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☆司馬遼太郎の正体は大嘘つきの印税詐欺師★

1 :日本@名無史さん:2013/04/19(金) 22:12:43.81 .net
俺が大学1年生の時、日露戦争100周年と言う事で、TVでは
色々な特番が組まれ、関連書籍も多く出ていた。

そこで、以前から人気のあった「坂の上の雲」を読んだ後、
歴史・軍事の専門家の書いた日露戦争の書籍を読んだ。
そして、ショックを受けた。

司馬はフィクションを封印し真実しか書かず、資料は参謀本部が
残した前線の地図だけで物語を演繹的に構成したと言っていたが、
「坂の上」は、機密日露戦争史を丸パクリしただけの一から十まで
大嘘のオンパレード小説もどきだったことが判明した。

実際には乃木は有能な将官だったし、海軍がゴリ押しした二○三高地
攻略も必要なかったし、第三軍に児玉の干渉はなかったし、東郷は
連合艦隊を対馬近辺から裏塩近くに移動することも考えたし、児玉は
参謀次長になった時、田村怡与造の作戦案を滅茶苦茶に変更しまくり
だったし、・・・

司馬に騙されている人は専門書とか読まないの?

330 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 00:43:54.38 .net
>坂本龍馬殺害は王政復古前なのに罪に問うただろう。

今井信郎や渡辺篤がいつ罪に問われたというんだよ。
見張りだから減刑?
どこのフィクションがそんないい加減なこといってんだ。

331 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 00:56:53.49 .net
>>330

>>125

332 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 01:47:22.66 .net
自供したから供述書作っただけで龍馬殺害そのものは不問だよ。減刑もなにも初めから罰自体ない。
収監された罪状は戊辰戦争中の新政府への反逆。
それも結局は一斉赦免でおとがめなし。

333 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 08:28:40.43 .net
>>329
斎藤一が藤田って改名したのは警察に仕官してからだったような

334 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 10:11:06.52 .net
もしかして、供述書作成=罪に問う、だと思ってない?

335 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 11:07:32.65 .net
言うことを変えてきたか
それと同じように今井の“供述書”は信用ならない

336 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 11:09:33.59 .net
変だな〜と思わない時点でお前ら底が割れてるわ

337 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 11:30:47.19 .net
>>335具体的にどう信用できないの?

338 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 11:51:38.59 .net
今井の狂言
ばかだね

339 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 11:55:09.72 .net
>>338
今井が狂言をする理由は無いがな

動機があってアリバイが無いのは会津公用方と見廻組だけだし

340 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 12:01:19.90 .net
狂言に理由を求めるのかw 動機もアリバイも無いのは全員そうだよ
ばかだね

341 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 12:19:25.59 .net
>>340
龍馬暗殺に関与したと疑われて紀州藩の三浦が海援隊士に襲われたりしてるのに 何で、そんな殺されるかも知れんのに
んな狂言するんだ?

342 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 12:26:07.45 .net
龍馬暗殺と今井の処置をおかしいといっている連中
戊辰戦争であちこち転戦する間に今井が官軍の兵を殺しまくっていることはスルーだよね。
龍馬以外はいくら死のうが論じる値打ちもないゴミだとでも思っているのかね。

343 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 12:36:54.89 .net
龍馬殺害のことを論じること自体が馬鹿だと
「暗殺」でもない。用語の使い方も間違っている

344 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 12:57:42.70 .net
まあ殺した連中は
動機は不純だが当時の公権力な訳だし
暗殺ではなく殺害か

345 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 13:04:38.86 .net
殺した連中が不明なのに,動機も公権力もねぇ〜よ

346 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 13:16:18.93 .net
今井信郎があちこち転戦したことも知らないだろう。
会津では中野竹子と同じ隊だったのだが。

347 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 13:19:56.01 .net
>>345見廻組以外無いって

348 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 15:12:57.09 .net
チミの脳内ではね ♡(๑◕ܫ←๑)

349 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 15:19:31.46 .net
>>348チミの脳内の見廻組は無関係の根拠がよう分からん

なにか根拠はあるんかい?

350 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 16:04:28.85 .net
根拠が無いことが根拠

351 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 17:15:41.20 .net
つまり否定したくても根拠が無い

352 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:03:32.37 .net
やっと薩摩黒幕説を認めてもらえたか
安堵した

353 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:17:34.01 .net
>>352
>>112言うことを変えてきたか
それと同じように薩摩の“黒幕説”は信用ならない

354 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:21:19.97 .net
アンカー間違えているよ

355 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:29:12.44 .net
>>354信用ならない

356 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:34:30.92 .net
痴呆か

357 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:40:18.38 .net
あのね 散々論拠も根拠すらなく延々と
見廻組は関係無いだの今井は嘘つきだの言われてあげくに今度は薩摩が黒幕でしたとか聞かされて信用しろって方が無理だって

358 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:45:54.24 .net
痴呆には信用する能力がないってことか
当然だ

359 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 18:47:42.10 .net
>>358否定論派はまず痴呆云々の前に知識を身につけてくれ

散々、否定しといて根拠すら出せないやん

360 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 20:56:06.53 .net
そのとおりだな 今井の狂言しか根拠が無い

結論はここから動かない

361 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 22:07:27.72 .net
>>360その今井の証言を狂言だとする根拠が出せてないよ

362 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 23:13:24.53 .net
も,もう出てるから

363 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 23:21:44.20 .net
豊臣秀吉=天皇御落胤 を論じていたね

364 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 23:39:18.04 .net
>>363それに安土桃山時代に吹聴されてた秀吉神話の典型例だよ
家康が影武者とか言う人もいたし

365 :日本@名無史さん:2014/11/12(水) 22:11:11.52 .net
秀吉神話は陰謀論じゃないから,司馬ファンも安心だね

366 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 16:01:27.88 .net
秀吉=海外進出、家康=鎖国 と印象付けようとしているが、
朱印船貿易やノヴィスパンへの使節派遣・太平洋横断とか、
家康は海外交易に積極的だったのだけどな。
島原の乱以降から逆算して論じてる

あと家康の腹切りたい病は戦場ではいつものこと。真田勢は短時間で壊滅してる

367 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 02:05:56.55 .net
>>366
何せ、家康が神君化したのが正に鎖国の時やからな

家康=鎖国は誤解なのは分かるが、それを吹聴したの孫の家光たちな

368 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 02:00:57.47 .net
>>367
つまり司馬はよく調べもせず作られた神君像に嵌まった馬鹿ということね
実際司馬の家康像ってそんな感じだけど。
あと海禁政策自体は秀吉時代から取られてるから。

369 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 12:20:03.94 .net
>>368
秀吉のキリシタン対策は妥当だろ

海禁云々で言ったら 世界に冠たる大明帝国に言えとしか

370 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 13:13:42.02 .net
司馬遼太郎のはなしは、小説になってない。

小説内の時間は下手糞に前後するし、作者がえんえん雑談するし。あんなもんを文学作品とかって言う奴はアホや

人物が登場してすぐに、こいつは後でこうなるんだが、とかっては無しを作者が何度もする。

さらに、あとでこいつは勝ち残るんだがと作者が言って、そいつは褒めまくる
あとでこいつは負けるんだがと言って、負けるやつはけなしまくる
そんなん小学校の作文よりヘタや

371 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 14:30:36.00 .net
>>366
一流国では世界史でも例のない鎖国を実行させたのは

天海であり家光がまんまと乗せられて鎖国日本を造ってしまった

372 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 15:51:46.99 .net
司馬遼太郎は、作家であって歴史家じゃない
ノンフィクション作家ですらない
小説家・随筆家だ

それなのに、司馬の作品を「史実じゃない」と批判している奴は馬鹿

373 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 23:34:08.43 .net
幕末、明治ものでは山縣、西郷、乃木の叩き方が執拗だな

義経に対しても悪意的なのが印象に残った

司馬の人物に対する好みが浮き彫りになっているな

374 :日本@名無史さん:2014/12/30(火) 18:09:10.50 .net
犬HKと司馬史観は相性がいいんでしょうね。

375 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 17:59:11.74 .net
会津プロパガンダの制作者で
朝日新聞の★爺も明確な史料ではなく
司馬さんが言ってたってレベル(笑)
会津プロパガンダ洗脳者はいつになったら
司馬や★達の嘘に気づくの?
司馬はまだ創作って感じだが
★は完全に嘘じゃん(笑)

376 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 18:31:28.36 .net
>>372
先にその小説を真に受けて歴史を語るチンカスに文句言えよw
お前も司馬の小説を史実だと勘違いしてるタイプだろうがな。

377 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 21:15:02.54 .net
>>372
司馬の作品を史実だと思い込んでる奴は馬鹿だよな、それはお前さんも同意するだろ?

378 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 04:21:35.31 .net
小説家ってーのはウソ書いてゼニ貰う商売でっせw

379 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 07:05:54.64 .net
そのウソを真に受けてるお前はなんなんだよw

380 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 12:18:51.13 .net
すげー変なスレw

381 :日本@名無史さん:2015/01/07(水) 20:13:58.72 .net
>>374
NHK経営委員に自称ノンフィクション作家の百田尚樹を入れるくらいだからね
右でも左でも関係なく屑なんだろう

382 :日本@名無史さん:2015/01/08(木) 08:42:58.11 .net
>>381
★は?

383 :日本@名無史さん:2015/01/09(金) 14:33:11.90 .net
>>372
作品中で「閑話休題。史家は往々にして…というがそれは間違ってる」
などと抜かしたらそれは歴史解釈であってアカデミズムへのれっきとした挑戦だよ
それに司馬は小説だけ書いてたわけじゃないからな

384 :日本@名無史さん:2015/01/11(日) 19:35:59.94 .net
http://history.harikonotora.net/img/249-58.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-59.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-60.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-61.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-62.jpg

上から順番に見てください。
会津プロパガンダ洗脳者&アンチ薩長が
どういう奴かよく解ります。
反日プロパガンダと会津プロパガンダは同類です。

385 :日本@名無史さん:2015/01/19(月) 23:39:41.06 .net
・御成橋を通って松陰の遺体を運んだ
・三百年間関所破りをしたのは高杉だけ
・いよっ征夷大将軍

よく知られた司馬の創作、ソース不明の講談話のデタラメというのはよく知られた話

しかし「この時将軍の従者はよほど悔しかったらしく江戸の家族に手紙を送って知らせた者が多い」

そ ん な 手 紙 は 発 見 さ れ て な い
こ こ は 司 馬 の 捏 造

デタラメを平気で書く男

386 :日本@名無史さん:2015/01/20(火) 08:33:58.29 .net
「日本の使者の態度に次第に現れてきた変化を観察すると、なかなか面白い。
使者は、艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていたのだが、
だんだん態度が和らぎ、全ての提案を何の反対もなく承認してしまった。
これには大いに伊藤の影響があったようだ」(アーネスト・サトウ A Diplomat in Japan)

単に「長州藩の使者が全面的に折れた」と言ってるだけの文章の邦訳を
「悪魔のように傲然としていた」で強引に切り、負けたのに威張ってたように変造。
これが司馬の変造だと知らず、高杉悪魔説を信じ込んでる馬鹿が多いのがまた嘆かわしい。
)

387 :日本@名無史さん:2015/01/26(月) 17:59:34.90 .net
世良の子孫には謝罪すべきだったな。
笑って誤魔化して逃げないで。

388 :日本@名無史さん:2015/01/27(火) 00:11:05.55 .net
>>387
子孫じゃないよ。直系は途絶えてるから。
親戚だったはず。

389 :日本@名無史さん:2015/01/29(木) 23:05:53.46 .net
白河似北一山百文。
東北を蔑視する言葉。
河北新報の題号の由来でもある。
旧盛岡藩出身の平民宰相原敬は
自らを「一山」と号した。私も小学校の先生に
教えられた。東北を蔑む言葉だが
自らその表現を伝えるわが東北人には
中央中心の日本の見方に対する明確な
外交意識を想起させる言葉でもある。

この蔑称はどのように生まれたのか。
戊辰戦争で官軍が発したとも言われるが
実証されていない。今のところ『近事評論』の
記事「白河以北一山百文」(1878年8月23日)
を起源とみるのが最も信頼できる説だ。

■出典 河西英通『続・東北 異境と
原境のあいだ』中央公論新社(中公新書1889)

星亮一が「司馬さんが言ってた」の正体がコレ(笑)
司馬も星も詐話師だね ( ´∀`)

390 :日本@名無史さん:2015/01/30(金) 13:56:49.14 .net
司馬はロクなもんじゃないな

391 :日本@名無史さん:2015/02/08(日) 09:57:30.84 .net
大坂の陣は全編これウソで固めたと言われても仕方ないほどウソついてるな

392 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 02:31:39.04 .net
嫌いなものは徹底的に貶める
ほんと胸糞悪い
家康のこと陰湿って言えた義理じゃない

393 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 10:51:51.56 .net
司馬が使ってる史料を素直に読むと、大坂の陣で家康が好戦的だったなんて印象は全く出てこないんだけどな
秀忠とその幕僚は確かに大坂に対して厳しかった
冬の陣の講和をまとめた淀殿・治長の威信が秀頼や牢人の暴走で低下した結果、
ほれみろやっぱり冬の陣で総攻撃すべきだったろという秀忠たちの意向が通り家康もさすがに庇うのをやめた
これが真相、一般人も極めて簡単に追うことができる経過

394 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 11:09:13.56 .net
「世に棲む日々」で山口城の破却で「瓦の2,3枚壊しとけばいい」と幕使が言ったのを
「幕府はここまで腐っていた」とか評してたのには目を疑ったね。

腐っていたも何も、「瓦破り」は降参しましたよという意思表示だから、本来、
瓦を2,3枚取り外すくらいの形式的なもの。というか征長軍は家茂が直接率いるのが時間的に不可能なので、
尾張に総督を委任して、その征長軍の総攻撃中止の条件が恭順の意思表示で足りるというものなんだから。
あくまで総攻撃をとりやめる条件であって、処分はまた後日予定されている。

395 :日本@名無史さん:2015/02/15(日) 05:08:46.07 .net
「長州が可哀想ではないか」→薩長同盟成立もウソ

薩摩藩が形式的にでも処分案を受け入れろ後は何とかするからとなだめたのに、
長州がわがまま(処分案受け入れ絶対拒否)を言いまくって困ってたのが実情

坂本君は「薩摩が可哀想ではないか」と桂に叫ぶべきだった

396 :日本@名無史さん:2015/02/15(日) 06:42:55.60 .net
>>395
あほか、お前。
本当に味方になるか全然信用できない薩摩の空手形を信じて
領地半減、藩主・世嗣の隠居なんて受け入れる馬鹿がどこにいる。

397 :日本@名無史さん:2015/02/21(土) 15:50:56.36 .net
>>396
幕府の処分案はこの頃には元徳の子・元興の家督相続を認める方針になってるよ。
長州藩が形式的にでも交渉に応じてれば宥免も可能だった。
既に集結してる幕軍がいつ進発するかも分からないから、薩摩はいったん処分案を受け入れろと言ったの。
もちろんその後で長州藩宥免に向けた運動をするつもりでいる。

しかし長州側はこの時、諸隊が藩政府を監視してる状態だし既に臨戦態勢に突入して粛清まで加えてたので、
交渉に応ずることすら困難な状態だった。困り果てた薩摩が苦慮して協議してしばらく伸びてたのが実情。
薩摩藩が「長州側から挨拶に来い」なんて言ってたのは全く史実と反する。完全なるあべこべ状態。

398 :日本@名無史さん:2015/02/21(土) 21:05:28.19 .net
>>397
いや、だから、それが藩主と世子の隠居じゃねえか。
長州が絶対に受け入れる気の無かった。

399 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 17:26:18.72 .net
>>398
だから形式的にでも交渉に応じてれば宥免可能だって。
処分案を持ち帰るくらいはできるだろというのが薩摩の発想。
薩摩の想定する処分案は別に幕府の最終案と同一じゃないし。

ところが長州は持ち帰りすら拒否する方向になってて、薩摩もさすがに困った

400 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 18:04:00.64 .net
問題の中心は同盟ではなく赦免。この時に木戸はぐちぐち西郷を責め立てたが
禁門の変で薩摩は勅を奉じて長州を討ったので冤罪だなんて受け入れるわけにもいかない
しかし手ぶらで帰すわけにもいかないので小松や西郷らが折れてあげましたというのが実情

べつに長州をいびってたわけではなく幕府側の処分案の確定を待ってただけ。

401 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:51:49.01 .net
>>399
だから、その「宥免」交渉を薩摩がしてくれる、幕府はそれに応じるって根拠がどこにもないじゃん。
薩摩の努力で長州は処分案を受け取りました、って幕府にいい顔しといて、
長州は処分を受け入れる気がありません、討ちましょうって攻めてくるかもしれない。
そうじゃない、って保証がどこにもないのに、口約束を信じるほど馬鹿じゃないよ。

402 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:05:09.32 .net
>>401
薩長盟約については有力説が色々あるけど
少なくとも「薩摩から折れるか、長州が折れるか」といったメンツの問題でこじれたのではないのは明らか。

まず誠意の点から言えば、薩摩側は元治元年1月から尾張藩を通して諸藩会合の上での長州処分の運動をしてるし、
同4月の長州再征令以降は武器購入の支援の便宜を図って長州藩主父子から感謝状が出されてる
少なくとも誠意についてはまったく疑いようもない。

次に成功率の点から言えば、慶応元年9月に慶喜は長州再征の勅許を引き出すことに成功したものの、
11月に広島で長州側の糾問を行った永井尚志は長州側の主張に一切反論せずそのまま持ち帰り、
永井の報告を受けた幕閣も融和策に傾き、さらに幕府は薩摩藩取り込みの動きを見せる。
木戸上洛の前には薩摩藩要人は征長戦じたいが中止されるとの見通しすら抱いていた。

薩摩側が長州に処分案の受け入れを勧めたのは以上のような状況認識を前提として、
処分案の受け入れは再征の理由を失わせ、その後の赦免運動に有利に働くと判断したもの。
しかし木戸は赦免・政界復帰ではなく、三家老の首級で決着済みという原則論を繰り返して、薩摩を手こずらせた
(薩摩としては「冤罪」を認めたら禁門の変の軍事行動が否定されるわけで、とてもじゃないが飲めない)
それでも薩摩は木戸を手ぶらで帰すわけにはいかないというんで検討を重ねていた。

そこに浪士代表というべき坂本龍馬まで入ってきたため、暴発を起こしやすい浪士系への配慮もあって、
越権行為に当たらない範囲で西郷は木戸にリップサービスしてあげた。その主題は「長州藩の赦免」であり軍事同盟じゃない
しかしその中に薩摩兵の上洛を入れさせたので、得をしたのはゴネまくった木戸。
長州との友好関係を維持したい小松や西郷がいかに柔軟で寛大だったかという話にしかならない。

これを木戸が自分の手柄話として吹聴するため、色々話を盛った。
西郷ではなく坂本龍馬に裏書を求めたのも、要するに西郷に裏書なんて求められない状況だったため。

403 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:08:04.40 .net
だから坂本は木戸の手柄話のために利用された側。
もし薩摩と長州の言い分を冷静に聞いていたなら、
一生懸命、木戸への手土産を考えてる西郷に「長州が可哀想ではないか」に叫ぶより、
木戸に対して「ごねるのもいい加減にしろ」と一喝すべきだったんだよ。

404 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:17:11.85 .net
ぶっちゃけ薩摩としては「ではさようなら」と木戸を帰してしまっても良かった。
べつに同盟交渉が決裂したわけではなく、単に人のアドバイス聞かないだけだから。
しかし、薩摩のほうからいらっしゃいと呼んだので木戸にお土産を持たせただけ。

だから、薩長盟約6か条のうち4か条は全て「薩摩藩が赦免に尽力する」という内容で、
さらに5か条は薩摩藩側が片務的に義務を負う内容。薩摩にとって何の得もない。
完全に「長州藩代表木戸寛治」へのリップサービス、もしくは配慮。

405 :日本@名無史さん:2015/03/13(金) 02:35:17.42 .net
「日本列島は東西に長い。自然、東は眠っていた」(「峠」)

この馬鹿はラクスマンがどこに来たかも知りません

406 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 03:30:31.32 .net
慶喜が大政奉還してもどうせ朝廷は受理しないだろうと高を括ってたら
西郷や大久保が受理しろと勧めて思惑が外れて自爆みたいなこと書いてたけど、
あんなこと誰が言ってんだろう

朝廷への受理を勧めた小松帯刀や後藤象二郎は慶喜に頼まれて朝廷に受理するよう周旋を行い
22日に庶政の慶喜への委任を取り付けている
思惑大外れどころか大成功になってるわけだが

407 :日本@名無史さん:2015/03/18(水) 07:01:55.83 .net
「僕」が長州発祥だとか、「長州には隊というものがあるそうな」とか、
あの辺もウソだよね。
僕も隊もとっくに使われてる言葉。

408 :日本@名無史さん:2015/03/19(木) 22:32:56.03 .net
>>395
そもそも、中岡等土佐浪士の目的って幕長間で戦端開かせて、幕威を挫くことじゃなかったっけ
薩摩に長州を援助するよう周旋してたのも、長州側の勝率上げるためなんだから、
ここで長州が処分案受け入れて戦争回避したら、薩長同盟自体不要じゃん。

ま、坂本が西郷に「長州が可哀想ではないか」って言ったこと自体、司馬の創作だけど。
木戸の自叙に坂本が西郷に談判しに行ったとか書いてないし。

409 :日本@名無史さん:2015/03/31(火) 14:49:19.30 .net
>>408
戦端を開いても幕府が勝ってしまったら何にもならない。

まず薩摩側には「軍事同盟」を結んだという認識はない。
薩長盟約の第4条を見ても分かる通り薩摩は「幕兵東帰」の場合を想定しており、
戦争にならない可能性も想定していた。
さらに第3条で「劣勢になったとしても1年や半年では負けないから」などとのんきな仮定を置いているが、
これは西郷隆盛の認識をそのまま反映したもの。薩摩側(というより小松、西郷など木戸を招へいした側)は
自分たちのできる範囲で政治的復権に協力しますよと言って木戸を帰しただけ。

木戸が裏書を求めた相手が当事者の小松ではなく坂本龍馬だったというあたりがヒントだね。

410 :日本@名無史さん:2015/04/01(水) 17:25:44.94 .net
>>1
その研究所・専門書も出版されてるほとんどがただの雑誌記者あがりが
拾い読みした知識で書いてるものだから小説と言ってるぶんまし
公立博物館である大和ミュージアム館長の戸高一成なんてあのムー出身で
歴史をまともに学んだことすらないんだぞ
そんな日本の出版物に何期待してんだ
史実を理解してるのなんて自分で一次資料をあさるような暇人しかいない

411 :日本@名無史さん:2015/04/03(金) 18:51:26.41 .net
>>409
負けたら意味ないけど、戦わずに恭順するのはもっと意味ない
というのは浪士側の都合ね

京都での取り決めが幕長戦争を前提とした、薩長の協力体制であって
攻守同盟じゃないってのはその通りと思うよ
そもそも長州側もそんなこと頼んでないし

ただ、薩摩のリップサービスに過ぎないというのは言い過ぎと思うけど
吉川経幹周旋記みると、西郷は一会桑が薩摩藩邸を包囲する事も想定して
「2千や3千は引き受ける」という主旨の発言してるんで

当時の京都で長州人を匿って諜報活動させるってそれなりにリスキーでしょう
特に、幕府と長州が戦端を開いた場合は。

412 :日本@名無史さん:2015/04/04(土) 22:44:46.15 .net
司馬遼太郎の小説では、明らかにフィクションと分かるように書いてある部分が
文章に勢いと瑞々しさがあって一番面白いな。気が付くと一気にページを読み進めてる
今更だけどさすがに「小説家としては」やはり才能あるわ。

413 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 08:27:07.65 .net
司馬遼太郎は幕末明治については必ずパクリ本があるわけだが、
(汗血千里駒、江藤南白伝、河合継之助伝、機密日露戦史など)
その他の重要史料を調べてるのかは甚だ疑問だな

414 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 21:39:36.95 .net
>>411
それが二本松の薩摩藩邸って相当目立つ場所にあって幕府は長州藩士の潜伏や動向をほぼ知ってたと指摘されてるんだよ。
つまり見て見ぬふりしてたのね。実は幕閣も大坂逗留が長引くにつれて大軍の駐留経費に莫大な費用がかかることもあり、
薩長盟約(最近は「同盟」とは言わない)の直前には進発そのものを中止しようという議論が強くなっていた
慶喜は出兵を強行したけど、開戦後わずか2週間で本荘宗秀が長州と和睦工作を勝手に始めるような状態だから
「幕兵が東帰した場合には…」という条項が入ってるんだよ
あの六か条のうち五か条は西郷の認識がそのまま反映されてて「協議の結果そうなった」というものではない
一方的に薩摩側の見解を示されただけ。だから薩摩は長州と重大な盟約を結んだという認識はそれ以降も見られない
それではまるで長州が物乞いに行ったようでみじめなので、第6条で「これからもお互い協力しようね」という相互主義的な条項が入ったが何ら内容はない

薩摩が長州藩代表の木戸が成果なく帰れないことに気を使って一応リップサービスしたというのが実態

あと薩摩藩兵上洛も、木戸は成果として喧伝したけど、薩摩の一貫した藩是は禁裏守衛なので、
変事が起きたらとりあえず御所の守備人員を増強するというのは藩是の範囲内での行動で、
長州に否定的だった島津久光の指令に背くものではない。つまり上洛しても言い訳が立つから上洛を約束した。

415 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 21:45:14.05 .net
もともと薩摩が木戸の上洛を要請したのは長州に貸し出す乙丑丸の件を解決するためで、
同盟を締結するためではない。長州側はそのほかに京洛の情勢視察も入ってたと思うけど、
長州処分がどう決まろうが慶応2年初めまで来ると長州側も妥協の余地はそんな多くない

だから慶応2年1月が薩長関係で決定的なエポックをなすというものではない。慶応元年の武器購入の便宜から慶応3年まで続く協力体制の一環。

416 :日本@名無史さん:2015/04/13(月) 19:18:49.96 .net
大仏次郎と司馬遼太郎を読み比べて楽しんでるよ
それぞれの史観が面白いからね

417 :日本@名無史さん:2015/04/14(火) 10:28:25.35 .net
薩摩は10月27日に正親町三条実愛や山階宮が閉門になって、最強硬派の大久保が慶喜との政争に負けたら、
小松帯刀が「この節海軍隊人数残し置かれ交代と申す場合にて他は全て引払之方、かえって宜しかるべしと評決」
と書き残してるように、島津久光の周旋活動中止命令を受けて盟約の第1条破ろうとしてるからな

この時はさすがに中止されてるが、慶喜が五卿帰洛方針を認めたらさっさと兵を帰してしまってる
おかげで木戸が品川に「薩摩が1000余人も兵を帰国させたんだって!?どういうことだよ
最初はウソかと思ったけど本当らしいよなこれってどういうわけなんだよ」って超ブチ切れてる

結局、薩長盟約って小松帯刀らが久光の指示の範囲内で個人的に好意を示しただけで、いざとなると捨てちゃったのよね。

418 :日本@名無史さん:2015/04/14(火) 10:52:22.31 .net
龍馬関係の既に他スレで指摘されてる以外の嘘
・海舟門人になって攘夷論捨てた
→海舟が神戸海軍操練所を開いた時に越前藩にお礼に行かせてる(文久3年6月29日)
 龍馬はその席で越前要人の村田氏寿に夷人退去を主張し、容れられなければ一戦をと主張してる
 相当強硬な態度だったらしく、翌30日にも村田が色々説き聞かせてやっと納得した

・薩摩藩名義での武器購入の仲介の労を取った
→井上・伊藤が長崎に着いた時に協力してくれたのは小松帯刀と、亀山社中の高松太郎。
 名義の使用は小松が直接許してくれてる。ついでに言えば饅頭屋さん近藤長次郎の自殺には冷たい態度を取ってる。

419 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 00:51:50.30 .net
>>410 大和ミュージアムは第三セクターに移管されたらしい
館長の戸高一成には叩けば埃が色々出てくるようだ
・履歴の偽装(呉市にもオカルト出身とは伝えていなかった?)
・研究の剽窃(大和の徳山港停泊)
・展示品予算の不正経理
・在籍した史料調査会で史料の私物化と無断刊行
おまけに戸高の師である故福井静夫氏も終戦時に史料を無断で私物化していたらしい
盗癖がないと戦史研究家にはなれないらしい

司馬は法螺吹きではあっても、人を騙していない分だけましか

420 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 15:16:33.88 .net
司馬も悪いが鵜呑みにしてるバカも悪い。
司馬は世良の子孫に詫びるべきだったな。

421 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 17:21:01.40 .net
>>420
時代劇板荒らすな。

422 :名無し:2015/04/21(火) 18:28:13.81 .net
>>421違うし、そもそも世良を擁護したら荒らしってどうよ?

423 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 19:15:48.84 .net
印税詐欺師かどうかは知らないが小説は詰まらん

424 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 08:53:22.98 .net
>>422
このスレは世良が好人物かどうか決めるスレじゃなく司馬遼太郎批判スレ
うざい

425 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 09:03:57.05 .net
>>418
近藤長次郎は海軍操練所に入所してるけど
龍馬は入れずに勝の私塾にいただけだしな
亀山社中も留守にすることが多かったし、
あの辺はまあ大概ウソばっかりだな

426 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 09:04:41.28 .net
>>424
なら書くなよ

427 :日本@名無史さん:2015/04/23(木) 19:01:41.87 .net
世良を悪者に仕立てた司馬を批判したらいけないの?
あ、会津プロパガンダからしたら都合悪いか(笑)
戊辰戦争引き起こしたの会津だってバレるからな。
なんとしても司馬の創作に乗って世良のせいにしとかないといけないもんな(笑)
悲劇のヒーロー会津マンができなくなるからね。

世良を悪者にした事を衝くのも司馬批判です。
世良の件だけはスルーしろってか?

428 :日本@名無史さん:2015/04/23(木) 22:59:33.29 .net
>>405
峠って小説を知らないんだが、ラクスマンから類推するに江戸時代の外国との交流についてのコメントであれば、
ラクスマンどころか元文の頃にベーリングの部下が宮城県に来ているんだよね。

429 :日本@名無史さん:2015/04/24(金) 11:39:57.22 .net
ベーリング探検隊の分隊のシパンベルグ船隊が仙台湾と房総に来たやつね。
その後もロシア船来航や侵攻情報は幕府に随時伝えられている。

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