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物流の歴史

426 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2019/11/16(土) 15:13:58 ID:0.net
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>>425>>369

続 3・1・1 スペイン、その破壊と略奪の交易
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi4/page004.html


▼アメリカ交易を独占するセビーリャ▼


スペインのなかで、セビーリャは最大の商業と手工業の都市として成長しており、後背地では小麦、ブドウ、オリーブなどの商品作物栽培や牧羊業が展開されていた。
その内陸港は防衛に適しており、造船所を備え、アメリカ交易に従事する商人が住んでいた。

スペイン王室は、セビーリャにアメリカ交易の独占権を与えることで、
アルモハリファスゴ税(輸出入関税、1543年以後アメリカとの交易では輸出税2.5パーセント、輸入税7.5パーセント、アメリカからヨーロッパ向け輸出税15パーセント、
1566年以後アメリカとの交易について15パーセントと17.5パーセント)を効率よく徴収し、また貴金属の流出を防止しようとした。

 積み荷の検査は、スペインではセビーリャやカディスにおいて、
またアメリカ植民地向においてはその選ばれた3つの港―ベラクルス、現コロンビア北西部のカルタへーナ、またはノンブレ・デ・ディオス―で行われた。
アメリカ植民地から輸入された金銀は査定され、あらゆる商品にアルモハリファスゴ税を賦課された。

 スペイン王室は、1529年になってカスティーリャの10の港にアメリカ植民地と直接、
交易することを許す。ただ、その場合交易船は帰途、積荷を登録するため、セビーリャへの寄港を義務づけられていた。
この制限は、北スペインに帰帆する交易船にとっては不都合であったので死文化してしまい、1573年には廃止される。

 セビーリャはアメリカ交易を独占してきたが、17世紀半ばからグアダルキビル川の遡行が困難となり、まず船荷の積み込み、そ
して1680年からは陸揚げが、カディスで行われるようになる。
その結果、1717年アメリカ交易の独占権はカディスに移転されることとなり、1765年まで続く。
同年から1769年にかけて、アメリカ交易はカディスなど主要港に開放される。

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