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【いつでも夢を】青春歌謡を語ろう【高校三年生】

1 :男です女です名無しです:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:lagx9HYz.net
1960年代を彩った数々の青春歌謡を語ろう

2 :男です女です名無しです:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:zSFVKs2p.net
湖愁のどこがブームを巻き起こすほどの革新的な曲なのか全く答えられないようだな。
ブームが起きた頃の曲や詞はいつでも夢をを基調として多くのヒットが生まれたのは明白。
湖愁のような悲恋物を基調として青春歌謡ブームが始まったのであれば
それこそブームに乗って湖愁路線の曲でヒットを量産していただろう。
しかし3年も経過してから西郷が影響を受けたことしか挙げられない時点で
その間の青春歌謡全盛時に何ら影響を与えていないのがわかる。
松島は青春歌謡の先駆者の一人ではあるがブームの立役者ではないというのが結論だ。

3 :男です女です名無しです:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:zSFVKs2p.net
10代でスター歌手になった男性歌手は橋が初めてだと思う。もし大人受けする股旅物ではなく
青春讃歌を唄ってデビューしていたら猛反発を食らっていただろう。
10代男性歌手の先鞭をつけた橋にはその後デビューする青春歌謡歌手たちは頭が上がらないはずだ。

4 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:WjG+PCc3.net
>>1
つまらんスレ立ててんじゃねえよ、ジイサン

5 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:bTy+WwIi.net
少なくとも、西郷輝彦の初期作品は松島アキラの模倣ではないかと言うくらい曲のモチーフが酷似している。
舟木一夫も松島の「湖愁」がスカウトされるきっかけになったことを見ても,舟木の個性は松島に近いからこそ
明星の担当者の目に止まったのだろう。青春歌謡ブームを牽引した舟木一夫・西郷輝彦の両巨頭の基礎が松島アキラにあるならば、
松島アキラこそは後続歌手に大きな影響を与えた青春歌謡歌手の元祖だと明言して良かろう。
逆に、舟木も西郷も「いつでも夢を」のモチーフはほとんど影響を受けていない。
何度も言う通り「いつでも夢を」の世界はそのまま吉永小百合の世界だからである。男性歌手の舟木や西郷が模倣しようがないのである。
だから舟木は新機軸の詰め襟歌謡で若者の夢や希望を賞賛する歌で登場し,西郷も若者の恋愛讃歌「君だけを」や松島の影響をもろに受けた「十七才のこの胸に」で
スターダムにのし上がったのである。松島がデビュー後3年も経ってから、その松島をモチーフにした歌手が登場して大人気を博した事実を見れば、
松島アキラが決してB級歌手で終わった歌い手ではないことが分かるし、そもそも当時の歌本を見れば、人気一番手橋幸夫と同じくらいの扱いで
新曲紹介もされているし、スピッツと言う愛称で本当に一時期は人気を博したと言う事実もちゃんと理解できる。
ただ、大ヒット曲だけをなぞってその上にマスコミが面白おかしく作り上げた御三家伝説を信じれば、なるほど「いつでも夢を」が青春歌謡ブームのスタートになるだろうww
だが、「舟木一夫は橋の対抗馬としてデビューした」という御三家伝説が真っ赤な嘘であるように、
「いつでも夢を」は吉永小百合という素材を得た吉田正が生んだ青春讃歌のヒット曲の一つに過ぎない。ブームを巻き起こすほど他の青春歌手に影響は与えていない。
本当の意味の1960年代青春歌謡「ブーム」は数多くの模倣歌手を生んだ舟木一夫の「高校三年生」が最初である。
舟木に続く舟木の二番煎じ歌手である三田明も梶光夫も安達明も山田太郎も叶修二も久保浩も青春歌謡のヒット曲を残している。まさに青春歌謡ブームが百花繚乱を迎えた瞬間である。
もし「いつでも夢を」が青春歌謡ブームのスタートなら,この曲の模倣もしくはモチーフをパクった曲がどれほどあるか調べてみたらいい。
せいぜいヒット曲と呼べるのは島倉&守屋「星空に両手を」、梶&高田「我が愛を星に祈りて」くらいしかないだろう(曲のテーマも曲調も全然違うがwww)
それから橋幸夫のライバル北原謙二と谷由美子の「若い君若い僕」くらいか(守屋も北原も橋世代の歌手と言うことに注目。つまり橋路線は舟木以降の男性歌手に影響を与えていないと言うこと)
何度も言うが、舟木も西郷も「いつでも夢を」ではなく、松島アキラを曲作りのモチーフに選んだのである。

6 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:acvwVNcT.net
湖愁のどこがそれまでの歌謡曲と異なるのか全く答えられないようだな。
松島のヒットは結局湖愁一曲だけ。それも当時でさえ全世代に知れ渡らなかった程度のヒットだ。

ブームとは大衆が作るものである。少なくとも大衆は夢や希望と言ったテーマを
若い世代の歌手自らが唄った歌謡曲を青春歌謡と認識するようになったと理解している。
ただ若いだけで元祖青春歌謡歌手にされている松島にはその夢や希望が感じられるヒットがない。
青春歌謡末期の夢や希望以外がテーマの曲を挙げて松島の影響だとこじつけているが
今話題にしているのは青春歌謡の起こりなのだからその指摘は当てはまらない。

7 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:bTy+WwIi.net
何度説明して分からない人間だなあ〜ww
「湖愁のどこがそれまでの歌謡曲と異なるのか」と言うことにこだわるなら、橋幸夫の股旅物なんてもう古典だろ?
古典を17才の若者が歌う奇天烈さだけでスターダムにのし上がったのに、少なくともその論法でいけば橋幸夫は青春歌謡の元祖ではないと断言できるし、
「いつでも夢を」が青春歌謡のスタートだと定義するならまさしく「吉永小百合こそ青春歌謡の元祖」と言い切って問題ないと思う。
橋幸夫も「いつでも夢を」のデュエットで共演したが、橋のソロでその後「いつでも夢を」路線はないので、あくまで歌唱力が甘かった吉永のサポート役でしかない。

それから何度も言ってるように、なぜ大ヒットにばかりこだわるのか全く理解できない。
どんな大ヒット曲にも必ず伏線がある。伏線があるから大ヒットが生まれる。ブームも起きる。
松島アキラを青春歌謡歌手の元祖だと位置づけているのは、まず「10代の歌手が10代の身の丈の心情を歌った歌で登場した」こと、
さらには青春歌謡ブームの立役者舟木一夫、西郷輝彦の両巨頭に大きな影響を与えたこと。
何度も言うが,舟木・西郷の2人がプロ歌手としてモチーフにした歌手は松島アキラである。股旅歌手橋幸夫や女性歌手吉永小百合の影響はまるでない。
つまり松島アキラがいたから、舟木や西郷やその他大勢の青春歌謡歌手を輩出する青春歌謡ブームが起きたのだ。
残念ながら松島は、影響を与えた舟木や西郷に取って代わって人気が失速してしまったが,少なくとも松島の初期作品「湖愁」「ひとり旅」「マドロス高校生」「青春に花よ咲け」は
舟木や西郷の曲の原型になっていると断言できる。
さらに「松島にはその夢や希望が感じられるヒットがない」というなら西郷の初期作品にそれがあるか?
舟木や西郷は「夢や希望」を能天気に歌い上げた青春歌謡歌手ではないぞ。
まあ曲を一つずつ説明して行けばきりがないが、少なくとも舟木・西郷の青春歌謡と「いつでも夢を」で歌われた青春は異質だ。
だから舟木も西郷も松島アキラをモチーフにしたのだ。だからこそ松島アキラが青春歌謡の元祖なのだ。
ヒットのレベルでモノを言っているのではない!
もう少しレコードを聞き込んでから論評しろと別のスレにも書いたが、大ヒットしたからその曲が青春歌謡の元祖だと妄信するのは
おそらく後年の跡づけの知識だけでモノを言っている証拠であり,当時の状況を何も知らないし知らないなら調べようともしないから
単純に時期的に一番早い大ヒットの「いつでも夢を」が青春歌謡の始まりで橋幸夫こそが青春歌謡の元祖だと、マスコミの創作話「御三家伝説」を
頑に金科玉条のように信じ込んでるとは相当おめでたい。
俺はそんな素人相手に話をしているつもりはない。

8 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:bTy+WwIi.net
それから、もう一つ指摘しておくが,>>6の「青春歌謡末期の夢や希望以外がテーマの曲を挙げて松島の影響だとこじつけているが 」と言っているが,
人の文章のどこを読んでいるんだ?ww
俺が松島アキラの「湖愁」と対比して出している曲は西郷輝彦の昭和39年度のレコ大新人賞作品「十七才のこの胸に」だ。
この曲は西郷にとってデビューから何曲目の曲かわかるか?wwww(大爆笑
それこそ西郷の初期の初期、さらには青春歌謡ブーム初頭の曲だろう!この時点で御三家の一角西郷は「湖愁」と同じく
若者の心の葛藤を情景描写を交えて「ひとり旅」というキーワードで歌い上げている曲だ。
だから西郷は当初から「いつでも夢を」のような能天気な夢や希望だけを賛美する歌は歌っていないと指摘してるのだ。
「十七才のこの胸に」は西郷を代表する大ヒット曲の一つだ。
何度も言ってる通り青春歌謡ブームの初期において,「夢や希望」を超越した若者の心情や葛藤や蹉跌が歌に盛り込まれてヒットしているんだ。
それは舟木の学園歌謡も同じだ。「涙の敗戦投手」で若者の挫折を取り上げそれを乗り越えてゆこうと歌い,「君たちがいて僕がいた」では
大人になるのは怖いけどみんな前を向いて進もうと励ましているのだ。
「いつでも夢を」のような、いかにも女性的な星より密かに雨より優しく青春を賛美する歌よりもっと若者の心情に踏み込んだ身の丈の青春を投影した歌に進化しているのである。
その先鞭が「湖愁」の世界であるとしてるのだ。舟木や西郷の曲が「いつでも夢を」で描かれた青春賛美とは違うと言う根拠は曲を聞き込めば誰にでも気づくこと。
少なくとも舟木一夫や西郷輝彦の初期作品と、吉永&橋の「いつでも夢を」に何の密接性もないし、「いつでも夢を」はまだまだ青春を謳歌する若者の身の丈目線にまで
進化しておらず、夢や希望を賞賛するだけの、藤山一郎あたりから続く延々続く青春調歌謡の延長線にあるのである。

9 :男です女です名無しです:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:acvwVNcT.net
わからんちんはあんたの方だ。
いつでも夢をのヒット以前にブームの下地は出来ていたと言っているだろう。
社会現象とまで言われるようになるには何かしらの起爆剤が必要なのだよ。
それが橋と吉永が唄ってヒットしたいつでも夢をだと言っているのだ。
この曲以前に爆発的なヒットを巻き起こした青春歌謡と呼べる曲はないだろ。
西郷がデビューした頃には青春歌謡も成熟して多様なテーマの曲が作られているのは分かっている。
飽くまでもブームのきっかけは何かを論じているのだ。

10 :男です女です名無しです:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:svyEA1fC.net
マニアも度が過ぎると大衆目線で物を見られなくなるのだな。
一般社会に何の影響力も持たないマニアックな曲を取り上げてあれこれ論じても無意味。
一般大衆は青春期の葛藤がどうとかそんなものはどうでもいいんだよ。
ただ同世代の仲間と価値観を共有できて皆で歌え耳に馴染む曲。
それこそがまさに青春歌謡の本道と言える曲で今も団塊の耳に残っている。

11 :男です女です名無しです:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:h3LiqSEJ.net
>>9
あんたの言う青春歌謡ブームの「起爆剤」は、舟木一夫の「高校三年生」だと俺は昔から口を酸っぱくして言ってるだろうに!

歌謡界においてブームが起きれば必ず売れ線狙いで二番煎じが出てくるのは過去の歌謡史を見れば明らかだが,
舟木一夫のデビューでありとあらゆる舟木の模倣歌手が生まれた。
舟木の対抗馬として知られる三田明をはじめ、舟木と同じ学園歌謡を歌った安達明、山田太郎,さらにはクラウンには進一彦という詰め襟歌手もいた。
そして、梶光夫や久保浩、 さらには舟木カットまでまねた叶修二、もっと言えばヒットはしなかったがあの松山まさる(後の五木ひろし)ですら詰め襟歌謡を出している。
ブームとはこういう物だ。ブームが大きければ二番煎じ歌手もヒットを連発する。もっといえば大人の歌手であるペギー葉山ですら昭和39年に「学生時代」と言う青春回顧歌謡を出している。
だから青春歌謡はこれら舟木の亜流歌手も交えて百花繚乱の様相を呈したのである。ブームとはこういう物である。

もし「いつでも夢を」がブームのきっかけなら、当然その売れ線狙いで二番煎じがいくらでも出てきたはずだ。
そこで「いつでも夢を」の二番煎じのヒット曲を5曲挙げてみろ?
ブームになるほどの勢いがあったなら、5曲や10曲の模倣作品は作られているだろう。それが歌謡界の流れだ。どうだ?挙げられるか?
俺が調べたところでは明らかに吉永&橋のデュエット路線を模倣してヒットを出したのは,昭和38年の島倉&守屋の「星空に両手を」しか知らない。他にあるか?
昭和40年の梶&高田の「我が愛を星に祈りて」も、女優とのデュエットと言う点で吉永&橋の模倣だが,曲調が全く違うしテーマも違う。松島アキラの世界と同じ悲恋の歌だ。
もっと時代が下って山内賢%和泉雅子の「二人の銀座」も同様に、「いつでも夢を」で歌われた夢や希望などどこにもなく、当時の若者の世俗を流行のエレキに乗せて歌っただけのポップス歌謡である。
このように「いつでも夢を」は単発ではヒットしたが、他のレコード会社の歌手にはほとんどその影響は波及しなかったのである。女優とのデュエットと言うスタイルが散発的に模倣されただけ。

何度も言うが「いつでも夢を」は単発ヒットである。他の歌手に大きな影響を与えた(つまりブームを巻き起こした)曲ではない。
つまり「いつでも夢を」も松島や北原と同様に、舟木で始まる青春歌謡ブーム前夜の下地になった要素の一つなのである。
そう言う意味で松島,北原、橋は、舟木で始まる青春歌謡ブームにおいての立ち位置は同じだ。違うのは、橋だけが舟木以後も人気を維持できて生き残れたと言う点だけ。

ただし、ビクターではこれが売れ線と見込んで吉永は橋や三田とその後もデュエット曲を出している。だからビクターにおいてだけはこの路線は確立した路線と言えるだろう。
もし「いつでも夢を」に大きな影響を受けたと言う他レコード会社の青春歌謡のヒット曲があるなら、ぜひそれを指摘してもらいたいものだ。

12 :男です女です名無しです:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:svyEA1fC.net
いつでも夢をから種々派生して青春歌謡が多様性を帯びていったのだから
高校三年生などの学園歌謡も青春歌謡という大枠の中に存在している事実を踏まえれば
少なくとも青春歌謡というジャンルの中で若者の夢と希望をテーマにしている曲は
本を辿れば全ていつでも夢をに行き着くことがわかるはずだ

13 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:tY91TNMn.net
相変わらずここのジイサンどもはくっだらねえなあ

14 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:siEKNFEl.net
だ〜か〜ら〜、何度も言ってる通り、「いつでも夢を」で歌われた青春と舟木・西郷の青春歌謡は別物だと何度言えば分かるんだ?
舟木一夫の「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」や西郷輝彦の「君だけを」「十七才のこの胸に」を本気で「いつでも夢を」で歌われた抽象的世界での
夢や希望を賛美した歌だと思い込んでるのか?wwww
何度も言うが、舟木も西郷もそして舟木の後に続く舟木摸倣の二番煎じ青春歌手も。「いつでも夢を」のような漠然とした青春讃歌とは異質なのだ。そこに何の関連性も無い。
ただ同世代の歌手が青春と言うキーワードで全く違う歌を歌ったと言ってもいい。
具体的に言うと、「高校三年生」は最後に「クラス仲間はいつまでも♪」と言う通り仲間の絆や友情を歌の基本テーマにおいている。
未来に向って夢を持って高校を卒業して行くクラス仲間たちの絆を賞賛しているのだ。
だから最後の一節で「僕ら離ればなれになろうとも越えて歌おうこの歌を」と結んでいるのである。ただ漠然とした夢や希望を賛美している歌ではない。
西郷のデビュー曲「君だけを」はさらに異質だ。完全な恋愛讃歌だ。異性に憧れる青年像を描写している。
このように舟木も西郷もどこにも「いつでも夢を」を摸倣した形跡はない。当たり前である。この両者のモチーフは松島アキラなのだからな。
逆に「いつでも夢を」で歌われた夢や希望を賛美するだけの漠然とした抽象的青春讃歌はむしろ岡晴夫の「青春のパラダイス」の二番煎じだ。
作詞の佐伯孝夫も作曲の吉田正も明らかに「いつでも夢を」を作るとき,岡晴夫を意識したのではないかと思えてならない。
ただ「いつでも夢を」は吉永小百合の歌なので、「青春のパラダイス」の女性版といっていいかもしれない。
つまり1960年代青春歌謡ブームは、「青い山脈」や「青春のパラダイス」や「いつでも夢を」で描かれた青春の夢世界と一線を画しているのである。
もっと聞き手である若者大衆の感情移入がしやすいテーマ選びがなされているから、「いつでも夢を」よりはるかにリアリティーのある歌として大衆に受け入れられたのである。

どうしても違和感があるなら、「いつでも夢を」で歌われた夢や希望を手放しに賞賛する青春歌謡の大ヒット曲を挙げてみなよ。
そんな大ヒット曲が1960年代青春歌謡ブーム時にがあったならぜひ俺も知りたい。
ただし、何度も言うが舟木や西郷は「いつでも夢を」のような能天気な夢や希望を歌った歌手ではないからな。そのことを踏まえてぜひ教えて欲しいww

15 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:qG3qcnLM.net
青い山脈、更には二人は若いなども青春をテーマにしていると言えるが
これらの曲といつでも夢をは時代的に連続性が全くない。
翻って高校三年生や君だけをなどとは明らかにいつでも夢をからの連続性が感じられる。
何も湖愁と十七才のこの胸にの様に酷似していると言っているのではない
巨視的な視点に立てば青春歌謡という大枠の中でこれらを全くの別物だと断じはできないだろう。
それぞれ独立したテーマがあっても根底は青春讃歌で共通している。
あんたはマニア故に瑣末なことに捉われ過ぎて木を見て森を見ずの状態に陥っている。

16 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:siEKNFEl.net
だ〜か〜ら〜、能書きはいいからあんたが青春歌謡ブームの幕開けになったと言う「いつでも夢を」路線の青春歌謡の大ヒット曲を早く挙げてみなよ。

「いつでも夢を」と「青春のパラダイス」「青い山脈」は時代が違うから違う歌。「いつでも夢を」と「高校三年生」は歌い手の世代も時代も同じだから同じカテゴリーの歌。
あまりに乱暴過ぎて話にもならんわwwwww
木を見て森を見ざるは、「いつでも夢を」の異質性を問うことも無く舟木や西郷の歌と同一視して青春歌謡ブームのスタートだと妄言を言っているあんたの方だ。
「高校三年生」と「いつでも夢を」を一緒くたに見るのは、いかにも後年のマスコミが面白おかしく作り上げた創作話「御三家伝説」を頑に信じてる証拠だ。
歌謡史の大局から見ても舟木の「高校三年生」はそれまでの歌謡曲に無かった新機軸だ。 「いつでも夢を」の路線など何一つ影響も及んでなければ摸倣もしていない。
だから「いつでも夢を」がなくても舟木がデビューさえしていれば青春歌謡ブームは史実の通り巻き起こっただろう。当然だ。「いつでも夢を」は舟木にも西郷にも何の影響も与えていないのだからな。
当時の若者大衆の耳には「いつでも夢をの夢物語より「高校三年生」の方がはるかに斬新に聞こえ、多くの若者が「高校三年生」で描かれたリアルな青春群像に共鳴したのだ。
そのリアル若者世界を描写した一番最初の曲である「高校三年生」が、何で旧態依然たる青春讃歌「いつでも夢を」と同類に扱われるのだ?
「いつでも夢を」は、巨視的視点で見て何度も言うが「いつでも夢を」より10数年前の岡晴夫の「青春のパラダイス」の域を一歩も出ていない。 大人が描いた青春群像とはこういう物だと言う現実性に乏しい夢物語の世界の継続だ。
だから、「いつでも夢を」はむしろ戦後すぐに青春期にあった人達の方がこの曲を聴いてノスタルジーを喚起されたのではないか?

どうしても信じないなら「いつでも夢を」を聴いてから「高校三年生」と「青春のパラダイス」を続けて聴いてみろ!「いつでも夢を」の世界はどちらの方がより近いか?まともな耳をしていたら誰にでも分かる。
時代が違うから違う歌だと言い張るのは詭弁だ。それなら昭和38年に青山和子&神戸一郎で「青い山脈」がリバイバルされているのをどう見るか?
昭和41年に梶光夫も昭和24年の青春讃歌「青い山脈」を堂々とリバイバルしているぞww 何が違う時代の歌だよww
流行歌に時代の違いは無い!そんなこともわからんか?「青春のパラダイス」と「いつでも夢を」の時代格差は10年ちょっとだ。作詞の佐伯孝夫が岡晴夫や藤山一郎をモチーフにしたとしてもおかしくない。
どうしても「いつでも夢を」が1960年代青春歌謡ブームの出発点だと強弁するなら,何度も聞いてる通り「いつでも夢を」路線を踏襲した青春歌謡の大ヒット曲を挙げてみなよ。
俺は青春歌謡史を大局的視点でモノを見て語っているのだ。

17 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:qG3qcnLM.net
流行歌に於いての10年をちょっとなどと言う人間は歌謡史を語る資格がないな。
お前はもっと普通の目線で物を語れないのか。
いつでも夢を対象にしていたのは10代から20代前半だ。
しかも唄っていたのは人気絶頂の二人である。
既に盛りを過ぎていた歌手の10年も昔の世代の違う曲など興味を示すはずもない。
それを青春歌謡ブームの起こりであるいつでも夢をと連続性があるかのような物言いは
その間の流行歌史を完全に無視した発言だ。
いつでも夢を以前は哀愁の漂う曲がブームとなっていた。
そこに明るさを全面に出したいつでも夢をの登場は当時の若者には新鮮に聞こえたはずだ。
この単純且つ明快な曲があったからこそ、そこから更に若者の心情や生活までを掘り下げた曲が
多種多様作られたのだからこの曲の影響力は膨大としか言いようがない。

18 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:siEKNFEl.net
あはは〜〜何を言ってるんだ?
「いつでも夢を」が明るい歌を前面に出して若者に新鮮に聞こえたから、そこから更に若者の心情や生活までを掘り下げた曲が 多種多様作られたと本気の本気で言ってるのか?
もう少し歌謡史を勉強しろ!
どこの世界に大ヒットした曲と全くテーマも曲調も違う曲がその大ヒット曲の「影響を受けて」出てくるんだよ!アホか!
さらに言えば、俺は「いつでも夢を」をリバイバル歌謡などとは言っていない!佐伯孝夫や吉田正が岡晴夫あたりをモチーフに吉永小百合が歌って違和感の無い曲に仕立て上げたと言っているんだ!
何が「既に盛りを過ぎていた歌手の10年も昔の世代の違う曲」だ!
モチーフの問題だ!モチーフ!曲をレコードを良く聴け!俺の文章を良く読め!
なに支離滅裂なことを言ってるんだ!あほらしい!
それから「高校三年生」の原型は昭和30年頃丘灯至夫が岡本敦郎を想定して描いた「ああ三年生」という原題が基礎になっている。
「いつでも夢を」よりはるか以前にその曲の構想は出ているんだ!素人が何エラそうなこと言ってるんだ!「高校三年生」はこのことからも「いつでも夢を」に何ら影響は受けていない!
それから何が「いつでも夢を以前は哀愁の漂う曲」だ!吉田正が「いつでも夢を」以前にどんな曲を作っていたかも知らずによく言った物だ!
吉田正は「いつでも夢を」につながる明るい曲を吉永&橋以前にも数多く作っているんだ!
「いつでも夢を」はその系譜の曲だ!いやはや、こんな素人相手にしても仕方が無いwwwww

19 :男です女です名無しです:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:qG3qcnLM.net
いつでも夢をも高校三年生も若者にターゲットを絞った曲だろ。
その若者に向けた曲が次々に大流行した現象を世間では青春歌謡ブームと呼ぶ。
その最初の大ヒットがいつでも夢をだから道筋をつけた意味で影響が多大だと言っているのだ。

いずれにせよブーム時も今も一般大衆はいつでも夢をも高校三年生も君だけをも全て青春歌謡という
一つの括りで捉えているのは厳然たる事実だ。いつでも夢をは後の二つとは違うと
いくら喚こうが世間でそんなことは通じない。
青春をテーマにしていてもそれらと明らかに違うというのは
ポップス歌謡の坂本九の曲や加山の曲などのことを言うのだよ。

20 :男です女です名無しです:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:8ozO3XQi.net
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」などなど
坂本九の歌は青春歌謡じゃないの?

21 :男です女です名無しです:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:TPPhHLsQ.net
>>20
はいはい、呼び名なんてどうでもいいでしょう、坊や。

22 :男です女です名無しです:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:jeXOdYEA.net
結局のところ,何度も言う通り,後年になってマスコミが橋舟木西郷をまとめて「御三家」と言い始めたわけだから、 1960年代青春歌謡ブームはこの3人で完結したみたいな創作話に持って行かざるを得なかったのだろう。
その方がマスコミ的には話としては面白いだろうし、「舟木や西郷は松島アキラの影響を受けました」ではマスコミが作り上げた御三家伝説が成り立たなくなるから
あくまで「先輩の橋幸夫の後を追って対抗馬として舟木や西郷が出て来ました。そして御三家が出来ました」と言うホラ話を仕立て上げざるをを得なかったのである。歌謡界に古くから根付く色々な伝説は大概この程度のレベルだ。
まあその論法で言えば、青春歌謡は「いつでも夢を」「高校三年生」「君だけを」を指して,坂本九や加山雄三が若者をターゲットに同じ青春を歌っていても「ポップスだから違います」なんて奇天烈な論理 が出てくるのも当然だなww
そう言う意味で20氏の指摘は鋭い。指摘の坂本九の残した曲は明らかに青春歌謡の範疇に入るべき曲である。洋楽のカバーならポップスとして分けてもいいが、純邦楽の坂本九や加山雄三あたりがなぜポップスに区分されるのか理解に苦しむ。
まあ、股旅歌手の橋幸夫を何のためらいも無く「青春歌手です」と言って何の疑問も持たないくらいいい加減な尺度なのだから、しょせんマスコミのホラ話などその程度のレベルだ。何の根拠も無いいい加減な創作話でしかない。

まあ何だかんだ言っても橋も御三家の一人に加えられた以上、「いつでも夢を」も1960年代青春歌謡の大枠に入るのは当然だし「高校三年生」「君だけを」も同様だ。それが歌謡史の定説だ。 それを今さら否定してもしかたがない。
だが、そのようなマスコミが仕立てた都合のいい話に沿って、都合の悪い事実を闇に葬るのは青春歌謡マニアの一人として許せないことだ。
舟木の「高校三年生」は昭和30年の時点ですでに丘灯至夫がその原型を温めていたのは紛れもない事実だし,西郷輝彦が「いつでも夢を」ではなく松島アキラを手本にしたのも
西郷がソロデビュー前に在籍したロカビリーバンドウエスタンキャラバンの先輩ボーカリストが松島アキラだったと言う事実関係があるからである。
西郷にとっては松島はバンドの大先輩であり,ソロデビューに際して3年先にソロデビューしていた松島を手本にしたのはごく自然のことだ。おそらく「いつでも夢を」など眼中にすら無かっただろう。
このようにきちんとした事実がきちんと伝われば、青春歌謡とは単純に「いつでも夢を」で始まりましたなんて言葉は出てこないんだ(舟木や西郷がモロに「いつでも夢を」をパクって登場したなら別だがw)。

俺は別のスレで「松島アキラの再評価が必要だ」と書いたが、それはこういう事実があればこそなのである。松島アキラがいたから1960年代青春歌謡ブームが起きたのが実相だ。ヒットのレベル云々の問題ではない。
だが、マスコミの創作話が一人歩きすれば結局御三家に名を連ねることが出来た橋だけが突出し 、橋と同じ時期に青春歌謡の原型を築き後続歌手の大きな影響を与えた松島アキラや北原謙二の功績が埋もれてしまう。
青春歌謡を愛するなら、この2人の歌手は決して無視できない存在だ。それを完全に無視して「いつでも夢を」こそが青春歌謡のスタートだと言い切るのは青春歌謡の何たるかを全く知らない証拠だし、
ただマスコミに踊らされてるだけの「素人」でしかない。大衆は素人だから娯楽の一つとして歌さえ聴けばそれでいいのかもしれないが青春歌謡研究マニアである俺にとっては看過できない問題なのである。
少なくともマスコミの創作話を有難くなぞるだけなら、このような青春歌謡スレなど意味も無ければ必要も無い。

23 :男です女です名無しです:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:l2KaDVmK.net
あほらし

24 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:UXAV0AaT.net
西郷は坂本九路線の歌手になりたかったんだろ本当は

25 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:G0gv7rPi.net
それは多分にあったかもしれない。
ソロデビュー前にバンドで下積みを積んだ歌手で,西郷がデビューする前の時点では坂本九が一番の出世頭だったのは事実であるからな。
坂本九はパラダイスキング等々複数のバンドに在籍して活動していたが、その時点では大きな注目を浴びる存在ではなかった。
それがソロデビューするや世界的ヒットまで生み出すビッグ歌手に成長したのである。
坂本九は、舟木で始まる青春歌謡ブーム前夜においては最大のヒットを出した青春歌手である。少なくともソロデビュー後はポップス歌手ではない。
なぜなら坂本九のヒット曲は和製の純粋な歌謡曲であるからである。
だから「高校三年生」以前の青春歌謡の大ヒット曲を挙げろと言われれば「上を向いて歩こう」が最大の物だろう。
この曲は昭和36年だから「いつでも夢を」よりも早いし,坂本九と同じバンドメンバーとして下積みを積んでいた西郷輝彦にとっては
同じウエスタンキャラバンの大先輩松島アキラと並んで大きな目標だったと考えてもおかしくはないと思う。

ただ「いつでも夢を」で書いたように、坂本九の一連の曲もまた漠然とした夢物語の青春世界を歌っていたわけで、
少なくとも昭和38年までの青春讃歌の基本的形態は「上を向いて歩こう」に代表される世界だったと思う。
ところが「高校三年生」はそれよりもっと泥臭くわかものの生活のレベルにまで踏み込んだ若者の身の丈の視点を打ち出したので
それまでの夢や希望を賛美した青春讃歌よりかなり泥臭い土着的な流行歌に変質したのであるが,逆にそれが大衆にはリアリティーがある新しいタイプの歌として
絶大な支持を集めることになったのである。
山田太郎「新聞少年」井沢八郎「ああ上野駅」三田明「みんな名も無く貧しいけれど」安達明「女学生」・・・どれも当時の若者の生活をリアルに歌の世界で表現した土着的流行歌である。
その出発点が「高校三年生」だったが、西郷輝彦はさすがにバンド出身の洋楽志向派だったから舟木一夫の路線を踏襲することは無かったのだろう。
西郷はそう言う点からも松島アキラの世界を踏襲しつつも、究極的には坂本九の描いた青春を歌いたかったのだろうと想像してもまったく違和感が無い。

26 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:G0gv7rPi.net
ここで一つ注目したいのは、土着的青春歌謡「高校三年生」以前の若者歌謡の大ヒットの大半が
ロカビリーを始めとしたバンド出身のソロ歌手によって出されていることである。
古くはスウィングウエストのメンバーだった守屋浩が昭和34年にハマクラ作品「僕は泣いちっち」を大ヒットさせているところから始まる。
さらにウエスタンキャラバンの松島アキラが「湖愁」「青春に花よ咲け」、北原謙二も大阪でウエスタンバンドでカントリーを歌っていたところを
スカウトされて昭和37年7月に「若いふたり」を大ヒットさせている。さらにパラダイスキングのメンバーだった坂本九の「上を向いて歩こう」。
西郷輝彦もこの系譜に入るかもしれない。
このように昭和37年9月の「いつでも夢を」以前にも青春歌謡の原型となった大ヒット曲はいくらでも出てくる。
だから「いつでも夢を」が青春歌謡ブームのスタートだなどとは言い切れないのである。
ところが、これらの青春讃歌と全く異質の若者の身の丈目線の生活を描写した土着的流行歌「高校三年生」が登場して
新たな青春歌謡のスタイルが確立したのである。だから舟木の摸倣歌手が大量に生まれ舟木がブームの火付け役になったのである。

27 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:q54g7GAl.net
通販の青春歌謡全集などには坂本九が含まれる場合も多いが
世間一般では青春歌謡といった場合御三家を中心として
それに派生した曲を指す場合が殆どで坂本九は含まれない。
御三家よりアイドル的な人気で劣ったからなのか
レコード会社の違いによるものなのか音楽性の違いなのかよくわからないが
感覚的には出演していたテレビ番組も違うし音楽性の違いが最も大きいと思う。

28 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:G0gv7rPi.net
坂本九も加山雄三も音楽的には明らかに純歌謡曲であり,音楽性においては御三家と違いはまず無いと言っていい。
ただ一番違ったのはレコード会社のスタンスである。
坂本九や加山雄三が所属した東芝レコードは、スタートが1960年頃でありコロムビアやビクターのような老舗から見たら完全に新興のレコード会社だった。
だから基本的にその時々のブームに便乗した歌手を輩出する場合でも後手後手に回った感が否めない。
特にそれは昭和30年代に顕著で、御三家時代における東芝レコードの青春歌謡歌手といえば望月浩と車英二しか思い浮かばない。
だから東芝は、レコード業界全体のブームの流れと距離を置くような形で当初から若手歌手はほとんどすべて「ポップス歌謡」として売り出したのである。
水原弘、坂本九,ジェリー藤尾,尾藤イサオ、加山雄三などなど、コロムビアやビクターと一線を画して「ポップス歌手」として売り出したのである。
尾藤イサオあたりはデビュー当初からかなり洋楽色の強い作品を歌っていたが,
水原や坂本や加山あたりは明らかにコロムビアやビクターの歌謡曲となんら変わらない世界だったのである。
当時ブームだった洋楽カバーの和製ポップスと聴き比べたら、水原弘も坂本九も加山雄三も完全な歌謡曲だと言うことが分かるだろう。

29 :男です女です名無しです:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:q54g7GAl.net
ビクター、コロムビアは老舗故に従来型の歌謡曲調から脱していないのに対し
東芝はやはりポップス寄りで昨今のポップス全盛時代でも通用する曲調が多い。
坂本九や加山の曲が御三家と違いがないというのは音楽的センスを疑わざるをえない。

30 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:f88A4z7c.net
>>29
オツムが50年前でストップしているね

ジイサンよ(笑)




31 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:E/li/zsu.net
>>29
俺は何度も何度も、とにかく当時のレコードを聴いてみろと言っているが、坂本九もほんの初期を除けば限りなく歌謡曲の世界である。
初期のヒット曲「ステキなタイミング」等はブームだった洋楽カバーものとしてヒットしているが、坂本九の本領は何と言っても「上を向いて歩こう」から始まる純歌謡曲路線である。
「見上げてごらん夜の星を」「さよなら東京」「明日があるさ」「ともだち」「幸せなら手をたたこう」「レッツキッス」「涙くんさよなら」等々、カバー物よりこれら歌謡曲路線の方がはるかにヒットしている。
これらは洋楽カバーでも何でもなくすべて日本人作家による和製の純歌謡曲である。それは当時の日本においてはポップス(洋楽カバー曲)より純歌謡曲の方がはるかに売れたことを意味する。
だから坂本九のデビュー初頭を知らない人は「上を向いて歩こう」を聞いて青春歌謡との違いが分からないのも当然だし,>>20氏のような疑問は出て来て当たり前なのである。
ちなみに「見上げてごらん夜の星を」と橋幸夫の「星にきいてみる」を聴き比べてみるといい。さらに「明日があるさ」とだいぶ後年になるが橋幸夫の「明日があるから」も聴いて比較してみるのも面白い。
さらに坂本九の「涙くんさよなら」と西郷輝彦の「星娘」はどちらもハマクラ作品だが、どちらがよりポップス的か、余計な詮索抜きに曲だけ純粋に聴いてみればわかる。
さらに「幸せなら手をたたこう」はたしか童謡かなにかの焼き直し作品だと思ったが,舟木一夫の初期青春歌謡に近い雰囲気がある。「さよなら東京」は舟木一夫が歌っても大ヒットしただろう。
前に書いた通り、東芝レコードは青春歌謡ブームに完全に乗り遅れたので安定した人気を維持していた坂本九が青春歌謡も多く歌ったのである(それとも歌わされたのか?)。
驚くべきは「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」を三波春夫と競作していること。いかに坂本九が歌謡曲寄りに方向性が変わって行ったかがわかる。
ちなみに「東京五輪音頭」は橋幸夫が、「世界の国からこんにちは」は西郷輝彦が競作としてレコードを出している。

このように歌手のイメージにとらわれ過ぎると、その固定観念がジャマして柔軟な評価判断が出来なくなってしまうのは恐ろしいことだ。
だからこそ、歌手の評価をする場合はレコードを聴く作業が最重要なのである。すべてはレコードの音が答えを導き出す。
青春歌謡ブームの本質をひも解く上ではこの時代のあらゆるタイプの歌謡曲は聴く価値があるわけで、当然坂本九も加山雄三もレコードはしっかり聴いているつもりだ。。

32 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:7qd6R4DH.net
今だと舟木の歌は完全に演歌に分類される旧来型の日本的な歌謡曲だ
全盛期に演歌畑の遠藤実の曲に偏っていたのだから当然であるが
もともと舟木の陰気な声質には軽快なポップスは不向きであるため
その後も市川や船村といった演歌の作曲家に偏重している
故に青春歌謡世代が演歌に抵抗のない最後の世代であると認識している
だから青春歌謡が和製ポップスである「明日があるさ」のようにリバイバルヒットし
若者世代にまで波及したことはない
そこが旧来型の歌謡曲である青春歌謡と後年主軸となる和製ポップス歌謡曲の違いだ

33 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:E/li/zsu.net
ところが、舟木一夫はデビュー前にコロムビアで2人の作曲家を想定されたのは意外に知られていない。
当時コロムビア専属だった遠藤実と浜口庫之助の2人だ。舟木自身はこの二人の作家のうち遠藤実に師事したいという希望で
遠藤実門下でレッスンを受けて遠藤の作品でデビューしたのだが,もしハマクラ作品でデビューしていたらどうなっていたか?
その可能性は多々あったのである。
もし浜口庫之助に師事していたら,舟木は間違いなく守屋浩の路線「僕は泣いちっち」「夜空の笛」などのポップス的作品を多く歌うようになっただろう。
仮に史実の通り遠藤門下でデビューしたとしても,浜口が昭和40年にコロムビアを離れなければ、
もしかしたら昭和41年の「太陽にヤァ!」あたりのリズム歌謡は船村ではなく浜口庫之助が書いたかもしれない(舟木はコロムビアのドル箱だったからその可能性は大である)
そもそも浜口庫之助は歌謡曲作家とは言い難いほどポップス系の曲を多く書いている作家だ。
洋楽的センスを持ち,遠藤実のような泥臭い土着的歌謡曲とは無縁とも言える作家である。
昭和40年代に入るとフォークの名曲「バラが咲いた」という大ヒットも出している。その洗練された作風は歌謡曲とは一線を画する。
だから西郷輝彦の「星娘」「星のフラメンコ」などは一概に歌謡曲と言って片付けられないのである。
坂本九がポップスなら,西郷輝彦の曲もまたポップスに分類されて何らおかしくはない。

何度も言う通り、後年のマスコミが作り上げた歌謡史伝説は往々にして当時の感覚と乖離して
ある点では誇張され,ある点では無視されて面白おかしく語られて来た部分が多いのである。
だからこそレコードを聴いて自分の耳でその曲の存在意味を考える必要があるし、それが俺の青春歌謡研究の主眼だ。

34 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:f88A4z7c.net
>>33
>それが俺の青春歌謡研究の主眼だ

ケッケッケ、ナニ偉そぶってんだよ、ボケ老人がw

ああ、恥ずかし

35 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:7qd6R4DH.net
浜口庫之助はポップス歌謡の始祖であり筒美京平や桑田佳祐も影響を受けた。
そのハマクラ作品のヒットがある西郷の場合後年世代には君だけをよりも
星のフラメンコの印象が強いためポップス歌手という印象を持つ者も少なくない。
橋や舟木が後年演歌色を強めていったのとは対照的だ。
舟木の場合は師事した遠藤実が独立したことにより、演歌色がより強い
船村徹や市川昭介に合わせるしかなかったのではないか。

36 :男です女です名無しです:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:E/li/zsu.net
ところで坂本九が歌謡曲に転向した最初の曲である「上を向いて歩こう」だが、この曲は永六輔・中村八大・坂本九の六八九トリオの最初の曲なはずだが、
そもそも永六輔はこの「上を向いて歩こう」を坂本九を想定して書いた作品ではない。
この曲を永六輔は三浦洸一を想定して書いたと言う事実は意外に知られていないが、作曲の中村八大が坂本九を指名して結局坂本九がレコーディングした訳だが,
その坂本の曲を聴いて永六輔はその歌唱に激怒したらしい。三浦洸一を想定して書いたくらいだから,言葉をはっきり発音して歌うのが基本的だと考えていたのだろうが,
坂本九の歌唱は完全にポップスを歌って来たクセがそのまま出てしまったのだろう。まあ大ヒットしたから結果オーライで済んだが
永六輔は当初は絶対にヒットしないと断言していたそうである。このことからも「上を向いて歩こう」は完全に歌謡曲視点で作られた歌であることが分かる。
それが作曲の中村八大の曲と坂本九の歌唱法で「ポップス仕立て」になったのである。
だから、歌詞だけを読んでみればなるほど三浦洸一が歌っても違和感が無かったのだろうと思えなくもない。
ちなみに、「上を向いて歩こう」と同じ昭和36年に三浦洸一は石原慎太郎作詞のテレビドラマ主題歌「青年の樹」という曲をヒットさせている。
ビクターで橋幸夫が股旅を歌っている時に,橋より15才も年上の三浦洸一は青春ドラマの主題歌を歌っていたと言うのは面白い事実だ。
この曲は完全な歌謡曲だが、詞がいかにも石原慎太郎的でスゴい。青春ドラマの主題歌としては異色の作品だと思う。

ところでその坂本九だが、世界的大ヒットを出しながらついに国内においてのレコ大等の歌謡賞とは無縁で終わったのは信じられないことである。
坂本と同じくバンドからソロに転向組の水原弘はレコ大の大賞、歌唱賞を授賞しているのとは対照的である。
水原弘は長いブランクの後、ポップス歌手としてのイメージを消すことに成功し「君こそ我が命」で復活して歌唱賞を授賞できたが、
坂本九の場合は実質的に歌謡曲に大きく踏み込んだ割には、ポップス歌手としてのイメージが最後までついて回ったのかもしれない。
だから、青春歌謡ブームにおいては御三家のような爆発的アイドル人気は出なかったのだろう。それだけ当時は歌謡曲よりポップスは業界内での地位が低かったとも言える。

37 :男です女です名無しです:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:gZOc5NxY.net
平尾昌晃はどっちに入るんだ?

38 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:vJdk1Gie.net
ジジイはすぐに枠に嵌めたがるんだよ
耳が腐れてるのにね

39 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:DzzCY9Pa.net
平尾昌晃は昭和30年代半ばの時点ですでに全盛期を過ぎていたわけで、平尾の全盛期はロカビリーブームとまったく符合し、さらにはブームの頂点として人気を極めた歌手でもあるから
平尾の場合は単純に歌謡曲歌手とは言えない部分があると思う。ただしヒット曲「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」はどう見ても歌謡曲だろう。
“上を向いて歩こう」と同様にカバー曲でも何でも無い和製の作品だし。
その平尾もロカビリーブーム後はビクターで歌謡曲レコードを出したがヒットが出ずそのまま埋没して昭和40年代に入って作曲家として再生するが、
1960年代青春歌謡ブームにおいては、平尾よりむしろ平尾の作品でスターダムに上がった布施明の存在の方が問題である。
デビュー曲こそ“君に涙とほほえみを」というカバー曲だったが、第2弾の「さすらいの丘」以降「若い明日」「貴様と俺」「これが青春だ」「銀の涙」「でっかい青春」等々、
初期においては青春歌謡調の作品を数多く歌っている。だが、布施明は青春歌謡ブーム後の昭和40年代後半以降も大ヒットを数多く出している。
何と言っても,青春歌謡に漂う土着的流行歌臭が布施の歌唱には感じられない(逆に言えばそれが青春歌謡ブーム時期の布施は御三家より格下に見られがちだった要因でもある)
これらの点において、布施明を純粋に「青春歌謡歌手」とは言い切れない部分がある。

40 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:CVXR4+dD.net
青春歌謡はどうみても昭和41年で終わりだろう。
昭和42年からはGSブームが始まりそれまでの歌謡曲が一掃された印象を受ける。

41 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:DzzCY9Pa.net
>>40
厳密に言えばその通りだろう。青春歌謡のトップリーダー御三家が揃って
大ヒットを出したのは昭和41年が最後だからである。
昭和42年は御三家では,舟木だけが「夕笛」等で孤軍奮闘した感じである。この当時の歌本を見ても「GSに押される御三家」という記事が目立っている。
ただ、それでもこの年はレコード会社にとってはまだまだ青春歌謡と言うジャンルに見切りをつけるまでには至っていない。
GSより青春歌謡の方が売れ線だと言う認識が色濃く残っていた時期でもある。
それは,この年デビューの新人、永井秀和、水戸浩二、車英二あたりの楽曲を聴いてみればわかるが、
結局この年のレコ大新人賞はタイガースを押さえて永井秀和に決まったことで業界内での考え方がよくわかる。
さらにこの年青春歌謡ブームの中心の一人橋幸夫が露骨にGS路線に舵を切ったのも,青春歌謡の終わりを強烈に印象づける事になった。
ただ面白いのは、ブームの流れを予兆してGS路線に方向を変えて来た橋幸夫より、ブームに関係なく従来の自分の路線である叙情歌謡や青春歌謡に
こだわった舟木の方がはるかに売れたと言う事である。この年は御三家では舟木一夫の一人勝ちである。
この昭和42年という年は、青春歌謡の終焉とGSブームの幕開けがリンクした年であり、なかなか興味をそそられる曲が大量に出て来た年でもある。

42 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:CVXR4+dD.net
当時GSは大人たちに良い印象を持たれていなかった。
新人賞は恐らくレコ大選考委員のお歴々がGSに否定的な立場が多かった結果であろう。
しかしGSブームは短かったものの瞬間的には青春歌謡ブーム以上に凄かった。
実際このブームにより淘汰された歌手は極めて多い。
青春歌謡しか歌えない舟木は演歌に転向する訳でもなく役者に転向する訳でもなく
紅白も降ろされ迷走する外なかったのであろう。

43 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:DzzCY9Pa.net
迷走という点では舟木一夫よりむしろ橋幸夫の方が該当するだろう。
前にも書いたが昭和43〜44年頃になると、ホームグラウンドの股旅もコンスタントに出すには出すがもう股旅にヒットの余力は全く無く、
その時々のブームに便乗して人気を維持する時代が続く。昭和44年の「京都神戸銀座」などは完全な森進一路線のムード演歌である。
このようにブーム便乗型の曲を出し続けたという事は,いかに橋幸夫のレコード企画が手詰まりだったかがわかる。
それが証拠に昭和44年頃から昭和50年頃までの橋のオリコン記録を見れば、「京都神戸銀座』以外では大ヒットの「子連れ狼」しかない。
それ以外にも数多くシングルは出しているが、オリコンチャート100位以内に入った曲はほんの数曲(それも100位をかすった程度)だ。
「京都神戸銀座」「子連れ狼」の2曲が20〜40万のヒットを出した以外はすべて無ヒットと言い切って間違いないだろう。
舟木の場合は,逆にこの時期のヒットは「初恋」の約20万しかないが、それ以外の出す曲はほとんどがオリコンチャート100位以内に顔を出し、
5万10万程度のヒットは昭和50年頃までコンスタントに続いている。
つまり、大ヒット2曲以外はすべて空振り三振の橋幸夫と、ホームランは無いが確実に安打を打つ舟木一夫は、青春歌謡全盛期以後も対照的だ。
青春歌謡全盛期の舟木一夫を俺は「御三家筆頭」といろいろなスレで言い続けて来たが、その舟木の最初のつまづきは、おそらく昭和43年の舟木音楽事務所設立(つまり独立)
だったのではないかと個人的には思っている。この独立で舟木は大事なブレーン(スタッフ)を失ってしまう。
さらに悪い事にGSブームとかち合った事も舟木人気降下に影を落とす結果になった。
昭和43年の舟木のシングルを聴くと、しっかりしたレコード企画に沿ってレコードが作られたという感じがしない。
ただ社長兼務の舟木の希望に添って,舟木が歌いたい歌を売れ線も何も度外視して出した結果、GSブームに完全に飲まれたという感じだ。
この年後半に出された本来なら勝負作であるべき「銀色の恋/ふたりだけの街角」などは売る事をしっかり考慮して出されたと言う感じが曲の内容からまるで感じない。

44 :男です女です名無しです:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:CVXR4+dD.net
毎年ヒットが出せたらブームが続いているということだろうが。
少なくとも舟木はGSブーム以降世間に浸透するほどのヒットはない。
青春歌謡ブームが去り二十歳を過ぎて方向性を見失い精神的に追い詰められたのは事実である。
橋は流行歌歌手として至極当然の方向に進んでいただけで迷走などはしていない。
しっかり時代の流れを把握し様々なジャンルで堅実にヒットを飛ばしている。
しかし普通の歌手は20代までにヒットを出して、それ以降は過去のヒット曲で
歌手活動するのが一般的だ。舟木も青春歌謡ブーム時のヒット曲で歌手を続けてきた。

45 :男です女です名無しです:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:hQqNGcB5.net
>>44
おいジイサン、舟木の話はもういいよ

46 :男です女です名無しです:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:FToCKaZ4.net
橋幸夫が朝ドラに出るようだな。青春歌謡を知らしめて欲しい。

47 :男です女です名無しです:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ID:M1bW408q.net
>>46


NHKテレビ
連続テレビ小説「あまちゃん」 8月13日(火) 青春歌謡の代表曲『いつでも夢を』披露する


橋幸夫の新曲、8月28日に発売される。
『夢の轍(わだち)』
作詞作曲 さだまさし

48 :男です女です名無しです:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:9XxDHHLW.net
声が一流なら顔も一流これでこそ演歌歌手
http://fast-uploader.com/file/6931705474558/

49 :男です女です名無しです:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:Ml1aG26H.net
橋幸夫は演歌歌手などという枠の狭い所にいる歌手ではないですから(`´) キリッ

50 :男です女です名無しです:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:7O9s4iwN.net
遠藤&丘コンビ初のヒットは演歌である「襟裳岬」だろう。
この曲はB面曲だったが大ヒットしてただの寒村だった襟裳岬が
町名まで変えるほどの観光地になった。紅白のトリでも2度も歌われている。
その後二人がなぜ青春歌謡コンビとして組むことになったのか経緯を知りたい。

51 :男です女です名無しです:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:rvqL0Vtw.net
>>50
また知ったかジイサンの無駄なレポートかw

52 :男です女です名無しです:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:7O9s4iwN.net
遠藤、丘両氏共に高校へは進んでいないのになぜ学園歌謡を作ったのか。

53 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:WfJ5SWYM.net
>>52
おまえ、バカか

54 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:6HZTluLu.net
全部空想それが詩人

55 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:9olN8fGd.net
>>50 その後二人がなぜ青春歌謡コンビとして組むことになったのか経緯を知りたい

特にコロムビアが意識してこのコンビを組ませた訳ではなく,結果としてこういうコンビの作品になっただけの事。
そもそも丘灯至夫を昭和30年頃「高校三年生」の原型となる詞を岡本敦郎が歌う事を想定して書いたが、この時代は歌・岡本敦郎、詞・丘灯至夫、曲・古関裕而のトリオでヒットを出していた訳で
(たとえば「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」等、岡本敦郎の一連の乗り物シリーズのヒットはこのコンビの作品)
当然、丘はこのときの「高校三年生」も作曲は同郷の先輩古関裕而を想定したらしい。ところがこの企画は立ち消えとなり(岡本敦郎は当時既に30才を越えていたのだから当たり前の話)
その後,長年にわたって丘はこの「高校三年生」を歌える歌手が出ることを期待して温めていた訳だが、遠藤教室にデビューを控えてレッスンに励む18才で高校卒業を控えた上田繁幸と言う青年がいる事を知り
デビュー曲の候補の一つとして「高校三年生」の詞に上田繁幸青年の師匠である遠藤実が曲を付けて世に出たのがまさに舟木一夫が歌う「高校三年生」だったのである。
前にも書いたが,舟木一夫はデビュー前に遠藤実と浜口庫之助の2人の作家のうちどちらに師事したいか聞かれ、舟木自身が遠藤門下を希望したということもあったので、
ここで図らずも、丘灯至夫の作品を遠藤実が作曲する、このコンビの新機軸である学園歌謡が誕生したのである。
そもそもそれまで丘灯至夫が組んだ作曲家と言えば、やはり同郷の古関裕而が一番多かった訳だが、「高校三年生」を古関裕而が作曲すると言う可能性は
舟木と古関に接点がなかったので,可能性は全くなかったという事になるだろう。
おそらく丘灯至夫の腹の中にも「高校三年生」を演歌の遠藤が作曲するとは、よもや想定はしなかっただろう。

56 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:9olN8fGd.net
ちなみに、52氏の問いの答えは、丘が「高校三年生」を書いた時のエピソードにも出てくる。
丘がまだ作詞家と新聞記者の二足のわらじを履いていた時代に,丘が新聞の取材で出掛けた東京の松蔭学園高校の校庭で
男女学生がフォークダンスを踊っているのを見て、本人曰く「腰が抜ける」ほど驚いたらしい。
丘の青春期は男女が手をつないで踊るなど考えられもしない封建的な時代だったし,丘自身は病弱で学校にも満足に通えず学園生活を謳歌するどころか
故郷の福島の温泉地で療養する生活が続いたので、戦後の新しい時代の若者が男女揃って踊る光景がうらやましく映ったと丘自身が後年述懐している。
だから「高校三年生」の詞の中で丘自身にとっての一番の肝は、2番の「フォークダンスの手を取れば甘く匂うよ黒髪が♪」と言うフレーズということである。
つまり丘灯至夫自身が学園生活へのあこがれを書いたモノであり,この詞を受け取った遠藤実も貧しさ故進学できなかった境遇なので丘同様に学園生活の憧れをこめて曲を付けたのである。
「高校三年生」が発売された昭和38年当時はまだまだ高校進学率は高くなく、中卒で就職する青年も数多くいたが,この「高校三年生」は丘や遠藤同様に高校三年生を体験できなかった多くの人々にも
多大な支持を集めたのは、まさに「学園生活への憧れ」が丘と遠藤によって曲の中に織り込まれていたからに他ならないと感じる。
3番の最後のフレーズ「クラス仲間はいつまでも♪」という部分は、クラス仲間に限らず職場の仲間にも置き換える事ができるし、
高校という舞台設定を示しながらもあらゆる立場にいる青年達の友情や絆を歌った応援歌として若者に受け入れられたからこそ戦後三大ヒットとまで言われたくらいのヒットになったのである。

57 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:WfJ5SWYM.net
>>56
しょうもねえ







58 :男です女です名無しです:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:ZuG7VvF2.net
>>55-56
さすがの博識ぶり。詳しく有難う。

59 :男です女です名無しです:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KnMIsRTO.net
ジジイの繰り言かw

60 :男です女です名無しです:2013/09/04(水) 22:10:09.64 ID:Uo/s//5x.net
このスレで、年配者の書き込みを薄汚く罵る輩が居るようだが、
まともな歌謡曲を語る書き込みに着いていけないと言うか、

長文を読む読解力が無いんだろうな・・・南無・・・。

61 :男です女です名無しです:2013/09/05(木) 17:54:14.58 ID:Fd74Ko8x.net
>>60
そっくりそのまんまあてはまるジジィもいるよ

あの駄馬に蹴られたのかも・・・・お陀仏・・・・

62 :男です女です名無しです:2013/09/10(火) 23:06:21.73 ID:4RBMN3XE.net
「あまちゃん」で 《いつでも夢を》 が取り上げられたので、橋のファンが
橋も「紅白」に出られるとのたもうておられる。

あの歌は吉永小百合様とのデュエットなんだがねぇ・・・
おめでたい話じゃな。

63 :男です女です名無しです:2013/09/11(水) 03:06:55.47 ID:xgDOIxwI.net
吉永のババ声は不快だから朝ドラのヒロインとデュエットすればいい

64 :男です女です名無しです:2013/09/11(水) 18:24:35.39 ID:ipSNcRMM.net
>>62
「いつでも夢を」はそもそも吉永小百合の歌なんだから、吉永小百合が紅白に出てもいいと言わない限り紅白出場は無理な事。
橋幸夫のソロではこの曲の本質はつかめない。橋は吉永小百合の歌唱力の甘さを補完するためにデュエット役に抜擢されただけの話で
今になってあたかもこの曲が「橋幸夫の曲」だと思い込ませるのは大間違い。
それは、吉永小百合のデビュー曲「寒い朝」と、第二弾の「いつでも夢を」を続けて聞けば、
吉田正が吉永小百合の曲作りをどういう方向性で考えていたかが分かるし、吉田自身が述懐していたように
「小百合ちゃんの清純なイメージをそのまま曲にしたのがいつでも夢をだった」という言葉の重さも理解できるだろう。
「いつでも夢を」は吉田正が,吉永のデビュー第二弾の曲として書いた曲なのだから、吉永抜きでこの曲を語れる訳が無い。

65 :男です女です名無しです:2013/09/11(水) 22:17:55.79 ID:9AVJtV7J.net
別に橋幸夫とのデュエットで無くて、吉永単独で歌った方が良かった
かも知れんな。

66 :男です女です名無しです:2013/09/12(木) 06:48:02.13 ID:anDzbh+Y.net
半世紀も前の歌謡曲に今更ツッコミかよw

67 :男です女です名無しです:2013/09/12(木) 09:18:53.59 ID:pMn8CHvA.net
吉永小百合はデビュー曲「寒い朝」でマヒナが参加している。
これは吉永の歌唱力の甘さを補完する意味で、女性デュエットで結果を出していたマヒナをバックに付けたわけで
マヒナがバックに付いた事で寒い朝のイメージが強調され、それを乗り越えて春に向かって頑張ろうと言う曲のテーマの演出に成功したが
吉永の第二弾「いつでも夢を」は吉田正は最初から吉永のソロを想定して曲を書いた訳だが、やはり歌唱力の甘さをビクターのディレクターに考慮されて
当時ビクターで男性若手人気ナンバーワンだった橋幸夫がデュエット役に決まったと言う経緯がある。
だからあくまで吉永小百合抜きの「いつでも夢を」は曲の本質的に合わないのである。
橋幸夫はデュエットを務めたが、それは吉永小百合の歌唱力の甘さが生んだ結果であり,純粋に「橋幸夫の持ち歌」とは言い切れない部分がある。
吉永小百合に,同時期の同じく映画女優の倍賞千恵子くらいの歌唱力があったなら当然ソロでこの曲を出して大ヒットを得ていただろう。

68 :男です女です名無しです:2013/09/12(木) 10:28:27.97 ID:4Btjmv0T.net
吉永小百合の持ち歌でもあり、橋幸夫の持ち歌でもある。
橋にリンゴの唄の霧島昇、青い山脈の奈良光枝のような影の薄さはない。

69 :男です女です名無しです:2013/09/12(木) 10:36:39.45 ID:pMn8CHvA.net
>>68
それは当たり前の話。吉永小百合は女優であり歌手活動はしていないのだから、
時代が経ればプロ歌手である橋幸夫の方がステージ等で歌う機会が多くなり当時を知らない人間には
橋幸夫のソロ曲だと思い込む人が出て来てもおかしくない。
あくまでこの曲の出自は吉永小百合本位であったと言う事実を指摘しているまでの事で、
吉永小百合の存在が無ければそもそもこの曲は世に出なかったのである。
吉田正は生前にテレビの自身の記念番組でこのことを述懐している。
だから厳密に言えばこの二人がデュエットしない「いつでも夢を」は、曲の本質的意味を為さない。
返す返すも吉永小百合の歌唱力の甘さが残念である。

70 :男です女です名無しです:2013/09/12(木) 21:57:16.31 ID:HPZANyIc.net
2人とも下手だったから、帳尻が合って、違和感がなかったのだろう。

吉永の若い時は、言われる程下手ではないと思うけどね。
「踊り子」や「天満橋から」などはそこそこ聴ける。

ただし、50過ぎてからは酷い。

71 :男です女です名無しです:2013/09/13(金) 06:47:36.58 ID:Et3WWDGe.net
>>70
みっともないから、くだらんレスはやめとけ



72 :男です女です名無しです:2013/09/13(金) 09:45:24.80 ID:G4DfEZJE.net
青春歌謡というのは特に女性歌手の場合美声が絶対条件。その上器量も求められる。
とにかく歌唱力は二の次でも構わないから清い声で、その上可愛らしく甘い声ならば完璧。
過去に青春歌謡を唄った女性歌手で低音や嗄れ声はいないしブスもいない。

73 :男です女です名無しです:2013/09/14(土) 20:49:29.73 ID:4WeXFtPR.net
橋幸夫は紅白で単独で「いつでも夢を」歌った事 2回くらいあるよ。

74 :男です女です名無しです:2013/09/15(日) 16:43:48.02 ID:FUJrKHN9.net
つまらんジジイがつまらんコトばかり書くスレかここは

75 :男です女です名無しです:2013/09/17(火) 19:03:13.54 ID:yfbCxdeD.net
>>73
昭和37年の紅白では吉永とのデュエット。
昭和45年の紅白で本来なら「俺たちの花」を歌う予定が急遽「いつでも夢を」に変更になった。
後は平成になってから久しぶりの出場で「いつでも夢を」を歌ったが、昭和42年以降は吉永の紅白出場は無いので
橋幸夫のソロになったのだろうが、これこそまさに「庇を貸して母屋取られる」の典型と言えるだろう。
こういう積み重ねがいつの間にか「いつでも夢を」は吉永の曲ではなく橋幸夫の曲だと誤解されるようになった所以と言えるかもしれない。
あくまで「いつでも夢を」は吉永小百合を想定して作られた吉永&橋のデュエット曲であることは明確にしておかないと作者吉田正の意に背く事になるだろう。
ちなみに吉永小百合は膨大な数のレコードを出しているが、その中でも代表的なヒット曲は全て男性ソロ歌手かグループとのデュエットである所が面白い。
「寒い朝」「いつでも夢を」「明日は咲こう花咲こう」「勇気あるもの」・・・・・

76 :男です女です名無しです:2013/09/17(火) 22:09:59.34 ID:pG/2eiv0.net
中学生の頃、御三家が全盛だった。
クラスの女子の中で、オムツがあんまり良くなく、不良掛かった女子は西郷のファンが多く、

大人しく成績が優秀な女子には舟木が人気があった。

橋のファンは殆どいなかった。

77 :男です女です名無しです:2013/09/17(火) 22:16:54.17 ID:zYRhzMdd.net
吉永小百合ソロの代表曲は「奈良の春日野」

78 :男です女です名無しです:2013/09/17(火) 22:21:18.88 ID:zYRhzMdd.net
>>76
そういうあなたはオムツ(笑)が良くないのですね

79 :男です女です名無しです:2013/09/17(火) 23:11:31.47 ID:yfbCxdeD.net
>>76
かつて玉置宏の記念番組で御三家が総出演した番組で、玉置宏が御三家の3人の当時のファン心理を明快に説いた事がある。
つまり、遊び相手として見るなら西郷輝彦、結婚相手として見るなら舟木一夫、そして橋幸夫は何かベールに包まれた向こう側に居る大スターというイメージ。

これは青春歌謡ブーム時期におけるこの3人の立ち位置を明快に示している面白い指摘だと思う。
つまり、橋幸夫は戦前のスター歌手から続くラジオやテレビの向こう側にいて手の届かない大スターの系譜上にいる歌手なのである。
ところが1960年代青春歌謡ブームは、前にも書いたように当時の若者世代の身の丈の青春を描いた作品であるから、当然その歌い手も身近な存在のイメージを持たれないと成り立たないのであったが、
舟木の詰め襟は、ベールの向こうにいる手の届かない大スターではなく、あくまで自分達若者と同じ目線で同じ身の丈にいる歌い手であるという親近感を植え付けたからこそ大ブームの火付け役になったのである。
基本的に「アイドル」とは手の届かない遠い存在では存在意義が無い。身近にいそうなタイプで自分達と同じ目線で歌うスターこそ「アイドル」なのであり、そのハシリが舟木一夫の詰め襟だったと思う。
だから舟木一夫は青春歌謡ブーム全期間を通してプロマイド売上では橋や西郷を寄せ付けず独走状態だったのである。
76氏の指摘の通り、当時の保守的な女の子の人気を一身に集めるようなキャラはやはり舟木一夫の優等生イメージがダントツだったのだろうと思う。

80 :男です女です名無しです:2013/09/18(水) 08:14:08.63 ID:rNWOhjvB.net
半世紀も昔のひからびた話題で、よく遊べるねえw
ここのアナクロジジイたちはw
いまだにこんなどうでもいいことが、ここのジジイには日々のよすがに
なってるんだろうねえ
さびしい人生だねえ
特に>>79のジイサン、可哀相だねえ
滑稽だねえw




81 :男です女です名無しです:2013/09/18(水) 21:08:53.54 ID:SKQN+Kid.net
>>78
私は舟木ファンなので、当然オツムが良い 優等生でありましたよ。

>>80
ここはそう言うスレですから、興味のない方は来ないでね。

82 :クレヨン赤時@オメコ・オメコ詢子オマンコ舐め放題www:2013/09/18(水) 22:22:27.03 ID:l2BCcAXe.net
僕は石原詢子大ファンで、詢子のションベンした後のオマンコでも舐める覚悟の、
『奈良のダイスケ』股の名を『クレヨン赤時』ラジオ大阪では『クレヨン赤ちゃん』だw
   僕のカキコ読め!!!!!!
11月28日(水)プロムナート82.4エ 「フエムもりぐち」ゲスト:演歌歌手:石原詢子さん,宛、
詢子さん、25周年記念「よりそい草」大ヒットしてますね。
この前は、NHK「歌謡コンサート」テレビにて楽しませてもらいました。
無口になり、シッカリと詢子さんの歌声聞き取りましたよ。もちろん録画もしました。
これで、また、オリコンチャートの方もアップし、年末あの番組出場にも名が発表!!!されるのを心から応援しています。
来年が、25周年本場ですし、記念リサイタル・アルバム・DVD,ほか、色々と楽しみにしていますよ。
リクエスト:石原詢子さん 
「よりそい草」
 奈良県 大和郡山市
 ラジオネーム:応援団ファン一同,17年歴 クレヨン赤ちゃん 33歳
   (赤時 大介)

文句はココに書き込め!↓
 http://6110.teacup.com/0112/bbs
俺こと奈良のダイスケが見つけたサイト ↓
http://www.dainipponshinseikai.jp/naitou.html


                        |:::ハ:.:.:.:.:.:i:.:.:i.:.:i./.:.://メノ  左ォ}::::ノ::ノノ
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                      |ハ::::::ヾ::::ハ 'Vリ ゙´ {、込ソ    ゛″!:::i:.:l
                        |:.::ト、:.:.:ヾ:.ハーi|   ::::::::      〉 ノ::::i::.|
                    {:.:.ト、ヾ.:.:.:ヾハ lト、        _, , イ:.:.:.:i.:ハ
                     ヾ::ヽゞ、\.::.\!! ヽ、.   ´ /!.::!.:.i:.:!:.!:l
                 , '" ヾ\ \:::::::::k   /` ー ' `メ'リ:.:.ノ.ノ:ノノ
                     /     川   リllVハ. (  i `\ ,イイ// //
                /              |l ̄`ヽ  ノ    `メ、
               ,/            {:}          `ー'- ニ_
             ,/         _∠     |l     \ ,      \
        /        _ ,. イ´:       |l      \      ,λ
       /   -‐‐‐-<´   .!   /    |l       ' ,   _,ィ'ンy}
        〈            \  .ノ`ー斗rェ,,_,_,_|l          ,.ir'彡イy-´ !
        `ヽ、        ` ' <._ {jt=t-t-ミ`^Yーrヘr-彡'水k} !:} .ノ
            ` ー-  .._       ` -ヽ.  l`亠^{:i ̄ {:リ |ハ ノノ/ノ
        _,. -‐ '  ̄ ´ ̄` ー- 、    \{{   {:l   {:i ノ_,ィニ_ン´
      //                  `ヽ 、\ \  {:l  {∠ニァ--'
     / /                 `ヽミニ>ァ┴ '´
   /\V|                          /
  ./   ヾ.、                  ,. ' ´

83 :男です女です名無しです:2013/11/02(土) 06:09:35.52 ID:sB7z4wKY.net
坂芳子さんは幾つでデビューしたんですか

84 :男です女です名無しです:2013/11/27(水) 01:25:00.36 ID:9yJOWZbN.net
私は青春歌手と云うのなら
美空ひばりと島倉千代子を
挙げるよ。
どちらも10代でデビューしたんだが
^可愛かった^事。
美空ひばりの「越後獅子」
島倉千代子の[恋しているんだもん」
なんかは最高でした。

映画で見たひばりちゃんの子役の
「越後獅子」なんか本当に^最高^でした。

  なんでも鑑定団 愛のエメラルド

85 :男です女です名無しです:2013/11/28(木) 17:17:44.52 ID:SddxRQPF.net
男子では一人
お忘れじゃァありませんか。
圧倒的に若者の心を掴んだ
銀幕のスター
ナイスガイ小林旭 。

小林旭を除いて
青春歌謡は語れない。

   なんでも鑑定団 愛のエメラルド

86 :shinji:2013/12/15(日) 00:41:56.38 ID:yY0XGBG0.net
オリジナル演歌の作詞・作曲を行っています。
youtube.com/user/enkahanamichi
に演歌曲をアップロードしていますので聞いてみて下さい。

87 :男です女です名無しです:2014/03/05(水) 07:40:15.40 ID:1AIKFiir.net
『青春歌謡』 なんて心地よい響きだろう!

88 :男です女です名無しです:2014/03/23(日) 12:19:23.85 ID:tw+ZOvss.net
20年前の映像のようだが、御三家が揃っている動画を
発見した。三人ともイイ表情している!

https://www.youtube.com/watch?v=Ald4AOiXBAM

89 :男です女です名無しです:2014/06/09(月) 14:04:54.17 ID:JlEeMgxn.net
戦後 日本人の心に残る4大歌謡曲と言えば

「りんごの唄」「青い山脈」「上を向いて歩こう」「高校三年生」と

言われているそうじゃ。

90 :男です女です名無しです:2014/06/11(水) 00:48:40.87 ID:2hP7llsf.net
>>89
あゝ上野駅

それはそうと先日、TBSで放送された爆問が司会の番組で三田明の過去を特集してが、かなり違和感を覚えて見てた。

というのは、若きし日に自ら強行した顔の整形のことだが、番組ではS50年代、自室で調理中の鍋の油が発火して顔にヤケドを負い手術した所為だと報じてたのだが、
どう見ても時系列を曖昧にしてる上に話を擦り変えてると思った人は多いのでは…?

91 :男です女です名無しです:2014/06/11(水) 11:48:37.24 ID:htsatDAV.net
青春歌謡といえば
高校三年生

美しい十代

92 :男です女です名無しです:2014/09/14(日) 20:03:41.41 ID:CRseJME4.net
愛読者が選んだ今月のベスト30
01 ブルー・トランペット 舟木一夫 (5161)
02 まだみぬ恋人 加山雄三 (4998)
03 初恋によろしく 西郷輝彦 (4760)
04 今夜は踊ろう 荒木一郎 (4212)
05 シンガポールの夜は更けて 橋 幸夫 (3649)
06 二人の銀座 山内 賢・和泉雅子 (3600)
07 レット・キス 坂本 九 (3008)
08 勇気あるもの 吉永小百合 (2875)
09 帰りたくないの 園 まり (2643)
10 夜空を仰いで 加山雄三 (2572)
11 なんとなくなんとなく ザ・スパイダース
12 想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ
13 恋人ジュリー 三田 明
14 霧の摩周湖 布施 明
15 白樺に涙あり 都 はるみ
16 霧氷 橋 幸夫
17 絶唱 舟木一夫
18 夢は夜ひらく 園 まり
19 夜霧よ今夜も有難う 石原裕次郎
20 禁じられた愛の言葉 島 和彦
21 柳ケ瀬の女 美川憲一
22 マァいろいろあらァな 東京ぼん太
23 信じていたい 西田佐知子
24 眠られれぬ夜のブルース 青江三奈
25 恋人をさがそう 西郷輝彦
26 赤い風船 加藤登紀子
27 何処へ ブルー・コメッツ
28 忘却 城 卓矢
29 君が好きだよ 佐々木新一
30 女の波止場 森 進一
次 君こそわが命 水原 弘

93 :男です女です名無しです:2014/09/17(水) 22:25:59.53 ID:3fIsA6pD.net
1964(昭和39年)3月



[平凡](開始前)

[明星](第6回)

(1)学園広場(舟木一夫)
(2)白い制服(橋幸夫)
(3)美しい十代(三田明)
(4)仲間たち(舟木一夫)
(5)こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)
(6)若い明日(北原謙二)
(7)夕陽の丘(石原裕次郎、浅丘ルリ子)
(8)私も流れの渡り鳥(三沢あけみ)
(9)みんな名もなく貧しいけれど(三田明)
(10)高校三年生(舟木一夫)
(次点)長崎の女(春日八郎)

94 :男です女です名無しです:2014/10/01(水) 22:31:53.30 ID:WSX+5nTd.net
1967(昭和42年)6月



[明星](第45回)

(1)星の広場に集まれ(舟木一夫)
(2)ブルー・シャトウ(ブルー・コメッツ)
(3)君こそわが命(水原弘)
(4)夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎)
(5)恋人をさがそう(西郷輝彦)
(6)バラ色の二人(橋幸夫)
(7)二人だけの海(加山雄三)
(8)カリブの花(三田明)
(9)勇気あるもの(吉永小百合)
(10)なんとなくなんとなく(ザ・スパイダース)
(11)女の波止場(森進一)
(12)紅の渚(荒木一郎)
(13)帰りたくないの(園まり)
(14)いっぽんどっこの唄(水前寺清子)
(15)霧の摩周湖(布施明)
(16)待ち呆け港(都はるみ)
(17)喜びの日の涙(美空ひばり)
(18)ギター子守唄(加賀テツヤ)
(19)新宿ブルース(扇ひろ子)
(20)こまっちゃうナ(山本リンダ)
(21)花はおそかった(美樹克彦)
(22)レット・キス(坂本九)
(23)今夜は踊ろう(荒木一郎)
(24)一心太助・江戸っ子祭り(舟木一夫)
(25)殺陣師一代(橋幸夫)
(26)願い星叶い星(西郷輝彦)
(27)小さな倖せ(ザ・ワイルド・ワンズ)
(28)星空の二人(山内賢、和泉雅子)
(29)女っぽいね(マヒナ・スターズ)
(30)信じていたい(西田佐知子)
(次点)限りある日を愛に生きて(大形久仁子)

95 :男です女です名無しです:2014/10/03(金) 07:12:35.53 ID:AgayPcvF.net
>>94
「ギター子守唄」ってそんなに売れたのか。

どうりで中古市場で良く見かけると思った。

96 :男です女です名無しです:2014/12/30(火) 12:30:09.62 ID:qTIB2Oh5.net
辛気くさい演歌より青春歌謡の復活を!

97 :男です女です名無しです:2016/06/26(日) 17:48:19.23 ID:+1AtYZk1.net
江梨子
https://www.youtube.com/watch?v=fP_SmpqFnhk
雨の中の二人
https://www.youtube.com/watch?v=zmYSviHIZ9Q
汐風の中の二人
https://www.youtube.com/watch?v=B1c--0vr6v0
恋をするなら
https://www.youtube.com/watch?v=d2txtoLJZcc

98 :男です女です名無しです:2016/07/17(日) 07:25:16.28 ID:RnFYAUNr.net
このジャンルにLivin' La Vida Loca(アチチアチ)の元祖みたいな曲があったような。
ラテン系の楽曲と演奏にテケテケエレキがからむやつ。

99 :100:2019/04/25(木) 20:40:24.09 ID:qm4rBlP1.net
音楽に精神性を求めるのってメタルだけなのかな?
あれはメタルだ、これはメタルじゃないっていう区分ってすげー不毛だと思うのよね。
つまり、Burrn に B'z 載ってもいいじゃないっていう。
さすがに Perfume や米津玄師が載ったらそれはジャンル違うじゃない?と思うけどw

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