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唐宋変革期
- 1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
- 中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。
その変化の一つは,支配階級の交代である。…
- 72 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 22:35:41.52 0.net
- それは幻覚症状だな
- 73 :世界@名無史さん:2017/10/08(日) 23:31:57.89 0.net
- 将門や純友は海外の勢力と繋がりはあったんだろうか?
- 74 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 06:34:45.17 0.net
- 直接的な繋がりはないかもしれぬが、
唐の影響を受けて国家を形成していた国々が同時期に解体期に入った。
日本の場合は菅原道真がいち早く唐の真似の限界に気付き、
藤原氏北家が民営化を推進し、
民間軍事勢力を活用することで、将門純友を鎮圧し、
体制変換に成功した。
- 75 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:01:45.64 0.net
- まあ確かに、平将門は「契丹も武力で皇帝になったんだし」といって挙兵したとされてるしなあ
後世の創作発言という説もあるけど、影響はあったんじゃないか?
- 76 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:02:53.21 0.net
- 藤原純友なんて、九州を取った後は半島進出するつもりだったんじゃないの?
- 77 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:05:19.65 0.net
- 唐までの日本は、東アジア情勢とダイレクトにつながっていた。
唐の滅亡後は、大陸と距離を置くようになる。
唐の滅亡で新羅が滅び、元の滅亡で高麗が滅びと、朝鮮半島の王朝は宗主国と連動していたが、
日本はほとんど影響を受けなくなった。
- 78 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:15:21.73 0.net
- 20世紀末の共産主義諸国家の崩壊に似てるかも。
本家ソ連が唐の役割で。
中国は上からの体制転換に成功し、天安門事件を乗り越えた。
北朝鮮は。。。あれは奇形児。
- 79 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 07:39:59.11 0.net
- >>58
西域は今でこそ砂漠に埋れた辺境だが、
この頃までは先進地域だったんじゃないかなぁ?
- 80 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 08:34:50.94 0.net
- どちらかというと江南の方が未開の地。
それが唐末から南宋にかけて、江南が中心地に変化。
- 81 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 09:30:28.65 0.net
- >>69
そのころ火山巨大噴火はあったかな?
貞観地震はあったけど
- 82 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 09:53:02.35 0.net
- >>79
それは商業の話。
もともと農耕に適した地ではないし、定住人口が少ない。
- 83 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:05:39.58 0.net
- 江南は南北朝期にもう華北と並んでたでしょ、人口はその頃に追い付いて
隋が運河掘ったのも江南の物産を輸送する為だし
- 84 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:28:04.67 0.net
- 漢末には、魏の曹操が攻めてくると聞いただけで、呉の重臣たちが「降伏しましょう」と言い出すほど、華北の国力が圧倒的だった。
「天下の三分の二は魏」と言われ、残りの三分の一を呉と蜀が分け合っていた。
しかし、呉から南朝にかけて、江南の開発が進む。
隋の時代には、煬帝が大運河を掘り、江南に行幸したまま帰ってこないので「事実上の遷都」と言われたほど、江南の経済力が大きくなっていた。
- 85 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 11:32:29.44 0.net
- 宋や明の時代を通じて、江南はさらに大発展した。
明では、完全に中国の経済的な中心。
長江デルタは温暖で肥沃で、水運も至便。
中国大陸でもとびぬけた最良の地だ。
ただし、古代には巨大な湿地帯で、人が住むには適していなかった。
クリークが掘られて、だんだん住みやすくなっていく。
- 86 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 14:28:55.73 0.net
- >>82
天山山脈から向こうのキルギス共和国なんかは、今でも緑が豊かで、綿花栽培なんかが盛ん。
山のおかげで砂漠化を免れた。
- 87 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 15:30:36.00 0.net
- >>86
キルギスやウズベクは、敦煌から遥かなる大砂漠と大山脈を越えた向こう側にある、別の文明圏の地
- 88 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 15:49:37.25 0.net
- 敦煌は、中国甘粛省の端っこにあるオアシス都市
ほとんど雨が降らない隊商基地
中央アジアの、特にウズベクあたりはアム川・シル川の大河農耕文明でまったくの別モノ
- 89 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:36:39.99 0.net
- 唐から宋にかけての大変化(・・・といっても、例によって本当は唐の後期からの変化だせど)のひとつに挙げられるのは、陸路のシルクロードの衰退だ。
この頃から海洋貿易が主流になり、福建省や広東省の港町が拠点として台頭した。
シンドバッドやアラジンのような、船乗りのアラビア商人の時代がやってきた。
ラクダに乗った隊商が、月の砂漠をはるばると越えて荷物を運ぶという風景は、なくなったわけじゃないけど、主役ではなくなった。
シルクロードの玄関としての長安の重要性は、当然ながら低下した。
いよいよ、古代黄河文明から続く、内陸部の中華の時代は終わり。
北京・上海・広東省の時代が来ようとしていた。
- 90 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:43:08.36 0.net
- >>78
確かに、唐の支配体制は、なんか全体主義っぽくてソ連崩壊を思わせるものがある
ソ連が崩壊して、衛星国も全滅
- 91 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 16:46:46.77 0.net
- 東ドイツでベルリンの壁が崩壊して、西ドイツに統合された
2年後に、ソビエト連邦は崩壊した
この類推で、「北朝鮮が潰れたら、2年後に中国も崩壊する」という説も登場している
- 92 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 19:06:42.55 0.net
- >>68
一度イデオロギーが確立されると、
人はなかなかそこから脱却できない。
律令制国家=共産主義国家
- 93 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 20:57:52.38 0.net
- 藤原時平 vs 菅原道真の政争は、
律令制回帰の理論優先路線 vs 脱唐現実路線の争いではなかったか?
時平は荘園整理令、延喜格式を出したり、班田実施を強行したりしている。
菅原道真本人は時平によって失脚させられたが、
時平の弟の忠平は兄と違い道真を師匠と仰いでいて、
自分が実権を掌握すると道真路線を採用して、
完全に律令制を廃れさせ、
地方武士を活用して将門純友を鎮圧した。
道真→忠平の政治路線が日本滅亡を防いだのだ。うん、きっと。
- 94 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 21:33:14.58 0.net
- 春秋時代みたいな物で実質滅びてるでしょ
- 95 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 21:56:30.17 0.net
- ちなみに将門は藤原忠平に仕えていたことがあるし、
純友は藤原北家出身なので、陰謀論が成立する余地がある。
道真の怨霊騒ぎも忠平の立場を強化させるものだったので、
忠平は目立たないようでかなりの策士である気がする。
- 96 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 22:36:42.14 0.net
- なんか、「キムジョンウンは、安倍内閣の支持率が低下するたびに号砲を打って応援している」っていうくらい、ベタな陰謀論だな
- 97 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:38:44.35 0.net
- いや、しかし、その可能性はあるな
- 98 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:41:06.58 0.net
- >>93
ただ、それで受益した農民に朝廷がやられることになるとは、菅原道真も思わなかったろうな。
事実上、一国の政権政府としての朝廷は承久の乱で滅んでいるしね。
そして鎌倉時代前期は財団法人、後期はNPO法人といったところにまで落ちぶれた。
先のレスにも書いてあったが、ある意味日本も律令制国家の多重崩壊のあおりを食って、
皇室、言わば天氏の王朝から北条氏の王朝に切り替わったのかもしれないな。
- 99 :世界@名無史さん:2017/10/09(月) 23:46:29.44 0.net
- 後百済と高麗は呉越に朝貢してたとかいうし、
純友もしていた可能性はあるな
で、九州と四国あたりを領土とする王に。
- 100 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 00:04:53.36 0.net
- 天氏の王朝って何?
大体、御成敗式目からして律令を覆すようなものではないですよって明記してるし
院宮王臣家は職の体系による王民制支配は太閤検地まで力をもっていのだから
それ以前は百姓すら作人職に補任された国家の官僚扱いだぜ
律令制もここまで徹底するとは異常すぎる
- 101 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 02:26:27.97 0.net
- 武家政権は武力と政治力しか持たない野蛮人だったからな
行政職や技術職を結構遅い時代まで京都その他の僧侶や職人に依存してた
- 102 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 06:51:06.40 0.net
- 実際、室町時代の初期、九州の懐良親王は「日本国王良懐」として明に冊封され、朝貢してるしなあ
- 103 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 06:51:54.89 0.net
- 藤原純友が、唐末五代の東亜の混乱に乗じて、九州乗っ取りを企んだのも不思議ではない
- 104 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 07:18:24.34 0.net
- そういう発想が不思議
- 105 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 08:37:56.21 0.net
- >>89
気候変動が関わっているだろうね。
内陸部の乾燥化が進んでしまった。
タクラマカン砂漠は海抜マイナスの低地になっていて、
かつては巨大な湖だったのが、
しだいに水が減り、消えていくにつれ、
森林が草原に、遊牧地に、そして荒野に、砂漠へと変化した。
ゴビ砂漠や、サハラ砂漠がかつては緑の大地だったのが、
人間の活動ができない世界に変貌したのと同様。
住んでいた諸民族の興亡に気候変動が大きく関わっているはず。
- 106 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:07:57.01 0.net
- 国号は筑紫と坂東だろうか
- 107 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:30:46.22 0.net
- アラル海はもうじき消滅する。
水が残っているところは弓の弦みたいな形で残ってるが、風前の灯。
ほんの数十年前まで世界第4位の大きさの湖だったのに。
これは開発の失敗が引き金だけど。
- 108 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 09:43:14.92 0.net
- 豊かな水量を誇っていたアム川だが、アラル海まで届かなくなってるらしい。
地図を書き換えてもらわねばいけない。
- 109 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 11:09:25.41 0.net
- >>107
>これは開発の失敗が引き金だけど。
違う違う。
アラル海を犠牲にして行った自然改造計画が成功したからこそ、だよ。
開発が失敗していればアラル海は消滅しないはず。
- 110 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 21:56:43.05 0.net
- 纏足の宋は嫌い。
中華時代劇で唐代ならイラン系美人女優が華麗に舞えるが、
宋代はよちよち歩きせねばならぬではないか。
- 111 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:38:30.60 0.net
- まあ、時代劇では面倒なせいか纏足が省略されてるケースが多いけどな。
- 112 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:40:12.45 0.net
- 唐は纏足の奇習がまだなくて、中国にしては健康的だ。
宦官と人肉食はやってたが。
- 113 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:55:02.36 0.net
- 現代人にとっては、纏足女性は、足が不自由な障碍者にしか見えない。
健康的なのは、モンゴル人や満州人だけ。
漢族は障碍者ばかりの異常社会。
まあ、このあたりにも、日本人が唐以後の中国を好まない潜在的な理由がありそうだ。
- 114 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 22:59:39.89 0.net
- 日本人から見ると、纏足や宦官は気持ち悪い。
人肉食や墓荒らしは、神道の宗教的なタブーに引っかかる。
これは現代人に限らず、昔の日本人にとっても一緒。
日本人は、昔から中国が好きではない。
唐までは中国を高く評価していたが、その後についてはイマイチ(笑)。
- 115 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:08:23.48 0.net
- 纏足って反動ウヨク的発想その物だからな
男が男らしく女が女らしく上級国民は特別であるべきっていう
>>113
纏足は元代に流行して上流階級へ広がった、最流行時期も明〜清初
- 116 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:35:43.26 0.net
- 満州人は纏足しなかったので、清の宮廷モノでは、高宮の婦人が普通に歩いていても別におかしくない
- 117 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:36:18.01 0.net
- × 高宮
〇 後宮
- 118 :世界@名無史さん:2017/10/10(火) 23:38:20.69 0.net
- 纏足の害も、宦官の害も、両方とも明が最悪
- 119 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:26:21.58 0.net
- 行政組織の支離滅裂さも王族の横暴も明が最悪
- 120 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:29:34.99 0.net
- >>116
逆、江南嶺南より華北や北方で纏足が流行った
- 121 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:32:27.71 0.net
- 纏足が反動ウヨクとかわけわかめ
西洋の女がウェスト細くするために肋骨折ってたのと同じ原理だろ
大足が女に対する最大級の侮辱詞だしな
- 122 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:49:31.52 0.net
- >>120
地域じゃなくて、満州人の話
- 123 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:49:58.35 0.net
- >>121
バレエシューズも、纏足と発想は同じだな
- 124 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 00:51:23.04 0.net
- 拝金主義も明が最悪
とにかく、中国らしさを蒸留してウイスキーみたいに濃くしたのが、明という時代
- 125 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 02:21:19.02 0.net
- >>121
保守や本来の右翼じゃ無く
現代日本に特徴的な極限られた一時期の世襲貴族政体へ復古を志向する反動ウヨクな
纏足の目的って
女が女らしく上級国民は平民と異なる労働しない特別な存在である事の追求だから
- 126 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 06:03:02.09 0.net
- >>125
纏足女が女らしい、と言ってる現代日本人ってのが、
誰なのか、どれだけの人数いるのか、を具体的に説明してみてよ
- 127 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 06:46:04.09 0.net
- 戦前復古思想みたいなやつらのことか
- 128 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 08:39:13.73 0.net
- >>126
何故意図的に話をずらしたのかな?反論出来無いからか都合が悪いからか
纏足は当時に於いて、女が女らしく亦
自分等が労働せずとも善い特別な身分であると強調する為に行われた
- 129 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 10:28:48.04 0.net
- >>125
おまえ馬鹿か日本の世襲貴族は纏足じゃないだろ
- 130 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 12:37:17.34 0.net
- >>112-114
安禄山をきっかけに、日本は唐への憧れが窄んでいった
- 131 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:08:49.62 0.net
- >>125
「平民と異なる労働しない特別な存在である事の追求」
それはナマポ左翼だなw
- 132 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:53:18.45 0.net
- >>130
朝貢外交は停止したけれど、
商人の宋船は来航してたんでしょう?
平安貴族の誰だったか忘れたが、
宋人と会話し始めて友人たちが驚いたという話があった。
こっそり宋語を学んでいたわけだが、
舶来品への関心は衰えてはいないはず。
宋銭の需要もあるし。
- 133 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:57:11.38 0.net
- 朝鮮の両班は、顔すら自分では洗わず、下人に洗わせていた。
とにかく、労働を一切やらない。それが高貴な身分の象徴。
日本の皇族がテニスをしているのを見て、朝鮮の両班が、
「あのようなことは、なぜ召使にやらせないのか?」と言った
というのは有名なエピソード。
- 134 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 21:58:00.36 0.net
- 明や朝鮮の儒教エリートとは違って、日本には、労働しないのが美徳という発想がない。
- 135 :世界@名無史さん:2017/10/11(水) 22:47:33.90 0.net
- 日本教会史 ジョアン・ロドリゲス
「日本人は退廃的、享楽的な性格を有しており彼らをシナ人のような勤勉な農夫という事は出来ない。」
アビラ・ヒロン「日本王国記」
「日本人は生来、非常に短気で好戦的であり残忍かつ吝嗇である。・・・
男は女と比べて総じて怠け者であり、有り金を使い果たすまで働こうとはけしてしない。」
- 136 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:12:54.47 0.net
- >>132
藤原信西だろ。
- 137 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:14:35.69 0.net
- >>133
それは日本の皇族出なく19世紀末に
朝鮮にきた英国商人だろ。
- 138 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 00:19:54.55 0.net
- なんで銭を中国から輸入するのか
日本で作れないことはないはす
- 139 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 01:00:22.30 0.net
- >>132
だね
日本が中国からの技術を受け容れず済む様に成るのって
長足の発展を遂げた江戸中期頃
- 140 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 06:08:34.19 0.net
- >>138
そこが不思議なとこなんだけど、やっぱり宋銭や明銭じゃないとダメだったみたい
当時は日本に限らず、東北アジアや東南アジアはみんなそうだった
- 141 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 10:47:01.97 0.net
- 信用の問題だろ
- 142 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 10:51:06.68 0.net
- 宋は契丹女真の奴隷国なので信用できる
- 143 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:25:26.55 0.net
- 契丹人や女真人も、宋銭しか信用しなかった
- 144 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:34:33.91 0.net
- 異民族に銭を盗られて国まで盗られる悲惨な宋王朝
- 145 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 18:52:42.99 0.net
- そもそも宋はトルコ系の王朝だし
- 146 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 19:32:30.62 0.net
- トルコ語の影響ってあるの?
- 147 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 22:05:54.69 0.net
- 晋地方はトルコ語の影響かどうか解らんけど
南中国と違って割と均質な北方放言の中で異質
- 148 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 22:51:45.48 0.net
- >>147
関係ないだろうが、春秋時代の晋はよく北方民族と結婚してたな
イーゴリ公のときのルーシみたいに
- 149 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 23:06:19.33 0.net
- >>147
細長い盆地だからな
東西の両側を険しい山脈に挟まれ、隔離されている
- 150 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 00:29:35.59 0.net
- 日本でも、関東と九州は、アクセントがそんなに違わない
関西だけが大きく異なる
- 151 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 02:19:43.67 0.net
- 九州と東北の方言は全然解らんだろw
- 152 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 09:05:41.45 0.net
- >>143
宋は圧倒的な経済超大国だもんね。
「唐宋変革期」という言葉は、
遼や西夏、金を無視していて、
好きではないが、
GDPではしょうがないのか。。。
- 153 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 09:28:45.31 0.net
- そして経済超大国の宋が
モンゴルに滅ぼされてしまったと
- 154 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 11:25:48.66 0.net
- >>153
金や西夏の方が先にモンゴルにやられたじゃないか。
南宋はかなり持ちこたえた方だ。
モンゴルと言えども南宋攻略はそう簡単ではなかった。
- 155 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 12:16:38.41 0.net
- 宋はモンゴルを滅ぼすことが出来なかったが
モンゴルは宋を滅ぼすことが出来た
- 156 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 14:36:48.82 0.net
- そりゃ、世界史的には、
唐宋変革より、モンゴルの方が影響が大きいのだから仕方がない。
- 157 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 14:44:02.00 0.net
- 経済超大国だったからこそ、狼の獲物にされた。
- 158 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 18:40:40.98 0.net
- 単に経済規模が大きいだけでなく、貨幣経済の発達ぶりが、古代・中世にしては半端なかった
まさに、カネの国
- 159 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 18:42:51.15 0.net
- 今も、中国ではスマホ決済が普及して、現金が使われなくなってきている
貨幣経済に関しては、すでに世界の最先端
- 160 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 20:11:14.02 0.net
- 古代中国の地形的な特徴として、海から何千qも離れた、内陸部の奥の奥に人口密集地帯があった。
このため、塩の供給のために商業ネットワークが発達した。
- 161 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 20:13:27.65 0.net
- 「海から何千qも離れた」は言いすぎだった
いま調べたら、北京と長安の距離は900q
東京−博多間よりも近いな
- 162 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 20:16:50.72 0.net
- まあ、「中国は、日本人の想像を絶するほど広い」というのがウソで、実際には地理的なスケール感がたいして
変わらないというのは、よく言われるところだが。
実際、世界地図から日本列島を切り取って、中国大陸の上に張り付けてみれば、予想以上に日本がデカいことが分かる。
上海を東京とすれば、だいたい北京が札幌あたりで、香港が鹿児島くらいの位置だ。
沖縄まで入れたら、むしろ日本のほうが国内の距離感があるくらい。
ましてや、朝鮮・台湾・南洋諸島を傘下に入れていた大日本帝国だったら、陸地の面積はともかく、
地理的な広がりは中国よりスケール大きい。
- 163 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 20:20:44.37 0.net
- まあ、それはともかく、長安のような内陸部の奥地の乾燥地に、当時としては破格の超巨大都市があったおかげで、
食糧や食塩の供給のため、商業ネットワークが極度に発達したのは事実だ。
唐の時代からすでに、農民が納税のために作物を一斉に換金するので、相場が下落するのが大問題になったくらい。
貨幣経済に関しては、まさに世界の最先端の国。
中国人の拝金主義は、現代に始まったことではない。昔からそうだ。
- 164 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 21:08:27.10 0.net
- >>156
確かに、世界史的には、
唐宋の皇帝より、モンゴルの皇帝が有名だね
日本でもチンギスハンやフビライハンは知られてるけど、
唐宋の皇帝と言われてもすぐに出て来る人は少ない
- 165 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 23:33:08.62 0.net
- >>162
>まあ、「中国は、日本人の想像を絶するほど広い」というのがウソで、実際には地理的なスケール感がたいして
>変わらないというのは、よく言われるところだが。
えええwwwどこがwwひょっとして外国旅行行ったことないでしょ?
視覚的には日本はイギリスより狭いよ
だって地平線ないし
- 166 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 00:20:25.96 0.net
- 長安周辺はまあ、元々森林地帯で秦の頃迄それなりに植生残ってたけど
開発して農地にすると降水量は有るけど蒸散し易い土壌なので
時代が経つ毎に植生が乏しく成って地味が落ちちゃったという
- 167 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 02:47:03.66 0.net
- >>165
ここで言ってるのは、国内の移動距離の話
ほんと、ピントはずれなツッコミが多いな
- 168 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 02:52:01.40 0.net
- >>166
春秋戦国時代は、何百年も国々が分かれていて統一されなかった根本的な原因として、
「古代の華北は森林地帯だったので、騎馬軍団が走り回れなかったから」という説もある
- 169 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 02:57:23.23 0.net
- >視覚的には日本はイギリスより狭いよ
だって地平線ないし
海を見ろ。日本では、たいていのところからはすぐ海に出て、水平線が見れる。
昔、朝鮮人が「朝鮮半島はヨーロッパともつながっている。島国とは違って、人間のスケールが大きくなる」と主張していたので、
「朝鮮半島は、半島の付け根でかろうじてユーラシア大陸と接しているだけだが、
日本列島は全面的に太平洋に面している。ユーラシア大陸よりも、太平洋のほうがずっと広い」
と反論したことがある。
それを思い出した(笑)
- 170 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 03:00:21.95 0.net
- >>164
唐の玄宗は、「女に溺れて国を滅ぼしたバカ皇帝の見本」として、かなり有名
- 171 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 05:27:36.67 0.net
- 日本で一番有名な唐の人は楊貴妃か玄奘か白楽天だろう
たぶん日本での知名度は玄宗より上
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