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【最後の】北条守時【執権】

1 :日本@名無史さん:2013/05/26(日) 14:31:35.58 .net
・最後の政権指導者
・次政権の指導者と義兄弟
・最後は奮戦して死亡
これだけドラマになる要素が揃っているのになぜかマイナーな赤橋守時さんのスレ。

2 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:03:01.91 .net
2ゲト

所詮は庶流、得宗家じゃなけりゃね

3 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 00:36:36.05 .net
最後の将軍だった守邦親王も頼朝公より長い在職期間なのにマイナーだし、扱いがひどすぎる。

4 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 15:21:18.02 .net
キャシー中島の旦那さん

5 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 22:52:16.30 .net
結局、守邦親王は鎌倉幕府倒壊のあとどうなったの?

6 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 23:41:43.06 .net
>>5
出家して直後に病死。足利義昭や徳川慶喜と比べてもラストが悲惨。

7 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 23:57:48.25 .net
>>6 高時が死んで翌月出家し、翌月病死って暗殺されたっぽくね?

8 :日本@名無史さん:2013/05/28(火) 10:44:31.85 .net
陰謀論厨には悪いが理由がない

9 :日本@名無史さん:2013/05/28(火) 10:50:21.91 .net
>>8 英明で前将軍、後深草天皇直系という血筋から、旧勢力に利用される可能性があったから殺されたのです。

10 :日本@名無史さん:2013/05/28(火) 22:32:37.31 .net
妹と千寿王を逃がしたのはこの人?

11 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 18:39:18.83 .net
武力で攻め滅ぼされた幕府って鎌倉幕府だけだな

12 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 21:10:01.07 .net
>>11
最高指導者が戦死したのも鎌倉幕府だけだね。軍事政権として考えると平氏政権・豊臣政権もだが。

13 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:12:35.29 .net
北条一族も、逃げずに戦っていたのを見ると勝算はあったん
でしょうね。

14 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:20:22.42 .net
それは違う
日本全国に反北条勢力が蜂起して逃げ場所が無かった

15 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:44:10.35 .net
>>13
追い詰められたので戦うしかなかった。
海から逃げようにも大した船もないので脱出不能。
>>10
逆。逃げられて内通を疑われ謹慎処分になっている。
指導者が謹慎とか内通とか冗談みたいだがw
それで疑いを晴らすため新田軍を迎撃して戦死。

16 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 22:44:20.05 .net
平家を滅ぼしてるのに、末路が平家と同じなんだよな
太平記では北条のこと、平家って呼んでたっけ

17 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 23:07:48.09 .net
最高指導者と言っても執権の他に得宗家やら内管領やらがいて
誰が実質トップだかわからん

18 :日本@名無史さん:2013/05/29(水) 23:46:38.62 .net
>>17
末期の鎌倉幕府は得宗だった高時が病弱で対立していた安達氏と長崎氏が手を組んで牛耳るようになっていた。
牛耳ってた勢力の大半がろくに戦わずに自殺して終了というのがまぬけだがw

19 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 07:51:27.35 .net
正五位下の高時の家臣の御内人が実質最高権力者って凄く歪だな。

20 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 12:36:18.88 .net
まあ、そんな役職の低いものが政治を回していたから、周りになめられて、反乱勃発

21 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 22:54:18.63 .net
>>19
後北条で言えば玄庵とか大道寺家とかですらなくて風魔が仕切っていた状態だったからね。
>>20
鎌倉時代ってずっと反乱、というか内戦状態で運良く得宗家が生き残っていたようなものだったからな。
最後も守時の姻族で絶対裏切らないはずの足利がまさかの反乱で主力を失ったようなものだ。

22 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 00:08:15.12 .net
守時も足利の下につけばよかったのに

23 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 00:18:10.44 .net
姻戚だから絶対裏切らないというのはないわ

24 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 00:22:21.54 .net
>>22
守時って執権で、北条政権の総責任者だったんだよ…
尊氏が生かしておくはずないだろ

25 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 00:34:13.21 .net
千葉貞胤は何故裏切ったんだろう 

26 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 01:14:07.78 .net
泰家が執権になってたら鎌倉幕府は滅亡しなかったのに

27 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 09:58:03.17 .net
頼朝や足利家のように由緒正しい出目でもなく、
徳川幕府のように強固な政権基盤もなく、
官位的には公卿ですらないのに100年以上も天下人であり続けた北条氏って
よっぽど駆け引きが上手かったんだろう

28 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 10:15:38.62 .net
>>27
鎌倉幕府創業時の後見者だからな

あと一応北条氏は平氏を称していた
天皇の末裔といえども中央官僚から転落し国司クラスで地方へ下った連中は
由緒ある血が欲しい地方豪族たちに娘を差し出されるままに
そこらじゅうで抱きまくっていただろうから
地方に源氏や平氏の末裔は相当いただろうと思う
(実際北条が平氏だったかどうかということよりも、
ときの朝廷が北条を平氏だと認め平姓で官位を与えている=
朝廷が北条を平氏だと認めていることが重要)

29 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 11:02:32.55 .net
>>26
高時が存命で実子もいるのに泰家が後継者になったら争いの元になる。

30 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 12:21:08.92 .net
>>27
中盤までは御家人の支持を取り付けていたのが大きい。

31 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 13:05:00.29 .net
>>29
泰時は執権にはなれるだろ
高時のような得宗になれないだけで
傍系の守時でも執権になれるのに
高時の同母弟が執権になれない理由はない

32 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 13:52:45.37 .net
何故貞顕がダメで守時ならOKなのかわからない
泰家は自分が執権になりたかったら貞顕のあとの守時に対しても
殺すぞと脅して辞退させ自分が執権になるまでゴネつづければよかったのに。
あっさり出家して馬鹿みたい。

33 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 14:53:45.97 .net
>>32
別に貞顕でなく守時が執権でも泰家は出家してただろ
もともとは高時の庶子邦時か高時の同母弟泰家かという「得宗争い」であって
貞顕は両者の緩衝剤としてとりあえず執権になったに過ぎない
泰家は反対が多く執権にすらなれないなら得宗になるのは更に難しいと断念し出家した

34 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 14:59:27.68 .net
母親は高時の子(つまり孫)より泰家を可愛がっていたの?
ふつう子供より孫のほうが可愛いと言うがなあ

35 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 15:51:10.14 .net
>>34
高時の母山内禅尼は安達宗顕の娘で、自分の姪を高時の正室にしていた
山内禅尼はこの正室を盛り立てていたと思うが、高時正室には子がなく、
邦時は高時と妾(五大院氏)の間に誕生した
身分の低い妾の子を得宗とするには後見頼りなく、
それよりは有力御家人安達氏を外戚とする泰家を、ということだろう

ちなみに邦時は幕府滅亡の際、母の兄である五大院宗繁に託され逃がされたが
五大院宗繁が恩賞目当てに新田義貞に邦時を差し出し殺されている

36 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 16:20:04.11 .net
>>35

なるほど五代院はろくでもない奴だなあ
母親の予想は正しかったわけかあ
女の直感は当たるというが本当だね

37 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 16:53:30.20 .net
その宗繁も裏切り者として追討されて野垂れ死にしたらしい
河田次郎や小山田信茂と似たような末路だな

38 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 17:09:36.94 .net
五代院って鹿児島だっけ?
そんな遠くまで逃げるの無理でしょ
時行みたいに諏訪あたりがちょうどいいんじゃないの?
それに諏訪氏は信州じゃ大豪族だし。名門だし。
足利や新田でもうかつに手が出せないでしょ。

39 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 19:11:52.58 .net
諏訪氏も、長いこと北条被官やってるよね、五代院は得宗裏切ったわけだし
諏訪からも恨まれてるでしょう。

40 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 23:46:26.45 .net
新田義貞を迎撃して壮絶な戦死を遂げた守時が最後の執権で良かったな。
邦時が最後の執権なら目も当てられない死に様で後世まで馬鹿にされていただろう。

41 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 00:07:17.71 .net
>>40
それは言い過ぎじゃ?

42 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 00:14:21.56 .net
そもそも邦時は鎌倉幕府滅亡時9歳だからどうしようもないだろ

43 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 00:19:30.62 .net
>>39
諏訪氏や海野氏は義仲党として鎌倉御家人の中でも相当身分低かった
北条氏の保護下で源氏将軍時代生き延びたようなものだし

44 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 11:16:45.86 .net
守時は従四位上で得宗の高時より官位が上なのに、力関係は得宗家の御内人の方が上って
官位は何の意味があったの?

45 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 23:20:18.22 .net
>>44
そもそも鎌倉幕府は合議制が基本で力関係といってもせいぜい会議を主導、という程度なんだよね。
北条高時:ウェリントン
北条貞顕:ハルデンベルク
北条守時:アレクサンドル1世
安達時顕:タレーラン
長崎円喜:メッテルニヒ
みたいな感じで突出して権限持ってる人がいない。

46 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 23:22:11.07 .net
>>44
江戸時代の親藩大名は官位が高いのに幕政にあまり口出しできず
それよりも将軍直近の側用人あたりが権力持っていたのと同じ構造

47 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 23:22:24.96 .net
>>24
あの優柔不断の尊氏が殺す確率は低いんじゃ?嫁の兄貴だぜ。

48 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 23:49:13.31 .net
>>47
尊氏自身はともかく、後醍醐天皇や新田義貞、足利直義が殺してもおかしくないと思う。

49 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 23:55:06.45 .net
>>47
尊氏は目的遂行のためなら仲の良かった実弟すら毒殺し
自分の実子とすら死闘を繰り広げているよ

後醍醐天皇の朝敵となった鎌倉幕府の執権である守時を殺さないことには
後醍醐天皇の望む建武の親政が実行できないことぐらいわかるはず

50 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 12:10:14.79 .net
鎌倉幕府で一番偉いのは守邦親王じゃ

51 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 12:38:36.02 .net
>>50
後醍醐天皇は守邦親王の追討令は出してない
しかも守邦親王だけが生き残っても
執権と得宗が死んでしまえば鎌倉幕府は終了した

52 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 16:12:29.82 .net
>>50
一応ね。傀儡だけど。
結局東勝寺で妻子を殺して自害して果てた。北条氏、御内人らと運命を共にした。
だから、綺麗に終わったけどね。生き残っていれば対処に困っただろうし。

53 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 17:26:18.59 .net
島流して、おしまいだろ

54 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 17:28:11.64 .net
>>52

え?

55 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 21:24:01.31 .net
>>52
別の誰かと勘違いしてない?

56 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 21:24:16.09 .net
九条頼経や宗尊親王は傀儡とはいえ反得宗家の神輿としての
利用価値はあったけど守邦親王にはそういった形跡すら無いし
本人も傀儡から脱却したいとは微塵も思ってなかったように見える。

57 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 22:22:35.65 .net
もう少し鎌倉幕府が長続きしたら守時も活躍の場があったのだろうな。
幕府の重鎮・赤橋流の当主として地位・実力はあったのに悔やまれる。

58 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 22:25:30.87 .net
守邦親王 1308年征夷大将軍宣下から1333年幕府が滅んだその日に職を辞し出家か。
長くやってるな、その年の9月に鎌倉で逝去になってる。
京に戻れなかったのだろうか。

59 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 22:33:53.81 .net
戻っても要らない子扱いだから戻らなかったんだろ。
人生の大半を鎌倉で過ごしたから故郷は鎌倉と思ってただろうし。

60 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 22:58:16.31 .net
前までは成人した途端に難癖つけられて京に送り返されてたのにな。

61 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 23:24:33.09 .net
守時は子供いたの?
戦死したの四十歳くらいだっけ?
だったら子供いてもおかしくないよなあ

62 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 23:39:51.07 .net
守邦親王は鎌倉幕府歴代将軍中、一番在任期間が長かったらしい。
在位24年。
守邦親王は後深草天皇の孫だからいくらなんでも
生きていればキに帰れた可能性はあるが鎌倉で暗殺された説もある
ちなみに鎌倉幕府将軍は9代続いた
(源氏将軍→摂家将軍→親王将軍と血縁や氏姓は変わっている)

63 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 23:57:06.75 .net
>>61
北条益時という息子の存在は知られている
益時は守時と一緒に鎌倉を防戦して新田義貞軍と戦い、敗れて守時と共に自刃した
一説には益時は守時の兄弟の子で養子という説もあるがよくわからん

64 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 00:22:36.58 .net
>>63
北条時益というのもいたな。こっちは六波羅探題にいて落ち武者狩りで死亡。
政村の末裔なのに非業の最期とは。

65 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 09:36:01.88 .net
北条氏は女系を通じて次世代政権の足利氏にも血引き継がれてるせいか
滅亡しても、それほど悲壮感かんじないな
平家とかには哀愁感じるんだけどね、

66 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 16:31:08.47 .net
足利義兼 正室は北条時政の娘
足利義氏 正室は北条泰時の娘
足利泰氏 正室は北条時頼の妹
足利頼氏 正室は佐介流北条時盛の娘
足利貞氏 正室は金沢流北条貞顕の妹
足利尊氏 正室は赤橋流北条守時の妹

こんだけ何重にも婚姻関係結べばそりゃ裏切るなんて思わないよな

67 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 19:02:47.97 .net
>>65
平家も女系は残ってるんだがな
大河では清盛の娘は盛子と徳子しか出てこずこの血は残らなかったが清盛は他にも娘が多く公家の妻などになっている
清盛の女系の血は天皇家にもつながっている
平清盛ー女(冷泉隆房室)ー四条隆衡ー四条貞子(西園寺実氏室)ー西園寺女吉子(後嵯峨天皇中宮)ー後深草天皇→現在の天皇家

68 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 19:47:24.32 .net
家が滅びる時に一族の男子は殺されても女子は余程の事がない限り殺されないから、
女系まで完全に絶たれるってことはほとんどない。
源頼朝と豊臣秀吉は女系も絶たれたけど、
頼朝の同母妹の坊門姫と秀吉の甥の娘の豊臣完子がそれぞれ血を残してる。

69 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 20:34:16.94 .net
>>68
源氏は一応戦で一門全滅というわけではないので…
頼朝の直系は男系・女系ともに孫の代で途絶えたが
同母妹、異母弟などの血は残る

豊臣宗家は戦で滅亡
秀吉の孫娘(秀頼の娘)・奈阿姫は徳川家に許されず出家を命じられ
嫁ぐことを禁じられたので処分は重いほうか
千姫の助命嘆願のお蔭で助かり尼となることを条件に助命というが
助命嘆願がなければ家康は女子の奈阿姫を斬るつもりだったのかな?
秀吉も実姉の血は残っている

70 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 20:47:09.10 .net
>>59 生まれてから死ぬまでずっと鎌倉じゃないの?
でも24年も将軍にいながら一品になれなかったのは何でだろう?

71 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 21:03:35.69 .net
>>70
守邦親王が一品になれなかったのは天皇の孫だからじゃないの?
親王将軍4人中、一品に叙されたのは天皇の子だけ
後嵯峨天皇皇子・宗尊親王と
後深草天皇皇子・久明親王の2人が一品
惟康親王(宗尊親王の子・後嵯峨天皇の孫)と
守邦親王(久明親王の子・後深草天皇の孫)は二品どまり

72 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 21:16:15.16 .net
>>71
なるほど

73 :日本@名無史さん:2013/06/04(火) 21:46:15.49 .net
>>68
その昔、ブルボン家(と言うかカペー家以来のフランス王家全部)がカール大帝の血を引いていると聞いて血筋とは余程のことがない限り絶えないものだと思った。

74 :日本@名無史さん:2013/06/05(水) 19:14:21.36 .net
カペー家は今でもスペイン国王として君臨してるからな

75 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 03:28:12.36 .net
平家みちよについて

76 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 08:21:00.03 .net
>>65
平氏は全滅したどころか現代まで末裔が多数いるのに壇ノ浦で全員死んだかのような誤解があるからな。
つーか、北条とか、長崎とかおもいっきり平氏一門を自称してるやんw

77 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 12:34:04.97 .net
まあ、清盛の弟の頼盛の家系は普通に生き延びたわけだし。
でも北条は平氏を名乗ってはいるけど時政の父親の素性すら曖昧で
家康が源氏を名乗ってるくらい信憑性がない。

78 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 17:45:14.05 .net
>>76
平家=平清盛一門
平氏=平姓全般

なので北条や長崎は平氏を称したというだけで「平家」ではないよ
家系図が確かかどうかも分からんけどね

79 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 22:39:07.55 .net
平家が滅んだ跡の貞盛流の嫡流て伊勢氏になるのかね?
頼盛の流れもいつの間にか行方不明になってるみたいだし

80 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 23:09:50.91 .net
最後の戦いで北鎌倉からわざわざ大船の近くまで出撃したんだよな。
ホーム戦とはいえ、よく少数兵力で打って出る気になったもんだ。

81 :日本@名無史さん:2013/06/06(木) 23:16:35.37 .net
>>79
嫡流の定義そのものが曖昧だから特定できない

82 :日本@名無史さん:2013/06/07(金) 23:33:00.65 .net
赤橋流当主は長時から代々六波羅探題北方に就いてるんだけど守時はそれを経ずにに評定衆に就いてるな

83 :日本@名無史さん:2013/06/08(土) 15:25:16.20 .net
>>82
貞顕が突如執権辞任したから六波羅に行かずにすぐ執権についたんじゃね?

84 :日本@名無史さん:2013/06/08(土) 17:00:37.26 .net
妹が足利高氏に嫁いだばかりに、最後のほうは鎌倉に居るのも
嫌であったろうな、周りからは疑いの目も・・・。

85 :日本@名無史さん:2013/06/08(土) 18:38:45.93 .net
明の時代の武将・徐輝祖みたいだ
似たような歴史てどこにでもあるんだな

86 :日本@名無史さん:2013/06/08(土) 22:37:15.31 .net
>>14
海の底に朝廷はあっても幕府はなかったのかw

87 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 18:09:23.96 .net
>>84
守時は尊氏正室の妹と妹の産んだ尊氏の嫡男を鎌倉から落としている
北条家に対する裏切りと取られても仕方がない
尊氏は鎌倉に残した妻子が斬られることを承知の上で六波羅探題を攻めたし
守時は大事な人質を逃がしたわけだから

88 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 18:52:51.68 .net
尊氏も正室と離縁するどころか義詮に家督を継がせてるし、その後も子供作ってるな
何で側室の子とはいえ長男の直冬じゃなくて
前政権の血を引く義詮に継がせたりしたんだか

89 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:11:21.33 .net
>>88
武士の政権ということで前政権の事実上の指導者・北条氏の血を入れたかったんじゃないのかな?

90 :日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:25:25.51 .net
やっぱ側室越前局ってのがあまり身分高くないからだろうね。直冬は
守時が、義詮を逃がさずに始末していた場合は直冬が継いだかもしれんけど。

91 :日本@名無史さん:2013/06/10(月) 23:19:52.52 .net
>>87
妹を助けるにはその方法しかなかった、とか?

92 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 00:53:12.17 .net
嫡男は仕方ないとして嫁まで斬るかなあ。それに裏切った段階で処刑しても無益な殺生だと思われる可能性も…
高氏もそこまで見越してたりして。

93 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 08:00:09.38 .net
>>92
女性が斬られた例は少ないとはいえ戦国時代には実際にある
嫡男が人質にされることはよくあるが
妻や母が人質にされたこともよくあったよね
女性は絶対に斬らないのであれば妻や母が人質になる意味は全くないのに

94 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 23:58:34.47 .net
>>79
伊勢氏が戦国時代に北条氏を名乗ったのは、
北条氏が平氏を称してたのと関係してるのかも

95 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 01:10:48.06 .net
スレタイ北条?
間違ってはないが、一般的には赤橋守時じゃね?

96 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 07:51:54.15 .net
>>92
保元の乱では上皇方についた貴族、武士は藤原頼長、平忠正、平家弘、
源為義など、悉く女子供老人も含め悉く三族皆殺しになっている。
(もちろん後白河法皇方についた者及びその直系を除く)

97 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 12:34:01.40 .net
日曜日に鎌倉の浄光明寺近くにある守時屋敷跡に行ってきた。
ここに北条氏の屋形が立ち並んでいたんだなあと思いながら散策してきた。
とてもよい日曜日であった。

98 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 17:37:38.83 .net
>>94
伊勢氏が北条名乗ったは関東制圧に正当性持たせるためだと言われてるが
意外に同族意識あったのかもな。

99 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 20:27:38.97 .net
そう言えば大江の末裔の方の北条さんは北条に使えていたときは毛利を自称していたな。

100 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 09:51:32.30 .net
最後の執権なのに中高の歴史でもろくに教えないね。
教育指導要領にちゃんと教えるよう記載しろよ。

101 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 10:46:00.09 .net
じゃあ最後の管領とか最後の関白とかも教えるようにしないとなw

102 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 11:43:38.62 .net
>>101
亭主関白なら今でも現役でいるがw

103 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 20:27:45.39 .net
>>100
守時は辛うじて北条氏の略系図に登場したりするけど
頼経以降の鎌倉将軍なんてまず教えられることはないぞ

104 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 21:50:04.66 .net
教科書読んで足利義昭の最後しってるか?
そういうことだ

105 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 22:47:44.99 .net
歴代執権や将軍は巻末資料頁なり別冊資料集に一覧があるから
歴代好きの中高生なら必ず名前は暗記するよ
それぞれの人物エピなんか本屋で立読みして押さえとくのは基本
赤橋守時の最期に涙する中高生も多かろう

106 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 23:29:32.09 .net
北条氏滅亡の場面においても、得宗の高時が自決するシーンが中心に描かれる
ことが多く、執権の守時の最期はあまり印象に残っていない。

田楽にうつつを抜かしたバカ殿・高時の自決でもって鎌倉幕府は滅亡した
という理解のされ方が一般的な気がする。

本当にこれでいいのだろうか。

107 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 23:30:06.06 .net
>>103
高校日本史の教科書に親王将軍初代の宗尊親王は載っているが

108 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 23:36:33.95 .net
執権と連署の仕事の違いは?

109 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 01:23:36.03 .net
だいたい守時は大したことやってないだろ?一時期執権に就いたが御内人が実権掌握。ただのお飾り。尊氏の義理の兄ってことくらい。
教科書に載るには、その時代に何か多大な影響を与えたとかじゃないと

110 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 01:29:18.79 .net
結局北条時政の男系子孫って絶滅したのか?
この時代 他家に養子とかってあまり聞かないしね。

111 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 09:17:04.82 .net
>>106
そもそも高時はバカ殿ではないんだよな。
病弱で実務がなかなかうまくいかず、平頼綱の末裔・長崎氏と外戚の安達氏、金沢流北条氏などが実務を担当していたし、
執権をやめたのも病気だったし。
徳川家茂が早死したからバカ殿というくらいの愚論のはずなのだが。

112 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 10:30:09.39 .net
>>111
金沢貞顕の著作でそういうふうに言われているが執権辞任後に長崎高資を
暗殺しようとして逆に側近を処刑されるなどいらんことをやっているがな。

113 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 11:43:00.60 .net
守時戦死の段階で幕府の人は次の執権をだれにするかとか考えなかったのだろうか?

114 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 12:16:02.63 .net
やっぱ高時は馬鹿だろう。どう見ても。
病弱な政治家でも優秀な成果を出した人は沢山いる。

115 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 12:46:06.29 .net
>>114
病気の種類や程度にもよるだろ。
とは言えハンセン病で最後まで戦った王様も中世にいた事を考えると微妙。

116 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 16:25:41.68 .net
秀吉の参謀竹中重治も体が弱かったが抜群の働きをしたぉ

117 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 17:04:59.65 .net
>>113 守時戦死って幕府最後の数日前で幕府ももう決める必要性なかったんじゃない?。
幕府もこのまま勝てるとは思ってなかったでしょうに。

118 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 17:06:29.06 .net
高時が病弱だったというソースは?
高時だけでなく当時の人は病気ばかりしてたよ。

119 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 17:47:09.41 .net
時氏以降の得宗家は全員短命だったし、病弱なのは高時だけじゃなかったのかな?

120 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 17:52:10.77 .net
大軍を送っていた六波羅が殲滅した時点で詰みだから

121 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 18:08:53.07 .net
高時は病弱じゃないだろ
同時代史料の「保歴間記」には「すこぶる亡気(うつけ)にて」と書かれてあって、
阿呆(軽い脳障害?)のようなことが書かれてあるだけ
織田信長も「うつけ」と呼ばれていたから
ちょっと行動が変わっていただけかも知らんが
とにかく同時代の人には阿呆だと思われていたということだけ

122 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 19:26:50.75 .net
病弱の割には子供2人もいたりするけどな。
短命なのは近親婚の繰り返しのせいかもな。

123 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 19:30:32.80 .net
高時は儀式などもちゃんと出席してるし。
二所や三島神社にも行ってるし。
金沢貞顕の手紙に高時の病気の話も書いてあるが、
高時以外の人の病気も沢山書いてある。
まあ、おなじ病気でも得宗とそれ以外の人では
人々の対応の違いがあって、得宗だと大騒ぎになるだけで。

124 :日本@名無史さん:2013/06/16(日) 19:54:09.60 .net
>>122
病弱だが大正天皇は親父さんと違って男児4人作った(全員成人)よ。

125 :日本@名無史さん:2013/06/17(月) 12:38:00.55 .net
>>122
射精するだけの男は種無しでなければ病弱でも
あまり子供のあるなしには影響しないんじゃね?
21歳で死んだ病弱な高倉天皇でも子供は7人作ってる
高時は31歳まで生きているし病死ではなく自死
鎌倉幕府が滅亡しなければもっと生きてただろ

126 :日本@名無史さん:2013/06/18(火) 08:24:53.96 .net
>>123
神社の儀式には出れても直々に出撃出来んくらいに弱かったんじゃないの?
緊急事態なら真夜中でも叩き起こされて会議が普通だし、当時の武装は30kg以上あったから行軍だけで体力使い果たすし、サナトリウムの結核患者みたいなもんで日常生活できても執権の仕事とかやれる状態じゃなかったんだろ。

127 :日本@名無史さん:2013/06/18(火) 12:17:07.28 .net
>執権の仕事とかやれる状態じゃなかったんだろ。

高時の発給文書は200通弱残されてるけど全てに花押がある(病気の場合は花押が無い)
長期間病気で執務がとれなかったとか執務が停滞したとかは無いんじゃないかなあ。

それから高時の時代は立法(法律の制定)が極端に少ない。
これって政治に対する積極性の無さを表してるんじゃないの?
日常の執務はまあ無難にこなすけど、政治に対する積極性は無い。
政治的な亡気とでもいうのかな。

>直々に出撃出来んくらいに弱かったんじゃないの?
得宗で鎧着て直接戦場に赴いた例はないからそれは考慮しないでいいんじゃないの?

128 :日本@名無史さん:2013/06/18(火) 23:26:24.51 .net
>>127
敵軍が本拠地脅かしているのに戦わなかったら殺されるんですが。
それに得宗じゃないが泰時とか執権就任前に司令官やって戦ってる。

129 :日本@名無史さん:2013/06/21(金) 20:44:48.64 .net
>>128
うってでるとただでさえ流れ矢に当たったり敵に囲まれたりで
本拠地にいるよりも死亡率は上がる
得宗が流れ矢で死んだら幕府は事実上崩壊
得宗は最後に折を見て自害でうってでないじゃね?
豊臣秀頼がなぜうって出なかったかというのと似てるけど

130 :日本@名無史さん:2013/06/21(金) 21:37:07.33 .net
>>129
執権の守時が死んでる以上、得宗の高時が戦いもせずのほほんと生きてたら無責任の謗りは免れないぞ。
そもそも執権辞めたのも自己都合だからね。
まあその後の歴史では無責任どころではない誹謗中傷を受けたが。

131 :日本@名無史さん:2013/06/21(金) 22:44:23.63 .net
泰家はにげてわけのわからんことをやってそのままフェードアウトしたけど
批難どころか高時に弟がいたのかという扱いだけどな。

132 :日本@名無史さん:2013/06/21(金) 22:54:26.41 .net
泰家って内輪揉めで出家した挙句、幕府滅亡の瀬戸際でろくに戦いもせず
逃げるとか高時以上にどうしようもないな。

133 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 00:24:19.19 .net
>>130
>執権の守時が死んでる以上、得宗の高時が戦いもせずのほほんと生きてたら無責任の謗りは免れないぞ。

執権なんて得宗の傀儡、ロボットみたいなもんだから別に死んでもかまわんよぉ

134 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 06:09:30.04 .net
幕府のトップは執権でも北条家のトップは得宗

135 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 08:53:56.11 .net
>>130
執権の守時の死を持って鎌倉幕府は終わらなかったじゃん
得宗の高時の死を持って鎌倉幕府は終わった
そういうもの

136 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 08:56:24.34 .net
>>130
北条氏傍系の守時は執権についたとしても
あくまでも北条氏嫡男で得宗の高時の家来だから
主君のために死ぬのは当然
高時は守時の家来だと勘違いしていない?

137 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 09:34:07.66 .net
幕府の組織としては
トップ:征夷大将軍
だから将軍の守邦親王が死なない限りは組織崩壊にはならないんだよね。
>>136
守時は立場上は守邦親王の家臣だよ。高時の家臣ではない。

138 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 13:22:04.19 .net
>>137
守時は立場上は高時の家臣。階級的な身分では守邦の家臣。

139 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 13:29:00.12 .net
>>138
家臣じゃなくて家長とその他という関係だろ。

140 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 14:52:42.46 .net
得宗権力は北条氏の家長としての権力とはスケールが格段に違う
ということを理解してくれ

141 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 15:05:06.11 .net
>>140
そんな権力持ってるのに>>112みたいに簡単に部下に反撃されるのはおかしいだろ。

142 :日本@名無史さん:2013/06/22(土) 15:11:14.75 .net
だから高時は亡気だったんだよ

143 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 10:54:07.47 .net
得宗権力を支えたのは御内人だからだよ。高時の父貞時は
御内人の平頼綱を粛清しているが御内人は引き続き重用している。
経済的にも軍事的にも得宗を支えるのだから当然だろう。

一方これが御家人だと徹底的な弾圧を加えられる。これは一門の
北条氏も変わらず時宗が死んだとき疑いだけで処刑・拷問された者
がいるぐらいだよ。

144 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 13:39:50.38 .net
>>143
平禅門殺したせいで安達氏が勢力盛り返して更に両者に手を握られて振り回されるとか末期得宗家のアホさは異常。

145 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 16:04:48.20 .net
>>144
とは言っても、平頼綱を生かして置いたら、他の御家人の反発は凄まじくもっと早く幕府は滅んだのかもな

146 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:11:11.11 .net
>>145
貞時が頼綱を滅ぼしたのは彼の次男の飯沼資宗を将軍させようとしたからだ
といわれてるけどホントなんですか?
ちょっと考えられないけど

147 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:17:19.65 .net
出目の怪しい御内人の息子ごときが将軍なんて誰も認めるはずがないし
なれるならとっくに得宗家が将軍になってるはずだからありえない

148 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 18:33:31.00 .net
じゃあ実際は貞時が濡れ衣を着せて殺したということですか?
何故ですかね。傲慢で命令に従わなかったからかな?

149 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 19:10:51.32 .net
>>147
出自って言い出すと北条自体が・・・

150 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 20:30:14.40 .net
徳川家だって所詮三河の土豪なのに、偽系図で源氏を名乗り
江戸城にはいってふんぞり返ると将軍様らしく見えるからあら不思議

151 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 21:27:20.57 .net
江戸時代と鎌倉時代では家格の認識が違うんじゃねーの?

152 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 21:34:21.18 .net
家康は関ヶ原後に武家政権の名実ともにトップになったけど
北条氏は比企、三浦、安達といった対等な御家人が大勢いて
幕府滅亡まで建前上将軍の部下にすぎなかった

153 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 22:53:24.93 .net
高校日本史ではいかにも執権・得宗として北条氏が独裁やったように書いてるけど、
実際には宇野宗佑よりしょぼいからな。

154 :日本@名無史さん:2013/06/23(日) 23:38:22.22 .net
>>148
ただ飯沼助宗を若年で検非違使に任官させた頼綱への反感
は相当あっただろうな。

155 :日本@名無史さん:2013/06/25(火) 00:06:19.79 .net
足利尊氏が反乱起こさずに後醍醐天皇側の軍勢を殲滅していれば守時も天寿を全うすることができたんだろうな。

156 :日本@名無史さん:2013/06/26(水) 21:14:04.83 .net
正中の変、元弘の乱と二度も鎮圧して隠岐に流したのに三度目があるなんて思わなかったろうよ。

157 :日本@名無史さん:2013/06/26(水) 21:53:35.32 .net
>>156
ナポレオンのようにあとぐされなく暗殺するか、蝦夷地のような再起不能そうな場所に流刑すればよかった。
守時も他の幕府首脳もそこら辺が詰め甘いんだよね。

158 :日本@名無史さん:2013/06/26(水) 22:41:38.98 .net
>>157
後鳥羽上皇も隠岐だったよね。そのまま京に帰ることはなかった。
暗殺ってのはなんか化けて出そうだし。蝦夷は内乱で何されるか分からないし。

159 :日本@名無史さん:2013/06/27(木) 03:01:52.60 .net
>>157
後醍醐は特殊すぎる
島流し先から脱出した天皇なんてこの人が最初で最後
なるべく穏便に処理したかった幕府に殺害は無理じゃないか

160 :日本@名無史さん:2013/06/27(木) 22:05:05.65 .net
>>159
光厳天皇支持した時点で穏便な決着は無理だろ。

161 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 21:07:36.99 .net
>>138
でも高時より守時のほうが官位が上だから複雑なんだよな

162 :日本@名無史さん:2013/06/30(日) 00:03:56.22 .net
当時はそこまで官位の上下は関係なかったんじゃ?特に坂東武者の間では

163 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
北条高時は24歳の若さで守時に執権を譲って出家
事実上24歳で俗世を離れたことで官位を返上してしまったからな
守時が高時の官位を越えたのは高時出家後、執権になってからだし

164 :日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN .net
「肩書なんて意味がないし、くそくらえ」と言いながら、それに依存していたのが鎌倉幕府じゃないの。

165 :日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN .net
>>164
当時の殺伐とした時代だと、肩書きがあったほうがマシだろ。
まあ肩書きがあっても襲われるんだけどね。

166 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN .net
公家、院、朝廷をも凌駕する政治力と経済力、軍事力を持ちながらも、願いは自分の農地を保全することだけというのが御家人だもの。
普通なら承久の乱の後に、朝廷なんて跡形もなく消えてもおかしくないのに、あれで朝廷の監視で満足。
百姓一揆の規模のでかい奴みたいなもんだよ。

167 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN .net
朝廷は宗教だからな

168 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN .net
>>167
ここは日蓮大聖人の力で朝廷を打破するべきだった

169 :日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN .net
北条氏も説き伏せられない一僧侶じゃ無理

170 :日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN .net
>>169
北条の自称後継者のそのまた末裔は説き伏せただろw

171 :日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN .net
旧暦5月22日と言うと今の七月初めかな。
梅雨の季節だな。雨の中で戦ったのかな?

172 :日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN .net
東勝寺に向かって合掌

173 :日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN .net
>>171
6月30日だな。
最後は自害だが、新田軍も死ぬまで待ってやったのかね?

174 :日本@名無史さん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN .net
北条氏って武家政権のトップにしてはカリスマ性がないな

175 :日本@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN .net
とととんでもない、カリスマ性ありすぎ。
名執権泰時とか 回国伝説の時頼とか

176 :日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:18:09.53 .net
>>110

信憑性は微妙だが北条氏子孫を名乗る家は結構ある
ただ極楽寺流は聞いたことないな
得宗家(時行流)子孫→
尾張赤目横井氏(横井小楠)
田原本藩平野氏(平野長泰)
伊豆岡野氏(板部岡融成)
佐介流子孫→
飛騨江馬氏
播磨淡河氏(赤松から養子有)
名越流子孫→ 
名児耶今川氏(名古屋山三郎)
高倉健

177 :日本@名無史さん:2013/09/23(月) 02:01:41.03 .net
北条氏は官位は外様御家人の足利氏と大差なかった。

178 :日本@名無史さん:2013/09/23(月) 15:28:22.63 .net
>>176
北条の断絶は自業自得な部分もあるんだけどな
南北朝の内乱で記録に残るの南朝側ばっかだし
尊氏憎いのかもしれないが白河や楠さえも北朝側に走ったのいたのに

179 :日本@名無史さん:2013/09/23(月) 21:25:35.17 .net
戦国時代の後北条氏が「北条」を名乗ったのも関東でのカリスマ性故だろ

180 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:54:58.31 .net
北条の先祖って渡来人?

181 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:57:05.62 .net
>>180
藤原は渡来人説が多いが・・・・今で言うヤクザ?北条は成り上がり者?????

182 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:57:51.37 .net
>>180
前北条氏は普通に桓武平氏の血筋だが。

183 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 17:15:09.66 .net
>>181
もう、目の前がくらくらする。
トンデモは、うんざり。

184 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 18:14:22.10 .net
幻の第17代執権 北條相摸守貞将

185 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 16:34:16.11 .net
大河ドラマで守時(勝野洋)が高時(鶴太郎)に長年の恩義に感謝して
死ぬつもりで出陣するシーンがあったが
執権より得宗のほうが偉いのがよくわかった

186 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 19:57:17.71 .net
そりゃ得宗は北条氏の当主だからな

187 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 22:13:48.08 .net
>>182
桓武天皇の母親だか嫁だかが渡来人

188 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 22:14:49.09 .net
>>185
守時は妹婿である足利尊氏に内通しているのではと疑われて
北条一門から浮いた存在になっていた
得宗への忠義はそれを打ち消す目的もあったからね

189 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 22:23:43.94 .net
>>187
あのさ
桓武天皇に何人の后と子女がいたか知ってるか?

190 :日本@名無史さん:2013/09/27(金) 00:02:40.78 .net
>>187
桓武天皇の母親は日本の下級貴族の出身で
その9代前の先祖が百済王族だったというだけに話。

191 :日本@名無史さん:2013/09/27(金) 00:04:18.61 .net
出自の基準は父系なんだよ。
両親の系統見ていたら、先祖が無限に広がって意味がない。
28代遡ったら、1億人超えるんだから。

192 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 06:54:18.63 .net
守時の洲崎での壮絶な討死と姪浜での英時の粘りこそが妹婿である尊氏が関東と九州を比較的容易に従えることができた要因。あまりに立派な最期だったので同情票が結果的に親族の尊氏に流れたんだと思う。

193 :日本@名無史さん:2013/09/29(日) 00:28:28.98 .net
>>192
そんなに簡単に尊氏が関東と九州を抑えられたなら
尊氏が鎌倉府をおいて実の息子を鎌倉公方として関東に常駐させたり
九州に鎮西探題を置いて一門の今川氏を九州に常駐させたりせんだろ

尊氏・義詮親子は守時や英時を殺した側の人間だということを忘れている
守時や英時を想うなら関東武士は中先代の乱で北条に味方するだろ

194 :日本@名無史さん:2013/09/30(月) 21:49:54.22 .net
北条に味方した大物御家人って外戚安達や二階堂などの文官系除けば武田と大内くらいか

195 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 16:16:15.44 .net
【伊豆長浜城(静岡県沼津市)】
戦国時代の後北条氏の水軍根拠点、沼津市内浦湾に面する長浜城。
http://century660.sakura.ne.jp/castle/nagahamajyoh_model.html

196 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 19:08:53.70 .net
妹が足利尊氏に嫁いだ為
一門から睨まれ
果敢に戦ったのは行動で忠誠を示そうとしたんだよな

197 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:34:09.60 .net
守時がよくもまあ、従四位上の位階まで昇叙できたことか?
そして得宗高時がよくもまあ、それを許したことか?
従四位上ということは高時の父貞時と同じ位階でもある。

198 :日本@名無史さん:2013/12/24(火) 23:59:26.54 .net
妹が脱出を試みるときは高氏が謀反する時だから深追いしない
それにしても犬畜生にも劣る奴とばかり高氏を憎みぬいて戦死したんだろうなあ
決して関係の悪くない守時を謹慎させたのは、風当りから守る意味があったかも知れない

可哀想に

199 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 02:57:54.58 .net
妹の登子って生母不明?

200 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 03:26:35.97 .net
兄貴を見捨てて逃げるどっかのビッチ
そう思うことが最後の執権への供養

201 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 04:57:12.14 .net
妻の実家を滅ぼした足利高氏の心境も
複雑だったのかな

202 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 05:18:42.29 .net
後醍醐天皇には寺を作っているけど、どうなんだろう…

203 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 06:47:19.07 .net
高氏は何の迷いもなく裏切ってるだろ
妻子だって殺されても良かったのかも知らん
生き残っててもどうせ逆賊の一味だから

204 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 19:52:40.95 .net
そのわりには幕府滅亡後も大切にされてるよね>登子
義詮も基氏も彼女の産んだ子だし

205 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 06:33:18.75 .net
裏切ったほうは北条氏が憎くて裏切ったわけじゃないし
妻子まで追及したら御内人の娘を貰ってる新田さんや御家人たちも総スカンだから

206 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 12:52:22.01 .net
>>204
女子供に影響はないからだろ
武田勝頼の母は父信玄が滅ぼした諏訪氏の娘
徳川家光の母は父秀忠が滅ぼした豊臣家の養女
ってよくある話だし
>>205
「太平記」なんかだと北条高時は犬追物ばっかりやってる馬鹿殿で
尊氏は私怨もあって裏切ってるよね
尊氏の祖父は北条から無実の罪を着せられて切腹になったとかさ

207 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 13:02:05.47 .net
北条高時が暗君だったって
脚色やでっち上げだからな

208 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 19:33:47.36 .net
田楽に狂ってたのは尊氏のほうで、高時は体が弱いせいもあって禅談を好んだ
おとなしい性格だからそれほど角は立ってないよ

209 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:48:55.97 .net
かつて蘇我馬子の妻の物部守屋の妹が夫に兄を殺させて物部家の財産を蘇我家が奪ったという話があるらしいけど登子も守屋妹と同類?

210 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 01:09:50.68 .net
>>206
織田信長、豊臣秀吉は女子供にも容赦はないがね。
信長は荒木村重の妻子を生きたまま車裂きにしたし、その他も容赦はなかった。秀吉も秀次の
三族(菊亭晴季、六角義賢、蒲生氏郷、藤堂高虎、若江八人衆、池田知正など)を妻子ごと根絶やしにした。

その他、後白河天皇は、保元の乱の時、上皇方に付いた崇徳上皇(本人は配流だが)の妻子、
藤原忠実(鋸引き)、頼長(車裂き)父子及び忠通の系譜を除く3族、平頼盛、忠正、家弘及び
その妻子、源為義及びその息子(義広、頼賢など)の妻子、孫などを、容赦なく皆殺しにしている。

211 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 02:40:00.12 .net
足利尊氏が白拍子に生ませた直冬を最後まで認知しなかったのは
尊氏なりの清算やけじめの付け方だったのか

212 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 03:09:09.61 .net
ビッチ登子の躁鬱旦那のけじめなんてどうでもいい

213 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 08:29:06.97 .net
>>210
で、何?
後生大事に抱え込んだコピペを貼りたいだけなの?

214 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 12:18:16.57 .net
>>211
直冬の母が白拍子だというのは吉川栄治原作「私本太平記」の中での創作
(大河ドラマ「太平記」の原作なので大河でもこの通りやっている)
直冬の母は家系図に越前局とある女性でこの女性の系図や経歴は不明
不明であることから言って身分の高い女性ではなかったのだろうが白拍子だとも書いてない

215 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 12:35:50.39 .net
>>66みたいに足利氏は北条氏と何重にも婚姻関係結んでて
血縁的には一門みたいなもんなのによく裏切ったな

216 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 13:42:33.78 .net
北条氏自身、いざ政争になったら血縁を屁とも思わない節があるし
お互い様だとおもうわ

217 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 15:26:45.90 .net
>>215
蘇我氏滅亡の時に宗家を裏切って生き残った奴が居たり
平家滅亡の時に宗家を裏切って生き残った奴が居たりしたようなもんじゃね?

足利尊氏も父方の祖母は北条氏だし、かなり北条の血は入ってるぞ。

218 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 23:16:18.01 .net
高氏マンセー吉川太平記と史実を混同するのはどうにかしてほしい
>>216
足利と北条は当時「政争」になどなってないわけで、それは無理がありすぎる

219 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 23:18:38.14 .net
>>217
でも中先代以降の時行御一行は高時の滅亡は仕方ないと言いつつ尊氏だけは許せんと言ってるのでなあ
いくら南朝に帰順するための方便とはいえ北条一門から見たら相当許しがたい行為なんじゃなかろうか
直接鎌倉を滅ぼした新田のとこにはそんな文句つけてないからな

220 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 23:55:41.37 .net
平家や蘇我氏の場合はその前から内部分裂があり内乱で露呈したが
北条氏は政変はあっても恩讐の持ち越しがあまりないからな
最も反抗的だった名越や、被害者の安達も得宗に従ってるし、逆に金沢貞顕も執権に就いてる
後醍醐側に寝返った人間なんていないから、尚更高氏が目立つんだろう

その後の尊氏も北条残党には容赦ないし(投降を受け入れた大仏高直ですら結局斬ってしまった)

221 :日本@名無史さん:2013/12/29(日) 19:15:38.40 .net
意外なのが尊氏の離反後、北条時行は宮方に加わってるんだよね
後醍醐こそすべての元凶なんだがいいのかよ、時行…

222 :日本@名無史さん:2013/12/31(火) 10:34:43.99 .net
元弘の乱で没収された北条氏の所領の多くが足利に流れたのだから
足利を敵視するのだろう。後醍醐がそれを決めたとは言えそれを現実に
覆すには足利を倒すしかないからな。(絶対無理だろうけど)

223 :日本@名無史さん:2013/12/31(火) 17:25:16.08 .net
残された時行の役目は、北条家再興だ。後醍醐についておけば活躍しだいで
北条家の汚名がそがれる。
逆に足利につくことは足利の家臣扱いになるので絶対嫌であったろう。

224 :日本@名無史さん:2013/12/31(火) 22:10:24.89 .net
観応の擾乱でも直義が南朝に走ったりしてるし敵の敵は味方みたいな考え方だろ

225 :日本@名無史さん:2014/01/01(水) 00:18:47.38 .net
観応の擾乱では尊氏まで南朝と結んでるしなw

226 :日本@名無史さん:2014/03/14(金) 20:16:59.62 .net
あまり取り上げられないが嘉元の乱は鎌倉幕府滅亡の遠因としてかなり重要な政変。
同格の御家人、得宗以外の北条一族を排除してきた北条得宗家が
一門の宗方を切り捨てざるをえなかった。

227 :日本@名無史さん:2014/03/16(日) 11:26:53.31 .net
北条氏一族で生き残ったのは
今川家と婚姻関係があった名越北条氏だけ。
名越氏の場合、足利宗家と対立関係にあった斯波家のプライドの拠り所に
初代の斯波家氏の生母が名越北条家の出身だったのが関係していたので
足利宗家としては、名越北条家を召し抱えることが、
斯波家へのけん制にもなったのが大きな要因だと思われる。

228 :日本@名無史さん:2014/05/21(水) 23:34:10.54 .net
>>227
鎌倉北条氏が悉く滅んだせいで後に伊勢氏が北条を名乗るのに抵抗感がなかった

229 :日本@名無史さん:2014/07/17(木) 17:22:41.68 .net
金沢貞将が鎌倉幕府滅亡直前に最後の執権になったんだっけ?

230 :日本@名無史さん:2014/07/18(金) 12:39:46.36 .net
>>229
最後の執権はスレの通り赤橋守時
金沢貞将は一つ前の執権

231 :日本@名無史さん:2014/07/18(金) 18:04:03.51 .net
>>230
一つ前は金沢貞顕

232 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:56:30.19 ID:Pv8drGXDF
太平記記述の解釈によっては北条守時亡きあと、
北条貞将が最後の執権ともみれる。

233 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 07:56:46.83 .net
最後の執権ってわりに足利義昭や徳川慶喜に比べて知名度が低い

234 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 11:03:23.31 .net
最後の管領だって知名度低い

235 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 10:23:56.11 .net
>>233
それをいうなら、鎌倉幕府最後の将軍は...

236 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:37:17.12 .net
>>235
守邦親王、結構存在感はあったようだよ。
ずっと鎌倉にいて、いろいろな政策をしたようだよ。

最後は東勝寺で長崎高重、摂津親鑑に自害の手本を見せてもらって自害した。
守邦親王の死を見守ってから、北条家、御家人、御内人らが一斉に自害した。
守邦親王の妻子も東勝寺で殉じたため、守邦親王の血統は残らなかった。

237 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:39:05.22 .net
ちなみに、鎌倉、室町、江戸で、幕府に殉じたのは鎌倉の守邦親王のみ。

238 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 11:34:59.61 .net
>>236
守邦親王って自害してないんじゃ?

得宗の北条高時をはじめ北条一門200余名が鎌倉東勝寺で自害したのは元弘3年5月25日
一方、守邦親王はこのときは出家したのみで死んだのは3か月後でしょ
場所も東勝寺ではない

あと守邦親王と一緒に自害した妻子って誰?
北条高時すら母や妻は女であることで免じられて足利の世まで生き残ったし
息子も脱出させてるよね

239 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 14:57:54.39 .net
尊良親王と間違えてない?

240 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 00:32:06.71 .net
南朝の残党と違って北条はようがんばったな

241 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 11:44:02.09 .net
>>239
尊良親王は鎌倉に住んだこともなければ
鎌倉幕府の将軍だったこともない
越前で新田義顕と共に死んでいるが妻子は連れていない

やっぱり>>236は鎌倉幕府最後の将軍守邦親王のことを言っていて
最後を間違えている

242 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 11:46:42.53 .net
>>240
南朝はかなりの長期戦で相当消耗してから滅んだが
北条は力を温存したまま突然滅んだに近いからな

足利尊氏(高氏)だって得宗北条高時から偏諱を貰い
北条の正室をありがたがる北条一門のような顔しながら
突然北条を裏切ってるから

243 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 12:03:09.23 .net
>>242
足利と言い北条と言い嫁ぎ先も滅ぼせんと天下人とは言えないわな

244 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 12:03:29.40 .net
ふーん

245 :日本@名無史さん:2015/03/10(火) 17:22:13.43 .net
>>243
徳川は孫娘の嫁ぎ先を滅ぼしたな

246 :日本@名無史さん:2015/03/10(火) 18:12:58.84 .net
守邦の亡くなった時期を考えると、通常の自然死とは思えんな。
最後の将軍が幕府滅亡から三ヶ月後に急逝って、タイミング的に不自然きわまる。

247 :日本@名無史さん:2015/03/14(土) 11:33:52.40 .net
守邦親王って都に帰らなかったんだな
歴代の親王将軍は将軍辞めさせられたら都に帰ってたのに
お飾りとはいえ鎌倉幕府滅亡の責任があったから?

248 :日本@名無史さん:2015/03/14(土) 16:22:02.89 .net
>>247
実際には、新田義貞が誤魔化したんだと思う。
守邦親王は東勝寺で自害したが、それを隠すために、鎌倉で出家→3カ月で死亡
ということにしたんだろう。事実、長崎高重、摂津親鑑は守邦親王に手本を見せる
ために自害したと言われている。守邦親王を自害にすると、都合が悪いことが
あったのだろうか。

249 :日本@名無史さん:2015/03/14(土) 16:26:37.62 .net
>>248
後醍醐天皇皇子の尊良親王は新田義顕らと共に金ヶ崎城で自害、
護良親王は鎌倉で足利直義に殺害されたことがちゃんと出てるのにな

250 :日本@名無史さん:2015/03/14(土) 19:47:49.15 .net
さすがに自害なら自害と書くだろ

251 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 06:55:54.24 .net
>>249
いや単なる病死なんだろうよ
何勝手にここでしか言われてない自害説採用してんだよ
まあ自害に近い病死だった可能性は高いが

252 :日本@名無史さん:2015/03/24(火) 00:20:14.94 .net
>>248
>長崎高重、摂津親鑑は守邦親王に手本を見せる
>ために自害したと言われている。

そんなこと誰が言ってんだよw

253 :日本@名無史さん:2015/03/25(水) 07:45:20.28 .net
この頃は金沢流北条氏が赤橋殿と呼ばれていたというが
赤橋流はどう呼ばれていたのだろうか

254 :日本@名無史さん:2015/04/02(木) 11:06:50.69 .net
>>251
恒良も同様で終わりがフェードアウトのような
死だから暗殺だの自害だの言われるのだろうな。

255 :日本@名無史さん:2015/08/06(木) 23:08:06.01 .net
76

256 :日本@名無史さん:2015/08/10(月) 10:40:46.73 .net
北条は義時の代に朝廷を滅ぼすか、自分が将軍にならないといけなかったな。

257 :日本@名無史さん:2015/11/01(日) 06:18:55.66 .net
↑基地外

258 :日本@名無史さん:2015/11/01(日) 22:49:32.42 .net
>>201
北条義時は妻の実家を
北条時頼は祖母の実家と妻の実家を滅ぼしてる

259 :日本@名無史さん:2015/11/09(月) 20:54:13.91 .net
>>251
いやどっちかというと、守邦が幕府再建勢力に担がれるのを防ぐため
何者かが毒殺したんじゃないかと思ってるよ。

260 :日本@名無史さん:2015/11/09(月) 23:30:09.36 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

261 :日本@名無史さん:2015/11/09(月) 23:31:46.03 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

262 :日本@名無史さん:2016/02/21(日) 14:01:21.99 .net
>>258
三浦くんもろとも義父を討っただけで
毛利一族滅亡じゃないよ。

そういや毛利って、鎌倉幕府の制度設計に
参画した広元くんから
関ヶ原の輝元くんのgdgdぶり
幕末のそうせい侯まで
時代の要所要所で活躍しつつも
決して天下をとらず
なんだかんだでいいポジションを確保してる名族だよな

263 :日本@名無史さん:2017/02/20(月) 01:57:23.62 .net
>>1
ばっかだな


そもそもそういう視点は執権をリアルタイムで知らないからそういう御解釈が生まれる
そしてまくらそうしなどの「執権プロパガンダ宣伝本」しかみないからおかしな御解が生まれるんだ

264 :日本@名無史さん:2017/02/20(月) 02:15:21.65 .net
>>1
・まくらそうしは宣伝本で史記ではなく執権宣伝本、歴史改ざん本の典型である
・史実においては執権は権力のライバルにたいして徹底してデマと謀略で反乱のでっち上げをして粛清して暗殺するという方法を繰り返した
・いわゆるナチスというより、スターリズム謀略のスタイルで暗殺で権力を目指し、最終的に法治合戦で専制独裁を作った。
執権政府に関してはしばしば合議制のイメージのほうが目立つのだろうが合議制は法治合戦までであり、以後の幕府終焉までの90年は執権専制独裁である
・執権がまともにやった仕事は元寇における政治と戦争準備、および下劣な転覆主義者日蓮の処刑だけである。
但し肝心の元寇戦、準備は執権家以外が行ったので、主要な働きはしてない

・執権政府は元寇直後に一度転覆されてる。その転覆は執権個人以上に法治合戦で三浦家を虐殺した安達氏に対する報復戦的要素が強かったが
執権専制86年間(正確にはクーデターあったので78年間)は元寇がおきるまでのわずか20-30年間を除いては常に反乱と転覆と独裁対抗にみちてた

・そもそも足利による反乱などの原因は元々執権独裁に対する対抗があったから、
天皇家に執権が強権を発動できて権限を強化したことに恐れておきた

そして高時、森時は執権の専制独裁と専攻の負の象徴に近い位置づけにリアルタイムでなった

そのためおかんの大名刺とリアルタイム目線ではなった。親族の足利に裏切られて、実権を守時に取られてて、気づいたらいきなり足利と戦えで敗北した

265 :日本@名無史さん:2017/05/05(金) 09:25:52.24 .net
自分も守邦親王がなぜ鎌倉幕府滅亡の直後に病死していたのか、ずっと
気になっていた。
北条一門とともに自決したとは考えにくいが、自然死したとも考えにくい。
鎌倉を占領した新田軍によって殺害されたと考えられるのではないか?

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