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☆◎★世界史板統一雑談スレ65★◎★

1 :世界@名無史さん:2019/04/13(土) 19:14:01.77 0.net
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1542166699/

151 :山野野衾 :2019/05/02(木) 21:29:24.39 0.net
>>130
三種の神器が注目されるようになるのは、天皇自身の神性が低下した平安後期になってからです。
確かに記紀神話に登場するのですが、『日本書紀』には各地の首長も十拳剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉
を祭具として所有していたとされ、天皇家所有のそれも同類であった様です。
信仰が変わり、祭祀のやり方が変われば、古くてから在る物以上の意味を持たない。

平安中期には何度か火事で宮中の鏡が焼けていますが、公家はそこまで衝撃を受けておりません。
宮中の剣が壇ノ浦に沈んで衝撃を与えたのは、当時は天皇自身の権威が衰えていたからです。
(なお、宮中の剣・鏡を三種の神器と同一視するのは後から生じた説です)
天皇自身が絶対的な存在でなくなったから、「三種の神器」が必要になったわけですね。
最初から後世のような物として存在したわけではありません。

152 :山野野衾 :2019/05/02(木) 21:35:46.11 0.net
余談ですが、皇太子の所有すべきものとされた壺切の太刀も平安時代に焼けています。
これは平安後期には漢の張良の剣であるとする説が生じていました。
実際は藤原長良の剣の誤伝であったといいますが、張良の剣に拒否感のない感覚が面白いですね。
熊野権現の正体を周の霊王の王子とする説が生じた時代でもありました。
大嘗祭の標山には、西王母や麒麟があしらわれています。

これらの中古以降の歴史を否定して上代への回帰を志したのが近代ですが、上代のおおらかさに比
べて、中世のおおらかさは現代日本の「保守派」に否定されがちで残念です。
ベストセラーになった『国民の歴史』で中世が扱われていなかったのは、典型でしょう。

改元時に「国書」出典に拘ったのが「保守派」であるというなら、現代の保守派は戦前の保守派に比べ
ても頑な、あるいは単に教養がないのでしょう。
鹿鳴館が外国人に媚びたと批判された話は有名ですが、鹿鳴の出典が『詩経』であることへの批判が
出たという話は聞いておりません。
靖国神社には遊就館がありますが、出典が『荀子』であっても差し支えはなかったものです。

自国の歴史・文化に関する学が無いのに愛国心ばかり肥大化するのもどうかと思いますよ。
今日の産経新聞は、読んでもいない『竹取物語』を「引用」して間違っていました。

153 :山野野衾 :2019/05/02(木) 21:48:27.60 0.net
間違っていたのは「不老不死の薬を焼いたから富士山」という説明。
よく誤解されるのですが、焼くために多くの士が登ったから富士山です。
そんな馬鹿なと思われるでしょうし、実際こじつけでしょうが、実は此れは大事な箇所です。

作り物語の初期の作品である『竹取物語』ですが、これ以降の作り物語は単なる創作物では
なく実録であるという体裁を取り続けました。
『竹取物語』には複数の語源説が出て来ますが、これは単にお話を面白くするためではなく、
語られている内容が「過去の事実である」とするために必要であったものです。

要するに、作り物語が自身の存在意義を語る上で必要とされた要素なのです。
自国の文学に関心があれば、当然知っておかなくてはならないものです。
愛国心を鼓舞する人間が、よく知っているかと言えばそうではない。
むしろそうでない事例ばかりが目につきます。

桜井よし子さんも聖徳太子が中華帝国からの独立を志向したと書いてらっしゃいましたが、
煬帝を怒らせた国書の件なら、たまたま『隋書』に記載されただけの失敗譚ですからね。
『隋書』を参照して成立した『日本書紀』は国書の内容について触れておりません。
倭王武と懐良親王の国書は名文により、聖徳太子の時代の国書は失態により、特にその
内容が中国の正史に記録されたものです。

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