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結局、フン人=北匈奴説は本当なのか?

1 :世界@名無史さん:2019/01/04(金) 12:39:02.64 0.net
どうなのよ?

75 :世界@名無史さん:2021/02/21(日) 14:48:39.06 0.net
フンはソグド人と結構通婚してそうだからコーカソイド化もしてるだろ

76 :世界@名無史さん:2021/02/21(日) 16:26:02.69 0.net
フン族=匈奴=テュルク系

77 :世界@名無史さん:2021/02/22(月) 18:44:46.98 0.net
スキタイやゲルマンなど蛮族の女はブスで無愛想でやらせてくれない
南のローマや中国には美人で優しい女がいるぞ!それ一発やりにいくべ!
な〜に仕事はきついが大丈夫だぁ

東北から東京にデカセギに来る感覚

78 :世界@名無史さん:2021/02/23(火) 03:41:35.57 0.net
>>72
匈奴はモンゴル高原が出身かつ主領域で、
たびたび黄河下流域や伸張したときは長江近くまで侵攻して略奪を繰り返し漢民族を恐怖のどん底に突き落とす。

一方、漢民族の猛反撃で撃退された残党は大きく西に移動してガリア(現在のフランス・ベルギー)まで侵略して
同じようにローマ帝国の市民を恐怖のどん底に突き落とす。

ものすごい活発でエネルギッシュな民族だよな!
海外留学すらためらいがちの最近の日本人の若者と比較すると同じモンゴロイドとは思えないわw

79 :世界@名無史さん:2021/02/23(火) 09:00:02.11 0.net
黄河は上流がチベット、黄河中流が北に大きく屈曲して内側にオルドス地方
現在は砂漠だが戦国期は緑が多い土地で匈奴と月氏がすみ、
黄河下流に漢民族がいた。
始皇帝は黄河の内側がほしくてオルドスから匈奴を追い払い皇太子を駐屯させた。

匈奴は始皇帝が死ぬとオルドスを取り戻し、辺境の遊牧民族は楚漢戦争で
傭兵としてかせぎ、南方を略奪した。項羽に一喝され逃げた話もある
始皇帝の虐待がなければ匈奴が中国に移動して傭兵になることもなかった

モンゴルのクビライ敗戦が、元寇の仕返しと称して日本人海賊化をすすめ
日本人の傭兵でオランダは植民地戦争することができた

80 :世界@名無史さん:2021/02/23(火) 09:14:25.57 0.net
チンギスハンの先祖の故郷ははるか東方で、北朝鮮のずっと北で満洲の一部
蒙古部と称されたが、モンゴル高原にでてきて野蛮ながらメルキトをたたき、
同族タタールのケレイト部族を駆逐しながら拡大していった

テムジンは部族が弱体のときは女真の領土境界に潜むことが多く、
モンゴル人と女真とのつながりを伺わせる

世界征服したモンゴル帝国はもっともゆたかなオルドス地方に住むようになり
ここにオルド、幕営がおかれたのでオルドスといわれる

81 :世界@名無史さん:2021/02/23(火) 17:08:36.81 0.net
オドアケルもフン族の下で働いてたっぽいな

82 :世界@名無史さん:2021/02/23(火) 21:49:30.44 0.net
>>81
フン族ってパンノニア(ハンガリーの辺)、イリュリア(ユーゴの辺)にいたんでしょ?
オドアケルもそんなとこにいたってことですか?

83 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 03:36:38.25 0.net
>>68
wiki w

84 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 09:39:12.08 0.net
漢の長安は陝西省にある。もともとは周の鎬京にあたる
鎬京→咸陽→長安→西安

鎬京の西と東にカクがあり、周王の兄弟で公爵
東、西のカクは王畿の左右に位置し、王の卿士となった
陝西省東方に鄭は宣王の兄弟で伯爵
西周は幽王で犬戎に滅ぼされて、黄河に洛陽に東周をたて
それにともなってカクや鄭は黄河に移動した

秦公は名馬の生産を行い、周王に秦邑を賜った
秦の村は甘粛省天水市にあたる

秦公の騎兵が周王を東方に供奉した、あいた関中は秦公に封じられたが
関中は北半分を犬戎に支配されており蛮人の圧力は数百年におよび
義渠王は自由に王宮に入ってきて秦王の妃と交わった
昭襄王の時代に、宣太后が情交で果て寝入った義渠王の首をはねて滅ぼし
義渠の故地に隴西郡・北地郡・上郡を置いた

85 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 09:52:47.93 0.net
義渠王は金髪碧眼のトカラ人と言われて、のちに黒髪の東イラン人とは異なった

始皇帝の墳墓からはイラン系の人骨が多数でており
いわゆる護衛の人形から測ると
秦の将軍は身長190センチ、隊長は185センチあった

さて秦をほろぼすものは胡なりといわれたが
胡人というのはイラン系のことで
二代皇帝が胡亥というのは奇妙な感じはするが亥とは猪の意味で
去疾という貴族も当時いたのでそれほど珍しいことではない
胡を追い払う、病が去るなど、わざと悪い意味で命名する慣例があった
漢代の霍去病もいいる

また胡亥の母親が胡人だったという解釈もできる

86 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 10:14:39.11 0.net
黄河屈曲部のオルドス地方を長く支配したのは月氏である
総勢で月氏20万騎という大勢力だった。匈奴は1万騎である

トカラ系の月氏は甘粛からオルドスにかけて分布していたが
漢代にシルクロードの玄関と言われる敦煌は当時屈指の大都市で月氏が建設した

月氏王は遊牧民王でオルドス西方にいて都市の貢納をうけていた
つまり都市民と遊牧民という2つの顔を持っていたが、よほど古い交易民族で
あるいは匈奴も月氏の育てた現地傭兵隊長だったのかもしれない

匈奴は月氏王をほろぼしたが月氏は匈奴19氏族に入った
羯(けつ)は匈奴の境におかれたため司馬仲達は警戒してる
五胡十六国時代に石勒の統治によって後趙を建てた
羯人は鼻が高かったのでひと目で区別が付き虐殺されたという

月氏はアーリア語をしゃべり、インド征服しクシャン朝をたて
イオニア語を廃してアーリア語を公用語にさだめており
クシャーンのカニシカ大帝が石碑を残しており解読が進んでる

87 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 10:33:13.05 0.net
月氏のげんざいの末裔はタジク人とされていて
アフガン戦争の北部同盟マスード将軍がタジク人

北部同盟ドスタム将軍がウズベク人
タリバンがパシュトーン人

中央ユーラシア最大民族はトルコ系のウズベク人で
「我らの王」という意味で
チンギスハンの長男ジョチ・ウルス
ロシアを支配した金張汗国ウズベクハーンの末裔

ジョチ・ウルスの長バトウはワールシュタットの戦いでドイツ騎士団を破り
蒙古は欧州侵攻に火砲(てつはう)、回回砲(フイフイ砲)を多用した

フス戦争(1419年 - 1434年)ではヨーロッパで初めてハンドキャノンが使用された
初期のヨーロッパ火砲の登場はバトウの侵略を受けた地域と一致してる

88 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 21:00:06.32 0.net
アッティラはモンゴロイド風だったが、冒頓は今のトルコ人のような彫りの深い顔だったらしい!?

89 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 06:46:48.45 0.net
乱暴な言い方をするとモンゴロイドとコーカソイドの混血がチュルク系民族

90 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 21:07:22.85 0.net
>>82
オドアケルの父とされるエデコはアッティラの腹心だった

91 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 21:30:40.47 0.net
漢軍が胡人の大男をだして挑ませたら項羽が出てきて睨みつけた。
項羽は身長8尺2寸もある巨人で、恐怖で胡人は逃げたという
でかいやつがおおいよね

劉邦も大男だったらしく鼻が鋭く立っていた
まぁ項羽も劉邦も教養がなく乱暴で
立派な容姿以外はとりえのないやつだったらしいけど

92 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 23:01:30.58 0.net
西方出身、犬戎系の出自者とかデカそう

93 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 23:38:07.10 0.net
アッティラは頑丈な体格で力に優れていた
ゲルマン人を重臣としていつも食事した。叔父も同席させ一門の調和を取った
武田信玄に似てる、死後は一門衆と重臣のあらそいがおきたのも似てる

94 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 05:55:11.88 0.net
771 BC Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls

匈奴=フンならともかく、犬戎=フンってどうなんよ
このHunって明らかにJung=戎を指してるけど、同定されたも同然なのかね

http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm

95 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 06:41:16.27 0.net
月氏連合の女王が黄河源流を征服しチベットの農民として使役した
牧歌的な犬戎はしばしば族長集会(クリルタイ)をひらいていた
犬戎のなかで義渠王は最大の部族で、アラン族もフンの氏族のひとつとか
書いてあるね。トルコ系の諸民族はすべてフンの名をもつ
チュルク民族がアッティラに従属したのは昔のフンの盟約によるもの?

96 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 02:52:38.59 0.net
>>94
話を脱線させてすまないが、
漢民族(≒中国人)って本当に尊大だと思うわ
周辺の異民族集団を表す呼び名の音に漢字の当て字をする際、
必ず蔑視的要素を盛り込むよな
匈奴もそうだし、その犬戎もそう

我ら日本人のことも古代では倭だもんな

97 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:50:32.11 0.net
匈奴=トルコ(テュルク)説があるからね

98 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:56:27.83 0.net
>>95
エフタル(これもテュルク説あり)は白フンと呼ばれていたからな

インドではフーナ (Hūna),シュヴェータ・フーナ (白いフン)
サーサーン朝ではスペード・フヨーン(白いフン)、ヘテル (Hetel)、ヘプタル (Heptal)
東ローマ帝国ではエフタリテス (Ephtalites)
アラブではハイタール (Haital)
アルメニアではヘプタル (Hephtal),イダル (Idal),テダル (Thedal) と呼ばれる
中国史書では嚈噠(ようたつ、Yàndā),囐噠(ようたつ、Yàndā),挹怛(ゆうたつ、Yìdá),挹闐(ゆうてん、Yìtián)などと表記される
また、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも

99 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 17:50:14.46 0.net
フンは西へ、エフタルは南へと進んだグループ

100 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 12:25:26.20 0.net
フン=匈奴=テュルク系言語(少なくとも中枢の部族は)
であってる?
後のモンゴルもそうだったように
配下や傘下に加わった部族には言語が違う民族もいただろうけど

101 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 13:56:55.90 0.net
アッチラのフンでいえばフン語は死後になってるがトルコ語ブルガール語群
と判明してるのでフン語=トルコ語は確定してる

突厥がモンゴルのさらに北のシベリアから出てきたとき匈奴の末裔だと主張したが
冒頓単于の時代の匈奴語はトルコ語かどうかはわかってない

中国語と違う未知言語であることはわかってる
月氏のクシャン語(アーリア語)に似た響きという資料もある
匈奴は19氏族共同体で独立国のように別の言葉で話した可能性が高い
羯族は元は月氏なので当然アーリア語

なおこの時代は北には丁零という野蛮人がおり、彼らがチュルク語を話した
匈奴が衰えると襲撃したのは丁零だった。

102 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 14:06:44.06 0.net
トルコ語はすごいのはなんといってもユーラシア全域、通じること
良い=イイ
天辺=テッペなどそのまま日本でも通じる単語もあり、
外国人をヤバンジンという

冒頓単于にイイね!といってもおそらく通じる

103 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 14:43:48.17 0.net
トルコではメテハンっていうんじゃなかったっけか、冒頓単于

104 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 17:48:06.91 0.net
ユーラシア全域って、ヨーロッパじゃ通じねえよ

105 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 18:27:12.24 0.net
西ドイツにトルコ人いっぱい

106 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 00:01:33.15 0.net
ツングース語族は膠着語、日本語と同じく「主語―補語―述語 (SOV)」
アルタイ語(消滅したとされる源チュルク語)、モンゴル語も同じ

契丹は東湖の後裔とし匈奴に追い払われ北魏に敗れて
ツングースとモンゴルの国境付近にひそみ、その位置から契丹人は
中国語とモンゴル語・ツングース語の3ヶ国語バイリンガルを特技とした
交易で力をたくわえて、キタイ天皇は渤海をやぶり遼を建国した

キタイ語はモンゴル語に近いが3ヶ国語バイリンガルからすれば
なぜモンゴル語とツングース語と中国語に分かれるのかわからんよね

107 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 00:02:56.84 0.net
>>101
突厥はまさにチュルクの漢音の当て字ですよ
トルコ系民族なのは明白
ただその容貌が現在のトルコ共和国に住む白人化したトルコ人とは大きく異なると思う
おそらく我々日本人と変わらない黄色人種の顔

108 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 00:37:28.92 0.net
初期の突厥族長は伝承によれば赤い大きな顔で青い目だった
文書や遺伝調査によると古代のエニセイ川にいた突厥は白人風で
南下移動するうちに混交して黒髪の東イラン人のようになったと言う

イシク湖(現在のキルギス)に存在した鳥孫国は金髪で目の青い人が多く、
黒髪もいたが匈奴に降伏した李陵将軍の子孫を自称した
なお鳥孫はロシア国のように男は短命だった

匈奴の墳墓からハプロR1(ロシアに多い)とC(モンゴルに多い)の骨がでる
モンゴルとロシア人がまぜこぜ、よく考えたら現在と変わらん。そんな国では?

109 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 10:17:04.38 0.net
秦代に匈奴はオルドスの黄河が北上する流域にいて
月氏が甘粛のエチナ川流域にいて烏孫も敦煌にいた
ちょうど中世の西夏の領土にすっぽり収まる範囲にいたようだ
おそらく匈奴も月氏も烏孫も半農半牧民で定住化に向かっていたけど
始皇帝が匈奴をオルドスから追い出したので再び遊牧民化したようだ

110 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 14:57:41.12 0.net
アケメネス朝ペルシアは黒海をはさんで北岸の遊牧民スキタイの圧迫を受けていた
スキタイはプロトスラブ、つまりスラブ人といわれる
もとはアジアからきたとヘロトドスは書き、マッサゲタイに追われて
黒海に流れてきた。キンメリア人をほろぼし、中東方面にも荒れ狂ったので
イスラエル人ににくまれた。聖書ではスキタイと言えば野蛮人の最たるもので
ペルシア人と同族であるが、遊牧イラン人、つまりイラン人とロシア人は同族であり
東欧スラブとイランにパプロR1bが多いので疑う余地はない
スキタイの西にサルマタエ人がおり、さらに西はゲルマン人となる

ソ連の独裁者スターリンは、ジョージア人だが、祖父はオセット人だったという
すなわち、血筋で言えばアラン人であった
アラン族は、もとはマッサゲタイといい、女王に治められた
マッサゲタイ女王トミュリスは、キュロスの首を落としたとして歴史上名高い

111 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 15:03:30.84 0.net
スキタイが王侯スキタイ、農耕スキタイなど半分農耕の文明人とすれば、
アランは完全なヤバンジンである。
容姿は金髪ながらフン族と同じ遊牧生活をおくっていた。とある

マッサゲタイが、ある時点からアランに改名したのはアーリア兄弟同盟
という意味合いであり
・遊牧イラン人の東方にすみ、女王に治められた、アーリア語をしゃべる民族
という事ですでに気が付かれたかもしれないがふるくから
マッサゲタイは月氏ではないかという説もある

112 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 16:08:01.17 0.net
マッサゲタイとかサルマタイはギリシャ語の呼び名で
元からアランが自称だったようだ
サルマタイは古くはサウロマタイとギリシャ人に呼ばれたけど
これは彼らが全身を鱗状の甲冑で覆われていたので
トカゲ=サウルスのようなのでトカゲ人間=サウロマタイと
ギリシャ人が名付けたからだ
サルマタイの部族として有名なロクソラン族は
ロクソ・アラン族で「光のアラン族」という意味らしい

113 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 16:30:17.83 0.net
スキタイは金属のプレートを叩き出して顔に合わせた
鉄仮面をつけることが多かったようだ
弓で顔を狙われるから合理的な鎧なのだけど

114 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 17:11:39.07 0.net
>>112
月氏がサルマタエでポーランドや東ドイツ周辺までいたとなれば
ほぼ地球規模なので大月氏がいまのバクトリアで満足
匈奴など興味ないと使者を叩き出したのも理解できる
野蛮人への恐れもあったろうが交易の利からすると一番うまい土地だ

115 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 17:23:29.38 0.net
エフタルを白フンと呼ぶのは何が白いから?

116 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 17:47:00.74 0.net
エフタル人は東方向から来てバクトリアを支配
中国史書では「エフタルは大月氏の同種、トカラ人と同じ」とある
フンとは異なるらしい

Alchonフン族
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Alchon_Khingila_portrait.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Afrasiab%2C_elongated_skull_600-800_CE%2C_Afrasiab_Museum.jpg
エフタルの一部と見られていたが
まったく別民族で非常に残忍、銀貨による支配をした

117 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 18:26:39.63 0.net
アレクサンドロスのバクトリア征服、グレコバクトリア王国

月氏によるバクトリア征服

エフタルの侵入によるバクトリア征服

アルコン・フン族のフーナ王ミヒラクラは
インドでフーナ(フン)戦争をひきおこし残酷で野蛮でした
彼は仏教に興味を示したが仏僧の侮辱を受けたため仏教弾圧者となった
仏教寺院を破壊し、僧侶を殺害した

「ミヒラクラ」という名前は、イランに由来する「ミスラの生まれ」だといわれる、
フンは剽悍な騎兵をもってグプタ朝を攻撃した

この撃退には成功したもののグプタ朝は決定的に衰えエフタルの
たびかさなる侵攻によって滅亡した。

118 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 23:37:15.47 0.net
ミヒラクラはエフタル王の配下の諸王の一人だな
小月氏国の王とされている

119 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 23:59:24.39 0.net
月氏は高い帽子かぶっていたのが発掘物から判明してる
タジク人にも引き継がれてるが王族は頭骨も尖らせていたのね
幼児のころから長い兜をかぶっていたのかな

120 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 00:00:06.23 0.net
>>114
中国史書では昭武九姓のソグド人が月氏の末裔だとされる
月氏はサカ族と同盟して匈奴と戦わずに
サカ族を追い払いサカ族の地を奪ったから
月氏とサカ族は仲間ではなかったようだ
サカ族とかスキタイ系民族は遺体を保存してクルガンに埋葬するけど
ソグド人とかゾロアスター教徒は遺体を風葬や鳥葬にして遺骨を骨壺に納める
イラン系民族どうしでもかなり宗教や風習が異なるようだ

121 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 00:20:42.33 0.net
西遊記で孫悟空が頭に嵌めてる金色の輪っか、呪文を唱えると頭が締め付けられる
あれを子供にずっとつけてるとエイリアンみたいな頭になりそう・・・

122 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 22:11:40.91 0.net
殷は羌をつかまえて生贄にささげた
いけにえで殺された羌の遺体は1万4千ほど発見されてるが
羌はとても古い民族で羊と人をあわせた文字だという。羊人ともいう
周の西伯は殷に捕らえられて奴隷にされ、息子は食われたという

殷は羌をとらえ殺したのと同じでこれは異民族の扱いだ。
周邑は陝西を根拠地にしており、犬戎の親玉のようなものだ
西伯とは、蛮族の酋長ていどの扱いだったのだろう

伝説によると羌族は「天上の炎の皇帝」である、炎帝とその部族は黄帝に敗れた
アーリア人の古い宗教、拝火教を思わせる。、西域ソグドは拝火教を信仰した
秦が水徳であり黒の軍隊、これをやぶった漢は火徳で赤の軍だ

123 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 01:50:29.19 0.net
日本では平均知能指数が108で、東アジアがIQ105から110前後、
白人がIQ98程、これが普通なのかと思えば
世界の平均は80なのだ
平均が80ということは、当然ながら知能指数70〜60の国も多い

日本でも15%ぐらいの人は知能指数75ほどでこれを知恵遅れとしてしまうと
政治上まずいので全部人並みということにしてる
それではアフリカ諸国の平均IQ60はなんなのかといいたくなるが・・
日本の例でいうと、12歳以下の知能とかに該当する

これはアフリカ諸国の社会がめんどうで複雑な考えは必要としないので
暮らしやすい、と言える。またアメリカはここ最近で平均IQが10あがった
固定されてるのではなく、社会の移動や変動すれば高まっていく

しかしアフリカ並の生活をしてるモンゴルはIQ100とドイツよりも知能指数が高い
東アジアの遊牧民は意外に複雑な社会なのかもしれない

IQが高いから良いといえばそんなことはなく、むしろ暮らしにくい嫌な国らしい
悪いやつばかり多い日本や中国や韓国見りゃわかるだろう
モンゴルもビール瓶で殴るぐらい礼儀作法が厳しい

124 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 05:28:18.67 0.net
いい加減フン族に関係無い長文は止めろ

125 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 13:26:04.76 0.net
イン土人=白人 なので移動中に混血していったんじゃね

126 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 13:27:24.80 0.net
行火忘れた >>125>>115

127 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 14:59:28.18 0.net
黒が支配者で白が臣下なんだっけ?
だいぶあとになるが白羊朝とか黒羊朝がそんな関係だったような

128 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 17:46:46.59 0.net
黒フンはないだろ

129 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 18:04:37.97 0.net
匈奴の先祖とされる白狄・赤狄、白い服と赤い服着てる部族で
白い方はやや文明的で漢族に混ざっていった。南匈奴と似た関係

130 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 13:19:24.80 0.net
>>94
戎をrongではなくjungと発音すると、そこはかとなくhunに似てるんかな

131 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 13:37:46.81 0.net
フン語の語彙と匈奴語の語彙を比べて少しでも共通するのがあればいいんだが

132 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 21:48:09.24 0.net
匈奴の怒りを買った漢人がバイカル湖に流された記録もある。湖の周辺にブリヤート人が居住している
バイカル湖の付近に匈奴の農場が発見されてるが、この時代には丁零という野蛮人の土地で
匈奴の前進基地で護衛の兵も住んでいた。
漢と友好的な時代は長城の城壁も壊れており、単于などは南のあたたかい代の国のあたりに住んで
いたので1000キロほど北に農場があることになる?

匈奴の先祖が丁零からでた?のかどうかはしらないけど、二代目の老上単于はかなり文明化していた
蛮族はたぶん奴隷のような扱いで、老上単于が死ぬと鳥孫族の昆莫も手切れしてる

133 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 23:12:45.22 0.net
>>1
フン族も匈奴と何らかのつながりはあっただろうけど、
アッチラの頃にはかなり白人様が混じっていたのでないの?
昔は今ほど白人だのイエローだのと言っていなかったようなところがあるしな。
バイキングの墓を掘り起こしたら、アジア系の人の人骨が出たこともあったし。
トルコだって、隋唐の時代だと朝青竜顔をしていたと思うのだが、
ビザンツを征服するころには白人顔になっていたしな。

134 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 00:36:40.24 0.net
現在の目で見ればハーフ程の外観だったかもね。ロシア内のチュルク民族をテレビで見てて
耳が尖ってる人がいた、悪魔のように見えるかも。
劉備玄徳も耳がデカかったようだから大陸ではふつうかな

135 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 02:06:16.28 0.net
>>132
> 丁零
チュルクの音に漢字をあてたらしいから
この民族もチュルク系だね

ところで、上の方のレスで、古代の黄河上流域に住んで漢族と争っていた
民族(チュルク系)を金髪碧眼の白人のように述べている人がいるが
大いに疑問が残る。
やはり、古代に中国大陸にいたチュルク系は黄色人種でしょ

もし白人なら、現在のモンゴルや中国には黄色人種と白色人種のハーフのような顔立ちの人が
全く見られないのは説明がつかない。
もちろん新疆ウイグル地区に行けば、現在のウイグル族はハーフの顔立ちだ
しかし、現在のモンゴル共和国、中国の華北、華中、華南は黄色人種の典型みたいな顔じゃないか

136 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 03:22:27.56 0.net
現在のモンゴルにも赤い髪で青い目の子はいるし、モンゴルからハプロR1bの人骨もでてる
ハプロR1bは東欧ロシアに多い遺伝子だが中国や日本ではハプログループO系が多い

世界最古のハプロR系の骨はシベリアからでてるが
ANE「古代北ユーラシア人」といわれヨーロッパ人の祖先集団

24,000年前のマルタの近くで遺体が見つかったシベリアの少年は、略してMA-1
かれはヨーロッパの原始的な牧畜民ヤムナ文化の祖先であると言われる
墓所にはクルガンが築かれて埋葬される
ヤムナ文化こそインド・ヨーロッパ語族の初期の中核であると認められる

137 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 03:29:28.09 0.net
バイカル湖周辺は日本人など北モンゴロイドの祖先もすんでいた、なぜ極北シベリアに
白人やらモンゴロイドの祖先が多くすみつき、世界中に拡散したかと言えば、
太古はシベリア超巨大湖があって水を求めて多くの牧畜集団が寄り集まったと考えられる

138 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 05:26:19.62 0.net
>>133
人種と民族(語族)は関係ないよ
民族(語族)とは同じ言語を話す者の集団だから人種的にモンゴロイドの集団にコーカソイドが混じっていてもおかしくない
元々中央アジアにいたモンゴロイドの集団が西進するにつれコーカソイドをも包含するに至ったというのがトルコ族、モンゴル族といった遊牧民族の特徴だと聞いたことがある
よく例に出されるのは現在中国国内にいる新疆ウイグル自治区にいる回族と小アジアにいるトルコ人
両者は民族的には同じではあるが前者は人種的にはモンゴロイド、後者はコーカソイドに属す

139 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 11:58:07.26 0.net
史書を見ると中国西域では金髪碧眼の吐火羅人が見られ、すぐ隣のオルドスでも
匈奴の支配層はグリーンの目で鼻が尖った顔立ちなど白人要素があるが
時代が下るにつれてだんだん黒髪のイラン風に入れ替わる、これは
東アジアのモンゴロイドの人口が多く移入圧力がひじょうに大きかったせいで
唐代にはベルトを締めてズボンを履き椅子に座る、胡人ふうな生活に変わる
現中国では隋唐でないと親しみが沸かないという。ちょうどそのころに自分の先祖が活躍する

140 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 12:41:00.95 0.net
キルギスの大統領アカエフは大阪知事ノックにそっくりだと話題になったが
アカエフの母はカザフ人
ロシア国のネオナチは、モスクワから野蛮人(カザフ)を追い出そうと活動してる。
オリンピック選手を見るカザフ人は限り日本のイケメン兄ちゃんぽい親しみやすい顔が多い

141 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 12:42:17.46 0.net
まちがい
オリンピック選手を見る限りカザフ人は日本のイケメン兄ちゃんぽい親しみやすい顔が多い

142 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 13:05:38.81 0.net
狩猟採集生活の北ユーラシア人は子供ができにくいほうが食糧事情に合うが
スイスで見つかったアイスマン遺体は不妊だったという。匈奴や突厥は
繁殖力の高い新型モンゴロイドに混淆して血が薄まった
日本の古い祖先は縄文人だが、かれらは白人と黄色人種が別れる以前の
古いタイプのモンゴロイドとされる。現在日本人は新モンゴロイドの要素が強い

143 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 00:03:44.62 0.net
犬戎はチベット系じゃないのか?
寧ろ、鬼方のほうが匈奴の源流に近い気が駿河

144 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 00:47:24.14 0.net
古代ギリシャ人は濃い肌色で、白人と黒人の中間であるとじまんしていた
都市ローマに埋葬された遺体の分析で父方R1a母方Hが多く、これが古代ローマ人と見られ
地元民の違いは、草原遊牧民の混血でヤムナ文化の担い手、シベリアからきた民族がまざっていた
現在の北イタリア人に似てるという

ローマ帝国全盛期の埋葬された遺体ではギリシアやシリア人の血が濃く民族的に遺伝置換していた
これは人口の多い帝国東部から流入したと見られ
ローマ帝国では小アジアの美少年が最も美しい奴隷とされ貴族に珍重された
ところがまた北方蛮族の流入で遺伝子は断ち切られており結果的にまたR1aに遺伝置換してる

テュルク民族のもとになった原チュルク人は、推測上ではハプロCかDであるようだが
R1aなどにに置換してしまい、また北方蛮族の流入で現在のモンゴルはハプロCにもどる

145 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 00:50:08.90 0.net
>>143
犬戎はチベットとサカが入り混じっていたんじゃないかな

146 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 17:18:24.88 0.net
フンの人骨と匈奴の人骨の遺伝子比較はできんの?

147 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 17:27:15.44 0.net
どのみち混成集団なのは間違いないから単純に匈奴の墓とフン族の墓の骨を比べてもね
もし遺伝的にぜんぜん違う結果だったとしても民族・文化・政治的には後継であっておかしくないし

148 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 18:25:37.44 0.net
繋がりが見つかるかも知れんじゃん

149 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 18:26:29.43 0.net
5世紀フン族墓地からの3人の男性の遺体を調査しました。父方のハプログループQ1a2、
R1b1a1b1a1a1、およびR1a1a1b2a2を持っていることがわかりました。R1aとR1bは印欧族
ヨーロッパでは、Q1a2はまれで,研究されたすべてのフン族の男性は、茶色の目と茶色の髪をしており、
東アジアの祖先が混在している

ハプロQはシベリアのエニセイ川にすむケット人に93%の頻度で観察されますが日本では1%以下です
また、周時代の中国からも高頻度でハプログループQが上古中国の担い手であった
ハザーラ、ユダヤ人にもみられる

150 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 18:38:20.90 0.net
ハプロQはベトナムに7%、モンゴルに5%。現世中国人にほぼゼロ、もし周人とすれば
征服民の遺伝子の上書き完全だな。やはり中国・・

151 :世界@名無史さん:2021/03/09(火) 23:12:38.99 0.net
>>149
> 5世紀フン族墓地からの3人の男性の遺体を調査しました。父方のハプログループQ1a2、
> R1b1a1b1a1a1、およびR1a1a1b2a2を持っていることがわかりました。R1aとR1bは印欧族
> ヨーロッパでは、Q1a2はまれで,研究されたすべてのフン族の男性は、茶色の目と茶色の髪をしており、
> 東アジアの祖先が混在している

その印欧族はフン族に従ったゲルマン人の遺体じゃないの?
やはりフン族の原型は紀元前1000年ごろのモンゴル高原北部のモンゴロイドだと思う
つまり匈奴

152 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 02:44:29.30 0.net
ローマの作家プリスクスは、アッティラについて次の目撃者の説明をしている。
「身長が低く、胸が広く、頭が大きい。目は小さく、あごひげは薄く、灰色がちりばめられている。
鼻は平らで、日焼けしている皮膚は、彼の起源を示しています」

フンの語源は不明です。テュルク語の「おそらく「人」を意味する」、qun(力)、およびhun(凶暴
これらのトルコ語の語源をすべて「単なる推測」として却下する意見もある

ロバート・ウェルナーは、中国人が犬を匈奴のトーテム動物であると呼んだという事実に基づいて、
トカラ語の ku(犬)からの語源を示唆している。彼はsakaは犬を意味することに注意をうながした

153 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 03:03:57.15 0.net
2006年で米国で発表されたモンゴル北部のエグインゴルにある匈奴墓地遺跡で紀元前3世紀から
西暦2世紀の間に埋葬された62人の遺体が調査されました
現代のモンゴル人との繋がりが示されたとする(現モンゴルはチンギス・カンのハプロC2bが多い)
また当然ながらモンゴル国領内であればモンゴル人の意向も影響する?

新疆ウイグル自治区にある墓地からのサンプルのY-DNAを分析しました
発掘された12人の男性のY-DNAは、ハプログループQ1aまたはQ1bのいずれかに属していました。
しかし新疆ウイグル自治区に匈奴が住んでいたかということは別にして
中国政府の意向もあると思われることに注意

2010年米国で発表された結果では西暦0年頃にモンゴル北東部のDuurligNarsにあるエリート匈奴墓地
に埋葬された3人の個人が分析されました。
1人の男性は父方のハプログループC3と母方のハプログループD4を持っていました。
女性は、母体のハプログループD4を持っていた。これは日本人にも多い母系であるが
3番目の個体である男性は、父方のハプログループR1a1と母方のハプログループU2e1を持っていました。
C3とD4はどちらも北東アジアで一般的であり、R1a1はヨーロッパで一般的であり、U2e1は西の系統です

モンゴルのタミール・ウラン・コシュウ墓地から発掘された52人の遺体を調べた、2020年7月最新の
遺伝子研究は、スキタイ人とシベリア人の混合として匈奴を提案してる

154 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 03:23:18.65 0.net
母方のハプログループU2は
ヨーロッパでU2eとして低頻度で見られます(U2のヨーロッパの品種はU2eと呼ばれます)
モンゴル族とチュルク族の子孫にU2はみられる
U2とU4はどちらも、エニセイ川流域の先住民であるケット人に見られます

最古の母方U2は、ロシアのヴォロネジ州コステンキから3万年前の狩猟採集民の遺体で発見されました
ドイツ、クロムスドルフ、4,000年前のビーカー文化の遺体からも発見されました
2000年前の南デンマークの墓地および、匈奴北東モンゴルの墓地
ただし、ハプログループU2は、現在のスカンジナビアではまれですが・・

母系U4は古代DNAでおおく発見され現代の集団ではまれです、北アジアと北ヨーロッパの特定の
先住民集団でかなりの割合で発見され、古代ヨーロッパの狩猟の残骸と関連しています
ヨーロッパで発見され、スカンジナビアとバルト三国で最も集中している。
スカンジナビア先住民サーメ人、エニセイ川の先住民ケット人にもみられる

155 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 03:52:38.17 0.net
古代ペルシア語のサカは旅人、放浪者を意味するとイランの学者は考えてる

156 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 04:54:59.01 0.net
冒頓単于のころの匈奴はオルドス地方で、内蒙古に属する、オルドスと甘粛・陝西には月氏がいた
新疆ウイグル地区はあまりにもとおく隔たってるし、冒頓単于や老上がいたとは考えにくい

ウランバートル北の500キロの匈奴の墳墓を韓国の遠征隊が調べた?というのも

匈奴の調査に熱心なのはロシアやモンゴルや韓国、あるいは欧米なので、非常にこまったことに
周辺しか遺伝調査できない
また匈奴や秦の祖先が白人系であるとの欧米調査に中国当局が何度も抗議してる
かんじんの内蒙古オルドス地方の調査がなされないのは匈奴について中国当局が調べたくない
あるいは不都合な結果が出てる(R1aが多いなど)とも考えられる

157 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 17:57:02.22 0.net
匈奴は普通に楼蘭辺りまで勢力圏に入れてたが

158 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 19:48:16.66 0.net
フン族の墳墓からもC2がでてる。
ハプログループC2b1a1bが東胡の重要な血統であり、柔然は鮮卑と東胡の子孫
アヴァール人の遺伝子はハプログループC2b、鮮卑もハプログループC2b
またモンゴルではほとんどがC2b(ジンギスカンモーダル)に属している

159 :世界@名無史さん:2021/03/10(水) 22:55:05.88 0.net
フン族はアッティラ帝国崩壊後もローマ帝国に雇われたりしてるから
イタリアあたりにも子孫がいそう

160 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 00:12:32.68 0.net
だから、フン族のアッティラ帝は朝青龍のような容姿だったんだよ
現代ヨーロッパ人がフン族白人説を唱えたい気持ちはわかるが
モンゴロイドの種族に征服されたんだよ

しかも、その1000年後には再び東アジアから大帝国が再び攻めてきた
それも人種がモンゴロイドだ
大モンゴル帝国大騎馬軍団だ

161 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 06:46:01.21 0.net
ヨルダネスは、フン族は身長が低く、日焼けした肌と丸くて形のない頭を持っていたと強調した
ローマ帝国はフン族の驚異を宣伝したが
多くの学者の意見は「東アジア人の異国風の容貌に魅せられただけ」と考えています

メンヒェン・ヘルフェンは、フン族は、現在のツングースやヤクートほどにはアジア人に見えた
可能性は低い、と主張している
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Sakha_family.jpg
考古学は、彼らが東アジアの特徴を持つ一部を含む人種混合グループであったことを示唆
発掘調査に携わる学者は、フン族に「モンゴロイド」の特徴がまったく証明できなかった、とし
いわゆる「白人」の外見でまちがないと主張した、他の学者は、「モンゴロイド」の特徴は
貴族のメンバーに見られると主張している。
また、アッティラ個人は東アジアの特徴を持っていたようだと述べています

あくまで西側先進国の考古学分析ね。中国韓国などは知らない

162 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 11:21:46.69 0.net
フン族が歴史に現れたのは370年頃にゴートを滅ぼして西に追いやったあたりで
鮮卑慕容部の前燕がさかん。慕容部は東北中国、北京あたりで遊牧していた
墓地に埋葬された遺体調査によると慕容の母方ハプロは、
フン族や拓跋氏とは著しく異なっており、シベリアよりも日本に近かった
慕容部の者は皮膚が白かったので、晋の貴族より好まれ、
多数の者が慕容部の女を買って妾としたという。

フン族も敵国に女の集団おくり、機をうかがい、ゴート王が年老いて病気など
事前に大量の情報収集してから侵略の兵を挙げた

163 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 15:52:59.63 0.net
アヴァールは純モンゴル系かな?

164 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 17:30:02.64 0.net
>>160
冒頓単于は、イルハンマンスズみたいな容姿だったって説もあるがな

165 :世界@名無史さん:2021/03/11(木) 20:03:24.61 0.net
匈奴は長身白皙で緑の目で髪は黄色く鼻が高く目は落ちくぼみヒゲが長かった
アラン族や堅昆・鳥孫も生活は匈奴だが金髪碧眼人種だと記述がある

モンゴルの北のトウバ共和国は、清代のウリャンハイだった
トウバ人はニコライ皇帝に請願してロシアの一部になった
エニセイ川源流で8千も川があり豊かな地なのでロシア人もぜひ欲しかった

この地は古来より匈奴や突厥やウイグルキルギスを輩出した
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Doshpuluur_player%2C_Paris_2010.jpg
アジア人だが目が蒼い

166 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 10:09:08.02 0.net
>>145
大昔の中国人なんか鬼方も犬戎も厳允(これもフンと関係ある?)などごっちゃにしていたんじゃない?
どっちかというと北にいた蛮族が狄、西にいた蛮族が戎って感じで

167 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 13:42:25.27 0.net
金髪なんてシベリアとかカザフにいるのか?

168 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 19:01:17.03 0.net
>>165
目つぶってるだけで目青くねーじゃねーか
老眼もいい加減にしろ!

169 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 19:20:20.97 0.net
>>165
緑はないと思うな、遺伝子が違う
青は未だにモンゴル人にも多いし、ネネツなどの周辺民族の繋がりがあればそれは容易に獲得できる

ネネツと交雑していたのだろう

170 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 20:56:02.74 0.net
スキタイの先祖は東アジアからきたとヘロドトスが書き(スキタイの東方起源説)
ソ連学会はスキタイはヨーロッパにいたのだと否定していたが発掘品で
時代が下るにつれ、西へ移動してるとかわかり学説ひっくりかえった

トゥヴァ共和国でアルジャン遺跡が発掘された。つまり2700年前は
モンゴルの真北に住んでいた
それから数百年後アルタイ山脈のパジリク古墳群にサカと思われる民族
男性は170cm以上、髪は直毛ではなくやわらかで栗色やブロンドで白人タイプ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG
バイカル湖南ノインウラ遺跡の匈奴(前漢末出土品)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Noin-Ula_nobleman_portrait.jpg

171 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 21:18:46.40 0.net
実はイラン語派の領域としては北東の端っこも端っこから出ていたということか、スキタイは
もっと東だとトカラ語派やテュルクになるだろうし

172 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 22:02:40.44 0.net
5千年前のアイスマンはハプログループG2a
紀元前5000年〜紀元前3000年のヨーロッパの人骨の多くはハプログループG2a
で巨石文化の担い手と考えられる
そのあと現在の白人R1aやR1bが中央ユーラシアからきて遺伝子上書きした。
侵略民族とわかっていたがシベリアから来たとなると「えっ」となる

戦前ヒトラーの想定したアーリア人はせいぜいインド・イランまでの想像力だし

173 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 22:41:12.19 0.net
縄文人はシベリア南部の集団に由来するとする研究もある
日本人は主にY染色体ハプログループD1a2aの縄文系を起源とするが
アイヌ人の88%に見られることからかつての縄文人(旧石器時代シベリア人)

日本列島で発見されてるC1a1もシベリア人由来
ハプロC1a1近縁は、現代ヨーロッパ人、アルメニア人から検出されており
ヨーロッパ最古の集団(クロマニョン人)にもそのハプログループに属す
いわゆるクロマニョン遺伝子だが
欧米の学者はハプロCが縄文系で日本人の1割がクロマニョン系に属すると書いてる
ハプログループC1b2はいわゆる東胡・鮮卑柔然フン系で現在モンゴルに多い

コステンキ-14、ソ連時代に発見されたロシア、ヴォロネジ市の3万4千年前のC1b2男性
ゲラシモフによる頭蓋骨の復顔
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Skull_reconstruction_in_Kosnenky_2.jpg

つまり3万年前はおまいらの先祖がロシア人だったという。。

174 :世界@名無史さん:2021/03/12(金) 22:57:42.44 0.net
おっとC1bは中国陝西や中央アジアに少し見られる程度
C2bが東胡モンゴルの重要血統
匈奴や犬戎にC1bがいた可能性はあるけど

175 :世界@名無史さん:2021/03/14(日) 23:26:17.56 0.net
日本人の瞳をよく観察すると黒目じゃなくこげ茶色が多い
俺もその一人
俺の身体的特徴は縄文人と一致するから
縄文人の瞳の色は茶色だな

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