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唐宋変革期

1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。

その変化の一つは,支配階級の交代である。…

748 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 04:31:45.63 0.net
科挙が登場したのが隋時代の598年。
その後、唐で制度が整えられていき、宋でもっとも隆盛を極めました。
当時、ヨーロッパでは貴族による封建制度だったため、どれだけ文明が進んでいたのかがわかります。
官僚制度によって皇帝の力を絶対的なものにしました。
唐までは貴族が力を握っていたため、国がよく分裂して戦争になったのです。

廃止されたのが、清時代の1905年。科挙は1300年以上も続きました

749 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 05:34:11.79 0.net
宋代の支配社会層は、官僚としては官戸と呼ばれる特権者であり、地域社会では士大夫と呼ばれる知的リーダー、経済的には形勢戸という地主、この三つ面をもった階層として理解します。

これに対して被支配者階層は自作農と「佃戸(でんこ)」と呼ばれる小作人です。

魏晋南北朝から唐までの時代と違うのは、この支配者と被支配者の関係が固定的ではなかったことです。
地主であっても何代も官僚を出さなければ没落することはあり得るし、小作農であっても優秀な子供が出て、科挙に受かれば一気に資産家に成り上がることができる。
中国社会は一族のつながりが強いので、一族の中に飛び抜けて頭の良い子がいたら、みんなして勉学資金を出しあって、いい先生のところに就けて科挙を目指させる。
だから支配者階層に入る人たちは何十年か経つとかなり入れ替わる。貴族階級として支配者が固定化しないわけです。

750 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 07:22:54.92 0.net
>>746
唐、宋の官制わまあまあ整理されてるよ、冗官の廃止や待遇、権限変更をやってるし
焼け太る一方の元明大日現日より遥かにまとも

751 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 08:01:38.19 0.net
>>748
>宋でもっとも隆盛を極めました

違うだろーーーっ!!!

752 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 10:59:33.03 0.net
>>751

元・清では、上にモンゴル人や満州人の貴族がいたので、科挙官僚の全盛期とはいえない。

明との比較でいえば、宋のほうが隆盛してたかもしれない。

753 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:02:23.59 0.net
唐ではほんのわずかだった科挙の合格者を、宋では一気に数百人に増やした。

このため、科挙官僚の人数が激増した。

754 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:14:57.40 0.net
『科挙と官僚制:世界史リブレット9』
山川出版社、平田茂樹著。1997年初版。 リブレットと名づけられているだけあって、わずか80ページ、読み易いがなかなか勉強になった本。

科挙の始まりは隋代の文帝に始まるとされるが、誰でも受験でき、公平性や客観性を備えるものになったのは宋代以降とされる。ただしこの<誰でも受験できる>というのは説明が必要だが… p10

マックスウエーバーによれば中国の官僚制では専門官僚の発達が見られなかったとされる。実際には皇帝の家庭の管理運営を目的にしたと。p22

また中国における官僚制の特徴として、唐代から宋代への移行において府兵制から募兵性に転換し100万とも言われる巨大な常備軍を維持するため高度な専門知識を備えた行政官が必要とされたが、
一方で科挙で生まれた官僚にはそうした行政能力は欠如しており、それが「胥吏=ショリ」と呼ばれる実務担当官を生み出したとする。
事実、官僚の任期は3年程度で十分な実務を積むことも難しかった。p23, それに対し胥吏は数十年にわたり役所に根を下ろした。p24

755 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:24:23.72 0.net
官僚制専制国家、宋の成立は、禅宗に大きな変化を迫るものであつた。
新たな支配層となつた士大夫階級の支持を待た禅宗は、他宗の衰退もあつて、仏教界を代表するものとなつた。
禅の歴史を記した『景徳伝灯録』(一〇〇四年)等の「四灯録」は入蔵の栄誉を受け、禅宗そのものが国家から承認された。
しかし、まさにそのために、禅は国家に対して従順を誓わなくてはならなくなつたのである。
禅宗寺院では、皇帝の長寿を祈る祝聖(しゅくしん)や国家のための祈祷が定期的に行われるようになり
、大寺院では十方住持制が採用され、官僚の監督を受けた
(南宋期には、官寺として「五山十刹(ごさんじっせつ・五山制度に基づく寺格の一つ)」が定められた)。
また、叢林(そうりん・禅林に同じ)の形式化も進み、嗣書が一般化し、寺院の公文 
士大夫(中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者)との交流は、禅寺の権益を守るためにも必要であつたため、
詩文書画といつた士大夫文化が叢林に流入し、禅は「出世聞」というよりも、士大夫社会の一部を構成するものとなった。
禅に固有の反権力の思想は、単に「悟り」の体験の中でのみ維持されたといっても過言ではない。

756 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:43:26.35 0.net
胥吏って割と直ぐ免職されてるのに意味不明過ぎだろマックスくん
科挙試験は高級官僚を採用する為の物で学者や議員の様な物だし
胥吏なんて以っと前から在って末端実務を担う為に現地採用されてるというのに

757 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:48:46.55 0.net
胥吏ってのは、現代日本でいうノンキャリ公務員か

758 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 11:51:02.09 0.net
現実には貧乏人には無理だったとはいえ、科挙に受かれば誰でも支配階級に加われるってのは、たしかに千年前にしては凄い制度だな。

759 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:16:32.97 0.net
しかし、マックス・ウェーバーによれば、宋〜清の官僚はしょせん家産官僚にすぎなかった。

近代国民国家の官僚制度とは、似て非なる前近代的なシロモノだった。

760 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:18:29.59 0.net
家産官僚制

M.ウェーバーの用語で,伝統的支配の一形態である家産制 (→家産制国家 ) のもとで,国王もしくは君主の世襲的財産の維持,拡大にあたる官僚制組織をいう。

家産制的支配は,没主観性を一般的特質とする近代の合理的な官僚制的支配と正反対の組織原理によって構成されているが,
西欧の中世から近代にいたる歴史においては,経済社会の発展に対応した「君主の官僚制」の拡充を通じて,徐々に合理化を余儀なくされていった。

なお最初の家産官僚制として典型的なものは,古代エジプトにおいてみられる。

761 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 12:50:20.83 0.net
近代以降の官僚もどうかなと思うけどね
軍官僚も大戦後の積極国家においても
結局は点数稼ぎに終始して発展は見込めないのではないかな

762 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:13:32.19 0.net
そういえば、日本では、90年代には経済評論家が官僚批判の大合唱だったけど、最近はそうでもないな。

763 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:18:48.00 0.net
おまえが言ってることは宮内省以外の官省を廃止しろと言ってるようなものなんだが
あと後漢代から皇室財政と国家財政は分離されて、それぞれ少府府と大司農府が管轄していたので
ウェーバーの理解はかなり間違ってる

764 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:27:21.13 0.net
宮内庁は政府機関の一部

家産官僚とはまったく意味が異なる

765 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:32:52.85 0.net
>>763
中世ヨーロッパでも、君主の家計と国家財政の区別くらいしてただろ

766 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 13:45:05.86 0.net
朝廷が雇うのは、官。
官人には一人ではあり得ないほど膨大な仕事が割り当てられ、
その処理のため官人は下僚を雇う。
現実には官人は次々と異動し、下僚はずっとそこにいて新任官人に雇われ直す。

この習慣が今も中国には残っていて、正規社員が会社に断りも無しに
自分の仕事を手伝わせる人を勝手に呼び込んで、外国企業はそのために
しばしばトラブルになる。

767 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:40:12.74 0.net
>>759
意味不明
頭悪過ぎだろマックスくん
家産官僚ってのわ初期の胥吏やローマ帝国の高官が自前で用意する文官を指す言葉

768 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:43:16.41 0.net
>>765
して無いよ
最初に官僚機構を整備したハプスブルク王朝スペイン帝国ですら
フェリペ2世の時代でも王朝の家計=国家予算

769 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 14:51:36.13 0.net
>>764
漢帝国以降の官僚は内朝と外廷と地方に分かれてる
唐以降は中央と地方が官制上一体
家産官僚制とか意味不明過ぎる

770 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:12:49.96 0.net
そもそも中世ヨーロッパだとかなり後まで「王室の家計」という概念すらなかった
必要物資はその都度さまざまな地域を巡行して調達していくというスタイル
いわゆる「移動宮廷」という奴

771 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:32:45.32 0.net
宮廷が移動するって日本人的にはえらく不思議
根っこが生えたように京から動かないのが日本の皇帝だからな

772 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 15:46:54.64 0.net
そりゃ略奪が生業の蛮族と農耕主体の日本人じゃ生活様式違って当然

773 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:29:15.83 0.net
>>771
>根っこが生えたように京から動かないのが日本の皇帝だからな

古代には京そのものがしょっちゅあちこち移動してたけどな

774 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:45:58.58 0.net
平安京に落ち着くまでは、しょっちゅう移動していたな

誰か有名人が死んだだけで、怨霊の祟りをおそれて遷都したりとか

775 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:47:14.60 0.net
神聖ローマ帝国とか、セルジューク朝とかは、首都がどこなのか分からなくて悩みどころ

776 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:51:21.98 0.net
ヨーロッパの王様みたいに乞食しながら諸侯の間を遍歴してた天皇とかいるか?
いないだろ

777 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 16:56:20.37 0.net
明治大帝は、東京に行幸したまま帰ってこなかった

778 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 17:44:04.20 0.net
アレクサンドロス大王は10年間宮廷が移動し続けたな

779 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 17:58:15.49 0.net
>>766
王安石は胥吏に俸給を出そうとして失敗したんだよね。
歴代王朝は何で胥吏を政府で正式採用しようとしなかったんだろう?

地方官庁で土着の胥吏が幅を利かせているイメージを持ってたけど、
中央官庁でも胥吏が実務を担当してたと知って、
意外に感じたことがある。

780 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:08:24.19 0.net
政府が役人に給料を払わず、「賄賂を取る」ということを暗黙の前提として成り立ってきた社会。

漢朝から続く伝統を、習近平主席が変えようとしている。

781 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:18:13.80 0.net
なぜ日本では科挙やらなかったの

782 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:22:35.16 0.net
儒教国家じゃないからでしょ

783 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:25:42.79 0.net
江戸時代の幕藩体制において、武家の子弟は藩校その他で儒学を勉強していた

武家とはいうものの、天下泰平の世だけに事実上の文官

これが科挙の代わりになっていたから必要なし

784 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:28:52.42 0.net
宋では、皇帝専制の中央集権体制で全国統治しようとしたから、ああなった

中世の日本は封建社会だから異質

785 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:32:48.46 0.net
唐のあらゆる制度を取り入れようとした日本だが、科挙と宦官だけは受け入れようとしなかった

宋からは、それに纏足も加わった

786 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:34:45.27 0.net
科挙は唐の頃からあったけど、盛んになったのは宋から

日本が中国の影響を最も強く受けたのは唐代だから、そのせいかもしれない

もしも、宋が日本国家の黎明期とかぶっていたら、当然、科挙も見習おうとしただろう

787 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 18:45:17.63 0.net
科挙を取り入れなかったから朝廷は武家に天下を奪われた

788 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:01:01.43 0.net
>>781
単純に科挙やれる程知識人も居無かったし前提のインフラも制度も整って無かったから
>>779
>>756>>766も書いてる通り俸禄たっぷり支給してるんだからちゃんとやれという事
胥吏わ国家が雇う官員じゃ無いしね、日本みたく下っ端丸抱えで法外な税金を支給すると
歴代王朝全て、外国人が驚く程の重税なのに財政破綻やらかす、なんつー愚劣極まる愚挙をやらかす

789 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:03:12.74 0.net
>>781
>>783が書いてるけど先ず科挙の受験資格を持つ様な人間が
江戸時代より前だと一部の僧侶位しか居無かった

790 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:03:58.76 0.net
>>781
日本は鮮卑に支配されてないから

791 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:09:45.62 0.net
>>785
日本は唐から仏教や密教を学ぼうとしたのに、
唐は仏教を弾圧したんだよ

792 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:29:35.92 0.net
中国には、シルクロードを通じて入ってきた先進文明もあったけど、
その反面、宦官・纏足・人肉食といった野蛮な風習も多かった。

日本人は、それを取捨選択して取り入れてきた。

793 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 19:53:42.45 0.net
>>789
科挙に受験資格なんて無いけど?
あるのは受験環境

794 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 20:08:37.31 0.net
結局のところ、「少数民族による征服王朝が、多数派の原住民から抜擢した人間に地方の運営をやらせていた」
というのが、中国の官僚機構の本質

古来から独立国家だった日本になじまないのは当たり前

795 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 20:31:48.98 0.net
科挙試験は、理系科目が無いのが痛い
だから農政官でも現場の知識や農民の声に疎くなる
もっとも江戸時代の藩校でも儒教ばっかり教えていたんだろうが

796 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:12:25.89 0.net
>>795
いやいや、トンデモない。

江戸時代の藩校では、理系科目もやっていた。
後期には蘭学も普及した。

明治維新とともに各地で総合大学が発足したのは、藩校の伝統のおかげ。

一方の清では、相変わらず、宋学を丸暗記してガチガチの文系人間を量産していた。
これが、近代日本と近代中国の明暗を分けた最大の要因のひとつ。

797 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:14:57.22 0.net
日中の技術格差は、50年や100年でついたものではない。

今後も、中国が日本に追い付くのは不可能。

798 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:15:06.39 0.net
>>792-795
ペルシャ帝国やローマの帝国に対して先進文明だったのが中華帝国
無知や無教養は落ちる、知識人という有能力者である事が受験資格
一応官僚機構が整備されたのが漢帝国、科挙合格者の任官は主に中央、征服王朝は歴代で元と清の2つしかない
日本人は農業や建築も江戸時代前期、初期迄中国人の文物や顧問を天然資源と引き換えに導入してた

799 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:16:56.05 0.net
>>777
遺言で墓は京都だけどね
生前は江戸復興に尽力したんだと思う

800 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:17:03.83 0.net
>>798
それは、まったくバカげた考え。

「有閑階級である」ということが、科挙の受験条件だった。

801 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:17:55.04 0.net
>>797
日本を引っ張っていた工業系の会社が次々にダメになってますが

802 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:18:27.27 0.net
>>801
それは、どこのパラレルワールドの話だ?

803 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:19:39.41 0.net
征服王朝二つなのか
なんか漢民族の王朝は漢と宋明ぐらいしか浮かばない

804 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:20:20.30 0.net
中国で伸びているハイテク企業は、日本でいえば楽天みたいな、ネット通販の会社が中心。

技術軽視の商業民族の伝統は、現代の中国にも脈々と流れている。

805 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:21:51.42 0.net
>>803
宋も、趙兄弟の出自は怪しい。

明は、民族的には漢人だけど、首都を北京に移してモンゴル化した。

806 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:43:39.44 0.net
>>801
東芝とか三菱とか嫌というほど

807 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:47:57.67 0.net
>>798
日本が江戸時代だったころ、
支那は女真族の奴隷国家だった

808 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 21:51:15.87 0.net
>>807
元とか清の支配層が無能なせいで中国の地位が落ちた
とくに清

809 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 22:41:08.10 0.net
>>798
科挙合格者はみんな知能が低いからノーベル賞なんて絶対に無理だね

810 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 22:46:57.84 0.net
>>797
お前バカ?お前の使ってるパソコンの部品もほとんど中国かベトナム製だぞ

811 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:13:03.99 0.net
>>810
バカはお前だよ。

中国やベトナムに工場があるだけだ。

中国人やベトナム人に技術があるわけではない。

812 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:14:30.18 0.net
技術軽視の商業民族。

その伝統は、現代の中国にも脈々と流れている。

813 :世界@名無史さん:2017/10/28(土) 23:27:14.55 0.net
今の日本もその流れをくみ始めたな。
でも現場担当の技術者は基本的にドキュソ出身が多い

だから幼少期にドキュソにいじめられていたインテリは過去の恨みで
余計に現場や技術を軽視、軽蔑するようになる

814 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 04:42:41.84 0.net
あの大量製品の部品投げて検品するの直すだけでも大分寿命違うのにな
習慣が運命まで変えてしまうってヤツだな

815 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 07:15:39.70 0.net
>>800
オマエの願望と史実は違うからなw
>>803
漢族王朝は秦、漢、宋、明の4つ。征服王朝は遼、金、元、清の4つ。北魏以降の北朝と隋、唐は漢化した浸透王朝
>>804
ソフトウェア開発じゃもう抜かれてる、最近矢鱈と持ち上げられてる人工知能の研究と実用じゃ完全な周回遅れ

816 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 07:20:48.79 0.net
>>808
元の方が酷くね、清は統治者としちゃまあまあだけど
中国支配してからも新しい物わ外から流れ込んで来るって感覚のまま進歩に無関心だったのと
最後迄支配民族として君臨したせいで不合理非効率を改められなかったのが

817 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 08:51:43.91 0.net
>796
>理系
算術は寺子屋止まりって印象があるんだが、
これも当時の欧州水準までやってたのか?
微分積分とか。

818 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:15:38.78 0.net
戦乱が続いた五代十国時代の反省を受け、趙匡胤は軍人の力を削ぐことに腐心した。
唐代から戦乱の原因になっていた節度使の力を少しずつ削いでいき、最後には単なる名誉職にした。
この時、強引に力で押さえつけるようなことをせず、辛抱強い話し合いの末に行った。
趙匡胤の政治は万事がこのやり方で、無理押しをせず血生臭さを嫌った。

また、科挙を改善して殿試を行い始め、軍人の上に官僚が立つ文治主義を確立した。
科挙が実質的に機能し始めたのは宋代からと言われる。

819 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:20:17.96 0.net
趙匡胤は、時間をかけて徐々に節度使の力を削ぎ、軍閥割拠状態を収束していった。

文官優位のシビリアン・コントロール体制を確立した。

遼や金さえなかったら、天下泰平の世が何百年も続くところだった。

820 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:21:57.41 0.net
唐よりも、遥かに洗練された統治機構が出来上がった。

遼と金、ついでに西夏さえなかったら、中国にとって最良の時代だっただろう。

821 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:24:57.94 0.net
陰謀か血で解決してナンボの中華世界で、
あくまで話し合いとか珍しいな

「孔明は現代日本人だった」っていう自衛隊三国志なる小説があるが
趙でも作れそう

822 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:28:00.82 0.net
日本人に限らず西洋人も、宋の統治機構には、「千年前でこのレベルかよ」と驚き、脱帽するしかなかった。

文民統制も、三権分立も、罪刑法定主義とかも、何もかも、その先駆けといえるものが宋にはあった。

逆に、「千年前にここまで来ていながら近代国家になり損ねたとは、これいかに?」という疑問がわいてくる。

中国文明には、何かが、よほど欠けていたのであろう。

823 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:33:36.85 0.net
>>817
和算の関孝和は、ニュートンやライプニッツとは別に、独自に微分積分へと到達した。

それとは違うが、江戸時代の後期には各地の藩校が蘭学を取り入れ、医学などを盛んに学んでいた。

824 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:37:27.10 0.net
内政は優れてたけど
国防が弱体化しすぎて周辺勢力に敗れ崩壊
結局その後の諸王朝で宋のシステムが復活する事は無かった

ローマ文明が失われた流れと同じかと

825 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:41:46.62 0.net
江戸時代の日本は、参勤交代で大名の妻子を江戸屋敷に住まわせることにより、
「子供の頃は江戸で育ち、大人になったら本国に赴任して大名になる」
というサイクルを辛抱づよく200年続けた結果、
最終的には全国の大名を、江戸から転勤したサラリーマン支店長みたいな
人間ばかりにしてしまった。

バラバラな中世封建社会で真の統一を実現するには、それくらいの根気がいる。

宋の場合は、皇帝が採用した科挙官僚を、全国各地に赴任するという体制でこれを実現した。

826 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:46:19.71 0.net
江戸暮らしに慣れた御曹司達にとって、
鄙びた田舎藩への下向は鬱だったろうな

827 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:47:17.37 0.net
>>817
微分積分思い付いてたよ
>>822
西欧諸王国も米大陸の発見が無ければ産業化不可能だった
亦オゴデイが死な無ければ同様に今頃が産業化始まる時期だったと思うよ
大航海時代も西欧が米大陸に近いという全くの偶然に因る物
造船技術も経験も明より大分劣ってたしな

828 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:50:56.25 0.net
>>824
大唐帝国が周辺民族を自国の社会体制にばっちり組み込んだ為に
周辺国が技術的、行政的、政治的、軍事的に長足の進歩を遂げちゃったのも似てるよね

829 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 09:51:01.97 0.net
唐末五代だけでなく、千年後の清末民国初にも、辛亥革命で全省が独立宣言して中国がバラバラになりかけた。

中国共産党は、全国の人事異動を何十年も続けて、なんとか真の統一を実現しようとしている。

以前、「瀋陽軍区が北朝鮮とつるんで怪しい動きをしている」
というのが話題になったことがあったが、そのときの
瀋陽軍区長だった張又侠は、つい最近の人事で全国の軍部のトップになった。

830 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:02:29.77 0.net
>>821
宋太祖趙匡胤は東漢光武帝と並んで意味なく無駄な人殺しをしなかった開朝の君主だからな

831 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:24:10.40 0.net
>ソフトウェア開発じゃもう抜かれてる、最近矢鱈と持ち上げられてる人工知能の研究と実用じゃ完全な周回遅れ

あれは、アメリカから買ってきたコンピュータを大量につなぐことにより、並列処理で処理速度を上げてるんだよ。

うわべだけで、技術の中身はない。

832 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 10:45:28.17 0.net
>>831
アルゴリズムやデータ加工の出来不出来の話だぞ。コンプーテーを大量に糸で繋ぐとか意味不明過ぎる

833 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 11:56:26.64 0.net
>>826
どうしてどうして。
仕事は知らないし出来ないけど権力だけは絶大なものがある。
よって地方の名士が賄賂を抱えて門前に行列。
数年で大富豪になって都へ帰れる。
何が欝なものかw

834 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:24:12.59 0.net
>>811
お前本当にバカだな
外国に工場作るってことは技術が流出してるってこだぞ
家電業界や半導体産業も今ではほとんどシェアを中韓企業に奪われてるだろ

835 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:34:00.42 0.net
90年頃まで電子立国日本とか世界の半導体市場を日本が独占するとかホルホルしてたけど
20年経た今ではむしろ日本は衰退する一方で中国が世界のシェアの半分を占めると見られている
http://image.itmedia.co.jp/ee/articles/1502/04/mm150204_insights2.jpg

836 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:28:34.35 0.net
>>810

支那が造った潜水艦はロシアの劣化コピーでドンチャカうるさいポンコツだし、
ベトナムの潜水艦はロシアの輸入品なんだけどな

837 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:30:43.95 0.net
>>834
家電なんか、昭和の斜陽産業だ

いまさら、冷蔵庫や洗濯機で新興国と勝負するのか?

838 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:32:42.47 0.net
>>835
中国は、まだ半導体を作れてないよ。

韓国メディアでも、「我が国の産業はほとんど中国に追い付かれたが、
まだ半導体だけは優位をキープしてるニダ」といつも言ってる。

工程が複雑だから、パクりにくいんだ。

839 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:53:08.26 0.net
>>827
大航海時代は、強大なイスラム勢力が立ちはだかっているおかげで、陸路でアジアに行けないという特殊事情によるもの。

モンゴル人も、さすがにイベリア半島までは行けなかっただろうから、大航海時代は起きただろう。

840 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:20:13.54 0.net
>>838
台湾にぶち抜かれたけどな
>>839
西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし
雑魚の群れでしかない当時の西欧諸族相手ならオゴデイが5年生きてたらモンゴル軍はジブラルタル迄到達したよ

841 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:41:47.93 0.net
モンゴル軍が、ドイツの森林という厚い壁や、ピレネー山脈という高い壁を越えてまで
欧州西端に行きたがったかは疑問だが、本気で狙えば行けただろうな。

しょせん陸路だし。

842 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:54:28.60 0.net
>>834-835
半導体製造機械だと支那チョンのシェアはミジメなことになっちゃうぞ

843 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 16:30:13.79 0.net
>>825
島津はちょっと違う気がする

844 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:16:31.99 0.net
>西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし

いくらなんでも、そこまで近くはないんじゃないか?
日本からシンガポールくらいには離れてるはず。
日中間くらいの距離なら、普通に古代から文化交流が起きるだろ。

845 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:55:36.92 0.net
>>838
http://news.mynavi.jp/news/2017/03/21/105/
>上記の表で注目されるのは、中国が2009年には5%に過ぎなかった市場シェアを2016年に10%へと倍増させ、
>さらに急成長しようとしている点である。
>実質的にファブレスの市場シェアが大きく伸びたのは、世界中で中国だけである点は特筆に値するだろう。
>中国は、将来有望な半導体製造拠点として注目されがちであるが、実は半導体設計分野でも世界の拠点とな
>ろうとしている。

846 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:16:28.48 0.net
ファブレスってのは、工場を持たずに製造を他社に丸投げしてる会社のこと。
自社では、商品の企画しかしない。

中国企業は、半導体においては、その方向で特化してきている。

「なぜ、中国人は半導体の製造がこんなに苦手なのか?」については諸説あるが、
単純に、「工程が複雑で難しいから」というのが最も正解に近いだろう。

847 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:29:03.20 0.net
中国では、ネット通販やネット金融・モバイル決済といった、
スマホを使った商売がどんどん発達し、世界の最先端を行くようになっている。

ハイテク産業といっても、技術軽視の商業民族としての特色がはっきり表れている。

848 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:30:24.24 0.net
中国人は、モノづくりより、カネづくりが得意。

その点で、日本やドイツよりもアメリカに似ている。

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