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☆司馬遼太郎の正体は大嘘つきの印税詐欺師★

1 :日本@名無史さん:2013/04/19(金) 22:12:43.81 .net
俺が大学1年生の時、日露戦争100周年と言う事で、TVでは
色々な特番が組まれ、関連書籍も多く出ていた。

そこで、以前から人気のあった「坂の上の雲」を読んだ後、
歴史・軍事の専門家の書いた日露戦争の書籍を読んだ。
そして、ショックを受けた。

司馬はフィクションを封印し真実しか書かず、資料は参謀本部が
残した前線の地図だけで物語を演繹的に構成したと言っていたが、
「坂の上」は、機密日露戦争史を丸パクリしただけの一から十まで
大嘘のオンパレード小説もどきだったことが判明した。

実際には乃木は有能な将官だったし、海軍がゴリ押しした二○三高地
攻略も必要なかったし、第三軍に児玉の干渉はなかったし、東郷は
連合艦隊を対馬近辺から裏塩近くに移動することも考えたし、児玉は
参謀次長になった時、田村怡与造の作戦案を滅茶苦茶に変更しまくり
だったし、・・・

司馬に騙されている人は専門書とか読まないの?

368 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 02:00:57.47 .net
>>367
つまり司馬はよく調べもせず作られた神君像に嵌まった馬鹿ということね
実際司馬の家康像ってそんな感じだけど。
あと海禁政策自体は秀吉時代から取られてるから。

369 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 12:20:03.94 .net
>>368
秀吉のキリシタン対策は妥当だろ

海禁云々で言ったら 世界に冠たる大明帝国に言えとしか

370 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 13:13:42.02 .net
司馬遼太郎のはなしは、小説になってない。

小説内の時間は下手糞に前後するし、作者がえんえん雑談するし。あんなもんを文学作品とかって言う奴はアホや

人物が登場してすぐに、こいつは後でこうなるんだが、とかっては無しを作者が何度もする。

さらに、あとでこいつは勝ち残るんだがと作者が言って、そいつは褒めまくる
あとでこいつは負けるんだがと言って、負けるやつはけなしまくる
そんなん小学校の作文よりヘタや

371 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 14:30:36.00 .net
>>366
一流国では世界史でも例のない鎖国を実行させたのは

天海であり家光がまんまと乗せられて鎖国日本を造ってしまった

372 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 15:51:46.99 .net
司馬遼太郎は、作家であって歴史家じゃない
ノンフィクション作家ですらない
小説家・随筆家だ

それなのに、司馬の作品を「史実じゃない」と批判している奴は馬鹿

373 :日本@名無史さん:2014/12/28(日) 23:34:08.43 .net
幕末、明治ものでは山縣、西郷、乃木の叩き方が執拗だな

義経に対しても悪意的なのが印象に残った

司馬の人物に対する好みが浮き彫りになっているな

374 :日本@名無史さん:2014/12/30(火) 18:09:10.50 .net
犬HKと司馬史観は相性がいいんでしょうね。

375 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 17:59:11.74 .net
会津プロパガンダの制作者で
朝日新聞の★爺も明確な史料ではなく
司馬さんが言ってたってレベル(笑)
会津プロパガンダ洗脳者はいつになったら
司馬や★達の嘘に気づくの?
司馬はまだ創作って感じだが
★は完全に嘘じゃん(笑)

376 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 18:31:28.36 .net
>>372
先にその小説を真に受けて歴史を語るチンカスに文句言えよw
お前も司馬の小説を史実だと勘違いしてるタイプだろうがな。

377 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 21:15:02.54 .net
>>372
司馬の作品を史実だと思い込んでる奴は馬鹿だよな、それはお前さんも同意するだろ?

378 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 04:21:35.31 .net
小説家ってーのはウソ書いてゼニ貰う商売でっせw

379 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 07:05:54.64 .net
そのウソを真に受けてるお前はなんなんだよw

380 :日本@名無史さん:2015/01/05(月) 12:18:51.13 .net
すげー変なスレw

381 :日本@名無史さん:2015/01/07(水) 20:13:58.72 .net
>>374
NHK経営委員に自称ノンフィクション作家の百田尚樹を入れるくらいだからね
右でも左でも関係なく屑なんだろう

382 :日本@名無史さん:2015/01/08(木) 08:42:58.11 .net
>>381
★は?

383 :日本@名無史さん:2015/01/09(金) 14:33:11.90 .net
>>372
作品中で「閑話休題。史家は往々にして…というがそれは間違ってる」
などと抜かしたらそれは歴史解釈であってアカデミズムへのれっきとした挑戦だよ
それに司馬は小説だけ書いてたわけじゃないからな

384 :日本@名無史さん:2015/01/11(日) 19:35:59.94 .net
http://history.harikonotora.net/img/249-58.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-59.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-60.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-61.jpg
http://history.harikonotora.net/img/249-62.jpg

上から順番に見てください。
会津プロパガンダ洗脳者&アンチ薩長が
どういう奴かよく解ります。
反日プロパガンダと会津プロパガンダは同類です。

385 :日本@名無史さん:2015/01/19(月) 23:39:41.06 .net
・御成橋を通って松陰の遺体を運んだ
・三百年間関所破りをしたのは高杉だけ
・いよっ征夷大将軍

よく知られた司馬の創作、ソース不明の講談話のデタラメというのはよく知られた話

しかし「この時将軍の従者はよほど悔しかったらしく江戸の家族に手紙を送って知らせた者が多い」

そ ん な 手 紙 は 発 見 さ れ て な い
こ こ は 司 馬 の 捏 造

デタラメを平気で書く男

386 :日本@名無史さん:2015/01/20(火) 08:33:58.29 .net
「日本の使者の態度に次第に現れてきた変化を観察すると、なかなか面白い。
使者は、艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていたのだが、
だんだん態度が和らぎ、全ての提案を何の反対もなく承認してしまった。
これには大いに伊藤の影響があったようだ」(アーネスト・サトウ A Diplomat in Japan)

単に「長州藩の使者が全面的に折れた」と言ってるだけの文章の邦訳を
「悪魔のように傲然としていた」で強引に切り、負けたのに威張ってたように変造。
これが司馬の変造だと知らず、高杉悪魔説を信じ込んでる馬鹿が多いのがまた嘆かわしい。
)

387 :日本@名無史さん:2015/01/26(月) 17:59:34.90 .net
世良の子孫には謝罪すべきだったな。
笑って誤魔化して逃げないで。

388 :日本@名無史さん:2015/01/27(火) 00:11:05.55 .net
>>387
子孫じゃないよ。直系は途絶えてるから。
親戚だったはず。

389 :日本@名無史さん:2015/01/29(木) 23:05:53.46 .net
白河似北一山百文。
東北を蔑視する言葉。
河北新報の題号の由来でもある。
旧盛岡藩出身の平民宰相原敬は
自らを「一山」と号した。私も小学校の先生に
教えられた。東北を蔑む言葉だが
自らその表現を伝えるわが東北人には
中央中心の日本の見方に対する明確な
外交意識を想起させる言葉でもある。

この蔑称はどのように生まれたのか。
戊辰戦争で官軍が発したとも言われるが
実証されていない。今のところ『近事評論』の
記事「白河以北一山百文」(1878年8月23日)
を起源とみるのが最も信頼できる説だ。

■出典 河西英通『続・東北 異境と
原境のあいだ』中央公論新社(中公新書1889)

星亮一が「司馬さんが言ってた」の正体がコレ(笑)
司馬も星も詐話師だね ( ´∀`)

390 :日本@名無史さん:2015/01/30(金) 13:56:49.14 .net
司馬はロクなもんじゃないな

391 :日本@名無史さん:2015/02/08(日) 09:57:30.84 .net
大坂の陣は全編これウソで固めたと言われても仕方ないほどウソついてるな

392 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 02:31:39.04 .net
嫌いなものは徹底的に貶める
ほんと胸糞悪い
家康のこと陰湿って言えた義理じゃない

393 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 10:51:51.56 .net
司馬が使ってる史料を素直に読むと、大坂の陣で家康が好戦的だったなんて印象は全く出てこないんだけどな
秀忠とその幕僚は確かに大坂に対して厳しかった
冬の陣の講和をまとめた淀殿・治長の威信が秀頼や牢人の暴走で低下した結果、
ほれみろやっぱり冬の陣で総攻撃すべきだったろという秀忠たちの意向が通り家康もさすがに庇うのをやめた
これが真相、一般人も極めて簡単に追うことができる経過

394 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 11:09:13.56 .net
「世に棲む日々」で山口城の破却で「瓦の2,3枚壊しとけばいい」と幕使が言ったのを
「幕府はここまで腐っていた」とか評してたのには目を疑ったね。

腐っていたも何も、「瓦破り」は降参しましたよという意思表示だから、本来、
瓦を2,3枚取り外すくらいの形式的なもの。というか征長軍は家茂が直接率いるのが時間的に不可能なので、
尾張に総督を委任して、その征長軍の総攻撃中止の条件が恭順の意思表示で足りるというものなんだから。
あくまで総攻撃をとりやめる条件であって、処分はまた後日予定されている。

395 :日本@名無史さん:2015/02/15(日) 05:08:46.07 .net
「長州が可哀想ではないか」→薩長同盟成立もウソ

薩摩藩が形式的にでも処分案を受け入れろ後は何とかするからとなだめたのに、
長州がわがまま(処分案受け入れ絶対拒否)を言いまくって困ってたのが実情

坂本君は「薩摩が可哀想ではないか」と桂に叫ぶべきだった

396 :日本@名無史さん:2015/02/15(日) 06:42:55.60 .net
>>395
あほか、お前。
本当に味方になるか全然信用できない薩摩の空手形を信じて
領地半減、藩主・世嗣の隠居なんて受け入れる馬鹿がどこにいる。

397 :日本@名無史さん:2015/02/21(土) 15:50:56.36 .net
>>396
幕府の処分案はこの頃には元徳の子・元興の家督相続を認める方針になってるよ。
長州藩が形式的にでも交渉に応じてれば宥免も可能だった。
既に集結してる幕軍がいつ進発するかも分からないから、薩摩はいったん処分案を受け入れろと言ったの。
もちろんその後で長州藩宥免に向けた運動をするつもりでいる。

しかし長州側はこの時、諸隊が藩政府を監視してる状態だし既に臨戦態勢に突入して粛清まで加えてたので、
交渉に応ずることすら困難な状態だった。困り果てた薩摩が苦慮して協議してしばらく伸びてたのが実情。
薩摩藩が「長州側から挨拶に来い」なんて言ってたのは全く史実と反する。完全なるあべこべ状態。

398 :日本@名無史さん:2015/02/21(土) 21:05:28.19 .net
>>397
いや、だから、それが藩主と世子の隠居じゃねえか。
長州が絶対に受け入れる気の無かった。

399 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 17:26:18.72 .net
>>398
だから形式的にでも交渉に応じてれば宥免可能だって。
処分案を持ち帰るくらいはできるだろというのが薩摩の発想。
薩摩の想定する処分案は別に幕府の最終案と同一じゃないし。

ところが長州は持ち帰りすら拒否する方向になってて、薩摩もさすがに困った

400 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 18:04:00.64 .net
問題の中心は同盟ではなく赦免。この時に木戸はぐちぐち西郷を責め立てたが
禁門の変で薩摩は勅を奉じて長州を討ったので冤罪だなんて受け入れるわけにもいかない
しかし手ぶらで帰すわけにもいかないので小松や西郷らが折れてあげましたというのが実情

べつに長州をいびってたわけではなく幕府側の処分案の確定を待ってただけ。

401 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:51:49.01 .net
>>399
だから、その「宥免」交渉を薩摩がしてくれる、幕府はそれに応じるって根拠がどこにもないじゃん。
薩摩の努力で長州は処分案を受け取りました、って幕府にいい顔しといて、
長州は処分を受け入れる気がありません、討ちましょうって攻めてくるかもしれない。
そうじゃない、って保証がどこにもないのに、口約束を信じるほど馬鹿じゃないよ。

402 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:05:09.32 .net
>>401
薩長盟約については有力説が色々あるけど
少なくとも「薩摩から折れるか、長州が折れるか」といったメンツの問題でこじれたのではないのは明らか。

まず誠意の点から言えば、薩摩側は元治元年1月から尾張藩を通して諸藩会合の上での長州処分の運動をしてるし、
同4月の長州再征令以降は武器購入の支援の便宜を図って長州藩主父子から感謝状が出されてる
少なくとも誠意についてはまったく疑いようもない。

次に成功率の点から言えば、慶応元年9月に慶喜は長州再征の勅許を引き出すことに成功したものの、
11月に広島で長州側の糾問を行った永井尚志は長州側の主張に一切反論せずそのまま持ち帰り、
永井の報告を受けた幕閣も融和策に傾き、さらに幕府は薩摩藩取り込みの動きを見せる。
木戸上洛の前には薩摩藩要人は征長戦じたいが中止されるとの見通しすら抱いていた。

薩摩側が長州に処分案の受け入れを勧めたのは以上のような状況認識を前提として、
処分案の受け入れは再征の理由を失わせ、その後の赦免運動に有利に働くと判断したもの。
しかし木戸は赦免・政界復帰ではなく、三家老の首級で決着済みという原則論を繰り返して、薩摩を手こずらせた
(薩摩としては「冤罪」を認めたら禁門の変の軍事行動が否定されるわけで、とてもじゃないが飲めない)
それでも薩摩は木戸を手ぶらで帰すわけにはいかないというんで検討を重ねていた。

そこに浪士代表というべき坂本龍馬まで入ってきたため、暴発を起こしやすい浪士系への配慮もあって、
越権行為に当たらない範囲で西郷は木戸にリップサービスしてあげた。その主題は「長州藩の赦免」であり軍事同盟じゃない
しかしその中に薩摩兵の上洛を入れさせたので、得をしたのはゴネまくった木戸。
長州との友好関係を維持したい小松や西郷がいかに柔軟で寛大だったかという話にしかならない。

これを木戸が自分の手柄話として吹聴するため、色々話を盛った。
西郷ではなく坂本龍馬に裏書を求めたのも、要するに西郷に裏書なんて求められない状況だったため。

403 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:08:04.40 .net
だから坂本は木戸の手柄話のために利用された側。
もし薩摩と長州の言い分を冷静に聞いていたなら、
一生懸命、木戸への手土産を考えてる西郷に「長州が可哀想ではないか」に叫ぶより、
木戸に対して「ごねるのもいい加減にしろ」と一喝すべきだったんだよ。

404 :日本@名無史さん:2015/03/08(日) 03:17:11.85 .net
ぶっちゃけ薩摩としては「ではさようなら」と木戸を帰してしまっても良かった。
べつに同盟交渉が決裂したわけではなく、単に人のアドバイス聞かないだけだから。
しかし、薩摩のほうからいらっしゃいと呼んだので木戸にお土産を持たせただけ。

だから、薩長盟約6か条のうち4か条は全て「薩摩藩が赦免に尽力する」という内容で、
さらに5か条は薩摩藩側が片務的に義務を負う内容。薩摩にとって何の得もない。
完全に「長州藩代表木戸寛治」へのリップサービス、もしくは配慮。

405 :日本@名無史さん:2015/03/13(金) 02:35:17.42 .net
「日本列島は東西に長い。自然、東は眠っていた」(「峠」)

この馬鹿はラクスマンがどこに来たかも知りません

406 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 03:30:31.32 .net
慶喜が大政奉還してもどうせ朝廷は受理しないだろうと高を括ってたら
西郷や大久保が受理しろと勧めて思惑が外れて自爆みたいなこと書いてたけど、
あんなこと誰が言ってんだろう

朝廷への受理を勧めた小松帯刀や後藤象二郎は慶喜に頼まれて朝廷に受理するよう周旋を行い
22日に庶政の慶喜への委任を取り付けている
思惑大外れどころか大成功になってるわけだが

407 :日本@名無史さん:2015/03/18(水) 07:01:55.83 .net
「僕」が長州発祥だとか、「長州には隊というものがあるそうな」とか、
あの辺もウソだよね。
僕も隊もとっくに使われてる言葉。

408 :日本@名無史さん:2015/03/19(木) 22:32:56.03 .net
>>395
そもそも、中岡等土佐浪士の目的って幕長間で戦端開かせて、幕威を挫くことじゃなかったっけ
薩摩に長州を援助するよう周旋してたのも、長州側の勝率上げるためなんだから、
ここで長州が処分案受け入れて戦争回避したら、薩長同盟自体不要じゃん。

ま、坂本が西郷に「長州が可哀想ではないか」って言ったこと自体、司馬の創作だけど。
木戸の自叙に坂本が西郷に談判しに行ったとか書いてないし。

409 :日本@名無史さん:2015/03/31(火) 14:49:19.30 .net
>>408
戦端を開いても幕府が勝ってしまったら何にもならない。

まず薩摩側には「軍事同盟」を結んだという認識はない。
薩長盟約の第4条を見ても分かる通り薩摩は「幕兵東帰」の場合を想定しており、
戦争にならない可能性も想定していた。
さらに第3条で「劣勢になったとしても1年や半年では負けないから」などとのんきな仮定を置いているが、
これは西郷隆盛の認識をそのまま反映したもの。薩摩側(というより小松、西郷など木戸を招へいした側)は
自分たちのできる範囲で政治的復権に協力しますよと言って木戸を帰しただけ。

木戸が裏書を求めた相手が当事者の小松ではなく坂本龍馬だったというあたりがヒントだね。

410 :日本@名無史さん:2015/04/01(水) 17:25:44.94 .net
>>1
その研究所・専門書も出版されてるほとんどがただの雑誌記者あがりが
拾い読みした知識で書いてるものだから小説と言ってるぶんまし
公立博物館である大和ミュージアム館長の戸高一成なんてあのムー出身で
歴史をまともに学んだことすらないんだぞ
そんな日本の出版物に何期待してんだ
史実を理解してるのなんて自分で一次資料をあさるような暇人しかいない

411 :日本@名無史さん:2015/04/03(金) 18:51:26.41 .net
>>409
負けたら意味ないけど、戦わずに恭順するのはもっと意味ない
というのは浪士側の都合ね

京都での取り決めが幕長戦争を前提とした、薩長の協力体制であって
攻守同盟じゃないってのはその通りと思うよ
そもそも長州側もそんなこと頼んでないし

ただ、薩摩のリップサービスに過ぎないというのは言い過ぎと思うけど
吉川経幹周旋記みると、西郷は一会桑が薩摩藩邸を包囲する事も想定して
「2千や3千は引き受ける」という主旨の発言してるんで

当時の京都で長州人を匿って諜報活動させるってそれなりにリスキーでしょう
特に、幕府と長州が戦端を開いた場合は。

412 :日本@名無史さん:2015/04/04(土) 22:44:46.15 .net
司馬遼太郎の小説では、明らかにフィクションと分かるように書いてある部分が
文章に勢いと瑞々しさがあって一番面白いな。気が付くと一気にページを読み進めてる
今更だけどさすがに「小説家としては」やはり才能あるわ。

413 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 08:27:07.65 .net
司馬遼太郎は幕末明治については必ずパクリ本があるわけだが、
(汗血千里駒、江藤南白伝、河合継之助伝、機密日露戦史など)
その他の重要史料を調べてるのかは甚だ疑問だな

414 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 21:39:36.95 .net
>>411
それが二本松の薩摩藩邸って相当目立つ場所にあって幕府は長州藩士の潜伏や動向をほぼ知ってたと指摘されてるんだよ。
つまり見て見ぬふりしてたのね。実は幕閣も大坂逗留が長引くにつれて大軍の駐留経費に莫大な費用がかかることもあり、
薩長盟約(最近は「同盟」とは言わない)の直前には進発そのものを中止しようという議論が強くなっていた
慶喜は出兵を強行したけど、開戦後わずか2週間で本荘宗秀が長州と和睦工作を勝手に始めるような状態だから
「幕兵が東帰した場合には…」という条項が入ってるんだよ
あの六か条のうち五か条は西郷の認識がそのまま反映されてて「協議の結果そうなった」というものではない
一方的に薩摩側の見解を示されただけ。だから薩摩は長州と重大な盟約を結んだという認識はそれ以降も見られない
それではまるで長州が物乞いに行ったようでみじめなので、第6条で「これからもお互い協力しようね」という相互主義的な条項が入ったが何ら内容はない

薩摩が長州藩代表の木戸が成果なく帰れないことに気を使って一応リップサービスしたというのが実態

あと薩摩藩兵上洛も、木戸は成果として喧伝したけど、薩摩の一貫した藩是は禁裏守衛なので、
変事が起きたらとりあえず御所の守備人員を増強するというのは藩是の範囲内での行動で、
長州に否定的だった島津久光の指令に背くものではない。つまり上洛しても言い訳が立つから上洛を約束した。

415 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 21:45:14.05 .net
もともと薩摩が木戸の上洛を要請したのは長州に貸し出す乙丑丸の件を解決するためで、
同盟を締結するためではない。長州側はそのほかに京洛の情勢視察も入ってたと思うけど、
長州処分がどう決まろうが慶応2年初めまで来ると長州側も妥協の余地はそんな多くない

だから慶応2年1月が薩長関係で決定的なエポックをなすというものではない。慶応元年の武器購入の便宜から慶応3年まで続く協力体制の一環。

416 :日本@名無史さん:2015/04/13(月) 19:18:49.96 .net
大仏次郎と司馬遼太郎を読み比べて楽しんでるよ
それぞれの史観が面白いからね

417 :日本@名無史さん:2015/04/14(火) 10:28:25.35 .net
薩摩は10月27日に正親町三条実愛や山階宮が閉門になって、最強硬派の大久保が慶喜との政争に負けたら、
小松帯刀が「この節海軍隊人数残し置かれ交代と申す場合にて他は全て引払之方、かえって宜しかるべしと評決」
と書き残してるように、島津久光の周旋活動中止命令を受けて盟約の第1条破ろうとしてるからな

この時はさすがに中止されてるが、慶喜が五卿帰洛方針を認めたらさっさと兵を帰してしまってる
おかげで木戸が品川に「薩摩が1000余人も兵を帰国させたんだって!?どういうことだよ
最初はウソかと思ったけど本当らしいよなこれってどういうわけなんだよ」って超ブチ切れてる

結局、薩長盟約って小松帯刀らが久光の指示の範囲内で個人的に好意を示しただけで、いざとなると捨てちゃったのよね。

418 :日本@名無史さん:2015/04/14(火) 10:52:22.31 .net
龍馬関係の既に他スレで指摘されてる以外の嘘
・海舟門人になって攘夷論捨てた
→海舟が神戸海軍操練所を開いた時に越前藩にお礼に行かせてる(文久3年6月29日)
 龍馬はその席で越前要人の村田氏寿に夷人退去を主張し、容れられなければ一戦をと主張してる
 相当強硬な態度だったらしく、翌30日にも村田が色々説き聞かせてやっと納得した

・薩摩藩名義での武器購入の仲介の労を取った
→井上・伊藤が長崎に着いた時に協力してくれたのは小松帯刀と、亀山社中の高松太郎。
 名義の使用は小松が直接許してくれてる。ついでに言えば饅頭屋さん近藤長次郎の自殺には冷たい態度を取ってる。

419 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 00:51:50.30 .net
>>410 大和ミュージアムは第三セクターに移管されたらしい
館長の戸高一成には叩けば埃が色々出てくるようだ
・履歴の偽装(呉市にもオカルト出身とは伝えていなかった?)
・研究の剽窃(大和の徳山港停泊)
・展示品予算の不正経理
・在籍した史料調査会で史料の私物化と無断刊行
おまけに戸高の師である故福井静夫氏も終戦時に史料を無断で私物化していたらしい
盗癖がないと戦史研究家にはなれないらしい

司馬は法螺吹きではあっても、人を騙していない分だけましか

420 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 15:16:33.88 .net
司馬も悪いが鵜呑みにしてるバカも悪い。
司馬は世良の子孫に詫びるべきだったな。

421 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 17:21:01.40 .net
>>420
時代劇板荒らすな。

422 :名無し:2015/04/21(火) 18:28:13.81 .net
>>421違うし、そもそも世良を擁護したら荒らしってどうよ?

423 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 19:15:48.84 .net
印税詐欺師かどうかは知らないが小説は詰まらん

424 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 08:53:22.98 .net
>>422
このスレは世良が好人物かどうか決めるスレじゃなく司馬遼太郎批判スレ
うざい

425 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 09:03:57.05 .net
>>418
近藤長次郎は海軍操練所に入所してるけど
龍馬は入れずに勝の私塾にいただけだしな
亀山社中も留守にすることが多かったし、
あの辺はまあ大概ウソばっかりだな

426 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 09:04:41.28 .net
>>424
なら書くなよ

427 :日本@名無史さん:2015/04/23(木) 19:01:41.87 .net
世良を悪者に仕立てた司馬を批判したらいけないの?
あ、会津プロパガンダからしたら都合悪いか(笑)
戊辰戦争引き起こしたの会津だってバレるからな。
なんとしても司馬の創作に乗って世良のせいにしとかないといけないもんな(笑)
悲劇のヒーロー会津マンができなくなるからね。

世良を悪者にした事を衝くのも司馬批判です。
世良の件だけはスルーしろってか?

428 :日本@名無史さん:2015/04/23(木) 22:59:33.29 .net
>>405
峠って小説を知らないんだが、ラクスマンから類推するに江戸時代の外国との交流についてのコメントであれば、
ラクスマンどころか元文の頃にベーリングの部下が宮城県に来ているんだよね。

429 :日本@名無史さん:2015/04/24(金) 11:39:57.22 .net
ベーリング探検隊の分隊のシパンベルグ船隊が仙台湾と房総に来たやつね。
その後もロシア船来航や侵攻情報は幕府に随時伝えられている。

430 :日本@名無史さん:2015/04/24(金) 11:48:43.63 .net
あと司馬は万延遣米使節の副使の村垣範正は文章が上手いだけの無能で小栗だけが賢いと言ってるけど、
村垣は福地桜痴には非難されてるが蝦夷地探索に10代の頃から当たってて、後に箱館奉行も務めた
対ロシア関係のスペシャリスト。詳細な公務日誌の類も残してるし無能呼ばわりはさすがに無知では

431 :日本@名無史さん:2015/04/24(金) 15:32:04.77 .net
>>430
ロシア関連では菜の花の沖だけど、レザノフが連れてきた日本人を中傷してんのな。
その人の子孫だかが激おこだったよ。

432 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 20:20:17.73 .net
>>427
世良を非難してない歴史家はさすがにいない。九条道孝ですら現地情勢の変化に気づいて、
途中から奥羽諸藩の嘆願に軟化し始めてるんだから、司馬の世良に対する非難それ自体は正当。

司馬の間違いは世良や岩村と言った出先の個人の責任をむちゃくちゃ過大に見る所。
これじゃ無理なノルマを課した会社ではなくノルマをこなそうとした営業マンのほうが悪いことになる
実際は奥羽鎮撫総督府は発足時に東征大総督府に会津・庄内両藩の方針について問い合わせてるが
2月17日時点から大総督府方針が「死謝」だったのは、大山柏がとっくに指摘してるところ。
だから黒田品川から大山格之助世良修蔵に参謀が変更になった。

433 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 20:27:58.34 .net
何で司馬が世良を過剰に非難するかと言えば、世良が仙台藩を督戦してた時点で
西郷隆盛が木戸孝允の進言を受けて奥羽増派方針を了承してたのを隠蔽するためだろ。
まあ西郷の増派というのは交渉をまとめるために行われることも多いんだけど、
提言したのが木戸というのが司馬的には面白くなかったんだろ。

司馬は何でも上の奴をかばって下の岩村や世良をコケにするというクセがある
奥羽に関して言えば、世良よりもっとタチが悪いのは大山格之助。
彼が4月の庄内征討でボロ負けしたから奥羽諸藩もなーんだという雰囲気になった

434 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 22:25:23.71 ID:EXO7q+d0b
この人の本に自分は真実しか小説に書けないって言ってるのを見て、
小説が事実って、変なこと言う人だなこの人って思った

435 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 06:43:15.20 .net
城塞と坂の上の雲は嘘の塊

436 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 09:23:58.49 .net
菜の花の津太夫評価は大槻玄沢がはなっから馬鹿にしてる本のパクリ 
司馬はパクリ本がないと小説書けない
環海異聞も大槻が興味を示してるところが結構あるから、ダイジェストですらちゃんと読んだとは思われない

437 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 11:55:31.82 .net
大黒屋光太夫と津太夫とでは、ロシアから帰国した人という意味で最初か二番目かでインパクトが違うからな。
先に帰国したほうが有名になるに決まってる。
津太夫にしたって好き好んでロシアに行ったわけじゃないんだろうから、二番煎じとか言われても迷惑でしかないわ。
子孫が怒るのも当たり前だよ。自分の親を馬鹿にされたら俺だって腹が立つもん。

438 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 18:52:08.99 .net
司馬が捨てた若宮丸漂流民事件は吉村昭が美味しくいただきましたw

439 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 21:33:02.68 .net
司馬が捨てる以前に知名度が低いだろw

440 :日本@名無史さん:2015/04/26(日) 22:30:12.38 .net
若宮丸は知らなくてもレザノフ来航と文化露寇は知ってるでしょ。彼らを送ってきたんだし高田屋嘉兵衛が主人公なんだから
見聞が浅いとか辺鄙な場所の生まれだとか言ってるのに環海異聞を知らないってことはなかろうよ。
そうでなければ、津太夫が無知だったとか、そういう知識すら出てこないはずだから。

でも吉村昭が4年前に北天の星で文化露寇を書いて、その中には善六が出てくるから、
菜の花連載開始時にはある程度、他の作家が調べてくれてるはずなんだけどね。。。

441 :日本@名無史さん:2015/04/27(月) 21:21:43.00 .net
太夫って名前がついているんだから間違いなく名門の人だろうと思うけど、
津太夫のサイトの人もそこには言及していない。
ただ、司馬が菜の花で書いたような誹謗中傷は有名無名に関係なく許されることじゃないよ。
司馬財団はそこを指摘したら逆ギレしそうな気がする。あいつら馬鹿だからな。

442 :日本@名無史さん:2015/04/28(火) 11:38:57.84 .net
吉村の北天ついでに。
司馬は五郎次をほぼ無視してるんだよな。
あんだけの業績の人がいたことに時代の流れとして触れてもバチは当たらないと思うんだ。

443 :日本@名無史さん:2015/05/01(金) 17:06:09.37 .net
城塞は大坂諸将の善戦だけに触れて敗戦や被害には触れようとしないから、
冬の陣は勝ってたのに和睦する流れになり、夏の陣も長宗我部勢が勝ってたのになぜか翌日どこにも出てこないとか、
素直に読んでれば破綻ばかりになる。

適当に書いていって、辻褄が合わなくなるとすべて家康の策謀にして強引に処理。こんなの小説じゃないよ…

444 :日本@名無史さん:2015/05/05(火) 22:03:48.99 .net
関ヶ原でも淀・近江対北政所・尾張をなんの疑いもなく貫いて、
一時的に浅野長政が家康に迫害されたことをなんの説明もなく書いてるだけだからな。
浅野が当初は家康糾弾側にいたことを知ってて知らんぷり。

445 :日本@名無史さん:2015/05/06(水) 09:18:34.09 .net
司馬遼太郎は「歴史家」じゃなくて「小説家」でので

歴史を脚色したり妄想で補完したりして話を創るのが商売ですよ

小説を歴史書とでも思ってる武田鉄矢のような方ばかりなのかな

446 :日本@名無史さん:2015/05/06(水) 10:08:22.06 .net
>>445
司馬信者乙
司馬で小説の中でわざわざ閑話休題とか言ってアカデミズム史学を批判してるんだけどね
あるいは史料ちょん切って改ざんしたり

フィクションとしてやってるなら誰も文句言わないよ
作中で史論を半分くらいやってるからブーイング浴びてんだよ信者

447 :日本@名無史さん:2015/05/06(水) 11:46:27.72 .net
今でもいるからなぁ。
高杉が魔王だとか言ってる馬鹿が。

448 :日本@名無史さん:2015/05/06(水) 13:06:24.31 .net
>>445
司馬の小説を根拠に歴史を語る馬鹿を批判するとお前みたいな見当違いなレスが来る

449 :日本@名無史さん:2015/05/07(木) 00:35:08.81 .net
>>445-446ってテンプレでしょ

450 :日本@名無史さん:2015/05/17(日) 21:04:22.37 .net
なぜ司馬氏は、
大阪市の元土佐藩主の地から
東大阪という地で引っ越され生涯暮らされたのか疑問
あの地に惹かれるものがあったのか
江戸時代は川も多く湿地帯で治水工事などであまりいいイメージがない
上町台地に住むのならわかるが

451 :日本@名無史さん:2015/05/17(日) 22:21:04.02 .net
>>448
>司馬の小説を根拠に歴史を語る馬鹿

そんなキチガイいるの?w

452 :日本@名無史さん:2015/05/17(日) 22:37:42.91 .net
>>451
井沢元彦

453 :日本@名無史さん:2015/05/17(日) 23:50:20.85 .net
司馬小説を引き合いに出してる奴なんか腐るほどいるだろ。
特に文春の作品(幕末もの、義経、菜の花の沖、坂の上の雲)は信者にとってバイブルそのもの。
ネットで検索かければ司馬信者のキチガイが出るわ出るわ。

454 :日本@名無史さん:2015/05/19(火) 01:56:27.15 .net
>>451
上にも出てるように、高杉が魔王だとか、家康が二条城会見の直後から秀頼を殺す気だったとか、
良質の史料に出てないのに司馬の創作鵜呑みにしてる奴はいくらでもいる。
坂の上の雲でも補給地を妨害されつつ大艦隊を率いて回航し、
さらに太平洋側に陽動のための艦隊まで派遣してたロジェストウェンスキーを徹底した愚将扱いにしたり
ニコライ2世を俺が望まないから戦争は起きないんだと日本をバカにする反日傲慢男に仕立て上げたりしたのも司馬。

今でも信じてる奴は大勢いるだろ。

455 :日本@名無史さん:2015/05/19(火) 07:41:49.99 .net
>>454
ロジェトヴェンスキーについては、ロシア側のノンフィクションであるツシマとかでも徹底的にこき下ろされてるからな。
あれ読むと弁護する気にならん。

456 :日本@名無史さん:2015/05/19(火) 19:43:24.46 .net
司馬は会津プロパガンダの片棒を担いだ糞ジジイ。
世良を貶めたのも司馬。信じるバカも悪いが
後世への影響も考えないで創作を発信した責任は重いよな。

457 :日本@名無史さん:2015/05/19(火) 22:13:31.98 .net
>>451
井沢元彦というキチガイについてコメントをどうぞ。

458 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 02:35:37.98 .net
>>455
逆。司馬はツシマだけ読んでロジェストウェンスキーの印象を固めてる。
彼が当時のロシア海軍でマカロフと並ぶ提督と見なされてたのは間違いないし、
補給妨害を受けながら世界半周という大航海を成功させ、太平洋に陽動艦隊まで放ってたのは確か。
ロシア側の戦後の量刑で勝手に降伏したネボガトフあげ、ロジェストウェンスキー下げなんて全く根拠がないと分かる

459 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 02:46:25.93 .net
司馬の小説だけ読んでるとロジェストウェンスキーは皇帝の寵愛だけ受けて出世したアフォみたいなことしか書いてないが、
出身は貴族ではないし、軍歴によって皇帝の信用を得た人物
ツシマが書いてる問題点のかなりの部分はロシア本国の無茶や英独仏の非協力的態度に帰せられる問題
彼自身はむしろロシア官僚制度の犠牲者。途中で意味不明な命令を次々に受けて激怒しやがて前途を悲観している
数年前に書簡が発見されてるけど

460 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 02:56:33.64 .net
大体プリボイってロシアから亡命して革命後帰ってきて、社会主義リアリズム時代にツシマ書いてるんだから。
ノンフィクションと言ったって傾向がある
一般兵=善、高級将校=悪の図式で書くに決まってるのに飛びつく司馬は、自称、ネイヴィを調べたわりに、
軍事史の史料の選別眼に疑問符がつく

461 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 07:49:29.76 .net
「もうひとつのツシマ」の方も、同じ評価だったと思うが。<ロジェトヴィンスキー
プリボイはロジェはけなしまくってるけど、ネボガトフはちゃんと評価してるから、
高級士官を全部けなしてるってことはないよ。

462 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 18:27:25.03 .net
>>461
ところが「もうひとつのツシマ」のウラジミール・コスチェンコも革命運動で投獄されてる組なんだよ。
「捕われた鷲」( На ≪Орле≫ в Цусиме)が公刊されたのは1955年。まだスターリン批判が始まる前。
ロジェストウェンスキーの書簡など史料が発掘されてきたのは最近なんだが、
司馬ほどそういうのを鵜呑みにした人間も少ない。
司馬のネボガトフ評価は当然ながら社会主義ソ連になってからの告発本から影響受けてんだけど、
当時のロシア軍事法廷ではネボガトフは死刑、ロジェストウェンスキーは心神喪失のせいもあったが無罪と処遇は対照的
明らかにネボガトフのほうが非難の対象になってる

ロジェストウェンスキーは軍事法廷においても退役やその後においても軍人らしいきちんとした言動を取ってる
史料の政治的性格をよく分かってなかったと言わざるを得ない。

463 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 18:36:14.07 .net
一般水兵にとってはロシア本国からの指示は全て提督を通じて発令されるわけで、
怨嗟の対象になるロジェストウェンスキーと、兵士を救おうとしたネボガトフという対照は分かりやすい
それだけの話だよ
だから軍事史家でもロジェストの履歴を見て、少なくとも優秀な司令官だったことは認めてる
全面無能説取ってた人は少なかったはず

464 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 22:09:03.41 .net
史料っていうと、「そんなもの大本営発表だからアテにならない」なんて言うバカが増えたな。
司馬信者に多い。

465 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 22:20:16.25 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

466 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 22:20:47.57 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

467 :日本@名無史さん:2015/05/20(水) 22:21:25.92 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

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