなかったとされる。実際には皇帝の家庭の管理運営を目的にしたと。p22

また中国における官僚制の特徴として、唐代から宋代への移行において府兵制から募兵性に転換し100万とも言われる巨大な常備軍を維持するため高度な専門知識を備えた行政官が必要とされたが、
一方で科挙で生まれた官僚にはそうした行政能力は欠如しており、それが「胥吏=ショリ」と呼ばれる実務担当官を生み出したとする。
事実、官僚の任期は3年程度で十分な実務を積むことも難しかった。p23, それに対し胥吏は数十年にわたり役所に根を下ろした。p24

755 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:24:23.72 0.net
官僚制専制国家、宋の成立は、禅宗に大きな変化を迫るものであつた。
新たな支配層となつた士大夫階級の支持を待た禅宗は、他宗の衰退もあつて、仏教界を代表するものとなつた。
禅の歴史を記した『景徳伝灯録』(一〇〇四年)等の「四灯録」は入蔵の栄誉を受け、禅宗そのものが国家から承認された。
しかし、まさにそのために、禅は国家に対して従順を誓わなくてはならなくなつたのである。
禅宗寺院では、皇帝の長寿を祈る祝聖(しゅくしん)や国家のための祈祷が定期的に行われるようになり
、大寺院では十方住持制が採用され、官僚の監督を受けた
(南宋期には、官寺として「五山十刹(ごさんじっせつ・五山制度に基づく寺格の一つ)」が定められた)。
また、叢林(そうりん・禅林に同じ)の形式化も進み、嗣書が一般化し、寺院の公文 
士大夫(中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者)との交流は、禅寺の権益を守るためにも必要であつたため、
詩文書画といつた士大夫文化が叢林に流入し、禅は「出世聞」というよりも、士大夫社会の一部を構成するものとなった。
禅に固有の反権力の思想は、単に「悟り」の体験の中でのみ維持されたといっても過言ではない。

756 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:43:26.35 0.net
胥吏って割と直ぐ免職されてるのに意味不明過ぎだろマックスくん
科挙試験は高級官僚を採用する為の物で学者や議員の様な物だし
胥吏なんて以っと前から在って末端実務を担う為に現地採用されてるというのに

757 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:48:46.55 0.net
胥吏ってのは、現代日本でいうノンキャリ公務員か

758 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:51:02.09 0.net
現実には貧乏人には無理だったとはいえ、科挙に受かれば誰でも支配階級に加われるってのは、たしかに千年前にしては凄い制度だな。

759 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:16:32.97 0.net
しかし、マックス・ウェーバーによれば、宋〜清の官僚はしょせん家産官僚にすぎなかった。

近代国民国家の官僚制度とは、似て非なる前近代的なシロモノだった。

760 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:18:29.59 0.net
家産官僚制

M.ウェーバーの用語で,伝統的支配の一形態である家産制 (→家産制国家 ) のもとで,国王もしくは君主の世襲的財産の維持,拡大にあたる官僚制組織をいう。

家産制的支配は,没主観性を一般的特質とする近代の合理的な官僚制的支配と正反対の組織原理によって構成されているが,
西欧の中世から近代にいたる歴史においては,経済社会の発展に対応した「君主の官僚制」の拡充を通じて,徐々に合理化を余儀なくされていった。

なお最初の家産官僚制として典型的なものは,古代エジプトにおいてみられる。

761 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:50:20.83 0.net
近代以降の官僚もどうかなと思うけどね
軍官僚も大戦後の積極国家においても
結局は点数稼ぎに終始して発展は見込めないのではないかな

762 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:13:32.19 0.net
そういえば、日本では、90年代には経済評論家が官僚批判の大合唱だったけど、最近はそうでもないな。

763 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:18:48.00 0.net
おまえが言ってることは宮内省以外の官省を廃止しろと言ってるようなものなんだが
あと後漢代から皇室財政と国家財政は分離されて、それぞれ少府府と大司農府が管轄していたので
ウェーバーの理解はかなり間違ってる

764 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:27:21.13 0.net
宮内庁は政府機関の一部

家産官僚とはまったく意味が異なる

765 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:32:52.85 0.net
>>763
中世ヨーロッパでも、君主の家計と国家財政の区別くらいしてただろ

766 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:45:05.86 0.net
朝廷が雇うのは、官。
官人には一人ではあり得ないほど膨大な仕事が割り当てられ、
その処理のため官人は下僚を雇う。
現実には官人は次々と異動し、下僚はずっとそこにいて新任官人に雇われ直す。

この習慣が今も中国には残っていて、正規社員が会社に断りも無しに
自分の仕事を手伝わせる人を勝手に呼び込んで、外国企業はそのために
しばしばトラブルになる。

767 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:40:12.74 0.net
>>759
意味不明
頭悪過ぎだろマックスくん
家産官僚ってのわ初期の胥吏やローマ帝国の高官が自前で用意する文官を指す言葉

768 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:43:16.41 0.net
>>765
して無いよ
最初に官僚機構を整備したハプスブルク王朝スペイン帝国ですら
フェリペ2世の時代でも王朝の家計=国家予算

769 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:51:36.13 0.net
>>764
漢帝国以降の官僚は内朝と外廷と地方に分かれてる
唐以降は中央と地方が官制上一体
家産官僚制とか意味不明過ぎる

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