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物流の歴史

398 :ウムウル :2019/06/25(火) 20:11:08.04 0.net
別子銅山の輸送は明治になるまで
牛舎道が開通せず山麓の中は
仲持ちの中の人が男子45kg女子30kgの荷物をを
200年近く背負って運搬したらしい、、


銅の道
http://www2.dokidoki.ne.jp/tomura/cutrans.htm
http://www2.dokidoki.ne.jp/tomura/image/cutrans01.jpg

@ 第一次仲持道   元禄4年(1691)〜元禄15年(1702)
23km 仲持 ⇒足谷山−弟地−芋野仲塾−小箱越−勘場平中宿−中の川−浦山
12km 牛馬 ⇒浦山=天満浦
仲持輸送 (弟地仲持 180人   天満仲持 200人 )


A 第二次仲持道  元禄15年(1702)〜寛延2年(1749)
12km仲持 ⇒足谷・東延−西赤石南側−雲ヶ原−西赤石と上兜山の中間−石ヶ山丈−立川中宿
6km 牛馬 ⇒立川中宿=新居浜口屋

B 第三次仲持道   寛延2(1749)年〜明治13年(1880)  
6km 仲持⇒足谷−銅山越−角石原−馬の背−御番所−東平−端出場−立川中宿
6km 牛馬⇒立川中宿=新居浜口屋

明和6(1769)年:立川仲持 360人  炭仲持 250人
明治元年(1868):立川仲持 400人

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