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■大阪・山城・支那・朝鮮■Vol.3799~辺境四骸~

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 12:49:52.08 ID:E59ewSaA.net
カタログ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 06:49:39.66 ID:VY8jGeV9.net
吉本よりおもろいビルマ最弱師団

「僕は少年通信兵だった」という光人社さんの戦記があるが、著者がサイゴンの病院に入院した時に、ビルマから下がってきた、菊兵団[福岡県久留米市]らしき兵隊さんがいて、初めは親切だったが、著者が京都の人だと知った途端、一切口を聞いてくれなくなったそうだ(笑)

第二陸軍病院にて
左隣の兵隊がビルマで京都の兵隊(祭か安か、はたまた兵站なのか)と何か事情は喋らなかったが生死に関するほどの事件か何かがあったのだろう。
入院した当時は非常に親切にしてくれて色々と面倒を見てくれていた。
私も兄貴のような気分になっていたところ、数日して何気なく出身県の話が出たとき私が「京都です」と言ったら「お前は京都か」と怖い顔をすると同時にそれから私にはもう一切言葉もなく完全に無視されたのには驚いた。
京都は京都でも私は福知山20連隊だと言っても無言だったからわからない事情ではあったが何かとても酷い事があったに違いなかった。
『僕は少年通信兵だった』より

正直な話、ビルマの戦線でY兵団(安・京都53師団)とM兵団(祭・京都15師団)といえば、弱兵団の見本のようにいわれ、敵からも見方からも侮られるというところがあった。
所属する部隊名を訊かれて、「Yです」「Mです」といおうものなら、「なあんだYか」「なあんだMか」とその言葉の中に、一種の侮蔑の響きがあった。
『死守命令』より

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