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隋唐帝国 二

1 :世界@名無史さん:2021/04/09(金) 15:56:17.00 0.net
前スレ

隋唐帝国
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1614635693/

2 :世界@名無史さん:2021/04/09(金) 15:58:30.51 0.net
関連スレ

秦漢帝国 三
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1593904535/

明清帝国 四
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1617060539/

3 :世界@名無史さん:2021/04/09(金) 15:58:59.73 0.net
知らんがな

4 :世界@名無史さん:2021/04/09(金) 18:20:07.64 0.net
中世タクバツ王国を語ろう

5 :世界@名無史さん:2021/04/10(土) 10:34:39.51 0.net
前スレは五胡十六国時代の民族大移動の話ですっかり荒れた

まあ予想はしていたが

6 :世界@名無史さん:2021/04/10(土) 10:35:10.55 0.net
今度は、華やかな王朝貴族文化を語ろう

7 :世界@名無史さん:2021/04/10(土) 14:20:07.82 0.net
その華やかな王朝貴族文化に見える鮮卑的なものを探るってのが
ここ十数年くらいの学会の基本的なテーマよな

8 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 10:14:43.69 0.net
唐の中期頃から、土地公有の原則である均田制が崩壊する中で、貴族の大土地所有が広がってきた。
それを荘園と言い、貴族や地方の有力者は、没落した均田農民の土地を併せ、さらに彼らを小作人として耕作させるようになる。
そのような土地公有の原則の崩壊にともない、税制も租庸調制から両税法に転換する(780年)。
また、小作人となった農民は、宋代以降にはひろく佃戸と言うようになる。

9 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 16:12:47.88 0.net
>>7 >>1 
関連スレ>>2
鮮卑族について語るスレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1392121714/

10 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 16:26:32.39 0.net
>>8
日本史では、「奈良時代の均田制がだんだん崩れ、平安時代には貴族の荘園が広がって半独立国になりました」
というのが最重要テーマとされ、小学校6年生でもみんな知っている

これは唐朝でも同じような経緯をたどったのに、中国史ではあんまり語られないストーリーなんだよなあ

やっぱり、日本史ではこれが院政とか武士の世へとつながったから重要ってことなのか

11 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 17:30:53.07 0.net
中唐以後均田制が崩壊すると、宮廷や貴族、武人、地方の豪族などが個人で田畠を財産として私有する風潮が強まり、各地で荘田・荘園が形成されるようになる。

五代には貴族層が没落し、宋初には科挙制度が整備される一方で武人の勢力が抑圧されるようになったために、地方の豪族から官僚が生み出され、その庇護によって当人及び一族の荘園が発展するという構図が描かれるようになった。

荘園を構成する田畠は主に皇帝よりの恩賜地や墾田、質入や買入による購入、寄進、更には暴力を伴う強奪などの手法によって獲得されたものも含まれていた。

12 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 21:07:58.16 0.net
何かもう一回世界史Bからやり直した方が良いと思うわ
北魏から始まった均田制では奴婢どころか牛にすら田地が支給されているのだがこれは一体だれが得をする制度だと思う?
日本の公地公民制と違って中国の均田制は初めから大土地所有者の存在を前提としているの

13 :世界@名無史さん:2021/04/12(月) 21:36:20.13 0.net
北魏の均田制は、支配階級である騎馬民族が、原住民の土人を統制する社会主義体制

14 :世界@名無史さん:2021/04/14(水) 15:51:12.39 0.net
社会主義国は、征服王朝だから実現した

15 :世界@名無史さん:2021/04/14(水) 16:47:08.20 0.net
京城東壁の中門、春明門のあたりに立って見渡すと、西北にあたって遠く三省六部の甍を並べた「皇城」が見え、
その北には最初の「宮城」(皇宮)が殿閣の頂を見せ、
更にその東北にはその後の天子の居であった東内諸宮の屋頭が竜宮のように浮び、
盛唐の頃ならば玄宗が新に営んでその常居となした興慶宮の一角が迫る。

西南には朱雀大路に沿うて薦福寺の小雁塔が民家の間に尖った頂を抜き、
南の方の遙か遠くには慈恩寺の大雁塔が靉靆(あいたい)たる金霞の底に薄紫の影を包む。

このあたりはこの上都長安と東都洛陽・北都太原等とを繋ぐ孔道の都に入ってくる処とて、馬車の往来は殊の外にはげしい。
地方へ赴任の官吏も出てくれば駱駝を率いたキャラヴァンも出てくる。
海東槿域の名産たる鷹を臂(ひじ)に載せて城東の郊野に一日の狩りを楽しむ銀鞍白馬の貴公子も来る。

16 :世界@名無史さん:2021/04/14(水) 16:47:22.67 0.net
胡人の往来も亦稀ではない。春明門のほとりで西域の胡人に会ったという話は、唐の世には珍しい伝えではなかった。
熱沓の区、東市の所在もすぐ近いこととて、たとへ西市に一籌を輸するとしても、流寓の外人はこのあたりにも少なくなかったらう。
所謂タムガチの都クムダンの城(長安城の胡名)に大唐の天子を天河汗と仰いで、商販の利に集い寄る西胡の数はかなり多いものであった。

往来の盛はまた路上ばかりでない。門の南には龍首渠の運河が繞(めぐ)り、江浙の米を運び南海の珍貨を山と積んだジャンクを浮べ、林立する檣(ほばしら)の間に錦帆が風を孕んで、水上の舟楫もまた賑はしいものであった。

<石田幹之助『長安の春』p.4 東洋文庫>

17 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 12:20:19.65 0.net
安史の乱以後の後期の唐は、各地の節度使が半独立国の藩鎮となり、群雄割拠の状況を呈した

とくに有力なのは河朔三鎮(かさくさんちん)と呼ばれる河北省あたりの3つの藩鎮

18 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 12:34:55.74 0.net
安史の乱の後、代宗は安禄山の本拠地だった河北省を分割し、安禄山の旧臣3人を各地の節度使に封じた

これが河朔三鎮の始まりで、その後、河朔三鎮は勝手に世襲したり部下の推挙で就任したり、文武百官を任命して唐朝に上納金を納めなくなったり、次第に地方勢力として独立した

徳宗は制圧策を用いたが、河朔三鎮は逆に黄河以南の河南二鎮と結んで反乱を起こして徳宗を長安から追放するに至った

だが、ここで唐朝に中興の祖が登場する。
「唐の足利義満」こと憲宗が河南二鎮を攻め滅ぼすことに成功すると、これを恐れた三鎮は一時的に唐王朝に帰順した

しかし、憲宗の崩御後には、再び独立して自立を回復した

19 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 12:41:36.02 0.net
779年(大暦14年)に即位した徳宗は、唐の財政再建に尽力し、楊炎の進言に従って両税法を施行し税制面の改革に着手した

節度使を抑制するために兵力削減や世襲禁止などの抜本的な改革を行なおうとしたが節度使の反発を招き、河朔三鎮・河南二鎮反乱により長安を追われてしまった。

このため784年に『罪己詔』を発して、節度使に対する不介入を約束した上で混乱を収束した。
反乱鎮圧後に、国民が乱に巻きこまれたのは自身の間違いのためだとして謝った

20 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 12:46:53.79 0.net
805年に即位した憲宗は、宮廷の内では宦官の勢力に包囲され、外では強力な節度使の藩鎮の脅威にさらされていた

だが、幸運にも名臣たちに恵まれ、河南二鎮を討伐することに成功した。唐朝に反抗的であった河朔三鎮も服従を誓い、衰退した唐は一時的な中興を見た

だが、長男の皇太子が19歳で早世すると、憲宗はその悲しみから仏教や道教に耽溺するようになった。
法門寺の仏舎利を長安に奉迎することを計画し、韓愈の「論仏骨表」による諫言を退け、莫大な国費を費やして供養を行なった。
また丹薬を乱用し宦官を虐待するという精神的異常をきたした。そのため820年に宦官の王守澄や陳弘志らによって43歳で暗殺された

21 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 21:13:48.07 0.net
河北省は安禄山の本拠地でもあり、安史の乱のあともずっと河朔三鎮で唐朝のコントロールが効かない地域だった

五代から北宋にかけては遼の領土だった

北京は「中国」と呼べるかどうか微妙な地

22 :世界@名無史さん:2021/04/17(土) 21:26:55.88 0.net
でも契丹だって中華風国家だったし
中国皇帝として北京を支配してたわけだろ?

23 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 08:33:08.92 0.net
遼が北京を支配したことにより、遊牧民は中国内地を統治する経験を積んだ

それが後の金朝や元朝へとつながった

24 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 10:49:45.01 0.net
「北京・上海・広東省」が明清以降の中国の3本柱

唐代においては、北京はまだ事実上の独立国

広東省はまったくの辺境であり、「中華」もしくは「内地」とはまだ言えない

25 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 12:16:40.61 0.net
いや広東どころか北ベトナムあたりまで完璧に唐の内地だっただろ
阿部仲麻呂が節度使として赴任した安南都護府とか今でいうところのハノイ
2002年の発掘調査では唐代の都護府と見られる城郭都市(タンロン遺跡)が発掘された
ベトナム史上でも最大の規模を誇る城郭で独立後は李朝の都城として転用されたらしい

26 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 12:48:25.74 0.net
>>25
「内地」というのは、「領土」とか「勢力圏」とはちょっと違うんだよなあ

27 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 12:49:26.79 0.net
それはともかく、北ベトナムが独立したのは唐の滅亡後だな

28 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 13:15:04.33 0.net
唐時代には、陸路の絹の道に代わって、海路による東西交易が盛んになったが、その拠点が広州であり、貿易事務・徴税を担当する市舶司が置かれた。

イスラーム教徒であるアラビア商人(ムスリム商人)が多数やってきて取引に従事していた。
アラビア人は中国では大食(タージー)と言われ、蕃坊という外国人居住区に住んだ。

その繁栄は、宋(北宋)に引き継がれたが、南宋では泉州が繁栄して、広州は衰退した。

29 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 13:16:38.36 0.net
唐の前期と後期で、世の中が大きく変わったのはよく知られている

そのひとつが、陸路のシルクロードが衰退して、広州を通じた海路の貿易が主流になったことだ

30 :世界@名無史さん:2021/04/18(日) 13:54:43.95 0.net
>>24
明代に上海なんか無いわ

31 :世界@名無史さん:2021/04/20(火) 09:01:33.18 0.net
>>29
陸路は衰退してない。
隊商交易量は拡大してる。
海路の交易量の増加が著しくて目立つだけだ。

32 :世界@名無史さん:2021/04/20(火) 09:08:49.24 0.net
>>31
相対的衰退ってやつだな

平成の日本と同じだ

33 :世界@名無史さん:2021/04/20(火) 09:26:17.06 0.net
長安が凋落するにつれ、隊商ルートに変化はある。
やがてモンゴルを筆頭とした北方遊牧民族が勃興する土台は隊商ルートにあるんだろう。

34 :世界@名無史さん:2021/04/20(火) 09:32:03.17 0.net
遼や金を通じて陸路の流れが変わった

長安 → 河西回廊ルートから、北京 → モンゴル高原ルートに変わった

35 :世界@名無史さん:2021/04/20(火) 10:30:37.69 0.net
シルクロードのオアシス都市の敦煌は長きにわたって忘れ去られた町。
そこの莫高窟で1900年に一人の道士が清掃中に偶然に大量の文書を発見した。
多くが唐代の文書で、漢語の他にソグド語、ウィグル語、ヘブライ語写本まである。
ところが彼は文字が読めない。
敦煌の地方官に相談したが、地方官はその価値を全く理解できなかった。
噂を聞き付けた英国人たちが道士から文書を安値で買い取り、海外に持ち出していく。
清朝政府が気付いたときはもう手遅れ。
数万点の敦煌文書に基づいて海外で研究が進んだ。
発見者の道士は後で侮蔑の対象とされたけど、
余りにも気の毒すぎ。

36 :世界@名無史さん:2021/04/24(土) 16:22:46.55 0.net
日本最古級 2500年前の「準構造船」船材 弥生前期後半、中津野遺跡から出土
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619247346/
専門家「外洋航海の証拠」

37 :世界@名無史さん:2021/04/26(月) 22:01:04.49 0.net
>>36
船の長さ6Mって相当大きいよね

38 :世界@名無史さん:2021/04/28(水) 19:38:52.85 0.net
今の洛陽市って隋唐時代の面影が無いよね。
京都の元ネタで中華文明のルーツで格式ある地ならば、それに見合う整備をしてほしいと思ってしまった。
現代中国人がコロナのどさくさ紛れて清水寺や祇園周辺の一等地を買い占めている
光景を目の当たりにして、そう感じたよ。

39 :世界@名無史さん:2021/04/28(水) 19:45:52.54 0.net
去年ビリビリ動画で人気だった、唐代舞台の大理寺日誌だって
制作陣が日本の法隆寺や京都歴史博物館でスケッチして
唐代の洛陽の背景としてそれらを落とし込んでいたから
それだけ、現代の中国大陸に古代の遺物がまともに存続してないという証拠になる

まともな唐代の建築って仏光寺や南禅寺だけなんでしょう

40 :世界@名無史さん:2021/04/28(水) 22:38:56.66 0.net
唐代に劉仁軌という武将がいたが、彼は高宗の下命を受けて百済に行くことになって、
「天はこの老人を富貴にするのか」
といって喜んだという
当時、武将は戦いに出ると大きな利権にあずかることができたらしい
莫大な恩賞もさりながら、戦利品の数々は本国に報告しないことも多々あったらしい

41 :世界@名無史さん:2021/04/29(木) 03:10:37.09 0.net
>>37
長江下流から渡って来るんだから
それ位じゃないと沈むべ

42 :世界@名無史さん:2021/04/30(金) 12:35:28.30 0.net
厩戸皇子「対等の外交ニダ」

唐4600万vs倭国500万

43 :世界@名無史さん:2021/04/30(金) 15:43:35.82 0.net
アタマ数が10倍くらいいて、やっと日本に匹敵するのが中国

44 :世界@名無史さん:2021/04/30(金) 16:46:10.73 0.net
>>42
西暦1年から500年の間で人口増加率は日本はかなり高い
西暦1年30万 西暦600年500万

45 :世界@名無史さん:2021/04/30(金) 17:18:23.65 0.net
そんなに増えてたら500年→1600年の1000年間停滞と搾取し過ぎだよね

46 :世界@名無史さん:2021/04/30(金) 22:35:16.31 0.net
>>45
人口は増加してるので低迷はしてない
むしろ順調に発達してる

47 :世界@名無史さん:2021/05/01(土) 10:16:46.53 0.net
唐代では臣下が皇帝に謁見したおり、宰相にかぎり腰かけることが許され、
しかも茶を賜った
漢代以来の「三公は坐して道を論ず」という伝統は衰えたりとはいえ、
なお唐まで受け継がれた
これが宋になると、宰相は皇帝の前に立ったままで、坐ることは許されなかった

48 :世界@名無史さん:2021/05/01(土) 17:55:59.90 0.net
>>47
ほーう

49 :世界@名無史さん:2021/05/03(月) 12:08:10.46 0.net
唐では、宰相がそんなに偉かったんかい?

たしかに、「武則天 -The Empress-」のドラマでは、長孫無忌がなんでも決めてたが

50 :世界@名無史さん:2021/05/04(火) 09:44:31.92 0.net
>>49
丞相というより長孫無忌が権力を持っていた
建国功臣の筆頭で皇后の兄

51 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 14:28:27.74 0.net
唐では、皇帝にあんまり権力がなかった

後期になると、宦官に幽閉されたり、暗殺されたりする皇帝が続出した

52 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 15:08:59.43 0.net
後唐は皇帝と門閥貴族が没落し節度使と形成戸がやりたい放題なんだっけ
地方が独立独歩し始めて財源が細り、兵をまかなえず地下に潜ってた宗教勢力が爆発、王朝崩壊ってまさにこれぞ中国史

53 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 16:06:33.80 0.net
>>51
宋が皇帝独裁制にしたのは唐の反省からやろ

54 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 16:59:42.27 0.net
独裁政治にすると権力が強すぎて政治が腐敗して国が乱れるから分権が良いってのが現代の通説だけど唐宋の時代は違ったの?
何で皇帝独裁が良いってなったんだ?
逆に言えば何で現代の分権政治は唐みたいにぐちゃぐちゃにならずに上手く保ててるの?

55 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 22:01:10.48 0.net
>>55
独裁体制が、中国に合ってるからですな

56 :世界@名無史さん:2021/05/09(日) 22:03:59.68 0.net
>>54
唐は軍権を地方に渡しすぎたから駄目

57 :世界@名無史さん:2021/05/10(月) 06:26:25.33 0.net
唐朝では皇帝の権力が弱すぎて、統一王朝といっても事実上バラバラだった

ついに、唐は崩壊して五代十国の大乱世になった

宋の趙匡胤は、その反省からスタートした

58 :世界@名無史さん:2021/05/10(月) 09:23:43.16 0.net
ローマ帝国も、軍人皇帝時代の後は元首制から専制君主制になったな

59 :世界@名無史さん:2021/05/10(月) 11:31:21.30 0.net
>>51
まるで中近東みたいだな

60 :世界@名無史さん:2021/05/10(月) 16:27:53.76 0.net
草原の民が建てた国だからな

61 :世界@名無史さん:2021/05/11(火) 14:43:52.54 0.net
煬帝による大運河建設によって栄えだしたのが、
長江との交叉点、その北側にある揚州なんだよな
のちにこの付近で塩もつくられるようになった

62 :世界@名無史さん:2021/05/11(火) 21:59:29.65 0.net
両税法ではじめは税収が増えたけど人頭税やめたことで地方が余剰労働力を使い放題になってカネと兵隊の両方を握っちゃった

63 :世界@名無史さん:2021/05/12(水) 01:02:23.91 0.net
>>54
独裁よりも分権集団指導の方が腐敗するのでは?
人数多い分だけ濁るぞ

64 :世界@名無史さん:2021/05/14(金) 09:34:31.54 0.net
中国メディア 日本や英国と違って「中国に王室が存在しない理由」
http://news.searchina.net/id/1695708?page=1
欧州には王室が残る国が多くあり、日本にも皇室が存在するが中国には存在しない

1つが「宗教」だ。日本には神道があり、欧州にはキリスト教があるが、いずれも王室と宗教が密接に関係している。
この点、中国には道教や仏教があるとはいえ信者は多くなく、実務や実用性を重んじる中国では
王や宰相は血筋ではなく、才能や努力によってなるものという考えが強かった。

2つ目は「血統主義を認めない」こと。伝統的な儒教は君主への忠誠を強調しているが、血統上の制限はない。
この点、血縁や血統を重んじる国とは大きく異なっている。

3つ目は「民族的要因」で、中国最後の王朝である清は満洲族によって建てられた王朝だった。
中国は56もの民族が存在する多民族国家であり、どの王朝でも「支配される民族」というものが
存在してしまうがゆえに、すべての民族の支持を得られにくい環境があった。

国連に加盟している国で王室が存在する国は30にも満たないとされるため、
日本や英国のように皇室や王室が残っている国の方がむしろ少数派なのが現状だ。

65 :世界@名無史さん:2021/05/15(土) 07:14:31.35 0.net
絶対的な独裁権力ってのは、買収しなくても権力を維持できるから、意外と腐敗しにくいんだよな

金権政治と民主主義は、切っても切れない関係

66 :世界@名無史さん:2021/05/15(土) 07:15:56.48 0.net
唐朝は、統一王朝とは名ばかり

地方分権体制の中世だった

67 :世界@名無史さん:2021/05/22(土) 08:40:45.60 0.net
草原の民が建てた王朝

シルクロード・ロマンですな

68 :世界@名無史さん:2021/05/22(土) 18:43:10.08 0.net
煬帝って中国史上では悪名高いけど、煬帝の治世の前半は隋の最盛期でも
あったんだよな
副都洛陽の建設を進め、幅60mの大運河を開削し、江南と洛陽・長安を
経済的に直結させた
さらに大運河は北に伸ばされ、涿郡にまで達したが、これは対高句麗戦の
補給をにらんだものだった

69 :世界@名無史さん:2021/05/24(月) 10:12:11.00 0.net
唐の太宗李世民も高句麗戦に失敗しているのに
名君との高評価。

70 :世界@名無史さん:2021/05/24(月) 10:45:46.93 0.net
唐の高宗は高句麗を滅ぼしたのに凡庸扱い

71 :世界@名無史さん:2021/05/24(月) 14:02:10.70 0.net
唐って、太祖太宗武則天じゃなかった?
高宗なんていたっけ?

72 :世界@名無史さん:2021/05/24(月) 14:47:39.67 0.net
知らんがな

73 :世界@名無史さん:2021/05/25(火) 22:28:35.26 0.net
>>69
単に李世民の歴史改ざんと自画自賛にすぎん

74 :世界@名無史さん:2021/05/25(火) 22:41:38.08 0.net
高宗は凡庸な人物だけど、有能な将軍を断罪に
処さなかったのが幸いしたのかもしれない

75 :世界@名無史さん:2021/05/26(水) 06:27:30.84 0.net
分からんぞ

「じつは、高宗こそが名君だったんじゃないのか?」というのは、昔から言われている

76 :世界@名無史さん:2021/05/26(水) 09:50:32.93 0.net
高宗は百済も滅ぼしている

77 :世界@名無史さん:2021/05/26(水) 13:20:06.71 0.net
白村江の戦いで倭軍を撃破。

78 :世界@名無史さん:2021/05/26(水) 22:25:15.53 0.net
結局、朝鮮半島は新羅が統一してしまい、
新羅に唐は追い出された。
あんなに何度も朝鮮半島に出兵し続けていて、
得る所無し。

79 :世界@名無史さん:2021/05/28(金) 15:16:36.10 0.net
隋の大運河建設によって江南との経済的結びつきが強まったけれど、
この時代にはソグド商人によってモンゴリアや西域・中央アジア、
チベットなど北方・西方との結びつきも強まっている

80 :世界@名無史さん:2021/06/01(火) 20:43:25.11 0.net
>>75
民政については有能な武則天を見いだした。

81 :世界@名無史さん:2021/06/02(水) 06:02:22.57 0.net
唐代では、開元通宝が発行され、私鋳も禁じられていた
しかし、南北朝時代と同様、貨幣機能を担っていたのは
むしろ布帛など、実物貨幣のほうだった

82 :世界@名無史さん:2021/06/18(金) 22:42:18.90 0.net
>>78
一応全盛期と言える唐と度々交戦
最終的には追い出して旧百済領他を併呑した新羅さん
もうちょっと注目されてもよい

83 :世界@名無史さん:2021/06/20(日) 03:04:47.66 0.net
新羅は唐の属国になったんじゃないの?

84 :世界@名無史さん:2021/06/20(日) 18:34:41.78 0.net
冊封関係の継続はどちらにも利があるからね
薛仁貴らが率いる唐軍と新羅軍が激突していた時でさえ冊封関係は辛うじて維持されている

85 :世界@名無史さん:2021/06/26(土) 10:46:53.52 O.net
>>40
但し失敗すれば一族抹殺もあったからまさにハイリスクハイリターンだったんだよな

86 :世界@名無史さん:2021/06/29(火) 20:19:29.50 0.net
>>82
新羅の金春秋(武烈王)なんか自ら唐、日本、高句麗を訪問して、各国の実情を相当に把握してたんだろうね。
後に高句麗、日本、そして唐をも敵に回して勝ち進んだのは敵を知り尽くす情報力があったからだと思う。

87 :世界@名無史さん:2021/06/29(火) 20:29:30.57 0.net
中大兄皇子も渡唐して勉強すれば良かった。

88 :世界@名無史さん:2021/06/30(水) 21:34:00.35 0.net
金春秋は韓国で有名な歴史人物ですか?

89 :世界@名無史さん:2021/07/01(木) 08:07:28.38 0.net
>>88
韓国歴史ドラマの主人公になる程度なら有名。

90 :世界@名無史さん:2021/07/01(木) 09:05:44.81 0.net
日本に来た金春秋について
日本書紀は
「春秋美姿顔善談咲」
と記す。
美男子で堂々と話をする王子だった。

91 :世界@名無史さん:2021/07/01(木) 19:07:26.64 0.net
日本書紀にも書かれてるのか
韓国的にはこの時代が一番人気あるんですか?

92 :世界@名無史さん:2021/07/01(木) 21:02:36.44 0.net
金春秋じゃないだろうけど職貢図に描かれた新羅国使はなかなかカッコ良いな
真ん中が新羅ね
http://www2s.biglobe.ne.jp/~koua/tamio/gif/kenzuisi_3d.jpg

93 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 07:25:01.85 0.net
>>91
韓国ドラマで言えば、
大王の夢
善徳女王
ケベク
ヨンゲソムン
とかかな。
李王朝期間の方が数がずっと多い。

94 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 08:18:14.04 0.net
女の時代だった気がする。
唐では武則天や太平公主。
新羅では善徳女王や真徳女王。
日本では推古天皇、皇極/斉明天皇、持統天皇。
同時期に女が権力を振るってる。

95 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 09:46:11.75 0.net
元明天皇と元正天皇もほぼその時代だね
そこからもう少したった時代には孝謙天皇すなわち称徳天皇も

96 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 21:35:44.87 0.net
>>93
李王朝時代のほうが暗黒時代に感じるけど
やはり古い時代は時代劇化されにくいのか
日本も源平合戦からドラマ化されてばかりだし

97 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 22:49:43.45 0.net
>>96
日本の時代劇で言えば、なぜか不思議なことに必ず天保
他の時代が舞台であっても街並や人々の服装髪型は必ず天保

98 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 22:51:15.98 0.net
外国でもおそらく似たような現象はあると思う
昔といえばこの時代をまず連想するみたいな時代が

99 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 22:57:41.17 0.net
そりゃ残存史料の量が古代と近世とでは大違いだからね
時代劇の企画立てて脚本作るにはそれなりの下地が要るし、
顧客(スポンサーや視聴者)側の予備知識や時代的親近感だって違ってくる

韓国国内で情報量と知名度と人気がいずれも最大格と見られる近世以前の人物といえば、
おそらく李氏朝鮮時代第四代国王の世宗大王じゃないかな
ちなみに、韓国の1万ウォン札の肖像画も世宗大王

100 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 23:00:17.45 0.net
時代を変えると衣装や街のセットを用意するのも大変や

101 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 23:10:08.46 0.net
>>97
ところがその天保の頃にはまだ無かったのにほとんどの時代劇でいつも考証から省かれるのが
飲食店内風景

個別の椅子に座って上半身の高さの食卓に食器を載せる習慣は、当時まだ無かった

102 :世界@名無史さん:2021/07/02(金) 23:26:36.95 0.net
>>97
> 日本の時代劇で言えば、なぜか不思議なことに必ず天保

「あれは時代劇国の時代劇時代」って考証家のセンセが言ってた

103 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 01:16:21.39 0.net
>>99
中国ドラマも、これは重厚な歴史モノやな
と感じる作品はやはり近世以降を扱った物が多いわね

104 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 02:39:39.88 0.net
中国は始皇帝からは普通にドラマ化されてるんじゃないの?
やはり始皇帝がターニングポイントだし

105 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 03:20:55.04 0.net
孫子とか太公望とか春秋戦国とか

106 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 06:46:34.38 0.net
ファン・ビンビン主演の『武則天 -The Empress-』はおっぱい強調のセクシーで豪華な衣装が特徴。
あれも一応考証に基づいてるんだろ?
女たちが活躍する中国史上稀有な時代だったし。

107 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 07:27:31.16 0.net
武則天の側近として辣腕をふるった上官婉児は目の大きい美女だが、政務に携わるとき、男装して官僚の服を着ていた。
頭脳明晰で文学者たちの先生として男どもを教える立場でもあった。
武則天に絶対忠実というわけでもなく、武則天の愛人に色目を使って性関係を持って、武則天の怒りを招き、
武則天から顔に入れ墨を入れる刑を言い渡された。
刺青師は彼女の顔があまりに美しいので、額に梅の花を彫った。
これが宮中で評判になり、武則天もその美しさに驚いたとか。
策謀家でもあり韋皇后のクーデターに加わってて、玄宗によって処刑される。
2013年に墓が見つかっていて墓誌に「彼女は度々、中宗を諫めた」と書かれてた。
女が優秀で男どもがだらしない時代だった。

108 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 08:49:09.07 0.net
>>106
考証的にはおデブが美人と見なされてたはず。
なのでファン・ビンビンは痩せ過ぎと言ってみる。

109 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 20:06:38.07 0.net
>>105
中国人に聞いた事があるけど
春秋戦国あたりは古くて人気ないと聞いた

110 :世界@名無史さん:2021/07/03(土) 20:40:33.35 0.net
人や地域によるんじゃないかな
俺の知ってる中国人は、春秋時代は呉越の争いがあったり西施(中国四大美人)がいたりでTVドラマも多くて人気がある時代、と言ってた

111 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 09:04:59.58 0.net
隋唐演義って面白いかなぁ?

112 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 15:10:30.38 0.net
日本人で言うところの飛鳥時代から奈良時代みたいなものだからな
中国人にとっての春秋時代というのは
ほとんど神話の時代からようやく歴史の時代に入ったばかりという印象なので
好き嫌いが分かれる

113 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 15:19:26.44 0.net
>>109
中国で二番目に人気のある歴史フィクションは封神演義なんやけどな
ちなみに一番が水滸伝で三番が三国志演義

114 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 16:42:14.11 0.net
>>104
始皇帝や戦国後半の秦は多いね、それ以前の時代と比較すると圧倒的に人気がある
史料足りんから歴史モノとしては微妙な出来になる傾向があるけど

115 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 20:07:02.63 0.net
すれ違いかもしれませんが
隋唐の時代の朝鮮の城は中国と同じ規模だったんですか?

116 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 20:40:37.51 0.net
規模を比較しようにも形式が違い過ぎて比較できないでしょ
中国は正方形に都市を城壁で囲んだ形式がほとんどだけど
高句麗、百済、新羅の城は盆地や山頂を城壁でグルっと囲んでいざという時にそこに籠る形式だし

117 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 21:12:17.60 0.net
>>116
そんな違いがあるんですね
朝鮮の城壁の高さとかわかりますか?
当時の日本は城なんてほぼないですしね

118 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 22:48:56.93 0.net
城壁の高さは本当にピンからキリだよ
基本的には急峻な斜面は低めで山の鞍部は高くしてるみたいね
これは新羅の三年山城(5世紀初頭に建造)だけど人も一緒に移ってるからよく高さがわかるんじゃない
http://krruins.cho88.com/chungcheongdo/boeun/pg330.html

119 :世界@名無史さん:2021/07/04(日) 23:57:39.42 0.net
>>118
この高さなら防御力は充分やな
あとは厚さか
破城槌で容易に破壊できる程度の厚さでは役に立たんし

120 :世界@名無史さん:2021/07/05(月) 02:46:55.35 0.net
>>118
サンクス。こんなサイトがあるとは
韓国の歴史研究者が同時代に日本は古墳を発達させたが韓国は城を発達させたと
述べてたがわりとマジだったのか

121 :世界@名無史さん:2021/07/05(月) 21:52:26.31 0.net
高句麗の城と似てますね
隋唐が苦戦するのもわかる気がする

122 :世界@名無史さん:2021/07/06(火) 20:15:59.87 0.net
>>107
上官婉児は武則天の入内に反対し後に武則天に
粛清された上官儀の娘で、ある時武則天に
「お前は父の仇のわらわを恨んでいるか?」と聞かれた時に、
「陛下を恨むことは出来ませんが、父を亡くしたことを
哭泣することなければ孝なりません」と答えたら、
武則天に「わらわに楯突くは大逆罪なり。本来、斬首に処すところだが、
これ迄の忠勤に免じ、鯨面の刑に減ずる」として鯨面の刑を申し渡した。
でも、武則天は刑吏に唇の横にビューティースポット様な極小さな刺青を
いれさせたってことだった筈。

123 :世界@名無史さん:2021/07/06(火) 20:22:44.90 0.net
>>108
武則天は長身で細く長い手足との記録が残ってるから、
デブじゃなかっただろう。楊貴妃がデブだったのは、
玄宗の個人的趣味嗜好だろ。下膨れの肖像が目立つけど、
体はほっそり描かれているのが多い。
中国朝鮮は基本的に細身が好まれたのが伝統だぞ。

124 :世界@名無史さん:2021/07/07(水) 06:56:56.72 0.net
まあ、数多の実例が証明しているように貴人の体形は大きく変わることも多いから
スタイルの良い武則天と武則樽は両立するかもしれん

125 :世界@名無史さん:2021/07/11(日) 19:27:43.16 0.net
唐朝は、北朝歴代および隋の統治経験を継承しただけでなく、
古代の全盛期を創出した漢代に倣おうとする傾向が強かったんだよな
唐は北魏の府兵制だけでなく、漢代の兵制をも参考にしながら、
前代とは異なる府兵制をつくりあげていった

126 :世界@名無史さん:2021/07/12(月) 02:32:41.81 0.net
秦漢と隋唐は似てるけど
中国でも同じように語られてるんだろうか

127 :世界@名無史さん:2021/07/12(月) 04:48:01.41 0.net
秦漢は古代帝国
隋唐は中世帝国

128 :世界@名無史さん:2021/07/12(月) 08:00:10.60 0.net
全国統一した王朝が短命で終わり
交替した王朝が長期政権になるパターン。

129 :世界@名無史さん:2021/07/12(月) 14:28:54.08 0.net
唐では編戸(一般戸籍にある人々)の増加に対して土地の供給が追い付かず、
玄宗の時代には均田制が事実上崩壊した
とくに耕地面積に対して人口過剰の地域では、支給する耕地を小さくしても
うまくいかなかった

130 :世界@名無史さん:2021/07/13(火) 06:31:52.25 0.net
前漢も盛唐も土地問題をどうにかしようともがいてる間に王朝が爆発したな
…唐はなんとか生還したけど

131 :世界@名無史さん:2021/07/16(金) 22:17:17.21 0.net
唐代には、府兵制が募兵制へと変わっていくにつれ、兵制を支える土地制度や税制も、
安史の乱後の徳宗時代に見直され、両税法へと変化していった
均田制が土地公有を建前とする制度であったとすれば、両税法は、土地私有拡大と
民の流動化を追認し、原籍地ではなく原住地での課税に切り替えたもの

132 :世界@名無史さん:2021/07/19(月) 23:59:21.38 0.net
>>131
変な話だが
唐がガタガタになってようやくチャイナがチャイナっぽくなってくるよな

133 :世界@名無史さん:2021/07/20(火) 07:51:03.59 0.net
そうか?

134 :世界@名無史さん:2021/07/20(火) 14:28:15.38 0.net
>>132
つまり貴族階級が没落するとチャイナがチャイナらしくなるて考えてんの?

135 :世界@名無史さん:2021/07/20(火) 20:21:32.90 0.net
>>134
俺がチャイナっぽいと書いたのは、民の流動化追認のことやね
良くいえば自由、悪くいえばカオス

136 :世界@名無史さん:2021/07/20(火) 22:55:09.18 0.net
一言でいえば農戦って感じの古代(秦漢帝国)感がなくなって
商人的なオーラをまとい始めるわね

137 :世界@名無史さん:2021/07/21(水) 02:56:26.94 0.net
>>136
秦漢よりは間違いなく発達してる

138 :世界@名無史さん:2021/07/21(水) 06:47:19.08 0.net
商業抑圧、相互監視、罪人大量生産強制労働、複数人の集会(宴会)禁止…

例えは悪いが、秦漢は図体のデカイ北朝鮮みたいなイメージやね

139 :世界@名無史さん:2021/07/21(水) 17:40:18.81 0.net
いやそれ勝手なあんたのイメージだろ
そもそも前漢に北朝鮮のような中央集権的な権力はないし
秦は労役逃れが常態化していたことが出土した木簡から分かっている

140 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 13:16:49.70 0.net
>>139
そらそうよ?2000年も前の国なんて勝手に思い浮かべるしかない
ちなみに俺も竹簡等の記述から秦の統治は普通に穴だらけだったと思ってるけど
これも断片的な情報から国全体を推測した勝手なイメージだね

141 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 14:40:23.85 0.net
>>128
中国人は「歴史は繰り返す」というのが好きだからな

142 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 14:50:17.44 0.net
秦が崩壊して、漢が長期王朝
隋が崩壊して、唐が長期王朝

中華民国と中華人民共和国も、このパターンを繰り返しつつある

143 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 14:50:45.68 0.net
中華人民共和国は300年続く

144 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 17:01:40.24 0.net
先行王朝がそこそこ長生きな上に滅んでないが、元→明もそのパターンかもね

145 :世界@名無史さん:2021/07/22(木) 17:53:43.08 0.net
>>142
確かに似てるのかも
おいおい中華人民共和国そんなに続くのかと

146 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 00:46:14.12 0.net
中華民国も滅んでへんで

147 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 11:05:51.41 0.net
一瞬大陸統一しかけたけど程なく崩壊して化外の地に逃走
ほぼ別物となるもののそこそこ命脈を保つ、って珍しいな

148 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 14:35:28.86 0.net
これで中華民国政府が南京復帰に成功したりしたら、ビザンツ帝国みたいに(一部の熱狂的な信者から)「長生きした国家」あつかいされるんかな?

149 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 19:45:07.42 0.net
中華民国は滅びたんじゃないの?

150 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 20:16:33.33 0.net
>>149
これはなんやねん
https://www.president.gov.tw/

151 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 23:38:52.33 0.net
>>149
中華民国は普通に現存してるよ
「中華民国は滅亡している」って設定は、日本政府が1972年に中華人民共和国と国交を結ぶ際に作り上げた政治的な設定

152 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 23:46:45.80 0.net
> 一瞬大陸統一しかけたけど程なく崩壊して化外の地に逃走
> ほぼ別物となるもののそこそこ命脈を保つ、って珍しいな

ビザンツ帝国とかムガル帝国とか

153 :世界@名無史さん:2021/07/23(金) 23:58:16.28 0.net
2000年頃に中華民国で発行された中華民国全土の地図の例
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/8a/6ebfdbae3c2dbb0e461c130e067a88ab.jpg

公式な首都は南京
自国領土の大部分が中国共産党によって実効支配されているが、制度上は中華民国の行政区画が設定されている

154 :世界@名無史さん:2021/07/24(土) 00:03:51.15 0.net
国の99%を反乱勢力が占拠してんねん

155 :世界@名無史さん:2021/07/24(土) 06:32:21.35 0.net
多くの○○亡命政府は国土100%が外国に奪われてるから、むしろ台湾島だけでも支配できてるのは珍しい
あと、中華民国は外国による占領じゃなくて同国民の反乱分子に支配されてるってのも珍しいか?

156 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 07:21:19.88 0.net
>>155
> あと、中華民国は外国による占領じゃなくて同国民の反乱分子に支配されてるってのも珍しいか?

ソマリアみたいに内戦で分裂してる国はみんなそう

157 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 07:36:24.92 0.net
革命前の古い国が残存してる場合はみんなそうやろ

158 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 09:14:47.70 0.net
普通なら、清の鄭成功討伐みたいに、ただちに海軍を編成して台湾征服に乗り出すところだったんだが

「ポツダム体制のおかげで手出しできない」という特殊な条件が奇跡を生んだ

159 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 09:27:07.35 0.net
>>158
鄭成功軍に対し清軍は連戦連敗。
台湾平定は簡単じゃなかった。
鄭氏政権内部で抗争があって
鄭氏政権を見限って清に降った将軍を抜擢して水軍を再編成し、やっと平定できた。
同様に現代も台湾内政が混乱したときを狙うはず。

160 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 09:30:09.02 0.net
台湾と大陸ってのも、結構な距離があるからなあ

香港や海南島とはワケが違う

161 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 09:32:38.78 0.net
>>159
結局、清が平定しても日本が平定するまでは
狩猟民族の部族社会だったのだから
そこまで強いなら鄭政権が続いて欲しかったな

162 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 09:54:49.86 0.net
>>78
朝鮮半島は失っても、吉林と遼東の両省は得た
これがデカい 朝鮮は捨ててもこれが大事でしょ

163 :世界@名無史さん:2021/07/25(日) 10:00:37.33 0.net
>>159
台湾の内政を混乱させるべく目下暗躍中なんだろうな>習近平中共

164 :世界@名無史さん:2021/07/27(火) 07:33:42.01 0.net
胡錦涛期の経済的取り込み路線が嫌われて失敗
立て直しを画策するも対中経済戦争が看板の大統領出現でそれどころじゃなくなり今に至ってるので暫くは安心よ

>>162
まあ吉林は渤海くんに大体取られちゃうけど

165 :世界@名無史さん:2021/07/27(火) 07:52:05.31 0.net
>>164
渤海国に関して中韓で論争があるね。

渤海国は中国の地方政権
 vs
渤海国は朝鮮の王朝

渤海国は中華化した靺鞨人国家
 vs
渤海国は高句麗化した靺鞨人国家

166 :世界@名無史さん:2021/07/27(火) 08:21:42.61 0.net
どっちの要素もあるからどっちも間違いではないんだよな

167 :世界@名無史さん:2021/07/27(火) 10:01:14.71 0.net
>>166
中韓にとっては現在と未来の支配領域の正当性に関わるので白黒つけなくてはならない。
中国東北部だけでなく北朝鮮の領域まで含む争いとなる。

部外者にとってはバカバカしい論争で、
それぞれが残存している史料を都合よく利用して解釈してるに過ぎない。
渤海国人自身の歴史書が消滅していて、
周辺の唐、新羅、日本の史書のわずかな記述から
渤海国の姿をイメージするしかないので、決着しようがない。
そもそも渤海国は渤海国であって、
現代のどの国に属するわけでも継いでるわけでもない。

強いて言えば、唐にとって、「内」、「外」、どちらにもなる「中間ゾーン」があって、
高句麗は「外」、渤海国は「中間ゾーン」だったのかもしれない。

168 :世界@名無史さん:2021/07/27(火) 17:12:53.99 0.net
中国の地方政権か否か論争は00年代に流行ってたよね懐かしい(主に高句麗だけど)
国家は支配領域の正統性の為に、民間では漢民族のナショナリズムが伸長

今思えば完全に近隣または西側との紛争激化への助走だったな
日中の対立だけはお先に深刻化してたけど

169 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 03:10:58.96 0.net
唐新羅戦争は新羅が領土を獲得して
唐に臣従したという形ですか?

170 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 03:10:58.94 0.net
唐新羅戦争は新羅が領土を獲得して
唐に臣従したという形ですか?

171 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 03:11:59.18 0.net
唐新羅戦争は新羅が領土を獲得して
唐に臣従したという形ですか?

172 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 03:13:01.18 0.net
唐新羅戦争は新羅が領土を獲得して
唐に臣従したという形ですか?

173 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 09:31:45.43 0.net
新羅の世渡り上手は天才的。
朝鮮三国中最弱だったのに、
唐と連合して、百済、高句麗、倭国を撃破。
事実上、唐の支配下にありつつも唐進駐軍を撃破。
唐進駐軍と戦争中も唐との冊封関係を維持し、唐の年号を使い続けるという離れ業。
実は吐蕃との戦争で大敗して大打撃を受けてる唐側に余裕がないのを見越した新羅の作戦だった。

国際情勢に目を光らせて敏捷に動く新羅と、
国際情勢に疎かった倭国の差が白村江の結果なんだろう。

174 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 10:35:22.16 0.net
唐・吐蕃戦争で670年、678年、689年、694年の4回も唐軍が大敗を喫している。
唐・新羅戦争は670年から676年で、唐軍は朝鮮半島から撤退。
明らかに唐は落ち目。

ちなみに白村江の戦いは、663年。
668年に高句麗滅亡。
ここまでは唐の力を存分に見せつけた時期。

175 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 11:45:36.38 0.net
>>166

>唐進駐軍と戦争中も唐との冊封関係を維持し、唐の年号を使い続けるという離れ業

それは別に、綱渡り外交ではない。
唐の朝廷としては国内向けのメンツが何より大事なので、冊封関係を維持してもらわないと困る。
ベトナムなんか、いつもそのパターンだ

176 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 11:46:36.01 0.net
アンカーまちがえた

>>173

177 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 15:51:02.51 0.net
唐は長年の宿敵・高句麗を挟撃できるのだから、新羅と同盟したいに決まっている

唐に従属したのは口先だけで、あとで唐を裏切ったわけだが、あの国にとってはいつものことだ

178 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 15:53:50.32 0.net
「イタリアは長すぎる」と言ったのはナポレオンだが、朝鮮半島も長すぎる

強大な大陸の勢力が攻めてきたら、とりあえず降伏して従属する。
大陸も、いつまでも駐屯していられないから、そのうち引き揚げる。
そしたら、裏切って反旗をひるがえし、独立する。

唐はあまりに遠いから、この手で独立することができた。
後世の契丹・モンゴル・清にはこの手が通じず、裏切るたびに何度でも攻め込まれた

179 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 16:53:37.07 0.net
チベットの吐蕃、半島の新羅、トルキスタンのイスラム勢力

唐王朝の軍事力や得意の人口圧による漢化が通用しなかった地域は
現代でも中国拡大の防波堤になってるな

180 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 17:06:28.30 0.net
>>179

明朝だったらその通りだが、唐朝でそれをいうのは早すぎる

181 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 19:52:29.55 0.net
>>178
>後世の契丹・モンゴル・清にはこの手が通じず、裏切るたびに何度でも攻め込まれた

契丹の聖宗さんは調子にのって羅州まで深入りするも長く伸びきった補給線を断たれて多くの将兵が戦死
高麗が冊封を受け入れる代わりに江東六州と皇室の宗女を高麗王に妾として差し出すとか
どっちが属国なのかよくわからん講和条件で手打ちにするという赤恥を晒しているけどな

182 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 20:35:19.14 0.net
>>181
ふーんなかなかやるじゃん

183 :世界@名無史さん:2021/07/28(水) 22:54:23.85 0.net
>>181
ちょい待ち
高麗と遼の戦争で羅州が最前線になったことまでは無かったよ
さすがに最前線がそこまで行ったら、高麗側の後背地(ヒンターラント)が狭すぎる
羅州は、高麗が遼の第二次侵攻を受けたとき、高麗朝廷の臨時退避地域になったところだよ

>>182
例えばWIKIPEDIAには「契丹の高麗侵攻」っていう項目がある
この項目の記述なかなか詳しいよ
外交官の徐煕(ソ・ヒ)や、もともとは文官でありながら軍の司令官として著名な姜邯賛(カン・ガムチャン)といった人物が、
この時の高麗のキーパーソンだな

184 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 06:18:47.89 0.net
韓国政府が小中学生に刷り込んでる愛国史観だな

185 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 07:48:13.12 0.net
高麗が遼に実際勝ったのは史実だし、
外交では、相手側に名目上の優位だけ与えて実益上は完全に主導権を取るというのは
例えば後世、乾隆代の清にヴェトナムが得た成果もそうだった

新羅の対唐外交にしてもそうだが、むしろそういう様々な事例をわざと見ぬふりをすべきではなかろうよ

186 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 08:20:14.87 0.net
>>185
遼vs.高麗では一部の戦闘で高麗が勝ったことはあっても、
軍事的には終始圧倒されてただろ。文禄慶長の役で、
李舜臣が島津の輸送船を何隻か沈めただけで、
救援に来た立花の軍船からのおお鉄砲の射撃で
敢えなく蜂の巣にされたのを朝鮮水軍大勝利と言ってるのと同じ。

187 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 08:42:17.33 0.net
その数年前には、高麗は遼に首都・開城を占領されて大敗し、降伏している

その時の講和条件として平安北道を遼に割譲するはずだったのが、高麗は得意の違約で引き渡しを渋ったもんだから、遼にまた攻められた

当時は、宋が遼を兄として莫大な朝貢を行うという「澶淵の盟」の時代。
遼にとって平安北道など、国境の小競り合いにすぎない。

「壊滅的な大敗を喫した」というわりには、遼の聖宗はすぐまた軍を編成して再侵攻を計画している。
高麗が慌てて臣従を誓い、なんとか再侵攻を阻止した

188 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 08:42:20.21 0.net
戦略全体として対立側の撃退と外交的果実の獲得が成功すれば
それに越したこと無い
個々の戦術・戦域で勝って最終的に負けたら意味無い

外出するんで、この辺で

189 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 09:39:02.93 0.net
>>186
ほーん、で日本は朝鮮出兵で領土を手に入れましたか?

190 :世界@名無史さん:2021/07/29(木) 09:44:13.85 0.net
白村江での倭軍の愚かさは残念極まる。
みすみす唐将の戦術の通りに船団を突っ込んだ。
先に突っ込んだ船はこれはマズいと気付いたろうが、
後続船に伝わることなく、続々と進んでしまったらしい。
こうして壊滅。
遠山美都男の著書によれば、
倭国の兵力の方が上で、勝つ気満々だった。
船は小型だがはるかに数が多く、運用次第で有利になる。
本来は倭国側が楽に勝てる。

倭国と同盟している百済残存軍の指導者を
百済王子が疑心から誅殺してしまったために、
百済残存軍がガタガタになってしまったことも
倭国に不利に働いた。
同盟相手を完全に誤ったな。

191 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 08:43:38.34 0.net
隋唐がなかなか高句麗を倒せなかった原因の一つに、東アジアで動乱が起こると、
必ず中央アジアの民族が唐に反乱を起こし、唐が戦力を二分しなければならなかった
というのがあるかもしれない
しかし、668年の高句麗戦の際は、中央アジアで反乱がおこった様子がない
高宗の代になって、やっと高句麗を滅ぼすことができたのはこのためかも

192 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 09:34:58.16 0.net
突厥やらウィグル、吐蕃といったやたら強い民族が次々勃興してて、手が回らない。

193 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 09:41:03.81 0.net
唐建国時に東突厥から兵を借りるなど、
唐自身がこれらの民族の兵力を借りる場面も多い。
唐軍の支配が手薄になると靺鞨や契丹が勃興する。
南で南詔が張り出して、唐軍を殲滅したこともある。
一国で全部を押さえることはできない。

194 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 10:17:32.22 0.net
ローマ帝国も同じだ

騎馬民族と戦うには騎馬民族、山岳民族と戦うには山岳民族の傭兵を雇うことが欠かせない

195 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 13:38:17.86 0.net
安史の乱の鎮圧で功績があるウィグル人たちが、
功績を驕って、勝手気ままに暴行事件を起こす社会問題があったそうな。

196 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 15:29:56.14 0.net
安史の乱での死者は1300万人から3600万人説まである。
3600万人だとすると唐の人口の2/3に達するそうな。
乱後は別世界だな。

197 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 15:44:13.30 0.net
>>22
統治の方便として、わりとあることなんじゃあないの?
現地の称号に、現地の作法での祭礼って。

遼・契丹だけでなく、隋の煬帝も、唐の玄宗皇帝も、モンゴル帝国のクビライ皇帝も、
支那圏に対しては中華皇帝、北方西方には汗・可汗と称しているだろ。

紀元前に、ペルシャやマケドニアがエジプトを占領・支配したときにも、本国の王を神の子・神の化身、
総督を神の名代たるファラオとして振る舞わせてたし、マケドニアのエジプト総督が自立した
プトレマイオス朝も王は代々ギリシャ語ギリシャ人意識ギリシャ風の習俗を維持しながらも
エジプトを支配する方便として現地人の管理や民衆に対してはエジプト風のファラオの振舞を
していた。

198 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 15:54:48.93 0.net
>>25
モンゴル帝国は、占領地に対して対して、ダルガチにビチクチを付けて派遣していた。
ダルガチが軍事的な統制と統治の責任を負うから、節度使に近いというか、より権力を持たされた存在。
ビチクチは徴税・財務管理を行う、文官の長だ。

たとえば、高麗。
本国からダルガチとビチクチが派遣されて本国同等の制度で統治をおこないながら、同時に、土着の領主たる
高麗藩王も存続していた。

この場合、高麗は、モンゴル帝国の内地なのか、単なる勢力圏なのか。

199 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 16:22:52.13 0.net
そんな区別に意味はない

200 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 18:57:36.23 0.net
>>193
>>194
唐は661年に、トハリスターン地域に都督府を置き、ササン朝ペルシアの
亡命王子ペーローズを波斯都督として送っている
この時代は異民族を活用する例が本当に多いな

201 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 22:13:17.00 0.net
阿倍仲麻呂は安南節度使の経歴あり。
異民族でも優秀な人材は積極登用。

202 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 22:31:36.33 0.net
>>66
律令制なのに、中世?

203 :世界@名無史さん:2021/08/04(水) 23:19:04.10 0.net
タラス河畔の戦いでアッバース朝軍と交戦した高仙芝は高句麗系。

204 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 07:42:01.44 0.net
安禄山はソグド人の父と突厥人の母の子。
唐は民族を問わぬ世界帝国。

205 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 08:40:04.75 0.net
唐は、アメリカ合衆国みたいな多民族国家だからな

現代の国民国家みたいな国境の概念もないし

そもそも、皇帝だって「中国人」ではない

206 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 09:27:32.28 0.net
821年の唐蕃会盟は唐と吐蕃が対等の立場で結んだ講和条約。
敦煌文書からウィグルも会盟に加わっていたと考えられてる、三国平等の条約だった。
唯一の帝国として絶対的存在だった唐も落ちぶれた。

207 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 09:57:31.41 0.net
吐蕃国初代のソンツェン・ガンポ王は十六清浄人法を制定した
ガンポ王は仏教保護者として有名な王であるが、にもかかわらず
中国の史書によると、ガンポ王の時代は刑罰は非常に厳しかったといわれている

208 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 10:23:37.93 0.net
隋唐とひっくるめることがあるのは、
隋と唐の支配層が拓跋人の武川軍閥でしかも王室が閨閥で都も長安・洛陽で、
支配層の人員や制度が一貫しているから。

じゃあ、なんで、唐宋八大家みたいな、唐と宋とひとまとめにする発想もあるんだろう?
宋の支配層は沙陀突厥系だし、首府は開封・臨安だし。

隋唐は北方西方に対しても睨みが利いていて遊牧圏に対しては拓跋の可汗を号して盟主格だった。
宋は遊牧圏ににらみをきかすどころか、戦争しては負けて領土を削られ、平時は歳費を毟り取られる属国。

209 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 11:56:30.96 0.net
唐宋八大家は大昔から使われてきた文化史の区分

でも、内藤湖南がそれに異議を唱えてからは、むしろ「唐宋変革期こそ中国史で最大の断絶」と言われるようになり、考え方が大きく変化した

210 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 12:00:11.78 0.net
隋唐の前は長い魏晋南北時代の分裂期、宋のあとも五代十国・遼・金は異民族王朝で
漢人の伝統文化が(少なくとも華北では)衰退したから、唐宋は文化的な盛時と位置付けられてきた

211 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 12:15:04.11 0.net
唐宋八大家の詩、唐詩は優れてるけど、宋詩はクオリティー低いよな。
載ってないものでも投資の方がはるかに良い、
学校の授業で漢文かじっただけの高校生にすら差が判るレベルで。

212 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 13:04:04.50 0.net
>>206
唯一の帝国ってのがマユツバ。
唐が回鶻や吐蕃の本領に深く侵攻したことは無いけれど、唐の内乱の鎮圧に回鶻の力を借りたり、
吐蕃との戦争で長安を包囲されたりと、唐の本領には回鶻や吐蕃が群を進めたことは何度もある。
支那を支配しているから、比較的に、強国、大国、財力のある国とはみていても、権威のある国、
格上の国、特別な国、とはみなしていなかったんじゃないの?

山川の教科書から、Wikipediaから、中央アジアの、アラル海、バルハシ海、トランスオクシアナに
至るような広い範囲が唐の領域とされているけれど、これも本当かなあ?
実際には統治なんか及んでなくて、遠交近攻策で、近くの勢力との対抗上、遠方の唐の同盟国に
なっていた、河西回廊諸都市からして、回鶻と吐蕃の係争地、緩衝独立地帯だっただけの、単に、
回鶻でもや吐蕃でもない唐との通商国交があるって程度だっただけではないかい?

213 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 13:41:28.50 0.net
>>212
実質では唯一の帝国ではないけれど
建前では皇帝とは世界を統べるただ一人のはず。
それが対等の立場での文言を記した外交文書を交わしたことは唐側の弱みの表れではないか?

214 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 14:31:09.80 0.net
668年に高句麗が滅ぼされると、吐蕃は南下して勢力を広げたので、
唐は騒然となり、高宗は百済・高句麗両国を滅ぼしたことを後悔していると、
いまさらのように述懐したという

安禄山の武将だった史朝義が死んだ763年の9月に、吐蕃は吐谷渾・党項など
東夷20万の兵を率いて長安に押し寄せたので、唐将郭子儀の兵は退却し、
代宗は長安を退去した

215 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 14:36:09.34 0.net
>>213
その200年前に和蕃公主を差し出しているだろ。

216 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 14:42:27.06 0.net
楊国忠=楊儀
安禄山=魏延
に見えてきた

217 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 14:51:36.29 0.net
吐蕃は広武王承宏(高宗の子)を擁立して大赦や立号までしている

218 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 15:02:34.05 0.net
吐蕃ってあんなに秘境の高山地域に住んでるのに
何で強大な大帝国を形成できたんだろう?

219 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 15:48:47.15 0.net
>>215
『中国の歴史6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代』によれば
和蕃公主に選ばれる女性は
結婚する王や可汗の心を掴み、
文化や習俗などで相手を感化させる使命があって
そのような役目はぬくぬく育てられた皇帝の娘に負えるものではないそうな。
そこで名目上公主に封じられた皇族の才色兼備の女を送り込む。

文成公主が吐蕃へ嫁ぐと、赤土で顔を塗る習慣を文成公主が嫌ったため、吐蕃全土で禁じられる。
公主降嫁は吐蕃に唐文化が流れ込むきっかけになった。

220 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 17:11:05.29 0.net
唐代には、おおむね吐蕃は反唐であり、ウイグルは唐の傭兵となって
戦うことが多かったな

789年には徳宗の娘、咸安公主がウイグルに降嫁している

221 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 19:20:59.87 0.net
>>219
ヨーロッパでも回教圏でも外国から来たお妃が生国から持ってきた文物を流行させるって割とあるじゃん。
本邦だって京都から公家の娘が大名の正妻になって、田舎夜盗から江戸の武家文化が爆上したじゃん。

222 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 19:43:49.13 0.net
>>218
標高は高くても、地理的配置で見れば、大陸アジアのど真ん中だね
交易路の結節点だから人も財貨も情報も集まってくるし、
草原地帯では牧畜、大河川流域では農耕と、食糧確保にも強みがある
また、肉体的負担の面で見るなら、低地側は高地順応がたいへんでも、高地側は相対的に負担が少ない
(他地域の例を挙げれば、ラパスでサッカーしたらブラジル代表すらボリビア代表に負けることがあるし)

223 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 21:15:55.91 0.net
>>222
吐蕃、インド側に出兵したことがあるけど、あんまり留まらない。
唐領に魅力があるのか?
唐側に進出しようとする。
チベット高原からみるとインドは暑過ぎなんだな。

224 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 21:51:50.37 0.net
8世紀までと違って9世紀に入ってからの唐は空気

225 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 21:59:53.61 0.net
9世紀前半に憲宗が出てきて立て直しが図られたとはいえ、唐というと
日本が遣唐使を派遣したり玄宗や楊貴妃が存在した8世紀のインパクトが
強い感ある

226 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 22:13:38.79 0.net
唐の最盛期は玄宗時代と考えられているが、則天時代に引き続き、
遊牧民、とくに吐蕃の侵攻に悩まされていた
705年、吐蕃が婚姻を求めてきたので、中宗は太宗時代に文成公主が
降嫁して以来二度目、金城公主を降嫁させた
しかし、さして効果はなく、玄宗が即位して間もない714年には、
吐蕃が十余万の兵をもって周辺を侵攻した
そのうえ、「敵国の礼」を求めてきた
「敵国の礼」とは臣従関係ではなく対等の国としての対応を求めるという意味である
玄宗は大いに怒ったという

227 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 22:27:06.35 0.net
吐蕃優しい。
首都包囲までやってるのに、求めるのは「対等の関係」って。
本来なら、吐蕃が君、唐が臣下の、臣従関係を求めるだろうに。

228 :世界@名無史さん:2021/08/05(木) 22:48:34.05 0.net
>>227
匈奴に敗れた劉邦は、匈奴へ貢納物を献上するという屈辱的な和平を結んで、
以後武帝の即位まで、漢は匈奴に属国扱いをうけることになったよな

229 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 00:06:58.65 0.net
720年代後半あたりから、唐は吐蕃と共闘して唐に反抗して戦っていた
ウイグルを、吐蕃と離間させ、ウイグルを唐側にすることに成功した
それから事態は唐に多少有利になってくる
そこで729年、吐蕃は講和を申し込んできた
この後、10年近く、唐と吐蕃の関係はやや平穏だったが、737年ごろ、
渤海の大武芸が死んで渤海勢力が一時衰えたころから、吐蕃は再び
周辺の侵略を始めた

230 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 07:09:53.65 0.net
吐蕃は南詔の冊封を受けてるな。
南詔に援軍を送って唐軍を破ってる。
吐蕃、強ええ。
今のチベットから想像つかない。

231 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 07:28:22.68 0.net
>>230
当時の吐蕃は広範囲に勢力を持っていたから、
民族・人種的にも多様だったかもしれない

232 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 08:15:11.70 0.net
764年、鉄勒出身の唐将、僕固懐恩が突然、霊武からウイグル・吐蕃・吐谷渾ら
20万の兵を率いて長安にせまった
翌765年8月にも懐恩は兵を率いて南下してきたが、突然、懐恩が死んでしまった
懐恩の妻はウイグルだったからウイグルも配下にあったのである
懐恩が没すると、吐蕃とウイグルはお互いに猜疑しだし、ウイグルは郭子儀に
吐蕃を討つことの許しを乞うた
郭子儀が許したので、ウイグルは吐蕃を攻めた
この後、両者は不倶戴天の敵となった

233 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 09:59:17.81 0.net
>>230
ハルシャ・バルダーナ王没後の北インド攻略の時の王玄策軍の主力は吐蕃兵。

234 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 11:23:05.89 0.net
ウイグルは安史の乱で、玄宗の子の粛宗が亡命先の霊武で即位したのを助けた
その後、徐々に唐側の戦力になっていった
当時のウイグルは現在のイスラム教ではなくてマニ教信者だったといわれている

235 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 11:57:06.97 0.net
>>211
五代〜宋の文学はやはり詞がいい

236 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 11:59:21.16 0.net
>>235
あ、南唐の君主が有名詞人だったりすることもあるから、
五代十国〜宋 だな

237 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 12:09:55.78 0.net
>>222
大陸の真ん中でも交易路の本道から外れてんじゃん。
チベットの外縁部というか、チベットとモンゴル、チベットとトルキスタンの境の河西回廊が交易路で、
7世紀からチベットの首府のラサなんて外れもいいとこだ。
現に、玄奘三蔵が陸路ナーランダへ行くに、チベットなんか通らず、ぐるっとチベットを避けるように、
今の国でいうとキルギス、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン等を通って、インド北東部へ
到達している。
メインの通商路ではないから、どうなっているか通れるか判らんから、あえて避けて
確立している通商路を辿った結果だろ。

238 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 14:27:35.15 0.net
>>225
憲宗は唐王室中興の祖だけど、若い時から方士を信じ、
不老長寿の薬として金丹を服用していた
820年正月、43歳にして突然没したが、宦官が暗殺したと
いわれている

239 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 14:32:16.78 0.net
>>237
玄奘がインドに向かったのは629年、
当時のチベット高原はティソンツェン(ソンツェンガムポ)による統一国家成立過程にあり、
吐蕃から唐への正式な通交が初めてあったのは634年で、玄奘のインド行はそれより前だった
さらに、玄奘の場合、正式な出国が国から認められておらず、パスポートなしの密出国による旅行だったから、
どのみち、そのような状況で唐と通交が無い所に入れば、すぐに間者扱いされてしまうことは確実だった
実際その後、玄奘は旅の途上で経由した高昌国の王による援助と文書に基づいてインドに向かうことになる

240 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 14:52:47.49 0.net
>>239
イギリス保護下のネパール、清国の両方からガチで国境封鎖されていた時分のチベットに、河口慧海が潜り込んだりしているで。

241 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 19:05:17.34 0.net
善無為はインドの生まれだが、突厥や吐蕃の領域(北インドの境)を通って
716年、長安に至るや、玄宗は彼の到来に大いに喜び、国師とし、西明寺に
迎えたという
本格的な中国密教は善無為の時代にはじまるといわれている

242 :世界@名無史さん:2021/08/06(金) 22:54:26.97 0.net
>>224
代宗から僖宗にいたる11人の皇帝は、在位中には正式の皇后を冊立しなかったな
皇后にともなう外戚勢力の出現を排除したいという宦官の意向が
強く働いていたらしいが

243 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 00:11:21.39 0.net
>>242
>皇后にともなう外戚勢力の出現を排除したいという宦官の意向
楊貴妃の一族・楊国忠のせいだろうけど,かわりに宦官の専横が激しくなった?

244 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 00:22:00.54 0.net
チンピラが政治権力握る場合って一族の女が皇帝の妃になるか(楊国忠とか)、
宦官になるか、反乱軍作って現政権を打倒し自分がそれにとってかわるかよな

245 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 02:53:44.97 0.net
明清スレのほうはひでぇな(汗)

246 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 06:10:12.52 0.net
>>241
玄宗皇帝、外国人が好きなのね。
安禄山とか阿倍仲麻呂とか。
遊牧政権は基本支那人よか外国から来た優秀な人が好きだけれど。

247 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 07:37:44.99 0.net
>>239
日本海もしくは黄海から黒海に至る連続した国土を持った国は、4回登場している。
匈奴、突厥、モンゴル、ロシア。
いずれも、欧亜通商路の本道を順次攻め取って拡大した。
モンゴル帝国のみがチベットを勢力下に置いたけれど、他の土地とはちがって、
ダルガチやビチクチを送り込んでいない。
盟邦であって、支配された領土ではないという、特別な地位。
通商路から外れていてガッツリ支配する価値も無いし、攻めやすく取るもの取れるのも
カム方面の周縁部だけ、今でいうと、甘粛省・青海省の一部、西夏国の領域だったところ
までとれれば十分ってなところだった。

248 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 07:48:42.15 0.net
玄宗は密教第六祖の不空に深く帰依した
それが粛宗・代宗・徳宗まで続く
唐が不安定になって、密教の呪術にすがりたくなっていたんだろうか?

249 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 08:03:48.41 0.net
日本人が興味があるのはもっぱら盛唐の時代であって、中唐や晩唐には
ほとんどの人が興味ないよな
たとえば、徳宗が吐蕃と交わした「清水の盟約」(賀蘭山を境界とする盟約)
なんてほとんどの人が知らないんじゃなかろうか

250 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 08:50:53.49 0.net
>>248
密教の呪術の効果なく、ますます不安定。
その分、儒学者や道士の廃仏論に勢いが増し、
武宗の会昌の廃仏で唐代密教は大打撃。

密教の発展はチベットに移ったな。

251 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 10:14:07.45 0.net
>>250
中国では、仏教の渡来以前から、支配イデオロギーとしての儒教や、
民間信仰としての道教が、社会に根付いていたからな
仏教はそれらの思想・宗教とつねに緊張関係を強いられた

252 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 12:45:17.89 0.net
>>249
きよみず? しみず?

253 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 14:26:49.54 0.net
>>252
「せいすい」と読む
徳宗は即位するとすぐに吐蕃に和平を申し込み、翌781年12月、
賀蘭山を境界とする盟約をした
盟約は783年1月、清水(秦州)で交わされ、「清水の盟約」と称した
この後、しばらくは吐蕃も反抗しなかった

254 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 14:54:33.13 0.net
やっぱり鰹が獲れたりするの?

255 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 15:12:58.44 0.net
>>247
>日本海もしくは黄海から黒海に至る連続した国土を持った国は、4回登場している。
>匈奴、突厥、モンゴル、ロシア。

ソ連忘れるな

256 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 16:40:20.25 0.net
異民族王朝のくせに漢民族以上に漢民族ぽくあろうとした隋唐と
漢民族に自分達の風俗を押し付けた清

257 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 16:42:25.61 0.net
ただし唐は元が異民族という事もあってか国際色豊かだったな

258 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 18:06:23.47 0.net
>>255
https://i.imgur.com/Hm6uKyW.png

太線で囲った、赤色のところとと淡黄色のところがソ連で、
赤色のところがソ連の構成邦としてのロシア共和国。

日本海から黒海まで達してるだろ。

一応外国なので、たとえば、モスクワからキエフとか、レニングラードからタリンとか、ノボシビルスクからアルマアタとか行こうとすると、
旅券と査証が要って、それぞれ国境なり空港なりで出入国審査があったよ。
札や銭はソビエト・ルーブリで共通していたけれど、法律も別だった。

ともかく、ロマノフ朝ロシア帝国→社会主義ロシア共和国→今のロシア共和国で、政変はあったにせよ、ロシアの国は一貫して存在している。

259 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 18:55:11.84 0.net
ソ連の連って連邦の連だもんな

260 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 19:06:54.41 0.net
>>256

そうでもないよ

漢人に対しては漢人の君主として君臨したが、中央アジアの諸民族に対しては草原の盟主として振舞った

清朝と基本は同じ

261 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 19:09:00.61 0.net
>>260
振る舞えてないよ

262 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 19:18:05.09 0.net
>>257
北斉の遺跡から発掘される文物も、西方文化の影響が濃いよ

ラピスラズリと金の指輪、ササン朝の金メッキされた銀製の把手付水瓶などがある

263 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 19:23:32.12 0.net
>>260
唐の皇帝は、中国の天子であると同時に、北西遊牧民に対しては
〈天可汗〉としてふるまっていたからな

264 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 19:28:29.09 0.net
>>261
イスラム帝国と中央アジアの宗主権を争った戦争、イスラム帝国方は「拓跋の河汗の国」と交戦したと認識してたし。

265 :世界@名無史さん:2021/08/07(土) 22:26:35.26 0.net
唐における宦官の専横の話だけど、粛宗が没したとき、皇后の張氏には
子がいなかったので、密かに別の王を宮中に招き入れ即位させようとした
それを知った宦官の李輔国らが皇后を幽閉して、代宗を粛宗の棺の前で即位させた
この功によって李輔国は尚父の号を与えられた
それから李輔国はすっかりのぼせあがり、
「大家の弟(代宗のこと)は宮中に座し、政治に関してはこの老人が決裁する」
と嘯いていたという
玄宗時代の高力士と違って政治を牛耳っていたのである
代宗もたまりかねて刺客を遣って暗殺した

266 :世界@名無史さん:2021/08/19(木) 19:33:06.85 0.net
三国時代の新羅はうまく立ち回ったけど、幸運に恵まれた面もあるよな
678年、高宗は新羅を征討しようとしたが、この計画は中止された
理由はチベット高原の吐蕃が侵攻してきたため
この時期は吐蕃が最も強盛となった時期であり、東は青海、南はインド、
西はタリム盆地、北は突厥にまで領土を広げた

267 :世界@名無史さん:2021/08/20(金) 07:24:37.75 0.net
まあ、長安から朝鮮半島は遠いし、高句麗みたいに軍事的な脅威ではない

朝貢するならそれで良しとなるのも当然か

268 :世界@名無史さん:2021/08/20(金) 08:02:26.54 0.net
679年以降、吐蕃は勢いを失う
王朝内部の抗争が原因となり、安西四鎮を唐に奪還され、
青海でも退潮を余儀なくされた
吐蕃は685年まで雌伏のときを過ごし、唐と小競り合いを続ける
ところがちょうどその頃、唐の北方で東突厥が急速に復興を遂げた
679年冬、単于都護府の支配下にあった突厥が反乱を起こした
唐は30万の大軍を発してこれを平定したが、突厥の勢力は衰えなかった

269 :世界@名無史さん:2021/08/20(金) 19:45:22.29 0.net
唐の租庸調制が、全国一律に適用されたわけではなく、
「嶺南」と呼ばれた華南では施行されず、税米を収めるだけだったと
いうことはあまり知られていないな
日本の律令制が失敗だったというけど、唐でも完全に機能していたわけではない

270 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 18:57:54.30 0.net
>>269
租庸調制、均田制、府兵制は唐の中期には破綻。
日本の失敗を強調というのは違和感あるね。

271 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:14:58.83 0.net
>>270
そうなんだよなあ

最近、「知の巨人」として売り出した出口治明なんかは、隋唐を「超先進国」と手放しで称賛し、
日本を「背伸びして中国の制度を中途半端に真似たが失敗した」とコキ下ろしてるが、
長年の中国史マニアとしては違和感がある(笑)

272 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:22:59.53 0.net
それにしても、出口治明の中国絶賛ぶりはいまどき珍しい

昔の中国がどれほど凄かったか、それに比べて昔の日本がどれほどダメだったかを、これでもかとばかりに書き続ける

「んなわけねえだろ」と思うんだがな?

「中国では、古来から魚と米の獲れる地を魚米の郷と呼び、豊かな地域の代名詞です」と、どこかのテレビのコマーシャルでも言ってたじゃないの(笑)

日本ほど豊かな魚米の郷が、他のどこにあるかいな。工業化以前の社会では、人口の大半が農民か漁民なんだよ。昔の日本の1人当たりGDPが中国より低かったとは考えにくい

なんで、出版業界はああいう人が好きなのかねえ?

273 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:28:54.18 0.net
>>272
どうでもいいけど
それは言葉の由来を説明しただけで日本が下とか関係ないだろう?

274 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:31:23.47 0.net
>>273
出口治明の著書を読んだことないだろ?

275 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:31:51.57 0.net
隋の煬帝が突厥の啓民可汗の帳幕を訪れたとき、高句麗の使者が来ていたという
隋唐時代には、異民族同士が連携して中国に対抗するというパターンが多いな

276 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:33:19.52 0.net
保険会社を定年退職してから、本を読みまくってる京都大学卒の爺さんだ

なんか、「知の巨人」として、やたら売り出されている

277 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:36:44.36 0.net
>>275
それはお互いさまだ

高句麗のほうでも、「隋と突厥は、そんなに親しかったのか?」と焦っただろうよ

278 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:39:00.32 0.net
>>274
著者が気に食わないからってなんでもケチつけるなよ

279 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:49:07.08 0.net
>>278
一言か二言、レスをつけただけなのに、いちいちカミついてくんなよ

280 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:50:51.85 0.net
出口治明だの、内田樹だの

口先が達者なだけで中身のない左翼の爺さんを、「知の巨人」と称して売り出す出版業界の体質が気に食わない

281 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 19:56:21.34 0.net
>>279
批判が的外れだから仕方ないね

282 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 20:09:15.83 0.net
>>281
出口治明は、口先が達者なだけで中身のない阿呆だ

283 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 20:16:11.82 0.net
>>282
お前もな

284 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 21:24:18.54 0.net
いや、まあ、べつに中国が嫌いなわけではないし、隋唐帝国はすごいと思うんだが

左翼の爺さんがどうにも嫌いなんだよ

こればっかりはどうにもならん

285 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:21:31.64 0.net
>>284
左翼と隋唐、何か関係あんの?
隋唐は共産主義国やったんか?

286 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:32:53.63 0.net
日本人の持つ中国のイメージは、皇帝を頂点に、科挙で選ばれた官僚が
整然と帝国を統治する、というものだけど、
唐代にはまだ名門を誇る貴族たちがたくさんいて、彼らは唐室を三流とみなしていた
文宗が皇女を一流貴族に嫁がせようとして謝絶されたというエピソードもある

287 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:35:21.06 0.net
>>285
歴史談義ってのは、左翼や反日朝鮮人をコキ下ろしながらするもんだろ

それが歴史談義の楽しみ方だ

288 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:36:15.61 0.net
>>286
そのイメージは唐宋変革の後
東漢から唐までは中世門閥貴族社会

289 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:36:38.16 0.net
>>287
で、どんな関係あんの?

290 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:37:08.41 0.net
>>285
土地の国有は共産主義に通じる。

291 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:37:18.10 0.net
>>286

> 日本人の持つ中国のイメージは、皇帝を頂点に、科挙で選ばれた官僚が
> 整然と帝国を統治する、というもの

そうなんだよな

それは明清帝国のイメージなんだよなあ

292 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 22:41:53.50 0.net
>>287
きっしょ
イデオロギーで歴史語る馬鹿は死んで

293 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 23:03:29.58 0.net
>>292
そうじゃない

イデオロギーで歴史を語るのは、左翼と反日朝鮮人の習性

そいつらを批判しながら歴史を語るわけだな

294 :世界@名無史さん:2021/08/21(土) 23:26:35.11 0.net
>>293
自己紹介乙

295 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 00:38:43.13 0.net
サヨクの考えは
「日本は悪い国だ!大和民族は悪い民族だ!」
「でも、それを指摘する自分は正しい!大和民族もとい日本人だが正しい!」
だろ?

そんな選民思想が嫌われる

296 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 00:46:25.01 0.net
なんだこいつ

297 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 01:07:34.90 0.net
明清帝国スレで暴れ回ってたネトウヨがこっちに回ってきたんかな?

298 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 01:46:47.00 0.net
>>295
そんなことが書いてある部分をマルエン全集から引用してくれ

299 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 08:49:16.30 0.net
な?結局ネトウヨのせいでスレが潰れていくだろ?
だめなんだよ、ゴキブリと一緒で潰しとかないと

300 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 09:27:10.49 0.net
律令制国家と共産主義国家には共通点がある。
土地資本の公有という人為的計画的経済システムに人々を引き付けて多くの民族が採用するも
システムに不自然な無理があって
時間経過と共に破綻と崩壊が生じる。

301 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 09:38:03.62 0.net
鮮卑人による征服王朝であること、漢末からの大混乱で華北の人口が激減していたこと

この2つの主な理由により、均田制の割り振りが可能となった

世の中が復興して、地主の既得権益が増えたら制度が崩壊した

302 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 10:15:39.97 0.net
共産主義も戦乱からの復興では有効で当初の経済成長率は高い。
復興が進むにつれ成長率が鈍り、破綻に移行する。

303 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 10:35:42.90 0.net
>>269
均田制がどこまで施行されてたかは諸説ある。
辺境の西域の行政文書を根拠に
こんな僻地でも実施されてたから全土で実施してたに違いないと考える人と
僻地だからこそ実施できたに過ぎないと考える人に分かれる。
自分は前者だな。
真似をした日本の東北地方から九州まで条里制遺構が残ってるわけで、
お手本の本家に倣ってるわけで
本家が部分的実施のみとは思えないから。

まぁ反論は認める。

304 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 10:40:32.56 0.net
唐代の軍制についても、全国におよそ350あった州のうち、
折衝府のおかれていた州は90にすぎなかったから、
地方によって負担にはなはだしい格差があった

305 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 11:08:05.66 0.net
兵士の武具や食糧が自弁というのはヒドいす。
国家が支給してください。

306 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 11:35:37.61 0.net
自弁というのは建前で、現実はそれじゃ兵士が飢え死にしてしまう

307 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 11:41:48.66 0.net
関中、つまり唐の都・長安のあたりは屈強な兵隊が多いと評判で、多くの若者が徴兵された。遠征先は、主に今でいう青海省。そこで西域の異民族と戦った

日本でも、関東の兵隊は屈強だというので多く徴兵され、遥か西の方、北九州沿岸に赴任して防人となった

奇しくも、関中から青海までと、関東から九州までは、どちらも約1000kmの距離で西にあるというのも似ている

もっとも、日本の防人の場合は、実際には唐や新羅がなかなか攻めてこないので実戦の機会には乏しかった。唐の防人は死屍累々だったが

308 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 12:50:03.09 0.net
>>306
だよね。
教科書にそう書いて欲しい。

309 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 12:52:09.33 0.net
>>307
租庸調の租の負担は軽い気がする。
負担の大きいのは兵役、労役だろう?

310 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 12:58:08.28 0.net
>>308
では実際は?

311 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 13:37:18.94 0.net
>>310
官給があった。

312 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 13:41:07.65 0.net
Wikipedia「府兵制」によると、こうだが


唐における府兵制は成人男子(21歳 - 59歳)を対象に3人に1人の割合で徴兵し、折衝府と呼ばれる部署に集められ、1年に1〜1回、1ケ月間国都の衛士の勤務 、3年間、防人として辺境の防衛にあたらせた。

・・・遠征軍を編成するときには臨時に募兵が行われる。これは「行軍」と呼ばれ、府兵の諸物資が自前に拠ったのに対してこちらは官給であった。

府兵制は、農耕土着風習の中国人にとってはかなりの重い負担であった。玄宗期には均田制自体が行き詰まり・・・逃げだす者も増加し、兵が思うように集まらなくなる。

・・・そして辺境の兵士たちは府兵制に於ける3年間のような短い期間ではなく、6年あるいはそれ以上の時を辺境で過ごすようになる。
更に737年に辺境の軍鎮に半永住する長征健児制が出来る。これらの兵士たちは全て募兵であり、生活を国家からの支給で賄う職業軍人であった。

ここに至り、唐における兵農分離が完成し、府兵制は完全に消滅した。

313 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 13:49:01.17 0.net
日本だと、日本史の教科書では
「隋唐から均田制を導入しましたが、やがて地主階級の既得権益が増大して行き詰まり、大土地私有制に移行しました」
というのが最重要事項で、小学生から中学生まで学校の授業で繰り返し、このストーリーを刷り込まれるんだが

中国史では、「均田制の崩壊」が強調されることはあんまりないように思う。
それよりも、「租庸調制が行き詰まり、両税法になりました」という税制の話がクローズアップされるみたい

これは東アジアで同時多発的に起きた状況で、似たような均田制の崩壊は新羅でも起きたと言われているが、こちらは記録が乏しすぎて詳細不明

314 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 14:07:59.16 0.net
上で出口治明を批判したけど、それは著書を読んで失望したせい

「日本だけ見てるから、本当の日本史が分からないのだ。東アジア全体から日本史を語る、知の巨人・出口治明ならではの画期的な本」というから期待してたが、まったくそんな内容じゃなかった

「隋唐から均田制を導入してみたが、遅れた国の日本が超先進国の隋唐を真似るなど、どだい無理があったのだ」とか、そんな話ばっか

唐や新羅の話など、まったく出てこない。こちらの期待値が高すぎたのが原因とはいえ、あまりに期待外れだった

315 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 14:17:24.32 0.net
おそらく、想定していた読者層に比べて、こちらがマニアすぎたのだろう

それは割り引いて考えないといけないが、それにしたって、宣伝文句があまりに誇大だった

316 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 14:22:13.03 0.net
>>314
体制の切り替えでは日本は上手く対応してる。
唐、新羅、渤海国などが連鎖的に次々滅亡する中で
将門、純友の乱を切り抜け、
王朝の繁栄が続いた。
まるで道真の遣唐使中止の献策から体制切り替えを目指すかのように。

317 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 14:49:44.29 0.net
玄宗は府兵制堅持にはこだわらず、高宗時代からあった「軍鎮」を
積極的に増やし、統括者としての節度使を置き、「健児」という名の兵をつのった
兵士に費用自弁を求めず、公的に支給するようになったが、
唐朝に十分な準備はなく、節度使の裁量に任されるようになった
節度使には財政権や軍隊指揮権だけではなく、人事権や行政権もゆだねられた

節度使が中央の統制を離れる素地は、安史の乱以前からあった

318 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 18:23:11.47 0.net
地方分権、民営化が時代の趨勢

319 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 18:27:22.46 0.net
まあ、日本や西欧の封建制ほどハッキリしたものではないが、地方分権が進むのは中世型社会への移行現象だわな

320 :世界@名無史さん:2021/08/22(日) 22:28:57.68 0.net
唐の門下省は有力貴族の牙城であり、中書で立案する
天子の命令に対する拒否権を有していた
ここが適切でないとみなせば、勅命を差し戻すことができた
この門下省を通過した政策・指令のみが、執行政庁の尚書省、
およびその下に属する政務分担機関の六部にまわって、ようやく実施に移される
このように天子の権力行使に制御をかける仕組みになっていた

321 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 08:47:26.60 0.net
三省六部九寺一台五監

322 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 08:49:06.23 0.net
唐は門下省の時代か

323 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 11:15:33.55 0.net
>>269
大抵の国で税制は柔軟運用だよ。
日本の租庸調も、
陸奥国は、租は半分、庸と調は無し、代わりに防人と時々砂金を差し出す。
上総国は、租と庸は無し。調だけ麻布をどっさり納めさせた。
飛騨国は、庸の代わりに木工匠を差し出させた。
みたいなふうに。
米は良いから特産品出せ、壮健な兵員を出せ、細工の得意な人を出せってふうに。

324 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 12:12:22.94 0.net
旧南朝地域は、租調役は課されていたが、江南の租は布(麻布)で代納され、
しかも資産等級(戸等)に応じて納入額に差をつけることが定められていた
唐において「貧富に関係なく一律に粟二石」と定められていた租の本来規定からは
大きく逸脱する運用

325 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 13:33:50.69 0.net
>>275
北周・隋・唐の時分はチャイナからして、拓跋人と匈奴と突厥と羌の連合政権のようなものだろ

326 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 13:39:20.63 0.net
皇帝を頂点に、科挙で選ばれた官僚が整然と帝国を統治する
なんてイメージねえよwwwww

賄賂の横行するグダグタ政治
官僚が整然どころか、宦官が蚕食だろうて

327 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 13:57:14.56 0.net
>>291
日本でそんなイメージ持ってる世代って何歳くらいの人?

戦争に行ってチャイナの土を踏み現地の兵隊や人を見てきた人らは、中国人は自分らで国を運営する力なんて無い、
だろうし、その子らの世代からは、社会科の教科書で、明や清は内政は皇族等の有力者とか宦官が財政を蝕み、
外冦に対してグダグダ、皇室のお家騒動と軍閥の小競り合いで消耗ってイメージだろ。
明は靖難の変に土木の変、清は映画「ラストエンペラー」が、そのイメージの最たるものだろう。

328 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 14:18:12.87 0.net
>>307
関東から兵員を徴発して九州で任につかせていた時代、関東はド田舎じゃん。都の周辺ではないよなあ。
似てないよwwww

唐や新羅の侵攻に対応するには、別に関東の兵員なんて集めてなかったよ。それこそ古参の氏族の兵員を畿内から徴発。
防人は、隼人に対する備え。九州の離反を防ぐもの。

古今東西、どこにでもある、辺地を統治する手法としての、現地人の比率を下げる政策だ。
古くはバビロン虜囚とか、ローマの「全ての道はローマに通ず」とか。
パレスチナの人間の半分を連行してバビロン他カルデア領内各地に住まわせたり、
特恵たっぷりのローマ市民権を得たければ兵役25年道づくり城壁づくり造った道の一番先の植民都市で家と開墾地と市民権を貰うとか、
新しめのものなら、イギリスの植民地支配、マレーシアやらケニアやらニューカレドニアに原住民系だけでなく華僑だらけインド系だらけ、
南アフリカなんて、黒人比率を下げるために支那系インド系マライ系ぶち込んで且つ、白人の中でのブール人の比率を下げるために、
ドイツ人とアイルランド人を多数投入とかな。

防人で関東東北の現地人を減らし、代わりに、百済や高麗や任那の遺臣遺民を放り込み、九州へは東日本の防人をブチ込みつつ、
隼人を畿内に連れてくるというふうにして、辺地の現地人率を下げる政策を取っていた。

329 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 19:18:18.45 0.net
>>313
どこの国でも行き詰まる制度なら、その制度そのものの欠陥ではないの?

330 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 22:45:25.72 0.net
>>329
唐は、古代の全盛期を創出した漢代にならおうとする傾向が強かった
唐が平時の理想的統治モデルとして参照できるのは漢代しかなかったという
理由もあったが
しかしあまりに復古主義的な政策は、いつの時代にもうまくいかない
王莽の新がそのいい例

331 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 23:03:14.51 0.net
煬帝、昔の日本の歴史漫画でこの人を知ったけど閻魔大王ぽい風貌で
描かれてて結構インパクトあった

332 :世界@名無史さん:2021/08/23(月) 23:10:59.64 0.net
唐の皇帝に仕えた西洋人って結構多かった?

333 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 04:49:30.60 0.net
>>329
行き詰まったといっても、200年か300年くらいは、それなりに機能した

最初の100年は、とくに機能した

どこの国でも国家形成に必要だった

334 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 04:59:20.74 0.net
近代化するための開発独裁・社会主義体制と似ている

高度経済成長するためには効率の良い体制だが、成長が頭打ちになったら無用の長物と化す

335 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 05:11:21.91 0.net
>>332
西洋人っていうか、ペルシャ系・ソグド人は朝廷にも民間にも多いわなあ

336 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 06:29:04.14 0.net
>>335
ギリシャ人はどうだったんだろうな

337 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 07:23:52.48 0.net
>>336
さすがに遠すぎる

338 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 07:38:45.40 0.net
>>333
ふと思ったんだが、日本が明治初期に西洋をモデルに作った体制も、
いつかは時代に合わなくなって変形していくのかなあ

339 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 07:47:38.42 0.net
>>334
礼記の大同思想みたいに
天下は公有であるべきで、公平に土地を均分すべきというのが儒学者の理想。
孔子は共産主義者。

340 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 07:56:47.31 0.net
>>338
憲法を不磨の大典として固守すれば時代に合わなくなる。
律令も合わなくなったんで、令外の官なんかが登場。

341 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:04:23.80 0.net
>>333
機能してないだろ。
停滞をもたらした。
所謂東洋的停滞の始まりだろ

342 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:10:10.19 0.net
>>341
いやいや、それは結果論

隋唐(北魏)も、日本(倭)も新羅も、初期には荒廃地や未開拓地が多かった。
国家主導の開発独裁体制で、開墾が急速に進んだ。
古代の高度成長期といえるかもしれない

343 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:16:08.50 0.net
やがて開拓が進んで成長が頭打ちになり、飽和してきた。これ以上、農民に分配しようにも新たな土地がなくなった

そこからが東洋的停滞の始まりだ

これは、現在の東アジアの状況と似ているように思う。
日本・韓国・台湾・中国、東アジア諸国は、日本をモデルとする高度経済成長で世界を驚かせてきた。
でも、もう道路も鉄道も造りすぎ、建物も建てすぎの飽和状態。
どの国でも国家主導による開発が一段落し、体制が揺らいでいる

ひょっとしたら、ここからが長い「東洋的停滞」の始まりなのかもしれない

344 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:36:19.24 0.net
>>343
東洋的停滞はまだずっと先の話だよ。
土地の私有が公認されると
新たな開発が進んでる。

345 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:43:29.32 0.net
無理やり現代の経済論にあてはめてるの
的外れすぎて馬鹿丸出しだぞ

346 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:44:41.54 0.net
>>342
国家事業の開拓が進まないから、三年免租から墾田永年私財法だろ

347 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 08:55:23.33 0.net
近代国家と同じで、国家には体制、統治機構ってものが必要だ

律令制とは、日本では「均田制」の意味で使われることが多いが、本来はそうではなく法治国家のことだ

日本人は土地に対する執着が強いので、どうしても土地を巡る制度に注目しがちだが、大陸ではそうでもない

むしろ、法制や税制への関心が高いように感じる

348 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 09:10:13.85 0.net
>>347
律令自体は明清でも制定されてる。
でも律令制国家とは呼ばない。

349 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 09:28:08.53 0.net
>>347
日本では統治機構や行政法の令に関心が強い。
でも本来は律が重要。
唐律も明律も共通点があって、古来からの家族制度の維持に気を遣ってる。
一種の道徳主義。
法律は道徳の補助で、道徳が主で、法律は従。
法律と道徳が一致しない場合は道徳を優先すべしというのが律の根底の理論。

350 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 09:35:30.01 0.net
>>347
じゃあ、なんで逃散とかあるんよ? 結構重い罰を課してるんよ?
耕している土地に強い執着有るなら、逃散なんて生じ得ないだろ

351 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 09:39:20.73 0.net
>>349
いまでいう民法だな

352 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 10:43:34.55 0.net
北朝由来の田制や税役制度は、一般農民に対する一律の田土支給と税役賦課を
規定しており、貴族の大土地所有を前提に設計されてきた江南社会には
なじみにくかった

唐代中期には募兵制と両税法が採用されるが、唐長孺はこうした変化を
「唐の南朝化」と呼んだ

353 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 17:47:29.12 0.net
>>352
田ガチャに不満は起きなかったの?
我が家から遠いところに割り当てられたり
親父がせっせと肥やした田んぼ召し返されたり
で不満爆発しないの?

354 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 19:27:43.81 0.net
>>343
>日本・韓国・台湾・中国、東アジア諸国は、日本をモデルとする高度経済成長で世界を驚かせてきた。

全然違うけど
4国の貿易依存度を見ればわかるけど中韓は典型的な貿易立国なのに対して日本は島国にも拘わらず世界有数の内需国
経済成長政策が真逆だからこういうことになるわけ

355 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 20:37:13.03 0.net
>>353
土地の公有は農民にインセンティブを与えない。

356 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:10:34.28 0.net
>>345
現代の経済学論争のテーマだって
古くは前漢の塩鉄論から続いてるものがある。
経済に国家が大きく関与すべきか、民間に任せるべきか?
重視すべきは財の公平な分配か、それとも経済効率か?

357 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:24:39.83 0.net
>>356
そうではなく
公地公民を共産主義だの開発独裁だのと無理やり当てはめるのが
アホ丸出しだといっている

358 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:38:50.38 0.net
>>357
無理やり感はないな。
共通点が多い。
戦乱の荒廃からの復興を国家主導の経済システムで果たす。
一時的には国力を増大。
次第に破綻。
システムを導入した国々が同時期に連鎖的に崩壊。

359 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:40:52.09 0.net
>>352
そうだな

戦乱と民族大移動というのは北朝の状況

南朝は、すでに広大な荘園を持つ大貴族の世界

360 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:44:56.68 0.net
隋唐も、旧・南朝の領域で均田制を導入するのは、北でやるより困難だっただろうな

最初から不完全な制度にならざるを得ない

361 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 21:57:46.41 0.net
>>271
> 「知の巨人」として売り出した出口治明

今年の1月から長期入院し、最近になって退院したが現在はリハビリ中とのこと

70歳代だし復帰は困難か

362 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 22:08:27.90 0.net
>>358
くだらねー
なんにでも当てはまるようなことでしかない

363 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 22:18:41.53 0.net
>>362
東アジア諸国が一斉に同じ国家開発モデルを採用したことなど、このときと現代の2回しかないだろ

2000年の歴史で、たったの2回だ

364 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 22:43:25.51 0.net
>>363
馬鹿ですか?

365 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 22:43:30.22 0.net
680年代、唐の脅威が去ると、倭国は浄御原令という体系的法典の編纂に力を注ぎ、
一方新羅は旧朝鮮三国の統一的支配に重きを置いた
倭国では「律令体制の確立」、新羅では「戦後体制の構築」が目指された

366 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 23:40:00.18 0.net
朝鮮半島のような南北に細長い地形は、統一を維持するのが難しい。南と北では風土も違うし、放っておけば分裂する

古今東西、侵略とか征服ってのは、寒い北国から暖かい南国へ、また、高地から低地に向かって行われることが多い

新羅王朝はそれとは逆で、南の低地から興った国が、北の高地を併合したケース。それだけ統一の難易度は高かったことが推測できる

367 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 23:44:07.43 0.net
西の百濟が低地なのと比べれば、東の新羅は高地だな

でも、北朝鮮はもっと山岳や高原が多くて、しかも寒い

日本や韓国から北上して北朝鮮を征服するというのは、かなり不自然で無理がある

368 :世界@名無史さん:2021/08/24(火) 23:54:04.03 0.net
そんな傾向ないぞ
意味わからん原理ばかりを提唱するのはやめなさい

369 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 00:34:16.60 0.net
>>366
細長い国なんてたくさんでもあるじゃん?
たとえばイタリアとかノルウェーとか。
ローマ帝国の本国の範囲が、アペニン半島のルビコン川より南・西。
ルビコンの河口の町(サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ)から半島の先端の町(メッシーナ)まで直線距離700キロ
朝鮮半島の鴨緑江河口の町(丹東)から半島先端の町(釜山)までが直線で670キロくらいだから、結構、規模は近いよ?
ノルウェーなら、南西端のフレッケフィヨルドから北東の端バルデまで1600キロくらいあるよ。

東洋だって、ベトナムならホーチミンカオバンまで1300キロ、ラオスならポンサーリからチャパーサックまで1000キロちょい
タイのチェンライからナラティワートまで1300キロ、メチナガルからマヘンドナガルまで900キロ。
今の国は四角いけれど、古代には川沿いの幅30キロくらいしか支配域が無かった、エジプトも、ナイル河口からアスワンまで1000キロ。

370 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 02:41:37.00 0.net
日本も南から北へ侵略じゃん

371 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 04:49:39.57 0.net
>>369
「朝鮮のような南北に細長い国は、統一するのが難しい」というのは、主にイタリアとベトナムを念頭に置いている

どちらも、朝鮮よりもっと統一が難しい

372 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 08:03:10.17 0.net
ベトナムも、統一王朝はほとんどが北から南

でも、阮朝は南からだな?

373 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 08:06:45.85 0.net
イギリスは、南のイングランドを中心にして連合王国を作った
スウェーデンをはじめとする北欧諸国はどうなんだろう?

374 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 08:08:19.80 0.net
いや、阮朝はベトナム中部が本拠地だな

北の鄭氏と南の広南阮氏の南北対立状況から、その2つを両方とも倒して最後の統一王朝になった

19世紀の初め頃だから、清朝はすでに落ち目だけど

375 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 08:13:36.03 0.net
>>373

> イギリスは、南のイングランドを中心にして連合王国を作った

まあ、国力としてはそうだけどね

形としては、スコットランド国王がイングランド国王を兼任するところから始まった。
スコットランド国王は、大国イングランドの国王に即位するのが、うれしくてたまらなかったそうだが

376 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 08:40:36.32 0.net
>>371
いや、ベトナム45年前に再統合してんじゃん。
北朝鮮・韓国、いつになったら再統合するの?
ドイツ大好きな韓国さんよ、ドイツを見習って国家再統合しないのか?

377 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 09:42:36.67 0.net
>>376
再統合はするつもりだ

そのために必死で反日している

378 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 11:05:39.25 0.net
>>377
「つもり」に実力が追い付いてないって空しくないかい?
韓国はベトナムを格下にみているようだけれど、再統一の邪魔した韓国よりもずっと先に再統一しているからね
ベトナムの方が格上なんじゃないのかなあ?

379 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 11:33:13.88 0.net
格上てw
赤化統一した結果経済は低迷して生活水準は貧困のままだろ?
分裂維持して西側のショーウィンドウとして頑張ったほうが良かったのでは

380 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 11:34:42.84 0.net
文在寅は、南北が統一されれば日本を超えることができると考えている

381 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 11:55:09.77 0.net
>>379
確かに、それはよく思う

南ベトナムのままだったら、サイゴンは東南アジアの都として、シンガポールも超えてたんじゃないか

382 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 12:09:06.23 0.net
>>380
1+1が3になるな

383 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 14:44:07.49 0.net
日本の場合、「令外の官」である征夷大将軍が一人しかおらず、
故にしばしば統一政権の核になったが、節度使は広大な中国の各地に
おびただしく設けられ、中央の手の及ばない割拠勢力になって、
やがて唐は四分五裂のありさまになった

結局それを収集したのが君主独裁制

384 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 19:57:59.23 0.net
>>379
貧乏なベトナムも、もっと豊かなドイツも、油の出ないイエメンも、国家再統一してますよ?
おまエラとキプロスだけだろ、再統一してないのは。
キプロスは再統一こそしてないけど、平和裏に住民が自由に往来できているぞ。

385 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:00:26.99 0.net
>>384
>再統一してない

ヨーロッパ
ローマが滅びてから二度と再統一してない

386 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:03:07.97 0.net
>>385
文明度の高い国ほど再統一しにくいということが、よく分かるな

387 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:17:34.43 0.net
モンゴルも再統一されてないな

388 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:18:25.59 0.net
あれは中国に国土の大半を占領されてるだけだろ

389 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:25:59.99 0.net
>>384
統一して苦しんでるところばかりだは

390 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:32:54.75 0.net
中央アジアの〇〇ハン国とかほとんど消えたな

391 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 20:55:41.07 0.net
民族主義による国家統一って
同じ文化圏・言語圏の領土領民をひとつにまとめることでより強い経済圏を形成するってことであって
19cドイツやベトナムがやるのはまだしも
統一することで片方に明らかに負担が生じるような東西ドイツ統一や朝鮮統一に経済合理性はほぼない(少なくとも西側において)し
西側国家の有権者にとってもロマン主義的な感覚を差し引いたら支持し難いわな

だから韓国は統一を将来的に目指すとしても混乱が生じないよう連合制を志向してるんだよね

392 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 21:24:26.41 0.net
>>388
ブリヤートやカルムイクは無視か?

393 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 21:33:20.82 0.net
>>385
ローマの本領だった部分は、後から本国編入した分(近ガリア、シチリア)まで含めて、再統一してますよ?
そういや、ウリナラファンタジーの大百済の外百済・奈良百済はいつ統一してましたか?

394 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 21:41:53.54 0.net
ローマの本領?って何だよw

395 :世界@名無史さん:2021/08/25(水) 23:44:45.05 0.net
唐代の科挙は、科目が六種類あったのに、宋代には進士科のみに一本化された
明法科や明算科を残しておいたほうがよかったのではないかな

396 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 01:42:43.93 0.net
>>394
ラテン語でいうと、PRAEFECTURA ITALIAE
紀元前87年にローマ市に編入された地域。
アペニン半島のルビコン川より南側。

ユリウス・カエサルが「ルビコン川を越えた」というのは、「ローマ市内で戦闘してはならない」という禁を犯して、
臨戦態勢の武装をしたままガリアからローマ市であるところのルビコン川の南に入ったことを問題視したから。

この後、紀元前27年、近ガリアがローマ市に本国に編入された。
大体今のイタリア国の大陸部分と同じ。

これ以外のローマ帝国の支配地域は本領でなくて、属州。植民地のようなもの。

397 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 01:47:37.09 0.net
イタリアはイタリア語圏統一を目指してたけど失敗したんですよ

398 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 05:36:58.38 0.net
>>395
平安時代の日本の貴族も、文系教養人のイメージが強いけど、朝廷の役人としての実務のために算数を勉強していた

399 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 05:38:29.57 0.net
隋唐は、中国と中央アジアにまたがる帝国

中国というより、ユーラシアの帝国だ

「中国」と言えるのは、宋から後ではないかと思う

400 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 06:29:21.16 0.net
中央アジアがイスラム化したのはタラス河畔の戦いで負けたから?

401 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 07:01:07.11 0.net
本雲丹支配していたの?

402 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 07:40:35.52 0.net
アッバース朝、タラス河畔で唐軍を破っただけでなく、
数年後の安史の乱で唐へ援軍まで送ってる。
没落する帝国と勢いありまくりの新興帝国の違いだな。

403 :世界@名無史さん:2021/08/26(木) 15:12:34.05 0.net
タラス河畔の戦いは、「東の唐朝、西のアッバース朝。東西の巨大帝国の激突」として名高い

でも実質的には、節度使の高仙芝と、「ホラーサーンの虎」ことホラーサーン総督アブー・ムスリムによる、唐朝の西端とアッバース朝の東端の戦いだ

タラス河畔の戦いに敗れて、高仙芝は中原にホコ先を向けた

バグダッドのカリフによりアブー・ムスリムが排除されて、ホラーサーンの勢いも止まった

404 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 06:50:32.67 0.net
唐は草原の帝国

405 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 06:51:20.60 0.net
定住した元・遊牧民の王朝

406 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 08:00:16.98 0.net
>>403
高仙芝は西域72カ国を屈服させた猛将。アブー・ムスリム側の動員兵力は二十万。
戦端を開くきっかけはどうあれ、東西の巨大帝国の激突じゃん。

その後、高仙芝は安禄山の乱に対応せねばならず、途中讒言のために処刑される。
軍功著しいアブー・ムスリムはカリフの脅威と見なされて、カリフの刺客に殺される。

407 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 16:17:52.41 0.net
>>405
モンゴル帝国定住してないぞ漢土の統治が面倒になったらとっとと漠北の草原地帯へ引き上げてるぞ

408 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 19:24:38.81 0.net
唐代のアジア情勢は、唐・吐蕃・突厥の動きを主軸とし、
契丹・渤海・新羅などがそれぞれ複雑に離合して進んでいった
この時代は中国の最盛期ではあるけれど、周辺諸民族もなかなか
活躍しているな

409 :世界@名無史さん:2021/08/27(金) 21:51:26.90 0.net
>>408
安史の乱の鎮圧の功労者のウイグルも強盛を誇った。
もしウイグルがソグド人の安禄山に味方してたら遊牧征服帝国ができただろう。

410 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 05:31:43.22 0.net
>>408
唐も周辺諸民族のひとつ

411 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 08:02:53.52 0.net
安史の乱勃発直前の754年の唐の戸数は907万戸、人口は5288万人。
乱終結直後の764年の戸数は293万戸、人口は1692万人。
戸籍上で人口の三分の二が失われた。
援軍としてやって来たウイグル軍は唐の黙認のもとで略奪し放題。
アッバース朝が派遣したアラブ人部隊数千人も唐に駐留したまま。
もはや唐は完全に別の国。
元に戻れない。

412 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 08:30:44.22 0.net
史朝儀がウイグルに使者を派遣して我々反乱軍と手を組んで唐の富を得ようと持ちかけた。
一方、唐もウイグルにどこでも略奪を許可するから唐側に付いてほしいと要請。
ウイグルは唐から毎年、絹数万匹を受け取ってることもあり引き続き唐の味方となった。
ウイグルは思う存分略奪を働くことができた。

413 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 17:02:50.77 0.net
>>412
やっぱり唐がチャイナのピークなんだな。
1000年経った共産党と国民党がやり合ってる時期も、互いの勢力圏からなんぼでも略奪していいってふうな軍規だったろ。
下手に統治経験あった分、国民党の方が無茶させないシバリがあったものだから、、奪い放題公認の共産党軍に付く盗っ人が多かったわけだ。

414 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 17:07:08.74 0.net
同時代の世界で文明レベルが突出してたのは宋やろ
唐代ならイスラムのほうが文明レベル高そうやし
漢代ならペルシアやローマもあったし

415 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 17:21:37.60 0.net
そんなバカな

チャイナのピークはモンゴル帝国に決まってるだろ

他にあるかっつーの

416 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 20:28:03.43 0.net
>>414
宋の文明レベルが低いから、モンゴル帝国はわざわざ西域人を連れてくるは、宋の官吏を政治から排除するは、だったんでしょう?
ウイグルでもチベットもカラキタイでも西夏でも攻め取ったところの官吏を取り込んで統治に使っていたのに、宋だけは完全に排除した。

417 :世界@名無史さん:2021/08/28(土) 21:42:36.26 0.net
聖域のイスラム国家とかギリシャローマの遺産で食い繋いでいただけで何も生み出せてないじゃん
しかも劣化させてるし

宋がもし存在していなかったら宋代に発明された羅針盤も火薬も同時に存在しえない
現代でもアメリカ大陸ではインディアンが跋扈していて国家間の戦争も刀剣や弓矢による個人的武勇が
勝敗を決する原始的な社会になっていただろう

418 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 02:02:16.38 0.net
>>417
火薬を作れたところで銃砲類は作れなかったよね。元寇の「てつはう」とかお笑い種だし。
羅針盤を作れたところで正確な地図も暦も作れなければ遠洋航海もできなかったよね。

硝酸カリウムは乾燥地帯にはありふれた材料だから、別に支那が見出さなくても早晩爆発する粉は作り出されただろうし、
羅針盤なんか無くても、隋・唐の時代はイスラム商人が泉州や広州に来航していたし、紀元前には、西ヨーロッパ・地中海・エジプト・ペルシャ湾・アラビア海を
フェニキア人が航海しまくっていた。

419 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 08:10:37.46 0.net
羅針盤も火薬も、歴史に現れる最初の記録が中国の史書ってだけ。「中国で発明されて世界に広がった」というのが確実なわけではない

羅針盤ったって、中国人はそれを風水占いに使ってた。それを遠洋航海に使ったアラビア商人こそ、真の発明者と呼ぶべき

420 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 08:15:23.55 0.net
方位磁針を発見したのは中国人ということになっているが、他の地域でも、記録が残ってないだけで知られていた可能性はある

中国人はそれを「北東の方角は不吉ですな」とか「南の方角に向けて正門を作ろう」とか、そんな風にして使ってた

火薬だって、東ローマ帝国が使ってた「ギリシャの火」のほうが、武器使用としては早かったんじゃないかという話もある

421 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 08:20:24.06 0.net
羅針盤がなかった頃の航海は、北極星が頼りだった

北極星は、常に北の空の中心にあって動かない。北斗七星やカシオペア座との位置関係で、いま向かっている方角を判断できた

422 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 08:31:05.90 0.net
実際のところ、「中国人が発見した方位磁針を元に、アラビア人が羅針盤を発明して航海に使うようになり、ヨーロッパ人がそれを改良して本格的な羅針盤にした」というのが羅針盤の歴史

「せっかく羅針盤を発明したのに、何で中国人は遠洋航海に乗り出さなかったのか?」というのは、順番を逆にしたことによる疑問

日頃から遠洋航海しているアラビア人だから、方位磁針を航海に利用することを思いついたのであって、その逆ではない

423 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 08:38:37.60 0.net
>>420
羅盤に使うから羅針盤かよwwwww

424 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:05:35.93 0.net
>>422
じゃあ、なんで支那人は遠洋航海しないの?
福建・台湾のあたりって、前近代に最も海洋進出したマライ・ポリネシア諸語の源郷でしょう?
隋・唐の時分には、海路でイスラム帝国、シュリーヴィジャヤ国、占城国、扶南国、パラヴァとか入朝してきてたでしょう。
唐の船がまちっとマシなら阿倍仲麻呂も鑑真和上も苦労はねえよな。

425 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:09:26.94 0.net
>>424
中国本土に交易産品が勝手に集まるから漢人自ら遠洋に乗り出す動機がない

426 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:14:18.12 0.net
福建省や広東省が独立してたら、海洋国家になっただろうけどな

北京が支配して海禁政策をとり、抑え込んだから

427 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:17:12.88 0.net
アラビア人は商業民族

砂漠の中のオアシス都市は、海に浮かぶ島みたいなものだ。そこを砂漠の船・ラクダで島から島へと渡っていく

海洋貿易も、彼らにとってはその延長だろう。地中海にも行けるし、紅海やペルシャ湾からインド洋にも行ける、非常に有利な位置

428 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:20:46.93 0.net
中国は、やはり基本的に大陸国家

ランドパワーだ

429 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:20:58.15 0.net
>>418
>火薬を作れたところで銃砲類は作れなかったよね。元寇の「てつはう」とかお笑い種だし。
13世紀元代の火砲
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Yuan_chinese_gun.jpg

>遠洋航海もできなかったよね。
歴史の授業で南海貿易を習うはずだが寝てて聞いてなかったの?
応永15年(1408年)の小浜にパレンバンから漢人使節の亜烈進卿が来航したのだが
何でインドネシアの王国の使節を漢人がやっているのかよく調べてみようね

430 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 09:59:25.99 0.net
日本もようやく17世紀に入って朱印船による遠洋貿易に乗り出すのだが
肝心の船の建造や航海士は雇われた漢人あと少数の西洋人頼みで航海技術は少しも進歩がなかった

羅針盤発祥の地の隣にありかつ島国という立地にもかかわらず
日本人がその使い方を始めて知るのは幕末の海軍伝習所を待たなければならない

431 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:05:54.50 0.net
>>430
だから、中国は羅針盤の発祥地じゃないんだって

彼らが発明したのは方位磁針であって、羅針盤ではない

432 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:10:14.39 0.net
>>429

> 何でインドネシアの王国の使節を漢人がやっているのかよく調べてみようね

飢えた貧民だらけで強権的な政府に抑圧される中国から、豊穣の地・インドネシアに移民したんだな

433 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:11:01.67 0.net
https://www.y-history.net/appendix/wh07-031.html
>中国商人はこのジャンク船で、羅針盤を使い、遠くインド洋まで航海に出た。大きさは約300トン、乗組員5〜600という大型から、約120トン、乗組員2〜300の中型とがあった。

434 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:18:14.39 0.net
『東洋旅行記−カタイ(中国)への道』オドリコ (Odorico1286~1331) (家入敏光訳)
このマンジ州にはゆうに二千の大都市があり、それ等の大都市は非常に巨大なため、
トレヴィソもヴィチェンツアもその数に入れられぬほどであり、
またこの地方の人口は非常に多くて、我等には信じ難い程である。(p. 95)

『中国キリスト教布教史』マッテーオ・リッチ (Matteo Ricci, 1552~1610) (川名公平訳)
この王国は非常に広大で人口も多く、食糧もあり、船、大砲、その他の武器をつくる材料もあるので、
それを用いれば、少なくともすべての近隣諸国を容易に支配下におくこともできるのだが、
それにもかかわらず国王も国民もそれにこだわることもそれを論議することもなく、
自国に満足して他国を欲しがるということがない。 (p. 69)


『チナ帝国誌』アルヴァーロ・セメード (Alvaro Semmedo, 1585~1658) (矢沢利彦訳)
国土が非常に広大で、いくつもの緯度にまたがっていて、気候がいたって変化に富んでいるために、
この国ではさまざまな産物が収穫され、消費されており、
まるで神が世界の他の国々にお分けになる一切のものを
ここに集中なさったかのように思えるのである。(p. 269)

435 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:24:20.84 0.net
>>433
明朝の時代になると、西洋から羅針盤が伝わって、中国人も遠洋航海できるようになった

436 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:25:30.79 0.net
>>434
中国の南部は気候風土に恵まれた豊穣の地だが、貧しい中国北部に支配され搾取される運命

だから、東南アジアやインドのほうが豊か

437 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:37:29.02 0.net
>>429
日本は文書は漢字を使う、漢字の読み書きのできる人を使節に出そう、支那人の文官は漢字が使えるから適役
……ってそんなに悪い発想ではないよ?
元寇のときだって、正使はモンゴル人だけど、副使は、金人、高麗人、宋人が来たじゃん。

前近代では、外国出自の人を外交使節や異民族統治に使うなんて世界中でよくあったことだろ。
阿倍仲麻呂は安南の知事に出されてたり、
雲南蒙古人の鄭和が永楽帝の命令でインドアフリカ探検に出されたり、
ネルチンスク条約の清国方の副使2人がフランス人ジャンフランソワ・ジェルジョン、ポルトガル人トーマス・ペレイラだったり
ウィーン包囲失敗の戦後処理のオスマン帝国方の交渉役にイングランド人とフランス人がいてオーストリア方と双方フランス語でやりあったり
プーシキンの祖父のアブラム・ガンニバルがアフリカ出身の黒人でロシア帝国で貴族に採りたてらてエストニアの知事になったり
といろいろあるわなあ。

438 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:40:12.08 0.net
>>435
中国がインド洋まで進出したのは宋代だぞ
日本でも沖縄は本土では南北朝時代の察度の頃にはスマトラまで交易に出ている
そう考えると本土人の海洋オンチっぷりは異常

439 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:41:49.91 0.net
>>431
いい機会だから方位磁針と羅針盤の違いを教えて

440 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:42:58.05 0.net
>>438
世界地図を見てから考えろや

それらの地域と日本本土が、どれだけ離れてると思ってんだ

441 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:45:34.62 0.net
それ言いだしたら沖縄とスマトラもめっちゃ離れとるがな

442 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:46:54.87 0.net
>>439
方位磁針は、糸で吊るしたり、水に浮かべた磁石のこと。つまり、磁石のN極が常に北を指すという性質を発見したのが中国人

中国人はそれを、主に風水占いの方角を決めるのに使ってた

羅針盤は主に航海に用いるもので、アラビア人が使い始め、西洋人が改良して現在のような形になった

443 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:48:16.68 0.net
>>441

バカか

距離が倍くらい違うぞ

444 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:51:12.04 0.net
>>443
距離は関係ないぞ
造船・操船技術がないからそう思うだけ

445 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 10:59:44.02 0.net
本土は江戸時代になるまで順風帆走しか出来ず星座から方角を特定するという原始的な手法もなく
沿岸航法どまりだったからな
これどれくらいやばいかというと離岸流で陸が見えないとこまで流されたら詰み確定ってこと

446 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:00:59.13 0.net
>>444

関係ないことあるかいな(笑)

近けりゃ行く気にもなるけど、遠けりゃ行く気にならないのは当たり前だろうが

たまには普通に考えてみろ。固定観念にハマりすぎだ

447 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:02:29.04 0.net
>>446
遠けりゃ行く気にならないで済ませるんだったら
ポリネシアの海洋民族や大航海時代の説明がつかないだろ…

448 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:03:56.26 0.net
>>445
沿岸を航行してるぶん、陸から出られないシナ人や朝鮮人よりはマシだな

449 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:06:24.11 0.net
和船でイキるなんて中韓人に失礼だろ

450 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:07:37.69 0.net
>>448
ううん?
平安時代の大陸間交易や日宋貿易って誰が橋渡していたと思う?
新羅船や大唐街の宋人たちだよね

451 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:08:50.62 0.net
>>447
ポリネシアの海洋民族は、島が小さくて回りは全部が海だからな。海に出るしかない

452 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:09:44.66 0.net
>>450
アフォ言うな

新羅人は反日感情が強くて、ジャマばかりしていたぞ

453 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:10:20.67 0.net
>>451
海に出る必要があるから技術が発達する
技術があればどんな長距離でも航行できる
遠いから無理というのは技術のない雑魚の戯言だ

454 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:12:35.95 0.net
遣唐使船は、かつては朝鮮半島を陸伝いに移動できたが、後には新羅人がジャマするので、東シナ海を千キロ横断しなければならなくなった

455 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:14:46.70 0.net
>>454
交易ルート維持に不可欠な相手を怒らせて
セルフ経済制裁してる日本が馬鹿だな

456 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:16:52.03 0.net
>>452
あのさぁ・・・円仁は入唐から長安滞在まで新羅人の手を借りてるのだけど
また大宰府では大陸間との交易には「新羅船以能堪風波也」(「続日本後紀」承和六年七月丙申)として
新羅船を作っていたけど船大工は当然半島の人ね

457 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:17:31.32 0.net
先入観を捨てて、地球儀を冷静に見てみろ。日本と東南アジアは、半端なく離れているから

日本と東南アジアの距離は、西欧とアメリカ新大陸の距離と大差ない

日本人が東南アジア方面に乗り出したのも、西欧人がアメリカ新大陸に渡ったのも、近世のことで同じくらいの時期だ

458 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:18:16.93 0.net
改行キチガイの史実無視ネトウヨはデマばかり書き込んでいるな。

459 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:20:27.95 0.net
>>455
新羅は、半島を統一するまでは日本を宗主国と仰ぎ、朝貢してへりくだっていたが、半島を統一したら態度がデカくなった

でも、奴らの天下など長くは続かなかったぞ。半島を統一したのは7世紀の後半だが、9世紀の初め頃にはすでに統一王朝としては崩壊していた

460 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:22:55.82 0.net
>>456
そりゃ、半島も全員が悪い奴ばかりというわけではない

たまには良い人もいるだろ

461 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:23:48.86 0.net
>>459
そんな新羅に頼らないとろくに大陸に渡れない日本って一体

462 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:55:49.83 0.net
>>442
いやだから、それでは用途の差だけだよね?航海に使えば羅針盤、卜占に使えば方位磁針ってだけだよね?
羅針盤には南北を知る意外に何か機能でもあるんかの?

463 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 11:57:20.03 0.net
>>445
九州〜壱岐〜対馬
とか
伊豆〜八丈島
とか
盛んに航行してんじゃん?

464 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 12:01:38.71 0.net
>>462
そりゃ、糸で吊るしたり、水に浮かべた磁石のN極が常に北を指すことに気づいたのは大発見だ

でも、N極が厳密に真北を指すわけでもなければ、S極が厳密に真南を指すわけでもない。
近代西洋の羅針盤は、そういう偏差も修正されていて遥かに精密にできている

465 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 12:02:23.84 0.net
>>462
中国で使われたのは水を張った器に磁針を浮かべるもので羅針盤とは形も違うよ

466 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 12:04:09.24 0.net
>>463
八丈島は、島流しの人が行くとこだろ

467 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 12:04:40.95 0.net
>>465
羅針盤ってどんな形してたの?
道教とか風水術とかの羅盤とは別なん?

468 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 12:08:21.48 0.net
>>467
画像検索くらいしろよ

469 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 16:37:30.95 0.net
>>468
検索したところで違いの見どころとか無いから、どっちゃも差が無いようにしか見えんのよね。
何が有ったり無かったりしたら羅針盤で何が有ったり無かったりしたら方位磁針なん?
そこを頭に入れて見ないと、同じもので意匠の違いにしか見えなかったり、ノイズが分別出来なかった理だわー

470 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 16:48:29.30 0.net
>>469
磁石を糸で吊るしたり、水で浮かべたのが、昔の中国の方位磁針

船上だと波で揺れるので、そのままでは航海には使えない。方位も「だいたい、こっちが北」というのが分かる程度の粗雑なシロモノで、遠洋航海では誤差が大きくなる

それを元に、垂直な柱に磁針を取り付け、周囲に円形の32方位を表示し、偏差を修正して遥かに精密にしたのが西洋の羅針盤

471 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 16:55:55.73 0.net
中国で使われてた方位磁針は、「木片に磁石をつけて、水に浮かべた」というものだったようだ。
これだと、船上では水が波立ってしまって、木片はデタラメな動きをすることになる。航海の実用向きではない

西洋で改良された羅針盤は、船が揺れても磁針が一定の方角を指し続けるよう、機構が工夫されている。
似て非なるものだから、羅針盤は「中国の三大発明」にも、「西洋の三大発明」にも、両方とも入っている

472 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 17:07:18.13 0.net
>>469
普通のコンパスと水に浮かべた磁石の違いがわからないとか
目見えないの?

473 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 21:53:57.73 0.net
唐末期の878年–879年に
黄巣軍によって広州に住む20万人のムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒が殺された。
広州は国際貿易港都市だった。
広州大虐殺以降、しばらく国際貿易港は泉州や福州に移った。
なおこの大虐殺について『旧唐書』、『新唐書』は記載がない。
事件についてアラブ人著述家たちが書き残した。

474 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 22:21:10.59 0.net
>>470
文房具屋とかキャンプ用品屋とかの地図コーナーのところに置いてる方位磁針って、
あんたが言う「西洋の羅針盤」の説明に近いんだけれど?

475 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 22:31:52.27 0.net
>>474
なにをしつこく聞いてるのかわからんけど
羅針盤(コンパス)の中に入ってる磁石が方位磁針であり
コンパスそのものを方位磁針ということもある
こんなの国語の問題や

476 :世界@名無史さん:2021/08/29(日) 22:41:03.64 0.net
煬帝は東南アジアにも関心を持っていた
605年には林邑に向かって軍を起こして、陸軍と海軍の共同作戦で
その都を占領し、林邑は隋の朝貢国となった
607年には、常駿を東南アジアの赤土国に派遣した
また流求国にも朝貢を勧めた

477 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 01:56:11.58 0.net
>>473

894年に、菅原道真が遣唐使を廃止。「白紙に戻す遣唐使」だが、これが日本では
「隋唐から、大陸の文明や制度を取り入れました。もう学ぶものがなくなったので、遣唐使を廃止しました。その後は日本的な国風文化に移行しました」
という一種の建国神話として語られ、小学校の歴史の授業で刷り込んでいる

でも実際には、この頃の唐は黄巣の乱で末期状態。各地で外国人虐殺が横行する、現代でいえばイラクやアフガニスタンのような危険地帯なので、遣唐使を中止するのは当然の判断

「もう、大陸から学ぶものがなくなりました」は後付けの理屈にすぎず、おそらく子供に愛国心を植え付けるために明治時代の人が考えたストーリーだろう

478 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 02:05:39.36 0.net
>>476

煬帝は、国の重心を南方に移そうとしていた

北朝の隋が、南朝の陳を滅ぼして4百年ぶりに南北統一。でも、隋の煬帝は江南に行幸し、行ったきりで長安に帰らない。
南朝へと、事実上の遷都をしてしまった。そのスキに、唐の李淵・李世民親子に長安を乗っ取られた

東南アジアにまで手を伸ばしたということは、海洋貿易に関心を持っていたのだろう。
まだ長安から河西回廊を通ってシルクロードに出る陸路が主要な貿易ルートだった時代にしては、素晴らしい先見の明といえる

479 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 02:21:36.31 0.net
唐の後期、8世紀後半あたりから陸路のシルクロードは衰退し、海洋貿易が主流になる。煬帝は時代を2世紀ほど先取りしていた

でも、唐の前期に、ラクダに乗った隊商たちのイメージは多くのロマンを残してくれた

480 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 07:12:50.05 0.net
>>479
ラクダ隊商交易は全く衰えてない。
むしろずっと増え続けてる。
だから交易ルートの遊牧諸民族が次々と強大化できた。
ただ荒廃した長安の交易ルートの重要性は低下。
また海上交易の増加が目立つだけ。

481 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 07:42:56.97 0.net
清末でも北京の城門をラクダ隊列が盛んに出入りしていた。
長安ルートに代わり、北京ルート、ステップルートが陸上交易の主役になってったんだろう。

482 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 08:01:44.43 0.net
>>478
何気に煬帝の業績は偉大。
大運河を整備してくれて、唐の繁栄に寄与してるし。

高句麗遠征に失敗したけど、同じ失敗を李世民もやらかしてるが、あっちは名君扱い。

483 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 08:11:55.90 0.net
煬帝の妻の蕭氏は、後梁の二代皇帝の娘
煬帝は江南の口語を彼女から学び、南朝風の宮体詩を愛好した
即位してからも、揚州に建てた離宮(江都宮)にしばしば行幸している

484 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 08:48:43.40 0.net
煬帝はとっても悪いやつだ。
兄を追い落として死なせた。
極悪非道!!
って、李世民も兄殺しクーデターで即位したけど、最高の名君なのさ。

485 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 08:57:43.00 0.net
煬帝は、父も殺したことになってるけどな。
病床で余命わずかなのに、あせって先帝の首を締めたとされている。
誰も見た者はいない

486 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 09:03:37.27 0.net
煬帝が後世の儒者からボロクソ批判された大きな理由に、「父の側室を妻とした」というのがある

陳宣華夫人は、蕭皇后と同じく南朝の皇室の家柄。文帝と煬帝の側室になった。これを、「父を弑し、その妾を姦す。まさにこれ畜生」と司馬光が書き立てた

これは儒教倫理からすると許されないことだが、鮮卑の風習からすれば未亡人の面倒を見ることで、ごく普通

487 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 09:04:31.44 0.net
司馬光『資治通鑑』の記載によると、文帝が仁寿宮で病床についた時、陳氏と皇太子楊広は文帝のそばで看病した。
陳氏が着替えに出たところを、楊広が関係を迫り、陳氏はこれを拒んで文帝のところに逃げ帰った。
文帝が怪しんで問い質すと、陳氏は楊広の無礼を訴えた。

文帝は「畜生、何ぞ大事を付するに足らん。独孤、誠に我を誤てり」といって激怒した。

488 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 09:07:29.00 0.net
>>470
>磁石を糸で吊るしたり、水で浮かべたのが、
>昔の中国の方位磁針
これは指南針の前身となる指南魚の説明だな
最古の羅針盤の記述とされる「夢渓筆談」には
盤上に磁針を置いて方角を指し示すとあるので
記述から明確に磁気コンパスだとわかる
またすでに二十四方位を区別できたようなので
大雑把に北と南しか区別できないなんてことも
あり得ない
ゆえに航海には使えないというのも大きな勘違いであり
「舟師識地理,夜則觀星,晝則觀日,陰晦觀指南針」(萍洲可談)
と「夢渓筆談」と同時代の史料にはすでに航海士
が使っていたという記述がある

489 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 09:22:27.18 0.net
煬帝の死後、蕭氏は孫の楊政道をともなって北へ逃れ、東突厥に身を寄せる
隋の宗室から東突厥の可汗に嫁いでいた義成公主を頼った
そして楊政道を押し立てる「復隋運動」を始める

490 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 09:50:01.87 0.net
>>488
中国で発明されたのは、「木片に乗った磁針を、水に浮かべた」というもの。
確かにこれでも方位はわかるんだが、海上では水が波立って、磁針がグルグル回ってしまうので不便

西洋では、この点が改良された。軸の回りを磁針が回る乾燥コンパスになり、海上での使い勝手が大幅に向上

「羅針盤が発明されたのは中国」 というのは昔からの定説であり、もちろん間違いではないのだが、大航海時代を生み出したのは西洋で改良された羅針盤

波が押し寄せても、船が向きを変えても、羅針盤のフレームがクルッと回って、磁針は常に同じ方角を指し続けるよう工夫された機構

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Kardanischer-Kompass.jpg/220px-Kardanischer-Kompass.jpg

491 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 10:34:47.89 0.net
>>490

だからそれは指南魚な
宋代の指南針というのはこういうやつだよ
https://i1.kknews.cc/SIG=1l67n9i/ctp-vzntr/0139s10s990740o5878sn6n1o112o3r2.jpg

492 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 10:38:41.22 0.net
いずれにしても、「東南西北の方位による吉凶」に異常なほどこだわる中国人ならではの発明だったのは確か

中東や西洋にも磁石はあったし、「フリーな状態にした磁石はいつも同じ方向をに向く」ということに気づいた人もいたが、方位磁針を発明するには至らなかった

493 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 10:40:00.84 0.net
>>491
中国でも、中国から伝わったばかりのアラビアやヨーロッパでも、フローティング・コンパスを使ってた確実な記録が残っている

494 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 11:04:03.89 0.net
ちなみに、何度も引き合いに出してる北宋の「夢渓筆談」では、こうなっている

>方家以磁石磨针锋,则能指南,然常微偏东,不全南也。水浮多荡摇。指爪及碗唇上皆可为之,运转尤速,但坚滑易坠,不若缕悬为最善。其法取新纩中独茧缕,以芥子许蜡,缀于针腰,无风处悬之,则针常指南。其中有磨而指北者。余家指南、北者皆有之。


・・・「水に磁針を浮かべたり、糸で吊るしたり」ってのは、これを見て言ってるんで

495 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 11:22:53.47 0.net
いや、そうでもないな(笑)

Wikipedia “Alexander Nickum” によると、中国以外で最初に羅針盤の記録が現れるのは、1190年のイギリス人。
これを見ると、フローティング・コンパスではなく、すでに軸の回りを回るドライ・コンパスのようだ。
しかも、1190年の時点で珍しい新発明というわけでもなく、よく使われてた様子


Besides theology, Nickum was interested in the study of grammar and natural history, but his name is chiefly associated with nautical science.
In his De utensilibus and De naturis rerum (both written at about 1190), Nickum has preserved to us the earliest European notices of the magnetized needle as a guide to seamen and the earliest European description of the compass.

Outside China, these seem to be the earliest records.
It was probably in Paris that Neckam heard how a ship, among its other stores, must have a magnetised needle, mounted on a pivot, which would rotate until it pointed north and thus guide sailors in murky weather or on starless nights.
Neckam does not seem to think of this as a startling novelty:
he merely records what had apparently become the regular practice of many seamen of the Catholic world.[5]

496 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 11:26:15.82 0.net
宋にもドライ・コンパスはあったが、なぜか宋人はフローティング・コンパスを好み、ドライ・コンパスが普及しなかったんだそうな

497 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 13:03:43.90 0.net
>>477
統治もおぼつかないような国から何を学ぶの?

498 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 14:03:15.36 0.net
>>497
菅原道真の英断だな

499 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 14:49:21.38 0.net
平安時代後期になっても、中国の文物に対する憧れや需要は、
貴族や寺院を中心に強く、唐物の購入に狂奔する様子が史料にあらわれる

その一方、平安中期を境に土間に椅子の住生活はすたれ、
床張り・畳使用が一般化していく
服装や女性の髪形も、明らかに唐のスタイルから離れていった
ここに和風化の画期があるのは確か

500 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 17:21:10.29 0.net
土間に椅子の生活なんてそもそも日本には根付いていない

唐との交易は年間通して数隻程度と実は日本はほとんど唐と交流がなかった
中国の文物が本格的に入ってくるのは日宋貿易が始まってから
一二世紀前半になると博多に唐房や大唐街と呼ばれる中華街が出来て
中国の文物がダイレクトに入ってくる

501 :世界@名無史さん:2021/08/30(月) 19:50:50.23 0.net
唐の勢いが衰え、並行して新羅の内紛が恒常化すると、
政府の統制を離れて貴族や軍閥が交易に乗り出す
9世紀前半には、張保皐のように、唐・新羅・日本を結ぶ
大規模な私貿易で巨富を築く軍人も現れてきた
日本の貴族たちが求めた大陸の珍貨は、唐や新羅・渤海との
正式な外交ルートによらない貿易でも、手に入る状況が生まれてきた

このような状況と、唐国内の治安の悪化があいまって、
なし崩し的に遣唐使の廃止に進んでいったのかも

502 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 09:26:22.96 0.net
>>501
宋語を学んだ平安貴族の話が残ってる。
宋人と会話できるレベルまでになったとか。
日宋貿易は盛んだった。

それでも唐の名前が付いて回る。
日本での唐文化の影響がずっと残る。
中国で俗に唐在日本、唐を見たければ日本に行けと言われるぐらいに。

503 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 09:52:24.24 0.net
今から1000年後、ヨーロッパで散逸した文献が日本に残っていて、
それを調べにわざわざヨーロッパ人が日本に来る、なんて事態になっていたりして

本家よりも辺境のほうにかえって文化が良く残ったりするからな

504 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:04:49.82 0.net
陝西省は、唐の滅亡後はまったくの辺境になってしまったからな

文化が保存されるような状況ではなくなった

505 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:10:30.05 0.net
日本も、明日香村は廃墟になって放置され、いまでは飛鳥時代の痕跡が残るだけ。唐の長安や、新羅の慶州と変わらない

日本の場合、京都や奈良が後世になっても繁栄し続けたことが幸いした

506 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:16:09.01 0.net
すでに、ヘーゲルやマルクスなんかは、欧米人より日本人のほうがよく研究してるんじゃなかろうか?

507 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:19:42.01 0.net
>>502
京都でも鎌倉でも、主な寺院は禅寺が多い。どっちかっていったら、宋代の文化だな

日本にきた中国人がそれを見て「まるで唐朝みたい!」というのはイメージの問題で、歴史的には正確ではない

508 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:25:41.39 0.net
中国人は、仏教寺院よりもむしろ、神社の神主を見て「唐朝の貴族みたい」と思うようだ

実際、言われてみれば、この装束は唐朝そのもの

https://oshiete.xgoo.jp/_/tw/bucket/channel/images/article/9/28_5aceaed469f25/L.jpg

509 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 10:27:19.92 0.net
神社は、宮司の装束だけでなく、建物も唐っぽい

なぜか日本の神社に隋唐文化が最も色濃く残った

510 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 11:44:45.62 0.net
>>505
奈良時代のものなら
唐招提寺の金堂
新薬師寺の本堂
東大寺の法華堂
とか国宝がある。
法隆寺の建物群は奈良時代に再建されたが飛鳥時代の様式のはず。

511 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 12:01:58.09 0.net
唐辛子とトウモロコシは唐のものではない。
唐揚げもたぶん違う。

512 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 14:29:11.06 0.net
京都の萬福寺は明代の様式

https://www.obakusan.or.jp/
黄檗宗大本山萬福寺

513 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 15:55:48.75 0.net
>>511
「唐なんちゃら」ていうのは隋唐の唐のことやないで
海外からの渡来物ていう意味や

514 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 15:57:42.26 0.net
>>512
萬福寺の精進料理も臨済宗なんかと違うて明代の精進料理やな
萬福寺で精進料理食うともう今の中華料理にかなり近くなってるのがわかる

515 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 19:36:12.11 0.net
日本語の漢字の発音は、まず最初に呉音が伝わり、次いで唐から漢音が伝わった
宋・元・明・清の発音も伝わったが、それらは特殊な単語に使われるだけで、
広く一般化してはいない
逆に朝鮮半島では、漢語が言葉の中に大きな比重を占めているが、その発音に
古代の音が息長く残ることはほとんどなかった

516 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 20:15:55.56 0.net
朝鮮音もパッチムとして入声があるからかなり古い音やで

517 :世界@名無史さん:2021/08/31(火) 20:28:47.80 0.net
>>511
>>513
今となれば「から」に「唐」の漢字を当てることは多いけど、
本来、「から」というのは、いわゆる弁韓あたりを指す地名だったんだよね。
だいたいのところ、南方は海、東方は洛東江、西方は小白山脈に囲まれた、やや三角形を為す地域を指していた。
漢字音写では「加羅(から)」や「伽耶(かや)」だね。
(ちなみに、三国時代末〜統一新羅時代初期に新羅の将軍だった金庾信は、
 加羅諸国の盟主的な都市国家だった金官加羅の王家の、末裔だとされる。)
古代の日本人にとっては「海の向こうにある国」が「から」だという意識が強かったということか、
その後には「唐」についても「から」と読む慣例が生じ、ついには欧州までも含む外国一般を「から」と呼ぶようになった、ってわけだ

518 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 06:54:48.37 0.net
>>517
8世紀には「から」が唐を指すようになってる。
唐滅亡久しい室町時代でも舶来品はみんな唐物とされ、唐物奉行なんて役職があった。
それだけ日本人にとって唐の印象が強く残ってた。
海外からやってくる洒落たものはみんな唐から来るイメージとして。

519 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 07:54:58.24 0.net
加羅(加耶)は倭国の領土

520 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 08:02:29.08 0.net
宋以後の中国文化を日本に伝えたのは、巡礼僧・禅宗の僧・商人など
室町時代には日明間の正式な国交があったものの、両国の関係は
もっぱら禅僧に委ねられていて、幕府の要人が明に渡航したこともない
遣唐使時代とは、中央政府の取り組み方がまったく異なっていた

521 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 09:01:51.07 0.net
>>520
室町幕府の遣明使も禅僧や博多商人を任命だもんね。

522 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 09:34:13.16 0.net
室町時代の初期と末期には、九州(山口県を含む)の勢力が日明貿易を独占していたな

523 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 11:25:05.30 0.net
中国では伝統的に小説の評価は低かったんだけど、
遣唐使は『遊仙窟』のような男女関係を扱った小説も持ち帰った
日本のような周辺国では、漢籍ならたとえ通俗書であっても尊重された

524 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 14:42:05.24 0.net
トウモロコシは漢字で書くと唐唐

525 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 16:52:37.22 0.net
>>523

唐代は、「小説なんて、女子供の読むものだ。そんなヒマがあったら四書五経を読め」みたいな儒教精神が薄れ、小説が盛んになった時代

あのまま行ったら中国文学はすごいことになっただろうけど、惜しくも宋代に儒教がリバイバルしてきた

526 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 17:03:34.77 0.net
日本でも、平安時代には物語文学が盛んになった

あれも日本史だけ見てると日本独特の現象に思えるんだけど、やっぱり唐朝での傾向が多少の時差で日本にも現れたといえる

527 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 17:16:19.69 0.net
>>524
そういや唐土を古語でモロコシと言うね。
スマホやpcでモロコシを漢字変換すると唐や唐土と出てくる。

528 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 18:42:18.93 0.net
>>505
道長とか清少納言とか紫式部とかの時期には奈良なんて寂れたクソ田舎になってたというけどな

529 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 18:46:51.70 0.net
>>507
んなことあるかい。
日蓮宗も浄土宗も浄土真宗も天台宗も真言宗もゴッチャであるぞ。

530 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 18:51:06.46 0.net
>>516
南京官話だろ。明・清の時代の

531 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 19:26:41.62 0.net
>>526
伊勢物語の原形ができた頃には既に唐滅亡してたよ?

532 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 19:55:54.26 0.net
唐代には音楽も胡楽・俗楽の影響を受けていたな
とくにインド・クチャ・トゥルファン・サマルカンドなど
西方の音楽がとりいれられ、中国の音楽を画期的に進歩させた

533 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 20:16:06.71 0.net
そうだ

雅楽も日本では「中国から伝来した音楽」として紹介されることが多いが、基本的にペルシャが発祥地

534 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 20:16:53.04 0.net
中央アジアに広がる草原の帝国・唐朝ならでは

535 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 20:24:39.69 0.net
仏像も、仏教はインドの宗教、彫刻はギリシャの美術。その2つがガンダーラで融合したものだ

536 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 20:25:49.20 0.net
日本では、なんでも「中国から伝わった」という漠然としたイメージになっている

昭和時代には、これに「朝鮮半島を経由して」という文言を入れさせられた

537 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 21:45:03.87 0.net
文章經國大業、不朽之盛事
平安時代、明治時代の文人に愛された魏文帝の漢字至上主義の名言だけは生粋の中国文化(^^)

538 :世界@名無史さん:2021/09/01(水) 22:49:32.02 0.net
唐代における仏教排撃は、先秦・漢の時代への回帰を含んでいた
それが文学上に現れたのが古文復興の運動であり、
韓愈と友人の柳宗元を中心にして展開された
二人とも、貴族のような名門の生まれではなく、ともに進士科合格の官僚だった
四六駢儷体は教養を誇る貴族のためのものだったが、古文は約束事がなく、
開放的であり、散文的だった
唐の国際的・開放的な性格が薄まり、一種の民族主義的動向が出てきたともいえる

539 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 03:54:10.78 0.net
>>481
そりゃ北回りの方が距離短いだろ。
北京〜ジェノバの最短経路(大圏コース)が約8200キロ。
キプチャク平原を突っ切って地理的障壁無しで、経路上に、カラコルム、チュメニ、カザン、モスクワ、クラクフ、ウィーン等々。

540 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 08:38:47.26 0.net
>>508
> 中国人は、仏教寺院よりもむしろ、神社の神主を見て「唐朝の貴族みたい」と思うようだ
> 実際、言われてみれば、この装束は唐朝そのもの

飛鳥時代の官服なんかも唐からの導入

541 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 08:55:16.84 0.net
>>483
日本の聖武天皇は、嫁さんというかお舅さんの大臣が苦手で、お舅さんの本拠地に造った都も嫌で、
何かと口実をつけては、難波京(建前上の副首都、機能的には本物の首都)やら、
恭仁や信楽やら(マブダチの橘諸兄の別邸)に逃げ込んでいた。

542 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 10:07:59.00 0.net
日本って、唐から宦官の制度だけは輸入しなかったな

543 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 14:37:45.23 0.net
吐蕃も日本や新羅同様、唐に留学生を送り、中国の文字を習得し、
古典を学ばせ、漢文で中国との国交文書を作成するために唐の文人を招いている
また、唐から養蚕や穀物から作った酒、紙、墨なども輸入した
また唐から降嫁してきた文成公主のために、中国風の城壁のある宮殿を築いた

544 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 15:21:00.46 0.net
唐代の日本吐蕃新羅なら文明の発展具合はどうだったのかな?
新羅>日本=吐蕃くらい?

545 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 20:00:34.39 0.net
>>542
牧畜文化に伴う去勢が広く知られてる地域ならともかく、
日本は歴史的に牧畜文化があまり一般化しなかったから、
宮廷文化にそういった事柄を持ち込むのはむしろ忌まれたんじゃないか

>>544
版図の広さ、他文明との接点の多さ、周辺民族の多様性からいっても、
当時は吐蕃のほうが日本や新羅よりも先進的だったんじゃないかな

546 :世界@名無史さん:2021/09/03(金) 22:38:36.37 0.net
吐蕃は、降嫁してきた文成公主がチベット風の顔を赤く塗る風習を嫌ったので、
この風習を禁じたという
文成公主は当初、ソンツェン・ガンポ王の息子のグンソン・グンツェンに嫁したが、
グンソンが間もなく落馬して死亡したので、父のソンツェンが復位した
文成公主は646年、吐蕃の風習に従って、ソンツェンに再嫁する
また文成公主は、亡夫のために現在もあるラモチエ(小招寺)を建て、
中国から仏像を取り寄せた

547 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 06:23:07.59 0.net
>>486
熟れ熟れの未亡人の夜のお世話もするだか?

548 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 06:25:00.95 0.net
>>502
漢音 → 唐・長安発音
唐音 → 宋・開封発音

549 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 06:30:29.55 0.net
>>543
吐蕃は実際のところ唐に学んでないけどな。
唐は獲るところ、学ぶ先はインド。
で、チベットが吐蕃、支那が唐の時分に制定した文字は、インドの文字が手本。
東南アジア諸国がよく言うだろ、
インドに文化を学び、支那に料理を習って、豊かになった。逆だと最悪だったかもしれない。
と。

550 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 10:33:16.60 0.net
吐蕃はソンツェンのとき、留学生を送って漢字文化を学んだが、
これは定着せず、のちに北インド系の文字がチベット文字となった
朝鮮三国や日本が唐文化の多くの面を輸入したのと異なっているのは、
チベットが地域的にインド文化に接する機会が多かったから

551 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 12:13:23.90 0.net
>>550
インド〜チベットは、ヒマラヤでがっつり蓋されて往来困難なんだけど?
支那〜チベットは、支那の二大大河の源流がチベットで川沿に往来が容易、チベット圏・支那圏・北方遊牧圏・大陸深部オアシス農耕圏の境が
河西回廊で、この一帯は大昔から交易路。
吐蕃も河西回廊から攻め入って長安を包囲攻撃したり、隋唐の支配層と同族の吐谷渾がチベット北東部を支配したりしていた。
支那が宋の時期には、北東チベットから河西回廊にかけて陣取っていた西夏国が、漠南・華北の契丹と時に共同し、時に三つ巴になりながら、
宋を軍事的に圧迫していたりもした。

552 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 16:09:02.53 0.net
支那って書いてる時点でネトウヨってわかるからレスを読む気にもならないわ

553 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 17:07:42.43 0.net
黄河と長江の間の平原地帯のあのあたりを言うにはなんて言えばいいの?

554 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 17:50:14.24 0.net
>>553
中原では?

555 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 18:36:30.40 0.net
華中・華北とかかな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E4%B8%AD?wprov=sfla1

556 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 18:38:51.23 0.net
華北とか華中とかは、今の地域区分、精々辛亥革命以降の用語で、大昔から今に通しての呼称ではないでしょうに。

557 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:00:59.76 0.net
中原やろ

558 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:07:05.69 0.net
>>556
地理的な話をするのにいちいち昔の区分に言い換えるのか?

559 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:09:18.74 0.net
支那ったら、殷周から人民中国まで全部網羅できるじゃん?

560 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:12:30.88 0.net
>>559
残念ながら支那という言葉を使っているのがネトウヨ的な人達ばかりだから、肝心の歴史的な論議がまともに出来ないんだよなぁ

561 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:17:26.04 0.net
中国でも網羅できるンゴねぇ

562 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:24:55.04 0.net
雲南には南北朝から隋唐にかけては爨氏一族が強大な勢力を持っていた
爨部族は烏蛮と白蛮に分かれ、白蛮が強勢だった
白蛮はタイ系であり、烏蛮はチベット・ビルマ系のロロ族で民族が違うが、
烏蛮は白蛮に服属して爨氏となっていた
653年、六詔の一つである蒙舎詔を起こしたのは烏蛮種の蒙氏の細奴羅で、
大蒙国と号し、唐から巍州刺史に任ぜられた
蒙氏第四代の王である皮羅閣は、南詔建国の基礎を固め、737年に覇権を確立

この国は複合民族国家だったんだよな

563 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:36:37.51 0.net
>>560
WWWWW

564 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:38:23.99 0.net
>>561
できないよ。
ってかわざと混用東させてトルキスタンやらやチベットやら内モンゴルやらの中共の同化圧政を正当化してるんだよな。

565 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:39:57.64 0.net
震旦
セリカ

566 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 19:44:27.17 0.net
>>564
またウイグル話法のネトウヨか
やっぱりシナ呼び推しの連中はこんなのしかいない
まともな話し合いすらできないよ

567 :世界@名無史さん:2021/09/04(土) 20:21:10.21 0.net
大伴古麻呂と新羅の使節が揉めたのって唐の時代だっけ?

568 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 04:15:40.15 0.net
>>567
「新羅の使節」という時点で唐に確定だろ

569 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 07:40:40.67 0.net
>>566
ボロ出してきたな、中華人民工作員め。
やはり、ウイグル問題は突かれると痛いのなw

一つえ教えておいてやるよ。
ネトウヨ呼ばわりが悪口でもないし、そもそも日本人はレッテル貼でちっともダメージ受けない。
お国やそこから突き出している半島の2つの属国では「何とか分子」みたいなこと言われると、速攻で身体とか財産とか通信手段とかに危機が及ぶけど、
日本では全くそんなこと無いからな。
日本共産党やオウムのような、そっちでいうようなレッテル貼られた状態の連中も、精々公安委員会に見張られるくらいで、公然と道を歩き町に住み
選挙で立候補したり投票したり手紙書いたり電話かけたりできて、法でも犯さない限り捕まったりしないよ、捕まっても捕まったことは明らかにされるよ。

570 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 09:21:51.26 0.net
>>569
長文キモイ

571 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 09:23:00.62 0.net
案の定バカウヨ

晒しage

572 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 09:59:40.85 0.net
ネトウヨって40代から50代が多いんだよね

573 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:06:44.72 0.net
左翼は70代から80代が多い

574 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:13:01.31 0.net
>>572
高齢者も多い模様
仕事もなく孤独なジジイがネットにはまってネトウヨになるとか

575 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:20:48.09 0.net
>>574
高齢者は左翼が多い

576 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:22:09.87 0.net
高齢者に左翼が多いというより、高齢者はテレビばかり見てるから左翼メディアに影響を受けやすい

577 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:23:57.49 0.net
だからどうした
ネトウヨジサン

578 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:33:06.50 0.net
図星つかれて痛いのか、連投が支離滅裂だよ。
さすがに支那語は書き込まないか、リアルだと痛いと子突かれると途端にパァパァチァチァアルアル言い出すよな。

579 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 10:53:33.51 0.net
図星をつかれて痛々しいネトウヨ爺w

580 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:17:12.49 0.net
真面目に歴史論議をやりたければ支那という言葉は使わない方がいいね
やっぱり荒れる

581 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:18:26.85 0.net
>>580
唐土(カラ)にしよう。

582 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:19:27.27 0.net
カタカナで「シナ」にするのはどうだろう?

583 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:27:03.60 0.net
政治的な思惑があるから、「支那」の用語を嫌うんだろ。
チャイナと、チャイナプロパーとを、ごっちゃにしようとする、政治的意図が、丸見えだぜ。

584 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:46:22.71 0.net
「支」という漢字が、中国語では「枝葉」を意味する(例:支流、支店、支社)

この言葉を考案した孫文の失敗

585 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 12:51:34.17 0.net
政治的な思惑がある奴しかシナを使っていない現実

中立的な議論をしたいなら中国でいいのにわざわざ一般的でない呼称を使う時点で政治的意図しかない

586 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 13:15:51.52 0.net
>>581
> 唐土(カラ)にしよう。

唐朝と紛らわしい
あれは「中国」ではない

587 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 16:20:50.49 0.net
おれは秦から派生したチャイナ
シナでも支那でも個人の裁量で使えばいい

588 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 16:44:59.89 0.net
漢土

589 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 23:07:00.07 0.net
>>585
中国と支那は別概念じゃんw

590 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 23:07:45.39 0.net
>>588
声に出して言うとき緑の看板の100均と紛らわしい

591 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 23:37:58.52 0.net
>>589
中国=チャイナ=シナ
同じです

592 :世界@名無史さん:2021/09/05(日) 23:37:58.52 0.net
>>589
中国=チャイナ=シナ
同じです

593 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 00:25:34.14 0.net
>>591
China と China-Proper とは別概念。
支那はChina-Properの方だ。

594 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 00:29:17.86 0.net
大まかにいうと、清朝の区分でいうと、藩部と関東を除いた部分に相当するのが、China-Properな。
正確にには、四川の西三分の二と、青海・甘粛・雲南・貴州もChina-Properから除外な。

595 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 00:41:31.12 0.net
それはお前の中での定義に過ぎないな

596 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 07:39:51.65 0.net
チベット人やモンゴル人を中国民族と言ってみたりする無茶
中共の政治宣伝的にはジンギスカンも中国人なんだとよ

597 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 09:48:47.04 0.net
まだネトウヨ湧いてるのか

598 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 09:53:18.49 0.net
そういうあんたは人民工作員?それともパヨク?

599 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 12:13:42.27 0.net
ネトウヨって周りに人民工作員とパヨクしかいない世界線に住んでんだな

600 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 12:28:58.50 0.net
>>599
お前の周りもネトウヨしかおらんのか。

601 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 13:05:22.98 0.net
お前の発言がネトウヨでしかないから言われてるだけだぞ

602 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 13:25:27.45 0.net
>>601
お前の発言力が売国シナチョン奴隷のパヨクでしかないから言われてるんだぞ。

603 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 14:04:57.68 0.net
あほ

604 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 15:19:21.20 0.net
>>603
忘八蚤

605 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 15:40:23.87 0.net
2006年ぐらいまでのまだあやめとかいた時代の史板を見てきてみ?
あんな雰囲気のいい史板を壊したのがこのネトウヨだからな?
ホントにゴミ

606 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 16:20:24.81 0.net
>>602
なにいってんだこいつ
ネトウヨって呼ばれただけでここまで発狂するとはw

607 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 16:58:23.91 0.net
>>606
売国活動のご褒美は本番チャイエスか韓国デリヘルの無料サービス券かな。

608 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 17:01:37.11 0.net
>>606
シナチョン風俗に入り浸るパヨクは武漢肺炎と性病のクラスター予備軍。

609 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 17:54:58.67 0.net
中韓風俗や飲み屋に入り浸る奴は反日左翼が多い。
差別主義者のネトウヨはそういう場所には近づかない。
ネトウヨはシナチョンエンガチョなわけだから。

610 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 18:39:48.66 0.net
いや、左翼や反日朝鮮人を嫌っているからといって、中韓も嫌いとは限らんだろ

611 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:23:54.55 0.net
バカウヨにつける薬なし
無視しよう

612 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:34:32.01 0.net
>>610
自分が支那チョンと体液交換も伴う濃厚接触好きだと全人類も同じと考える朝鮮脳。

613 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:38:01.10 0.net
共同通信とTBSは明るみに出ただけで2回もクラスター起こしてる。
テレ朝は生え際後退ゴリラ玉川が見せ掛けの謝罪した後も甲子園の打ち上げ。
名古屋の酒まで出店で売ってたロックイベントの主催は在日。

614 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:39:18.84 0.net
武漢肺炎と性病クラスターのバカパヨク。

615 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:45:30.06 0.net
>>610
ネトウヨは支那チョンの違法風俗を入管に通報して協力金を貰う方を偉ぶ。

616 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 19:56:25.96 0.net
歴史の話しろよ
バカウヨ

617 :世界@名無史さん:2021/09/06(月) 23:54:08.32 0.net
タラス河畔の戦いの後、唐は敗軍の将である高仙芝に対して責任を問うこともなかった
唐にとってはしょせん辺境で起きた事件で、たいしたことではなかったのか

618 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 04:28:07.49 0.net
タラス川の戦いは、文化面での影響が大きい。
その戦いでイスラム側の捕虜になった唐人に紙漉き職人がいた。
結果、製紙法が西方に伝播した

619 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 05:47:01.62 0.net
>>617
あれは、唐とアッバース朝の戦いというより、高仙芝とアブームスリムの戦い

双方ともに半独立勢力

620 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 06:43:07.55 0.net
>>617
別件で罪を問われて処刑された。
玄宗も耄碌してて讒言を信じちゃう。
もし高仙芝を信頼し続けてたら、
安禄山軍に長安を明け渡すこともなかったかもしれぬ。

621 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 06:45:22.54 0.net
>>618
文化面の影響で言えば、中央アジア諸民族がイスラム化したことが大きい。

622 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:05:29.67 0.net
中央アジアは仏教国だったのにな

イスラム国になってしまった

623 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:07:05.10 0.net
>>619
アブー・ムスリムはウマイヤ朝を打倒しアッバース朝に交代させた最大の功労者。
タラス河畔へは諸民族の支持を集め20万人を動員してる。
一方、高仙芝はそれまでに西域72ヶ国を服属させた猛将。
タラス河畔ではカルルク族に裏切られる。
それぞれ唐とアッバース朝の代表による激突だよ。

624 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:10:07.10 0.net
すごいな、高仙芝

625 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:48:40.26 0.net
>>621
中央アジアをイスラム化し、仏教文化や中国の影響力を排除するに飽き足らず
ムスリムの本拠地から遠く遠く隔たった周秦漢唐の本拠たる関中の周縁までやってきて
巡り巡って近現代中国を悩ませることになるとかイスラム教強すぎる

626 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:59:16.98 0.net
豚肉をご馳走とする中華文明とイスラムはどうしても相いれないな

イスラム文化圏では、「西遊記」は大っぴらに公開されていない。
豚の猪八戒が主人公格だから

日本敗戦のち、日本軍に与したインドネシア人を華僑は「豚小屋に閉じ込めて」苦しめたという

627 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 07:59:40.72 0.net
東南アジアも一部はイスラム化した
イスラム教の強さの秘密は何なのか?

628 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 08:14:45.93 0.net
>>627
「死後の救済」をストレートに主題としている

629 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 08:18:28.96 0.net
仏教もキリスト教も、「結局のところ、人は死んだらどうなるの?」というのが、なんだかんだ言いつつよく分からない

どちらも、開祖の死後に凄まじい論争が起きている

その点、イスラム教は「死後の救済」を単純明快に語っており、あいまいなところや、難解なところが無いので論争の余地が無い

630 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 08:45:54.64 0.net
>>624
武人の時代の始まり。
スゲぇ武人は凄すぎると中央から誣告を受けやすい。
これを嫌った武人が中央から離れようとする。
首都への帰還命令に服さないことに始まって、事実上の独立勢力へと進む。

631 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 09:00:30.05 0.net
>>629
権力闘争、勢力争いは絶えないけどね。
アッバース朝はホラーサーンなどのペルシア系シーア派の力で覇権を握ったが、多数派のスンニ派を国教にした。
タラス河畔の戦いの功労者ホラーサーンのアブー・ムスリムをカリフ権力の脅威と見なして暗殺してる。
シーア派にとっては裏切りなんで反乱が続いたりする。

632 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 10:13:31.38 0.net
>>625
支那圏が河西回廊よか西に及ぼした影響って少ないよな。
紙くらいか?

唐より後も結局は自前で暦すら作れない、唐の次に西域と支那と両方を支配したモンゴル帝国は
文字も税制も経済政策も西域から習ったものを用いて、支那圏一番の知識集団の儒家を乞食同等の扱いだったし。
モンゴル帝国ちょい前に支那圏から西域に遷った契丹はまるっきり支那圏の文化技術を西域にもたらすことなく、
がっつりペルシャ化してしまったし。

633 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 10:14:30.06 0.net
>>627
教義が簡単なことと、経文の音読が美しいことだな。

634 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 10:18:32.67 0.net
>>631
狡兎死して走狗烹らるるは古代中世の常だろ。
強力な武人は強敵があるから必要であって、強敵の脅威の無い時には内なる脅威だから、排除される。

635 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 14:15:41.79 0.net
>>632
日本も、西洋との交流が始まったら、あっという間に西洋化した

東南アジアは中国よりインドだし、中央アジアは中国よりペルシャ

他に選択肢があると、中国文化に染まらないな

636 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 14:29:39.27 0.net
中国文明の影響が東アジアだけに留まったのは中国の価値感が余りに人間至上主義で前近代の世界に合わなかったからじゃないかなあ
例えば中華文明以外の地域では神官などの宗教的権威が国家権力と結びついていたけど中華の場合は周王朝以降神云々は脇において人徳のある者や能力のある者が国家を治めるべきというあくまで人間を重視する価値感だった
儒教でも死後の救済や創造主の神話なんかの根拠のない話は出てこない
徹底した現実主義と人間至上主義が他の文明と中華を分ける点であり、中華文明が他の文明に広がりにくかった理由では

637 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 14:56:32.95 0.net
儒教では祖先崇拝はあるけど、死後にどうなるかは特に説いていない
前近代の人々にとっては物足りないだろうな

638 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 15:04:34.41 0.net
神道では、死後にどうなるかは書かれていない。
記紀神話に描かれる黄泉の国は、暗くて臭くて怖いところ
イザナギが腐った妻に追われて逃げ出したところ

神道は自然崇拝、祖先崇拝だが、その先祖が暗くて臭くて怖いところにいるなんて耐えられない

日本に仏教が浸透したのは、神道では不備のある「死後の世界」を補ってくれたから、という説がある。
いい人間は極楽へ、悪い人間は地獄へ。
だからいい人間であれば、祖先も救われる!

639 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 15:19:07.16 0.net
死後の話がほとんど出てこないのは、ギリシャ神話とかも同じ

ユダヤ教なんか、本当に無関心そのもの。旧約聖書にはほとんど出てこない。

だから後世にイスラム教が出てくるんだわな

640 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 15:31:12.06 0.net
>>637
儒教も、じつは「死後の救済」が隠れた中心教義になっている

あの世とか生まれ変わりとか、そういうことについては何も語らないが、その代わり、
「子孫に祀られることにより、ときどき招魂してもらえる」というのが救済メソッド

641 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:24:46.40 0.net
キリスト教も、死後の救済についてはそれなりに語っているので、ユダヤ教とは大きく異なる

でも、結局のところ、人は死んだらどうなるのか?

「そのうち、最後の審判の日がきて復活し、良い人は永遠に生きていきます。悪い人は消されます」とかいう、よく分からない話

642 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:37:09.12 0.net
それに比べてコーランでは、死後の楽園が明快に描写されている

これが宗教の魅力だ

643 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:37:44.47 0.net
コーラン出来事章10節から24節

信仰の先頭に立つ者は、楽園においても先頭に立ち、これらの者はアッラーの側近にはべり、至福の楽園の中に住む。

錦の織物を敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の少年たちがかれらの間を巡り、高坏や水差し、汲立の飲物盃を捧げる。

かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。

かれらの行いに対する報奨である。

644 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:38:02.56 0.net
コーラン56章27節から40節

右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。刺のないスィドラの木、累々と実るタルフ木、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく。

高く上げられた臥所に、本当にわれは、かれらの配偶として乙女を特別に創り、かの女らを永遠の処女にした。愛しい、同じ年配の者。右手の仲間のためである。昔の者が大勢いるが、後世の者も多い。

先頭のものとは最良のムスリム、右手の者とは一般のムスリムのことである。

645 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:40:14.28 0.net
>>644

ムスリムの女性は死後の世界で、永遠の童貞に歓待されるのか?

646 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 17:42:52.35 0.net
>>646
そりゃ、人によって好みは分かれるだろうな

「加藤鷹さんみたいな人に歓待されたい」という人もいるだろうし

647 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 18:39:21.26 0.net
>>636
食材も人肉至上だしな。

648 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 18:40:44.08 0.net
>>637
その割には紀元前の春秋戦国時代からガッツリ支那圏の人心をつかんでる宗教だよな。

649 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 18:42:56.41 0.net
浄土系仏教にも、極楽浄土という概念がある

650 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 18:48:52.64 0.net
>>639
ハデスの治める冥界、世界の西の果てのそのまた向こうで冥界と現世の境はステュクス河、ケルベロスが居て、楽園エリシオンがある。
冥界の食べ物を食べると現世ら帰ってこれなくなるオルフェウスがユーリディケを連れ戻しに来たとき、禁を犯して後ろを振り返ったから
ユーリディケともう会えなくなった、等々

651 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 19:01:18.17 0.net
>>648
現代の日本人も死後の世界の事は気にしてないし古代中国人もそんなメンタリティだったのかも
中国は前近代の中東やヨーロッパよりも生きやすくて現世にゆとりがあったからかな

652 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 19:09:39.28 0.net
>>651

めっちゃ気にしてんじゃん。死後33年とか50年の追悼とかやるじゃん。

653 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:05:46.88 0.net
>>632
>支那圏が河西回廊よか西に及ぼした影響って少ないよな。
>紙くらいか?

まぁ一番デカいのは古代においては絹
中国の別名のセリカもここから来てるぐらいだし
近世近代においては陶磁器
あと中国絵画の影響によって中東ではミニアチュールに発展したり
また唐三彩を真似てイスラム三彩なんてものが作られている

654 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:08:49.51 0.net
>>652
しないぞ
やってんのは田舎モンか老人だろ

655 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:24:25.20 0.net
ルーシのハスカールとかセルジューク朝トルコやインド、モンゴル帝国とか
10世紀以降のアジア圏の騎兵はどこもドングリ型の兜に小札鎧という東洋風の格好になるけど
あれも中国の鎧の影響だったりする

656 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:26:46.99 0.net
イスラム教が偶像崇拝を禁止したおかげで、イスラム圏では絵画の発達が止まってしまった

モンゴル帝国が連れてきた中国の絵師は、ペルシャ芸術に大きなインパクトをもたらした

657 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:29:49.98 0.net
近代に入って西洋文明が爆発的に世界進出したように、東洋文明もモンゴル帝国で爆発的に広がった時期があるからな

658 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 20:52:48.81 0.net
ヨーロッパでは古代ローマ時代にはシナ産の鉄が流通しており
大プリニウスはセレス(シナ)は製鉄に優れその鉄の品質は最良とされるパルティアの鉄をもしのぐ
と述べている
ちなみに大プリニウスは後漢の光武帝とほぼ同時代の人物です

659 :世界@名無史さん:2021/09/07(火) 21:46:18.62 0.net
>>658
セレスって、支那の言いようでは「大月氏」のことだろ?
クトゥビミナーラの錆びない鉄碑とか、いい鉄作ってんだろ?

660 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 06:57:12.17 0.net
生産力はヤバイけど、他の文明を文化的に侵略するソフトパワーは微妙
ってところは近世・近代・現代中国まで来てもあまり変わらないわね

661 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 07:09:04.64 0.net
7世紀の預言者マホメットも「詩と宗教はアラブ、技術は中国」、「知識を求めよ、中国にまで」と言ってるからなあ

東アジアが製造業に強いのは、今に始まった傾向ではない。
でも、思想とか芸術では、基本的に舶来文化を受け入れる側だ

662 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 08:53:28.54 0.net
>>660
漢から清まで(モンゴル帝国支配期を除いて)古代だし

663 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 08:57:37.28 0.net
>>655
むしろ遊牧ケンスタイルを匈奴とか支那がパクったんではないの?
スキタイとかサカとかの武装スタイルを。

664 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:00:39.52 0.net
磁器は支那圏が先に作り始めたけれど、
ヨーロッパの磁器の製造は別に支那からならったわけではないからなあ。
科学的な手法で、高温の還元炉で焼成すると剛性靭性が増すとうことを発見して作り始めた、
独自に、リン酸やマグネシウムを加えると体積樹当たりの匈奴が飛躍的に増すということを発見し、
支那では勘頼りだった収縮の度合いも予め計算して型で抜いて寸分違わぬカップアンドソーサーや
蓋つきのシュガーポットを量産するようになった。
ヨーロッパが硬質磁器を量産するようになって200年経っても、支那圏は軟質磁器の製造に留まっていた。

支那からはこばれてくるような真っ白けで硬い焼物が欲しい作りたいの情熱で、むしろ、支那圏よりも
上質な硬質磁器を量産するようになった。

665 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:21:39.69 0.net
>>665
>匈奴が飛躍的に増す

しょっちゅう略奪しにきそうだな

666 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:42:58.95 0.net
シナシナいってるネトウヨはここでも暴れてんのか

667 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:47:48.95 0.net
儒教って割と普遍性あるのに中国朝鮮以外の地域では意外とあまり流行ってないよな
家族と友達を大切にしようとか生涯学問をし続けようとか目先の利益よりも大義を大切にしようとか
キリスト教やイスラム教よりもよっぽど現実味あるしどの地域でも通用しそうなんだがなあ

668 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:50:44.94 0.net
孔子も、名前だけは有名だけどな

老子のほうがポピュラー。
欧米のスピリチュアリストなんかも、「老子」

669 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 14:52:14.66 0.net
を影響受けた本に挙げる人が結構いる

「老子を読んで、脳天をカチ割られるほどの衝撃を受けました」とか、欧米人にとっては本当に新鮮な世界観のようだ

670 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 17:06:34.97 0.net
>>666
シナに文句あるなら、玄奘三蔵と孫文に言え!

671 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:19:20.76 0.net
>>667
普遍性が無いから、箸漢字圏まででとどまってんだろ。
支那人が大勢なだれ込んできていた東南アジア諸国でも、まるっきり定着せず、
「文明・道徳をインドに、料理を支那に習って我々は幸福になった、逆なら不幸だった」と言ってるくらいに、
東南アジアから見ても、支那は、料理は良いが、道徳は最悪ってなものだろ。
北から支那を攻め取ったモンゴル帝国も、仏僧や西域人は重用しても、儒家は官庁から徹底排斥だったし。

672 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:23:18.43 0.net
バカウヨおつ

673 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:23:46.51 0.net
こいつが右翼とはおとても思えんけど

674 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:24:10.76 0.net
こいつが右翼とはとても思えんけど

675 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:27:46.54 0.net
ま、ネトウヨなんてバカしかいないからな

676 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:29:45.26 0.net
謎の儒教敵視&シナ呼称執着

ま、バカウヨだな

677 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:34:27.98 0.net
タイとかフィリピンとか、家族に支那姓がある、祖先がドコソコの出身の支那人とかいうような人が3割とか居るようなところでも、
祭祀を儒教や道教でやる家なんて殆ど無いだろ。
それこそ、がっつり幇に属して度々支那と往来しているごくわずかな人だけが儒教の祭祀なんかやってるだけ。

678 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:39:31.23 0.net
>>661
マホメット以下回教圏には、漢詩は心に響かなかったか。
タラス河畔でバチバチやりあった時分って、唐詩の絶頂期だったろうに。

679 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 18:42:15.50 0.net
そもそも儒教は布教とかそういう内容が競技に含まれてないんで
広まってるかどうかで優劣が決まると思ってる単細胞には理解は難しい

680 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 19:58:40.25 0.net
>>679
布教なんかしなくても、優れていれば広がるよ。
婆羅門教なんてそうだろ。もとは肌の白いアラヤン人の宗教だが、黄色いバリ人やネワール人、黒いタミル人やテルグ人にも広まってるだろ。
改宗しても最下層の一回生族にしかなれない、異族婚は不可触賎民とかいうような、血統的排他性があるのに、なんだかんだで異族か真似てる。

儒教は排他性も無いし、支那圏からどんどん人が入ってるところなら、真似されたり、血統と一緒に根付いたりしているはずだろ。
タイとかジャワ島とかフィリピンとか、支那圏から流入した人たちが、特恵層・富裕層を形成し、貴族に取り立てられるものも少なからず。
たとえば、タイの首相以下閣僚、高級軍人、お妃を出した家には、支那姓を持つ華人華僑の末裔だらけ。
言い換えたら支那人の末裔が社会的影響力を存分に行使できる状態。
しかも、2割強の家が支那姓を持っている。
なのに、儒教道教で祭祀を行う家なんて、20世紀後半以降、直で香港や中国から移住してきた人の一族だけだ。

681 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 20:12:15.95 0.net
>>680
バラモン教ってインド以外に広まってないけど

682 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 20:14:45.25 0.net
バラモン教なんて儒教よりもはるかに差別的で支配階級が被征服民を統治するための宗教なのに
なんでこいつは全く逆の評価をしてるんだよw

683 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 20:50:54.00 0.net
儒教が中国以外に広まらなかったのではなく儒教が広まったところが全て中国になったということかもしれない
孔子と孟子の時代の中国は黄河流域の都市国家だけで、その周囲は蕃夷の住む所とされた
それが時代を経るにつれて長江流域、江南、満州が中国になっていき、儒教や漢字などの中華文明が拡大していった
あと儒教は中華王朝の君主を前提とした宗教だからその支配を受けない地域で広まらないのは当然といえば当然

684 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 21:05:58.21 0.net
唐詩の朗読もいいんだけどなあ

やはり、宗教の魅力には勝てないか

唐詩の朗読(日本人)
https://youtu.be/iWIwXhbj6cI

唐詩の朗誦(中国人)
https://youtu.be/E4w1b7KMWys

685 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 21:07:50.89 0.net
西域の人々は、唐詩よりコーランに魅了されたようだ

コーランの朗誦(アラビア人)

https://youtu.be/eaJq5yyYlB4

686 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 22:29:42.13 0.net
>>684
人民中国語は入声も清濁も無くなってるだろ、唐詩の味が無くなってしまってないかい?
客家語か香港語のが感じ掴めたりしないかい?

687 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 22:35:10.54 0.net
>>685
唐の時代の漢語はどうだったんだろうねえ。
今の人民中国語は不快感しかないけど。

そういえば、こんなのもあるよな
一自蕭關起戰塵
河湟隔斷異郷;春
漢児盡作胡字語
卻向城頭罵漢人
タラス河会戦の後、唐の支配を及ばなくなると、残留者があっちゅう間に漢語を忘れてしまうというような内容。

688 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 22:44:44.76 0.net
>>683

戦争に負けると朝貢、勝てば国内で帝号を称して、結局同化はされなかったベトナムとか、
支那の文物のつまみ食いはしても君主として戴くを拒否した日本とかでは、それなりに
といりれられたのは、なんでかの?

東南アジア諸国の華僑華人だらけのところでは広まらないのはなんで?

前者は、支那に易姓革命があるから、支那のそのときの皇朝が必ずしも本朝ではないという
意識が働くも俺たちの王様こそ君主だとする意識でならありだろう。
でも、後者が全くだよなあ。

そもそも、儒教って、皇帝の為の宗教でなくて、宗簇のための宗教だろ?
共同体の範囲は、血縁地縁の範囲、邑里とか会社(近代経済用語ではなくて儒教用語の)とか幇とかの
範囲での道徳だろ?

689 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 23:12:26.22 0.net
>>688
日本ベトナムが中華文明を受容したのは一番近い所にあった文明だからだろう
距離的に考えて日本に中華文明より先にインド文明やイスラム文明が到達するとは考えずらい
そして華僑華人が東南アジアに移民しだしたのは明清帝国以降でその時代になると既に現地では仏教やイスラム教が普及していて十分に独自の文化が栄えていた
だから中国人が入ってきた後に中国式の文化が広まりにくかったしそもそも広めるつもりもなかった
西洋の宣教師とはその点が違った

690 :世界@名無史さん:2021/09/08(水) 23:57:09.89 0.net
「支那」荷は噛みつくのに「考えずらい」はいいのかよ

691 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 01:36:52.20 0.net
荷は

692 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 08:28:32.52 0.net
>>683
> 儒教が中国以外に広まらなかったのではなく儒教が広まったところが全て中国になったということかもしれない

日本列島は中国にはなってない
儒教は江戸時代の日本の国教だぞ

693 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 09:05:41.52 0.net
幕府や大名がスポンサーの孔廟は湯島聖堂(幕府)と久米聖廟(琉球)しかなかったけど、寺は多数、幕府には寺社奉行があるは、
寺請制ってふうに幕府も大名も戸口管理はお寺にやらせるはで、事実上仏教が国教だったけれどな。

694 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 10:11:11.27 0.net
儒教は宗教じゃないし

695 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 10:35:41.68 0.net
明治初期の廃仏毀釈
支配層に組み込まれていた寺院に対する民衆の反発という面もあった。
また、仏像や仏具など仏教にかかわる法具は、青銅など金属製品が多い。
仏像仏具を破壊すれば、金属スクラップが手に入る。
そんな実利的な面もある

696 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 17:24:37.11 0.net
>>694
何言ってんだWWWW

697 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 18:47:01.78 0.net
そもそも、「宗教」という言葉自体が、儒教用語からきている。
もともとは、儒教の中で「儒教けそのものを指すものものだった。
同様に、思想、道徳、信仰、祭礼、信徒の集団、信徒の行うべき社会規範、徳士の言行録、祭祀の場
……等々のものを体系化したものを備えたものを一般化して言うようになった。

698 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 19:11:14.04 0.net
そうだ

「儒教は宗教ではない」という人は、儒教を誤解しているか、宗教を誤解しているか、そのどちらかだ

699 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 20:12:36.25 0.net
>>693
その日本では実質上国教の「仏教」が儒教を兼ねていたのだけどな
例えば位牌は儒教から来たものだし日本仏教の要である先祖供養も本来は儒者がやってた儀式をぱくったもの
仏教の教義には霊魂という概念はないのだから先祖供養のしようがない
また古代インドには「孝行」いう道徳観も存在しなかったので両親の墓すら拝んだりしない
お盆の墓参りや迎え火・送り火なんてのも全部儒教からぱくったものだ

700 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 22:10:38.38 0.net
>>699
ついこないだ、タイで国王の葬式を大袈裟にやってたけれど、あれも儒教か?

701 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 23:05:12.31 0.net
>>693
> 事実上仏教が国教だったけれどな。
日本で「仏教」と呼ばれているのが中国の儒教

702 :世界@名無史さん:2021/09/09(木) 23:18:31.11 0.net
日本の思想を構成してきたのは、6世紀頃からずっと道教と儒教。まず、これが日本の思想の根底にある。
江戸時代に儒仏分離の運動が始まるまで、日本では「仏教」という名前で儒教の思想を輸入してきた。
そして江戸時代に儒仏分離が始まってからも、幕府が国教としていたのは儒教の方だった。

703 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 04:00:43.02 0.net
>>701
そこそこの規模の有る葬儀屋に訊いてみろよ。
仏教徒儒教は同じか違うか。

704 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 04:01:49.93 0.net
>>702
坊さんが子曰く……なんて読んでるの見たこと無いで。

705 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 06:16:24.25 0.net
>>700
タイの宗教文化は、上座部仏教のほか、実はかなりヒンドゥー教の影響も強い

>>704
現代はともかく、中世以前の日本や高麗では、仏教寺院が儒教の研究機関を兼ねていた事例も多い
例えば、高麗の王子として生まれ後に著名な学僧となった義天は、仏僧であると同時に儒学の専門家としても知られていた

706 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 06:40:57.63 0.net
>>705
相互に影響してるだろ。
ヒンドゥー教にもシャーキャムニとかゴータマシッダッタは聖者ないしは地祇神として信仰されてるぞ。

707 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 08:27:10.50 0.net
>>703
葬儀屋は宗教学者じゃないんで

708 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 08:45:04.39 0.net
会昌の廃仏で武宗は4600の寺院、
小寺院4万を廃棄し、
26万500人の僧尼を還俗させ、
寺院に隷属する奴婢15万人を解放。
中国仏教界の打撃は大きい。
仏教の伸展はチベットや日本などに移る。

709 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 13:59:33.91 0.net
>>707
実務担当ですよ?

710 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 14:08:31.77 0.net
唐朝は仏教と道教が最も優勢だった時期

北宋になると儒教が巻き返してくる

711 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 14:25:33.07 0.net
>>705
宗教家・宗教施設が、他宗の教義やら慣習やら足跡やら研究するは、古今東西、当たり前ではないかい?

712 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 14:42:25.36 0.net
知らんがな

713 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 14:50:42.96 0.net
比叡山延暦寺の学僧が儒学の研究もやっていたのは、聖ドミニコ会の修道士がギリシャ哲学の研究もやってたのと似ているな

古今東西、思想マニアってのはそういうもんだろ

714 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 14:57:49.35 0.net
>>713
織豊期、やってきて間もないキリスト教を研究しまくって速攻禅問答でコテンパンにしてるしな。

それとは別に、王様や大臣のお召しで宗教家を討論させる話とか、結構あちこちにあるで。

715 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 15:18:00.86 0.net
仏教から見ると、儒教は教義内容が乏しい

716 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 15:51:44.72 0.net
まあ、日本には浄土宗もあるから、キリスト教の教義理解など容易だな

717 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 16:20:02.34 0.net
仏教が雑多すぎる。しかも偽経も多いし。

718 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 16:27:53.08 0.net
>>711
>>713
まさにそういうことだね
カトリック教圏では特に12世紀〜13世紀にスコラ哲学が一気に発展して、
ドミニコ会のトマス・アクィナス(13世紀)やフランシスコ会のドゥンス・スコトゥス(13世紀〜14世紀)が出たし、
彼らに先立つ時代には、
イスラム教圏ではイブン・スィーナー(10世紀〜11世紀 ラテン語通称アヴィチェンナ)やイブン・ルシュド(12世紀 ラテン語通称アヴェロエス)ほかの学者が多思想研究をしてたね
ユダヤ教の学者では、例えば、11世紀にベン・ガビーロール(11世紀 ラテン語通称アヴィチェブロン)が新プラトン主義の研究もしてたし、
ベン・マイモン(12世紀〜13世紀 ギリシア語・ラテン語通称マイモニデス)がアリストテレス思想の研究をしてた

719 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 16:47:52.51 0.net
>>718
イスラム教は開祖のマホメットからしてユダヤ教、キリスト教、地中海・紅海圏の多神教等々を研究してたろ。

720 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 18:41:48.02 0.net
南宋の朱子なんか、禅僧より禅宗をよく知ってるくらいだった

聖トマス・アクィナスがカトリックとギリシャ哲学を統合したように、朱子学は道教と仏教を大幅に取り込んだ新しい儒教になった

721 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 18:59:18.81 0.net
>>703
葬儀屋じゃなくて法事の時にお坊さんに仏教には本来は葬式もなれけば霊魂も存在しないって本当ですか聞いてみれば?
はい、ないですよ。よく知ってますね。ってあいつら普通に言うぞ。
法相宗なんていまだに教義にないからと葬式を行わないし、どうしても仏式で葬儀したいのなら
他の宗派に頼んでくださいってことになってる。

722 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 19:03:57.83 0.net
>>721
何言ってるの?
意味不明。

723 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 19:37:09.07 0.net
>>709
なんの実務だよ
莫迦か?

724 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 19:40:28.63 0.net
>>693
下野の足利学校とか備前の閑谷学校とかもあるよ
大名の親戚がパトロンだった事例まで含めれば、肥前の多久聖廟もある

725 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 21:53:47.75 0.net
>>723
葬儀屋の実務ったら葬式だろうに。

726 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 23:08:12.90 0.net
>>725
葬式が宗教の実務だと思ってるのが馬鹿なんだよ

727 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 23:38:54.32 0.net
葬式はどの宗教でも重要な祭礼だろ。
儒教の教義なんてそれこそ葬式の作法だらけだぞ。

728 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 23:39:18.75 0.net
そもそも>>702で「江戸時代に儒仏分離の運動が始まる」とまで説明されてるのに、なんで現代の葬儀屋から儒教と仏教が混同されてた江戸時代の事情を知ろうとしちゃったのか・・・

729 :世界@名無史さん:2021/09/10(金) 23:51:39.44 0.net
江戸時代だって混同して無いじゃん。
どこの寺に孔子や孟子の像が御本尊してたよ?
仏僧の説法が「しのたまわく」だったよ?
わざわざ儒教でやれと遺言するような水戸徳川家のような奇特なところか、長崎の唐人でもなきゃあ、
儒教の葬式とかやらんわな。

730 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 00:29:07.47 0.net
>>729
> 江戸時代だって混同して無いじゃん。
> どこの寺に孔子や孟子の像が御本尊してたよ?
分かってないじゃん(笑

731 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 00:37:33.09 0.net
儒教って孔子や孟子の像ことじゃないし「しのたまわく」のことでもないぞ
それらは「お前さんが儒教(仏教)と聞いて思い浮かべるもの」でしかないのよ

732 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 00:42:45.70 0.net
江戸時代には「寺子屋」で坊主が論語などを教えていたんだがな

733 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 01:33:31.67 0.net
>>729
>仏僧の説法が「しのたまわく」だったよ?

YES!! その通り
仏僧の説法では儒教の逸話が一般的に使われていた

734 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 02:12:03.89 0.net
制度面の話するなら

江戸城には将軍直属の儒学者の詰め所があった
官職で式部大輔、式部少輔、大学頭、紀伝博士、明経博士、明法博士、算博士、音博士、書博士、侍講などに就けたのは伝統的に儒者だけだった

あたりも

735 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 07:29:04.68 0.net
公認推奨の思想が儒教だからな。
もともと狼藉者の武士に、害悪に鹿ならん儒教なんてぶっこんだものだから、
200年も中世が延長してしまった

736 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 08:48:16.65 0.net
>>695
唐代に起きた会昌の廃仏の際も、寺院には仏像をはじめ銅製の仏具が大量に
存在することに目をつけ、銅銭の材料にしようとした

737 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 09:41:48.73 0.net
だからモスクは襲撃に遭いにくいのか。
建物は立派だけれど、中は殆ど空っぽ。値の張る物は、再利用のしにくい、羊皮紙のコーランくらい。

地中海に進出したウマイヤ帝国とかは、キリスト教の教会を襲撃して、不信人者のいかがわしい金属の使い方ほ改めてやる、
とイコンや聖像や燭台やら、銅製品銀製品を略奪しまくり。

738 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 12:06:45.72 0.net
偶像崇拝は、略奪に合う恐れがあるのか
略奪に対する用心から、ムスリムは偶像崇拝を禁じた…

わけはないか

739 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 12:28:13.20 0.net
保科正之や池田の殿様など儒教推奨で仏教排斥の動きをした大名も出た

740 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 13:16:19.12 0.net
>>737
印度でモスクがしょっちゅうヒンドゥー教徒に襲撃されてるやん

741 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 14:33:01.81 0.net
唐代の仏教排斥の場合、僧侶・尼僧の堕落に対する反感や、
仏教寺院が所有する荘園を奪うという目的もあったようだな

742 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 14:39:20.80 0.net
あまりにも多くの人が出家して僧侶になってしまうので、「このままじゃ社会が崩壊してしまう」という危機感に駆られた時代もあった

743 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 14:41:45.14 0.net
北周の武帝による仏像破壊には、「背景には偶像崇拝に反対する思想があったのではないか」と指摘されている

武帝は、西域から何らかの思想影響を受けていたようだ

744 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 14:51:12.72 0.net
隋朝の統一前は、戦乱による社会不安のせいか、とくに出家が大流行した

北斉の史官魏収は、寺3万、僧尼200万と記している。北斉の人口を1000万とすると、5人に1人が僧尼になった勘定だ

仏像破壊もさることながら、「僧尼の還俗」が大きな課題となった

745 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 16:06:45.38 0.net
脱税目的だとキリスト教会も古代ローマで大地主の脱税先になってたんだけど、あんま襲撃されて略奪されたって話は聞かないような?
アラリックなんかもローマ略奪時にキリスト教会にだけは手を出さなかったし
何が違うんじゃろ

746 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 18:20:26.63 0.net
>>740
仏典にも婆羅門教は人を狂暴にしてあかんよねえ、みたいなこと書かれてるし、阿育王の時分から二千年来そうなんでしょう?

747 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 19:00:10.66 0.net
会昌の廃仏で、4600の寺院、招提蘭若といわれた小寺院4万を廃棄し、
26万500人の僧尼を還俗させるとともに、寺院に隷属していた奴婢15万人を
解放して、還俗僧とともに両税の負担戸として一般農民並みにし、
広大な荘園は没収され、仏像や仏具は銅銭と農具の材料にまわされた

748 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 19:25:34.94 0.net
>>747
お寺に酷いことするから、碌な死に方してないのね

749 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 20:59:38.57 0.net
北周の武帝は、地獄で苦労しているという話だ

750 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 22:17:35.65 0.net
じゃあ仏教の発祥以前、釈迦生誕以前の人々は、死んだらどうなっていたんですか?

751 :世界@名無史さん:2021/09/11(土) 22:33:10.91 0.net
会昌の廃仏のときには、仏教だけではなく、景教・ゾロアスター教・マニ教も
弾圧されて姿を消した
このときの弾圧令には、景教などを「中華の風に雑わらず」としている
道教は弾圧を受けなかったが、単に、時の皇帝武宗があつい道教信者で
あったというだけではなく、道教が中国固有のものだったからである

752 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 10:33:26.96 0.net
道教と儒教って区別つきにくいじゃん?
そもそも、老子と孔子ってマブダチだったし。

753 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 15:05:23.20 0.net
それは相互に影響しあってきたから

もともとの成り立ちはまったく違う

754 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 15:43:32.18 0.net
教義や作法を体系化した老子と孔子がマブダチだから相互に影響してるし成り立ちも軌を一にしてるだろ

755 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 15:44:29.16 0.net
>>750
釈尊は何度も転生していてその都度悟りに至ってその時代人人を救済してきた。

756 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 19:02:22.44 0.net
会昌の廃仏も武宗一代限りで、仏教は再び勢いを盛り返すが、
そのころから盛んになったのは、禅宗や浄土宗などの
実践的宗派であって、国家権力と癒着したり、
皇室の庇護を受けたりした律令期の諸宗派は、
この弾圧以後、再び盛んになることはなかった

律令制期の諸宗派は、玄奘がインド求法の旅から帰って、
生涯をほとんど訳経に専念しなければならなかったほどで、
教義の追求の面が強く、民衆の中に根を下ろしたとはいえなかった

757 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 19:24:08.78 0.net
チャイナはこの後も律令時代ですよ。モンゴル帝国の時期を除いて、辛亥革命まで続く

758 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 20:18:51.17 0.net
んなわけないべ
なら日本も明治維新まで律令時代というに等しい

759 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 20:58:51.81 0.net
なんで?
平安時代に出されて改定するから一時停止ってやってから、ずーっと律令の施行がなくて、
うやむやのうちに、摂関政治→院政→武家政治ってなって、明治維新で王政復古を言うてたろ。

760 :世界@名無史さん:2021/09/14(火) 23:17:19.90 0.net
唐の太宗の太子承乾は、脚が不自由で、そのうえニ十歳をこえたころから
奇行が目立つようになった
突厥語と突厥風の服装を好み、顔が突厥人に似ている者を選んで羊飼いをさせ、
穹盧(テント)を作って住み、自分が可汗になって死んだ真似をし、
突厥風の葬式をやりだすといった始末だった
こんな狂った太子が突厥風を好んだところに、突厥の風習が唐の帝室の
中にまで影響していたことが判明して興味深い

761 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 00:37:04.26 0.net
鮮卑人は東胡の末裔だからね

762 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 07:50:54.05 0.net
>>757
律令制と律令を分けようよ。
律令制としては唐中期まで。

763 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 07:59:44.33 0.net
律と令では律が重んじられてた。
清朝は律だけ策定してた。

764 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 08:05:12.97 0.net
朝鮮三国や日本は漢字を中国から輸入し、
それによって儒教・仏教・律令制などを学んだ
これにひきかえ、突厥・鉄勒は、漢字も律令制も、
また音楽・風習も受容した跡はなく、
その文字は西方系のものを用いている

中国文化は、東遷はしても、北もしくは西には
ほとんど影響していないことも、
隋唐世界帝国を考えるときには留意しなければならないこと

765 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 08:13:32.02 0.net
日本が導入した社会体制は、北方民族が征服地の漢人の土民を支配するために生み出した制度

仏教はインドの宗教、仏像彫刻はガンダーラ美術、雅楽はペルシャの楽器

766 :世界@名無史さん:2021/09/15(水) 14:42:50.50 0.net
唐の長安城は隋の大興城に基づいている
しかし、このような壮大なプランは隋が初めて思いついたのではなく、
北魏の洛陽城や東魏の鄴城が、その祖型だといわれている

767 :世界@名無史さん:2021/09/16(木) 20:08:17.36 0.net
長安は秦の咸陽が起源ではないのか?

768 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 10:24:19.48 0.net
魏晋の洛陽宮と鄴宮でしょ。日本の大極殿や唐の太極宮のレイアウトつくったの。

769 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 12:02:24.26 0.net
平城京が長安の真似っこなのは、当時の日本が大国ったら隋とか唐とかしか知らんからよ。
ローマとかコンスタンティノポリスとかバビロンとかペルセポリスとかパータリプトラとかバクダッドとかアレキサンドリアとかヘリオポリスとかも
同時に見ていたら、どの町を参考にしていたか判らんでよ。
日本が地理的に不幸だったのは、支那のような透過性の悪いフィルター越しにしか西域をしることが難しかったことだな。
支那は文明の恩人というよりも、阻害要因だったよ。

770 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 12:32:26.39 0.net
西域に拡散しないのは単純に地理的要因も大きいだろう
チベット高原、ヒマラヤ山脈、カラコルム・天山山脈、トランスオクシアナへの入り口はパミール高原、砂漠や入り組んだ盆地が多く、唐の時代にはイスラームがすでに征服布教済み

771 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 13:55:02.29 0.net
日本海から黒海まで勢力圏に治めた勢力は、4度登場している。
匈奴、突厥、モンゴル、ロシア。
うち.3つは東から伸長、先に支那圏と接触しているのに、支那の文物を西へ伝えるようなことはしていない。

772 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 16:10:23.62 0.net
たった4度だもんなあ
そりゃあ伝わらないよなあ
地中海・レバント・アラビア海,インド洋・北西インドは有史以来数えきれない侵略があったもんなあ
そりゃあいろいろ伝わるよなあ

773 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 16:40:04.34 0.net
あほ?
交易路はずっと繋がっとる

774 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 19:15:15.11 0.net
絹や茶はずっと交易してたはず
他のものも一緒に流れていると思う

775 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:07:10.28 0.net
>>769
> 支那は文明の恩人というよりも、阻害要因だったよ。

普通に文明の恩人だろ
支那なければ日本は西域については何も知らんままだぞ

776 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:13:47.54 0.net
>>772
東も西も両方とも支配下におさめたところが、支那から採り入れるもの無しって判断してるところが悲しいよね。
漢字っぽい俺文字を作った、契丹も女真も、漢字っぽいのあっさりやめてるしな。
ペルシャに流れ着いた契丹は遼文字なんかすっかり捨ててペルシャ化してしまったし、
踏ん張ってた女真もモンゴル帝国の支配を経て、金文字捨てて満洲文字の造りなおし。

777 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:19:54.98 0.net
少なくとも、火薬とか小銃とかは西側の歴史にも大きな影響あたえてるんじゃないの

778 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:22:30.65 0.net
>>775
支那がなければ、もっと早く、いろんなもの伝わってるでしょうに。
大体、支那の発明品でも伝わってこないじゃん。
たとえば、結球白菜は、大体16世紀末か17世紀末には明国で広く栽培されていた。
が、日本に伝わってくるのは日露戦争がきっかけ。
属国の朝鮮にすら伝えてない、17世紀〜19世通してオランダよりもずっと簡便な条件で
清国の船は長崎に乗りつけていたのに、日本に結球白菜の存在は全く知られていなかった。

779 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:23:01.84 0.net
> 日本海から黒海まで勢力圏に治めた勢力は、4度登場している。
> 匈奴、突厥、モンゴル、ロシア。
ロシア以外は中国に染まっちゃってるな

780 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:24:12.34 0.net
>>778
> 支那がなければ、もっと早く、いろんなもの伝わってるでしょうに。

支那がなければ、それすら伝わってこないでしょうに

781 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 20:41:09.57 0.net
箸、筆、紙、茶碗、漢字、律令制、沓、呉服、
障子、ふすま、包丁、急須、下駄、団扇、ロウソク、
木で樽を作る技術、南京錠、堆肥の技術、干支、
織物の技術、瓦、天井、基礎石、四季の概念、暦、
茶、味噌、醤油、豆腐、練羊羹、・・・・・・

パッと思いつくだけでも相当に伝来してるな

782 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:05:23.09 0.net
>>781
茶碗ねえ。
土器は日本の縄文時代の方が先行してたよ?

783 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:16:18.95 0.net
>>781
地味なとこだと入れ物の「フタ」も中国伝来
あとは床とか畳とか

784 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:21:22.65 0.net
でも縄文土器って弥生時代にはぱったり使われなくなるよな

使いにくかったんだろう

785 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:22:25.76 0.net
>>782
> 土器は日本の縄文時代の方が先行してたよ?

してないけど?

786 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:24:59.96 0.net
どうせ縄文土器が世界最古だとか信じてる人でしょ
茶碗に対抗して土器だしてくる時点でアレだが

787 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:27:45.15 0.net
>>781
こういうのを惜しげもなく贈ってくれるから周辺国はこぞって朝貢したがった

788 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:29:22.86 0.net
>>781
米と大豆が入ってない

789 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:49:34.48 0.net
弥生時代の甕棺って、チャイナ伝来なの? 蓋つきの甕に遺体を納めて墓に埋めてるヤツ。

パルテノン神殿ができるよか更に1000年前、アテナイとかシドンとかテュロスとかカルタゴとかコリュントスとかが
オリーブ油とか葡萄酒とかエジプトに輸出してたよなあ。船で運ぶに蓋無しかよ?

ガイウス・ユリウス・カエサルが今でいうとフランスとかベルギーとからの辺りを攻めたとき、味方したガリア人の族長衆を
陣に呼んで饗宴、手土産にローマ産の葡萄酒を持たせたというが、それ、蓋の無い容器で運うできたのか?
ガリア人はお土産の葡萄酒を、麦酒入れて宴会に持ってきた木樽に詰め替えて持って帰っていったというが、ガリア人の樽は
チャイニーズに習ろうただか?

790 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 21:52:18.87 0.net
>>788
稲って、三国時代になっても、まだ「南蛮の粗野な作物」って扱いだったじゃん?
「米」の字も、伊万里お米ではなくて、今でいう粟だったでしょう?
五斗米道の「米」は粟だったし。

791 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:04:11.42 0.net
>>789
で、アテナやローマのそれらが日本に伝来したのか?

792 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:06:48.43 0.net
支那がなければ伝わってた

793 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:11:36.80 0.net
>>790
https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0004/06.html

794 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:17:48.37 0.net
支那とかチャイナとか言ってる方向けにはちょうど良いレベルのサイトだな

795 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:22:08.00 0.net
>>791
チャイナが邪魔して伝わらない。
地中海圏から東トルキスタンくらいまでは割とツーカーで伝わるけどな。

796 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:28:37.20 0.net
>>793
支那の三国時代ったら、卑弥呼やらの時期だろ。
後漢の時期に遣いを出してきた奴国とかでもいいけど、
その時分には漢人の支配に無い、支那人の言う南蛮から伝わった稲を倭が田んぼに植えてたんだろ。
百越とか、もう居なくなった人種とか、今の苗族とか荘族とかの祖先にあたる人種とかから習って。
呉越に支那人の支配がもうちょっと早かったら、日本はあと何百年も農業知らなかったかもしれんな。

797 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:35:15.83 0.net
中国がなかったら西方の文明文化が伝わってたってアホすぎるだろ
文明や文化、技術なんてものは黄砂みたいに風に乗ってやってくるんじゃなく人間の手によって伝えられるんだぞ
いかにこの現代において支那という言葉を使う人達の知能が低いかがよく分かるよ

798 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:38:44.26 0.net
>>796
ついに「支那人」とか言い出しちゃった

799 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:40:33.29 0.net
待てよ
四季の概念はさすがにもとからあるだろう?
はるなつあきふゆって和語じゃん

800 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:50:21.59 0.net
日本「バクシーシ、バクシーシ!」
中国「ほれ、こいつを恵んでやる」
日本「中国はケチ! 中国じゃなけれりゃ、もっと早くもらえたのに!」

801 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 22:57:12.55 0.net
>>799
もとは中国の二十四節季

802 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 23:50:07.53 0.net
中国のせいで西周りでの文明乞食が上手くいかないってなら東回りで乞食すれば良かろう

803 :世界@名無史さん:2021/09/17(金) 23:53:00.45 0.net
>>801
関係ないやろ

804 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 05:11:47.80 0.net
唐朝と現代の中国なんか、地理的に重なってるだけで、関係はほとんど無いだろ

805 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 06:41:21.14 0.net
>>800
文化とか文明とか相互影響だろうに。
現に、黒船以降は蓋が無くなって、日本の側も貰う側だけでなくて出す側になってんじゃん。
オランダと細々繋がってたけど、よりにもよって儒教に毒された、刃物を持ったバカに支配された武家政権時代だったし。

806 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 09:15:09.39 0.net
黒船以前に硫黄、銀、刀、出す側でしたけどね
刃物をもったバカの刀を欲しがった国はたくさんありました

807 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 09:36:21.00 0.net
>>806
硫黄って、文化文明の産物なんだあwwww
火山の跡から掘ってくる、一次資源とばかり思ってたよ。
刀は確かに文化文明の産物だけれど、支那人は作り方習おうとしないし、どのみち繊細さのカケラも無い支那人には作り方なんて身につけようが無かったろうし。

808 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 09:52:25.57 0.net
硫黄はその当時に黒色火薬の原料になるという文明の知識がなければただの鉱物元素ですからね
文化文明の産物そのものですよ

809 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 11:19:36.74 0.net
資源輸出で食べていけた

昔の日本は、現代のオーストラリアや南アフリカみたいに豊かな国

810 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 11:21:35.60 0.net
昔の人にとって、鉱山の開発はハイテク産業だ

現代の基準で考えてはいけない

811 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 11:47:50.10 0.net
粗銅から銀を取り出す方法を知らなかった日本。
みすみす明国商人に暴利を与えてしまった。

812 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 12:39:01.98 0.net
硫黄は特に掘らなくても地表近くに出てるしなあ

813 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 16:29:59.68 0.net
陶磁器・絹織物・茶、中国の三大輸出品だな

東南アジアの香辛料と同じく、世界中どこでも需要があるキラーコンテンツ

814 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 19:31:11.11 0.net
日本が銀輸出国になれたのは朝鮮半島から灰吹法が導入されたおかげでまぁ工業の進歩と言えばそう

815 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 19:57:46.50 0.net
江戸時代の清からの最大の輸入品は書籍

816 :世界@名無史さん:2021/09/18(土) 20:12:26.75 0.net
>>814
灰吹法はスペインから習った。
だから、「南蛮吹」とも言うだろ。

817 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 03:52:21.08 0.net
https://www.town.minobu.lg.jp/kinzan/tenji/haihuki.html
灰吹法の技術の歴史は非常に古く、西アジアでおよそ紀元前2000年くらいからあるとされているが、
この技術が日本に伝えられたのはなぜか非常に遅く、記録によると戦国時代の1533年に博多の豪商
である神谷寿禎が朝鮮の桂寿、宗丹を日本に招いたことに始まり(「石見銀山日記」「李朝実録」)、

818 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 10:07:06.72 0.net
唐と周辺諸民族の関係だけど、790年代に、唐の宰相李泌が、
ウイグル・南詔・アッバース朝と手を結んで吐蕃に対抗するという
気宇壮大な計画を立てた
アッバース朝との連携が成功したかどうかはわからないが、
少なくとも唐・ウイグル・南詔の同盟は機能し、四川・雲南方面と
黄河屈曲部方面に展開していた吐蕃軍は徐々に後退を余儀なくされた

819 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 10:43:09.16 0.net
反杜蕃大同盟か

そこまで強敵だった杜蕃はすごいな

820 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 12:15:28.39 0.net
茶は四川省や雲南省が原産とされる

南北朝時代に南朝で飲まれるようになり、唐朝で全国にも広がった

821 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 12:50:33.54 0.net
晋て言えば早いのに

822 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 15:18:25.93 0.net
お茶は、一度飲んだら止められない

お茶のない人生は考えられなくなる必需品

823 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 19:52:06.81 0.net
ウイグルは「安史の乱」で、玄宗の子の粛宗が亡命先の霊武で即位したのを助けた
その後、徐々に唐側の戦力になっていく
当時のウイグルはイスラム教徒ではなくマニ教徒だったといわれている

824 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 21:43:47.21 0.net
お茶を覚えて以降の北方騎馬民族は、漢民族の虜となってしまった。
清朝のころのモンゴルでは、漢人の茶商人に家畜も何も巻き上げられて困窮する者が続出したという

カフェイン中毒は怖いのぉ…

825 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 21:51:17.68 0.net
清国には徳政令とか棄捐令とか無かったの?

826 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 22:28:55.84 0.net
日本への茶の伝来は、805年、唐から帰国した最澄が茶の種子を持ち帰り、
比叡山山麓の坂本に植えたことにはじまるという
当時、喫茶の習慣は、まさに唐風の新しい文化だった

827 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 22:35:35.90 0.net
ただし、四国の山間部ではそれまでの山林、照葉樹林を伐採すれば、
自然とチャノキが生えてくるという。
これは日本本土に古来から自生していたチャノキか、栽培種が野生化したものかはわからない。

現地ではこの葉を摘んで蒸して発酵させ、日本では珍しい黒茶「阿波番茶」「碁石茶」を作る。

828 :世界@名無史さん:2021/09/19(日) 22:49:52.15 0.net
遺伝子調べりゃあすぐじゃないの?
四国の自生茶と栽培種の茶との遺伝子の差が、ヤブ椿と唐椿とくらい遺伝的には離れていれば、
最初からの自生でしょうに。

829 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 06:58:34.00 0.net
wikiの「チャノキ」の項では、四国や九州の山野に自生する「ヤマチャ」は
自生種か栽培種の野生化かはわかっていないようだ

830 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 09:13:03.34 0.net
>>824
お茶のせい以上に仏教のせい
モンゴル人の半分が僧侶になってもたんやで
これで社会がやって行けるわけがない
モンゴルは革命までそんな状態やった

831 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 09:26:20.84 0.net
日本もそうだが、お茶は仏教と結びつきやすいな。
高麗は仏教を国教としたため、お茶文化が栄えた。
李朝は仏教を排斥し儒教を国是としたため、お茶文化がすたれた。

東南アジアの仏教国、タイやミャンマーでお茶が飲まれるかは寡黙にして知らぬが

832 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 09:33:16.10 0.net
ていうことは、茶=北伝仏教の文化
ていうことかな

833 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 09:42:55.03 0.net
日本でも、唐風の喫茶の習慣は宮廷貴族よりも、僧侶や文人などの間で広まった

834 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 10:09:10.26 0.net
仏教には飲酒戒があるから
酒の代替物として茶の存在が大きくなるんやろ

しかし、それならイスラムでもっと茶が普及しそうなもんやから
それも説明つかんか

835 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 10:19:00.54 0.net
アラブ世界にはコーヒーがある

836 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 10:22:34.36 0.net
>>835
ヨーロッパには茶もコーヒーも伝わったけど
ああ、トルコにもチャイがあった

837 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 10:43:41.32 0.net
前によその中国史スレで話題になっていたが、廃仏、仏教排斥運動は
思想統制や「金属資源回収」(仏像仏具を壊せば金属資源Get!)以外に、税金対策も大きな理由だという。

僧は税金を免除されるので、僧が増えれば税収が減る
だから強制的に還俗させる!

838 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 11:43:07.42 0.net
>>832
チベット仏教は北伝なのか?
文成公主が唐から持ってきたのが最初でも、全容が解らん正確な教義が知りたい、で
インドに直に使いを出して習いに行ったよな。
仏教関係無いのにタタール人とロシア人も茶啜りまくるよな。

839 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 13:31:33.28 0.net
>>838
東アジアの仏教圏は茶の苦みを楽しみ
原産地から遠い西アジアやロシア、
ヨーロッパでは紅茶で甘くして飲む感じだな

840 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 14:29:57.20 0.net
多民族帝国となったチベットでは、ローカルな固有の宗教ではなく、
より普遍的かつ体系的な世界宗教が求められるようになり、その結果、
イスラム教、マニ教、キリスト教等、当時の世界宗教の中から
仏教が選択されたのだとか

841 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 18:45:06.91 0.net
>>834
普及してんじゃん。
トルコ圏もペルシャ圏もアラブ圏もひなが男衆が茶店にたむろして、茶を啜ってるでよ。
飲んでるは支那産の茶だったり、コーヒーだったり、ミントだっり、コーラナッツの煮出汁だったりするが。

842 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 19:16:29.10 0.net
>>838
「北伝」というのが「大乗仏教」という意味合いでなら、北伝
ただし、時系列で言うと、文成公主の吐蕃への婚姻よりも前から仏教は伝わっていた
ネパールのリッチャヴィ朝を通じた伝来が最初であるらしく、
また、吐蕃への婚姻は唐に先んじてリッチャヴィ朝からも行われている
インド系対中国系の思想のせめぎ合いについては、
インド系仏教思想(漸悟説)と中国系仏教思想(頓悟説)の法論が、
792年〜794年にサムイェー寺で行われている
最終的に漸悟説が採られ、その後に続く思想上の基本路線の起点となった

843 :世界@名無史さん:2021/09/20(月) 22:31:17.10 0.net
チベットにおいて、ティツクデツェンの治世には仏教が保護され、仏教勢力が伸長した
僧院は地方の氏族と手を結び、免税の特権を持っていたらしい
また、ティツクディエン時代の宰相は仏教僧だった
しかしこの時代の保護政策は時に過剰であったらしく、仏教僧を白眼視し、
指差す者はその眼をえぐり指を切る、というお触れが出たという
アンチ仏教派の氏族たちはこのような保護政策を嫌い、ついにはティツクディエンを
暗殺するに至った

844 :世界@名無史さん:2021/09/22(水) 07:43:05.12 0.net
「ディエン」は「デツェン」の誤入力?

845 :843:2021/09/22(水) 09:53:21.35 0.net
×ティツクディエン→〇ティツクデツェン

846 :世界@名無史さん:2021/09/22(水) 10:35:13.08 0.net
唐の太宗は高句麗遠征をおこなったが、途中までは連戦連勝だったのに、
鴨緑江の手前の安市城を、どうしても落とすことができなかった。
手間取っているうちに秋の終わりがやってきて、寒さが加わり、
食糧の補給も困難になった
太宗はついに高句麗の征服をあきらめて引き揚げたが、帰り道は困難を極めた
風雪が吹き荒れ、兵士は凍傷にかかって大勢が死んだ

847 :世界@名無史さん:2021/09/22(水) 10:39:14.79 0.net
その後、高宗の代になって、海上から朝鮮半島南部に上陸してまず百済を滅ぼし、
背後から高句麗をついて、やっと高句麗を滅ぼすことができた
発想の転換ができたという点では高宗のほうが太宗より上かも?

848 :世界@名無史さん:2021/09/24(金) 14:36:25.53 0.net
ウイグル人は、安史の乱の後、都の長安や洛陽へ平気でやってくるし、
都ばかりでなく揚子江の流域まで大挙しておしかけてきた
当時ウイグル人の間では早くも茶を飲む習慣がはじまっていた
唐の影響に違いないが、これが欲しくてその産地の四川省のほうまで
はいりこんだものらしい

849 :世界@名無史さん:2021/09/30(木) 05:09:19.94 0.net
>>838
唐の文成公主が最初にチベットに仏教を定着させたようだが。チベット仏教の教義は、その後にインドから密教の要素を取り入れ多種多様に変化しているらしい。
ヒンドゥー教の神々も仏教に取り入れ、他宗教から仏教に改宗しやすいようにもしたらしい。

850 :世界@名無史さん:2021/09/30(木) 05:36:59.93 0.net
まあ、ヒンドゥー教と仏教なんて、もともとたいした違いがあるわけじゃないからな

禅宗ならともかく、密教に関しては特に

851 :世界@名無史さん:2021/09/30(木) 10:19:34.86 0.net
武則天が建国した武周

852 :世界@名無史さん:2021/09/30(木) 19:05:49.73 0.net
唐の高祖は625年に「先老後釈詔」を発し、三教の序列を
道教、儒教、仏教の順として中国文化優先策をとった
高宗は『老子』を科挙の出題に加えた
これは老子の無為の治を理想としたためである
高宗はもともと道教を好んでいたようであり、
金丹の服用にもやぶさかではなかった
治世の後半はその副作用に苦しめられたため、
実質的に妃の武后や皇太子に国政を任せたとされる

853 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 06:41:42.10 0.net
唐代、他のアジアの国々に比べて、日本は人の交流が少なかった
例えば新羅の場合、遣唐使は一年に三、四度ということさえあった
留学生の数も圧倒的に新羅が多かった
新羅の留学者はおもに十代の青少年で、彼らは唐の大学に入学し、
業を終えると、唐朝の官吏試験を受けて、高官になる者も珍しくなかった
日本の場合、唐の学校に入学した人物は阿倍仲麻呂しかいない
仲麻呂はまた、唐の官吏試験に合格したことのわかるただ一人の日本人でもある

854 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 06:44:46.34 0.net
その阿倍仲麻呂でさえ、在唐三十数年ののち帰国しようとしたぐらいで、
後半生の昇進はある意味では不本意なものだっただろう
こうしてみると、日本人は古代から一時的に外国に留学・滞在しても、
結局は母国に帰りたがるという傾向が強い民族だったのかもしれない

855 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:24:48.88 0.net
>>853
新羅は王子が遣唐使になってたりする。
途上で船が沈没して溺れた王子もいた。
王族でも危険を犯して唐に赴く。

日本は皇太子が渡海したりしない。
その差が白村江の戦いで現れたんだろう。
国際情勢の情報量の差が違う。

856 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:30:12.80 0.net
新羅は唐の属国だから、王族は人質替わりに唐へ行く。
陸路でも行ける。
日本から唐へ行くには、南海を渡るルートを使ったから、途中で遭難しまくり。
確か遣唐使の半分以上は無事で戻ってこれなかったはず

857 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:38:09.69 0.net
>>855

倭は新羅と戦ったわけではない

倭が戦った相手は唐。新羅など添え物にすぎなかった

858 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:46:04.10 0.net
新羅や百済は高句麗を滅ぼすのに利用されただけ。
白村江の戦いには、旧百済王族が唐軍として参加していた。
高句麗が滅亡したら朝鮮半島全土が唐の支配下。新羅も鶏林州都督府の管理下で属国扱い

859 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:46:14.26 0.net
>>855
> 新羅は王子が遣唐使になってたりする。途上で船が沈没して溺れた王子もいた。王族でも危険を犯して唐に赴く。


普通は、そういうのを「人質」というんだが?

860 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:47:34.80 0.net
日本は唐と朝鮮に占領されていた
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1632132266/

861 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:48:50.12 0.net
唐・新羅戦争

唐・新羅戦争(とう・しらぎせんそう)は、670年から676年に行われた唐と新羅の戦争である。

唐と新羅は、同盟を結び、660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼした。しかし、唐は、百済の地に熊津都督府を、高句麗の地には安東都護府を設け、さらに新羅も鶏林州都督府として、新羅の文武王自身も鶏林州大都督とし、朝鮮半島全体を支配しようとした。このため唐と新羅は対立するようになった。文武王は、高句麗遺民の高句麗復興運動を支援した。670年3月、高句麗遺民軍と新羅軍が鴨緑江を渡り唐軍を攻撃し、戦争が始まった。

862 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:53:24.59 0.net
>>859
人質であろうが学べるじゃん。
留学体験がある者が実権を持つ王位に付くのと
留学生が帰国後テクノクラート止まりなのとの差がある。

863 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:54:48.98 0.net
人質が遣唐使扱いされる新羅

864 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 08:56:06.68 0.net
百済王族や新羅王族は、かつて日本にも留学に来ていたらしいね

865 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 09:00:52.10 0.net
>>861
丁度、唐が吐蕃に大敗したのを見計らって、戦端を開いてる。
こういう機敏さは見習うべき。

866 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 09:04:24.87 0.net
>>864
武烈王は唐にも日本にも来たことがあ
る。
唐の要請で遣日本使を出したこともある。唐は日本の情報を得たかった。

867 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 09:23:56.43 0.net
>>864
日本に来た百済王子に肩入れしてしまった結果が白村江の戦い。
助力するに値しない最低の王子だったんだが。

868 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 09:27:45.99 0.net
>>865
戦火を交えてる最中でも冊封を続ける腹芸も、外交に必要。

869 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 09:38:24.23 0.net
宿敵高句麗を滅ぼしたから、あとは用なし。
朝鮮半島に価値などないから、新羅が朝鮮半島を略奪しても、渤海が出てこようとも黙認

870 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 10:11:32.03 0.net
渤海は、新羅同様、最低年一回、多いときは二、三回も唐に朝貢している
留学生も日本より多かったらしい
やはり地続きの大陸の国々は違うな

871 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 10:43:16.66 0.net
>>868
それを腹芸というか?

872 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 10:45:00.12 0.net
新羅は、唐と倭の両方に朝貢する二重従属国だった

国力の最盛期には、倭に対しては態度がデカくなったが、それだって何十年も続いたわけではない

873 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:10:39.11 0.net
唐からしてみれば東の蛆どもがなんか騒いどるくらいの感覚だったのかな

874 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:29:02.00 0.net
>>854
新羅に生まれて唐で大学を出たり高官に登った人は、新羅には帰らなかったの?

875 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:31:42.93 0.net
>>873
んなわけがない

高句麗は隋の煬帝からの宿敵で最大の脅威

876 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:32:09.25 0.net
>>856
高麗は唐と対立してたし、遠交近攻策も良く知っていたから、おいそれと新羅の使節を通したとは思えないんだけれど、それでも陸路云々?

そういえば、日韓トンネル(対馬海峡トンネル)の推進を言う人(韓国人に多い)も、日本がアジアと陸路でつながるのがメリット言うけど、
北緯38度停戦ラインで陸路はドン詰まりだよね?

千年前から棒子はアホなん?

877 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:33:32.68 0.net
しかし、北京から見た極東と、長安から見た極東とでは、やはり見え方が違うだろうな

明朝や清朝にとっての極東の重要性はさらに大きかった

878 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:36:03.63 0.net
新羅が頻回に遣唐使を送っていた時には、既に高句麗は滅亡していた。
そもそも高句麗と高麗の区別もつかないのか?

879 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:36:32.84 0.net
>>876
今でも、大統領候補が「韓日海底トンネルの実現」を公約に掲げ、それに対して
「島国の日本が大陸と連結するのだから、メリットは日本の方が大きい」という異論が出ている

いくらアジア大陸が広いったって、太平洋のほうがもっと広い。
日本列島は全面的に太平洋に面していて、どこにでも行けるんだが・・・(笑)

880 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:40:38.20 0.net
高句麗と百済が同盟して新羅を攻撃して、新羅が滅亡寸前だった時には、新羅は必死に唐に救援を求めいたらしいが。
それは遣唐使とは呼ばないだろう。

881 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:44:58.15 0.net
新羅からの救援要請を受け、唐は百済に停戦勧告をした。
しかし百済が停戦勧告に応じないため、唐は新羅を救援して百済が滅亡することになる。
唐の新羅救援の本当の目的は、百済を滅ぼすことではなく、高句麗攻撃だったから、百済滅亡後も、旧百済王族には寛容であった。

882 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 11:57:35.34 0.net
そもそも、新羅から唐というのは、陸路で行くようなところではない

話の前提として、それを知っとかないと遣唐使も理解できない

https://jumgon.exblog.jp/iv/view/?i=201101%2F16%2F68%2Ff0215268_1995227.gif
<https://jumgon.exblog.jp/iv/view/?i=201101%2F16%2F68%2Ff0215268_1995227.gif> 

883 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:00:17.17 0.net
そもそも、新羅から唐というのは、陸路で行くようなところではない

話の前提として、それを知っとかないと遣唐使も理解できない

https://pds.exblog.jp/pds/1/201101/16/68/f0215268_1995227.gif

884 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:08:06.59 0.net
南朝鮮から中国大陸まで陸路で行くのは、和歌山から徳島まで行くのに神戸を経由するようなものだ

ものすごい遠回りで、しかも北方民族のいる危険地帯を通ることになる

古代の倭にとって朝鮮半島南部の権益が死活問題だったのも、この海洋ルートを確保することにあった
(あと、鉄鉱資源もあったが)

885 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:10:19.66 0.net
古代の倭船で東シナ海を横断するのは、大変危険だった

朝鮮半島から山東半島に渡る航路が必要だった

886 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:11:52.55 0.net
でも、こうしてみると最短航路は、韓国じゃなくて北朝鮮からだな

平壌の外港の南浦あたりから行くのが、山東半島へは最も近い

887 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:17:12.86 0.net
>>682
カンボジアのアンコール寺院跡とかご存じないかい?
バリ島は現役でバラモン教が優勢。
マレーシアも、ブミプトラ政策で扱いに苦慮するマレー原住民系婆羅門教徒が少数居る。

888 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:20:45.12 0.net
航路をよく見ると、博多を船で出て、対馬を通って任那のあたりに上陸する。
そこから百済の沿岸を伝って、山東半島へと転じる航路

こうしてみると、倭から大陸に渡るときに通るのは、任那と百済。新羅(統一前)は通らない

倭がどうして、天下の大唐帝国を敵に回してまでも百済を勢力下に置き続けようとしたか。
それは、この航路を知らないと分からない

889 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:22:15.09 0.net
>>885
遣隋使や初期の遣唐使は、朝鮮半島伝いのルートを使ったらしい。
しかし、白村江の戦い後は、朝鮮半島伝いのルートは使えなくなり、危険な南方ルートを使うしかなかったらしい

890 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 12:54:47.88 0.net
>>882
いったい、いつの時代を持ち出しているんだ?
高句麗が滅亡して唐が半島から引き上げたあとは、新羅と唐は隣国。
船を使った海路のほうが便利だろうけど、陸路でも行けるということ。

891 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:06:47.69 0.net
>>872
最弱の新羅が半島を統一。
世渡りの巧みさは絶妙。

892 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:09:27.34 0.net
>>891
唐から見て、三国の中で唯一、遠方に位置した

遠交近攻策という中国の伝統に助けられた

893 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:12:17.14 0.net
新羅王の金春秋は、みずから唐の属国となり、背後から高句麗と百済を挟撃するという唐の戦略の一翼を担うこととした

894 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:14:10.71 0.net
正面から戦っては高句麗に勝てないから、新羅からの救援要請を利用して、朝鮮半島南部に拠点を作り、南北から高句麗を攻めようという唐の作戦。
新羅は運良く滅亡から逃れ、さらにどさくさに紛れて朝鮮半島を略奪

895 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:16:06.17 0.net
新羅はみずから唐の属国となり、唐の皇帝を君主として、唐の年号を用いた

創氏改名して、国民の名前まで中国風に変えた

この徹底した従属政策が功を奏したのであって、外交が巧みだったわけではない

896 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:19:16.65 0.net
新羅の天下は、百年くらいしか続かなかった。統一王朝としては、わりと早く崩壊した

最盛期には宗主国の日本に対しても態度がデカくなったが、国内での基盤が弱体化すると大人しくなった

897 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:23:53.12 0.net
>>895
最終的に唐軍を追い出したんだから十分巧みだよ。

898 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:31:53.54 0.net
>>897
唐にとっては、遠く離れた朝鮮半島にいつまでも大軍を駐留させておくのは負担が大きい

従属国の新羅による統一が成った以上、撤退するのは当然の流れ

追い出されたわけではない

899 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:36:26.84 0.net
バラバラな朝鮮半島で統一王朝を維持するには、唐の皇帝という権威の後ろ楯が不可欠

新羅が唐から離れて自立できるわけがない

900 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:37:45.13 0.net
唐は朝鮮半島に価値がないと分かっていたので撤退。
高句麗を滅ぼした後、直接統治ではなく、現地人に任せる羈縻政策をとっていた。
それを悪用して半島を占領したのが新羅。

901 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:45:33.68 0.net
>>898
武力で追い出されてるよ。
特に錦江河口の伎伐浦海戦で唐軍が敗退したのが大きい。
その後、熊津都督府と安東都護府を遼東にやむなく移した。

902 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:49:59.57 0.net
>>901
そんなの、偶発的な小競り合いにすぎない

新羅には、唐から自立する意思など皆無

903 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:53:29.46 0.net
隋唐の時代にお得意の同化移住政策で朝鮮族を根こそぎ漢族北方系の中に溶かしてしまえばよかったもの
日本にしてもツメが甘いんだよなあ
つい優しさを見せるとつけあがりやがる

904 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 13:55:19.98 0.net
>>902
偶発的じゃないだろ。
その前から何年も軍事衝突を繰り返してる。
まぁ自立は無理なんで、冊封を続けて年号も唐に合わせるが、
一応20万の唐軍を打ち破ってる。

905 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:07:22.62 0.net
滅んだ高句麗遺民を新羅が裏で支援して唐へ闘争させたり、
結構な策士ぶり。
この策自体は唐によって一旦鎮圧されるが、
利用できるものは何でも利用し、機会を狙い続ける。

906 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:10:29.23 0.net
唐軍の兵士の主力は、高句麗の北にいる抹羯だった

907 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:27:08.16 0.net
武則天が国を乗っ取ったり、異民族を優遇しすぎて反乱を起こされたりして、朝鮮半島に構ってる暇がなくなっていたから。
唐が滅んだ後も、混乱期で朝鮮は見逃されてもらえた。

908 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:32:16.68 0.net
そう、そこが重要なポイント

新羅と同盟して高句麗を滅ぼしたのも、朝鮮半島から撤退したのも、主に唐の側の都合によるもの

新羅はみずから進んで唐の属国になり、創氏改名までして唐に取り入った

「唐をうまく利用した」みたいな見方は誤り

909 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:32:47.55 0.net
中国本土が混乱期のなか、契丹や金が朝鮮半島を侵略して、朝鮮は契丹や金の属国となった。
そして、金のあとはモンゴルが朝鮮を蹂躙

910 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:34:39.46 0.net
>>908
唐を利用しなけりゃ真っ先に滅んでた。
利用できるものは何でも利用すべき。

911 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:41:13.59 0.net
その節操のなさがチャイナとジャポンの頭痛苦痛のタネだった
今だにそう
朝鮮半島だけ海に沈没してくれれば

912 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:43:14.66 0.net
唐の滅亡直後に、新羅も滅亡。
後新羅、後高句麗、後百済の混乱期を経て高麗が成立。
やはり唐の後ろ盾がなければ、半島をまとめられなかったという証拠

913 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:45:49.46 0.net
唐代には、アジアの国々はみな中国に留学生を送っていた
太宗の治世には、高句麗、百済、新羅、高昌、吐蕃などの君主が
その子弟らを派遣して唐の大学に入れ、総数八千人余りにもなった
日本からの留学者派遣も、こういう流れの一環だった

914 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:55:11.15 0.net
唐は少数異民族が漢民族を支配していた国だったから。
外国人にも寛容であった。
異国人でも能力次第で出世できた。

915 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 14:55:22.66 0.net
新羅はみずから進んで唐の属国となり、唐の皇帝を君主として唐の年号を使用し、
衣服も唐風に改め、創氏改名して国民の名前まで唐に合わせた。
強制されたのならともかく、みずからそうした

統一後に唐との争いが起きたのは、唐が新羅を羈縻州とし、新羅王を鶏林州大都督に格下げしたからで、
負ければ完全な唐の領土となり半独立国ですらなくなるという、半島史上でも屈指の危機を迎えたからだ

朝鮮半島の歴史に残る国辱外交で、韓国人が語りたがらない歴史

916 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 15:01:00.54 0.net
ツングース系強豪騎馬民族の高句麗なら唐と争えたけど。
軟弱烏合の衆の新羅など、唐が本気出せば消滅確実だね。

917 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 15:13:21.70 0.net
本当にツングース系なの?
後から契丹や女真の支配地になったけど、北方遊牧民や狩猟民が拠点・居住地を遷すことはしばしばあることだよな。

918 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 15:22:29.84 0.net
高句麗は朝鮮民族でないことは確実。
しかし、高句麗の遺民の一部は朝鮮民族と同化していった

919 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 16:38:35.69 0.net
>>915
それで自治を保ってるのだから充分立派やね
ほかの地域はリアルに中華の領土になってるし

920 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 16:46:58.33 0.net
>>918
そうなの?
古事記では三韓として新羅・百済とゴッチャに扱うけど

921 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 17:28:45.72 0.net
>>915
唐と連合してなければ新羅はすぐに滅亡するじゃん。
高句麗や百済の方がはるかに強い。
最弱の新羅が唐に尻尾を振って何が悪い?

922 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 18:09:04.07 0.net
>>920
征服王朝だったが、結果的に朝鮮民族に取り込まれてしまった。
中国の北魏のようなもの

923 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 18:15:55.06 0.net
高句麗は、モンゴル帝国みたいなものだな

純然たる征服王朝

924 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 18:27:47.37 0.net
百済=朝鮮民族
新羅=朝鮮民族

高句麗>朝鮮民族

高句麗の支配層は朝鮮民族ではない。高句麗領域の被支配層の一部は朝鮮民族と同化した。

朝鮮民族が高句麗の王を自慢するのは、中国人がジンギスカンを自慢するようなもの

925 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 18:44:03.78 0.net
おもしろいことに、「高句麗」で精神勝利するのは、主に韓国人なんだよな

北朝鮮はあまり言ってない

高句麗と韓国なんて、ほとんど何も関係ないんだけど

926 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 19:33:36.79 0.net
朝鮮民族は、自慢するようなものが何もないから

高句麗の旧領土は朝鮮民族のものだとか、遼東半島の古代遺跡は朝鮮民族が作ったとか言い出す始末

927 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 19:42:52.07 0.net
ヘイ!チョンコざまぁー!
東北工程ざまぁ〜

928 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 20:03:59.98 0.net
朝鮮民族は永遠の負け組

929 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 20:15:32.75 0.net
高句麗は朝鮮民族ではない!
って何回連呼しとんねん

まず三国の時代には朝鮮民族って未成立だと思うけど?

ローマ人はイタリア人ではない!
と同レベルに意味ない主張やね

930 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 20:23:19.90 0.net
現代の朝鮮民族は、高句麗が自分たちの国だと間違った認識を持っている

931 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 20:48:58.66 0.net
>>922
そもそも「朝鮮民族」なんてのが、三韓の時代にあったのやら?

932 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 21:40:44.39 0.net
新羅は、海を渡ってきた倭人が建てた王朝

新羅や百済は、いまの朝鮮人の先祖ではない。
日本人の先祖だ

933 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 22:07:30.75 0.net
百済と新羅ほ日本人の属国

934 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 22:59:05.07 0.net
>>932
ヨソから王様呼んでくるって、別段珍しいことでもないしなあ。
ローマのヌマ王から、ロシアのリューリクから、ノルウェーのハルド・ゴルムソンから
新しめのものだと、サラワクのジェームス・ブルックとか。

935 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 23:10:41.25 0.net
>>934
程度の低いネトウヨ相手するだけ無駄

936 :世界@名無史さん:2021/10/03(日) 23:55:34.60 0.net
なんぼ統治者の人材不足でも、三韓から王様呼んだりしませんから

937 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 07:20:08.31 0.net
高句麗+靺鞨→渤海国

938 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 08:44:31.71 0.net
新羅は、巧みな外交でうまく泳いだわけではない

隋唐の侵略の防波堤だった百済と高句麗が消滅したおかげで、自国も滅亡の瀬戸際に追い込まれた

唐との戦争をなんとか凌ぎきって半独立国としての立場を維持したが、負ければ属国どころか直轄領にされていた

本物の戦略家なら、百済を残しておくところだ

939 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 08:55:01.18 0.net
半島内部の闘争に勝利するため、外国勢力を引き込む。
その原型が、このときに作られた

韓国人は、「高句麗が隋唐の侵略を撃退した」という話が大好きだが、
「新羅がみずから唐の属国となることにより、他の2国を倒した」
というのは語りたがらない

940 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 09:38:02.32 0.net
>>938
国際情勢をうまく利用してるというのを外交巧者というんだよ?
羅唐戦争も唐の西域情勢を利用して勝利した

941 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 09:45:42.80 0.net
>>938
十分に外交がうまいよ。
唐に服属しながらも独自性を保った。
第一、唐に逆らって、百済を残すなんて新羅にできないだろうに。

旧高句麗の王族を保護して、
唐の安東都護府に対抗する策は弄したりはしている。
旧百済領に侵攻して、唐の逆鱗に触れ、
謝罪使を何度も派遣するなど綱渡り外交を続けてる。

唐は新羅征討を計画するが、
吐蕃との戦争で大打撃を受けて、
678年に新羅征討を断念。
新羅は命拾いした。

698年に渤海国が興ると、
唐は渤海国への対抗上、
一転して新羅との関係改善を急ぐ。

常に国際情勢の変化に機敏に対応しなければならない。

一方、倭国はなんで百済に加担したのか?
国際情勢を理解しておらず、
人格最低の百済王子を信頼し過ぎてるし。
同盟相手をきちんと選ぼうよ。

942 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 09:56:57.37 0.net
唐からすると目くそ鼻くそなんですけどね
東の虫ケラどものことなんか

943 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:01:18.49 0.net
>>938
温暖で降雨の多い部分を別の国にしておくのか?

そういや、伊藤博文も、対ロシア防衛の緩衝地帯として朝鮮を独立したまま支援しておこうとしたら、
朝鮮人に殺されるは、朝鮮の貴族は派閥争いで忙しいは王様はロシア公使館に逃げ込むは、で
征韓論が抑えきれずに併合なのよね。

944 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:04:20.92 0.net
高句麗−百済連合軍に攻め込まれた新羅が唐に救援を求めたとき、
唐は動こうとしなかった。
それどころか唐の皇族を新羅王にするように要求してきた。
弱ってるときに乗っ取るつもりなわけだ。

新羅国内でも親唐派が勢力を拡大。
親唐派を征伐して国内を固めたうえで、
唐と同盟を結ぶ。

単に唐におんぶにだっこではない。
自国の体制を確立していないと、
唐と同盟できない。

945 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:13:34.72 0.net
>>943
支援する同盟相手はまともでないと、無理。
白村江の戦で惨敗した倭国や、
アフガニスタンから撤退するしかない米国みたいになる。

946 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:50:57.71 0.net
この「古代の航路」の図を見れば、倭にとって百済がどれほど重要な交易ルートか分かるはず

「同盟相手を選ぶ」も何もない

https://pds.exblog.jp/pds/1/201101/16/68/f0215268_1995227.gif

947 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:55:19.56 0.net
国内ボロボロ次の代には滅亡する清朝とちがって、破竹の勢いの唐を敵にまわしての戦争、、そりゃ、日清戦争のようにはならんわな。わな。

948 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 10:59:04.52 0.net
>>944
だから、それは「同盟」じゃないんだよ

新羅は、唐に「従属」したのであって、「同盟」したわけではない

大陸からの防波堤だった百済と高句麗を失ったおかげで、みずから唐を相手に独立戦争する羽目になった。
国際情勢に助けられて幸運にもシノギきったが、負ければ直轄領になる危機だった

949 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 11:01:55.64 0.net
>>946
少なくとも唐を敵に回すことが得策とは思えないな。

950 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 11:04:44.36 0.net
>>948
高句麗と百済を失うも何も、
両国から攻め込まれて、滅亡寸前だったんのですが?
唐に従属する以外の方法がありますか?

951 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 11:24:01.92 0.net
日本の感覚では新羅に負けたというより、百済と任那の支配権を唐に奪われたという感じ。
任那の県四つを割いて百済に渡したのも、どのみち任那も百済も日本の属国だからとっちに属していようと大差無い。
唐にしても、三韓?任那にしておいても、全部新羅にしても、どのみちどこも属国属領だから同じことってなものでしょう。

952 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 11:46:35.40 0.net
高句麗と百済が健在だった頃は、朝鮮半島の二千年史のなかでも、非常に独立性が高かった時期といえる

それなのに、新羅がみずから進んで唐の属国となり、背後から百済と高句麗を討った

韓国人は、「高句麗は唐の李世民を撃退した」とか、「百済は倭に仏教を伝えた」の話が大好きだが、
この件については語りたがらない黒歴史となっている

953 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 11:50:03.04 0.net
>>952
唐に服属してなきゃ高句麗ー百済連合に滅ぼされてた。

954 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 12:01:55.34 0.net
>>952
三韓とも日本の属国だったろ。

955 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 13:01:53.05 0.net
公孫度や毌丘倹に半殺しされてたのに強くなったな高句麗w

956 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 13:12:53.22 0.net
唐に降伏して、唐軍が安心して撤退しているところに、背後から奇襲をかけた

このように高句麗には、平気で卑怯な手を使う一面もあった

957 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 13:15:18.81 0.net
ちょっと早いけど、次スレを立てといた

まだ当分、このスレが終わらんと思うけど

隋唐帝国 三

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1633320845/

958 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 14:53:17.91 0.net
扶余人だから卑怯なのは当然

959 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 15:22:11.32 0.net
高句麗と朝鮮は違う民族だと思うけど、そういう卑劣なやり方を見ると、
「やっぱり、朝鮮人の祖先なのかな?」と思ってしまう

960 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 16:26:19.85 0.net
いや、「卑劣だから朝鮮人の祖先」はさすがに無いだろ

961 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 16:26:35.28 0.net
そう思いたい

962 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 18:37:43.01 0.net
サッカーでも、韓国代表は汚い反則ばっかりだしなあ

963 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 18:42:11.87 0.net
>>960
高麗時代でもモンゴルの使者に渡した貢物が欲しくなった地方長官が
後ろから不意打ちかけて貢物を横取りして、そrに激怒したモンゴルに
攻め込まれるということもあったしな。

964 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 19:03:30.94 0.net
韓国人が高句麗の自慢するのは、ロシア人がジンギスカンの自慢するようなもの。

965 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 19:23:14.73 0.net
あの国のことだ

いずれ大日本帝国を自慢するよ

966 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 19:50:56.64 0.net
ローマの自慢するヨーロッパ人

967 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 20:06:44.22 0.net
>>952
なんか独自の歴史観を広めようとして逆に滑ってるね

968 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 20:55:51.03 0.net
>>963
民家から鶏盗む朝鮮通信使

969 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:07:00.79 0.net
何だかんだ言いつつも最弱の新羅が勝利者になったのは立派。
最後は内輪揉めのスキを突かれるが、
隋唐からの幾度かの猛攻に耐えた高句麗も立派。

一方、倭国の戦略眼の無さは情けない。
百済王子豊璋の悪手で百済復興軍がガタガタになっちゃったところに倭国軍が到着。もはや何もできないまま唐軍の罠の中へ特攻全滅。倭人って馬鹿ですか?

970 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:11:55.70 0.net
味方に韓人のある戦争は負ける
向こうにも韓人いたけど、どのみち悪手だ。

971 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:33:56.11 0.net
>>948
>新羅は、唐に「従属」したのであって、「同盟」したわけではない

麟コ二年に劉仁軌が熊津城に新羅王法敏を呼出して白馬の盟と言われる同盟条約を結んでるのだが

当初の条約では高句麗征服の暁には新羅王に百済全領土と大同江以南の高句麗領を新羅の管轄とするはずだったのだが
唐側は約束を反故にするどころか半島に唐軍を集中させ新羅を撃たんとする動きを見せたので
670年3月、新羅軍は駐留していた唐軍にたいして攻撃を開始する
ついには鴨緑江まで唐を駆逐する勢いを見せたのだが唐側の反撃も激しくついには大同江まで押し戻され戦線が膠着する
そうこうしているうちに吐蕃が攻め込んできたので唐は半島に構う余力がなくなり
当初の条約通り大同江以南を新羅に明け渡しすことで手打ちとした
これが羅唐戦争の顛末

972 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:43:14.40 0.net
>>971
なろう異世界転移ものっぽいアニメで
「近隣国の同盟は、宗主国と属国の間くらいにしか存在しない」
みたいな科白があったけどなあ。

まあ、なるほどなあ。
と思ったよ。

白村江合戦は、離反した新羅が唐の属国になって、日本の属国の高麗、百済、任那を攻撃した
ことで起こった戦争だろ?

973 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:45:57.30 0.net
さすがなろう読者
頭が悪いな

高麗が倭の属国?
バカも休み休み言え

974 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:50:05.25 0.net
>>973
福岡の香椎神社の縁起に書いてあったよ

975 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 21:54:49.42 0.net
大伴部 博麻(おおともべ の はかま)は白村江の戦いで捕虜となり、
長安に連行された。
670年に博麻は唐が日本侵略を計画していることを知る。
博麻は捕虜仲間を帰国させてそれを故国に知らせようと考えた。そのために自分を奴隷として売って帰国資金にした。4人が帰国している。
博麻自身は友人となった新羅使に連れられて実に30年後に帰国を果たした。
持統天皇は博麻の自己犠牲の愛国心をを厚く賞した。

976 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 22:00:11.12 0.net
日本は唐と朝鮮に占領されていた
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1632132266/

977 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 22:07:06.55 0.net
国力の拮抗している軍事同盟とか無いわなあ。
戦争せず、冷戦になるし。

国力(軍事力)の圧倒的に大きな側が盟主になって同盟締結。
外交や交戦について盟主国から制約がつけられる指図を受けたり
事前の断りを要求されたりする、一種の属国のようなものになるし。

978 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 22:18:38.40 0.net
>>976
日本書紀によれば671年に唐の使節が合計二千人を連れて、船47艘で来日している。
数が多すぎることから実際には唐による日本占領じゃないかという人がいる。
そうじゃなくてもビクビクしてたのは事実。

天武天皇が遣唐使を送らずに遣新羅使を14回送り続けたのは、唐への警戒で新羅と思惑が一致したからだろう。

979 :世界@名無史さん:2021/10/04(月) 23:18:40.73 0.net
天武天皇が送った遣新羅使は、4回のようです

980 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 03:45:07.31 0.net
そりゃ、百済滅亡の衝撃は大きい

次は日本に攻めてくるのではと警戒するのは当たり前

981 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 04:16:21.18 0.net
もしも新羅が唐との戦いに敗れて直轄領になっていたら、本当に危なかった

その意味では、新羅が防波堤になってくれた

982 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 04:50:07.13 0.net
>>981
新兵器「てつはう」を持ってるモンゴル帝国に対しても防ぎきってるのに、
チベットもペルシャも獲れない唐に負けますかいな?

983 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 05:55:41.76 0.net
唐は高句麗のさえ滅ぼせば、あとは用はない。
日本に攻め込むとかない

984 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:03:11.87 0.net
あんなに苦労して、やっと高句麗を滅ぼしたのに

似たような渤海ができて、すぐに元のモクアミと化した

985 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:15:07.66 0.net
>>92
倭国はずいぶんと縄文というかアイヌ風味が強いね。いかにも蛮族と言った感じ
何かイメージと違う
キリストは実は黒かった的な違和感

986 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:23:55.05 0.net
>>109
三國志も今は不人気と聞いた
だから関帝廟も三峡ダムに簡単に沈めた

987 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:29:11.24 0.net
>>979
Wiki情報?
ありゃ主なやつだけだろ。

988 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:30:17.87 0.net
>>120
古墳は朝鮮から伝わった築城技術(土木技術)をアピールするものであった説は?

989 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:34:14.18 0.net
中国人は明代や清代を好む

990 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:36:12.08 0.net
>>983
大伴部 博麻が帰国させた捕虜たちからの日本侵攻計画有りの情報は太宰府に報告され、
都を大いに震撼させた。
水城を建造したり、防人軍団を組織したり、迎え撃つ準備が行われた。
当時の人々にとっては現実の脅威だった。

991 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 06:48:51.83 0.net
>>978
白村江の戦い直後に唐進駐軍がやってきて、天智天皇、弘文天皇が屈して服従するものの、
天武天皇が壬申の乱でひっくり返すというストーリーがあり得るな。天武天皇のバックに新羅の支援がある。

992 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:09:20.89 0.net
>>982
吐蕃の攻勢に救われたな。
あれで日本侵攻はありえなくなった。

993 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:13:12.99 0.net
>>981
吐蕃に感謝。

994 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:35:51.63 0.net
白村江の戦の後は、高句麗を攻撃するのが優先だから、唐が日本に攻めてくる訳がない。

995 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:38:17.62 0.net
吐蕃に救われたのは新羅。
唐は本格的な新羅遠征を予定していたらしい。

996 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:41:28.43 0.net
>>994
まぁそうなんだが、
高句麗攻略の前に百済がヤラれてるんで、こっちに来るかもと怖がった。

997 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:51:14.01 0.net
高句麗を攻撃する拠点をつくるために百済を滅ぼしたのだが。
日本とか唐の眼中にない

998 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 07:59:50.77 0.net
>>997
そうなんだが、日本側は侵攻を想定して防人を組織し、水城を建造してた。

999 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 08:03:11.31 0.net
天智天皇と天武天皇は、唐の侵攻を警戒して国家体制を強化した

現実には唐は攻めてこなかったが、それが奈良時代以降の国家体制につながった

1000 :世界@名無史さん:2021/10/05(火) 08:04:09.16 0.net
実際に朝鮮半島で唐と戦ってるからな

取り越し苦労とも言えない

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