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唐宋変革期

1 :世界@名無史さん:2017/10/04(水) 19:46:47.62 0.net
中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。

その変化の一つは,支配階級の交代である。…

833 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 11:56:26.64 0.net
>>826
どうしてどうして。
仕事は知らないし出来ないけど権力だけは絶大なものがある。
よって地方の名士が賄賂を抱えて門前に行列。
数年で大富豪になって都へ帰れる。
何が欝なものかw

834 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:24:12.59 0.net
>>811
お前本当にバカだな
外国に工場作るってことは技術が流出してるってこだぞ
家電業界や半導体産業も今ではほとんどシェアを中韓企業に奪われてるだろ

835 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 12:34:00.42 0.net
90年頃まで電子立国日本とか世界の半導体市場を日本が独占するとかホルホルしてたけど
20年経た今ではむしろ日本は衰退する一方で中国が世界のシェアの半分を占めると見られている
http://image.itmedia.co.jp/ee/articles/1502/04/mm150204_insights2.jpg

836 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:28:34.35 0.net
>>810

支那が造った潜水艦はロシアの劣化コピーでドンチャカうるさいポンコツだし、
ベトナムの潜水艦はロシアの輸入品なんだけどな

837 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:30:43.95 0.net
>>834
家電なんか、昭和の斜陽産業だ

いまさら、冷蔵庫や洗濯機で新興国と勝負するのか?

838 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:32:42.47 0.net
>>835
中国は、まだ半導体を作れてないよ。

韓国メディアでも、「我が国の産業はほとんど中国に追い付かれたが、
まだ半導体だけは優位をキープしてるニダ」といつも言ってる。

工程が複雑だから、パクりにくいんだ。

839 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 14:53:08.26 0.net
>>827
大航海時代は、強大なイスラム勢力が立ちはだかっているおかげで、陸路でアジアに行けないという特殊事情によるもの。

モンゴル人も、さすがにイベリア半島までは行けなかっただろうから、大航海時代は起きただろう。

840 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:20:13.54 0.net
>>838
台湾にぶち抜かれたけどな
>>839
西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし
雑魚の群れでしかない当時の西欧諸族相手ならオゴデイが5年生きてたらモンゴル軍はジブラルタル迄到達したよ

841 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:41:47.93 0.net
モンゴル軍が、ドイツの森林という厚い壁や、ピレネー山脈という高い壁を越えてまで
欧州西端に行きたがったかは疑問だが、本気で狙えば行けただろうな。

しょせん陸路だし。

842 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 15:54:28.60 0.net
>>834-835
半導体製造機械だと支那チョンのシェアはミジメなことになっちゃうぞ

843 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 16:30:13.79 0.net
>>825
島津はちょっと違う気がする

844 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:16:31.99 0.net
>西欧から米大陸はかなり近くて寧波から兵庫より少し離れてる程度だし

いくらなんでも、そこまで近くはないんじゃないか?
日本からシンガポールくらいには離れてるはず。
日中間くらいの距離なら、普通に古代から文化交流が起きるだろ。

845 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 17:55:36.92 0.net
>>838
http://news.mynavi.jp/news/2017/03/21/105/
>上記の表で注目されるのは、中国が2009年には5%に過ぎなかった市場シェアを2016年に10%へと倍増させ、
>さらに急成長しようとしている点である。
>実質的にファブレスの市場シェアが大きく伸びたのは、世界中で中国だけである点は特筆に値するだろう。
>中国は、将来有望な半導体製造拠点として注目されがちであるが、実は半導体設計分野でも世界の拠点とな
>ろうとしている。

846 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:16:28.48 0.net
ファブレスってのは、工場を持たずに製造を他社に丸投げしてる会社のこと。
自社では、商品の企画しかしない。

中国企業は、半導体においては、その方向で特化してきている。

「なぜ、中国人は半導体の製造がこんなに苦手なのか?」については諸説あるが、
単純に、「工程が複雑で難しいから」というのが最も正解に近いだろう。

847 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:29:03.20 0.net
中国では、ネット通販やネット金融・モバイル決済といった、
スマホを使った商売がどんどん発達し、世界の最先端を行くようになっている。

ハイテク産業といっても、技術軽視の商業民族としての特色がはっきり表れている。

848 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:30:24.24 0.net
中国人は、モノづくりより、カネづくりが得意。

その点で、日本やドイツよりもアメリカに似ている。

849 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 18:42:54.14 0.net
唐宋革命って安土桃山から江戸時代の変革と同じぐらいの変化ですか?

850 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:16:29.16 0.net
>>844
思ったより遠くて兵庫〜寧波の2倍弱だったわ
大阪〜広州と同じ位
>>846
台湾企業がトップ集団に居るからでしょ多分

851 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:37:24.81 0.net
>兵庫〜寧波の2倍弱

それにしたって、近いな。

古代の遣唐使船が渡ってた距離の2倍もないんじゃ、行けて当然。

852 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:40:26.00 0.net
>>849
「中国の歴史は、唐末五代の前後で断絶している」と唱えた内藤湖南は、
「日本の歴史は、応仁の乱の前後で断絶している」とも主張した。

853 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:50:20.37 0.net
「応仁の乱より前の日本史を勉強しても、現代の日本を考える上で、あまり参考にならない」とまで言ったという。

ということは、「唐末五代より前の中国史を勉強しても、現代の中国とはあまり関係ない」ということになるだろう。

854 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:53:45.93 0.net
>>850
日本からアメリカ西海岸に行こうとすると、最短距離だと、真ん中にアラスカが来るんだよねえ。
いくらなんでも、寒すぎる。

かといって、広い太平洋をマトモに横断しようとしたら、それこそ地球を半周することなる。

アメリカ大陸をヨーロッパ人に先取されたのは、地理的な必然。
それこそ、天意でしょうな。

855 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:53:48.36 0.net
>>852
漢帝国の崩壊から隋は断絶してるような気がするけど

856 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 19:56:28.60 0.net
>>855
秦漢は、メキシコにとってのアステカ帝国みたいなもの。

「滅びた先住民による旧文明」とでも位置づけるべきかと。

857 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 20:14:55.42 0.net
>>855
社会構造が大きく変わったって意味だぞ>>852で使ってる断絶は

858 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 20:28:24.98 0.net
「漢末から魏晋にかけて人口が激減し、北方や西方からの民族流入が起きて人間が入れ替わった」
と言ったのは、内藤湖南じゃなくて岡田英弘。

859 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 22:37:05.34 0.net
>>846
お前文盲なの?
>中国は、将来有望な半導体製造拠点として注目されがちであるが
が見えないの?

860 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 22:52:57.82 0.net
>>856
それはむしろ縄文時代と弥生時代のほうがそれに近いんじゃね
縄文時代はYハプロタイプはすべてD1bだったんだが、弥生時代になると鉄器武器や稲作農業を持った大陸が押し寄せてきて
現在では九州や機内では2割程度になってる
ちょうどメキシコ人に占める先住民のハプロと同程度

一方、秦漢代からハプロタイプは華北はO3、華南では長江文明の頃からO2bが主流で現在とさして変化がない

861 :世界@名無史さん:2017/10/29(日) 23:30:17.12 0.net
>>853
応仁の乱で旧日本人は絶滅したからな

862 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 00:35:57.95 0.net
>>860
縄文がすべてD1bって
数字が2割って
お疲れ様です

863 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 01:10:47.49 0.net
縄文人のYハプロはC1aとD1bの二系統あるが検出されたハプロはほとんど後者
だし縄文人直系のアイヌ人もD1bが87%かつC1aがまったく見られないことからD1bがYハプロのほとんどを占めていたのは間違いない

いづれにしても君のYハプロも8割の確率で南中国系のO2系か朝鮮系のO1b2だ

864 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 01:53:21.94 0.net
三国時代は人口7分の6減ってるしね

865 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:13:37.54 0.net
>>859

いつものことだが、世界史と関係ないことでムキになるなよ。

中国経済のバラ色の未来を主張したいのなら、もっと適した掲示板があるだろ。

866 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:17:08.11 0.net
>>864
唐末五代も、それに匹敵するジェノサイド。

867 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:19:23.92 0.net
唐末の875年に起こった黄巣らを指導者とする農民反乱。884年に鎮圧されたが、唐は急速に衰退する。

唐の末期の875年夏、黄河下流の山東省・河南省一帯で相次いで農民反乱が起こった。
その年、この地方にイナゴが大発生し、その大群がとぶと日中も暗く、飛び去ったあとは青いものはすべて食べ尽くされ赤土だけが残ったという。
そのような中で唐朝が草賊とよんだ群盗、塩の密売人である王仙芝と黄巣が、その秘密結社の組織力を生かして反乱を指導し、急激に膨張し反乱集団は大きな勢力となった。
彼らは塩専売制のもとで密売によって利益を得ていたが、唐政府が密売摘発を強化したことに反発して反乱を起こしたのだった。
878年王仙芝が戦死するとその勢力を併せた黄巣は、江北の節度使との対決を避けて南下し、広州に入った。
さらに北上を目指し、880年には長安を陥れ、黄巣は皇帝の位につき、大斉と言う国号を称した。

唐の皇帝僖宗は、トルコ系(突厥系)沙陀族の李克用の援軍を求め、独眼竜と言われた勇猛な李克用が長安を攻撃し、そのため長安は灰燼と帰し、このとき唐文化の繁栄は失われた。
ついで反乱軍の部将であった朱全忠が唐軍に投降し、李克用とともに黄巣の軍を攻撃したため黄巣は長安を追われ、山東に逃げ延びたが、884年に鎮圧された。

868 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:38:22.54 0.net
また食人しながら転戦した例としてとくに有名なのが「黄巣の乱」(875年~884年)の黄巣軍です。
「黄巣の乱」は唐を滅亡に到らせた大きな叛乱でした。それは流民や飢民を吸収し五十万の規模に膨れ上がり、各地を転戦しながら、880年ついには都・長安を占領します。
この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置しました。

「「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は人々を捕らえて食用に供した。
一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な臼数百基を備えている。
人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)
「黄巣らの反乱軍は、西は関門、東は青州、斉州、南は江、淮、北は衛州、滑州にいたるまで荒らしまわった。」
「人影は絶え、イバラが野をおおいつくした。反乱軍は食糧が欠乏していたので、食用人間を貯蔵していた。兵士が四方に出て人々を捕獲し、『塩屍』をつくり、関東の郡県はことごとく攻略された。」(『唐書』秦宗権伝)

869 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 07:39:47.77 0.net
人肉をミンチに加工する巨大工場を作った黄巣軍。

食品加工業に関しては、世界の最先端を行っていた?

870 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 08:20:51.64 0.net
>>864
西晋初期の戸籍で2400万だから単に後漢末の動乱で
把握出来て無かったり別枠の人数が多かっただけだよ

871 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 08:37:38.73 0.net
>>847
中国の非通貨商行為の普及は、通貨不信が原因。

872 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 09:24:26.14 0.net
無戸籍3分の1だとしたら大概やで
ベビーブームだろう

873 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 09:24:55.44 0.net
3分の2か

874 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 11:28:16.31 0.net
>>870
人口減少は、死ぬだけじゃない

南に逃げたというのも大きい

875 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 12:20:03.25 0.net
>>472

プロデュース():モンゴル人
設計: モンゴルの奴隷
製作: モンゴルの奴隷
デザイン: モンゴルの奴隷
資材調達: モンゴルの奴隷
労働者: モンゴルの奴隷

ってとこだろうね

876 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 13:21:47.30 0.net
>>872
日本で再度戸籍が整備されたのって戦国時代後期に成って以降だからね
>>871
宋代も金属でしかない銅銭不信で紙幣による売買が普及したしな

877 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 14:41:26.01 0.net
銅銭が信用できないなら紙幣なんかますます信用できないはずや

878 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 15:54:15.96 0.net
>>803
前漢は匈奴の属国だろ

879 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 16:31:50.70 0.net
>>878
匈奴わ前漢の属国だよ

880 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:04:34.65 0.net
>>872
そんなこと言い始めた藤原時平の治世以降の日本何て無戸籍10割なんだが

263年の統計では500万しかいないのに17年後の280年の統計では1600万になってるので
自然増は考えられない

881 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:14:26.94 0.net
晋代では精々人口は1600万程度だったのに
五胡の乱時代の一地方政権にしか過ぎない前燕では1000万
前趙では胡人500万漢人2500万と爆増してる

882 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:22:08.02 0.net
西晋は屯田兵とか軍戸じゃ無かったからでしょ増えたのも増えただろうけど

883 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:23:18.08 0.net
日本では20代の若者が100歳だと言ったり
元の場所に住んでるのに引っ越したと言ったり男なのに女だと言い張ったり
生きてるのに死んだと言ったりして遂に戸籍が使い物にならくなった
ウソをそのまま記載する郡司や里長も悪いんだが戸籍と言うのは忠誠心や公共心が乏しい社会で成立しない

884 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 18:45:23.39 0.net
>胡人500万

胡人の大量流入で、中国大陸の人種構成は激変した。

885 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:04:46.07 0.net
六鎮の乱で武川鎮以外はへそまげて漠北に帰っちゃったからそれはどうかな
そのままとどまってたらもっと中国人はウズベク人みたいなエキゾチックな容姿してたんじゃないの
爾朱栄は金髪碧眼の美丈夫だったらしいし

886 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:47:37.54 0.net
>そのままとどまってたらもっと中国人はウズベク人みたいなエキゾチックな容姿してたんじゃないの

たしかにイラン系みたいにはならなかったが、その代わり、モンゴル人みたいな顔立ちになった。

887 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:48:27.58 0.net
>>815
明はモンゴル王朝

888 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:48:35.65 0.net
イラン系は、次第に中央アジアで衰退し、トルコ系やモンゴル系にとってかわられていった。

889 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:51:09.15 0.net
明は、当初は南の王朝だったが、永楽帝が北京に遷都してからはモンゴル帝国の継承者であることが歴然としている。

実際、あのまま南京にいたら、そのうち北の勢力にやられてしまって短命王朝に終わっただろうが。

890 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 19:58:24.29 0.net
スキタイ人の南下があってイラン系遊牧民との混合が進み
中国がウイグル人と同じ容姿だったら大分イメージ変わりそう
https://sociorocketnews.files.wordpress.com/2014/10/p_large_bqhv_1ed300002a27125c.jpg?w=580&h=386
http://www.ts.cn/big5/pic/content/attache/site1/20061215/62410.jpg

891 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:04:12.73 0.net
李克用は李国昌の第3子であり、母は秦氏である。
李克用は生来から片目がすがめで、そのために独眼龍と呼ばれていた。
878年に李克用は父と共に唐軍の将の段文楚を殺害したため、唐に対して反乱を起こしたが、敗れて韃靼族の部落に逃亡した。
唐は韃靼に対して賄賂を送って李克用らを捕らえるように命じたが、李克用は韃靼の有力豪族を集めると
その目の前で木の葉や糸に吊るした針等を矢で射て百発百中の腕前を見せつけて韃靼を全て心服させた。

892 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:04:15.43 0.net
「入れ替わった」論が正しいとすると、
無人の土地に入った異民族(現代の中国人の先祖)がほんの数百年の間に、教えてくれる師もほぼ無しに
日本とは比べ物にならないほどの文明を築き上げたことになるね

893 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:05:54.40 0.net
882年、唐に復帰した李克用は雁門節度使に任命され、黄巣討伐を命じられた。
李克用は4万の兵を率いて黄巣軍を討伐し、883年1月に京師東北面行営都統に任命され、
2月に黄巣軍を完膚なきまで叩き潰したため、黄巣は李克用を恐れて4月に長安を放棄して東に逃走し、
朱全忠の本拠地であった陳州(現在の河南省項城県東北)を包囲し攻撃した。
朱全忠は李克用に援軍を求め、李克用は要請に応じて黄巣軍を再び破って陳州を救援し、
さらに黄巣軍を追撃してほぼ壊滅状態にして開封に追い散らした。

884年6月、李克用は現在の山東省で黄巣軍を完全に壊滅させ、黄巣を自殺に追い込んだ。
李克用は反乱軍討伐の功績により河東節度使(太原を中心とした一帯)に昇格し、黄巣討伐の殊勲者となった。
895年には晋王に封ぜられ、山西一帯を制圧する大軍閥となった。

894 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:08:15.13 0.net
・・・朱全忠は怒りを抑えて作り笑いを浮かべながら李克用を手厚くもてなした。
そして李克用と部下らが酩酊したのを見計らって自軍の兵を率いて李克用を襲撃した。
酩酊していた李克用は部下に水をかけられて目を覚ますと直ちに応戦し、
折からの大雷雨も幸いして朱全忠軍の包囲を破って城外に逃げ延び、
ここに朱全忠と李克用は不倶戴天の仇敵同士として争う事になった。

李克用は戦争には強いが、政略では朱全忠に劣り、また配下の鴉軍もその勇猛さが時に粗暴に変じたために政府中央の評判は芳しくなかった。
朱全忠とは何度も激しい争いを繰り広げるが、901年に朱全忠に河中を抑えられたことで中央への進出が難しくなり、太原に閉じ込められた格好となる。

895 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:10:07.54 0.net
>>892

相変わらず、バカな奴だな(笑)

北魏に雇われた漢人宰相の崔浩とか知らんの?

明治のお抱え西洋人と同じで、知ってる奴を雇えばいいだけ。

896 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:10:58.60 0.net
>>891
そこ、謎なんだよね。
片眼とはいいながらも見えることは見えてたのだろうか。
でなければ百発百中なんてできないはず。

897 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:11:38.84 0.net
いくらノンビリした古代とはいえ、数百年は長いぞ。

先住民が残した旧文明を吸収するには、十分な期間だ。

898 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:17:41.58 0.net
で教えてくれる先住民はどこ行ったの?
漢人優遇しないと官僚制度すら保てないから石勒は君子営なんてものを造ったり
道武帝は洛陽遷都を断行、鮮卑人は平城に置いてきぼり、胡服と鮮卑語を禁止、それに従わない奴は斬り捨てて
漢人勢力のご機嫌を取るとかバカなことやってたんだろ

先住民が未開だったために協力なしに自力で文明を築いていった我々の先祖とは勝手が違う

899 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:18:33.84 0.net
漢の古典に詳しいのを買魏に雇われた漢人宰相の崔浩は、歴史を忠実に碑文に書き込んだおかげで、野蛮人の子孫あつかいされたと鮮卑人を怒らせてしまった。

崔浩自身は誅殺されたが、その子孫は生き残った。

唐においては山東貴族の筆頭格として宰相を12人も出すなど、唐でも第一の貴族の家柄となった。

900 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:19:25.61 0.net
>で教えてくれる先住民はどこ行ったの?

全滅したとは誰も言ってないだろ。

九割ほど減少しただけだ。

901 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:20:38.71 0.net
>>899
>漢の古典に詳しいのを買魏に雇われた

「漢の古典に詳しいのを買われて、北魏に雇われた」の間違い

902 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:21:37.02 0.net
9割も減少してたら高度な漢字文化や官僚制度、都市文化は壊滅状態だわな

大体、長江以南はずっと漢人の亡命政権が自立していた時点でその理屈は成り立たないわけだが

903 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:22:31.03 0.net
>>892
支那の王朝文明は、日本文明のように長続き出来ないので、
築き上げてもすぐ崩壊してしまう

904 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:28:58.01 0.net
黄巣の乱鎮圧の二大功績者である李克用と朱全忠はそのまま唐末の二大勢力となり、激しい抗争を始めることとなる。
しかし武勇に優れていても、脳筋気味である政略・謀略の才のない李克用は唐の朝廷で終始朱全忠に主導権をとられ、中央への進出を阻まれてしまう。
また幽州の劉仁恭が彼を裏切って自立したこともあって沙陀軍閥は華北で孤立してしまう。

状況を打開するため、李克用は同時期に南モンゴルで勢力を拡大しつつあったキタイ(契丹)の耶律阿保機と雲州で会談し、一時的に沙陀・キタイの同盟が結ばれた。
しかし精強な沙陀騎兵を恐れたためか、結局阿保機は李克用を裏切って朱全忠と結び劉仁恭の勢力に攻め入った。

この戦いの数ヶ月後、朱全忠はついに唐王朝を滅ぼして皇帝を名のり大梁国を建てた(後梁)。
この報を聞いた李克用は激怒するも、ここ数年の心労がたたったためか朱全忠の皇帝即位から一年たたずの内に病死した。

李克用は、子の李存勗に三本の矢を渡して、朱全忠・劉仁恭・耶律阿保機を討ち取るよう言い残したという。

905 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:31:06.04 0.net
>>902

「漢人が激減した」というのは、華北の話だよ。
長江以南は、むしろ華北の漢人が逃げ込んだ先だ。

だから、お前はバカだってんだよ。
脳ミソが石でできてるんじゃないかってくらい理解力がないのに、やたらと噛みついてくる(笑)

906 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:39:45.99 0.net
>>902
そもそも農民の大半が死滅したら生産力も激減しそう
しかも。入れ替わり論だと遊牧民が農民になってその後人口激増したとでもしないと辻褄が合わなくなる

907 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 20:41:20.09 0.net
>遊牧民が農民になってその後人口激増したとでもしないと辻褄が合わなくなる

そう、その通り、そういうこと。

やっと分かってきたみたいだな。

908 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:06:13.29 0.net
>>900>>905
自分の願望に基づく妄想より史実を重視しような、北朝の北魏後期でも胡人は半数に満た無い
>>903
江戸時代初期迄常に中華帝国から新技術を導入していたという現実
>>889
モンゴル帝国は征服されただけな、特に何も有益な物を残さ無かった

909 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:28:06.64 0.net
日本は遣唐使廃止や 神本仏迹説みたいに中国化しないからね

910 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:33:28.75 0.net
>>908
日本が江戸時代だったころ、
支那は女真族の奴隷国家だったという史実

911 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:49:06.69 0.net
>>910
中国が高度経済成長中の今
日本国は米軍の奴隷国家という現実

912 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:51:14.73 0.net
生活は全く羨ましく無いけどな

913 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 21:58:47.12 0.net
>>911
ちゃんとした選挙やらずに
共産党に支配され続けてる奴隷が現代の支那人

914 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 22:36:11.98 0.net
>>792
唐軍兵士の人食いについては、日本人の遣唐使が記録に残してる

915 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:01:45.08 0.net
>>905
バカはお前だよ
漢人が少数派だったら鮮卑語廃止してまで媚び売る必要がない
前趙時代の統計でも胡人は少数派で一度も多数派を占めたことがないし
Yハプロ上でも変動がない
お前は何の根拠も示さず願望を垂れ流してるだけの哀れなネトウヨおじさん

916 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:43:27.88 0.net
>>913
中国共産党はジミン党カスミガセキよりマシだよ
税金は軽く、報道の自由が有り、法治主義だしな

917 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:46:41.70 0.net
>>916
なら日本から出ていけよ
そんで支那にずっと永住しろ

918 :世界@名無史さん:2017/10/30(月) 23:51:21.48 0.net
凄いな
キレイな独裁を選ぶってことか

919 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 00:07:39.85 0.net
中国人の日本の選挙の論評が「国民が正気じゃ無い」とか「メディアに洗脳されてる」「視野が狭いから左翼が発展出来ない」とかだからな

920 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 00:22:37.35 0.net
選挙をやらないのは野蛮国の証明だからな
中共や北朝鮮は、
モンゴルや台湾よりも下劣な奴隷国家で間違いない

921 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 03:35:13.24 0.net
いまどき、盲目的な中国礼賛を続ける阿呆もいるんだな

まさに、生きる化石

922 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 03:36:09.42 0.net
日本は、明治時代から民主主義をやっている。

中国は、民主主義をやったことがない。

この差はあまりにも大きい。

923 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:07:35.94 0.net
呉 902〜937

戦災孤児(?)であった淮南(安徽)の楊行密(ようこうみつ)が建国。
戦火によって灰塵に帰していた本拠地揚州近辺をよく治め、復旧に努めた。
彼の直属部隊は、黒衣を身に纏った精鋭であり、「黒雲都(黒い雲の集団)」と呼ばれた。
しかし、楊行密死後は派閥争いで衰退。
権臣徐温(じょおん)が実権を握り、その養子の徐知誥(じょちこう)によって国を奪われる。

924 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:13:47.28 0.net
呉越 907〜978

両浙の任侠道あがり、銭鏐(せんりゅう)が、朱全忠より爵位を受け、建国。
生まれ故郷の杭州を中心とした集団、「杭州八都」より身を起こし、地域密着型の内政を推進。
運河交通が盛んで、水害の多いこの地域にあって、治水工事などに精力的であった。
基本的に中原の五代王朝に従属し、対外戦争をなるたけ避けようとした。
5代目銭叔は仏教の保護で有名。六和塔は彼の時代の仏教建築物。
結局は北宋に降伏したが、その時も平和的に行われた。

925 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:14:50.26 0.net
南唐 937〜975

もと呉の臣である徐知誥が、呉の皇帝から禅譲を受け(もっとも、それは建前であるが)建国。
金陵(南京)を根拠地とし、唐の皇族の末裔と称し、その後を継ぐに相応しい者と自認していた。
豊かな国力で十国中最大の経済力、軍事力を有するも、英主柴栄の前に屈服し、南唐皇帝の地位は「江南国主」となる。
それより後、北宋に降伏する。

2代目李m(りけい)と3代目李U(りいく)は「南唐二主」と並称され、『浪淘沙令』(ろうとうされい)などの詞を残し、文学史上有名。

926 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:17:06.56 0.net
李U 「浪淘沙令」    
     
簾外に雨は潺潺たり               御簾の外、雨は絶え間なく降りつづき、
春意闌珊たり                   春は過ぎ、季節は替わろうとしている
羅衾は耐えず、五更の寒きに          薄絹の衣は寒く、夜更けに目覚めて雨を知る
夢の裏に身は是れ客なるを知らずして    夢の中では虜囚の身を忘れて、
一餉、歓びを貪りぬ               しばし楽しい思いをしていたが

独自り欄に憑ること莫れ             独り手すりにもたれても無駄なこと、
無限の江山                    故国の山河は遙か彼方、見えはしない
別るる時は容易きに、見ゆる時は難し     たやすくも別れてきてしまったが、もう目にすることはあるまい
流水落花、春去りゆきぬ            時は流れ、花は散り、春は去っていったのだ
天上人間                     天においても、人の世でも

927 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 04:22:26.49 0.net
「歴史は繰り返す」というが、隋に滅ぼされた陳の後主も、宋に滅ぼされた南唐の李Uも、
ともに皇帝としてはイマイチだったが、詩人としては文学史上に不朽の名をとどめている。
どちらも、「軍事の北、文化の南」を象徴する出来事だと言えるだろう。

とくに、李Uは有名。

南京での華やかな宮廷生活を詠んだ詞もすばらしいのだが、それ以上に評価が高いのは、
宋に国を譲って隠棲してからの、人生の無常を詠んだ数々の詞。

南唐が滅びずに続いていたら、あれほどの詩境には到達できなかったに違いない。

928 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:05:20.41 0.net
李U(りいく;Li3Yu4)(937年〜978年)は、南唐最後の国主である。故に南唐後主と呼ばれる。李mの第六子として南唐建国の年に生まれる。
初めの名は従嘉で、961年に位を嗣ぎ、Uと改める。字は重光で鐘隠と号する。

南唐は、唐朝滅亡後、宋朝が統一するまでの間、揚子江(長江の一部の名称)下流、呉の地に、江を跨いで建国された国家で、高い文化を誇った。世に云う五代十国のうちの一国・南唐である。
 
南唐は、李Uの父の李mの代に北の後周に攻められ、長江以北を失い、皇帝の位を降り、国主となることを余儀なくさせられ、国は衰退し始めた。

李Uの代になり、後周の後を継いだ宋によって都の金陵を占領され、李U自身も宋の都京に連れて行かれ、南唐は滅んだ。やがて、彼も次の頁に掲げる詞・虞美人のために牽機薬で毒殺されたという。(王「默記」)

929 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:06:16.26 0.net
李Uの作風は大きく二分される。前半の南唐時代と後半の北宋時代である。
  
前半生の彼の詞は、南唐国主として生まれ、父・李mの影響もあって、華麗な宮廷生活の中の心の動きを詠っている。

しかしながら、北宋に敗れ、亡国の君主となった後は、詞風に計り知れないほどの深い憂愁を漂わせ、極端な変化を見せている。
これは、彼の詞の際だった特徴である。勿論、詞としておもしろいのは、後期のものである。深い哀愁と憂悶の詞は千古の絶唱である。

930 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:07:15.26 0.net
虞美人
     
春花 秋月  何の時にか了らん,
往事  多少(いくばく)かを 知らん。
小樓 昨夜 又 東風,
故國は 回首に 堪へず  月明の中。

雕欄 玉砌(ぎょくせい) 應に猶ほ 在り,
只だ是れ 朱顔 改まる,
君に問ふ:  能く 幾多の愁ひ 有りや。
恰も似たり 一江の春水の  東に向かって流るるに。

931 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 05:11:57.44 0.net
春の花が咲き、秋の月が冴え渡るこの季節の移ろいは、いつ終わるのだろうか。

昔、(王侯として過ごした栄華等の思いでは、)どれほどだろうか、限りがない。

(わたしのいる)小さな高殿にも、昨夜またも故国の方から春風が吹いてきた。

故国(南唐)は、月明かりの中で、ふりかえるのに堪(た)えられない。 

彫刻を施した欄杆(らんかん)と大理石のきざはしは、きっとまだ残っているだろう。 

ただ、若い顔だちが改まって、年を取ったことだけだ。

きみに問うが、愁(うれ)いは、どれぐらいあることだろうか。

ちょうど川いっぱいの春の流れが、東に向かって流れていくようなものだ。

932 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 07:38:05.46 0.net
5chでは、李イクの「イク」って字が表示されないみたいだな。

・・・ってことは、三国志の程cもダメか?

933 :世界@名無史さん:2017/10/31(火) 07:38:43.74 0.net
程cは表示されている。

cに火へんがつくとアウト。

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